ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「DUNE/デューン砂の惑星」

「DUNE /デューン砂の惑星」観ました。
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西暦1万190年。人類は宇宙帝国を築き、皇帝は各惑星を大領家に統治させていた。

とある大領家のアトレイデス家は、皇帝から「デューン」という惑星の統治を任命された。

砂の惑星」とよばれるほど、一面に広がる砂漠。その地下には砂虫ことサンドワームという巨大な虫が地中を跋扈し、時折地上に姿を現しては人を食らう。

加えて原住民であるフレメンとも友好的な関係は築けていない。

それほどの悪環境でありながら、人類が「デューン」を手放さない理由。それは人類の活動性を爆発的に向上させる「メランジ」という香料が産生される惑星だから。

 

満を持して、砂の惑星デューンに降り立った、アトレイデス家の君主レト(オスカー・アイザック)と愛妾レディ・ジェシカ(レベッカ・ファーガン)と息子のポール(ティモシー・シャラメ)。

 

「そして、壮大な物語の幕が上がる」

 

1965年に刊行され、第6作まで続いた、フランク・ハーバード著のSF大河小説『デューン砂の惑星』シリーズ。

1970年代に、ホドロフスキー監督が映像化しようとし断念(『ホドロフスキーデューン』)。1894年にデヴィッド・リンチ監督が映像化したけれど、すったもんだした挙げ句、監督に編集権が与えられずにハチャメチャな映画になってしまったという『デュ―ン/砂の惑星』。

数々の人物が映像化を試みては敗れ去ったという、まさに「映像化不可能」の世界観を、ドゥ二・ヴィルヌ―ヴ監督が映像化に挑戦し公開に至った作品。

 

10月の公開初日。その夜仕事終わりに鑑賞。金曜日の夜…あまりにも広大な景色とまったりとした世界観に時折意識を消失しそうになりながら鑑賞。映画館からの帰路で映画部部長に送った感想メール。「155分かけて序章を描いておりました!」

 

もはやこれはカルト映画だと一部の人たちから人気がある、リンチ版未鑑賞。となると勿論、ホド爺のドキュメンタリーも抑えていない。ましてや原作も未読。そんな何もかも始めてな当方が何故この作品を観たいと思ったのか。それは「映画館で超大作SF作品を観たい」と思ったから。

 この約2年。コロナ禍で映画全体を取り巻く環境も激動だった。いくつも(いまだに)続いた公開延期作品。その中にあった『デューン 砂の惑星』。

映画館で流れる予告で何回も何回も見かけた。そうして募る「映画館で超大作SF作品を観たい」という気持ち。

 

結果から言うと「確かに壮大なSF大作を観た」「これは映画館で観るべき映像だ」という満足感には浸れますが。「その中身は?」と問われるとヘラヘラ笑うしかない、という…。

映画公開からしばらくして「続編製作決定!」というニュースが流れ。「そりゃそうじゃなかったら、一体これ何やったん?ってなるよ」と突っ込まざるを得なかった当方。

 

とにかく「今日日こんなにゆったり時間を掛けて一作品作っていいんや…」と言いたくなるほどのスローテンポ。そして説明不足。

 

「え?今なんて?」冒頭に書いたような、物語のとっかかりは多少説明していましたが。かなり早い時点からこの世界観を構成するワードの説明を放棄。「俺の背中を見て覚えろ」「考えるな!感じろ!」と言わんばかりのスタイルにシフトチェンジ。とはいえ、そこまで込み入った展開もないので、鑑賞する側としても「まあいっか~」とのんびり構えてしまう。なので大筋でしか把握できていない現状なのですが。

 

アトレイデス家が統治するまで、デューンはハルコンネン家が統治していた。

ハルコンネン家の当主、ハルコネン男爵は自立できないほどの超巨漢で、呪術で己の姿を維持しているような人物。ハルコンネン家のポリシーは「力こそ権力」を地でいっており、デューンでも武力で押さえつける軍事統制を敷いて、特産物の香辛料を巻き上げて富を得ていた。

当然原住民のフレメンと折り合いが付くはずもなく。フレメンたちは地下に自分たちの世界を作り、ハルコンネン家とは没交渉を貫いていた。

そんなハルコンネン家にとって、統治者交代の知らせは当然良いものではない。

しかも相手はアトレイデス家。当主のレトは平和的に物事を解決しようとする人物で、どうもいけ好かない

一触即発な気持ちでいるハルコンネン家と、あくまでも穏やかにフレメンと共同する策を模索しようとしていたアトレイデス家。

しかし。おおもとである皇帝の目論見は、近年勢力を伸ばしつつある両家が互いに潰し合いになることを目的とした、デューン統治交代だった。

 

案の定、ハルコンネン家の部隊に襲撃され、長を失ったアトレイデス家。

身重の母と共に逃げ惑ううち、ポールは原住民フレメンと出会う。

彼らこそ、かつて何度も夢で見た仲間であり、愛する少女チャニ(センデイヤ)との出会いだった。

 

大筋でありほぼ全編ネタバレ…ですが。まあこういったあまり込み入っていない内容を兎に角のんびりと広大な映像で紡ぐんですわ。

ドゥ二監督。最近の作品たちからも「映像にこだわる監督」という印象が強く、その美しさと無機質さが特に際立つ今作。美術館みたいなキメ画の連続。無味無臭の世界。

そして。時計で確認できる環境では無いのであくまで体感ですが、「大体15分に一回位は出てくるティモシー・シャラメのドアップ」。大画面でありながら耐えうる顔面偏差値の高さに「すげええな」という溜息と終始眩しそうなしかめっ面に「灼熱の太陽と砂は眩しかっただろうな」そして「一体彼の輪郭どういう形なんだ。後、なだぎ武を想像してしまうのは何故だ」と様々な感情が入り乱れる。

 

そして。『音楽/ハンス・ジマー』に「分かってんなあ~」と膝を打つ当方。テンション爆上がり。壮大な映像に「オッス!俺ハンス・ジマー!」と言わんばかりの音楽。これだけで何杯でもご飯が食べられる。うまい!

 

まとまりがないまま長文化してしまいました。だらだら続けるのもどうかと思いますので風呂敷を畳みますが。

正直「155分かけた序章」という感じが否めず。映像美とハイテンション音楽に酔いしれるのみの前編。後編に期待!という感想に尽きるんですが。

 

とりあえず、2023年次回公開までにデヴィッド・リンチ監督版『デュ―ン/砂の惑星』は観ておくべきだろうとは思っています。