ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「サマーフィルムにのって」

「サマーフィルムにのって」観ました。
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「この夏の間だけ。みんなの青春私にちょうだい!」

 

高校3年生のハダシ(伊藤万理華)。時代劇が大好きで勝新太郎を敬愛。映画部に所属しているけれど、そこで撮られているのはキラキラな恋愛映画。

親友のビート板(河合優実)、ブルーハワイ(祷キララ)と放課後、河原にある秘密基地に集っては古い映画を鑑賞し、映画談義に花を咲かせてチャンバラごっこをする日々。

 

「自分が撮りたい作品を作りたい。」

燻る気持ちを癒そうと名画座を訪れたハダシは、そこで兼ねてから構想を温めていた時代劇『武士の青春』の主役・猪太郎にぴったりな青年、凛太郎(金子大地)と出会う。

これぞ運命の出会い。「ねえ!傑作時代劇を作ろう!」頑なに出演を拒む凛太郎に猛プッシュを掛けるハダシ。そして「あなただから撮りたいって思うんだよ!」という熱意に押されて承諾してしまった凛太郎。

 

同時に「超一流の撮影メンバーを集めよう!」と意気込み学内からメンバーをスカウトするハダシ。親友二人の他、主人公の相棒・子之介役に美声老け顔同級生ダディボーイ(板橋駿谷)。録音には、キャッチャーミットの音だけでどの選手が投げたのかを聞き分ける特技を持つ野球部の駒田(小日向星一)と増山(池田永吉)。照明には独特なライトをつけた改造自転車を乗り回すヤンキー、小栗(篠田鯨)が集められ『ハダシ組』が立ち上がった。

 

目指すは文化祭でのゲリラ上映。

始めての映画製作に試行錯誤しながらも、メンバーの結束も強まり士気が上がる中、凛太郎の正体と衝撃の事実が知らされる。

 

伊藤万理華主演。三浦直之脚本、松本壮史監督作品。

 

「夏は…こういうエモーショナルな作品が出るよなあ。」

女子高生が時代劇を撮る?!青春映画で、でもSF要素もある。これは観ておかないとと映画館に向かった当方。例のキラキラ映画からのスタートには思わずウッとなってしまいましたが。ふてくされた表情のハダシが秘密基地で親友と合流して時代劇を見ては盛り上がり、チャンバラをするあたりですっかり目を細めていたら、唐突に親友のビート板が最近読んでいる本として「時をかける少女」を見せてきた時…高揚感が抑えきれなくなった当方。

 

筒井康隆著『時をかける少女』。当方が初めて読んだのはおそらく中学生の頃。嵌りに嵌った世界観。色んな監督が色んな形で(スタンダードからモチーフまで)作品化している中で、当方が一番好きなのは、原田知世主演、大林宜彦監督の尾道バージョン。

…話がそれましたが。この作品に於けるSF要素が『時をかける少女』をなぞっている所に心がせり上がった当方。

(凛太郎のビジュアル、まさに深町君やもんな)

 

とはいえ、あくまでも主軸は「映画を作ろう!」な訳で。

当方は何かを製作するお仕事をしているわけではありませんが。この感覚はどこかで知っているような気がする。懐かしい。この「短い期間で一つのモノを作り上げていこう!」「皆でいいモノ作ろうぜ!」という疾走感。

(遥か遥か昔。「こんなの学園祭と言えるか!」一年生の秋、ヘトヘトなだけの楽しくもなかった祭りの後。「絶対に変えてやる!」と意気込んで翌年学園祭実行委員長に立候補した記憶をたった今思い出しました。それか。)

 

学校で、普段ならば交差しない個性豊かな面々が。ハダシにその特技を見出される。「映画に出るのは無理」と頑なに拒んでいた凛太郎に「あなたじゃないと撮れない!」と説得したように。他のメンバーだって「あなたじゃないと」と迫った(他のメンバーは断ってはいませんけれど)。

きちんと能力を認められて、あなたならやれる、一緒にいいモノを作ろうと持ち掛けられたら…そりゃあ気持ちが良いし士気が上がる。そして圧倒的熱意をもって同じ方向に向かわせるリーダー。ハダシが持つ、監督としての天性の才能。だから後世に残るような監督になっていくんだろうなと見ていた当方。

 

予告編でがっつりネタバレしていましたが。一応「凛太郎が何者なのか」は伏せて進行していこうと思います。(なので以降ポエムっぽい文体になりがちです)

 

何故ハダシは時代劇が好きなのか。「映画ってスクリーンを通して未来と過去を繋いでくれるから」侍は現代には居ない。けれど、時代劇の中には存在する。

今が一瞬で過去になる。未来はつかめないはず。見えないはずなのに。

知りたくない事を知ってしまって、動揺するハダシ。もう映画は撮れない。どうやってこの作品を着地させたらいいのか分からない。

 

リーダーであるハダシが迷走していく中でも待ち続けた『超一流のメンバーたち』。

そして意外だったのが「キラキラ映画を撮っている」映画部の花鈴(甲田まひる)。

映画部の部室で。撮り終えた映像を編集する花鈴とハダシの会話から、花鈴の思いがけない熱さと芯の強さに好感度が爆上がり。(そうよな…各々好きなジャンルがあるだけで、それを偏見の目で見てはいけないよな…でもキラキラ恋愛映画は当方…)

 

そして、最後の文化祭でのゲリラ上映。

撮影中もずっと『武士の青春』の結末を書きあぐねていたハダシが最後に取った行動。胸が苦しくて、涙が溢れた当方。

過去。現在。未来。各々住む時代が違って、未来に住む者には分かっている。映画というエンターテイメントがどうなってしまうのか。

けれど。映画が好きだという気持ちはなくしてはいけない。高校最後の夏に、最高の仲間と映画を作った。無駄じゃない。映画を作り続けていくことを諦めてはいけない。

今は直ぐに過去になる。積み重ねて未来になる。

映画は終わらない。

 

