ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「ジュマンジ/ネクスト・レベル」

ジュマンジネクスト・レベル」観ました。
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冴えない男子高校生、スペンサー。寄せ集めの落ちこぼれ仲間、マーサ、ブリッジ、ベサニーと共にひょんな事から『ジュマンジ』という冒険RPGゲームに吸い込まれ。

ゲーム内の、元々とは似ても似つかわしくないキャラクターに置き換えられた己に、驚き、絶望し。そして時には誇らしく、愛着も沸いた。

そして旅を続けるにつれ芽生え、育っていく友情と愛情。皆で協力しながら無事クリアし、ゲームの世界から現実へ帰ってきた。「もうここには戻らないぞ。」ゲーム機を破壊しそう誓った。

それから一年。

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各々高校を卒業し、進学。大学生活や新しい仲間との世界に目まぐるしい日々…のはずが。

 

地元を離れ、一人都会の大学に進学したスペンサー。知り合いもなく。元来社交的ではない性格も相まって、冴えないオタクに逆戻り。

「クリスマスには帰省するんだろう?皆で会おうぜ!」「楽しみ!」

かつて共にゲームの世界で戦った朋友たち。新しい環境にすっかり馴染んだ彼らに比べて、相変わらず冴えない自分に引け目を感じてしまって…仲間からのメールににも返事が出来ないスペンサー。

 

予定通り実家に帰省はしたけれど。引きこもって極力連絡を絶とうとしているスペンサーを気にして、実家に訪れた仲間たち。けれどそこに居たのはスペンサーのおじいちゃんエディと友人マイロだった。

「スペンサーは何処へ?」

どこかに手掛かりは無いかと、自宅内を探し回る仲間たち。そうして彼らが地下室で見つけたもの。

それは、一年前に破壊したはずのゲーム『ジュマンジ』だった。

 

「スペンサーはゲームの世界に行ったのよ!」「あのゲームにもう一回入るの?」「一回はクリアしたのよ!大丈夫!」あの太鼓の拍子がどんどん大きくなって…「あれ?でも今回、キャラクター選択が無かった⁈」。

再び訪れた『ジュマンジ』の世界。けれど。

「何で俺がこいつなんだよおおおお。」

 

冒険家のストーン博士。博士の弟子で動物博士フィンバー。ダンス格闘家のルビー。地図学者のオベロン教授。

ゲームのメインキャラクターに変わりはない…ルビーはマーサが変わらず引き継いだけれど、ブリッジは前回とは違うキャラクター、オベロン教授になってしまった。しかもスペンサーが前回選択したストーン博士にはエディが。フィンバーにはマイロが収まってしまった。

「何だこれは。」「ここは何処だ。」状況を把握出来ない年寄りと運命を共にすることになるのかとため息をつくマーサとブリッジ。

 

一年前に壊したゲームの世界はバグだらけ。そもそも降り立った場所も前回には無かった砂漠。一体どうしたらいいのやら…途方に暮れるけれど。

「悪党から無事奪還した宝石が再び奪われた!」おなじみ説明役のモブからの説明から、宝石を取り戻すミッションに繰り出す一行。けれどこれは宝石を探すだけではない、「この世界のどこかにスペンサーが居るはず。」スペンサーを取り戻す旅。

 

「よくもまあ、それらしく書けたもんだ…。」

ここまでの文章を読み返して。思わず安堵の息を付いた当方。兎に角今回の続編は『思っていた以上に全力の力を抜いて鑑賞する作品』だったので。

 

現実世界では冴えない学生の主人公が、RPGゲームの世界ではマッチョなヒーロー。そんな夢みたいな冒険活劇からたった一年。再びご機嫌なパーティが新たな旅に出発だと。

 

一応「主人公スペンサーを探せ!」とか「奪われた宝石を取り戻せ!」とか「年を取るって事はろくなもんじゃないな。」とか。課題は色々あったんですが。何だかどれもこれも割と簡単に回答は出され。

「えっと。それは一体どういう…。」なんて深追いするのは寧ろ野暮なのかと押し黙ってしまう。完全にノリで進んでしまった作品。

 

前回運命共同体だった同級生四人。現実に戻って。スペンサーとマーサは晴れて恋人同士になったけれど。

各々違う大学に進学し。一気にあか抜けたマーサに引け目を感じ、前にも増して根暗なオタク野郎になってしまったスペンサー。

「…を無理やり連れ戻そうとする、今やパーティピープルの仲間かあ。完全に「放っといて!」と叫びたくなるやつ…分からんではない。」「で「かつて格好よく振舞えたゲームの世界に飛び込みたい!」という気持ちも分からんではない。ないけれど…そんなスペンサーを連れ戻そうとする仲間の神経よ。」「心を閉ざした状態でそんな仲間に再会したとて。素直に喜べる訳がない…。」

ところがところが。「恰好良いスペンサー博士になりたかったんだ。」「もう!心配したじゃないの!」

てへ。って奴ですか?新しいキャラクターになっていたスペンサーと仲間たち、コンマ何秒かの和解。まさかの合流して旅は続いていく…そんな様に「かまってちゃんの茶番かあああ~。」とガクッと首が折れた当方。ましてや。『冷却期間』を置いていたスペンサーとマーサの、雪山崖登り中の仲直りシーンに至っては「それは現実世界で済ませられんのかね?あんたたちそんな調子やったら長続きしませんで。」当方謎のキャラクターによる突っ込みが収まらず。(そもそもアンタ薄着過ぎる。女の子が体冷やしたらあかんで!)

 

何よりも。『前回とは違うキャラクターになってしまった』という設定。確かに年寄り二人を追加させた事で、中盤まで「一体これはなんだ。」「ここは何処だ。」「おい!体がこんなに動くぞ!どこも痛くない!」一々テンポが悪かった。遅れて合流することになったベサニーやあの人。新旧揃って勢ぞろい。けれどなんだかちぐはぐ…と思ったけれども。

「おいおいおい。ご都合主義にも程があるぞ。」思わず声に出しそうになった超設定で、本来のキャラクターに各々が収まった所から、何とか終息に向かい始めた。(でもなあ。こんなのアリなんか?)

