ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「EUREKA ユリイカ」

EUREKA ユリイカ」観ました。
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九州の田舎町で起きたバスジャック事件。生き残った運転手の沢井真(役所広司)と田村直樹(宮崎将)と妹の梓(宮崎あおい)。三人は凄惨な現場を体験し、心に深い傷を負った。

2年後。妻にも行方を知らせず消息不明だった沢井が再び町に戻ってきた。

同じころ町では通り魔による連続殺人事件が発生しており、周囲は沢井が犯人ではないかと疑惑の目を向ける。

町での生活に居心地の悪さをを感じつつ。沢井は住宅街からやや離れた一軒家に田村兄妹が二人きりで暮らしていると知り、田村兄妹の家に向かう…そこから三人の共同生活が始まった。

 

2000年公開。真山真治監督作品のデジタルマスター完全版上映。3時間37分。

 

「そうかあ。2001年公開…。」

タイトルは知っていたけれど…映画館で見逃がしたままだった。そんな作品に今、デジタルマスター完全版で会える喜び。

 

2000年代前半の宮崎あおいの禍々しさはずば抜けていた(褒めています)。

『害虫(2001)』『好きだ、(2005)』『初恋(2006年)』子役時代から現在におけるまで彼女の出演作は数多あるけれど…あの頃の宮崎あおいには「周囲の人間(特に大人)を狂わせていく、孤独で訳ありな少女」という独特の雰囲気があった。

 

そんな禍々しい宮崎あおいを久しぶりに見たと同時に「ああ…宮崎将」。

引退されたとのことでしたが。どことなく高潔で硬質なのにはかなげ…好きな俳優だったなあと。

俳優といえば。刑事の松岡を松重豊とか。弓子の国生さゆりとか。沢井が働く工務店にいるシゲオが光石研とか。尾野真千子とか。「若い…」感慨深い。

 

冒頭。通勤通学の足となる路線バスの風景。始めに中学生の兄と小学生の妹がバスに乗り込んだあと。乗客が増えてくる中、ドアが閉まる寸前に乗り込んできたサラリーマン。

場面が変わって駐車場。足がもつれそうになりながらバスから走る人が銃声とともに倒れる…とんでもない修羅場と、「ああ…疲れ切った人ってこういう感じだな」を体現しきった犯人。一気に引き込まれる世界観。これはあかん。持っていかれる。

 

事件のショックから、ふさぎ込み周りとコミュニケーションを取らなくなった兄妹。世間からは好奇の目で見られ家庭は崩壊。母親は家を出、父親は自動車事故で亡くなり、その死亡保険で得たお金で二人きりで暮らしていた。

 

事件から2年。突然姿を消し音信不通だった沢井が町に戻ってきた。今になってどうして?周りが訝しげに沢井を見る。しかも、沢井が帰ってきたのと同じころに町で通り魔によると思われる連続殺人事件が発生していた。「あいつが犯人じゃないか」疑われる沢井。

 

転がり込んだ実家。けれど実権は父親から兄へ変わっており、居心地が悪い場所になっていた。

実家を飛び出して沢井が向かった先は、先日知った田村兄妹の家。何とか上がり込むことに成功した沢井が目にしたのは荒れた室内。およそまともな生活をしていないと察した沢井は田村兄妹との共同生活を申し出る。

 

共同生活にメリハリを持たせたのが田村兄妹の従兄・秋彦(斎藤陽一郎)。夏休みを利用して二人の面倒を見に来た大学生。わりとずけずけと思ったことを口にする性格。

初対面の沢井に驚いたけれど…あっさり共同生活に加わる。

 

四人での生活が始まった途端、また新しい殺人事件が発生した。

被害者が沢井の同僚であったことと、事件当日に沢井と一緒に居たことで警察に事情聴取され、あげく2年前の事件を知る刑事から「あの時お前の目を見て思ったよ。こいつは何かをしでかすと」と異常者扱いされる。

 

どうして。自分は凄惨な事件に遭遇した被害者なのに。今までと同じ生活なんてできない。そっとしておいてほしい。だから周りと距離を取った。心の整理なんてできない、何をどうしたらいいのかわからない。ずっともがいて苦しんでいる。なのに周りからは自分の方が「おかしい奴」として見られている。どうして。

 

「旅に出よう。何かが変わる」

中古で小型バスを買い、田村兄妹を誘った沢井。バスはトラウマだろうがと鼻で括った秋彦をよそに、無言でバスに乗り込んだ田村兄妹。一緒に改装作業を行い、ついに四人のバスの旅が始まった。

 

一見坦々と物語は進む。九州の景色(特に阿蘇の広大さよ)。キャンプ場。けれど例の『連続殺人事件』のことは決してうやむやにはされない。

犯人とその動機に関しては「うむ、そうだと思っていましたよ」としか言いようがない…深いため息をついた刹那、間髪入れず秋彦の無神経発言に顔をしかめた当方(秋彦的にはいつも通り思ったことを言っただけなんよな。言葉は時に無邪気な暴力になるのに)。案の定。

 

一応ネタバレ回避で進めたいのでふわっとした感じになってしまいますが。

2年前に起きた、バスジャック事件。同じ悪夢を体験し、各々が心に傷を負った。

そこから時がたち。三人で共同生活をはじめ旅に出た。あの田舎町を出て、非日常を積み重ねるうち傷を見せ合った(あくまでも比喩です)。

時折衝動的に湧き上がる感情をぶつける術が暴力以外になかった。もう取返しがつかないところまで来てしまった者。崩壊していく相手を見守るしかなかった者。支えあい、未来へ導く力をもっているのに、体が蝕まれ朽ちていこうとしている者。

心の傷ゆえの崩壊。決別。

 

沢井が放った言葉「生きろとは言わないが。死なんでくれ!」

生きてさえいれば。

 

