ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「ジュラシック・ワールド 新たなる支配者」

ジュラシック・ワールド 新たなる支配者」


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ジュラシック・ワールド 新たなる支配者」観ました。

 

ジュラシック・ワールド〉のあった島、イヌラ・ヌブラルが火山の大噴火で壊滅、救出された恐竜たちは、世界中へと放たれてしまった。

あれから4年、人類はいまだ恐竜との安全な共生の道を見いだせずにいる。恐竜の保護活動を続けるオーウェンクリス・プラット)とクレア(ブイラス・ダラス・ハワード)は、人里離れた山小屋で暮らしていた。

そこで二人が守っているのは、14歳になったメイジ-(イザベラ・サーモン)、ジュラシック・パーク創設に協力したロックウッドの亡き娘から作られたクローンの少女だ。

ある日、オーウェンは子供を連れたブルーと再会する。ところが、何者かによって、ブルーの子供が誘拐される。オーウェンはブルーに「俺が取り戻してやる」と約束し、クレアと共に救出に向かう。

一方、サトラー博士(ローラ・ダーン)は、世界各地から恐竜を集めて研究をしているバイオテクノロジー企業の巨人バイオシンをある目的から追っていた。そこへグラント博士(サム・ニール)も駆けつけ、マルコム博士(ジェフ・ゴールドブラム)に協力を求める。

人類と恐竜の共存の前に立ちはだかる、バイオシンの恐るべき計画とは?

オーウェンとクレア、そして3人の博士は大切な命とこの世界の未来を守ることができるのか?

(映画館チラシより引用)

 

1993年公開『ジュラシック・パーク』を含む三部作から。装いも新たに2015年から始まった『ジュラシック・ワールド』シリーズ。

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かつて『ジュラシック・パーク』で散々痛い目にあったはずなのに。人々のあくなき「恐竜を見たい!」という願望によって再び作られてしまったテーマパーク『ジュラシック・ワールド』。ハイブリッド個体へと進化した(当方には難しいことはよくわかりません。ICチップ内蔵しました程度だった気がするけれど)、安全性を売りにした(何を根拠に?)パークは案の定早々に崩壊。

テーマパークとしては使用不可。恐竜たちだけの楽園と化していたイヌラ・ルブラル島は火山活動が活発化したことにより壊滅した。噴火前に恐竜たちを別の島に移送する計画が遂行されようとしていたが、コレクターたちの横やりもあり、恐竜たちの完全移送計画は転覆。恐竜たちが世界中に放たれるという最大級の事故で幕を閉じた前作。

 

「何故ジュラシック界の人間は過去から何も学ばないのだろう?」

 

毎回毎回…ジュラシックシリーズを鑑賞するたびに当方の脳内に浮かぶフレーズ。

何故?何故恐竜たちと分かり合えると思うのか。食物連鎖の圧倒的強者を前に対等であろうとするのか。飼いならせると思いあがるのか。

 

とはいえ。毎回シリーズ新作が公開されるたびほぼ初日に鑑賞してしまっている当方もまた…「動き回るでっかい奴を見たい!」の動機なんで。同じ穴のムジナですが。

 

これも毎回おことわりしているのですが。当方は「巨大海洋生恐怖症」でして。

でっかい魚類を見ると動悸がする。水族館など小学生以降は近寄ることもしていない。先日昼休憩中にニュースで「水族館で飼育していたジンベイザメが22メートルまで巨大化したため海へ放し、代わりに先月定置網にかかった4メートルのジンベイザメが仲間入りしました」と映像付きで流れた時など、鳥肌が止まらなかったほど。

つまりは…何を言いたいかというと…怖いんですよ。アイツが。

 

「名前も言いたくないアイツ」当方のなかでヴォルデモート級、恐怖の化身。ジュラシック・ワールドシリーズに出てくる恐竜たちに対し「でっけえな」「足が速いんやな」「なつくやつもいるんやな」とのんびりした印象を持つ当方が唯一恐怖を感じてやまない海のアイツ。デカい。デカすぎる。(そして今回もトップバッターで登場にのけぞった当方)

 

「奴ら(恐竜)を生み出し、そして世に放った…世界中が恐怖に包まれた…お前は万死に値する」。

 

ジュラシック・ワールド責任者の一人であるクレアには怒りしか感じていない当方。

よくもまあいけしゃあしゃあと娑婆を歩いているな。経営者及び責任者たちは軒並み拘束し恐竜たちとの共生及び凶暴な個体の回収に全力を尽くせと当方は思うのですが…優しい世界ですよ。

 

「恐竜たちが解き放たれた世界。生態系のヒエラルキーは圧倒的強者の出現で一変した。恐怖と混乱に満ちた世界で。人類はどうやって生きる道を見つけるのか」

かつてジュラシック・ワールドを創設したメンバー。果てはそもそものジュラシック・パークに関わったメンバーも集結。「責任者ででこい!」に対し出てきた彼らが。一体この事態にどう落とし前をつけるのか。

 

という話になると思うじゃないですか。少なくとも当方はそう思っていましたよ。シリーズ最終作と銘打っていたし。

 

「よくここまで入口と出口が違う話に仕上がったな…」

 

はっきり言うと『イナゴ映画』でした。

新進気鋭のバイオシンというバイオテクノロジー企業が遺伝子操作したイナゴを繁殖し生態系を脅かしているとの推測で潜入捜査する旧作メンバー、サトラーとグラント。古代生物学者の二人はかつてジュラシック・パーク創設のさいに見学したさいにパーク内の恐竜たちの大暴走を体験した仲間。二人はバイオシンで働くマルコムと再会する。

 

場面が変わって。現在は山奥で暮らすオーウェンとクレア。二人はジュラシック・パーク創始者の娘のクローン・メイジーを引き取り疑似家族的に生活していた。

けれどある日、なついていた恐竜・ブルーの子供とメイジ-が何者かに連れ去れる事案が発生。何とか後を追ったオーウェンとクレアが行きついた先はバイオシン社だった。

 

こうして新旧二組の主人公たちが合流して、バイオシン社の野望と計画を暴きながら愛する子供を救出する、そんな話になっているんですよ。なにこれ。

 

「こっちは恐竜映画を観にきたんやぞ!」

バイオテクノロジー云々はどこか別のところでやってくれ。こっちは恐竜とのどんちゃん騒ぎが観たいんだ。

…一応ねえ…恐竜三体による取り組みなんかも見せてはくれたんですが…物足りない。

 

