ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「ハッチング 孵化」

「ハッチング 孵化」観ました。
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第38回サンダンス映画祭でプレミアム上映された、フィンランド発のホラー作品。

監督はハンナ・ベルイホルム。原案・脚本はイリヤ・ラウツイ。主人公ティンヤは1200人のオーディションから選ばれたシーリ・ソラリンナが演じた。

 

12歳のティンヤ。両親と弟の4人暮らし。母親は動画SNSサイトの『素敵な毎日』というブログで日々の生活を世界に発信するのに夢中。

 

「包容力があって優しい夫と、可愛くて素直な娘と息子」「幸せな家族」「ハイセンスな生活?ううんこれが私たちにとっては当たり前なの」

 

母親の幸せ自慢動画撮影から幕が上がったと思いきや~窓からガラスをぶち破って入ってきた闖入者。

室内を飛び回り、物をなぎ倒し、装飾品を割る。家族の阿鼻叫喚の中、捕まったソイツ…鳥を外に放つのかと思いきや。首をへし折り、ゴミ箱に捨てる母親。

「こいつはなかなか不穏な…」のっけから闇全開。これは…期待できる。

 

その夜、鳥のうめき声が聞こえた気がして、家を出てふらふら森へ歩き出したティンヤは、奇妙な卵を見つけた。

思わず自宅まで持ち帰ったけれど。家族に見せるわけにはいかない。

自分のベットで温めることにしたティンヤ。次第に卵は大きくなっていって、ついに孵化し現れたソレ=アッリ(水鳥)は幸せな家族の虚構をはぎ取ってく…。

 

とにかく母親がうっとうしい。自己顕示欲が強く、その矛先がおおむねティンヤに向けられている。

「うちの娘ティンヤ。可愛くて、体操選手としても優秀なの。」

母親は元体操選手だったらしいが、怪我で選手生命を絶たれた過去があるらしく。ティンヤを体操教室に通わせ、過剰なプレッシャーをかけている。

 

もっと。今のままじゃダメ。もっと頑張らないと。ママをがっかりさせちゃう。

 

手に血をにじませて練習に励むティンヤ。実際には大会メンバーに入れるかも微妙なラインだけれど、ママに認めてもらうには大会優勝を目指さないと。

 

「よくないな~こういうの」

眉を顰める当方。こういう調子で終始『娘を私物化して自己顕示欲を満たそうとする母親』と『母親に認めてほしくて自分を押し殺し我慢を重ねる娘』の構造を見せつけられる。この二人に共通しているのは『承認欲求』。

 

かつて体操選手だったが選手生命を絶たれ、自分をアピールするポイントを失った。けれど…私の魅力が失われたわけじゃない。

「素敵な家族とハイソな生活」「見て。私はこんなに生き生きして暮らしている」「何ら不自由のない、満ち足りた毎日」

そのためにはティンヤが『成功品=よくできた子』じゃないと。

 

12歳。身も心も成長段階で不安定な時なのに。大好きな母親をがっかりさせたくなくて頑張っているティンヤ。けれどうまくいかない…体操だって、もっと上手な子が現れた。

 

ふつふつと湧いてくるフラストレーション。けれどその理由は考えたくない。

そんなころ…遂に巨大化した卵からアッリが孵化した。

 

ある日。母親の浮気現場に遭遇してしまった。出入りの修理屋テロ。動揺しているティンヤに母親が言った言葉が「ママね、恋してるの(言い回しうろ覚え)」。

 

普通は言い逃れをする案件。けれど「ティンヤも女の子ならわかるでしょう?」「女子同士の秘密ね」とさながらティーンエイジャーの恋バナ感覚にすり替える。挙句「週末にテロの家に一緒に行かない?」と持ち掛けてくる。正直神経を疑う。

 

ところが。まさかの不倫相手・テロが滅茶苦茶いい人なんですわ。

「何故あなたのような好人物があんな女と?(下品な言い方)」そう思わざるを得ない。恋人が娘を連れて遊びに来ても嫌な顔一つしない。

そして。ティンヤが無理をしていることをすぐに見抜いて的確に対応できる。

「すきなことをしたらいい」体操は母親のためじゃない、楽しんでするものだと諭す。

 

「何故この役回りを父親ができないんだ」

この作品における父親の無能さ。(やんちゃな弟はいかんせん幼いし「役立たず!」とは思わない。むしろ「お前殺されるぞ」という危うさがあった)。

とかくこの家族において男性陣の活躍がなさすぎる。

 

ティンヤのフラストレーションの権化としか思えなかったアッリ。不気味でどこにも愛嬌を見いだせないビジュアル。ティンヤの吐しゃ物しか食べないという(当方は)生理的に嫌悪してしまう光景(鳥って、母鳥がかみ砕いたモノを吐いて与えるらしいので、生態的には正解みたいですが)。

母親と認識しているティンヤ以外には凶暴で、口に出していないのにティンヤの心を乱す相手に対して凶行に及ぶ。(その描写がまた結構エグイ。隣の家に住むレータの不憫さよ…なまじ体操が上手かったゆえに)

 

不気味で凶暴。そんなアッリを何度も突き放そうとしたけれど、結局見捨てたり殺すことができなかったティンヤ。

成長し姿を変えていくアッリをついに隠し切れなくなったその時。

家族と…母親と対峙したとき。母親、ティンヤ、アッリに何が起きたのか。

 

