ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「スープとイデオロギー」

「スープとイデオロギー」観ました。
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『ディア・ピョンヤン』『かぞくのくに』などのヤン・ヨンヒ監督最新作。

 

イデオロギー:人間の行動を左右する根本的な物の考え方の体系。観念形態。「―は社会的立場を反映する」。俗に政治思想。社会思想(Oxford Languagesより)。

 

済州4.3事件:1948年4月3日、朝鮮分断の進行する済州島で起こった、アメリカ軍制下で起こった、アメリカ軍制下の南朝鮮単独戦争に反発した民衆蜂起(武装隊)が、アメリカ軍・警察・右翼などによって弾圧された事件。

この事件は朝鮮戦争の勃発とその後の韓国の反共路線強化の中で長い間真相と実態が伏せられていたが、金大中大統領の下で2000年に「四・三特別法」が制定され、真相究明と犠牲者名誉回復がなされることとなった。調査の結果、犠牲者は約2万5千人から3万人と推定され、その深刻な事態が明らかになった。また軍や右翼によって殺害されたのは武装隊だけではなく武器を持たない女性や子供もあったという。また武装隊によって殺害された住民もあった。(世界史の窓より一部抜粋)

 

大阪・生野区で生まれ育ったヤン・ヨンヒ監督。そこに住む、彼女の母親である在日コリアンのオモニを主人公に撮ったドキュメンタリー作品。

 

正直この作品を観るまで『済州4.3事件』のことは知らなかった。なのになぜこの作品を観ようと思ったのか…タイトルの『イデオロギー』より『スープ』の方が気になったから。

 

「丸鶏の内臓を出してそこにニンニクと高麗人参やらなつめやら詰めてひたすら煮込むスープって…参鶏湯やんな。生野区に住む在日の人が作るんなら美味いに違いない」

食に対して貪欲な当方は、オモニが作る朝鮮料理部分を期待して観に行ったのですが。

 

「おいこれ、そんなふんわかしとらん。とんでもない作品やったぞ!」

そりゃそうでしょうがと今の当方は突っ込みますが…まあ入口は自由ですから。

 

大阪市生野区:外国人住民が区人口の21.6%(2021年)と大阪府どころか全国でも1位で、うち在日韓国、朝鮮人が多くを占める(Wikipedia参照)。

 

コリアンタウン。鶴橋。当方も時々食材を求めて鶴橋商店街に行くけれど、独特の雰囲気と活気に溢れている賑やかなまち。そういった印象を持っていた鶴橋界隈が、こういった歴史から生まれた部分があったなんて。全然知らなかった。

「大阪は在日韓国人より在日朝鮮人の方が多いんやで」かつて在日の友達からそう聞かされたとき。「なんで?」となぜ聞かなかったのか。

韓国籍を持っている方が暮らしやすそうな日本で、それでも朝鮮籍を持ち続ける意味とは。報道の仕方もあるのかもしれないけれど、どうしてもトリッキーな国に見える北朝鮮に入れ込む理由…初めて「そういう理由もあるのかもしれない」と今回思い至った当方。

(なんだかものすごくセンシティブなことに触れている気がしますが。個人の解釈です)。

 

両親は朝鮮総連活動家で『帰国事業』に積極的に参画。3人の兄を北朝鮮に送った。悲しい別れもあったけれど、兄たちは北朝鮮で家庭を持っている。

2009年にアボジ(父)が亡くなった後、一人で暮らすオモニは借金をしてまで兄たちに仕送りを続け、ヨンヒ監督がどれだけやめろと言い聞かせても納得してくれない。

 

オモニと離れて暮らすヨンヒ監督。オモニが一人で生活できているのか心配だけれど、彼女には彼女の仕事があり、生活がある。

 

ある日。オモニが台所から大鍋を取り出してきた。鶴橋商店街で買った丸鶏の内臓を出し、そこに青森産ニンニク、その他諸々をぎっしり詰め込み大鍋でひたすら煮込む。浮足立ったオモニが迎えたのは、ヨンヒ監督との結婚のご挨拶に来たカオルさん。

 

ヨンヒ監督とは一回りくらい離れた年下のカオルさん。生前「アメリカ人と日本人の男性は嫌だ」と言っていたアボジだっておそらく好きにならざるを得ないだろう、ころころとしたいかにも人のよさそうな男性。

きちんとした格好で挨拶に来たのに、汗だくになったからとミッキーマウスのプリントされたTシャツを着て、美味い美味いとオモニの手料理をほおばるカオルさん。好印象にもほどがある。

 

家族が増えて。互いに住む場所は違うけれど。時々帰省した時に件のスープを作る担当はオモニからカオルさんになった。一緒にニンニクを剥いて、タコ糸で縛って。こうして受け継がれる味…けれどこの作品は、そんなほのぼの映画では収まらない。

 

ある日ぽつりとオモニが語った『済州4.3事件』。1948年当時に18歳だったオモニは渦中であった済州島にいた。

自宅に飾られている朝鮮総連の写真。両親の活動。北朝鮮へ送った兄たち…一体オモニは何を見たのか。どういう体験をしたのか。

オモニの体験に関してはアニメーションでわかりやすく語られていた。けれど実際にその状況を目の当たりにしたらなんて…想像することもできない。オモニは幼い兄弟の手を繋いで、命からがら日本に、大阪に逃げるしかなかった。

 

こういった仕打ちをしてきた相手を許せないという気持ちはわかる。同じ半島で生まれた同じ民族だと言われても…だから彼らは在日朝鮮人であり続けたいのか…。

 

自身の体験を語ったのち、オモニの認知機能が急激に低下。アルツハイマー認知症と診断された。

 

認知症のメカニズムはいまだ解明されていないので、勝手な言い分ですが…「自分の心を守るためには忘れることも大切なんだな」と思ってしまった当方。

家族や大切な人の記憶が薄れていく。大切な思い出や、自分自身のことも忘れてしまう。

それは忘れられていく方からしたら身を切られるほどに辛い。次第に日常生活もままならなくなっていく姿は、かつてのその人を知っていると目をそむけたくなってしまう。

けれど。目をそらすわけにはいかない。放ってはおけない。家族だから。

 

この作品のタイトルは『スープとイデオロギー』。

オモニという人物にカメラを向けたとき。オモニが持つ思想と至った体験…時代背景へと広がったけれど。同時にこれはとある母親と娘の記録映画でもある。

 

自分が歳をとるならば、当然親だって歳をとっている。

この作品を観ていて身につまされたのは、映画館の座席に座っていた方だと思う当方。これは他人事ではない。

 

近所に親兄弟で住んでしょっちゅう行き来している当方ですら、最近親が歳をとったと感じることが多い。今でこそ両親とも元気にしているけれど。もし何かあったら。何ができるだろう。

そして。当方は両親の話を聞いたことがあっただろうか。なんだっていい。両親の歴史を。

 

オモニから聞いた話。辛い思い出は柔らかく薄らいで、それと共に色んなことも忘れていくけれど。記録がある。皆で囲んで食べたスープの味を再現できる夫がいる。不可逆的な流れの中でも、残せるものはある。

あの、くたくたに煮込んだ滋味深いスープそのものみたいな映画。あったかくて泣きそうになる作品。

 

ところで。つい先日食材を求めて向かった鶴橋商店街は、やっぱり異常なまでの活気で、しんみりしている場合ではありませんでした。