とにかく遺伝子操作した枕サイズのイナゴが大量に出てくる。地面をびっしり這うイナゴ。ガラスケースいっぱいのイナゴ。空を埋め尽くすほど飛来してくるイナゴ(「ゴールデンカムイでラッコ鍋食べる羽目になったきっかけの光景に類似)。中盤以降はとにかくイナゴ映画。

 

一応「遺伝子操作して作られた恐竜たちの繁栄に、少しは歯止めをかけられる希望」とも思えなくはないんですが…いかんせん弱い。

 

もやもやしながら映画館を後にした当方。一体…何を観たんだろう。

「おそらく…新たなる支配者とはイナゴのことだ」

さすがに違うとは思いますが。ジュラシック・ワールドシリーズの思いもよらなかった着地。

 

いつかまた。新たなジュラシックシリーズが生まれることがあったとしたら…三部作にはしない方がいい。どちらも一作目は成功するんやから。そこで止めておけば…。

ですが。「ジュラシック界の人は過去から学ばない」んでねえ。そして観客にも共通する、あくなき「恐竜が観たい!」欲。

恐竜にはまた映画館で再会する予感がしてなりません。

映画部活動報告「エルヴィス」

「エルヴィス」観ました。f:id:watanabeseijin:20220814155911j:image

 

最多ヒットシングル記録151回、最も成功したソロアーティストで「キングオブ・ロックンロール」と呼ばれたエルヴィス・プレスリー

1935年にアメリカ・ミシシッピ州の貧しい家に生まれた白人の少年が、黒人音楽にもまれて育った。1954年にメンフィスにあるサンスタジオでのレコーディングでその才能を見いだされ、瞬く間にトップミュージシャンへと上り詰め…そして1977年、42歳の若さでその生涯を閉じた。

溢れんばかりの才能とセンス、圧倒的歌唱力と煽情的なダンス。一体エルヴィスとはどういう人物だったのか。

 

エルヴィス・プレスリーかあ…」

ラスベガスのホテルでのステージ。リーゼントともみあげ。中年太りをスパンコールぎっしりのジャンプスーツで包み。派手な首巻を振りながらねっとり歌う…いうならば晩年の印象が強く、若かりし頃の彼は知らなかった。

なので。今回の作品を観て「こういう人物だったのか…」と知った当方。

恰好良く粋でセクシー。「なんだかいけないものを見てしまった。興奮するなんてはしたないって思うけれど…体が動いちゃう」戸惑いながらも、いつの間にか立ち上がり嬌声を上げてしまう若い女性たち。

けれど。煽情的なアイコンの持ち主は「家族や仲間思いで情に厚く、寂しがりや」な人物だった。

 

主人公エルヴィスを演じたオースティン・バトラー。エルディスにしてはシュッとしてる(大阪の誉め言葉…)線が細いかなと思っていましたが。実際に映像で見たらこそれなりの説得力。成人くらいから晩年の40代までをしっかりと演じきっていた。

そして悪徳マネージャー、トム・パーカー大佐を演じたトム・ハンクス。どちらかといえば良い人キャラクターが多い彼は今回がっつり悪役。

 

実在したアーティストを描いた映画作品は昨今多く作られていて、それら観て当方が思うのは「いかに突出した才能を持っている個人がいたとしても、それを生かすか殺すかは取り巻く環境次第だな」ということ。

 

近年公開されたミュージシャンの自伝的映画は大体構成が似ていて『THEあの有名人の栄枯衰退物語』

「たぐいまれな才能を見いだされ、一気に頂点へと上り詰める」「若さゆえ調子に乗る」「金銭感覚が桁外れで浪費がち」「性に奔放」「保守的な人々から非難されるが熱狂的ファンに大ブーイングを受ける」「家族や仲間思いで情に厚い」「酒やドラッグに溺れる」「昔からの仲間に愛想をつかされ見放される」「とことん落ちぶれる」~からの「本領発揮となる大仕事が大成功」「エモーショナルなラスト」というオペラができている。今作もおおむねこの流れに乗っ取って進行しており、つくづく「環境が違えば…」と苦々しく思った当方。

 

1954年にサンレコードで才能を見いだされてエルヴィスは翌年の1955年にはパーカー大佐の薦めでRCAへとレコード会社を移籍している。

時代は1950年代。2度の世界大戦と経済不況の後。様々な不満と不安から差別が生まれる一方、景気の上昇とともに大衆文化が爆発していった。若者たちはエネルギーを持て余し、体制に押さえつけられる。こと性の解放については問題視されていた。

そんなフラストレーションの塊だった若者たちの前に現れたエルヴィスという存在。片方のつま先を立て、腰を振り煽情的に踊りながら歌うといったパフォーマンスは「社会への反抗=ロックンロール」という構図にピタリと収まった。

 

若者たちからの熱狂的支持を誇る一方、保守的な層からは「ロックンロールが青少年の非行の原因だ」と非難される。ついにはテレビ局からも骨盤ダンスをやめよとの通達がきた。おとなしく従うかと思いきや…大勢の観客の前ではじけ切ったパフォーマンスを披露、興奮した群衆により暴動まがいの事態に発展してしまう。

 

映画では、暴動ののち自宅謹慎状態であったエルディスのもとに届いた母グラディスの訃報。アメリカ陸軍へ1958年から2年間の徴兵生活。勤務地であった西ドイツのアメリカ軍で知り合った所属部体調の娘、プリシラとの出会いと結婚までテンポよく進んでいく。

 

若い妻と可愛いわが子に恵まれ、意気揚々と帰還したエルディスだったけれど…パーカー大佐が契約を取り付けた多すぎた映画出演(1956~1969年で31本!)。

よく言えばチープでキッチュ…はっきり言えば駄作が多く、次第にエルディスの経歴に陰りが見えてくる。

 

「もしパーカー大佐と出会ってなかったら?」エルヴィスの人生はどうなっていたのだろう。けれどそのたらればは無意味だと即座に打ち消す。

 

音楽活動も1962年までは比較的順調だったけれど…ビートルズの台頭に押され、エルディスは時代遅れになっていく。

 