「うわこの終わり方。個人的には嫌いじゃないけれど後味悪う~」

『承認欲求』でがんじがらめになっていた母親とティンヤ。そこに新たに加わったアッリ。

誰もが「これなら愛してもらえる?」という負のスパイラルから抜け出せない。そして結果…。

 

ハイブリットの誕生ととらえるべきなのか。ヒエラルキーの逆転を示すのか。それとも…。

 

もっと早くにただ一言「ありのままでいいんだよ」と言ってあげたら。母娘がその通りだと気持ちが落ち着いたら。本物の『素敵な毎日』が訪れただろうに…。

 

ただただ不穏で禍々しい。一見可愛いようでグロテスク。北欧の国フィンランドが放つホラーは、一筋縄でいかないおぞましい作品でした(褒めています)。

映画部活動報告「ドント・ルック・アップ」

「ドント・ルック・アップ」観ました。
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アダム・マッケイ監督。NETFLIX作品。

 

アメリカ。ミシガン州立大学天文学教室。地味に活動していた彼らが「半年後の確実に地球に衝突する巨大彗星」を発見してしまったからさあ大変、というお話。

天文学教授のランドール・ミンディをレオナルド・ディカプリオ。博士課程の学生ケイト・ディビアンスキーをジェニファー・ローレンスが演じた。

 

「あと半年後に巨大彗星が地球に衝突し人類は絶滅する。」

もしそんなニュースを目にしたら。当方はどういう行動をとるのだろう。

 

「もう無理して生きる意味なんてないな」即座に仕事を辞め。貯金を下ろし。好き勝手暴飲暴食して何も我慢なんかしない。だって「確実に衝突するし人類は絶対に死ぬ」と言っているから…なぜだろう。むしろ、最後の最後まで仕事を辞めずにできる限り普段通りに生活していそうな当方の方が想像がつく。

 

ミシガン州立大学天文学教授とその学生が、ある日「6か月後に地球に衝突する巨大彗星」を発見してしまった。何度軌道を計算しなおしても結果は同じ。彼らはNASAへ連絡。事実と認定され、NASAの惑星防衛調整室長のテディ・オグルソープ博士(モブ・ローガン)が出動する事態となった。

 

「これは大変だ」ホワイトハウスに有事を報告すべく向かった一同。しかし事の重大性は全く伝わらず暖簾に腕押し。問題を打破させるべく人気報道番組(という名のワイドショー番組)『デイリーリップ』の出演を果たすが。世間は「世界の終わり」よりも「歌姫と有名ラッパーとの破局」の方に興味津々で。

 

「世界の終わりに向けて」という一見シリアスなテーマを扱っているようで、この作品はあくまでコメディ。それもブラックユーモア路線。

 

「ありそう~」「こういう世論の雰囲気ありそう~」「有事に乗じて金儲けする奴いてそう~」毎度展開に苦笑い。

 

とにかく「ここで手を打っていればまだ人類は救われたかもしれないのに」の連続。

着々とタイムリミットは近づいているのに、ことごとく事の重大性が伝わらない。

 

女性大統領ジャニー・オーリアン(メリル・ストリープ)。初見では「とりあえず様子見」の軽い扱い。なのに、自身の政治家生命を問われるスキャンダルをうやむやにするために突然方向転換。真面目に事態に取り組む姿勢を見せた…と思いきや、肝心な時に大手企業CEOの口車に乗っておかしな方向に舵を切ってしまう。まさに風見鶏。

 

大手企業バッシュ社のCEOピーター・イッシャ-ウェル(マーク・ライアンス)。

胡散臭そうなスピリチュアル系コンテンツが盛り込まれたスマートフォン販売などをこなす…なんだかよくわからないけれどお金と権力はやたら持っているIT企業を率いるピーターは、人類の希望を託した『巨大惑星にスペースシャトルで体当たり作戦』を土壇場で強制的に中止させる。理由は「この彗星に貴重な物質レアアースが含まれており、人類の発展と生活の向上のためにはこれを利用しない手はない。」という理屈。

 

『デイリー・リップ』の女性キャスター、ブリー・エヴァティーケイト・ブランシェット)。緊張感をみなぎらせて現れたミンディとケイトに、初めは茶化した態度をとっていた。しかし、大統領の手のひら返しを目にするやミンディたちへの対応を一変。

特にミンディに対し色目を使いだし、妻子がいるミンディと不倫関係に発展する。

 

「みんな。真面目にやって!」

事の重大性に危機感を持ち、声を上げ続けたのはケイトくらい。けれど、不安を強くにじませた彼女の態度は世間からは「ヒステリック」「頭がおかしい」と避難されてしまう。(ミンディだって同じスタンスで訴え続けていたのに…悲しいかな男女の差なのか…)

 

こうなればバッシュ社の打ち出した『巨大彗星からレアアースを抜き出して衝突回避作戦』にすがりたいけれど…いかんせん、器械が計算しただけの計画で、有識者たちの査読が一切入っていない。博打にもほどがある。

 

繰り返しますが。とにかく「ここで手を打っていればまだ人類は救われたかもしれないのに」の連続。

 

イムリミットは近づいている。いよいよ肉眼で見えるくらいに彗星が近づいてきた。

そこでタイトルの「ドント・ルック・アップ」と「ルック・アップ」の水かけ論争が繰り広げられていく…もう…どうしようもないのに。

 

