ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「最後の決闘裁判」

「最後の決闘裁判」観ました。
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1386年フランス。ノルマンディーの騎士、ジャン・ド・カルージュ(マット・デイモン)の妻マルグリッド(ジョディ・カマー)が夫の旧友である従騎士のジャック・ル・グリ(アダム・ドライバー)に強姦されたと訴える。

しかしル・グリは事実無根だと身の潔白を主張。加えて権力者である領主、ピエール伯(ベン・アフレック)がル・グリの味方についたこともあってカルージュ夫妻は窮地に立たされた。時代は14世紀。目撃者が無く、科学的な証明も出来ず不毛な水掛け論。

そして遂に、カルージュは真実を決定するために、国王であるシャルル6世にル・グリとの決闘裁判を直訴したが。

 

昭:はいどうも。当方の心に住む男女キャラクター『昭と和(あきらとかず)』です。

和:暗いな~はりきっていこうぜ!

昭:はりきれるか!俺はねえ~かつてないほどに緊張しているし、気が重いよ。

和:なんで?

昭:そりゃあそうやろう。「男女の立場から意見を述べ合う」って、この作品を語るに於いて男の立場ってもの凄くセンシティブやもん。

和:そうやなあ~。元親友の妻をレイプした男とか、そもそもその夫も大概なモラハラ野郎だとか。なかなか「だって男ってやつさあ~」とは語りにくいよね。

昭:お前本当にズケズケものを言うよな。俺は壊れそうなものばかり集めてしまうハートの持主なんやぞ…とりあえず、毎回の会話に「合意の無い性行為を良しとは思っていません」って差し込んでもいい?

和:明らかに会話のテンポがおかしくなるから却下。まあ大丈夫やって。私たちは男女でキャラ分けされているけれど、元々は当方の心から派生しているんやから。昭さんが男性の立場でも「女性に何をしてもいいと思っていない」事大前提で進むよ。という前置きはこれくらいにして。始めるよ。

 

昭:この作品は三部作で構成されていて。第一章は騎士、カルージュ。第二章は従騎士、ル・グリ。そして第三章はカルージュの妻、マグリットの視点で語られる。

 

和:第一章。14世紀のフランス。かつては親友で共に戦地で戦った。けれど、猪突猛進で不器用なカルージュは騎士たちの中でも浮いた存在。そのせいでかつては親友だったル・グリに代々継いでいた城塞の長官の座を奪われてしまう。

昭:男前でノリも人当たりも頭もいい、そんなル・グリは権力者であるピエール伯のお気に入り。欲しかった地位も領土もル・グリに持っていかれた…けれどカルージュは一人では無い。最愛の妻マグリットがいたから。

和:武骨で一匹狼な俺だけれど、寄り添ってくれる美人の妻がいる。子供はいないけれど、俺たちは体だけでなくもっと深いところ…心で繋がっている。だって夫婦だから。何このポエム。震えるわああ~。

昭:ある闘いでの報酬を受け取るべく、城を不在にしたカルージュ。「マグリットを一人にするんじゃないぞ」そう言って出かけたはずなのに。その隙を狙われた。

 

昭:第二章も時系列は同じ。まさか第一章と同じシーンからスタートするとは思わなかった。けれど…同じ出来事でも視点が変わるとガラッと変わる。ル・グリから見たカルージュは、カッとなりやすく単細胞で粗雑な男。かつては親友と呼べる相手だったけれど、今は意固地になって騎士仲間からも浮いてしまっているし、何かと自分に対して敵対心をむき出しにしてきておよそ付き合えない。

和:なのに。そんなカルージュが美しく聡明な妻を連れていた。ある祝いの席で見かけたマグリットと交わした会話の知的なことよ。こんなに魅力的な女性が、カルージュなどと一緒にいる。

昭:マグリットには自分の方がふさわしい。彼女だって自分と話しているとき、楽しく満ちた表情をしていた。想いが募り…最悪の事態へと転じていく。

 

和:あのレイプシーン。本当に怖かった。思わず両腕を体に回してこわばったくらい嫌やった。

昭:合意の無い性行為を良しとは思っていません(溜息)。俺はこの行為を絶対に肯定していないんやけれど、続けてもいい?