パーカー大佐のプロデュース能力がまともなものであったなら。せめてワンマンではなく良心的な人材が揃ったチームであったら。

パーカー大佐。THE悪徳マネージャー。どこまでもエルディスに食らいつき、搾取し続けた。

世界中を回ってみたいというエルディスの夢を、自身の都合で決して実現させなかった。

 

結局…若いころに自身の才能を開花し世間の注目を浴び、称賛されてしまうと年齢を重ねるにつれて反動がきてしまうということなのか。

時代と自身がシンクロしなくなっていく。加齢に伴い次第に無理がきかなくなっていく己に強く感じる『老い』。若いころ、反骨精神を持っていたからこそ強く感じてしまう『落ちぶれた自分』。始めこそ認めたくない、そんなはずじゃないとあがくけれど…諦観に至ってしまう。精神的フォローとチームでのバックアップ不在の顛末。

 

自身のギャンブルによる借金をチャラにするために、エルディスをラスベガスのホテルに売ったパーカー大佐。

始めこそラスベガスでのコンサートは大成功に終わったけれど。これがホテルによる恒例ディナーショーになるとマンネリ化してしまう。そりゃあそうやろう…。

 

けれど。パーカー大佐の搾取を感じながらも結局彼を切り捨てることができなかった。それが「家族や仲間思いで情に厚く、寂しがりや」なエルディスの性。哀しい。

 

最後。しんみりしてしまった幕切れ。あの歌声に「やっぱりエエ声…」とうっとりする反面、42歳という若さにため息が止まらなかった。

 

栄枯衰退を絵にかいたような…今回改めてエルディスの人となりを知った。

太く短く駆け抜けた…尖って強く見えるけれど実は脆くて。ずっともがいていたのに過ぎ去ってしまえば夢のような生き様…「キングオブ・ロックンロール」。

映画部活動報告「哭悲/THE SADNESS」

 

「哭悲/THE  SADNESS」観ました。

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「哭悲(こくひ):悲しみ泣き叫ぶこと」

 

台湾発パンデミック・ホラー。監督は本作が長編初監督となったロブ・ジャバズ。

 

謎の感染症に長い間対処し続けてきた台湾。専門家たちに“アルヴィン”と名付けられたそのウイルスは、風邪のような軽微な症状しか伴わず、不自由な生活に不満を持つ人々の警戒はいつしか解けてしまっていた。ある日、ウイルスが突然変異し、人の脳に作用して凶暴性を助長する疫病が発生。感染者たちは罪悪感に涙を流しながらも、衝動が抑えられず思いつく限りの残忍な行為を行うようになり、街は殺人と拷問で溢れかえってしまう。

そんな暴力に支配された世界で離ればなれとなり、生きて再会を果たそうとする男女の姿があった。感染者の殺意から辛うじて逃れ、数少ない生き残りと病院に立てこもるカイティン。彼女からの連絡を受け取ったジュンジョーは、独りで狂気の街を彷徨い始める。

(劇場配布チラシより引用)

 

「風邪のような軽微な症状しか伴わない謎の感染症」まさに昨今のコロナウイルス肺炎による事態を彷彿とさせる題材を基に「ウイルスが突然変異し、人の脳に作用して凶暴性を助長する」という厄介な疫病が発生した世界線

 

「残酷すぎる描写に世界が戦慄」「史上最も凶暴で邪悪」「「二度と見たくない傑作」随分な煽り文句にそいつはこの目で確認しておかないとなと腰を上げた次第。

 

まあ…ひとことで言ってしまえば「足が速い系のゾンビもの」なんですわ。

大多数は重症化しない謎の感染症のせいで人々の生活は一変。始めこそ警戒心をもって生活していたけれど、いかんせん自粛生活が長い。長引くにつれて気持ちが緩んでいく…というタイミングでウイルスが変異する。「脳に作用して凶暴化する」というものに。

 

人を襲う。そこで傷ついた者は即座にウイルスに感染。感染者たちは徒党を組み新たに人を襲う。まさにゾンビシステム。旧タイプとの違いは、昨今はやりの足が速いこと。

物音を聞きつけ、相手の姿を確認したら即座にダッシュ。飛びかかり、噛みつき、食い破る。「感染者たちは罪悪感に涙を流しながらも~」そうでしたかねえ?結構人の心、失っていたように見えましたけれど。

 

物語は若い同棲カップルの朝から始まる。もう起きて仕事に行かなくちゃ、というまどろみ。近々休みを合わせて旅行に行こうと約束していたのに、彼氏のジュンジョーの仕事の都合でとん挫しそうなことに苛立つ彼女のカイティ。のらりくらりいなされながら機嫌を直し、ジュンジョーの運転するスクーターに乗せてもらって電車の駅まで送ってもらった。いつもの二人のルーティン。隣に住むおじさんも「仲良しだねえ」とほのぼの声をかける。

 

けれど。カイティを見送ったあと、馴染みの店でテイクアウトに立ち寄ったら。

不気味な老婆が現れたと思ったら、あれよあれよという間に店が阿鼻叫喚に包まれる大惨事に発展。ホットプレートに顔を押し付けられる店主。訪れていた客たちが恐怖の表情で立ち上がったと思いきや、明らかに人ならざるものに変貌したそいつらは徒党を組みまだまともな者に襲い掛かってくる。

命からがら店から自宅へ逃げジュンジョー。なんだなんだ。さっきまでいつも通りの日常だったじゃないか。混乱しながらテレビをつけたらもうそこには日常などない。どうやら世界は突然変異したらしい。

 

ついさっき二人を微笑ましいといってくれた隣のおじさんがベランダを破って侵入。揉みあったあげく殺してしまったジュンジョーは、駅まで送った恋人カイティの安否が不安になる。

 

そこからはほぼカイティの目線で物語は進行。通勤のため乗っていた地下鉄での大惨事。たった一人の感染者の登場から瞬く間に車内が血の海になり果てる。

 

この地下鉄でたまたま居合わせたくたびれたおじさん(感染者)にひたすら追われるのが中盤以降のメイン。もうこのおじさんがやたらしつこい。しかもどんどん強くなる。

感染する前から、隣に座ったカイティにウザ絡みしてきたおじさん。そのなれなれしさにぎこちないながらも拒否感を示したら、キレてきた。ただでさえ関わりたくない相手なのに、感染したら無双で周りの者をなぎ倒しつつどこまでもカイティンを追いかけてくる。

 