最後に。海へたどり着いた沢井と梢。ついに聞いた梢の言葉と、沢井の呼びかけ。

弔いと再生と、希望。

 

Eureka:ギリシャ語に由来する感嘆詞。『わかった』何かを発見・発明したことを喜ぶときに使われる(Wikipedia参照)。なんと良いタイトルか。

 

設定がシビアなのに派手な展開にはしない。セピアと淡いカラーの色調。繊細だけれどふわふわ流されない役者たちの演技。長いけれど長くない。なんだか夢のような…そんな作品でした。

 

映画部活動報告「流浪の月」

「流浪の月」観ました。

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公園にいたら雨が降り出した。慌てて走り出す人々。もう夕方だし、皆家に帰るのだろう。

なのに。その少女はブランコに座ったまま動こうとしなかった。

どう見ても傘を持っていない。どんどん濡れていく少女を見ていると我慢ができなかった。

「どうしたの」「帰らないの?」

押し黙ったまま。けれど家に帰りたくないという意思は伝わった。

「…うちに来る?」

 

当時10歳の家内更紗を、自宅に招き入れた大学生の佐伯文・19歳。

約二か月後、文は少女誘拐の罪で白昼衆人の中連行された。文の姿はインターネットを通じて『ロリコン野郎』として世間に拡散・認知された。

 

それから15年の月日が経って。再び二人の運命が交差する。

 

2020年の本屋大賞作品、凪良ゆうの同名小説の映画化。監督・脚本は李相日。撮影監督は『パラサイト 半地下の家族』のホン・ギョンビュ。

大人になった家内更紗を広瀬すず。佐伯文を松坂桃李が演じた。

 

冒頭から映像の美しさに心をもっていかれる。10歳の少女を19歳の男子大学生が自宅に連れていく。字面だけ見ると禍々しいのに、画でみるとなんと自然な流れだったことか。

どんどん雨脚が強くなる中で、帰る場所がないと動けなかった更紗を自分の居場所へ連れて行った文。荒ぶる風景の中で暗い目をして歩く二人の静けさよ。

 

文の部屋で二人きりで過ごした日々。物静かな文と奔放な更紗は、一緒に本を読み、遊び、ご飯を食べ、眠った。叔母の家には戻りたくない。いとこからの虐待に耐えるのはもう嫌だった。文といると安心する。やっと居場所ができた。

テレビで更紗が行方不明だと報じ始めた。「文、捕まっちゃうかな」「そうしたら絶対誰にも知られたくないことを知られてしまう。そんなのは嫌だ(言い回しうろ覚え)」

なのに。ついにその日は来てしまった。二人でいるところを発見され、文が連行される日が。

 

ロリコンかあ…」

かつて映画部部長の先輩(初対面)と「同性ながらこれはあかんなという性癖はあるか」という話になったことがあった。「いやでも、数多の性癖があるわけやから…一概にこれはあかんとはぶった切ることはできんな」そう言葉を濁す先輩に「ロリコンは…」という当方の発言に食い気味で「それはあかん」と前言撤回した先輩。「ロリコンは未成年者側の合意があいまいやし。そもそも犯罪やで」。

時々ニュースで見かける、エエ歳した大人による未成年者への性犯罪。性犯罪そのものも悪しき犯罪であるけれど…こと被害者が未成年者となると「気持ち悪い」「欲望を幼い相手にぶつけて」とより印象は悪くなる。

けれど…当事者たちだけが知っていること。感情。ここには誰も踏み込めない。

(更紗の子供時代を演じた白鳥玉季。凄い逸材が出たものよ…。くるくる変わる表情にくぎ付けになった)

 

15年の月日がたった。『ロリコン野郎』として認知された文と同様、更紗もまた『誘拐された被害者』として世間に周知されていた。

どこに行っても付きまとう好機の目。憶測で好き勝手言ってくる人々。何も感じないようにしようと言い聞かせて目立たないようにひっそりと生きてきた。

ハンバーグレストランでバイトをし。同棲している恋人の中瀬亮(横浜流星)とは結婚目前。

誰にも後ろ指なんてさされない。幸せになれるはずだった。あのカフェを見つけるまでは。

 

扱っているのはコーヒーのみ。バイト仲間に連れられてたまたま入ったそのカフェは、文が経営しているカフェだった。

 

そんなにあれこれ説明は入らない。とにかく役者たちの表情、しぐさ、会話で話を進めるのですが。暗く感情を押し殺していた更紗が文と再会し、自分を取り戻していくさまを演じた広瀬すずと、15年前からずっと自分の秘密をひたすら抱え込み耐えていた松坂桃李。二人の役者たちの力量よ。そして…更紗の婚約者亮くんを演じた横浜流星の思いがけなかった好演。泣いた当方。

 

一見ロリコン犯罪者と被害にあった少女。世間ではそう烙印を押されたけれど。二人の間に性的な関係はなく、どこまでも純粋な気持ちで繋がっていた。それは15年たった今でもあまり変化はない。けれど周囲はそんな風に理解しない。

 

世間的には好条件の亮くん。安定した職に就き、自分を大切にしてくれる彼氏。ちょっと過干渉だけれど、それは自分を愛してくれているから。けれど…実は「かわいそう」な相手を無意識に探し出しては自分を優位に立たせて逃げ場をなくし、依存してしまう性格。更紗が自分から逃げ出そうとしていると気づいたが最後、感情が抑えられずに暴力的になってしまう。

 

更紗の心を奪われた嫉妬から文を攻撃し、過去の犯罪を蒸し返すことで文の社会的地位を奪い追い詰める。けれど…いったん失った更紗の心は亮くんのもとには戻らない。ますます更紗と文の絆が深まってしまう。

 

「15年前のことはいったんおいといて。もう二人とも成人すみなのに今更ここまで世間が騒ぐものなのかね…」ちょっとそういう疑問が脳裏によぎりましたが。まあ、確かに分が悪い要素はあったけれど。