和:どうぞ。

昭:第二章の中で、ピエール伯邸でのパーティ?みたいなシーンがあったやん。夕食でピエール伯の妻(妊娠中)が退席したあと、皆でサロン的な場所でくつろいでいるうちにだんだんエロくなるやつ。あそこで、嫌がっている女性を抱きかかえてベットに押し付けて後ろから襲うんよな。皆げらげら笑っていて、下手したら数人で女性を押さえつけている。ああいう事を、日常とまではいかないにしろやっていた奴なんだよ。こういう行為がすなわちレイプだなんて思っていないの。

和:被害者にとっては合意の無い性暴力。けれど加害者側はそう思っていなくて、相手も楽しんでいると思っている。確かに互いが合意で一緒に楽しんでいる場合もあるけれど、合意の上かどうなのかの境界線が一方的で確かめようとも思っていない。

 

昭:第三章。マグリットの視点は兎に角男性二人に辛辣。夫は自分勝手で全方位に渡って雑。そしてル・グリに対しても別に何とも思っていなかった上に自身を踏みにじった憎むべき相手。

和:第三章の始まりに『真実』とテロップを出したのはちょっと過剰に演出したと感じた。だって、これまでの章も本人たちにとっては『真実』やもん。

 

昭:この作品の脚本は第一章をマット・デイモン。第二章をベン・アフレックが書いているんよな。『グッド・ウィル・ハンティング』のコンビ!仲良し二人がキャッキャして書いた姿が浮かぶ。だってこれかつて親友だった二人の「あの時 同じ花を見て 美しいと言った二人の 心と心が 今は もう通わない」っていう『あの素晴らしい愛をもう一度』の世界観やもん。そこに冷や水ぶっかけたのが第三章の脚本を書いたニコール・ホロフセナー。彼女が書いたマグリット視点が入る事で、グッと全体が締まるし『藪の中』的な構成が生きてくる。

 

和:粗暴で雑な夫に献身的に尽くしてきた。夫が不在の間にレイプされ、けれど泣き寝入りなんてしない。絶対に罪を認めて償ってもらう。そう思ったのに。裁判ではセカンドレイプ的な精神を削られる思いばかりをした挙句、決着を決闘でつけると言い出した。もううんざり。何もかもが最悪。こいつら二人とも相打ちになってしまえばいい。

 

昭:俺は、この三人の脚本家が織りなして出来上がった世界観にも圧倒されたけれど…結局はリドリー・スコット監督(以降リドスコ監督呼ばわり)のキレッキレな手腕を感じたな。

和:というと?

昭:三者の主張。特に最終のマグリットの視点は、言い方がアレやけれどいくらでも感傷的にやれたと思うんよな。でも言いたいことは押さえるけれど、バランスが過剰に傾かない様にサクサク描いている。全体的に流れに抑揚をつけていない。だって、リドスコ監督が描きたいのは…。

 

和:決闘裁判。

 

昭:あくまでも個人の感想なんやけれど。デビュー作が『デュエリスト/決闘者(1977)』だったことからも、絶対にリドスコ監督は決闘シーンに惹かれていたはず。

和:決闘裁判に至った経緯も決闘裁判も、あくまでもフラットに描く。どこかを過剰に演出し過ぎる事はせずに「決闘裁判とはどいういうものか」を見せる。

昭:大体、物事に決着がつかないからって腕力で勝負、という時点でどうしようもないんやけれど。ただそこで負けたが最後、全ての尊厳を奪われる。

和:もしカルージュが負けたら、マグリットも生きたまま火あぶりにされる。負ける…決闘なんで死ぬということだけれど、あの「死んだら肉袋」的な扱い。

昭:決闘裁判に集まった群衆。国王夫妻や貴族たちのリアクションの方がまだ分かる。むしろぞっとしたのは一般市民たち。あそこには男性に虐げられていた女性たちも居たのだろうけど…どうしても漫画『ベルサイユのばら』であった「貴族の奴らをしばり首!」というフレーズを想像してしまった。そういう…群衆にとっては、恵まれたバカたちによる、生死を掛けたエンターテイメントという側面もある。そういう残虐な感情を生み出す背景とは。リドスコ監督もしっかり主張しているんよな。本当におっかない。83歳でこの手腕。

 

和:尽きない。カルージュの母親とかマグリットの友達の手のひら返しも語りたかった…14世紀にフランスであった、最後の決闘裁判。この乱れ切った感情をどう落とし込むべきなのか…。

 

昭:最大の謎は「パンフレットが作られなかった」ことだよ。

和:本当に。こんなに関係者たちの想いを知りたいと思うことはそうそうないのに。これもまた、この作品らしいといえばらしいのかもしれないけれど…。