電車で重傷を負わされた女性を病院へ運ぶカイティン。バリケードを作り、感染者侵入を防いでいたのに…結局感染者たちが侵入し、そこもまた地獄へと化してしまう。

 

シンプルなストーリー。彼女を心配し、彼女の元へはせ参じていこうとする彼氏がその道中で目の当たりにする地獄絵図。とはいえ彼女も決して震えて待っているだけじゃない。感染者たちと戦い、なんとか逃げおおせる(主人公は死なないからな~というお約束)。

 

けれど…二人が再会したとき。物語はハッピーエンドになるのか。

 

確かに昨今のパンデミック情勢から着想を得た作品ではある。けれど「長らく抑圧された人々の精神がウイルスの変異をもたらし…」とか「世界を救うためには云々」という難しい話はなし(一応「この事態を収めるには」的な話をするキャラクターはいましたが…あいつもまともじゃなかった…)ただただ「足の速いゾンビもの」として観ていればいい。

 

先述の「残酷すぎる描写に世界が戦慄」「史上最も凶暴で邪悪」「「二度と見たくない傑作」。個人によってふり幅があると思いますんであくまで当方比ですが「残酷すぎたり市場最も凶暴で邪悪」ではなかった。なんというか「悪趣味ギリギリで攻めてきたな」という感想。

…けれどならば当方は一体何を観たかったのか。何を求めていたのか。

 

映画館からの帰宅。ぐるぐる脳内で考えましたが。ろくなものではありませんでした。


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映画部活動報告「神は見返りを求める」

「神は見返りを求める」観ました。
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イベント会社に勤める田母神(ムロツヨシ)。合コンで出会った、YouTuberゆりちゃん(岸井ゆきの)。再生回数に伸び悩むゆりちゃんを不憫に思い、頼られるがまま配信活動を手伝い始めた田母神。二人で組むようになったからといって内容も再生回数も飛躍したわけではなかったけれど、番組を重ねるうちに距離が近づき、よいパートナー関係を築きつつあった。

ある日、田母神が仕事で多忙になり、一人だったゆりちゃんは田母神の同僚・梅川(若葉竜也)の紹介で人気YouTuberチョレイカビゴン吉村界人・淡梨)と知り合う。勢いで彼らの体当たり企画にコラボ参加したら…バズってしまった。

突然人気YouTuberの仲間入りを果たしてしまったゆりちゃん。

ゆりちゃんと田母神ではどうにもあか抜けなかった配信内容も、イケメンデザイナー・村上アレン(柳俊太郎)を紹介してもらったことで問題解決。

ほのかに恋の予感を感じさせていた田母神とゆりちゃんの関係は一転、とんでもない方向へと舵をきる。

 

吉田恵輔監督最新作は「見返りを求める男と恩をあだで返す女」の物語。

 

昭:はいどうも。当方の心に住む男女キャラ『昭と和(あきらとかず)』です。

和:また我々の登場か…でもまあ、作品の傾向から「男女の心の機微云々案件」かなと思っていたよ。

昭:とはいえ我々は当方の心から派生しているので。毎度対立するような構造では語られません。というお断りをしておいて。茶番はここまで。おとなしく始めますよ。

 

和:『ヒメアノ~ル』などでおなじみ、当方的には『さんかく』が印象的だった吉田監督。

とにかく「前半はいい雰囲気を醸し出していた人間関係が途中からとんでもない修羅場へと急転直下する」「前半はほのぼの、後半はホラー」という展開をみせる作風。

昭:今回も御多分に漏れず「恋が始まる5秒前」から「泥団子の投げ合い」へと変貌。「あのとき同じ花を見て美しいといった二人の心と心が今はもう通わない」もう見事なまでの感情のオセロひっくり返し。

 

和:コールセンターで働く傍ら、YouTuberとして活動しているゆりちゃん。けれどその内容は素人全開。当然登録者数も再生回数も伸びない。そんなゆりちゃんと合コンをきっかけに知り合った田母神。

昭:イベント会社勤務。ならば録画や動画編集スキルも自分よりできる。そう思って田母神に連絡したゆりちゃん。もうここから始まっているんよな~。おどおどした感じで頼ってきているようで、ちゃっかり相手を値踏みして利用してんの。

和:待て待て。険がある。でもさあ、田母神もまんざらじゃない感じで手伝ってたやん。

昭:当たり前やろう!田母神の年齢設定知らんけどさあ!推定40代のもっさりした独身男性が!明らかに人数合わせで呼ばれた合コンで20代の女子と知り合って!動画配信してるから手伝ってって頼られれたらもう…何よりも先行して休日返上するよ!

和:声が大きい。まあでも初期の気持ち悪い着ぐるみ着た田母神とゆりちゃんの戯れている姿…あの頃はよかったね。

 

昭:ゆりちゃんよりスキルのある田母神の参入で若干ましな番組にはなったけれど…いかんせん田母神のセンスも古いんよな。

和:だからといってゆりちゃん一人に任せるともうどうしようもない。おもしろいものを作る企画力が皆無。挙句行きつけの居酒屋の裏メニュー(違法)をアップして営業停止に追い込んでしまう。

昭:そしてゆりちゃんの尻ぬぐいをしてくれたのが田母神。前半の田母神はとにかく誰に対しても滅私奉公のスタイル。人当たり穏やか。頼られればなんでも答え、しかも押しつけがましくない。

和:会社の元後輩。借金があっていまだに田母神に金の無心をしてくる。同僚の梅川には見放せと言われたけれど無下にできない。あかんな~時間とお金にルーズな奴は本当にあかん。信用に値しないよ。

昭:案の定というか。よりにもよって田母神が元後輩の相手をしなかった後にあてつけがましく自殺。借金の連帯保証人になっていた田母神も窮地に陥ってしまう。

 

和:同じ頃。田母神が繁忙期で一緒に動画活動することができず、一人になっていたゆりちゃん。勉強になればと人気YouTuberチョレイカビゴンのイベントに参加したら。イベントを担当していたのが田母神の同僚・梅川だった。

昭:梅川を介してチョレイカビゴンとお近づきになれた。そこでゆりちゃんもYouTuberと知った二人に乗せられて『体当たり企画』に参加。その動画から一気に開花した。

和:どうなんですか?男性目線としてああいう動画。

昭:俺はエロというより…年齢的に田母神と同じくらいやし…若い女の子が自分の体を不特定多数に晒してそれをネタにするみたいなのは痛々しくて嫌かな…親御さんに申し訳ない気持ちになる。だから田母神がゆりちゃんに言った言葉には深く頷いたな。

和:ところがどっこい!ここがゆりちゃんと田母神の軋轢の始まりなんだな!