 

とまあ。兎に角「ん?」と思ったら負け。何だかユルユルの世界観の中、ゲームのキャラクターが動き回る様を脳を空っぽにして観るしかない。(決して貶してはいません)

 

「そもそもドウェイン・ジョンソンを『親指タイタニック』のキャラクターっぽいなあ~と思っている当方からしたら…親指何とかにしか見えないし。何かと眼福のカレン・ギランと、可愛ささく裂のジャック・ブラックにニヤニヤするくらいしか…結局いつの間にか宝石を取り戻していたしな。」

 

危うさを感じる友情と愛情に「彼らにとっては一体何が解決したというんだろう…。」そう思いながら無理やり幕を下ろそうとしているのに…再び聞こえてくるあの太鼓囃子。続編の暗示。

 

「全然ゲームセットにならない。」

そうは思うけれど。結局また新たなゲームを見届けてしまうんだろうな。そんな予感。

できればせめて、また早めのスパンでお願いします。

映画部活動報告「殺さない彼と死なない彼女」

「殺さない彼と死なない彼女」観ました。
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「すべての眠れぬ夜に捧ぐ」

 

Twitterから誕生した、同名4コマ漫画(作者:世紀末)の実写映画化作品。

 

「死にたい」が口癖の女子高生鹿野なな(桜井日奈子)と、無気力でぶっきらぼうなクラスメイト小坂れい(間宮祥太朗)。クラスで浮いていた二人は、ある出来事をきっかけに急接近。「ちょっとリスカしてくる。」「トイレ行ってくるみたいなノリでいってんじゃねえ。殺すぞ。」剣呑なやり取りとは裏腹に、同じ時を過ごすにつれ互いに心が通っていく二人。

「きゃぴ子は可愛いんだから。」自分は可愛いと強く自覚していて、愛されたい願望が強い堀田きゃぴ子(堀田真由)。常に彼氏を切らさないけれど、決して長続きしない。そんなきゃぴ子の幼馴染で親友の宮定澄子/地味子ちゃん(恒松祐里)。

澄子の弟、宮定八千代(ゆうたろう)に何回振られても告白し続ける同級生、大和撫子(箭内優菜)。

同じ高校の6人の男女を通して描かれる、甘くて、滑稽で…そして儚い青春映画。

 

昭:ああこれ、アイドル映画やん。そう思ってスルーしようかと思ったけれど。あまりに鑑賞した人たちの評判が良くて。そこでよくよく見たら、小林啓一監督。

和:2014年公開『ぼんとリンちゃん』。最高やったもんな。そうなると俄然「これは期待できる青春モノじゃないか?」と希望が湧いて。公開から随分経ってからの鑑賞。

昭:危なかった…下手したら見逃し案件になる所やった。そして案の定、心のやらかい所を締め付けてきて…声にならなかったよ…。

和:映画館に来ていた客層も流石に若くてねえ。予告編が終わるまで大声で話していたりしたんで…正直心配したけれど。意外と皆本編が始まったら静かで。終盤すすり泣く声があちこちから聞こえてきたり、上映後も「本当に良かった!」って言ってたり。「あんたら可愛いやん。大好き!」ってなったな~。

昭:という所でハイ、自己紹介。我々は「当方の心に住む男女キャラ昭(あきら)と和(かず)」です。「男女の目線から見た機微」を語ろうと思います。

和:(当方:随分大人しく滑り出してるやないか…)お決まり冒頭の「何で我々を呼んだんだよ~」の寸劇をしている暇はないので。サクサク進めさせていただきます!

 

昭:いやあ。眩しかった。こんな青春、欠片すら送らなかったよ。

和:こと恋愛とか恋愛とか恋愛とか。からっきしやったもんねえ。ところで昭さんはこの物語の女子の中で誰が好きでしたか?

昭:女の子に一番とかランク付けられないよ~(鳩尾に衝撃。散々むせてから)。…俺は撫子ちゃんかな。

和:「八千代君が好き!」何回振られても一途にアタックしてくる撫子ちゃんね。あのカップルは確かにキュンが過ぎた。(当方:あの夕暮れのシーンで当方を包んだ多幸感よ!)「付き合ってくださいとは言ってない。私が八千代君の事を好きだという気持ちを伝えたいの!」兎に角素直に気持ちを表してくる。その純粋さ。

昭:撫子ちゃんは農家の子なんやけれど。大切に育てられた子なんやなあ~と思った。育ちの良さが滲み出てる。

和:かといって、散々撫子ちゃんを振っている八千代君も決して悪い子ではない。過去にあった出来事から「自分には恋をする資格などない」と思っている。でもさあ、高校生男子が実際にそんなストイックさ持ち合わせているもんなん?

昭:自分に想いを寄せてくれる女子の出現なんて、赤子の手を捻るかの如く早々に心持っていかれるな。正直入れ食い状態な訳やし…八千代君の佇まいは…ちょっと信じられなかったよ。

和:そういうがっついた所が、10代の女子には響かないんよな~。モテない訳だよ。

昭:お前が誘導してきたんやろ!そういう自分は?