「ところで。これ、ハダシ組と我々観客は胸アツ号泣着地展開ですが…体育館に集まった生徒たちにはどう見えるんやろう。」

ふとそう過る当方も居ますが。そこは考えないようにして。

 

「夏は…こういうエモーショナルな作品が出るよなあ。」

映画館からの帰り道。思い出しては泣きそうになるのをこらえながら…新しい夏の記憶です。

映画部活動報告「summer of 85」

「summer of  85」観ました。
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「あの夏の君を、心に刻んだ」

 

フランス映画監督、フランソワ・オゾン監督の最新作は、自身が17歳の時に出会ったエイダン・チェンバーズの小説『俺の墓で踊れ』の映画化。

 

16歳のアレックス(フェリックス・ルフェーヴル)と18歳のダヴィッド(バンジャン・ヴォワザン)の6週間の恋。出会いと永遠の別れ。

夏。一人でセーリングを楽しもうとヨットで沖に出ていたアレックス。急な悪天候に見舞われ、ボートが転覆。そんな窮地を救ってくれたのは、二つ年上のダヴィッドだった。瞬く間に惹かれあい、盛り上がる二人。心も体も通じ合う…アレックスにとっては初恋だった。

ある時、ダヴィッドが「もしどちらかが死んだら、残された方はその墓の上で踊ろう」と提案してくる。その時は半ば冗談で誓いを交わしたアレックス。

しかし。いさかいの後、ダヴィッドが不慮の事故を起こして逝ってしまう。

悲しみ。後悔。絶望。生きる気力を失ったアレックスを突き動かしたのは、かつて交わしたダヴィッドとの誓いだった。

 

劇場で配布されていた予告チラシからほとんど抜いてしまいましたが…これ…まんま全編あらすじですね。ネタバレ配慮など一切ない。まあ…確かに「えっ!そんな!」という物語ではないですけれど。

 

始めて出会った時、全身が震えた。一緒に居ると楽しくてうれしくて、けれどそれは自分だけじゃない。相手からも同じ感情が溢れている…ああもう大好き。一緒に盛り上がっているという高揚感。四六時中行動を共にしたい、一つになりたい。満たされて、もう離れたくないし離したくない。これからもずっと身も心も一緒でありたい。もっと深く繋がりたい。

なのに…相手と気持ちのズレが出始めた。どうして?こんなに愛しているのに。「あのとき同じ花を見て。美しいと言った二人の。心と心が。今はもう通わない」

そして。衝撃の出来事と聞きたくなかった言葉。からの…永遠の別れ。

 

「早くないか?それを6週間でって。どんな『ジェットコースター・ロマンス』だよ!」

 

6週間ってことは42日ですか。まさしく夏休み期間に一生もんの恋をしてしまうなんて。アレですか、新学期に「アイツ…なんか変わったな」って言われちゃうやつ。

 

終始主人公アレックス視点で描かれる恋。男性同士の恋愛ではありますが、特別な意味は感じなかった当方。というか…「あかんあかん。初恋でこういうヤリチンに惚れてしまったら!」「盲目な初恋。一途にならざるを得ないんやけれど、こういう手合いは重すぎる相手からは逃げようとするんやって!ほら!案の定!」

まるで高校生ヒエラルキートップの『女好きする顔といい感じに甘えてくるからずっと彼女が尽きないヤリチン』に恋をしてしまった『クラスでも存在感が無くて地味な女子』が翻弄されている姿を傍から見ている、精神年齢が年増な同級生というポジションで観てしまった当方。

 

海辺の町。ヨットでセーリングをしようとしていて転覆した所を助けられたのが二人の出会い。ずぶ濡れの体を温めろと、ダヴィッドの自宅に連れられ風呂を借りた。

同じ学校の出身なこと。父親を亡くし、今は母親が営む店を手伝っていることを知り、夏休み期間バイトをすることになったアレックス。

急速に惹かれあい。「とても美しい夜だった」を経て、恋人となった二人。

 

もうねえ。主人公アレックスのみなぎる「今君に~恋してる(唐突ないいちこ)」感。ダヴィッドが好きで好きで仕方がないんだなと言わんばかり。ダヴィッドに体を預け、うっとりとした表情を浮かべる。ダヴィッドも当然まんざらでもないし、優くて情熱的なんですが。もう兎に角アレックスに恋愛初期の「うれしい、楽しい、大好き!」がほとばしっている。

 

自分にべったり愛情を抱いてくれる。そんな相手がいると「俺、ここで落ち着いていいのかな」と過ってしまうのがヤリチン(しかも18歳。若い)のアカン性。落ち着いたらいいのに。何だかんだ言ってアンタもアレックスが好きなんやから。

 

しかも居住区が「海辺の町」。寂れたやつじゃ無くて、観光客が訪れる系の…そりゃあひと夏の恋、他にも生まれちゃうよな。

案の定、他国からやって来た女子とアバンチュール(死語)をしてしまったダヴィッド。案の定激怒のアレックス。あかん言い争い~からのもの別れ、ダヴィッド不慮の事故。

 

以前誓った「もしどちらかが死んだら、残された方はその墓の上で踊ろう」を遂行した挙句、墓荒らし扱いで警察に連行されたアレックス。下手したら収監される寸前だったアレックスに「これまであった事を書いてはどうだ」と学校の恩師に提案される。

タイプライターを取り出し、ダヴィッドとの日々を綴るアレックス。

 

「来た来た。90年代少女漫画で度々見かけた『私小説』で社会的タブーを犯した自分を正当化してくるやつ。」(いやな言い方になってしまいましたが、全方位に対し悪気はありません)

 

なんなんでしょうねえ。感想文を書けば書くほどおかしな感じになっていますが。当方はこの作品を決して貶めようとはしていないんですよ。

 