 

昭:ゆりちゃんって、そもそもなんで動画配信を始めたんやろうな。

和:見落としていたらアレやけれど、はっきりとは語られていなかった気がする。だから推測やけれど…動画配信に興味があったからという動機の他に、ただでさえ地味なOL生活、小綺麗な同僚からちょっと見下されている自分。だから周りに一矢報いたい…目立ちたい、周りとは違う。という気持ちがあったのかなあと。実際に動画配信を始めたけれど、持ち前のセンスではどうにも伸びなくて、ますます小ばかにされて。くすぶっていた部分があったから、今回のチャンスに飛びついた。あの、会社を退職するときのゆりちゃんの勝ち誇った顔。ざまあみろ。絶対こういう顔して辞めてやろうと思っていたんやろうなって。

 

昭:先述の動画をきっかけに人気がでて。新進気鋭のニューカマーに躍り出た。そうなった途端、これまで苦労を共にしてきた田母神を切ろうとしたゆりちゃん。焦る田母神。おいおいお前、ちょっと待て。誰のおかげでここまでやってこれたと思ってんねん!なんでトカゲのしっぽ切りしてんねん!

和:笑止!今の私があるのは自分自身のおかげですけれど?確かに一緒にやってた時もあったけれど。動画はハネたのは田母神のおかげじゃない。

 

昭:ここからは悲しいまでの泥仕合になるんよな。これまでの紳士的な態度から一変、ゆりちゃんへの攻撃へ転ずる田母神。自身もYouTubeチャンネルを開設。けれどその内容はひたすらゆりちゃんへの誹謗中傷。

和:小さい…。女心が冷める所以「器が小さい」。ヒステリックにわめく男なんて最低。これまで頼りになる人物だと思っていたからこそ尚更みっともなく見えて嫌悪感で一杯になる。

昭:根底にあるのは「ありがとうって言えよ!売れないときに支えたのは俺やろう」という気持ち。

和:それはゆりちゃんだけじゃない。本当はこれまで尽くしてきた人たち皆にそう言ってほしかったんやろう。俺に感謝しろ、俺のおかげやんかって。でもこれまで余裕のある人物を演じてきた田母神の豹変に誰もついていけなくて引いていたら…大爆発して手が付けられなくなった。

昭:なんでこんなことになっちまったんやろうな。一時は仲良くやっていたのに。

 

和:人気YouTuberに囲まれて。売れっ子らしくふるまいながらも、ふと自分がもともとやりたかったことを想うゆりちゃん。顔出しで人気YouTuberの誹謗中傷を繰り返したことで社会的地位も失った田母神。さんざんやりあって、けれどどうしても相容れなくて。へとへとになった二人が互いに新しい道を見つけた…ところのあのラスト。

昭:よしととるのかバットエンドととるのか。

和:言葉では通じなくなった相手にそれでも気持ちを伝えよう、たとえそれが弾丸になっていたとしても、いつかは納得してくれるはずだと諦めないのはある種の愛ではあったと思う。どうでもよければ見限ればいい話やから。ただ…ここまでこじれるのは…時が解決したらいいねと思うけれど…果たしてその時間はあるのかないのか…切ない。

映画部活動報告「ザ・ロストシティ」

「ザ・ロストシティ」観ました。
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『考古学者ラブモアと冒険家ダッシュの冒険小説シリーズ』の作者ロレッタ(サンドラ・ブロック)。ダッシュ役のモデル・アラン(チャニング・テイタム)のセクシャルな魅力で女性ファンが多いシリーズだけれど、見た目だけで軽薄なアランが苦手なロレッタ。加えて5年前に考古学者の夫を亡くしてからロレッタの創作意欲は低下しつつあった。

担当編集者で親友のベスの協力もあって、新作『ザ・ロストシティ・オブD』が完成。

その完成披露お披露目会に出演したのち、拉致されたロレッタ。連れられた先に居たのは大財閥の御曹司・アビゲイルダニエル・ラドクリフ)だった。

 

昭:はいどうも。当方の心に住む男女キャラ『昭と和(あきらとかず)』です。

和:えっ。私たち引退したんじゃなかったの?

昭:俺もそう思ってた。ていうかこの感想文自体がひっそりと幕を閉じたと思っていたよ(当方も何回もそうしようと思った…)。ただな、やっぱり観た映画の感想は残しておきたい気持ちもあってな…。

和:そうなのか…ってこれ、そんなしんみりムードなんてぶち壊しのやつ。

 

昭:弟に財閥の後継者の座を奪われたアビゲイル。彼の起死回生案は『ロストシティ』という島の購入。実はこの島には伝説の古代都市があったといういわくがあり…島の半分を管理し、王の墓に眠る炎の冠(お宝)を探していた。

和:THE一攫千金。さすが世間知らずのボンボン。

昭:炎の冠に関する記述があるらしい羊皮紙の解読ができるのはロレッタだ。

なぜならロレッタの書く冒険小説の舞台と所有する島がそっくりだから!

和:キッズの心を忘れていない、金持ちのボンボンアビゲイル。実在したらぜひともお友達になりたい。純粋できかんぼうで…愛らしい。手のひらで転がしたい。

昭:何言ってんだと振り切ろうとしたけれど。力ずくで島に連行されたロレッタ。無理やり羊皮紙と向き合わされる羽目になるけれど…確かにこれは、何かありそう。

 

和:新作小説完成お披露目会。作者のロレッタとモデルのアランの対談はハチャメチャに終わった。あからさまにアランと距離を取ろうとするロレッタとは対照的に、実はきちんと話をしたいと思っていたアラン。対談のあとロレッタを追いかけたけれど…目の前で怪しげな車に連れさられてしまった。

昭:すわ、誘拐。慌てて編集者のべスと警察に駆け込んだけれど相手にされず…。遠い知り合いこと『元シールズ特殊部隊CIA工作員』のジャック(ブラッド・ピット)に連絡しロレッタ保護の依頼と同時に自身も合流すべくロストシティへと向かった。