巨大彗星衝突による地球の終焉。それを事前に知っていたのに。くだらない見栄や欲が絡んで手が打てない。新しい意見が出るたびに人々は翻弄され、救われたい一心で縋り付く。結局終わりの日を迎えることになってしまう。因果応報とはこのことか。

 

「なんか…昨今の社会情勢やご時世が頭をよぎるな…」おそらく。今の時代にこの作品が作られたことのメッセージをふんだんに詰め込んでいる。

 

「ドント・ルック・アップ」空を見上げるな。都合の悪いことは見るな。そう叫んでも…実際に空を見上げればそこには例の彗星が存在している。確実に人類を追わらせることができるらしいそいつが。

 

「ルック・アップ」見るしかない。この世に生を受けたからにはいつかは死ぬ。そうわかっているからこそ、もう打つ手がないのならば自らの命を奪う相手をしっかり見なけば。未曽有の事態にどういう態度をとるべきか、見極めたい。悔いなく人生を終わらせるために。

 

世界の終わる日。もし確実にこの日だとわかったら。その日をどう過ごすのだろう。この作品の主要人物たちのラストはとても理想的だと思った当方。これがいい。これがいいな(映画『エンド・オブ・ザ・ワールド/2012年公開作品』も好きな終末)。

 

最後に。地球が崩壊した後の未来が映し出されたとき。「お前たち…そういうあさましさ!」「人類は繁栄しないぞ!」どこまでも皮肉な展開に突っ込まざるを得なかった当方。

 

テンポよく突き抜けたブラックコメディ映画…と見せかけて盛り込まれたメッセージは盛りだくさん。

果たしてそれを「ルック・アップ」か「ドント・ルック・アップ」とするか。

映画部活動報告「アネット」

「アネット」観ました
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バンド・スパークス(ロン&ラッセルのメイル兄弟)のオリジナルストーリーを基に作られたロックミュージカル。レオス・カラックス監督作品。

 

前衛的コメディアンのヘンリー(アダム・ドライバー)と死のオペラを歌うソプラノ歌手アン(マリオン・コティヤール)。挑発的なコメディアンと人気歌姫が恋に落ちた。

誰もがうらやむセレブカップル。美女と野獣。世間の注目を浴び、メディアに追い回される。ラブラブな二人。二人のため世界はあるの。けれどそんな日は長くは続かなかった。

娘のアネットを授かった。なのに次第に冷え込む夫婦の絆。アンは相変わらずの人気歌手。けれど、前衛的すぎるヘンリーの芸風は次第にコメディアンとしての人気を落としていく。

どんどん落ち目になり闇に落ちていくヘンリー。そんな時、家族の船旅で嵐に巻き込まれ船は難破。アンを失ってしまった。

 

「カラックス監督作品が!」「スパークスが!」…当方は「何となく映画館で流れていた予告で気になったから」「アダム・ドライバーが観たくて」という鑑賞動機しか持ち合わせておらず。彼らについて何ら語るすべを持っていません。あしからず。

 

「いやあ~今回とことん『悪いやつ』やったな~アダム・ドライバー

今作ではプロデユーサーも兼ねていたんですね。監督とスパークスにほれ込んでいるから。でも役柄はとことん『悪い父親』。

 

アダム・ドライバー演じるヘンリー。スタンダップ・コメディアン。舞台でマイク片手に客いじり。芸風は「俺様が低能なお前たちに会いにきてやったぜ 系」で、正直当方は全然好きじゃないタイプのやつ。

けれど、そんなヘンリーに大切な恋人ができた。オペラ歌手のアン。

 

「マリオン・コヤール滅茶苦茶歌上手い」

アカデミー主演女優賞『エディット・ピアフ~愛の賛歌~』があるし歌が上手いのは当然なのか。なんにしろ「人気ソプラノ歌手」の説得力が強い。

 

アンはオペラの中で何度も死ぬ。悲劇的な死の歌を歌うアンと、挑発的な芸風のヘンリー。さながら美女と野獣。世間は注目しマスコミに追いかけられ。羨望のまなざしを向けられた。二人は結婚し。そして、娘のアネットを授かった。

 

誰もがうらやむ幸福な生活。そうとしか見えなかった二人の関係が…次第に歪なものになっていく。

 

「ヘンリーよ。どうして満足しない」

 

いま居る場所を安住の地としたら幸せになれるのに。そう思うのは当方が歳を取ったからなんですかねえ。

かつてヘンリーと交際していた女性たちの告発によって知ってしまった、ヘンリーの暴力的な一面。不安になりおびえるようになっていくアンと、挑発的な芸風があだとなり落ち目になっていくヘンリー。文字通りの嵐の夜に船上で起きた悲劇。

 

オペラでは何度も死んだ。そして現実でも命を奪われた。生霊となり、娘のアネットにとりついたアン。なのに。

ある日聴いた、アネットの歌声がアンと同じと知ったヘンリーは『見世物』として世間に売り出すことを思いつき、実行する。

 

オペラでアンが歌っていた時にピアノ伴奏していた彼は、夢見ていた楽団の指揮者になった。そんなかつてのアンの仲間を引き込み、アネットのツアーを組むヘンリー。

 

「この指揮者がまた…いい奴なんですわ。そして彼が指揮者として登場するシーンが滅茶苦茶いい」。

ロックミュージカル映画なんで、随所に歌うシーンがあるんですが。指揮者の彼が歌いながら登場するシーンはかなり好み。

 

アンと結婚したけれど。安定した家庭を築けず崩壊した。残された娘のアネットを愛してはいるけれど、アンの歌声を持っていると気づいた途端、金になると判断し見世物にした。