 

文が「絶対に誰にも知られたくない」と語っていた秘密。それが終盤に明かされたとき、あっけにとられてしまった当方。

あとから思わず調べてしまいしたが…なんだか蛇足感が否めない。この設定、要りますかね?いっそ純粋に(言い方)ロリコンってことでよかったんじゃないですか。だって…なんというか…とことん文が不憫なだけになってしまう…こういうどんでん返しは必要ないと思ってしまうんですが。

 

15年前。二人の関係が露呈し、引き裂かれようとしたときに文が更紗に言った言葉「更紗は更紗のものだ。誰にも好きにさせてはいけない」文よ、何故その言葉を自分自身にも向けない…。

 

出会いから15年。二人が再会して、そして二人で生きていく選択をした。もう誰からも非難されるいわれはない(はずなんやけれど)。今はまだふらふらと彷徨うけれど…安住の地を見つける日は必ず来る。そう信じての幕引き。

 

ところで、文と更紗だけでなく。亮くんにも幸せな日常が訪れることを当方は心から祈っています。

映画部活動報告「ベルファスト」

ベルファスト」観ました。
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北アイルランドベルファスト

9歳の少年・バディ(ジュード・ヒル)は母親のマ(カトリーナ・バルフ)と兄のウィル(ルイス・マカスキー)の3人暮らし。父親のパ(ジェイミー・ドーナン)はイギリスへ出稼ぎに出ているが時々帰ってきては家族団らんを過ごしている。

近くに祖父のポップ(キアラン・ハインズ)と祖母グラニー(ジュディ・デンチ)も暮らしており仲良し。

ベルファスト。昔から誰もが顔なじみのコミュニティ。生まれた時からずっと一緒に暮らしてきた。

 

ところが。1969年8月15日。平和な暮らしは一変した。

かねてから住民の中でくすぶっていた不満が爆発。信仰する宗教の違いから、カトリックVSプロテスタントの対立が発生した。

1998年の和平合意までに約3600人の死者を出すに至った、いわゆる『北アイルランド紛争』。

激動の時代が幕あけした1969年に生きた9歳の少年バディと家族。それは、俳優・監督・演出家など多方面で活躍するケネス・ブラナーの自伝的作品であるという。

 

色んな国際映画祭で高評価。映画館で観たい観たいと思いながら機会を逃していましたが。米アカデミー賞脚本賞を受賞したのをきっかけに再度映画館で上映される機会があったので滑り込み鑑賞に至りました。

 

諸々不勉強なことが多い当方。『北アイルランド紛争』について無知。映画鑑賞後ぽつぽつ調べた程度。知ったかぶりはしない主義なので宗教紛争やアイルランドやイギリスの歴史に触れることはできません。餅は餅屋。そういうことは滅茶苦茶詳しい餅屋の方が語っておられると思いますので…純粋な感想をいつも通り書いていきたいと思います。

 

ケネス・ブラナー監督の自伝的映画。制作のきっかけは、コロナ禍で初めてのロックダウンで感じたショックから。かつての生活が全く変わってしまい、これからどうなるかわからない状況であると同時にその不安を受け入れなくてはいけない…それがかつてベルファストで感じた気持ちに似ていた。という監督の言葉に無言で頷いた当方。

 

今年に入ってすぐ、世界中に暗雲が漂った。「見ようとも知ろうともしていなかったからわからなかったんだ」と言われればぐうの音もでないけれど…衝撃だった戦争開始。まさか今の時代に政略戦争が行われるなんて。名の通った大国が小さな国を襲う。

どちらにも自国に立った正義があるし、一概に「悪いのはどちらだ」とは言えないけれど。当方が悲しくなるのは「日常が生活がプライドが命が理不尽に奪われる」こと。

 

「どうしてそんな危ない場所にとどまるのか」「落ち着いて暮らせる場所に移動すればいいのに」言うのはたやすい。

 

「ここが私の生きる場所だから」「生まれてからずっとここで暮らしてきた」「周りの人も皆ずっと一緒だった」「ほかの場所なんて考えられない」そう考える人を否定はできない。

けれど、その場所を離れた人もまた否定はできない。「危ないから」「身を守らないといけない」「家族と安全な場所で暮らしたい」そう言って去ることは何もおかしいことではない。

 

ベルファスト。生まれた時から誰もが顔なじみ。のどかだったはずの街に、ある日突然暴動が発生した。

この作品は9歳のパディ少年の目線で描かれるので…大人たちは前からきな臭くなってきていることに気づいていたのだろうな…と思う当方。

主人公のバディ。気になるクラスメイトのキャサリンの気を引きたくて勉強を頑張る。家族や祖父母に愛され、やんちゃで元気な9歳の少年。

バディ目線だからこそ、日々の暮らしや、家族総出で映画館に出かけた楽しい記憶がきちんと描かれているのだろう。けれどそんな日常にも不穏な要素が増えていく。

お金を工面するために出稼ぎにいく父親。治安が悪くなっていくベルファストで子供二人を守らなければならなくてピリピリする母親。久しぶりに会っても喧嘩する両親。いつも母親の相談に乗っていた祖母。

プロテスタント武装集団の暴徒もまた顔なじみ。帰宅していた父親に追放運動に加わるように迫ってくるが、断ったことでパディたちにも危険が迫ってきた。

 

「自分も親もそのまた親も代々この街で生まれ育った。この街の人と恋に落ちて結婚して子供を授かった。この子もまた、この街で育っている。一体ほかのどこで生きていけるの?(言い回しうろ覚え)」

この街は私のすべて。街を離れることはできないと語った母親の苦悩。そして決断。

 