当方が「おっ」と思って苦笑いしてしまったのが、最後のアレックスの行動。流石にネタバレはしませんが。意外と…そうやって切り返しができる性格だったのかと思うと、逞しい。

 

アレックスにとっては確かに「ひと夏の恋」。甘くて苦い…一生懸命な恋をした。そういう思い出になるけれど…ダヴィッドは「ひと夏の恋」の世界、1985年の夏という琥珀糖の中に閉じ込められる。生き急いでしまう者は美しいけれど儚いものよ。

 

触れられてはいませんでしたが。中年の当方はやはり、ダヴィッドの母親に心中お察しする部分があった。だって。夫と息子を失うって…辛い。

「アンタ初見のアレックスを裸に剥いて風呂に入れてたやん」「一緒に店を盛り上げようって言ってたやん」「息子とアレックスがあんなに仲良くしていたんやから、そんな手のひら返してやらんでも」息子を失った母親がアレックスに辛くあたるのにそう思わんでもなかった反面、「辛いよな…」と溜息がでた当方。頼むから今後彼女に寄り添い、支えてやれる人物が現れて欲しい。

 

1980~90年代のファッションや音楽をやっとフラットな感情で受け入れられるようになった。これまでは気恥ずかしく感じていたそれらを見て、懐かしさと甘酸っぱい感情がこみ上がる。

 

みっともないくらいに不器用で、けれど一生懸命だった。

 

暑いのは苦手。夏は好きじゃない。そう思うのに、いつも夏が終わるときには寂しくなる…そんな夏を思い出す映画が生まれた。

 

(そして。42日のサマーが終わるとオータムが…来る。きっと来る。)

映画部活動報告「フリー・ガイ」

「フリー・ガイ」観ました。
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「物語の主人公が…まさかのモブ(雑魚)キャラ⁈」

 

ルール無用で悪事を働く事が出来るVRゲーム『フリー・シティ』。

プレイヤーは「サングラス族」となり、空を飛び美女をハンティングし車を乗り回して町を破壊する。

そんな町に住む、銀行員・ガイ(ライアン・レイノルズ)。毎日決まった時間に起床しブルーのシャツにベージュのズボンで出勤。決まったカフェでコーヒーを買い、欲しいスニーカーは高価だからと眺めるだけ。勤務中には必ず銀行強盗/サングラス族が現れ被害に遭う。そんなプログラムされた機械的な行動しかしないモブキャラ(=NPC:ノンプレイヤーキャラクター)。

ある日見つけてしまった。運命の女性・モロトフ・ガールを。そして、サングラス族の象徴である眼鏡を奪って掛けてみたら…世界が変わった。

 

ライアン・レイノルズがモブキャラ?!」

元々は2020年7月公開予定だった作品。VRゲーム世界に住むモブキャラ…近年ではデッドプール役でお馴染みのキレッキレな俳優がそんな地味キャラには収まるまい、さぞ面白い感じになるんやろうな~と予告編でワクワクしたのが大体2020年年明け頃。

未だ渦中の疫病のせいで、公開延期に次ぐ延期。「一体いつお目見えするのかね」そう思っていた2021年夏。4回の公開延期を経てようやく観る事が出来ました。

 

VRどころか。テレビゲームを始めとするゲーム機器に一切触れた経験のない当方。なので「ゲーム界あるある」を語る事は出来ません。先んじてお断りしておきます。

 

ゲーム世界が舞台の映画。近年でいうと『ピクセル』や『レディ・プレイヤー1』などと同じく「極彩色の世界で異次元なキャラクターが縦横無尽に動き回る」という視覚的高揚感。

ゲーム世界で俺は無敵!ハンサムでマッチョ。美女を侍らせつつ有り余る力をふんだんに行使する。俺はこの仮想空間では人気者…現実ではひ弱でコミュニケーション弱者だけれども。そういう現実社会ではイケていない主人公が実は…というパターンが多かった記憶がありますが。

 

今回はちょっと様相が違う。何しろ現実社会のプレイヤーが存在しない、ゲーム内にプログラムされたNPCが主人公。そんな「決められた行動しかしない」はずの主人公・ガイが運命の女性・モロトフ・ガールを見つけて恋に落ちた所から自我が芽生えてAI人工知能に変化していく。

 

これまでは、所謂「他人の褌で相撲を取る」(他人の物を利用して、自分の利益を図る。自分は犠牲を払わずに平気で人のもので事を行うことの例え)という感じで「イケてない現実社会を見ない様にしてゲーム社会で人気者になっていた主人公が、ゲームを通じて知り合った仲間から成長し…ちゃっかりリアルな恋人も得る」という流れが多かったと思うのですが。

主人公ガイは他人の褌で土俵に上がる力士(現実社会に実体がある連中)とは違う。常に土俵にいて「は~っけよ~い」と声をあげる行司のような存在。戦う者ではないが常にそこに居る。けれどそんな当たり前の存在に意思が発生し、役割を変えてきた(相撲にもとんと詳しくないので…お叱りを受ける前に撤退!)。

 

とはいえ。お話を進めるためにはプレイヤーの現実社会事情は必須。ここでは『フリー・シティ』というゲームを販売しているゲーム会社・スナミ・スタジオのプログラマー、キーズ(ジョー・チーリ)とかつてキーズと一緒にゲーム製作をしていた友人のミリー(ジョディ・チーリー)が主軸で関わってくる。

というのも。『フリー・シティ』は二人がかつて共同で製作していたゲームが盗用されたものだったから。

骨格コードをスナミ・スタジオの悪徳社長(タイカ・ワイティティ)に奪われた過去にご立腹なミリー。訴訟するのに必要な「ミッション56」を入手するべく、毎日『フリー・シティ』にモロトフ・ガールとしてアクセスし、ゲーム世界を捜査していた。そんな折、ゲーム内のモブキャラに一目ぼれされてしまった。