和:この作品は本当にキャストが豪華なんよな。メインがサンドラ・ブロックチャニング・テイタム。脇役にダニエル・ラドクリフブラッド・ピットて。

昭:なのにまさかのブラッド・ピット無駄使い。登場即退場の流れ、思わず声に出して笑ってしまったよ。

和:だってこれ、そもそもが超B級の作りやもん。昭:おいお前。ばっさり言うんじゃない。

 

和:かつて人気があったけれど、今は落ち目のロマンス冒険作家。色々お疲れな中年女性が、年下のちょっとおバカで自分になついてくる大型犬みたいなハンサムとどこかの離島で繰り広げるアドベンチャーワールド。オールウェイトウギャザー。

昭:やめろやめろやめろ。

和:連れ去られた離島に迎えにきたハンサム。手と手を取り合って悪者から逃げ、その中で島の秘密を知っていく。誰の得にもならないエロも織り交ぜながら、テンポの良い会話で進むストーリー。

昭:途中、自分の小説を「駄作だ」と言い放ったロレッタをアランが叱咤するという熱いシーンもあったぞ。俺はこの作品のモデルを務めていることを誇りに思っている、自分の小説をそう言って貶めるのはファンを馬鹿にしていると。

和:真面目なシーンってそこくらいじゃなかった?あとはもう概ねわちゃわちゃ揉みあってふざけて騒いでいる感じ。

まあ、それでもお話としての着地はきちんとしていたな。ぎくしゃくしていた原作者とモデルの作品に対する姿勢の再確認。冒険を進めるうちに深まる二人の絆。そして島の伝説、王の墓に眠る炎の冠とは…。

 

昭:アダム・ニー、アーロン・ニー監督作品。でもサンドラ・ブロックが主演+制作…彼女がこの作品をもって2022年から俳優業休業するということは、休む前に好きなことをやりたかったんやろうなと心中お察しする。

和:昔のサスペンス劇場みたいなことがしたかったんやね。何曜日かの…片平なぎさ船越英一郎とかの。中年男女で友達以上恋人未満な二人がじゃれあいながら珍事件に立ち向かう、みたいな。確かにこれ1時間52分と2時間ドラマに収まってるし。

昭:これ以上敵を増やす発言はやめてくれ。そもそも火曜サスペンス劇場小京都ミステリーシリーズ、ほぼ見た記憶ないやないか。雰囲気でだしたら痛い目にあうぞ。

和:(無視)木の実ナナが出てるシリーズものもあった気がする…。

 

昭:閑話休題。でもさあ。こういう全身の力を抜いて楽しめる作品って、時々必要だなあって思う。

和:わかる。中年女性の悩みとか、創作意欲の減退と気力体力の低下とか、仕事に対する姿勢とか、離島で暮らす原住民の思いとか…その他諸々、真面目に描いたり深堀りしなくていいねん。餅は餅屋、そういうのはどこかの餅屋がやればいいこと。こっちはそれなりにお金をかけて豪華俳優陣を取り揃えて作ったB級作品を楽しみたいねん。

昭:俺はそこまで言ってないぞ。

和:当方の激押し、ダニエル・ラドクリフ。ハリポタ以降の出演作品のセンスがシュール。そんな彼が出るんだから間違いない、そう思って観たら今回もスマッシュヒット。加えてブラッド・ピットも参加してふざけているのが楽しかった。サンドラ・ブロックの、紫のスパンコールジャンプスーツ姿なんて金輪際見ることないやろうし。

 

昭:「何やねん!ふざけやがって!」「これは駄作だ…」そう思う人もいるかもしれない。真面目な人だよ…人は時には身も心も空っぽにして物語の世界にゆだねたらいい、そんな精神状態の時がある…それが歳をとるということ。疲労困憊の中年に効く作品。

和:多分現在劇場公開終了しているやろうし…それならば家で酒を飲みながら見たらいい。ちょうどいい2時間ドラマ。80年代~90年代っぽい懐かしい作品。駄作って言ったらこの作品のファン(我々)に失礼。何だかんだ言って嫌いじゃないし何なら周りにおすすめしたいくらいです。

映画部活動報告「メタモルフォーゼの縁側」

「メタモルフォーゼの縁側」観ました。
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メタモルフォーゼ(ドイツ語Metamorphse):変身、変化、変態の意味(Oxford Languageより)。

 

「女子高生と老婦人。ふたりをつないだのは、ボーイズラブ

17歳の女子高生・佐山うらら(芦田愛菜)と75歳の書道教室の先生・市野井雪(宮本信子)。

交わるはずがなかった二人が知り合うきっかけになったのは、一冊のBL漫画だった。

 

このマンガが凄い!2019年オンナ編第一位。鶴谷香央理の同名漫画の映画化。脚本・岡田惠和。監督・狩山俊介。

 

この漫画のタイトルを聞いたことがあった。なんだかほのぼのした印象で…そしてたまたまタイミングが合ったのでふらっと鑑賞…したところ。

「どこにも悪い人などいない世界」「汚れちまった悲しみに」「心が洗われた」つまりは「良いもん観させてもらいました」。圧倒的光属性の勝利。あまりにも爽やかすぎて、闇に堕ちていた当方は吹き飛ばされんかぎりの衝撃。

 

ある夏の日。夫の三回忌の帰り、涼と料理本を求めて本屋を訪れた雪。「きれい…」美しい表紙の漫画に思わず手が伸びて、そのまま購入に至った雪。

帰宅後、身の回りのことを済ませてから購入した漫画本を開いたら。それは男子高校生二人の恋愛を描いたBL漫画だった。

 

翌日。本屋でバイトする高校生、うららは漫画コーナーで右往左往していた雪に呼び止められる「あの『君のことだけ見ていたい』という漫画の続編はどこかしら?(言い回しうろ覚え)」。

え?この年代の女性が?BL漫画を?!