「自分の愛する場所への思い入れと安全な生活を送るという二つが天秤にかけられる」なんでそんな判断をせまられないといけないのか。そして、どちらを選んでも心に傷を負ってしまう。辛い。

 

あの日。突然世界が一変した。これまでの暮らしが当たり前ではなくなった。変わらず楽しいこともあるけれど…大人たちはピリピリして、どっしりとした雰囲気がなくなった。「大丈夫」普段はそう言って優しくなでたり抱きしめてくれる相手が落ち着かない様子だと、こちらも怖くなってくる。

(不安な時に「大丈夫」そう言って抱きしめてくれる相手なんて、大人だって欲しいよ)

 

家族が安心して暮らすにはどうしたらいいのか。この家族の決断を、否定も肯定もしない。なぜなら監督の自伝的作品。実際にあったことを描いている(らしい)。これは家族の記録。

 

けれど…日常が脅かされるなんて考えたことない。学校や兄弟で遊ぶこと。母親に甘えたり、たまに帰ってくる父親と話をする。祖父祖母の家に遊びに行って、たまに皆が揃ったら映画館に映画を観に行く。外を歩けば誰もが顔なじみで、街中互いにどんな人間か知っている。そんな場所で生きていくはずだった。

 

「そんな場所で生きていくはずだった」

けれど。様々な状況、ご時世。思いもよらない出来事があっという間にこれまでの常識を覆していく。そんな事態を目の当たりにしてきた昨今。最早何に対しても他人事ではない。

 

そして。ラストシーンの恰好の良さよ。こういう選択も当然ある…。

 

有事の際。人はどう生きるのか。そしてかつて人々はどう生きたのか。

ただし。どういう選択をしても。生きることは必ずしも辛く悲しいばかりではない。

どんな場所でも人は生きる。場所だけはない。生き方を選ぶのは自分だ。

 

こんな時代だからこそなお、求められた作品だったんだろうなと。観逃さなくてよかったです。

映画部活動報告「シン・ウルトラマン」

「シン・ウルトラマン」観ました。
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庵野秀明企画・脚本。樋口真嗣監督作品。

 

次々と巨大不明生物【禍威獣(カイジュウ)が現れ、その存在が日常となった日本。

通常兵器は全く役に立たず、限界を迎える日本政府は,禍威獣対策のスペシャリストを終結し【禍威獣特設対策室専従班】通称【禍特対(カトクタイ)】を設立。

班長・田村君男(西島秀俊)。作戦立案担当者・神永新二(斎藤工)。非粒子物理学者・滝明久(有岡大貴)。汎用生物学者・鮒縁由美(早見あかり)が選ばれ、任務にあたっていた。

禍威獣の危機が迫る中、大気圏外から銀色の巨人。

禍特対には、巨人対策のために分析官・浅見弘子(長澤まさみ)が新たに配属され、神永をバディを組むことに。

浅見による報告書に書かれていたのは…【ウルトラマン(仮称)、正体不明】。

(映画シン・ウルトラマン公式ホームページ『イントロダクション・ストーリー』より引用)

 

昭:テーマは『空想と浪漫。そして、友情』。

和:はいどうも。当方の心に住む男女キャラ『昭と和(あきらとかず)』です。

昭:いつもはねえ~男女の心の機微を語りあってるんですけれどもねえ~本当に…なんで今回我々が召喚されたのか…荷が重いよ…。

和:この作品はどんな切り口で語っても角が立つ。でも…「観た映画の感想をすべて書く。順番を入れ替えない」がこの感想文の縛りなんで。ここ乗り越えないと先に進めないんですわ。頑張っていこう!

昭:(深いため息)頑張っていこう…ところで。当方は幼少期から全くウルトラマンに触れてこなかったこと、この作品が初めてのウルトラマン体験だったことをお知らせしてから始めていきたいと思います。後、そこそこネタバレ挟んでいくと思います。あしからずご了承ください。

 

和:どうやった?ウルトラマン

昭:こういう話やったのか~という感想。映画館で推定50台くらいの男性が「これはいいものを観させてもらいました」と感極まっていたところと、巷で耳にする往年のファンの皆様の口ぶりからも『うまくまとまったファンムービー』だというのは間違いないようなので。ダイジェストで『ウルトラマンとは』を教えてもらった感じなのかと。

 

和:禍威獣が跋扈するのが日常化した日本列島。なんで毎回毎回日本にだけ現れるんだよ禍威獣のやつ…日本政府は防災庁から禍威獣特設対策室専従班こと通称『禍特対』を設立し陣頭指揮を任せていたが…禍威獣との戦闘中、突如現れた銀色の巨人!はたして敵なのか味方なのか…と思っていたら、禍威獣と戦ってくれた!一体何者?!

昭:冒頭10分くらいに高速で『禍威獣VS禍特対の歴史』が展開されるんやけれど。もうこの「ウルトラQ のファン胸アツシーン」から「ああ…今日はファン感謝祭を観に来たんだな」と腹を括ったな。

ファンたちで「わかるわかる~」「こんな細かい所まで!」「懐かしい~こうやったよな~」ノスタルジック満載…やったんやろうな。知らんけど。

和:巷で見え隠れする賛否両論。当方は「こういうお話やったというのは分かったけれど、いかんせん人間の描き方にもやもやを感じる」というのが正直な感想。諸手を上げて良かったとは思わない、けれど駄作だとも思わない。

 

昭:禍威獣に翻弄されていた日本列島。禍特対を構えて対応していたが、被害も甚大。お金もかかる。そんなときに現れた巨人…なんと外星人(宇宙人)。

 

和:ウルトラマン登場以降、禍威獣の出現がとんとなくなった…代わりに外星人たちが入れ替わり立ち代り現れては日本政府に揺さぶりをかけてくる。

昭:世界を牛耳るにあたってこんな小さな島国を掌握したところで…もっと大国ねらえよ外星人…なんていらん事考えている暇なんてない。テンポも展開もキャラクターたちの会話も全部早い…下手したら振り落とされる…やってきた外星人はザラブ星人メフィラス星人、ゾーフィー。なかでもメフィラス星人山本耕史)はとびきりよかったね。