 

「私に釣り合いたいんなら、もっとレベルを上げてきなさいよ!」そう言って撒いたと思ったのに。地味にレベルを上げるガイ。その方法は「正しいことをすること」。

本来、サングラス族(プレイヤー)が暴力・破壊的的行為を行うことでレベルが上がるというレギュレーション。しかし元々暴力を受ける側=モブの立場であるガイは、暴力・破壊行為を行うサングラス族をやっつけることでレベルを上げる。

「おい。なんだなんだこいつ」プレイヤーたちの間でもガイの存在は見逃せないものとなっていき…次第に『ブルー・シャツ・ガイ』と呼ばれ人気者になっていく。

 

なし崩し的にスナミ・スタジオの社員なっていたキーズが悪徳社長に「ガイとは何者か調べろ」「ガイを消せ!」と命令されて探っていくうちに、ガイを通じて、疎遠になっていた関係が再び繋がっていくキーズとミリー。

 

順を追ってダラダラ内容を綴っていくのもアレなんで。ここからの顛末はあやふやにしていこうと思うのですが。

 

この作品の主人公は、間違いなくVRゲーム内に生きるガイ。恋をしたことで自我が目覚めてAI人工知能として変化していく姿は、周りのモブキャラ達にも伝播していく…その流れはなかなかグッとくるものがありましたが。

現実社会に生きるキャラター達が、やはり先人たちの作品と似通ったパターンを辿ったなと思った当方。ひいては「他人の褌で~」。

「何故ガイが自我に目覚めたと思う?実は彼には一つのプログラムが仕込まれていたんだ」「これはラブレターだ」ゲームを通じて現実社会も上手くいく。

「ハッ!そんな上手くいくか~い!」映画館でマスクの下、真顔で突っ込むしかなかった当方。

 

あと、新進気鋭のベンチャー企業の社長があんな原始的なキレ方するんですかね?「今のバージョンが人気すぎて、続編の予約率が6割減」が悪徳社長の「ガイを消せ!」の原動力なんですが。仮にもIT系お仕事会社のトップでしょうが。

 

諸々「風呂敷の畳み方…」と思う部分もありましたが。やはりゲーム世界が舞台という自由度が高い画面で映し出される映像はワクワクしましたし…何より4回も公開延期された作品をやっと観る事が出来たという満足感で一杯になりました。

 

公開より随分経ってしまいましたが、もし観られるのならば大きいスクリーンで。こういう作品は自宅テレビ画面は味気ないです。

映画部活動報告「アメリカン・ユートピア」「ストップ・メイキング・センス」

アメリカン・ユートピア「と「ストップ・メイキング・センス」観ました。
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「デイヴィッド・バーン×スパイク・リー 一生に一度の、至福の体験!」

2021年7月30日公開。音楽好きな人たちからの「すっげえやつが来たぞ!」という大絶賛に「とは言っても当方は音楽にはとんと疎いんで…」と始めは引け腰だったのですが。それでも何だか気になって映画館で観たのが8月上旬。

鑑賞後「一体何を観せられたんだ…」自失呆然。

余りの熱量…陳腐ではありますが『エンターテイメントの力』に圧倒されて、脳内の整理がつかず。

そのまま、夏バテもありだらだら日にちだけが過ぎていましたが。

 

先日、一旦逃した期間限定上映の再期間限定上映「ストップ・メイキング・センス」を鑑賞。興奮冷めやらぬまま同日そのまま「アメリカン・ユートピア」を再鑑賞(再だらけの文章)。

間に「ストップ・メイキング・センス」を挟んだ事でより世界観が見えた今、この瞬間を逃すまいと勢いで感想文を書いていきたいと思います。

後。当方以外の誰もが「知らんがな」という、この「映画部活動報告のルール」。

それは「映画館で観た映画全ての感想を書く」「観た順番を飛ばさない、入れ替えない」というものなのですが。流石にこれは同時に語るべきだと判断しましたので、イレギュラーに進めていきたいと思います。

 

前置きが長くなりました。

感想文が〜と書きながら当方が思うのは「少しでも興味があるのならば、映画館で観て欲しい」ということ。

アメリカン・ユートピア」は2019年秋からブロードウェイで始まったショー。元トーキング・ヘッズのフロントマン、ディヴッド・バーンと11人の仲間たちで繰り広げるパフォーマンス。揃って皆グレーのスーツと裸足の出で立ち。配線を無くしたパーカッション集団とコンテンポラリーダンサーの、マーチング・バンド形式の音楽とダンスの融合。シンプルであり、どこかユーモラス。けれどしっかりと現在のアメリカが抱える問題に提起する。

ブロードウェイで大評判となり、再演を熱望されながらも2020年から始まる世界的コロナ禍により幻となってしまった…そんな「2年前ならアメリカに行って実際に鑑賞できたかもしれない」ショーが。今は誰も見る事が出来ない。けれど映画館なら観る事が出来る。これは行くしかない。

 

1984年。当時最高潮にノッていた、トーキング・ヘッズのライブを撮影した「ストップ・メイキング・センス」。

今から36年前のディヴッド・バーンのキレッキレな歌とギター。そしてダンス。

「こんなに動き回って息も切らさず歌っている!」

いやいや、プロのボーカルなんやからと言われるのかもしれませんが。それにしても凄い。

そして一緒に演奏している仲間たち、ダンサーの笑顔。皆の高揚した気持ちがひしひしと伝わる。楽しくて楽しくて仕方がない。

 

そして。36年前の作品を観てから改めて鑑賞すると「ああ。こういう始まりが好きなんだな」とか「36年前のライブとは違うトーンだけれど、時を重ねた事で深みが出るんだな。同じ曲なのに違った風に感じる」「36年前はほとばしる勢いがあった。けれど荒削りにも感じる。それがブラッシュアップされて、スタイリッシュになった。とはいえ、根底に流れる思いは大きくは変わっていないように思える」