 

「なんでかなあ。せめてここで止まっておけば、幸せになれるチャンスは残っていたような気がするのに」

 

もう誰もヘンリーのネタでは笑えない。コメディアン人生は終わった。けれど。アネットに才能があると知れば、今度はアネットのプロデユーサーとして世間に姿を見せる。

「お前はすごい」と言われたい承認欲求。はてない自己顕示欲の強さ。

 

そして。「余計なことを言うやつは消えろ」という、ヘンリーの抑えきれない暴力的な一面がさらなる悲劇を生んだ。

 

コメディアンとしての生命を絶たれ。それでもどうにかあがき続け。アネットの才能を見つけてからは野心と枯渇さを持って再びのし上がっていく。けれどその頂点にたどりつたと思ったとき。アンとアネットはヘンリーの罪を世間に暴露した。

 

アネットが人形、というのは斬新ではあるけれど「アンの歌声を持つ子ども」という設定を考えるとなるほどと思っていた当方。

けれど。最後の最後…姿を変えたアネットを目にしたとき「やっとアネットは両親から解き放たれたんだな」と感じた当方。

 

両親から課せられた呪縛。父親のヘンリーは自分を利用した。けれど…逝ってしまった母親のアンもまた、ヘンリーに復讐するためにアネットにとりついた。

まさに両親にとってアネットはお人形。己の欲望を満たすためにいいように扱える道具(ひどい言いかた…)。

 

けれど。両親には手の届かない場所に身を置けたとき…アネットに命が吹き込まれた。まあ…当方の勝手な解釈ですが。

 

この作品で、当方が最も好きだったのがオープニングとエンディング。特にオープニングシーンは当方指折りの名シーン(あくまで当社比)。

「今からなんかわくわくすることが始まるぞ!」という期待でいっぱいになる。

そして息つく間もなく一気に鑑賞してしまう。

最後のさみしくやるせない気持ちを撫でるように締めたエンディング。うっとりしてして…ためていた息を吐く。そんな余韻がたまらない作品でした。

 

 

映画部活動報告「TITANE/チタン」

「TITANE/チタン」観ました。

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第74回カンヌ国際映画祭最高賞受賞。主役のアレクシアを演じたアガト・ルセルは今作が長編デビュー。ジュリア・デユクルノー脚本・監督作品。

 

おなじみ「カンヌ騒然!」の文言。けれど『RAW~少女のめざめ~(2016年)』の監督作品と知って。「相当胸糞悪い思いをするだろうな(褒めています)」と思いながら鑑賞に至りましたが。

「一体何をみせられたのか」

街で見かけた、不思議な看板の店にふと興味を持って暖簾をくぐったが最後…無理やり引きずり込まれて、奇天烈な出し物を見せつけられた挙句その建物ごと爆発した、みたいな衝撃(何このたとえ)呆然自失。

 

幼いころに自動車事故で開頭手術を受けた主人公のアレクシアが成人し車とセックスして妊娠し出産する。

…ひとことでいえばそういうお話なんですけれども。

 

車に異常な興味と執着を持つ少女、アレクシア。自動車事故にあって開頭手術を受け、頭蓋骨を固定するために側頭部にチタンプレートを使用している。(「う~ん。子供の手術にあんまりチタンプレートは使わないけれどねえ(脳外科医談)」)

側頭部の傷跡が独特。そんなビジュアルを持つアレクシアは、成人した現在も車への執着が冷めやらず。モーターショーでショーガールとして生計を立てている。

日々モーターショーでセクシーなダンスを披露し観客を翻弄させてきたアレクシアは、ある夜車と情熱的なセックスをし、じきに妊娠したとわかる。

動揺し暴走した結果、連続殺人と放火を犯し、指名手配される羽目になったアレクシアはふと見かけた捜索願から『10年前に7歳で失踪した少年エイドリアン』に成りすますことを思いつく。

 

(今のところストーリーを順当に追っているんですがねえ。もうすでに「何て?」の連続)

 

顔面を自ら洗面台に打ち付け、鼻を骨折させて様相を変え。女性、ましてや妊娠中とばれないように胸とおなかにさらしを巻いて、エイドリアンの父親ヴァンサンと対面する。

 

とにかく暴力的で衝動に突き動かされるアレクシア。なれなれしく近づいてくるファンは容赦なく殺害。爆音とライトで煽ってくる大型車とセックス。ショーで知り合ったダンサーとイチャイチャしていたかと思うと殺害。同じ家にいた仲間も皆殺しと、とにかく容赦がなくてやりだしたら止まらない。

 

この作品に対して「なんか凄いもん観たけれど、一回観たらもう十分です」と言ってしまうのは間違いなく「痛い表現が多すぎる」から。

当方と、一つ空いて隣に座っていた見知らぬ男性。何度も「うっ」と息をのみ、体をすくめた。痛い。実際には感じていない痛覚が反応する。

アレクシアの長い髪をまとめる、金属の長いかんざし。おもむろにそれを引き抜き、相手に突き刺して殺害する。そのかんざしを自身に突き刺し堕胎を試みる。口の中に椅子の足を突っ込んでその椅子に座る。顔面を自ら洗面台に打ち付けて鼻を折る。

「いってえええ~」

序盤のシャワールームでのシーンで。イチャイチャしていた相手の乳首ピアスに濡れた髪の毛がからまったとき、力ずくで髪を引っ張った時点でのけぞった当方と男性。

 