和:私?きゃぴ子と地味子ちゃんかなあ。昭:うわ来た。

 

和:きゃぴ子っていう名前がまず凄いけれど。見た目というか、出で立ちというか…きゃぴ子って本当に『期間限定彼女』なんやと思う。

昭:可愛いっちゃ可愛いんやけれど。すぐやきもち焼いたり我儘言ってきたり…いつだってチヤホヤされたいっていう印象で。俺は苦手やなあ。

和:頭悪く見えるんよな。フワフワして、連れて歩く分には可愛いんやけれど。深い話は出来なさそう。息抜きにはなるけれど、ずっと一緒には居れない。

昭:俺はそこまでは言ってないぞ。

和:でも。きゃぴ子の背景が見えてくるにつれ、彼女に対する印象は変わってくる。

昭:シングルマザー家庭。結構真顔になってしまう、ネグレクト案件子供時代。挙句母親は昨年再婚してきゃぴ子を捨てた。

和:愛されたい。誰かにずっと可愛いと言ってほしいし、そばに居て欲しい。安心したい。「私たちは愛されるために生まれてきたのよ。」そう言い聞かせて。その叫びをああいう形でしか表現できない。

昭:でもさあ。きゃぴ子だって年を取っていくわけやし、いつまでもあんなキャラクターでは居られんやろう。

和:そうやね。でもそんなきゃぴ子を子供の時からずっと見ていて。そして完全肯定で支え続けた地味子ちゃんの偉大さよ。

昭:きゃぴ子が落ちてしまった時、どこに居たってはせ参じて救い上げてくれる地味子ちゃん。地味子ちゃんこそがきゃぴ子の白馬の王子様。

和:「誰が何と言おうときゃぴ子は可愛い。」まったく…私も地味子ちゃんが欲しいよ。

 

昭:主人公二人はどうやった?

和:「メンヘラ女子は苦手」なんですよ。昭:分かる。

和:もごもごした話し方。「死ぬ」って口癖で簡単に言う所。すぐカッター取り出してリストカットする様。でも大したことのないためらい傷。

昭:先生が授業で語った内容に反応して泣きだす所なんて「ああもう!」ってなったな。

和:でもさ。我々は多分そんなメンヘラ鹿野に距離を取ってしまうけれどさあ。小坂は興味をもって近づくし、きちんと思った事を臆せず言うやん。

昭:「死ぬ死ぬ言って死なないくせに。俺が殺してやろうか。」「なんだよお前の腕。イカ焼きみたいになってるじゃねえか。」「死ね!」

和:「死」とか「殺す」という言葉が本来持つ強さ。でも二人にとって死は全然身近じゃない。だから言葉のキャッチボールの中でポンポン出てくる。例えば我々が言う「暑くて死にそう~。」「お腹が空いて死にそう~。」でも実際にこう言ってるとき死にそうになっている?

昭:なってないよ。そこまで考えて言ってないよ。

和:鹿野と小坂。「死ぬ」「殺す」「死ね」そういうやり取りをしながらも。行動を共にするにつれ、次第に「生きる」事に目を向けていく。「一緒に時を過ごしていこう」そう思った途端の急転直下。

昭:あれはもう…言葉が出なかった。

和:それまで簡単に口に出してきた「死」という言葉の持つ本当の意味。

 

昭:3組の高校生の話は、何となく同じ時間軸では無いな…。ふとした時に「あれ?」という違和感を感じていたけれど。主人公二人の世界が大きく揺らいだ後「うわああああ。とピースが嵌っていく。

和:そうか。きゃぴ子と地味子ちゃんの会話と回想シーンはこう繋がるのか。そして撫子ちゃんの不屈の精神、その背中を押したのがあの子だったのか。

昭:メンヘラをこじらせていた鹿野が、最後あんな表情であんな言葉を言えるとはな。目頭が熱くなったよ…。

 

和:アイドル映画と舐めてはいけない。(そもそもそんな売り方はしていなかったけれど)思い起こせば、特にキラキラした恋愛なんてしていなかったけれど。苦くて、みっともなくて。どうにもならない事はままあった。でもその中で一生懸命だった。そしてそんな時間はあっという間だった。そんな己の記憶の琴線に触れまくって、ぐしゃぐしゃになってしまう。そんな作品。良質な青春映画でした!

 

(ザッザッと歩き出す昭和二人の背中を見送りながら…敬礼。当方の締める隙間なし。)

 

映画部活動報告「ドクター・スリープ」

「ドクター・スリープ」観ました。
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「あの呪われたホテルでの惨劇から40年。再び奴らが目を覚ます。」

スティーヴン・キング原作。スタンリー・キューブリック監督『シャイニング』の続編。」(注:キングがキューブリックの映像化作品について非難轟々だった事についてはこの感想文では触れません。何故なら…詳しくないことを知ったかぶりしては語れないから。いつも通りの『ただ思った事を書く』感想文です。あしからず。)

 

「『シャイニング』かあ。正直、あんまりよく知らないんよな…。」

劇場公開された1980年。流石にリアルタイム鑑賞では無く。そして以降『何曜日かのロードショー』でも何回もテレビ上映されている作品。ですが。

「あれやろ?化け物ホテルに閉じ込められた母親とエスパー少年が、いかれたジャック・ニコルソンに追いかけれられるやつ。」「斧片手にさあ。後アレな、ジャックニコルソンの顔ハメドア映像。」

往年のファンが聞いたら、それこそ斧片手に当方を殺しに来るだろう。そんな浅瀬もいい所の『シャイニング』認識。

「でもなあ~気になる作品はネタバレ爆弾食らう前に観ておきたいからなあ~。」

そんなフワッとした気持ちで鑑賞した、劇場公開初日。金曜日の夜。

 

「一体当方は何を観たいと思っていたんやろう。」鑑賞後の帰路で。けれどあれやこれやと考えるまでも無く導かれる回答。

「当方は前回のような、化け物ホテルでのドタバタダンジョン劇が観たかったんやな。」(正直、予告の見せ方もそんな感じでしたよね?)