 

舞台の幕が開いて。ディヴッド・バーンが一人でラジカセのテープに合わせてギターを弾いた。

そこから仲間が一人増え、二人増え…皆で音楽を奏でた。

それから36年。再び一人で現れたディヴッド・バーンは観客に脳の繋がりを示しながら「感じろ」と歌う。そしてダンサーが、パーカッションの面々が増えていく。

この、メンバーの登場のし方も、ダンサーもマーチングバンドの動きも…全てが気持ち良い。

歳を重ねたディヴッド・バーンは、かつてのような激しいダンスは踊らないけれど、それでも伸びやかな歌声は健在。曲と曲の間にユーモラスなMCを挟み、テンポ良く繋いでいく。

 

トーキングヘッズの歌を織り交ぜつつ、2019年当時アメリカが抱えていた社会問題にも切り込む。

移民問題。差別。選挙に参加すること。銃の所持について。社会的なメッセージであるけれど、一辺倒ではなく説教臭くもない…それはひとえに彼らのパフォーマンスセンスの賜物だろうと思う当方。

 

冒頭から脳内の興奮物質がダダ漏れだった当方は、最終的にはタオルを顔に当てて涙を拭っていた。それは「こんなに楽しい場所があるなんて!」という感情崩壊。

演者たちと観客が一緒になる。文字通りの絵面。

切り取られた舞台が無くなった後、演者が舞台から飛び出して…劇場全体が「ユートピア」になった。

泣いて笑って手を叩いて。なんて最高なんやろう。

 

エンドロールで流れた「例の合唱団のバージョン」にまたホロっときた当方。

 

因みに。8月に鑑賞した直後、音楽・ライブ大好きな知り合いにお勧めした所、「エンターテイメントの力よ!いいモノ観させて頂きました!」と大興奮の嵐。そうでしょうよ!

 

音楽、演劇、映画…あらゆるエンターテイメント好きな人に全力で推したい作品です。

映画部活動報告「キネマの神様」

「キネマの神様」観ました。
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松竹映画100周年記念作品。原作は原田マハの同名小説。監督山田洋次(89)作品。

 

ギャンブルと酒に溺れ。借金まみれの不良老人・丸山郷直(ゴウ)。妻と娘に見放される寸前の彼には、1950~60年代の若かりし頃に『活動屋』として映画監督を目指していた助監督時代があった。

若かりし頃のゴウを菅田将暉、年老いたゴウを沢田研二。後にゴウの妻となった、定食屋の淑子ちゃんを永野芽郁宮本信子が演じた。

 

当方は原作小説未読でして。なので「元々の小説がどういう内容だったのか」という比較はできません。また、かなりのネタバレを絡めながらの内容になる事を先んじてお詫びします。

 

2020年の幕開けすぐ。年老いたゴウを志村けんで撮り進めていたこと。その最中で新型コロナ肺炎に罹患し死去されたこと。緊急事態宣言が発令され、撮影が一時中断を余儀なくされたこと。志村けんの友人である沢田研二が遺稿を継いだこと(今回全員継承略で統一しています)。

未だ出口の見えない疫病の、さわりの頃に紆余曲折があった作品だと見聞きしていたのもあって。久しぶりに山田洋次監督作品を観に行こうかと映画館で鑑賞してきました。

 

鑑賞後の率直な感想を言えば「いやいやいや」と突っ込みたい部分が有り余るほどにあるのですが。いきなりそれらに触れるのはよろしくないと思うので…ひとまずは「89歳の御大の新作が映画館で拝めたこと」に感謝したいと思います。

 

酒とギャンブルに溺れ、ゴウの借金に家族も巻き添えを食らう…そんな円山家。ゴウと妻淑子。そしてシングルマザーの娘の渉(寺島しのぶ)と孫の勇太。

業を煮やした渉に、銀行口座のカードを取り上げられた。喧嘩した挙句「お父さんには映画があるじゃないの!」とどやされ、行き場を無くし馴染みの映画館『テアトル銀幕』に向かうゴウ。そこはかつて撮影所で共に働いた友人、テラシンこと寺林新太郎(小林稔侍)が営む名画座だった。

1950年代。撮影所で助監督として働いていたゴウ。よく一緒に仕事をしていたのは『出水組』を率いていた出水宏監督(リリーフランキー)や彼の作品に出ていた女優、桂園子(北川景子)。そして出来上がったフイルムを撮影所内で試写する際の技師がテラシン(野田洋次郎)だった。

映画漬けの日々。撮影所の近くにある定食屋の看板娘淑子も交えての映画談義。共に青春を駆け抜けた。恋と友情。

そして「皆が見たことがない映画を作りたい」と熱く語っていたゴウの初監督作品『キネマの神様』の撮影中に起きたトラブル。そこで挫折し、映画監督は夢半ばで諦めてしまった。

 

現代パートからスタートする本編。見た目からなにから全てだらしないゴウに「これは好きになれない主人公かな…」と険しい表情を崩せなかった当方が「おや?」となったのが若かりし頃のゴウ。まるで別人。

というか。早くもグチグチ言い始めますがねえ…どう考えても「過去と未来のゴウが繋がらない。いくらなんでも説明不足過ぎる」と思うんですわ。

 

若かりし頃のゴウが余りにも映画に向かって一生懸命な好青年なんで。「ここからどうなったら博打に溺れるのかね?」過去と現在を繋ぐ描写が皆無な上に、エピソードもほぼなし(無くはない)。夢と希望が折られてからの現在、円山家は一体どうやって暮らしてここまできたんだ。

 

