ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「エルヴィス」

「エルヴィス」観ました。f:id:watanabeseijin:20220814155911j:image

 

最多ヒットシングル記録151回、最も成功したソロアーティストで「キングオブ・ロックンロール」と呼ばれたエルヴィス・プレスリー

1935年にアメリカ・ミシシッピ州の貧しい家に生まれた白人の少年が、黒人音楽にもまれて育った。1954年にメンフィスにあるサンスタジオでのレコーディングでその才能を見いだされ、瞬く間にトップミュージシャンへと上り詰め…そして1977年、42歳の若さでその生涯を閉じた。

溢れんばかりの才能とセンス、圧倒的歌唱力と煽情的なダンス。一体エルヴィスとはどういう人物だったのか。

 

エルヴィス・プレスリーかあ…」

ラスベガスのホテルでのステージ。リーゼントともみあげ。中年太りをスパンコールぎっしりのジャンプスーツで包み。派手な首巻を振りながらねっとり歌う…いうならば晩年の印象が強く、若かりし頃の彼は知らなかった。

なので。今回の作品を観て「こういう人物だったのか…」と知った当方。

恰好良く粋でセクシー。「なんだかいけないものを見てしまった。興奮するなんてはしたないって思うけれど…体が動いちゃう」戸惑いながらも、いつの間にか立ち上がり嬌声を上げてしまう若い女性たち。

けれど。煽情的なアイコンの持ち主は「家族や仲間思いで情に厚く、寂しがりや」な人物だった。

 

主人公エルヴィスを演じたオースティン・バトラー。エルディスにしてはシュッとしてる(大阪の誉め言葉…)線が細いかなと思っていましたが。実際に映像で見たらこそれなりの説得力。成人くらいから晩年の40代までをしっかりと演じきっていた。

そして悪徳マネージャー、トム・パーカー大佐を演じたトム・ハンクス。どちらかといえば良い人キャラクターが多い彼は今回がっつり悪役。

 

実在したアーティストを描いた映画作品は昨今多く作られていて、それら観て当方が思うのは「いかに突出した才能を持っている個人がいたとしても、それを生かすか殺すかは取り巻く環境次第だな」ということ。

 

近年公開されたミュージシャンの自伝的映画は大体構成が似ていて『THEあの有名人の栄枯衰退物語』

「たぐいまれな才能を見いだされ、一気に頂点へと上り詰める」「若さゆえ調子に乗る」「金銭感覚が桁外れで浪費がち」「性に奔放」「保守的な人々から非難されるが熱狂的ファンに大ブーイングを受ける」「家族や仲間思いで情に厚い」「酒やドラッグに溺れる」「昔からの仲間に愛想をつかされ見放される」「とことん落ちぶれる」~からの「本領発揮となる大仕事が大成功」「エモーショナルなラスト」というオペラができている。今作もおおむねこの流れに乗っ取って進行しており、つくづく「環境が違えば…」と苦々しく思った当方。

 

1954年にサンレコードで才能を見いだされてエルヴィスは翌年の1955年にはパーカー大佐の薦めでRCAへとレコード会社を移籍している。

時代は1950年代。2度の世界大戦と経済不況の後。様々な不満と不安から差別が生まれる一方、景気の上昇とともに大衆文化が爆発していった。若者たちはエネルギーを持て余し、体制に押さえつけられる。こと性の解放については問題視されていた。

そんなフラストレーションの塊だった若者たちの前に現れたエルヴィスという存在。片方のつま先を立て、腰を振り煽情的に踊りながら歌うといったパフォーマンスは「社会への反抗=ロックンロール」という構図にピタリと収まった。

 

若者たちからの熱狂的支持を誇る一方、保守的な層からは「ロックンロールが青少年の非行の原因だ」と非難される。ついにはテレビ局からも骨盤ダンスをやめよとの通達がきた。おとなしく従うかと思いきや…大勢の観客の前ではじけ切ったパフォーマンスを披露、興奮した群衆により暴動まがいの事態に発展してしまう。

 

映画では、暴動ののち自宅謹慎状態であったエルディスのもとに届いた母グラディスの訃報。アメリカ陸軍へ1958年から2年間の徴兵生活。勤務地であった西ドイツのアメリカ軍で知り合った所属部体調の娘、プリシラとの出会いと結婚までテンポよく進んでいく。

 

若い妻と可愛いわが子に恵まれ、意気揚々と帰還したエルディスだったけれど…パーカー大佐が契約を取り付けた多すぎた映画出演(1956~1969年で31本!)。

よく言えばチープでキッチュ…はっきり言えば駄作が多く、次第にエルディスの経歴に陰りが見えてくる。

 

「もしパーカー大佐と出会ってなかったら?」エルヴィスの人生はどうなっていたのだろう。けれどそのたらればは無意味だと即座に打ち消す。

 

音楽活動も1962年までは比較的順調だったけれど…ビートルズの台頭に押され、エルディスは時代遅れになっていく。

 

パーカー大佐のプロデュース能力がまともなものであったなら。せめてワンマンではなく良心的な人材が揃ったチームであったら。

パーカー大佐。THE悪徳マネージャー。どこまでもエルディスに食らいつき、搾取し続けた。

世界中を回ってみたいというエルディスの夢を、自身の都合で決して実現させなかった。

 

結局…若いころに自身の才能を開花し世間の注目を浴び、称賛されてしまうと年齢を重ねるにつれて反動がきてしまうということなのか。

時代と自身がシンクロしなくなっていく。加齢に伴い次第に無理がきかなくなっていく己に強く感じる『老い』。若いころ、反骨精神を持っていたからこそ強く感じてしまう『落ちぶれた自分』。始めこそ認めたくない、そんなはずじゃないとあがくけれど…諦観に至ってしまう。精神的フォローとチームでのバックアップ不在の顛末。

 

自身のギャンブルによる借金をチャラにするために、エルディスをラスベガスのホテルに売ったパーカー大佐。

始めこそラスベガスでのコンサートは大成功に終わったけれど。これがホテルによる恒例ディナーショーになるとマンネリ化してしまう。そりゃあそうやろう…。

 

けれど。パーカー大佐の搾取を感じながらも結局彼を切り捨てることができなかった。それが「家族や仲間思いで情に厚く、寂しがりや」なエルディスの性。哀しい。

 

最後。しんみりしてしまった幕切れ。あの歌声に「やっぱりエエ声…」とうっとりする反面、42歳という若さにため息が止まらなかった。

 

栄枯衰退を絵にかいたような…今回改めてエルディスの人となりを知った。

太く短く駆け抜けた…尖って強く見えるけれど実は脆くて。ずっともがいていたのに過ぎ去ってしまえば夢のような生き様…「キングオブ・ロックンロール」。