そういう前作の二番煎じを想像したら大間違い。これは確かに『あれから40年が経った世界』。

 

『シャイニング』で生き残った元少年、ダニー。愛らしかった面影は何処へやら。すっかりくたびれた中年男性。

かつては自身の持つ特殊な能力(=シャイニング)に依って苦しめられたけれど。その力で数多の化け物を封印し、今ではほとんど奴らに出会う事もない。

定職に就くでもなく、酒を煽る日々を送っていたが…このままではアルコール依存症で破滅した父親と同じだと、断酒会に参加。転居し、ある医療施設の看護助手としての職も得た。

ダニーの特殊能力は施設で発揮された。『命が尽きる時が分かる』彼は患者たちから『ドクター・スリープ』と呼ばれ。患者たちの臨終を穏やかに見届けた。

そうやって可もなく不可もなく日々過ごしていたダニーに、突然少女アブラの声が届く。

 

連続少年少女失踪事件。その事件に関与するカルト集団『真の絆』。

特殊能力を持つ少年少女から妖気を吸い取り生息する集団に中てられ、能力を増大させてしまったアブラ。

「立ち向かえ」というアブラの呼びかけに動揺し。初めこそ「目立たないようにしてやり過ごせ」とアドバイスしていたダニーだったが。

 

「これは…『たたんでおしまいZ』案件(もちろん当方の造語)やな(『へんなABC/みんなのうた1986年』より)」。

 

かつては並外れた特殊能力の持ち主だったダニー。それ故に幼かった時に受けた恐怖体験からトラウマを抱え。

「またあいつらが襲ってくるんじゃないか。」その恐怖を克服するため、ダニーは脳内にいくつもの箱を浮かべ。その中に化け物たちを封印した。

 

『ドクター・スリープ』

ダニーの新しい職場。終末期医療を扱うそこでは死は身近なもの。『患者の死期を看取る。』それはかつて化け物たちを箱に封印していったダニーにとっては、穏やかで優しい「たたんでおしまい」だった。

 

けれど。類は友を呼ぶ。遠くに居るはずの特殊能力を持つアブラ。まだ少女で…真っすぐで力も強くて正義感も強いが、決してダニーを見逃さなかった。

 

「そんな危ない奴らに関わるな。」「ひっそりと身を隠せ。」そんなダニーの忠告も空しく。アブラに押されていく内、次第に『真の絆』集団に立ち向かうようになっていくダニー。そして。

 

「アイツに勝つには、あのホテルを決戦の場にするしかない。」

 

まさかの。40年前の惨劇。ダニーのトラウマの根源である『オーバールック・ホテル』の前に降り立つ。

 

「色んなものを『たたんでおしまい』と看取ってきたダニーが。おかしなカルト集団のトップを。そして自身のトラウマとして封印してきた化け物たちを。父親への思いを。そして化け物ホテルそのものを。それらをひっくるめて入れ子状態にして、たたんでいく話なんだな。」「けれど。それはダニー自体も『たたんでおしまいZ』を意味する。」

「まさに『ドクター・スリープ』。」

 

忌まわしい、雪に覆われた化け物ホテルを本当の意味で消滅させるには火を放つしかない。その役目を担えるのは…ダニーしかいない。

 

古いものから新しいものへ。ダニーからアブラに引き継がれていく特殊能力者の生き方。

 

「~という流れ。非常に美しい続編かつ幕引きやったとは思うけれどさあ。」

暗い映画館で。終盤背後からの圧力を感じ。思わず振り返った当方。

後方座席に居られた男性が、文字通り『前のめり』で見入っていて(当方の座席の頭部に手を置いて前傾姿勢での鑑賞)。その眼の澄んでいる様よ。

 

「そういう往年のファンを思うとさ…化け物ホテルの尺が身近過ぎやしないか?行き着くまでも長い。しかもあの愛すべき奴らの扱いもざっくり過ぎるし。」

「あのホテルシーンで最も重要なのは父親との会話なんだよ!」そういう声、聞こえてきますが。(実際に背後の男性も声を上げておられました。)

「でもねえ…やっぱり期待しちゃったよねえ。奴らの大暴れをさあ(小声)。」

 

それこそ当方が語る事を封印した『スティーヴン・キングが望んだ続編』としては、至高の出来だったんでしょうが。『スタンリー・キューブリックの世界観』が好きな当方には若干の物足りなさも感じる。

 

「これはあれですわ。『シャイニング』を見直す事。後、キング版の『シャイニング』とキングの原作を読まないと何とも…。」

 

なんともまあ宿題の多い。

当方にとってはなかなか『たためない』作品です。

映画部活動報告「第三夫人と髪飾り」

「第三夫人と髪飾り」観ました
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19世紀の北ベトナム。絹の里を治める大地主の元、第三夫人として嫁いだ14歳の少女メイ。

一夫多妻制の時代。聡明でエレガントな第一夫人には一人息子が。妖艶で美しい第二夫人には三人の娘が居たが。一族にはさらなる男子の誕生が望まれていた。

大所帯での生活。一見すると仲睦まじく共存する大家族…けれどそこは女たちの思惑や欲望、嫉妬。裏切りや哀しみ。数多の愛憎が渦巻くるるつぼだった。

 

「まっこと、おなごというモンは業の深い生き物やのう。」

当方心に住むババ様(初登場)が溜息交じりにポツリ。ベトナムの歴史、全く存じ上げませんが。この時代に女子に生まれる事の大変さ。作中、第二夫人の娘が言っていた通り。「私、次に生まれる時は男に生まれたいわ!(言い回しうろ覚え)」

 

皆が皆そういうんじゃなかったとは思いますが。一族の繁栄のため、その土地の有力者の息子に娘を嫁がせる。女の価値は世継ぎとなる男を生むこと。

(どこの国にもあったんやなあ~。日本だって昔々なら宮中レベルであった話。)

 

14歳。まだまだ子供。嫁いできた時は無垢だったメイも、次第に「この家では世継ぎの男児を生んでこそ奥様と呼ばれる。」と知った。

 

30~40代の先代の夫人たち。仲良く卓を囲んで。時には旦那様との際どい話なんかも交換し合う。いかにも互いを尊重し合っているけれど…決して相手にマウントを取られまいと互いの出方を観察している。そんな二人の中に放り込まれたメイ。

旦那様だって慣れに慣れた手練れ二人よりは、新しくやって来た生娘の方に夢中になる。内心ざわつくけれど、実際目の前のメイの幼さに余裕を感じてタカを括っていた。けれど。

 