現代。出版社に勤める派遣社員の渉。離婚し一人息子を育てているが、どうやら息子は引きこもりがち(ここの事情もイマイチ明かされない。この孫、一体幾つなんだ)。

最終的には見放さないけれど、両親への当たりがヒステリックな渉(当方はヒステリックで直ぐに大声を出す人物は男女を問わず苦手)。けれど最もアカンのは妻淑子。「お父さんには私しかいないから」とどこまでもゴウを甘やかす。

 

「なんで?なんでそんな感じになっちゃうの?淑子そんなキャラクターじゃなかったやん。」

 

若かりし頃。撮影所の近くにある定食屋の看板娘で、しょっちゅう撮影所にも出前で足を踏み入れた。天真爛漫で皆に「淑子ちゃん」と可愛がられ、顔なじみだったゴウと後に恋人になった。けれど、その事でゴウとテラシンとの友情にヒビが入ってしまう。何故ならテラシンが淑子に恋心を抱いている事を見抜き、告白するように後押ししたのがゴウだったから。

 

「淑子ちゃんの気持ちを知っていたのに僕を焚きつけたのか!」失恋の悲しさ、ゴウの裏切り(テラシンの告白をきっかけに両想いと分かって付き合うこととなったゴウと淑子)に逆上し、絶交宣言をしたテラシン。

 

「以降の二人の友情、どうなったん?その後初監督作品が幻となって、挫折したゴウと淑子で駆け落ち同様にゴウの故郷岡山に向かった所で過去のパート終わってましたけれど。現在名画座のオーナーをしているテラシンの映画館に入り浸るゴウ…どういう和解をしたんだ。」

「岡山で所帯を持った?二人が再び東京で一軒家に娘と二世帯同居していて、お金が無いと言いながらどうやって生活しているのかもよく分からんけれど…淑子がふと求人を見かけてバイト面接に行った先がテラシンの映画館で、そこで50年以上ぶりに再会?ですか?」

 

止められない。観ていてもやもやしていたところがどんどん出てきてしまう。

 

「何よりも。現在のゴウ、映画が好きな人には見えないんよな。」

 

テラシンの映画館で。「明日から上映する作品のテストなんだ」と営業時間外にテスト上映していた古い作品を観るゴウ。「ああ。誰だれ監督が。俺、この女優の瞳に映っているんだぜ。」テラシンとそういういかにも業界人な会話をしたりもしていましたが。

 

「古い映画以外の話題が無い。多分観ていないな。」「映画館で映画を観る事が好きな人間は、上映開始から随分たった劇場に物音を立てて入らない(そもそも入れない)。」「映画上映中に大声で話さない。」「ゴウにとっては本望かもしれないけれど、最後の下りも周囲には大迷惑。」「本編上映中止案件やんか。」

 

 

撮影半ばで幻となってしまった『キネマの神様』。その脚本を引きこもりの孫が見つけた。ゴウを焚きつけ、二人三脚で現代風に作り直し。それをシナリオ大賞に応募したら見事大賞に輝いた。

そこからの、映画館オーナー、テラシンの『映画館の私物化行為』にも腹立たしさを感じた当方。

オーナーの知り合いか知らんけれど、上映を待つ間に「お客さん!聞いてください。この男が遂にやりました!」と大声を出しながらステージ前に見知らぬ年寄りを引っ張りだす。当方が客なら心底どうでもいい。

 

まあ、グダグダ書き連ねるのもアレなんで程々にしますが。兎に角「過去パートは結構いいのに現在パートは辻褄が合わないし雑なんですわ。」というのが当方の感想。

 

とはいえ、流石御大。俳優、特に女優陣を美しく撮っていたのには感服。

永野芽郁の愛らしさ。そして北川景子の大女優感。

北川景子ってこんなに綺麗だったのか…。」スクリーンに映える。

2020年、初回の緊急事態宣言下で映画館が休館を余儀なくされたことを嘆いていたシーンには思わず涙がでた当方。

等々、胸を打つ場面もあるにはあったのですが…どうもそれを超える「ん?ちょっと待って。」が多すぎた作品。

 

ですが。きっとこの作品は「世に送り出す」ことが大義だったのだろう。色んな事が未だ渦中な最中で紆余曲折を経て映画館に辿り着いた。

そう思うと『松竹映画100周年記念作品』の冠も感慨深いです。

映画部活動報告「サイコ・ゴアマン」

「サイコ・ゴアマン」観ました。
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はるか太古の昔。ガイガックスという惑星ではてしない力を使い、宇宙におけるすべての正義を一掃しようとした悪魔が居た。

悪魔は〈残虐宇宙人〉と呼ばれ恐れられたが。正義の味方集団〈テンプル騎士団〉によって制圧され、力を封じられた〈残虐宇宙人〉は遠く離れた地球のとある庭に葬られた。

悪魔が眠りから覚め、封印が解かれる時…それは全ての者にとっての破滅を意味する。

 

時が流れ…偶然封印が解かれた。

しかも8歳の少女・ミミとその兄・ルークによって。

〈残虐宇宙人〉はすぐさま残虐の限りを尽くそうとするが、破茶滅茶な少女ミミに自身の力を操ることが出来る宝石を奪われていた。

 

「なにこれ。絶対好きなやつやん」

映画館で予告編を見るたびに感じていた「このチープでキッチュな雰囲気。間違いなく当方の心を掴んでくるタイプのやつですわ」。お楽しみ感が半端なくて。実は公開初日に観に行ってきました。

 

ティーヴン・コスタンスキ監督。カナダが誇る〈アストロン6〉の一人であり、彼らの過去作品には『ターボキッド』がある。と後から知った当方。

「『ターボキッド』‼あの『チャリンコ版マッド・マックス』の‼クサクサしていた気持ちを一掃してくれた最高にキッチュなボーイ・ミーツ・ガール作品やんか‼」(←興奮し過ぎて語彙力が底辺まで落ちています)。

watanabeseijin.hatenablog.com

 