「出会ったやつは必ず殺す!」そんな、やりたい放題の殺人鬼アレクシア。

なのに。17歳の少年エイドリアンに成りすべく、エイドリアンの父親ヴァンサンと体面したところからガラッと話は変わる。

そもそも。23歳の女性が何故17歳の少年に化けられると思うのか。(そこまで顔が似ているとも思わなかった)性別が違う。ましてやアレクシアは妊娠中で体も日々変わっていくのに…。

「まあ…トラブルが起きたらすぐ殺せばいいやと思ってたんやろうな」

 

エイドリアンの父親、ヴァンサン・消防署長。

7歳で失踪した息子を想って10年。警察署で薦められたDNA鑑定も拒否し、目の前に現れた人物を『俺の息子エイドリアン』と認定した。

消防署に隣接する宿舎兼自宅にアレクシアを連れ帰り、隊員たちにも「息子」と紹介し消防隊に入隊させた。

消防署長。体を鍛えてはいるけれど、ステロイドを筋肉注射しても加齢には勝てない。そんなヴァンサンを見ていると始めは「いつ寝首をかかれるか」とハラハラしてしまったけれど。

 

「お前が誰であろうがお前は俺の息子だ」

どう考えても17歳の息子じゃない。今同じ家で暮らしている相手は赤の他人で、しかも女性だ。けれどかたくなに「俺の息子だ」と譲らないヴァンサン。

それは…10年前に失ったエイドリアンへの贖罪。償うチャンスをもらえている事がたまらなくて。もう二度と離したくない。

(奇人変人が跋扈していた世界観で、唯一まともだったヴァンサンの元妻。あの人がいたからヴァンサンの異常性に背景が生まれたよ…)

 

圧倒的な狂気をはらむ相手。とまどい毒気を抜かれているうちに、次第にヴァンサンの大きすぎる愛情に包み込まれてしまったアレクシア。

 

(とはいえ。アレクシア決して両親から愛されていないようには見えなかった。自動車事故は不幸だったけれど。両親と実家に住んで、不遇な扱いなんて受けていなかった。勝手にアレクシアが道を外れていっただけで。)

 

暴力的で衝動に駆られて刹那的に生きてきたアレクシア。思いもよらない命を授かり戸惑っていた渦中で、圧倒的でゆるぎないな愛情をもつヴァンサンに出会い、そしてやっと安心できる居場所を見つけた…けれど。

 

「ああそうやった。チタンプレートが体内にある云々っていう設定があったな」「金属と人とが融合した赤子の誕生…それは怪物の誕生ととるべきか、それとも…」

 

「結局いったい何をみせられていたんだ」

 

 

こじつけて解釈するのは本意ではありませんので。観て感じたまま。とっ散らかったままに書いてみましたが。これは…想像以上にまとまらない…。

 

万人受けはしない。痛い描写が多くて再見したくない。けれど、たった一回観たその作品は頭と心を大混乱させ挙句爆発させる。壮大な何かを見せつけられた、そんな気持ちで呆然自失に至ってしまう。なのに。

エンドロールが流れるなか。マスクの下で満面の笑みを浮かべてしまった当方。

こういう作品に出会ってしまうんでねえ。映画はやめられないんですよ。

映画部活動報告「ナイトメア・アリー」

「ナイトメア・アリー」観ました。
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1946年に発表された、ウィリアム・リンゼイ・グレシャス著『ナイトメア・アリー 悪夢小路』。1947年に映画化された作品を、ギレルモ・デル・トロ監督が現代に蘇らせた。

 

主人公の青年スタン(ブラッドリー・クーパー)。

迷い込むようにたどり着いた奇妙なカーニバル『10フリーク・ショー』。そこは人間や人間ならざる者などが集まる、いわゆる見世物小屋だった。

なかでもジョーの気を引いたのが読心術。その技術を身に着けたスタンは、ショービジネス界での成功を夢見てトップに上りつめようとするが。

 

みんなが大好き、ギレルモ・デル・トロ監督。

シェイプ・オブ・ウォーター』がアカデミー賞作品賞を受賞したことですっかり大御所入り。『パシフィック・リム』大好きおじさんこと当方が所属する映画部の部長は「パシリムはなあ~」とうかつに話題に出そうものならば延々語ってしまう。

 

全ての作品を観たわけではありませんが、当方が一番好きなのは『パンズ・ラビリンス』。

2006年公開。当時の職場同僚女子が「なんかかわいい雰囲気やったから彼氏と観に行ったら最悪やった」とキレていたくらいの「入口と中身が全然違う」「下手したらトラウマになるキッツイ」作品。そういうの大好物。

 

独特のキャラクターデザイン。美術。かつてのティム・バートン監督を少し思わせる、キモかわいい(いやいや。どちらもかわいくはないな…)世界観。

 

この作品の予告編の塩梅が随分よさげだったので。どんな見世物小屋だろうかと期待して鑑賞に至りました。

 

で。率直な感想をまず言うと「因果応報」「それにしても、きれいにまとまっていたな~ちょっとなんというか…デルトロ監督らしくない」。

 

あくまでも持論ですが。デルトロ監督の作品っていわゆる「ジャイアンリサイタル」の印象なんですよね。「俺が好きな歌を俺の好きなように構成して魅せつける」という。超強引マイペースなストロングスタイル。