メイの妊娠。そりゃあ、10代の若い女子なら先代の二人よりは妊娠する可能性は高かろう。

三人の夫人の心に各々吹き荒れる感情。嫉妬。焦り。自分こそが『奥様』と呼ばれる存在になれるチャンスだという欲望。

 

「結構ドロドロした内容なのに。この…終始朝もやが掛かったみたいなソフトな映像美。北ベトナムという風景と19世紀の生活様式の素朴ながら丁寧さ。アジア女性ならではの肌のきめ細やかさ、柔らかでしなやかな印象。総じて美しくて…起きていることのえげつなさが下品には感じない。」

何というか…ぐずぐずに熟しきった果実のような。見た目が綺麗に色づいていて。少しでも歯を立てたら、果汁を飛び散らしてどこもかしこもべたべたに汚す…そしてその味は堪らなく甘い。甘くて脳がしびれる。そんな腐る寸前な甘さを感じる作品。

 

ネタバレですが。やはり触れざるを得ない。第一夫人の一人息子ソンと第二夫人の秘密。

「これは墓まで持っていく案件」とあくまでひた隠しにするしたたかさを持つ者と、愛ゆえに破滅していく者。その双方が…同じ敷地内で逃げられない。これは地獄。

しかも作中に「不貞の末に妊娠してちゃあ、そうなるわ」とか女中に言われていた男女が描かれていて。庭で旦那様にムチ打たれる男性と、頭を丸めて連れていかれる女性。そんな二人を見たからこそ、その後知った二人の関係に「おいおいお前たちは?」となってしまう塩梅。これはフェアじゃない。

 

「そう思うと、ソンの元に嫁いできたトゥエットがどこまでも不憫で…泣けてくる。」

こちらだって焦がれて嫁いだわけじゃない。なのにお前とは結婚できないとソンに拒否された幼い少女。彼女は何も悪くないのに。この時代には珍しく、離婚したいとトゥエットの父親を呼んだけれど。「お前は家族に泥を塗った。」と暴言を吐かれ。挙句彼女の取った行動…どこまでも痛々しい。

 

絹の里に嫁いだメイ。初めは『お客さん』だった彼女が目にした光景。無邪気だったメイは次第に女になり、妻になり、そして母になった。あまりにも性急に多くのモノを見てしまった、知ってしまったメイは果たしてこれからどう生きていくのか。そして生まれた子供の運命は…?

 

「私、次に生まれる時は男に生まれたいわ!(言い回しうろ覚え)」

「まっこと、おなごというモンは業の深い生き物やのう。」

女であるこの不自由さ。生き辛い。したたかでなければ。心を強く持たなければ。そして時にはとことん鈍感にならなければ生きていけない。そんな人生を歩む勇気。自分だけならまだしも。次世代の女に同じ思いをさせなければいけないのかという憂鬱。男でなければ。男ならば。けれど。

女だからこその喜びもあった。誰かを愛し、命を宿し、慈しむ。それはかけがえのない喜び。

 

最後。メイがどういう判断を下したのか。分からないまま幕は降りましたが。

女の象徴。かつて男になりたいと言った、幼い娘の長い髪が自ら落とされ、川に流れていった描写に。何故か希望を見たような。そんな気がして。

 

結局メイは生まれた子供と踏ん張って生きたはずだと、そう思っている当方です。

映画部活動報告「アナと雪の女王2」

アナと雪の女王2」観ました。
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「なぜ、エルサに力は与えられたのかー。」

 

2013年公開のディズニーアニメ長編映画作品『FROZEN』。日本では『アナと雪の女王』として公開。社会現象を巻き起こす大ヒットとなり、劇中歌の「ありの~ままの~」という歌声を聞かない日が無かった。それから6年。

他のディズニー映画作品に抱き合わせの形で短編が2本劇場公開されて。今回満を持しての続編『FROZEN2』。『アナと雪の女王2』公開。

(早速偏屈で申し訳ないのですが。当方は原題の『FROZEN』のままが絶対良かったと思っている派。何故ならエルサの力は『雪』ではなく『氷』の印象が強いから。)

 

「正直前作に思い入れは一切無い…寧ろ気にくわない所ばかりやったけれど。でもネタバレは食らいたくない。そしてキッズや若いカップルたちが埋め尽くす劇場にぽつんと一人で居たくない。」そう思って。公開初日の金曜夜。仕事終わりに観に行ってきました。(金曜日公開初日の作品って多いんですが。平日の週末夜って皆さま予定があるみたいで、結構落ち着いて観られる傾向があるんですよ。周囲も映画ファンばかりやから概ね鑑賞態度も大人しいし。)

 

また文句言いたくなる感じなのかな…。正直そう思っていましたが。

 

「いやいやいや。個人的には今回の続編ありきでやっと物語が着地した感じがしたぞ。」「これはあって然るべき続編。個人的には今回の方が好き。」

 

前作のストーリー。社会現象を起こしたぐらいなので…誰もが大体知っているような気がしますし長いのでばっさり割愛しますが。

 

「アナはその日出会ったばかりの男と結婚するつもりやった己の惚れっぽさを恥じていたけれどさあ。結局山男クリストフだって『出会ったばかりの男』やんか。結局あんた、大して変わって無いよ。」「そりゃあ13人も兄弟が居てる末っ子ハンス王子の立場やったら必死にもなるんじゃないの?」「アナ鬱陶しい…無神経にも程がある。エルサを追いつめるなよ…。」「アナは彼氏が出来て幸せやけれど。結局エルサは独りぼっちやないか。」「そして一国の長であるエルサの…国力を奪いかねない、恐ろしい力。なのにエルサのメンタルめっちゃ不安定。」「そもそもアレンデール王国って一体何で食べている国なんだ。」

 

「ありの~ままの~」あのシーンのインパクト。

あの、吹雪の中エルサが歌いながら力で城を作った。公開前しょっちゅうあのシーンが劇場で丸々予告編として流れていて。それで気になって映画鑑賞した当時の当方。

確かに登場人物たちが歌って踊る場面は楽しかったけれど。総じて振り返ると「ん?これ一体どういう話やったん?」と納まりが悪かった。(あくまで個人の感想です。)