「本作は、80年代と90年代の低予算ジャンル映画への私の愛情から生まれました」

パンフレットに寄せられた、スティーヴン・コスタンスキ監督からのメッセージ。

そんなの、嫌いになんてなれない…という事で、今回は完全にデレデレした感想になる事を先んじてお詫びしてます。

 

折角太古からの眠りから目覚めたのに、己の力を封じ込めてある宝石を8歳の少女ミミに奪われた。この宝石が無ければまだ完全体には戻れないのに…けれどこのミミが…手の付けられない悪ガキだった。

 

おそらく内弁慶。友達が居らず、いつも兄のルークとつるんでいる。ルークの友達アレックスに恋しているがそれを恋だとは認めていない。

生意気で自分勝手。いつだって自分最高で、兄は手下。〈残虐宇宙人〉だって怖くない。寧ろ見てみて!私の新しいオモチャ!という感覚。

 

「ねえ。どこから来たの?」という問いに、熱くこれまでのヒストリーを語った〈残虐宇宙人〉のエピソードも、早々に興味を失い離脱。上の空。

「そんな名前じゃなくてさあ…サイコ・ゴアマン!略してPGね!」勝手に改名。超マイペースで勝手。(以降当方の表記もPGで統一します)

宝石の所有者の命令は絶対という仕組みに有頂天なミミ。心中穏やかではないPGをものともせずに好き勝手町中を連れまわしていた。

 

ちょうどその頃。はるか彼方の惑星、ガイガックスでもPGの覚醒を察知。緊急で宇宙会議が行われた結果〈テンプル騎士団〉の最強宇宙怪人パンドラが地球に送り込まれることとなった。

一方地球。ミミたちからテレビを与えられたPGは電波を利用し、かつての仲間〈暗黒の勇士たち〉へ集合するようメッセージを発信していた。

 

宇宙全体から見ると「かつて宇宙を制覇しようとした悪魔の封印が解かれた!これは我々の破滅を意味するぞ!」という絶体絶命な有事。

けれど。悪の権化・PGの目線では「かつて俺たちは〈テンプル騎士団〉から奴隷のような扱いを受けてきた。強制労働の中で見つけた宝石を手にしたことで力を得て立ちあがった。有り余る力で暴力、破壊を尽くしていたら〈テンプル騎士団〉の連中に捕まり封じ込められたんだ」と変化する。

正義VS.悪。宇宙の平和を守るという点では〈テンプル騎士団〉に味方したい。そう思うけれど…「さあヤッテやるぞ!」といきり立つ気持ちとは裏腹に、宝石を持つミミに牛耳られているPGのモダモダしている姿に愛着が湧いてくる。

そしてミミは「そんなの知らない。一緒に遊ぼう!」の一点突破。強い。

 

完全無敵のミミに振り回される周囲にも笑えるけれど、ミミの家族は皆個性が立っている。

兄のルーク。臆病。父親のグレッグは絶賛無職で毎日ダラダラしており、そんな夫にキレている母親のスーザン。

 

最終。〈暗黒の勇士たち〉との闘いで戦闘力が落ちたPGを、待ち構えていたテンプル騎士団最強宇宙怪人パンドラの戦い…にがっつり食い込んでくるこの家族。

「知らんがな!」という夫婦喧嘩。「いつまでも妹の言いなりになるもんか!」という兄弟喧嘩。

そんな内輪もめと宇宙の平和を守る戦いが同時に行われる。しかも2チームに分かれた『クレイジーボール』というボールゲームで。

 

この『クレイジーボール』ってやつ。ミミとルークがやたら夢中になって遊んでいるボールゲームなんですが。もう一つたりとも当方には説明できないゲームルール。

「同数の選手で2つのチームを組む」「レディー/セット/クレイジーボールの掛け声の後、各チームから自分のクレイジーボールを相手チームから遠くに投げる」というボール二つでやり取りするんですが。そこからのルールが全然飲み込めない。

なので「どうせミミが考えた破茶滅茶な遊びなんやろう」と思っていたら…まさかのパンフレットに「カナダで14番目に人気のあるスポーツ」と紹介されていて、一瞬「えっ」となった当方。まあ…真偽のほどは…アレですが。

 

まあ。無理やりこじつけると…家族の絆とか、PGとの友情とか、相手を思いやることの大切さ…みたいなのもテーマとして持ってこれるんですが。何しろ圧倒的な「チープ&キッチュ!古き良き低予算映画へ捧ぐ」に満ちているんで。もう全身を委ねてヘラヘラ笑うしかない。

 

宇宙人たちの造形の懐かしさ。(その中の一人〈ウィッチマスター〉の声を黒沢あすかが担当していた所に「分かってんなあ~」と唸った当方。だって、カナダの監督があすか姐さんの存在を認識していたなんて!)何だかんだ結構冷酷非道な展開や顛末。当方的に大好きだったボンクラ父親のグレッグ。PGに名前で呼んでもらえないルーク。

そして圧倒的理不尽だった、ルークの友達アレックスの扱い。

なんでミミの「一生一緒にいたい」があんな事になるんだ。そして受け入れるな!アレックスとその家族!不憫にもほどがある。

 

こういう世界観が好きな人にはとことん嵌る。そうでない人には「一体何を観せられたんだ」としか言いようがないだろうけれど…思考回路を打ち切って、全身の力を抜いてヘラヘラ笑う。当方は好きなんで…楽しかったです。
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映画部活動報告「屋敷女」

屋敷女」観ました。
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「2000年代前半。フランスは時ならぬバイオレンス・ショッカー・ブームに沸いた。」「アレクサンドル・アジャの『ハイテンション』、パスカル・ロジェの『マーターズ』、サヴィエ・ジャンの『フロンティア』そしてジュリアン・モーリーアレクサンドル・バスティロのコンビが監督した『屋敷女』は最怖のフレンチホラーの四天王と呼ばれている。」

「映画史上最も邪悪な禁断の映像の数々で、2007年の日本公開時には大幅なカットを余儀なくされた。」

 

「そのヤバさ『アングスト/不安』超え、そのグロさ『ムカデ人間』以上!」

ムカデ人間以上?