「ボエ~」にはじめこそおののき、合わない人はとことん合わない。けれどどこかはまる所が見つかったら一気に取り込まれてしまう。

知名度が上がりファンが増えてきたところで「新しいリサイタルだ!」とわくわくして参加したら、まさかの「きれいなジャイアン」が万人受けする上手な歌謡ショーを魅せてきた。そんな感じ(どんな感じだ)。

 

主人公のスタン。裸一貫から始まった彼が、さまよいながら辿り着いた、『10フリーク・ショー』古めかしいカーニバルには、様々な奇形を持つ、人なのか人ならざるものがよくわからない者たちが芸を見せる。

そこでスタンが興味を持ったのが『千里眼』という出し物。つまりは読心術で、初対面の観客の悩みなどを言い当ててしまう。舞台に立つジーナの家に居候し、彼女の夫で本物の読心術師ピートからノウハウを教わるスタン。

ピートは技術こそ一流でありながら、酒に溺れていてとても舞台に立てる状態ではなかった。

読心術の技術を身に着けたスタンは、カーニバルで恋に落ちた女芸人モリールーニー・マーラ)とカーニバルを後にする。

 

時は流れて。人を惹きつける天性の魅力。そこに読心術という武器が加わったスタンは、すっかり一流の興行師になっていた。

しかしさらに上り詰めたいと野心をもつスタンにとっては現状は飽き足らない。そんな時、ショーを見に来ていた女性精神科医リリスケイト・ブランシェット)と出会う。

 

読心術。相手の見た目やしぐさ、そして仕込みと時には度胸。ピートの手引書や経験を重ねることで技をブラッシュアップしてていたスタンに、リリスはとある提案をする。

それはリリスの悩める特別な顧客(=患者)相手に偽降霊を行うという詐欺行為だった。

 

カーニバルにいた頃。ピートが禁じていた「霊には手をだすな(言い回しうろ覚え)」。

読心術とは相手を観察し対話していくことで相手の背景を読んでいく技術。何も知らない相手は「なぜそんなことまで?!」「なんでも知っているんだね!」と心を委ねてしまう。けれど読心術を操れるということは全知全能ではない。

「俺はなんでも知っている」と勘違いするな。ましてや生きていない者には絶対に手を出してはいけない。

けれど。すっかり酒に飲まれていたピートの言葉などスタンには届いていなかった。

 

愛する者を失った痛みから立ち直ることができない。そんな悩める患者にリリスは「彼は霊と対話できる」とスタンを紹介しカウンセリングを行う。なぜそういう詐欺を行うのか。患者たちは揃って金持ちだから。スタンのカウンセリングに満足すれば患者はいくらでも金を払う。

 

電気モーター製造会社経営のエズラ・グリンドル。彼の機嫌を損ねる=死を覚悟しなければいけない。そんなアウトレイジすれすれの超大物。けれど彼は若いころに、恋人ドリーを中絶手術のあとに失ったことをずっと引きずっていた。

そんな怖い案件、絶対に踏み込んではいけないのに。手を出したが最後…やはり破滅へとまっしぐらとなったスタン。

 

正直、初めのカーニバルのシーンで『獣人』の出し物を観た時から。「これは…こういうお話になるんやろうな」と思っていた当方(ネタバレしないのでふんわり表記で進めます)。

母親に捨てられ酒に溺れた父親が嫌いだった。だから殺した。けれど父親が身に着けていた時計がずっと手放せなかった。

カーニバルで出会った読心術の師匠ピート。優れた才能と技術の持ち主なのに、彼もまた酒に溺れていた。

酒はだめだ。思考力を失わせ、人として堕ちていく。そういって酒を口にしないようにしていたのに…物語が進むにつれ、酒を飲み、酒量が増えていくスタン。

エディプスコンプレックス丸出しのスタンは行く先々で父親を殺し、そして自らも酒の力を借りながら底辺まで堕ちていく。そして堕ち切ったスタンが行きついた場所は。

 

スタンの急降下に胸を痛め「どこかで止まらんものか」と祈ったけれど…。

(あとねえ。酒飲みには辛い末路すぎる…作者のことを知った時も思ったけれど)

 

この作品のキャスティング。見ただけで「この人はこの役だ」とわかるくらいイメージ通りの配役だった。そして「ブラットリー・クーパーは大正解やったな」と思った当方(レオナルド・ディカプリオもそれはそれで違ったんやろうけれど)

人を惹きつける天性の魅力とカリスマ性を持つペテン師。そんなスタンを下品にならずに表現できる。そして何よりあのラストのシーンがもう…こんな表情ができるなんて。

 

勝手に期待した「ジャイアンリサイタル」が。きれいなジャイアンによる上手な歌謡ショーだった。起承転結が王道に収まったこの作品は決して良くなかったわけじゃない。ただちょっと…毒気がなくて拍子抜けしてしまっただけ。

 

今後のデル・トロ監督作品はどういう作風になっていくんですかね。

当方はまた「とんだトラウマ映画やったわ!」を観たいという気持ちが…あります。

映画部活動報告「SING/シング ネクストステージ」

「SING/シング ネクストステージ」観ました。
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潰れる寸前だった『ニュー・ムーン・シアター』。起死回生のオーディションを経て、すっかり地元で人気の劇場となった。

