ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「護られなかった者たちへ」

「護られなかった者たちへ」観ました。
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東日本大震災から10年後の仙台。餓死が死因の殺人事件が2件連続して発生した。

現場の状況から、被害者は何者かによって空き家に連れ込まれた後、全身を拘束されたまま放置され餓死に至ったと思われる。

彼らに共通したのは「誰もが慕う人格者であった」ということ。

捜査線上に浮上したのは、別件で服役し最近出所したばかりの利根(佐藤健)という男。

県警捜査班に所属する刑事・笘篠(阿部寛)は、二人の被害者の共通点から戸部との関係性を突き詰めていくが。

 

原作は中山七里『護られなかった者たちへ」。『64-ロクヨン‐全編/後編』などの瀬々敬久監督作品。

 

2011年。東日本を襲った大地震。仙台のとある避難所で、互いに身寄りのない三人が身を寄せ合って過ごしていた。

近所に一人で暮らす老人・遠島けい(賠償美津子)。両親を亡くした子供・カンちゃん。そして当時水産加工会社に勤めていた利根泰久(佐藤健)。たまたま知り合った三人だったけれど。まるで血の繋がった家族のように寄り添い、辛い時を乗り越えようとしていた。

 

十年の月日が経って。果たして彼らはどうなったのか。何故利根は『連続餓死殺人事件』に関わっていると思われたのか。

 

「『護られなかった』ってこの漢字を当てたのはこういう意味か…」

東日本大震災をきっかけとしてはいるけれど。この作品の大きなテーマは『生活保護にまつわる諸問題』。

 

生活保護制度とは、生活に困窮する方に対し、その困窮の程度に応じて必要な保護を行い、健康で文化的な最低限の生活を保障するとともに、自立を助長することを目的としています。生活保護の相談・申請窓口は、現在お住いの地域を所轄する福祉事務所の生活保護担当です。(引用元:厚生労働省)』

 

仙台市若葉区の福祉センター課長・三雲忠勝(永山瑛太)がとある廃屋にて発見された。拘束され、死因は餓死。ほどなくして別の場所で仙台福祉連絡会副理事・城之内猛留(緒形拳)も同じ死因で発見される。どちらも真面目な人格者で怨恨の噂もない。しかし二人の死因や状況が似通っていることから、警察は連続殺人事件であると断定し捜査を始めていた。

刑事の笘篠誠一郎(阿部寛)は相棒の蓮田(林遣都)と共に福祉センターへ向かい、紹介された、三雲の直属の部下であるケースワーカー・円山幹子(清原果耶)と共に行動することで生活保護受給者の実体を目の当たりにする。

 

ケースワーカーの定期訪問。そこでは、実は車を所持している受給者や、パートで働きだしたことを隠して受給を続けているシングルマザーが映し出される。持ち家や車という財産が有りながら不正に貰い続ける者に強い態度を示し。同じくシングルマザーにも打ち切りを切り出したりと、円山の対応は容赦ない。しかし「限られた資源であり、他に困窮している人に回したいんです(言い回しうろ覚え)」という彼女の言い分にはぐうの音も出ない。

 

被害者の三雲と城之内が、かつて同じ福祉センターで働いていたと判明した。そしてその施設に怨恨で放火し逮捕・服役し、出所したばかりの利根泰久が今回の事件の重要参考人に挙げられる。

 

劇場公開から約一か月。果たしてどこまでネタバレしていいモノなのか…がっつり書いて感想をぶつけたい気持ちはあるのですが。まあ…犯人が誰なのかは伏せながら進めたいと思います。

 

生活保護制度について、当方は不勉強で知らない事ばかりで…付け焼刃な知識なのでとんちんかんな感想になるかもしれない。先んじてお詫びしたと思います。

 

何故この二人が殺されなければならなかったのか。しかも餓死という形で。それは彼らが『福祉事務所』の『生活保護担当者』だったから。

 

何らかの事情があって、生活が立ちいかなくなった。食べていけない、下手したら住む場所も失ってしまう。野垂れ地ぬ寸前。そんな人が、人間らしく生きていくための最後の砦が生活保護。けれど「自分一人でどうしようもなくなったら、まずは家族に頼りましょう」「それでもダメだったら、国に頼りましょう」というスタンスで、生活保護よりも先に身内での援助の有無を問われる。

被害者二人が関わったケースにあった、遠島けいという人物。身寄りがなく、若い男女に連れられてやって来た。しかしけいは生活保護対象にはならず、残念な結末を迎えた。そのことに対し、対応が不誠実であったと不満を爆発させ、福祉事務所に放火した人物がいた。それが最近出所したばかりの利根という男。けいを連れてきた若い男。

 

この作品を観ていて、当方がどうにも座りが悪かったのが「誰も悪人ではない」ということ。

被害者となった、三雲と城之内。何故彼らが餓死させられたのかは、かつて三雲が放った言葉から。それは言葉だけを聞いたら確かにひどいけれど、三雲は決して「殺されていい人」ではない。「限られた資源をより困っている人に届けたい」という信念があり、それは直属の部下である円山が引き継いでいる。

生活保護を受けられなかった、または打ち切られた者からすれば鬼の所業。しかし彼らは職業人としてその地域全体を考えているのだから、そりゃあ目線が違ってくる。

 

そして…何よりそれは犯人こそが分かっているはずなのに(ネタバレしない…もどかしい)。

 

例えば。先述した、生活保護を打ち切られたシングルマザー。彼女には小学生の娘がおり、娘を塾に通わせたいという気持ちからパートを始めたという事情があった。「お母さんが精神疾患があるからって差別されているから、人並に塾に行かせたかった(言い回しうろ覚え)」受給を打ち切られた母親が取った、悲し過ぎる決断に「それとこれは話が違う」「嫌な言い方やけれど当てつけやないか」「うまく言えないけれど…それは生活保護担当だけが背負う問題ではない」「お金だけの問題じゃない」とモヤモヤした当方。

 

遠島けいの場合。「実は彼女には…」という実情も明かされて「それは生活保護受給できなくても仕方がない…」と思わざるを得なかったのですが。描かれていなかったので何とも分かりませんが、年金はどうなっていたのか。後、年齢的にも何か持病はありそうだし、そこから介護医保険や地域包括的なサービスとか。保健師が介入とか地元ボランティアとか…そういう切り口からも何か出来たんじゃないかと感じた当方。

 

つまりは。「色んなケースがあるだろうけれど、一人の人間を救うのは生活保護だけではないはずで、医療や福祉とかボランティアとかの多方面から救い上げる術はないのか。そういう地域のネットワークが縦だけで横に繋がっていない昨今ではこういう取りこぼしは大いにあるぞ」という感想。おそらくこの作品が求めていることではないと思いますが。

 

だって。「生活保護対象にならなかったから」で施設に火を付けられたり、あまつさえ命を奪われるのはお角違いもいいところだから。

そして。貴方が大切だと思う人がいるように、憎いと思っているその相手にも「大切な人」がいるはずだから。

 

最後に、犯人にある人物が言った「死んでもいい人なんていないんだ」というのはそういう意味だと当方は思うのですが。にしても…どんでん返しを狙いたかったんでしょうが、どうしてもこの人物が真犯人なのかが腑に落ちない。正統派で進めて、この犯人の方が諭すラストの方が納得できるのに。

 

東日本大震災から始まった絆。悲しくも打ち砕かれたものがあった。多くの人を救いたいと思う反面それが人を傷つけてしまうことがあった。けれど、何かを変えようと立ち上がる者もいる。何かできることはないかと考えることは行動する一歩である。

…そういう落としどころを付けて、感想文を終えたいと思います。