 

随分とハイテンションな予告チラシがあるなと。行きつけの映画館ロビーでチラシを手に取った当方。フレンチホラー?全然馴染みがないけれど…そう思いながら読み進めていくうちに目に入った文言。「『ムカデ人間』を超えるだと」

 

何故か当方の映画部活動の中でも突出して受け取られがちな『ムカデ人間3部作』への愛。今は無き酒の場でも、迂闊に話題を振られようものならば、思わず延々と熱弁してしまっていた。

「グロさで比較しているのだとしたら『ムカデ人間2』だな。」

(『ムカデ人間』はホームビデオ。『ムカデ人間2』はマーティンに依る"できるかな♪″『ムカデ人間3』は茶番、というのが当方の見解。)

watanabeseijin.hatenablog.com

 

先んじてこの件について答えておくならば。「それはそれ。これはこれ。」

どうしても贔屓目が出てしまうのですが。「『ムカデ人間』は笑える」けれど「『屋敷女』は笑えない」と言うのが率直な感想。

 

クリスマス・イヴの夜。明日出産予定の妊婦のサラは自宅で猫と過ごしていたところ、見知らぬ女の訪問を受ける。

インターフォン越しにも伝わる、不気味で不穏な雰囲気。恐怖を感じたサラは警察に通報。女は姿を消し、安心して床についたはずが…黒い服に身を包んだ長い髪の女が自宅に侵入してきていた。しかも手にハサミを持って。

 

「怖えええええ~刃物を持った侵入者なんて一生出くわしたくない。」

 

ものすごい形相で、ひたすらサラに襲い掛かってくる女。勝手知ったる我が家なのに、女から逃げるためにバスルームに逃げ込んだサラには外界に緊急事態を知らせる術がない。

 

お話自体は超シンプル。一人で暮らす妊婦サラの家に見知らぬ女が刃物を持って乗り込んできた。目的はサラの殺害一択。けれどサラにとっては見知らぬ相手。何故相手が自分に殺意を持っているのかが分からない。

 

「何故相手がこんなに殺意を持っているのかが分からない」って…冒頭のシーンから観ている側には「いやいや。絶対あの時に関わっている人やろう」と直ぐ様お察しなんですが。そして最後の種明かしでも「だと思いましたよ!」とひねりの無さに声が出そうになった当方。じゃなきゃあ、ホンマモンの無差別殺人犯やないの。

 

この作品の見どころ…当方的には「一軒家を血みどろに汚していく快感」ですかね。

冒頭~オープニングの映像では正直「このCG嘘くさいな~」と思っていましたが。いざどんちゃん騒ぎが始まったら「血で汚れていくさまがリアルな感じ」で楽しくなってくる。

 

サラ宅。意外と来客者が多いんですよね。

初めにサラが通報した事でやって来た警察官たち。彼らは見回った後サラの家から去ったので無事でしたが。

職場の上司。サラの母親。そして異変を感じてやって来た警察官たち(先述したのとは別者)。

「一体何時だと思っているんだ」何もなければそう思ってしまうくらい、サラの家には次々来客者が訪れる…けれど誰もかれもが不穏な刃物女に太刀打ちできない。

 

「まあでも確かに。誰も扉を開けた先に狂人が圧倒的殺意を持って暴れているなんて思わないよな。」

当方が万が一そんな場面に出くわしたら…「早いところ痛くない様に殺してください」と懇願する。戦闘力ゼロ故無条件降伏しかありえない…と思っていましたが。あの猫の下りには震えるほどの怒りに襲われた当方。「お前は万死に値する‼」「いてまえ!」

 

妊婦のサラ。最後に立ち上がるまで概ね泣いているだけ…妊婦で動けないし、滅茶苦茶怖い。外界からは遮断された場所に閉じ込められているし、助けてくれそうな相手がことごとくやられていくいく様は精神を破壊されてもおかしくない。分かるけれど…サラが動きださないと話も停滞してしまうんですよね。

 

なので。「遂にサラのターンが来た!」となったところからの「ああああこれはあかん~。」という突き放しまくったオチに「確かに悪名高きと呼ばれるだけのことはある」と胸を悪くした当方(褒めてはいませんが、貶してもいません)。

 

終始全身に力が入っていたようで…鑑賞後には疲労困憊。とりあえず「こういった狂人を自宅に招き入れないためには」を考えてみた当方。

・セコムまたはアルソックなどの大手警備会社と個人契約する。

・その上で携帯電話以外にも警備会社に連絡できるツールを(できれば全室)に設置する。

・翌日に出産予定ならば前日から入院する。一人にならない(そもそも急な容態変化時に病院に連絡できない可能性がある)

・窓には雨戸またはシャッターを付け安易に外部から侵入されない様にする(ガラス窓にカーテンのみなんて入って来いといわんばかり)。

・『ホームアローン』を参考に自宅を武装する。

 

とんだクリスマス映画。翌日には我が子を抱いて幸せの絶頂のはずだったサラの痛ましい恐怖体験。2007年版が大幅にカットと修正を余儀なくされたとの事なので、今回ノーカット完全版を観る事が出来たのは貴重な体験でしたが(しかも1週間期間限定上映だった)。

「とりあえず。飲み会で手放しにネタに出来た『ムカデ人間』とは違う。下手したらこちらのモラルや常識まで疑われてしまう。」危ない危ない。

けれど。ひっそりと分かる人には話してみたい「『屋敷女』っていうヤバいフランス映画があってさあ…」。そういう作品です。