しかし。ムーンシアターの支配人、バスター(コアラ)にはまだ夢の続きがあった。

それは、エンターテイメントの聖地であるレッド・ジョア・シティーにある『クリスタル・タワー・シアター』でショーをすること。

お馴染みの仲間たちと向かったクリスタル・タワー・シアターのオーディション。そこで経営者のジミー・クリスタル(ライオン)の気を引くため、とっさに「隠遁生活を送っている大御所ロック歌手、グレイ・キャロウウェイ(ライオン)との共演」をにおわせてしまう。

全く興味を示していなかったジミーの態度が一変。ノリノリでショーの契約が成立してしまった。

ノープランの状態から。はたしてバスターたちは、夢の舞台で面識のないロック歌手との共演ショーを成功させることができるのか。

 

潰れる目前だった古びた劇場の、起死回生のオーディションからの復活劇。を描いた前作。

色んな動物が混在して暮らす世界。小柄なコアラの支配人バスターとジョシュのカメレオン、ミス・グローリーで虎視奮闘し仲間を集めた。

見た目に反してシャイな象のミーナ。ダメな彼氏のせいで魅力が発揮できていなかったハリネズミのロック少女アッシュ。アウトロー家族の中で歌手の夢が捨てられなかったゴリラのジョニー。そして…当方大好き、豚のロジータ&グンター!

25匹もの子供を持つママ、ロジータ。時々「私なんて…」と悩むけれど基本的には前向きで頑張り屋さん。そして「どこまでもとにかく明るいグンター!」

個性豊かな面々がうまいこと化学変化を起こし、最高の一座が生まれた。

(あれ?ネズミのマイクは…?続投していない…)

 

地元では知らない者がいない。そんな人気劇場になった。けれど…物足りない。

潜入記者にも指摘されてしまった「あなたたちの出し物は子供向けよ」。

それは悪いことではないけれど。もっと。もっと色んな人に見てほしい、自分たちのショーを。

そうなると。この田舎町にある劇場では役不足。もっと大きな舞台でやりたい。そう『クリスタル・タワー・シアター』で。

 

全年齢鑑賞可。歌って踊って、誰が観ても楽しめる。くじけてしまう時もあるけれど…頑張れば報われる!

苦しいこともあるだろさ。悲しいこともあるだろさ。だけど僕らはくじけない~泣くのは嫌だ!笑っちゃおう!進め~(ひょっこりひょうたん島

という、まっすぐすぎるくらいにまっすぐ。すっかり汚れちまつた悲しい中年当方ですが…嫌いじゃない。

なんというか。ここまでエンターテイメント全開でこられるともう…笑顔になるしかない。

今回使用された劇中歌が40曲以上?!「知ってる~」となるような曲も多く終始ノリノリ。

 

お馴染みの面々にも新しい悩みが生まれる。ダンスが苦手なジョニー。ダンスレッスンに参加するけれど、どうも講師とウマが合わなくて。

恋愛経験がないミーナは恋する女性を演じることができない。そして練習中突然襲われた高所恐怖症で配役交代することになったロジータ

各々「自信がない」「自信を失った」自分にしょんぼりしてしまうけれど。

ふと見かけたストリートダンサーからダンスの楽しさを学んだ。

窓の外でアイスを売っている青年に恋をした。

自分の代わりに主役になったジミーの娘、ポーシャが憎たらしかった。けれど…彼女には彼女の悩みがあった。そしてやっぱりこの役は…私にしかできない!

 

あまり使いたくない言葉なのですが。まさに「神は超えられる試練しか与えない」世界。

 

はったりをかませて勝ち取った夢の舞台。成功するには主催者であるバスターの努力は当然、面識のないロック歌手クレイの共演許可を得なければならない。

 

愛する妻を亡くし、すっかり厭世的になっていたクレイ。北風と太陽みたく。大声張り上げて「出演してください!」と騒がれるよりも、ロック少女アッシュがしんみり寄り添うことで心の扉が開いた。

 

とまあ。とにかく「開けない夜はない」という調子で畳みかけてくる。

 

誰もが、つまずいてもがいて…と苦しむなか。今回も頼もしかった「どこまでもとにかく明るいグンター!」グンターだけ一切のブレがなく陽気一辺倒。最高!

 

そしてクライマックス。たった一度の『クリスタル・タワー・シアターでのショー』。

満面の笑み。こんなんもう見たらたまりませんわ。

 

エンターテイメントの聖地、レッド・ジョア・シティー。ここで自分たちのショーをするのが夢だった。そしてその夢はかなえられた。けれど。ここで終わりではない。

 

自分たちのショーは一流の舞台ではどこまで通用するのか。一人で挑戦するのは怖い。けれど皆で一緒に乗り込んで、はったりかませてチャンスをつかんだ。

なれない環境に怖気ついて、自信が持てなくて押しつぶされそうになったけれど…見渡してみたら、周りにいるのは敵ではなかった。

確かに相容れない者もいる。けれど誰もがそうではない。自分がきちんと向き合えば答えてくれる者もいる。

 

一流のエンターテイメントシティでの経験は絶対に無駄ではない。けれど、自分たちには帰るべき劇場がある。そこが夢の続きの場所。

 

「こういう作品には子どもの頃に出会いたかった…」

まっすぐなまでにまっすぐな世界観。そして飽きる暇のないエンターテイメントの大波小波。泣いて笑って歌って踊って。どれだけわくわくしただろう。

(中年の当方は日本語字幕版一択でしたが。子どもだったら日本語吹き替え版を観たんですかね。)

 