実はBL漫画にどっぷりはまっているけれど、周りには絶対に知られないようにしていたうらら。残念ながら続編は店の在庫が切れていて。意気消沈して店を出ようとした雪に思わず「貸しましょうか?」と声をかけてしまった。これが二人の出会ったきっかけ。

 

BL漫画について、語れるほど造詣があるわけでない当方。実際に読んでみて「ご都合主義」「これは作者の性癖詰め合わせだな」と思ったこともある。ジェンダーの問題や、同性愛云々を絡めるととんでもない所に足を突っ込んでしまうややこしさも感じる。触らぬ神にたたりなし。そうやって距離を置いていた。(あと、本当に知らなさすぎる)

 

女子高生うらら。本屋でバイトをしていて、自宅自室にも漫画や本がいっぱい。けれど見られたくないBL漫画たちは机の下にある箱に隠していた。

「BLが好きって言いにくい」「恥ずかしい」「いかがわしいもの読んでるって思われちゃう」そんなこと一言も言ってなかったけれど、そう思う思考回路は理解できる。

 

だから、「とってもドキドキしたの(言い回しうろ覚え)」。まっすぐに好きなものは好きだと言い切った雪の登場は、うららにとってファンファーレがなるほどの高揚感だったろう。

 

「登場人物二人が魅力的で、二人の心の動きが読んでいるこちらにも伝わってくる」「もどかしい。でも二人の恋を応援したい」BL漫画がどうだとか、ご都合主義がどうこうとか、いかがわしいとか、そんなのどうだっていい。この漫画が大好き。そうだった。それが原点。

どんな趣味だって、一番初めは「好きだ」から始まる。

 

とにかく話がしたい、この思いを共有したい。けれどカフェでは他人の目が気になってぎくしゃくしてしまう。そんなうららを自宅に招いた雪。

 

映画に出てくる書道教室ってなんでたいていが素敵なんでしょうかね。当方が小学生の時に通っていた書道教室も一軒家の一室でしたが…あんな感じじゃなかったですよ(子供相手の書道教室は、多分どう頑張っても散らかるし汚れてしまうんやろうと推測)。

 

素敵な庭付き日本家屋。風が通るからと雨戸をあけ放し、庭を見ながら雪の作ったカレーを食べたあと、共通の話題にふける。なにこれ。どこの楽園ですか。

 

二人が知り合うきっかけになった漫画から、うららの自室に眠っていた蔵書も持ち込んで。すっかりBL談義に花が咲く二人。

 

「ねえ。うららさんは自分では漫画をかかないの?」

自分は読む専門だ。漫画をかくなんてとんでもない。そういって否定していたうららに、いつだってまっすぐ砲を打ち込んでくる雪。

「人って思ってもみないふうになるものだからね」

 

メタモルフォーゼの意味が変化・変身・変態であること。齢75歳の雪はBL漫画に出会って新しい世界が広がった。うららは雪に出会ったことで「変化する勇気」を得た。

 

雪に背中を押され。なんだか引くに引けない状態になってしまったものあって、人生初の漫画をかき始めたうらら。

「…って、手書きなんかい!そして画力!」

漫画をかくために必要なツール一式を入手。それがもう…「こんなデジタル全盛の世の中に!」紙に付けペンで。一枚一枚…はっきり言うと絵も下手くそなんですよ。初めてで、時間も限られた中で。何もかもが無謀すぎる。

「これを製本して、同人誌即売会に売りに行くって…どんなハートの持ち主だよ…」

 

そして…いざ即売会の日。急転直下な事態に見舞われたのもあって。うららの初漫画は日の目を見ることはなかった。(あの。雪がちょいちょい発症するぎっくり腰っぽいやつ、なんなんですか。整形外科にちゃんと受診しなさいよ)

 

けれど。「神様は見ている」としか言いようがない…ここは優しい世界なんで。届いて欲しい相手にうららの漫画は無事渡った。ちゃんと対価を得て。

 

この、うららがかいたBL漫画『遠くから来た人』。確かに画力はアレなんですが。滅茶苦茶中身がいいんですわ。内容が芦田愛菜のナレーションで紹介されるシーンがあまりにも至高すぎて…涙が溢れた当方。

(そもそも一つの物語を完成させただけで十分凄い)

 

まっすぐで変化を恐れない雪に感化されたのはうららだけではない。二人が知り合うきっかけとなったBL漫画の作者にも、漫画をかく原点を思い出させた。

 

うららの幼馴染の男子高校生、紡。同じ団地に住んでいて、うららの部屋に上がり込んで秘蔵のBL漫画を読んでしまう。けれど「おもしれえ~じゃん」と屈託もなく言える。うららの下手くそな漫画をお金を払って欲しいと言う。馬鹿にしたりしない。

紡の彼女、英利。紡きっかけでBL漫画を読んだけれど、純粋に面白いと友達に言える。

 

つい「実は焦がれている幼馴染の彼女が疎ましくて…」というありがちな設定を脳内に置きそうになるけれど。英利は何事も中途半端にしない性分で嫌味なライバルではないし、うららと紡の関係もあくまでも幼馴染。でもそれがいい。下手な色恋などなくていい。

 

いつまでも戯れていたいけれど、楽園は続かない。雪にもうららにも変化の時が来る。こういう落としどころなのかと思ったけれど、全然湿っぽくなくてどこまでも爽やか…当方の脳内少年合唱団が「君はあの道を僕はこの道を 進むと決めたこの朝~(あたらしい朝/若松正司)」と歌い始めたラスト。

 

好きに理由なんてない。恥ずかしがらなくていいけれど、無理して周りに言わなくてもいい。

でも怖がってうずくまっていたら周りが見えなくなってしまう。もし同じ「好き」を共有できる相手が見つかったら…顔を上げて。それは変化の始まりかもしれない。きっともっと楽しくなる。

 

圧倒的光属性によるストレート勝ち。観る人を選ばない爽やかな作品でした。

 

映画部活動報告「スープとイデオロギー」

「スープとイデオロギー」観ました。
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『ディア・ピョンヤン』『かぞくのくに』などのヤン・ヨンヒ監督最新作。

 

イデオロギー:人間の行動を左右する根本的な物の考え方の体系。観念形態。「―は社会的立場を反映する」。俗に政治思想。社会思想(Oxford Languagesより)。

 

済州4.3事件:1948年4月3日、朝鮮分断の進行する済州島で起こった、アメリカ軍制下で起こった、アメリカ軍制下の南朝鮮単独戦争に反発した民衆蜂起(武装隊)が、アメリカ軍・警察・右翼などによって弾圧された事件。

この事件は朝鮮戦争の勃発とその後の韓国の反共路線強化の中で長い間真相と実態が伏せられていたが、金大中大統領の下で2000年に「四・三特別法」が制定され、真相究明と犠牲者名誉回復がなされることとなった。調査の結果、犠牲者は約2万5千人から3万人と推定され、その深刻な事態が明らかになった。また軍や右翼によって殺害されたのは武装隊だけではなく武器を持たない女性や子供もあったという。また武装隊によって殺害された住民もあった。(世界史の窓より一部抜粋)