 

和:やたら多用する慣用句。そのあと決め顔で「私の好きな言葉です」。心がこもっていないうさん臭さがたまらん…山本耕史は適任やったな。

昭:「生体を巨大化させるベータ-システムを活用し、人類が巨大化することで外星人から身を守っては」という提案。口八丁手八丁で日本政府と商談を進めベータボックス受領式を取り付ける。

和:何故禍威獣が出現していたのか。それは地球に放置されていた生物兵器を放ちウルトラマンをおびき寄せるため。人類には「禍威獣対策」と持ち掛けたけれど、メフィラス星人の本心は「巨大化した人類を兵器として使う」という目的があった。

同じ外星人だから手を組もうとウルトラマンに持ち掛けるが断られ、受領式をぶち壊されて戦う…けれど途中であっけなく踵を返す。この急展開よ。

 

昭:光の国。ウルトラマンの故郷である星から来たゾーフィー。「宇宙の秩序を乱すものは四の五の言わずに消去!」という正義ゆえの一刀両断。最終兵器ゼットンで地球崩壊へのカウントダウンを始める。

和:つくづく外星人たち一方的やなあ~。一体地球が、日本列島が何をしたっていうんだ。

 

昭:人間パートの話、しとこうか。

和:聞き取る側を一切無視した早口の応酬。基本説明セリフ。円陣組んだ下からのアングルの多用…あれ、女性に優しくないショットよな~顔がたるんで見える。

昭:女性に優しくないといえば…例の巨大化したシーンどう思った?

和:メフィラス星人による浅見弘子の巨大化。ただただ心がざらついた…というよりも浅見弘子の演出全体に製作者のセクハラを感じて不快だった。

昭:自身に活を入れるのにお尻を叩く。癖だとしても、他人のお尻まで叩くのはなしやな。

和:唐突に「もう何日も風呂に入っていない」と言わせた直後に匂いをかがせるシーン。あれ何?気持ち悪い。

昭:こういう話なんだよとか、あの監督はこういうシーンを入れてくるんだよとか。いちいち目くじら立てるな。フェミニズムにおもねるのはつまらないとか。そういうおおらかにいこうぜという声もきいたけれど。

和:単純に『必要ない』要素やと思う。男女関係なく。面白くもない。エロくもない。「こういう女性っていいやん」とももちろん思わない。

 

昭:テーマには『友情』も入ってるんよな。

和:神永新二との融合で生まれたウルトラマン。自己犠牲を払ってまで人を想うその姿に打たれた。人類は救うに値する生物であると。

昭:禍特対メンバーの連帯感。ウルトラマンの分析官として投入された浅見弘子と神永新二の友情…友情?いつはぐくまれた?「私たちはバディなんだから」と刷り込むうちに?

和:とにかく人間パートは「脳内の引き出しで捕捉して鑑賞に当たれ」。雑…人間は物語を進めるための説明をする存在でしかない。

 

昭:最終兵器ゼットン。元ネタもエヴァンゲリオンも未修なんで…何とも言いようがない。

和:大風呂敷たたみ方が急やったな~。まあでもこれだけの情報量を1時間52分で展開してまとめたことを思ったら、これ以上説明して引き延ばすより落とし方がきれいなのかな。

 

昭:さんざん文句言っちゃったね。

和:でもねえ。じゃあ観るなよ!って言うのはご法度やと思うんよな。映画は誰にでも(年齢制限がなければ)開かれているし、どう感じるかは人それぞれ。誰かにとっては駄作でも、誰かにとっては名作なことは往々にある。ちょっとそのふり幅が大きかった作品だとは思ったけれど。

昭:映画館で「いやあ~いいもの観させてもらいました」そう言ってほころんでいた中年男性。映画を観て興奮して、感動する体験。かつてのウルトラマン少年にああいう表情をさせたなんて…なんてよくできたファンムービーだったんだろう。

 

和:浅瀬で好き勝手に語りましたが…シン・シリーズ…文句を言いつつも次回公開作品も映画館に見に行く予感がする。結局は『でっかい奴がでっかい奴と戦う』作品が好きなもんで…。

 


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写真は当方が高校生の時に買った『ウルトラマンハンガー』今でも現役です。

映画部活動報告「死刑にいたる病」

「死刑にいたる病」観ました。
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「初めてお手紙を出します。僕のことを覚えていますか。」

元優等生で受験に失敗したことから殻に閉じこもり、さえない大学生活を送っていた筧井雅也(岡田健史)。

祖母の葬儀で帰郷した雅也は、自分宛ての手紙を見つける。差出人は棒村大和(阿部サダヲ)ー日本中を震撼させた連続殺人犯だった。

 

櫛木理宇の同名小説の映画化。脚本・高田亮白石和彌監督作品。

 

棒村大和。

昼間はパン屋の店主。棒村の手作りパンは人気があり、併設しているカフェスペースは学校帰りの中高生でいつもにぎわっていた。

夜は殺人犯。店に通う中高生の中から目を付けた相手と距離を縮め。自宅に監禁し、じわじわといたぶった挙句殺害し埋めていた。被害者の数24件。うち9件が立件・起訴となり第一審で死刑判決が確定。現在は刑務所に収監されている。

 

棒村と雅也の接点。それは「雅也が棒村の店のお客さんだった」こと。

 

当時は中学生だった雅也。塾に行く前に時々通っていたパン屋。カウンターで食べるパンとドリンクが美味しくて。棒村が親身に話を聞いてくれるひと時が大好きだった。

 