正直、どんな作品でも続編は期待しないのですが。このクオリティの続編は大満足(何様だ)。

あとは…多分グンターが大好きすぎるのも大きい。突き抜けて明るいキャラクターは元気がでる(現実ではさておき)。

何年かおきにシリーズ化しそうな予感。今のところはついていく所存です。

 

映画部活動報告「スターフィシュ」

「スターフィシュ」観ました。
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「このミックステープが世界を救う」

 

親友グレイスを失ったオーブリー(ヴァージニア・ガードナー)。

葬儀に参列したけれど受け入れられない。グレイスの家に忍び込んだら彼女がまだいるような気がして…カセットテープを聞きながらいつしか眠りに落ちた。

 

そして目覚めたら。世界は一変していた。

 

「『実話に基づいた物語』ってどこがだ!」

 

親友を亡くし喪失感を抱えるオーブリー。親友の家で眠り、目が覚めたら町は雪に覆われ静寂に包まれていた。

人気を感じない。何故?そう思いながらも外に出たオーブリーは見るからに邪悪そうな怪物が町を徘徊する姿を目にする。

これは人を襲うやつだ!オーブリーの存在を察知し案の定追いかけてくる怪物。何とか室内に逃げ込めた。このままやり過ごしたいけれど、相手はドアを破って入ってこようとしている。危機一髪!

その時。室内にあったトランシーバーから聞こえた男性の声。その人物がオーブリーを救ってくれた。

その人物はグレイスと知り合いであり「最後の信号が昨夜どこからか送信されてこういう事態がおきた」「グレイスは終末が訪れた世界を救う方法の最初の部分をオーブリーに託した」と告げてくる。

 

「グレイスが私に託したもの?」ふと棚の上に封筒があると気づいたオーブリー。その中には「このミックステープが世界を救う」と書かれたカセットテープが入っていた。

 

何らかの信号を見つけた。その信号に乗って現れた何者かが災いを引き起こしている。その信号に不足しているものが7つあると知った。それをバラバラの信号にしてテープに収めて私たちの思い出の場所に隠した。オーブリーならわかるよね?

 

怪獣が跋扈する世界から元いた世界に戻るべく、残りのカセットテープを探し始めたオーブリーだったが。

 

大体こういう掴みだったと思うのですが。ストーリーは支離滅裂で意味不明。基本的には美少女をエモーショナルに撮っているけれど、人を襲う怪物や顔面がえぐられた人物などのえげつないシーンがあったと思えば突然アニメパートが始まったり…全体的な画的バランスも不安定。とまあ歪な印象が強かったのですが…嫌いじゃない。

 

「これはあれこれ突っ込みを入れずにシンプルに感じたらエエんちゃうやろうか」

 

A.T.ホワイト監督。「for Sayoko Grace Robinson(1987~2014)」と捧げていたように、友人を癌で失った経験があったとのこと。先述した「実話に基づいた物語」とは「大切な人を失った」ということだろうと推測できる。

 

精神科医のキュブラー・ロス。彼女が書いた『死ぬ瞬間』から、有名すぎる「死の需要過程」とされる5段階のプロセス「否認/怒り/取引き/抑うつ/受容」。

 

親友グレイスの死。喪失感が大きく受け入れられないオーブリーは異世界へと自身を飛ばしてしまった。そこでは得体のしれない怪物が跋扈しており、人を襲い、食い散らしている。

グレイスとの思い出の場所をめぐり、カセットテープを手にすることでまた元の世界に戻れると知ったけれど、その過程は危険かつ気が滅入ることばかり。そしてその先には…。

 

どうしてグレイスは亡くなったのか。話が進むにつれ、オーブリーにはエドワードという恋人がいたとわかるけれど。オーブリーとエドワード、そしてグレイスに何かがあったのか?いかにも何かがあったかのように見せつつも、具体的なことは提示されない。

 

ネタバレになっていそうで気が引けますが。7つのカセットを集めたときに見つけたメッセージ。『FORGIVE+FORGET(許す+忘れる)』これをどうとらえるべきなのか。

 

おそらくA.T.ホワイト監督はこの作品の解釈を個々人にゆだねている。そう思う当方。

だからガチガチに設定を決めていない。主人公と親友と。そして主人公の恋人との間にどういうやり取りがあったのかは想像に任せている。それどころか親友の死に恋人は関係ない可能性だっておおいにある。

 

「もうこれは当方の見解だけれど。『許す』とはかつて二人の間にあった何かを指しているんじゃなくて。『忘れる』ことを『許す』ということなんじゃないかな」

 

二人は親友。私たちは若くて、これからまだまだ楽しいことが沢山起きる。けれどどんな時だって一緒。そう思っていたのに、こんなに早く別れが訪れてしまった。

信じられない。嘘だと言って。おかしくなりそうで…もう何も考えたくない!!

そうやって殻にこもって。わざと心をずたずたに傷つけた。けれど少しづつ思い出を巡るうちに…親友と再会して、メッセージを受け取った。

 

「忘れることを許す」何もかもじゃない。かつて二人の間で起きたことは、次第に薄れていって、記憶に残るものだけになっていく。けれどそれは仕方がないこと。

この異世界ならば、二人で過ごせるのかもしれないけれど…ここは怪物が跋扈し秩序が崩壊した終末の世界。命があるものは元の世界で生きていかないと。

 

そういうメッセージかなあと感じた当方。センチメンタルがすぎますか。

 

最後にぐっと幻想的な映像で締めた…それは「死の受容過程」を経て訪れる…希望だと思いたいです。