 

なので。「エルサはどうして力があるのか。」「幼い頃エルサの力を封じようとした両親はどういうつもりだったのか。」エルサの謎に焦点を当てまくった今回の続編は「何かと落としどころを見つけたがる。」当方には非常にしっくりきた。

 

時代はエルサとアナの父親の代まで遡る。アレンデール王国より北部の森に住む、精霊たちと共に暮らすノーサルドラ民族。王国と彼らとの交流の時起きた悲劇。その時森は精霊たちによって結界に包まれ、誰も立ち入る事の出来ない魔法の森になってしまった。

 

再び現在。アレンデール王国の女王として、妹のアナや仲間たちと一見落ち着いた日々を送っていたエルサ。けれど。

「歌声が聞こえる?」「どうやら聞こえているのは私だけみたい…。」

またまた~。エルサのオカルト案件発生。ただでさえメンタルが不安定なのに…「私を呼んでいる?」気になって気になって。そうなると国務を放棄。「私は此処に居るべきじゃない。居場所が無い。この声の主を探したい。」

エルサの気持ちが溢れる=異常気象が起きるのは最早デフォルトで。唐突な強風。国中の火と水が引き、地面が割れ…またもやピンチに陥れられるアレンデール国民。住民一斉高台非難。

 

「アレンデール王国の過去を知らなければ事態は解決出来ない。そうでなければアレンデール王国そのものも崩壊しかねない。」トロールのお告げ。

過去の秘密…どうやら魔法の森にそれは隠されているらしいと。エルサ、アナ、クリストフ、スヴェン、オラフは旅に出る。

アレンデール王国の過去。それはエルサの力の意味を知る旅でもあった。

 

何故か順を追って書こうとすればするほど取っ散らかってくるのと、それでもネタバレせずに進行しようとするのが苦しくなってきましたので。もうふんわり着地してしまおうと思いますが。

 

「メンタルがグラグラで、意図せず異常な力を放ってしまうエルサが一国一城の主に収まってしまう事の不幸と危険性。」「ずっと己の力におびえていたエルサに、心底落ち着ける安住の地は無いのか。」

とかく前作からエルサ贔屓だった当方にとって「それはそれは良かった。」と思えた今回の着地点。そして「エルサとアナが姉妹である設定がきちんと生かされたな。」という納まりの良さ。

 

「そして男性キャラクタ―、クリストフよ…。」

山男。アナの恋人クリストフ。前作ではもうちょっと頼りがいのある男性だったのに。今回はすっかりお笑い要員。(途中、クリストファンの歌うシーンに至っては…真顔では見ていられませんでしたよ。)…アナ。あんたの彼氏、ちょっとアレやで。

 

「そう思うと。ディズニー作品に於ける王子様キャラって絶滅したんだな。」

前作のハンス王子でもそう思った。あくまで困難に立ち向かうのはエルサとアナの姉妹。確かに彼女達の問題ではあるけれど。「お姫様は王子様の助けを待っている」という受け身スタイルは皆無。「誰かになんか頼らない。私たちの事は私たちでどうにかする!」というファイティングスタイル。随分たくましい。けれど結果、王子様ポジションの男性陣が何だか頼りない、おとぼけキャラになってしまった印象。

 

公開から少し経って。どうやら世間ではこの続編の評価は前作>今作の様に見えるけれど。「いやいやいや。この続編ありきでやっと物語が着地したんやとしか思えん。」「これは作られて正解だった続編。」当方が続編製作に対してこんなに肯定的なのはレアな事態。(ただ、確かにキッズ向けでは無かったとは思う。)

 

やっと本当に「ありのまま」で居れる場所を見つけたエルサに。良かったねと頷きながら。「幸せに暮らしましたとさ」であってくれと祈る当方。

 

ところで。エルサとアナの物語。これ以降の続編は、もう流石に要りません。

映画部活動報告「最初の晩餐」

「最初の晩餐」観ました。
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父が亡くなった。

久しぶりに家族と親戚が集ったその夜。通夜振る舞いは『目玉焼き』で始まった。

 

構想7年。脚本も手掛けた、常盤司朗監督作品。

東家。父・日登志(永瀬正敏)が闘病の末亡くなった。東京から帰省した、カメラマンの末っ子麟太郎(染谷将太)。地元で結婚し二児の母となっている姉・美也子(戸田恵梨香)と通夜の準備をする中。母・アキコ(斉藤由貴)が通夜振る舞いは仕出し屋ではなく自分で作ると言い出す。

一人台所にこもって。何やらこさえる母に怪訝な表情を隠せない姉弟

やがて運ばれてきたのは目玉焼き。ざわつく親戚らの中、つぶやく麟太郎。「これは親父が初めて俺たちに作ってくれた食事です。」

具沢山味噌汁。キノコピザ。焼き魚。餃子…懐かしい手料理の数々は東家で起きた出来事を思い出させる。

20年前。互いに連れ子同士で再婚した両親。母アキコの連れ子だった年上の兄、シュン(窪塚洋介)。初めはなかなか打ち解ける事が出来なかった。けれど少しづつ二つの家族は歩み寄り、一つの家族になった。…けれどあの15年前の日。

家族は再びバラバラになってしまった。

 

父が残した一冊のノート。そこに記された思い出のメニューが。懐かしく、どこか苦い東家の日々を振り返り…止まった時間を動かしていく。

 

通夜振る舞いで出された料理にまつわるエピソードで話を進めていく。

 ~という。非常に素朴ながら。丁寧に丁寧に家族のヒストリーをあぶりだしていく作品。

またねえ。キャストが豪華。全員主役級の俳優たちで固めながら。けれど誰も突出し過ぎない。(そして20年前の東家の子供たちを演じた子役たちの透明感も半端ない。)