「会いに来て欲しい」

棒村からの誘いに、思わず刑務所へ向かった雅也。数年ぶりに会った棒村はあの頃と変わりがなくて…けれど、屈託のない棒村から出たのは「冤罪証明」の依頼だった。

 

24件の殺人容疑…そのうち9件が立証されたが、どうしても1件だけは自分の犯行ではない。あれだけは違う。

「まだ本当の犯人は、あの街にいるかもしれない。今それを知っているのは、君と僕だけだ」

 

一件の冤罪をめぐり過去を調べていくうちに、事実は何度も姿を変え…遂には雅也の立っている場所も揺らいでいく…。

 

人当たりがよく誰からも信頼される好人物の反面、息をするように殺人を繰り返した。そんなシリアルキラー・棒村を演じた阿部サダヲ。どちらかというと陽な雰囲気のキャラクターを演じることが多い印象の彼が、その明るさを不気味さに転換させながら演じきった。一切の光を感じないその黒目に狂気を感じる。さすがの手練れ…けれど受け手役の岡田健史もまた、見事だったなと感じた当方(何様だ)。

 

筧井雅也。

子どもの頃は優等生だった。けれど結局は井の中の蛙で、大学受験に失敗しFランクの大学に在籍している。友達も恋人もいない。孤独でさえない学生生活(一回しかない人生の、はっちゃけたらいい大学生生活が…もったいない)。

元教師の祖母や堅物の父親に失望されたと思うと、地元には帰ることができなかった。今回帰省したのも祖母が亡くなったから。

こんなはずじゃない。俺はこんな場所にいるはずじゃなかった。コミュニケーションをとらず壁を作り、面と向かって口には出さないけれど周囲にいる者を見下している。

一見おとなしいけど、鬱屈した感情が渦巻いて爆発しそうな危うさもある。

そんなアンバランスな主人公を見事に体現していた。

 

お話は…「刑務所に収監されたシリアルキラーによる、あくなきマインドコントロール欲」だったと感じた当方。

 

連続殺人の被害者に共通していたのは、おとなしく真面目な高校生の男女だったこと。

棒村が冤罪だという被害者は、成人している大人の女性であり、殺害方法も他とは違う…棒村のいたぶるお作法「生爪を剥いだ」跡がなく、死体処理も森の中に打ち捨てられるという雑さだった。

 

「その事件が冤罪であるとして、何故雅也に真相究明を依頼したのだろう?」

 

持ち前の真面目さと興味も相まってどんどんのめりこんでいく雅也。かつての事件たちを洗い出すうちに、自分自身の出目についても揺らぐ羽目になる。

棒村と、雅也の母親・怜子(中山美穂)とのいにしえの縁。何の因果か。棒村と雅也の関係はただのパン屋の店主と客ではなかったのか。

 

雅也の行く先々に現れる長髪男性・金山(岩田剛典)。いかにも真犯人ぽい、挙動不審な謎の男の正体は。

 

「その事件が冤罪であるとして、何故雅也に真相究明を依頼したのだろう?」

あくまで当方の持論ですが。「雅也君。あ~そ~ぼ~」だったんじゃないかと。

 

かつて仲良くしていた幼い兄弟に「今日は何して遊ぶ?」「どうやってボクを楽しませてくれる?(言い回しうろ覚え)」追い詰めて、兄弟を互いに傷つけ合わせた棒村。

 

自分の置かれている場所に納得できない。しっくりこない。けれどどうしたらいいのかわからない。なんだかイライラする。どうしたらいい?

不安定で、けれど自分では結論を出せずにもがいている人間(えてしてそれは思春期の少年少女だった)を見つけ出すのが上手くて…見つけたらわくわくする。

楽しませて。少年少女を手なずけ、安心して心を預けてきたところで捕食する。棒村のお楽しみルーティーンは一時殺人行為に向かった。けれど刑務所に収監された今、殺人は不可能。己のフラストレーションは満たされない。

 

ならば。かつて縁があった子供たちに手紙を出せば…面白い行動をしてくれるんじゃないか。殺すことはできないけれど。マインドコントロールする楽しみが忘れられなくて(それを『大人』には向けないところが棒村のよわっちい、卑怯なところですよ)。

 

「それが、棒村が雅也に手紙を出した理由」

当方はそう思ったんですが。

 

自分の中に潜む危うさ。獄中にいるシリアルキラーに踊らされていたけれど…「こうであってほしい」というご都合主義には逃げなかった。自分の置かれている場所をきちんと見据えた。陳腐な言葉ですが…物語の終わりには雅也の『成長』を感じた。

そして最後の最後「やっぱり気持ち悪いわ棒村」をたたきつけてくる描写。

 

事件の真相究明に至る過程、主人公雅也の家族関係なども絡まり二転三転しながら進む展開もテンポが良く飽きさせない。

しいて言えば「言論の自由とはいえ、刑務所からこんな内容の手紙が出せるものなのかね?」「棒村はどうやってターゲットの住所を調べているんだ」という疑問はありましたが。まあそれはお話ですから…。

 

冒頭の美しく見えたあのシーンの禍々しさ(褒めています)。

これが病ならば確かに『死刑にいたる病』。決して再び世に放たれない。はずなのにまだくすぶっている…。

129分がノンストップ。飽きることなく疾走する、見ごたえのある作品でした。

映画部活動報告「カモンカモン」

「カモンカモン」観ました。
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マイク・ミルズ監督・脚本。主演、ホアキン・フェニックス

 

ニューヨークに住む、ラジオジャーナリストのジョニー(ホアキン・フェニックス)。

ロサンゼルスに住む、妹・ヴィヴ(ギャビー・ホフマン)から突然来た電話。それは「数日の間、息子のジェシー(ウディ・ノーマン)を預かってほしい」という依頼だった。

 

