ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「ウエスト・サイド・ストーリー」

「ウエスト・サイド・ストーリー」観ました。
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「1957年にブェローム・ロビンズの原作・演出で生まれたブロードウェイミュージカル。1961年にロバート・ワイズ監督で映画化。以降も数多上演され続けている往年の名作を、スティーブン・スピルバーグ監督が今映画化!」

…みたいな煽り文句にホイホイ吸い寄せられた当方。

「確かに名作やけれど『~曜日のロードショー』で絶対に見たことあると思うけれど…全然思い出せない」「確かニューヨーク版ロミオとジュリエットよな?」

せっかくですから。これは観ておかないと。

 

結局、記憶の引き出しが開く事はなく。新鮮な気持ちで鑑賞。そして真っ先に思ったのは「人様に多大な迷惑をかけるような恋をしてはいかんよ…」

つまらん。つまらん大人になってしまったものよ。

 

1950年代後半のニューヨーク、ウエスト・サイド。これから開発が進む寸前の雑然とした街。

以前から住んでいた、ヨーロッパ系移民の不良チーム・ジャッツ。対するのは最近増えてきたプエルトリコ系移民の不良チーム・シャークス。

顔を合わせれば一触即発。そんな犬猿の仲なのに。ジャッツの元リーダ・トニー(アンセル・エルゴート)とシャークスのリーダの妹・マリア(レイチェル・ゼグラー)が恋に落ちてしまった。

 

「これはあくまでもミュージカル映画なんやから。話の整合性にひっかかってはいけない」

鑑賞中、何回も何回も己に言い聞かせた当方。何故なら…まともにストーリーと登場人物の心の機微を考えたらおかしなことだらけだから。けれどこれはミュージカル映画…歌とダンスがメインでストーリーは脳内補正…ツッコミは即補正せよ!

 

流石スピルバーグ監督。冒頭からのカメラワークやら歌とダンスシーンなんかは御大の力を見せつけてくる。「バシッと決まったミュージカルやダンスシーンを見ると泣いてしまう病」がある当方は所々涙。

特にシャークスのリーダ・ベルナルドの恋人であるアニータ(アリアナ・デボーズ)がとにかく最高で、ベルナルドとアニータの『America』は高揚感で座席からお尻が浮きそうになったほど。

 

ですがねえ…いかんせん、どれだけ脳内補正をかけても「主人公達の恋を応援出来ない」んですわ。

 

かつては荒れに荒れまくっていた、ジャッツの元リーダ・トニー。事件を起こし服役、出所した後は後見人となってくれたバレンティーナ(リタ・モレノ/1961年オリジナル版のアニータ役!)の営む雑貨屋にて住み込みで働いていた。

「もう暴力とは無縁だ」慎ましく生活しているトニーだったが。腐れ縁、ジャッツの現リーダ・リフ(マイクワェイスト)はしつこくトニーを誘ってくる。

散々リフの誘いを断ってきたけれど。ふと気が向いて参加したダンスパーティーで、運命の人マリアと出会ってしまった。

 

このダンスパーティー、ジャッツvsシャークスのダンスバトルの迫力が心地良すぎる。なのでこの後に、バックヤードで主人公二人が出会って〜からの『Maria』が来るんですが…すっかり賢者モードに陥ってしまった当方には「一目惚れ」という概念が理解できず。

「は~じめて会ったと~きから 違うもの感じてた」「あなたがそ〜だ!あなただ〜たんだ!うれしい!楽しい!大好き!」とはならない。

「一体あなた達、お互いのどこに魅力を感じたのか?」真顔で片言。

けれど盛り盛りに盛り上がる二人。「なんでも~できる強いパーワ~が」どんどん沸いたんでしょうな。夜中に大声あげてマリアの自宅アパートに押しかけ。バルコニーで二人で歌い上げる『Tonight』(超有名なシーンになんて言いぐさ)。どうしてこんな急に恋に落ちて酔っているのか?

結局、この違和感が最後の最後まで拭いきれなかった。これが当方の「主人公達の恋を応援出来なかった」所以。

 

ダンスパーティーは乱闘で中断。「この際、どちらがウエストサイドで生き残るのかをはっきりさせようぜ」と数日後に両チームの決闘が決まった。

「もう関わりたくない」トニーと「ケンカはやめて」というマリア。マリアに説得されたトニーはリフと話をするが事態は避けられず。いざ決闘の現場に向かったが…。

 

(この決闘からのトニーとマリアの判断と行動…何一つ好きになれなかった。自分たちさえ良けりゃあいいが過ぎる)

 

移民同士が争う。来た時は違えども、互いにアメリカという地に夢を見たからここにいるのに。移民同士で共存していくという選択肢はないのか。

結局争いは良い結果を生まない。取返しのつかない哀しみと憎しみ…「やられたからやり返す!」の不毛さ。

怒りと疲労がピークに達した集団が、一人の女性に向けた最悪な行動。憎い相手には何をしてもよいという感情からくる負のスパイラル。そこには正義などない。

 

物語の主軸となる恋愛には正直ノレなかったけれど…今の時代にスピルバーグ監督がこの作品を映画化した意味は何となく分かる。

1950年代から70年も経過しているけれど、今でも通じる問題がある。

 

恋愛ジャンルとしては脳内補正が追い付かなかったし、この作品が抱えるテーマにきちんと向き合おうとなると…中途半端な知識や思考では太刀打ちできない。

「でも。これはあくまでもミュージカル作品なんやから!」そう。難しく考えすぎなくても。圧倒的な歌とダンスに飲み込まれて泣いていたらいい。結局はそう着地してしまった当方。そういうのは後からゆっくり考えたらいいかと。

 

周囲を振り回すだけ振り回す恋。最後に当方はマリアに言いたい。「トニーより、兄ベルナルドが結婚相手候補として認めていたチノ(ジョシュ・アンドレ・リベラ)こそがあなたを一途に想ってくれた人なんじゃないのかね。」「こんな人、なかなか現れないぞ。」

若さゆえ…けれどこんな風に思う、つまんねえ大人になっちまった感…思えば遠くへきたもんだ。

 

「サントラ欲しいな。それよりまずは、1961年オリジナル版を見ないと」「1950年代後半のブロードウェイ事情…」ゆっくり考えるにあたって、みるべき資料が多そうです。