物語は淡々と進行していくけれど。単調さは感じなかった。

 

15年前に東家に起きた出来事。何かが起きた。長男シュンはある日突然家を出て。そして現在まで音信不通。シュンより年が離れていた美也子と麟太郎には結局何が起きたのか分からずじまいのまま。「よけものにされた」気持ちは両親への不信感に繋がり、せっかく出来ていた信頼関係にひびが入ってしまった。

 

父が恋人の存在を明かした日。初めて5人が顔を合わせた日。一緒に暮らしだした頃。やっと打ち解けあえた頃。家族皆で山に登った事。楽しかった思い出。けれど。

父とシュンが二人で本格的に登山を始め。二人きり。男同士で話す事が増えた頃。両親にとって何かが起きた。それを知ったシュンが東家を出ていく程の事が。

 

「ねえ。二人にも知ってもらいたいの。」

通夜振る舞いも終盤で。母が語った真実。今は家族を持つ美也子はそれを知って号泣したが。普段周りから「冷たい」と言われてしまう麟太郎は困惑、美也子に問う。

「家族って何なの?」「姉ちゃんなら分かるんだろう?家族って何?」

 

よくよく話のあらすじを振り返ると、結構シンプルなんですが。(正直この『真実』も「再婚同士なら無くはないと思う…というか既婚者がパートナー以外と恋に落ちるってこういう事やし。」と冷静に受け止めた当方。まあ…多感な年ごろなら仕方ないのか??)肉付けの仕方が情緒に溢れている。何だかハートフルに着地したし…。

 

とまあ。何故こんなに歯切れ悪い文章をもごもご書いているのかというと…。

 

「この通夜振る舞い自体が余りにも非現実的だと思っている当方がいる。」

 

通夜振る舞い:故人との最後のお別れをする食事会。親族、親しい友人などで行う。故人を偲んで皆で思い出話をしたり酒を飲むのが一般的で、故人への供養やお清め。遺族から弔問客へのお礼といった意味がある。(ライフサポートプラスから抜粋、勝手に省略)

 

亡くなった父日登志が残した思い出レシピノート。それを再現したメニューを通夜振る舞いに充てる。確かに「故人を偲ぶ」には最適かもしれないけれど…。

 

「初めの目玉焼きならまだしも。直後に具沢山味噌汁(汁物ってお腹膨れるんよな)。ピザ(手間!)。焼き魚(手間!)。これらを母アキコがワンオペで?!キッチンスタジアムでも何でもないただの一軒家の狭い台所で?そんな大勢の相手を対象とした鍋窯とか…巨大オーブンとか東家にはあるの?魚焼きグリルは??」「ブレーカー落ちるぞ!」「おい娘美也子!そして親戚席に座っている女性陣よ!女だからとかそういう意味じゃなくて主婦なら分かるやろう?!立て!台所に集合!アキコを手伝え!これ段取り無視の乱発メニューもええ所やんか。一人で切れ間なく食事提供とか絶対無理やで!」「まさかの途中から餃子を餡から作るの?これ一晩では終わらんで!」「誰が最後まで食べれんの!途中で吐いたりでもせん限り食べきれんで!」「アキコはいつの間にここまでの食材を集めてたの?アキコはあれか。普段は給食センターとか食堂で働いてんの?」

 

無粋なのは承知ですが…突っ込まざるを得ない。あまりにも料理のバリエーションが広すぎるし、メニューの組み立てが作る側食べる側双方にとって無茶過ぎる。

 

当方が客人なら…いてもたってもおられなくなる。「あの…何か手伝いましょうか?」故人を偲ぶ会どころじゃない。こんなの正気の沙汰じゃねえ。おい酔っ払いども(叔父と麟太郎)!喧嘩してんじゃねえ!(もう一つ言うと、これ相当な洗い物も出ると思うんよな…。)

 

母親は狂ったメニューを淡々と提供。子供たちは母親を大して手伝うわけでもなく。そして最後に現れた長男シュンによる、まさかの締め『すき焼き鍋』。悲鳴…。

これまた。『実は美也子と麟太郎は知らなかった、父とシュンのエピソード』が添えられるのですが。それよりも。「味の確変は個人の取り皿でやってくれ。」父日登志の代わりにシュンにかすれ声でつぶやく当方。お前にとっては美味いのかもしれんが。それは止めてくれ。

 

「バカバカバカ!そういう目でこの話を観るんじゃない!」そういうお叱りの声、しっかりと受け止めますが…どうしても目を瞑ることが出来なかった。

(後。もう一つ気になったのが…台風?来てませんでした?雨戸とかさあ。閉めないの?ガラス戸ってめっちゃ弱いで??)

 

多分当方が幼少期に。祖父祖母の時、田舎宅での通夜葬式で見た光景も相まって。(田舎故にある、外のかまども使って、女性陣総出で料理してました)「こんなん無理やって!」が止まらず。ファンタジーとして割り切る事が出来なかった。(そういう総出の共同作業も後々故人への思い出になるんやけれどな…。)

 

「確かになかなか集う事が出来ない家族なんやろうけれど。後日残された家族だけでこのメニューをぽつぽつ食べながら話をして、というのではどうなのかな。性急過ぎやしないか。」

 

家族ってなんだ。かつては二つの家族だった。それが一つになって。なのにまた離れてしまった。けれど…再び彼らを繋ぎとめたものとは。家族ってなんだ。でもそんなの、一体誰が答えられるんだ。模範解答なんてない。ただ一緒に居たい。それだけ。互いにそう思えたら。それが家族。

 

そんなハートフルに着地しながらも。何故かその過程で大食いチャンピョン的な何かを見たような気がして、どこか落ち着かない当方。

 

「ああ。頼むから食べ残しが余り出ていませんように。そしてどっと疲れた母アキコが倒れた時は…3人の子供たちお願いします。」

いかんせん。余計な心配が尽きないです。

映画部活動報告「ひとよ」

「ひとよ」観ました。
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2004年5月、雨の夜。母は父を殺した。子供たちのために。