ジェシーの父親であるポール(スクート・マクネイリー)。才能豊かで期待されている音楽家であり、家族と離れて大きな楽団に所属しているが、精神的に不安定な部分がある。

楽団からの連絡で駆け付けたが深刻な状態であり、ポールの傍を離れるわけにはいかない。なので不在の間息子の面倒を見てくれないかというもの。

独身。仕事の性質からも自由が利く身であるジョニーは快諾。そうしてジェシーとの生活が始まった。

 

『おじさんとボク』

さんざん見たことがある気がする『独り者の中年男性と子供のほのぼのとした日常を描いた作品』いわゆる子育て映画。今作も御多分に漏れず、そういった内容なのですが。

 

どこに出しても間違いようがない、そんな立派な独身中年。子を持たない当方はどうしても「子供あるある~」はわからない。わからないけれど。

「いくら何でもジェシー幼くないか?」

9歳児の発達段階、知る由もありませんが。それにしてもジェシーが幼い気がする(例えば。9歳の子ってカラクリがある歯ブラシとか欲しがるもんなんですか?)

朝から爆音でレコードをかける。大人を巻き込んでの「孤児院の子ごっこ」(おままごと)。スキンシップ大好き。すねたらフラッと姿をくらませる。

学校に通っている描写もぼぼなかった。つまりは…「変わっている」だけではない。集団生活が辛いタイプなのかなあと思った当方。

 

数日だけだと思っていたジョニーとジェシーの共同生活。けれど、ポールが膠着状態でヴィヴは家に戻れない。いつまでもロサンゼルスに滞在するわけにもいかず、二人はジョニーの家があるニューヨークへ移動した。

 

デトロイトニューオーリンズ。そこに住む少年少女にマイクを向け、心のうちを語ってもらう。

「自分の住む町をどう思う?」「自分がもし自分の親だったら何を伝えたい?(言い回しうろ覚え)」時にはそんな質問を出す。インタビュー番組制作がジョニーの仕事。

(これ、一体どこが母体になっているんだ…NPO団体?ニューヨークで独り暮らしができるくらいには稼げているみたいやけれど。まあ大きなお世話でしょうが)

少数精鋭のクルー。都市を飛び回る彼らにジェシーも加わった。

 

「普段少年少女と対話をしているんだから、子供の相手はできるだろう」

ところが。そんな甘い話じゃなかった。ジェシーの行動は予見できないことばかりで、うろたえるばかり。毎日のヴィヴとの電話でジェシーの扱いや普段の奮闘ぶりを聞くことになった。そしてポールの状態に対し真剣にアドバイスをするジョニー。

 

以前、兄妹の関係性は決して良好なものではなかった。

 

かつて母親の介護をしていた二人。認知症が進む母親に向き合うのが怖くて、きちんと関われなかったジョニーとがっつり面倒を看る羽目になったヴィヴ。発生するフラストレーション。言い合い。母親が他界した後、二人は疎遠になりつつあった。

 

けれど。9歳のジェシーを通じて、ぎくしゃくしていた兄妹の関係性も徐々に再構築されていく。

 

「大人はきちんとしている」

当方は子供のころそう思っていた。学校を卒業し職に就く。結婚し子供を産み親になる。大人は人の嫌がることはしない。しっかりしていて分別がある。漠然とした大人像があった。

 

「ところがどっこい。きちんとした大人なんて…下手したら存在しないぞ」

生活する手段は得ておきたいけれど。結婚して子をなさないと大人じゃないなんてことはない。意地悪な人もいるし、だらしない気持ちに負けるときはおおいにある。

つまりは「完璧な人なんていない」「人は人。自分は自分」。

 

これからの成長過程で、ほかの人より辛かったり気になることが多いかもしれない。けれど、そんなジェシーに「だから何だ」と言ってあげれられる。

ジェシーの周りにいる大人たちを見てごらんと。

 

精神的に不安定であったり。誰かと暮らしていなくてひとり。でも…だからなんだ。

いくつになっても不安を感じたり憤ったりする。感情に任せてしまう時もある。恥ずかしい思いをする。くよくよする。そういうことはなくならない。

 

誰かと一緒に生きていなくても。かつての恋人が忘れられなくても。恋ができなくても。これが自分だ。

完璧じゃないけれど、それなりに整った風に見られたくて。大人になると周囲に対して着飾る知恵がつくから、一見落ち着いて見えるけれど…内心ひやひやしているときだってある。

 

ジェシーとの共同生活は、蓋をしていた自分自身を見つめなおす機会になった。もういい歳、思えば遠くへきたもんだ。そう思っていたけれど…同じような場所でいまだにもがいていた自分がいた。

 

でも。そんな不格好な自分や大人たちを見たらいい。ジェシーが「大人はきちんとしていなければならない」とがんじがらめにならずに済むように。

 

大丈夫。大丈夫じゃなくても大丈夫。

 

全編モノクロ作品。確かにカラーだと情報量が飽和しそう(…と思う反面、ラスト周辺は色彩豊かに観たかった気もする)。

「君は幼いから。きっと忘れるよ」「そんなことない。絶対に覚えている」(言い回しうろ覚え)ベットでジョニーとジェシーが交わした会話。

 

てんてこまいだった日々も、後になったらふんわりとした記憶にしなからない。色褪せた…モノクロの…けれど確かにそんな日々は存在した。決して楽しいことばかりじゃなかったけれど。長い目で見たら一瞬で、けれど濃密だった。

 

お話もモノクロ映像も。そしてサントラも良かった。穏やかで心が満たされていく作品。思いがけず出会えた良作でした。

映画部活動報告「ハッチング 孵化」

「ハッチング 孵化」観ました。
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第38回サンダンス映画祭でプレミアム上映された、フィンランド発のホラー作品。

監督はハンナ・ベルイホルム。原案・脚本はイリヤ・ラウツイ。主人公ティンヤは1200人のオーディションから選ばれたシーリ・ソラリンナが演じた。

 

