ワタナベ星人の独語時間

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映画部活動報告「フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イブニング・サン別冊」

「フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イブニング・サン別冊」観ました。

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ウェス・アンダーソン監督作品。

 

20世紀。とあるフランスの架空都市にある『フレンチ・ディスパッチ編集部』

米国新聞社支社発行で、全世界にファンを持つ雑誌『フレンチ・ディスパッチ』が最終刊を迎えた。というのも編集長が急死したため。以前から有事にはそうせよという取り決めがあった。

有終の美を飾るべく選ばれた4つの特集。それらをオムニバス形式で描いていく作品。

 

「雑誌かあ」

毎月本屋へ通い、何冊も雑誌を買い込んだ。情報誌、ファッション誌、生活誌エトセトラエトセトラ…今でも購読している雑誌はあるにはあるけれど、昔ほど雑誌を買わなくなった。

一冊の雑誌から、流行のファッションやドラマや音楽、食べ物。好きなコラムや連載小説や漫画。世界が広がった気がして楽しかった。

スマートフォンを当たり前に持ち、情報を選択してカスタムしてしまう現代において「一つにまとまっている」情報誌を読む機会の少なさ…けれど今でもそれを手に取ってみると…きっとわくわくするだろう。

 

この、架空の雑誌『フレンチ・ディスパッチ』は1925年刊行の『ニューヨーカー』をイメージしたらしい。それを当社比でもトップクラスの変態監督(褒めています)ウェス・アンダーソンの世界観に落としこめば…永遠に画面上を左から右に流れ続ける、手回しからくり映画になってしまう。気持ちいい。

(当方がウェス・アンダーソンを変態監督と称する所以。それはあの独特な几帳面さを持つ絵面と、淡々としたテンポに他ならないのですが。今作も当然健在。)

 

最終刊を飾ることになった4つの記事『自転車にのって(勝手に命名)』『確固たる名作』『宣言の改定』『警察署長の食事室』。

 

『自転車に乗って』自転車に乗って我が街を紹介。昼間は情緒のある美しい街。しかし夕方を過ぎれば売春婦や男娼が姿を現す。よく見ればネズミがウロチョロしていて、悪童にすぐしてやられる。

 

『確固たる名作』あるフレンチ・スプラッター派アクション画家(なにこの名称)の男。荒くれ者故投獄されたが、そこで出会った女性看守をミューズとして作品を残した。しかしその絵のありかは…。

 

『宣言の改定』女性ジャーナリストが見た、若き学生運動家の青春と刹那。

 

『警察署長の食事室』故郷を追われた記者が遭遇した「署長の息子誘拐事件」。

 

「…って、省略しすぎやろう!」とお怒りの声を受けそうですが。滅茶苦茶端折るとこれら4本立ての短編。それをまあ「ウェス・アンダーソン監督よ。あんたの人脈、三谷幸喜か」と言いたくなるくらいの手広すぎる豪華俳優陣でお届け。

 

当方としては「え、そんな潔い…」という驚きが隠せなかったレア・セドゥ。そしてただそこにいるだけで眼福のディルダ・スウィントン。ティモシー・シャラメってこういうモラトリアム青年枠からなかなか抜け出せないなあ~。ぱっと見ではわからなかったフランシス・マクドーマンド。他にも「あらこんなところに」と随所に豪華俳優陣を配置させている。

 

とまあ、こういう歯切れの悪い文章をつらつら書いていても先には進みませんので…ここからは当方の率直な感想を書いていきますが。

 

「単独では長編にならない物語を組み合わせたけれど…」

そりゃあそうやろう~。オムニバスやねんから。そうなんですけれどどうも当方的に「締めがしっくりこなかった」

 

冒頭の街の紹介が『起』としてサラッとしているのは自然。『承』の美術物語と『転』の活動家の話の盛り上げていく下りもリズムがいい。けれど…『結』のすわりが悪い。

 

『警察署長の食事室』記者の体験談。入り組んだ署内を迷子になりながらもたどり着いた署長室。そこでディナーをご馳走になる予定だったが、警察署長の一人息子が誘拐されてしまった。

犯人からの要求。犯人と息子を追う警察官たちの攻防。そして息子を救ったスペシャル料理とは…という、雑に書いただけでも楽しそうな内容なのに…これ、全編モノクロまたはアニメーション。

「何故!何故にアニメーション?この章こそウェス・アンダーソンならではのカラフルな色彩と左から右に流れる画面構成やろう!」食いしん坊万歳の当方は「食べ物」を扱っているのに「食べ物が全く美味しそうに見えない」という一点突破でこの章を「すわりが悪い」と言い切っているんですわ。

 

…一応しんみりとしたオチで締めるんですが。「バランス悪いなあ~」と感じてしまった当方。

 

急に息巻いてしまいましたが。ともあれこの『フレンチ・ディスパッチ』も最終刊。

どういうスパンで刊行されていた雑誌だったのかわかりませんが(というか架空の雑誌)こういうこじゃれた雑誌が世を去るのはさみしい。けれど去り際の美学という言葉もあるし…内容が低下していくのならば面白いうちに幕を閉じるのも美しいのかもしれない。

 

こういう雑誌が存在したら、手元に残しておいて、たまに読み返す…当方が一番繰り返すのは『自転車にのって』な気がする。どこかに連れて行ってくれる記事…。

 

ゆったりくつろいで雑誌を読みたい。ゆっくり…ちょっと今は夢のまた夢ですが…その時は探しに行きますので。よろしくお願いします。