「ねえ聞いて。母さん、父さんを殺しました。」「あんたたちはもう何にもおびえなくていい。自由に生きたらいい。」

 

出頭しそのまま逮捕。刑期を勤め上げた後、消息不明のまま。

15年後の2019年。約束通り母が帰ってきた。

 

稲村家。母親こはるを田中裕子。長男大樹を鈴木亮平。次男雄二を佐藤健。長女園子を松岡茉優が演じた。監督白石和彌

 

「日本のノワール作品は絶滅した。バイオレンスジャンルも危うい。」そう危惧する当方にとって。「もしかして…。」と期待する、白石和彌監督。

と言っても今や売れっ子。バイオレンスだけでは無く色んな作品が立て続けに制作公開される昨今。

そして今回『家族の絆』という超王道のテーマ。一体どういう見せ方をするのかと、期待と不安半々で映画館に向かったのですが。

 

「これは言うならば…寅さんやな。」

 

ど〜おせオイラはヤクザな兄貴。わかあっちゃいる〜んだ妹よ〜。

(寅さんは風来坊なだけで。犯罪者ではありませんが。)

 

愛する子供たちに暴力を振るう夫。家は心安らぐ場所では無い。暴君の罵声が響き渡り。いつ爆発するか分からない怒りに家族で身を縮め、怯えて過ごす。もう耐えられない…私が殺してやる。

 

子供たちを守る為。人生を棒に振ろうが構わない。これは正義だから。正義の犯罪者。

 

母こはるに罪の意識は無い。三人の子供たちも父親からの暴力からは解放された。けれどそれは…新しい地獄と引き換えだった。

 

自営の地元タクシー会社。そこに押し寄せた世間からのバッシング。嫌がらせの数々。

叔父がこはるからタクシー会社を引き継ぎ。何とか立て直し。何度も引いては押し寄せる世間からの悪意に耐えながら、何とか地域から信頼されるまでいたった。

 

三人の子供たち。

長男大樹。子供時代からあった吃音は治らず。電気屋の娘と結婚し、一人娘を授かったが現在夫婦仲は破綻寸前で別居状態。

次男健二。かつては小説家を目指していたが。東京に出て現在はフリーライターとしてエロレポートを書いている。

長女園子。美容師を目指して専門学校に進んだが、母親の事で嫌がらせを受け中退。スナックで働く日々。

 

「こんなはずじゃなかった」人生。

犯罪者の子供というレッテルは想像以上に人生の通過点で毎度足元を掬ってきた。

 

そんな子供たちの前に。あの夜の約束通り。母こはるが帰ってきた。

 

「一体どんな顔したらいいんだよ…。」

 

実家で暮らしている大樹と園子は、戸惑いながらもこはるを受け入れた。けれど…一報を受けて東京から帰省してきた健二は頑な態度を崩さない。

 

こはるが捕まった後。服役中。残された子供たちは『犯罪者の子供』としてどれだけの辛酸を舐めてきたか。家族だけじゃない。タクシー会社にも散々嫌がらせがあった。それを何とか受け流し、再び地元からの信頼を得るまで…叔父をはじめ、社員一同どれだけ苦労をしたか。何禊を終えたみたいな清々しい雰囲気で。どの面下げて帰ってきたんだ。

 

「確かにこれを言う役割は要るよな…。」

 

兎に角こはる周りの人間関係には悪い奴が居なくて。タクシー会社の面々は諸手を上げての大歓迎。大樹と園子も戸惑いながらも受け入れ体制。

『子供たちを救う為』大義名分の犯罪にこはるの周りは寛容だけれど。でも『犯罪は犯罪だ』と声を上げる者は居て然るべきで。

 

また、フリーライターという職業も相まって。どうやら母こはるについてを再考し、記事にしようとしているのではないか。しかも悪意に満ちた感じで…そう臭わせる健二の行動。

「いやまあ…お気持ち分かるけれどさあ〜。そんなトゲトゲしく。」思わず溜息が出てしまう健二の態度。けれど。

 

「健二よ…。」

終盤。吐き出すように語った健二の言葉に。不器用が過ぎると頭を振った当方。

あの夜。母こはるが自分たちに自由をくれた。絶対に無駄にしたくない。自分が望んだ未来をきちんと掴み取らなくては、母が犯罪者になった意味が無い。

 

「憎たらしい事ばっかり言ってたけれど。あんたもお母さん大好きやねんなあ〜。」

 

稲村家をメインに据えてはいるけれど。

 

稲村タクシーに勤め始めた堂下道生(佐々木蔵之介)。一見穏やかで人の良さそうな。けれど一体どういう経歴の持ち主なのかよく分からない。そんな堂下が隠していた過去。

胸が温まる、ずっと大切にしたい。そんな息子と過ごした夜の思い出が。かつての自分の行いでぶち壊しになってしまう。

タクシー会社の古株社員、柴田弓(筒井真理子)。認知症で徘徊癖のある母親の介護をずっと頑張ってきた。疲労困憊で。ある夜、もういいやと刹那に身を任せたら…取り返しのつかない事が起きてしまった。

 

そんな。稲村家以外の登場人物たちに起きた、いくつもの夜を描いて、そして交差させていく。

 

「皆が普通だと思う夜も。自分にとっては大切な一夜というものが誰にもある(言い回しうろ覚え)。」

こはるの言葉がしみじみ沁みる。

 

15年の年月を経て。また新しい夜を超えて、再び繋がった稲村家の絆。

 

バイオレンスな描写がお得意な印象のあった白石監督が。まさかのヒューマンファミリー作品。しかも寅さん系のあったかいやつ。

「これは…毎年恒例でシリーズ化しても観られそうな気がするぞ…。」

ファ~ン。タラリラリラリ~。あのかん高いファンファーレが響く脳内。

 

何はともあれ。15年の隙間を埋め尽くして。彼らには幸せになって欲しいです。