12歳のティンヤ。両親と弟の4人暮らし。母親は動画SNSサイトの『素敵な毎日』というブログで日々の生活を世界に発信するのに夢中。

 

「包容力があって優しい夫と、可愛くて素直な娘と息子」「幸せな家族」「ハイセンスな生活?ううんこれが私たちにとっては当たり前なの」

 

母親の幸せ自慢動画撮影から幕が上がったと思いきや~窓からガラスをぶち破って入ってきた闖入者。

室内を飛び回り、物をなぎ倒し、装飾品を割る。家族の阿鼻叫喚の中、捕まったソイツ…鳥を外に放つのかと思いきや。首をへし折り、ゴミ箱に捨てる母親。

「こいつはなかなか不穏な…」のっけから闇全開。これは…期待できる。

 

その夜、鳥のうめき声が聞こえた気がして、家を出てふらふら森へ歩き出したティンヤは、奇妙な卵を見つけた。

思わず自宅まで持ち帰ったけれど。家族に見せるわけにはいかない。

自分のベットで温めることにしたティンヤ。次第に卵は大きくなっていって、ついに孵化し現れたソレ=アッリ(水鳥)は幸せな家族の虚構をはぎ取ってく…。

 

とにかく母親がうっとうしい。自己顕示欲が強く、その矛先がおおむねティンヤに向けられている。

「うちの娘ティンヤ。可愛くて、体操選手としても優秀なの。」

母親は元体操選手だったらしいが、怪我で選手生命を絶たれた過去があるらしく。ティンヤを体操教室に通わせ、過剰なプレッシャーをかけている。

 

もっと。今のままじゃダメ。もっと頑張らないと。ママをがっかりさせちゃう。

 

手に血をにじませて練習に励むティンヤ。実際には大会メンバーに入れるかも微妙なラインだけれど、ママに認めてもらうには大会優勝を目指さないと。

 

「よくないな~こういうの」

眉を顰める当方。こういう調子で終始『娘を私物化して自己顕示欲を満たそうとする母親』と『母親に認めてほしくて自分を押し殺し我慢を重ねる娘』の構造を見せつけられる。この二人に共通しているのは『承認欲求』。

 

かつて体操選手だったが選手生命を絶たれ、自分をアピールするポイントを失った。けれど…私の魅力が失われたわけじゃない。

「素敵な家族とハイソな生活」「見て。私はこんなに生き生きして暮らしている」「何ら不自由のない、満ち足りた毎日」

そのためにはティンヤが『成功品=よくできた子』じゃないと。

 

12歳。身も心も成長段階で不安定な時なのに。大好きな母親をがっかりさせたくなくて頑張っているティンヤ。けれどうまくいかない…体操だって、もっと上手な子が現れた。

 

ふつふつと湧いてくるフラストレーション。けれどその理由は考えたくない。

そんなころ…遂に巨大化した卵からアッリが孵化した。

 

ある日。母親の浮気現場に遭遇してしまった。出入りの修理屋テロ。動揺しているティンヤに母親が言った言葉が「ママね、恋してるの(言い回しうろ覚え)」。

 

普通は言い逃れをする案件。けれど「ティンヤも女の子ならわかるでしょう?」「女子同士の秘密ね」とさながらティーンエイジャーの恋バナ感覚にすり替える。挙句「週末にテロの家に一緒に行かない?」と持ち掛けてくる。正直神経を疑う。

 

ところが。まさかの不倫相手・テロが滅茶苦茶いい人なんですわ。

「何故あなたのような好人物があんな女と?(下品な言い方)」そう思わざるを得ない。恋人が娘を連れて遊びに来ても嫌な顔一つしない。

そして。ティンヤが無理をしていることをすぐに見抜いて的確に対応できる。

「すきなことをしたらいい」体操は母親のためじゃない、楽しんでするものだと諭す。

 

「何故この役回りを父親ができないんだ」

この作品における父親の無能さ。(やんちゃな弟はいかんせん幼いし「役立たず!」とは思わない。むしろ「お前殺されるぞ」という危うさがあった)。

とかくこの家族において男性陣の活躍がなさすぎる。

 

ティンヤのフラストレーションの権化としか思えなかったアッリ。不気味でどこにも愛嬌を見いだせないビジュアル。ティンヤの吐しゃ物しか食べないという(当方は)生理的に嫌悪してしまう光景(鳥って、母鳥がかみ砕いたモノを吐いて与えるらしいので、生態的には正解みたいですが)。

母親と認識しているティンヤ以外には凶暴で、口に出していないのにティンヤの心を乱す相手に対して凶行に及ぶ。(その描写がまた結構エグイ。隣の家に住むレータの不憫さよ…なまじ体操が上手かったゆえに)

 

不気味で凶暴。そんなアッリを何度も突き放そうとしたけれど、結局見捨てたり殺すことができなかったティンヤ。

成長し姿を変えていくアッリをついに隠し切れなくなったその時。

家族と…母親と対峙したとき。母親、ティンヤ、アッリに何が起きたのか。

 

「うわこの終わり方。個人的には嫌いじゃないけれど後味悪う~」

『承認欲求』でがんじがらめになっていた母親とティンヤ。そこに新たに加わったアッリ。

誰もが「これなら愛してもらえる?」という負のスパイラルから抜け出せない。そして結果…。

 

ハイブリットの誕生ととらえるべきなのか。ヒエラルキーの逆転を示すのか。それとも…。

 

もっと早くにただ一言「ありのままでいいんだよ」と言ってあげたら。母娘がその通りだと気持ちが落ち着いたら。本物の『素敵な毎日』が訪れただろうに…。

 

ただただ不穏で禍々しい。一見可愛いようでグロテスク。北欧の国フィンランドが放つホラーは、一筋縄でいかないおぞましい作品でした(褒めています)。