ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「メインストリーム」

「メインストリーム」観ました。

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アメリカ。夢と希望と野心が溢れるLAで暮らす、20代の女性フランキー。夜は寂れたコメディバーで働きながら、昼間は映像作品をYouTubeにアップする日々。何かを成し遂げたいけれど、自分にはクリエイティブな才能が無い。そう思ってくすぶっていたある日、街角で出会った『リンク』という青年。

突拍子もない行動と、意味不明なのに惹きつけられるリンクの話術。思わずリンクの姿を撮影し、YouTubeにアップしたところ、自分史上最高の再生数を記録した。

「彼は当たる」「間違いない」リンクのカリスマ性に引き込まれたフランキーは、同じバーで働く、男友達で作家志望のジェイクを誘って本格的に映像製作を開始する。

自身を『ノーワン・スペシャル(ただの一般人)』と称し。破天荒なのに何故かカリスマ性を放つリンクの動画は瞬く間に世の注目を浴びるようになったが。

 

リンク=ノーワン・スペシャルをアンドリュー・ガーフィールド。彼の才能を見出し、恋人となって共にのし上がったフランシスをマヤ・ホーク。構成作家のジェイクをナット・ウルフが演じた。監督は映画の名門、コッポラ一族から、ジア・コッポラ。

 

アンドリュー・ガーフィールドを愛でる作品だな。それにしても…スパイダーマン以降のアンドリューのはっちゃけぶりよ。」

 

独居生活で、すっかりテレビを見なくなった当方。YouTubeなどの動画サイトを見ることもほとんどない。サブスクリプション系動画コンテンツにも加入していない。なので「動画サイトやインフルエンサーあるある」や「今流行の動画コンテンツ」など全く詳しくない。というていらくなのでアレですが…これは分かる。感覚が古い。

 

つまりは迷惑系YouTuberってやつですか。初めこそ謎のカリスマ性を遺憾なく発揮して周囲を惹きつけたけれど、注目を浴びるにつれ行動が過激になっていく。

「もっと再生数を伸ばすには?」「皆が望んでいるものは?」承認欲求が満たされるとうれしくて、どんどん人格が変化していく。そして「炎上商法」へと変化していった。

 

始めはただ面白い奴だった。スマホなどから見られる動画という手段を使っているくせに、主張は「スマホを捨てろ」。その矛盾が当初は面白がられた。

「皆で夜墓場に集まろう。スマホの灯りを表示したら、そこにスマホは置いて周りの人と話をしよう(言い回しうろ覚え)」幻想的な夜は若者達を甘く酔わせた。

けれど。他のインフルエンサーとコラボし、スポンサーが付いてYouTubeで番組を持つようになったころから、リンクの暴走が始まった。

 

「恋した者の欲目」彼を見出したフランシスは共に寄り添うけれど、ジェイクは次第にこのチームから心が離れていく。

寂れたバーの同僚時代から、ジェイクはフランシスのことが好きだった。ポッと出の、得体の知れないリンクにフランシスを奪われた。けれどジェイクが離れていったのは失恋のせいじゃない。

 

YouTubeでの番組で、イザベルという一般女性がゲストの回があった。若く美しいイザベルに、リンクはイザベルの素顔を自身のSNSにアップしろと迫る。けれどそれは「絶対に触れるべきではない」センシティブなもので、およそ笑える内容では無かった。

そのあまりにむごいやり方に、ついていけないとチームから離脱したジェイク。そして残されたフランシスもまた、自分たちがどうすればいいのかを見失ってた。

 

そんな時。インフルエンサーたちが集まり討論する番組で、またもやリンクが暴走。そして最悪な展開を迎える。

 

「なんか…世の中そんなに単純じゃないと思う。」

どこぞの誰かわからない男=ノーワン・ピープル。っていう設定自体がまず無理。顔出しでやっている以上、誰かにすぐ「アイツって、どこどこの何某だぞ!」と晒される。物語では随分終盤に「アイツはな…」と明かされていましたが。インターネットが日常の世界観で『新聞の切り抜き記事』で素性を知るというオールドスタイルはまずありえん。

 

そして、主人公フランシスの軽薄さ。たまたま街で見かけた、不可思議な青年を動画でアップして『専属プロデューサー』としてのし上がっていく。

でも…身も蓋もないですけれど、結局リンクが男前やから成せた技だろうと思ってしまう当方。だって、彼女たちが作ったの、コミカルなだけで特にメッセージ性がある動画ではないから。その動画が爆発的にヒットして、人気者として成り上がっていくけれど、どこまでいっても、彼女は自分では何かを作り出せない。そしてリンクが暴走して手が付けられなくなったら、最終的には手放して…かつての場所へ帰っていく。

責任の所在は?専属プロデューサーならばタレントの面倒は最後まで見なあかんのちゃうの…何ていうか…フランシスの心意気…傷ついたら撤退って。所詮はお遊びでしたか。

 

そして最大の引っかかりが「世間がリンクをカリスマと見ているのは何処だ」分からなかった…男前の顔面力ですか?

確かに不快だった、イザベルの回。面白くしたいという欲は醜悪なものへ変化し、そのままリンクは戻ってはこなかった。以降はただただ狂った不快なインフルエンサー

世間から誹謗中傷を浴びるけれど、一方でリンクに賛同する人々もいる~けれどそれは昨今の価値観では無理なんじゃないかと感じた当方。こういうんやで、感覚が古いと思うところ。

(映像も「ここでこういうキラキラとか…チープになっちゃうよ~」とか。古い)

 

「おかしなカリスマ野郎が世の中を扇動してしまう、危うい世界」「一個人が承認欲求が満たされ持ち上げられるうちに化け物へと変わっていく」「ふとした言葉が取り返しのつかない傷を負わせることがある」「数という暴力」総じて言いたいことは分かるけれど…5~10年位前に出てきていたらねえ…。

 

ともあれ、アンドリュー・ガーフィールドを愛でる目的ならば十分に面白い作品。「こんなことも出来るのか!」とうれしくなるはっちゃけぶり。しかも94分とちょうどいいサイズ感。

 

まさに、当方の勝手なジャンル『オサレバー映画』(オシャレな薄暗いバーで延々無音で流れている映画)にぴったりの作品でした。