 

大阪・生野区で生まれ育ったヤン・ヨンヒ監督。そこに住む、彼女の母親である在日コリアンのオモニを主人公に撮ったドキュメンタリー作品。

 

正直この作品を観るまで『済州4.3事件』のことは知らなかった。なのになぜこの作品を観ようと思ったのか…タイトルの『イデオロギー』より『スープ』の方が気になったから。

 

「丸鶏の内臓を出してそこにニンニクと高麗人参やらなつめやら詰めてひたすら煮込むスープって…参鶏湯やんな。生野区に住む在日の人が作るんなら美味いに違いない」

食に対して貪欲な当方は、オモニが作る朝鮮料理部分を期待して観に行ったのですが。

 

「おいこれ、そんなふんわかしとらん。とんでもない作品やったぞ!」

そりゃそうでしょうがと今の当方は突っ込みますが…まあ入口は自由ですから。

 

大阪市生野区:外国人住民が区人口の21.6%(2021年)と大阪府どころか全国でも1位で、うち在日韓国、朝鮮人が多くを占める(Wikipedia参照)。

 

コリアンタウン。鶴橋。当方も時々食材を求めて鶴橋商店街に行くけれど、独特の雰囲気と活気に溢れている賑やかなまち。そういった印象を持っていた鶴橋界隈が、こういった歴史から生まれた部分があったなんて。全然知らなかった。

「大阪は在日韓国人より在日朝鮮人の方が多いんやで」かつて在日の友達からそう聞かされたとき。「なんで?」となぜ聞かなかったのか。

韓国籍を持っている方が暮らしやすそうな日本で、それでも朝鮮籍を持ち続ける意味とは。報道の仕方もあるのかもしれないけれど、どうしてもトリッキーな国に見える北朝鮮に入れ込む理由…初めて「そういう理由もあるのかもしれない」と今回思い至った当方。

(なんだかものすごくセンシティブなことに触れている気がしますが。個人の解釈です)。

 

両親は朝鮮総連活動家で『帰国事業』に積極的に参画。3人の兄を北朝鮮に送った。悲しい別れもあったけれど、兄たちは北朝鮮で家庭を持っている。

2009年にアボジ(父)が亡くなった後、一人で暮らすオモニは借金をしてまで兄たちに仕送りを続け、ヨンヒ監督がどれだけやめろと言い聞かせても納得してくれない。

 

オモニと離れて暮らすヨンヒ監督。オモニが一人で生活できているのか心配だけれど、彼女には彼女の仕事があり、生活がある。

 

ある日。オモニが台所から大鍋を取り出してきた。鶴橋商店街で買った丸鶏の内臓を出し、そこに青森産ニンニク、その他諸々をぎっしり詰め込み大鍋でひたすら煮込む。浮足立ったオモニが迎えたのは、ヨンヒ監督との結婚のご挨拶に来たカオルさん。

 

ヨンヒ監督とは一回りくらい離れた年下のカオルさん。生前「アメリカ人と日本人の男性は嫌だ」と言っていたアボジだっておそらく好きにならざるを得ないだろう、ころころとしたいかにも人のよさそうな男性。

きちんとした格好で挨拶に来たのに、汗だくになったからとミッキーマウスのプリントされたTシャツを着て、美味い美味いとオモニの手料理をほおばるカオルさん。好印象にもほどがある。

 

家族が増えて。互いに住む場所は違うけれど。時々帰省した時に件のスープを作る担当はオモニからカオルさんになった。一緒にニンニクを剥いて、タコ糸で縛って。こうして受け継がれる味…けれどこの作品は、そんなほのぼの映画では収まらない。

 

ある日ぽつりとオモニが語った『済州4.3事件』。1948年当時に18歳だったオモニは渦中であった済州島にいた。

自宅に飾られている朝鮮総連の写真。両親の活動。北朝鮮へ送った兄たち…一体オモニは何を見たのか。どういう体験をしたのか。

オモニの体験に関してはアニメーションでわかりやすく語られていた。けれど実際にその状況を目の当たりにしたらなんて…想像することもできない。オモニは幼い兄弟の手を繋いで、命からがら日本に、大阪に逃げるしかなかった。

 

こういった仕打ちをしてきた相手を許せないという気持ちはわかる。同じ半島で生まれた同じ民族だと言われても…だから彼らは在日朝鮮人であり続けたいのか…。

 

自身の体験を語ったのち、オモニの認知機能が急激に低下。アルツハイマー認知症と診断された。

 

認知症のメカニズムはいまだ解明されていないので、勝手な言い分ですが…「自分の心を守るためには忘れることも大切なんだな」と思ってしまった当方。

家族や大切な人の記憶が薄れていく。大切な思い出や、自分自身のことも忘れてしまう。

それは忘れられていく方からしたら身を切られるほどに辛い。次第に日常生活もままならなくなっていく姿は、かつてのその人を知っていると目をそむけたくなってしまう。

けれど。目をそらすわけにはいかない。放ってはおけない。家族だから。

 

この作品のタイトルは『スープとイデオロギー』。

オモニという人物にカメラを向けたとき。オモニが持つ思想と至った体験…時代背景へと広がったけれど。同時にこれはとある母親と娘の記録映画でもある。

 

自分が歳をとるならば、当然親だって歳をとっている。

この作品を観ていて身につまされたのは、映画館の座席に座っていた方だと思う当方。これは他人事ではない。

 

近所に親兄弟で住んでしょっちゅう行き来している当方ですら、最近親が歳をとったと感じることが多い。今でこそ両親とも元気にしているけれど。もし何かあったら。何ができるだろう。

そして。当方は両親の話を聞いたことがあっただろうか。なんだっていい。両親の歴史を。

 

オモニから聞いた話。辛い思い出は柔らかく薄らいで、それと共に色んなことも忘れていくけれど。記録がある。皆で囲んで食べたスープの味を再現できる夫がいる。不可逆的な流れの中でも、残せるものはある。

あの、くたくたに煮込んだ滋味深いスープそのものみたいな映画。あったかくて泣きそうになる作品。

 

ところで。つい先日食材を求めて向かった鶴橋商店街は、やっぱり異常なまでの活気で、しんみりしている場合ではありませんでした。