ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「サニー/32」

サニー/32」観ました。


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白石和彌監督。高橋泉脚本。

『凶悪』での印象が深い、ピエール瀧リリー・フランキーコンビ。主役は北原里英。そして門脇麦。「アドバイザー、秋元康…」呟く当方。

2003年。当時11歳の小学生少女が同級生をカッターナイフで刺殺。ネット上では直ぐ様素性が晒され。その愛らしい姿と、独特なサイン(顔の横にかざしていた両手の指が3本と2本であった事)から彼女は『サニー』と呼ばれ。「犯罪史上、最も可愛い殺人犯」と一部のネットユーザーから神格化されてしまう。

事件から14年。新潟。中学校教師の藤井赤理(北原里英)。

情熱はあるけれど。空回り。満たされない日々。

25歳の誕生日の夜。二人の男に突然拉致され。混乱し。恐怖に震える彼女に掛けられた言葉。

「会いたかったよ。サニー」

 

2004年。長崎佐世保小6女児同級生殺害事件。

小学生が同級生をカッターナイフで刺殺。ネット上では彼女のプライバシーは守られず。その美少女ぶりと。彼女が着ていた服のロゴから『ネバダ事件』と呼ばれ、騒がれた。そんな実際の事件に着想を経て。

 

(注:申し訳ありません。今回ははっきりネタバレします)予告を見る限り。センセーショナルな事件から14年経って。全く違う、似たような年齢の女性が拉致されて。そこから始まる『普通の人』からの覚醒物語。

「皆が呼ぶなら。私は『サニー』」けれど。そこで現れる、本物のサニー。

 

はっきり言って。予告で当方が推測した流れ。完全に本編と概ね一致していました。

 

なので。「ちょっと待って。これどうやったらもうひとひねり出来る?この主人公がやっぱり本物のサニーだったって奴は?」なんて。あたふたしてしまいました。

 

当方はアイドル事情に全く詳しくありませんが。北原里英さんという…NGT48をもうすぐ卒業するアイドルの。まあ…はなむけ的な作品でもあると。

「そう思うと、随分頑張ったな」

通常の彼女を当方は知りませんが。作品の初め。情熱がある事はあるけれど。ぱっとしない。空回りしている主人公を演じている時の彼女。

「下手くそやなあ~」

当方は役者ではありませんが。どうしてもそう思ってしまった。けれど。

はあはあという彼女の息遣い。拉致され。目が覚めたら見た事も無い田舎の一軒家。

「サニーだろ。」「ずっと探していた。」「見ていた。」「愛しているよサニー。」

気持ち悪い。何この状態。誰?サニーって。私?私はサニーじゃない。けれど。そう言おうものなら鉄拳制裁。なんなのサニーって。

 

目の前に居る、言葉の通じない男達に対する恐怖。初めて感じた「下手したら殺される」という感情。もう駄目。もういい。私はサニーです。

 

演じる…と言うよりは自然に見えた、北原里英の『サニー』への進化。

 

赤理を拉致した柏原(ピエール瀧)と小田(リリー・フランキー)がネットで拡散し。仲間を募った事で。集まった『サニー信者』達。

 

初めこそ物騒なやり取りが続いたけれど。彼等は奇妙にも結束し。『サニー信者』として改めて崇拝。始めこそ「私はサニーじゃない」と拒んでいた赤理も。「私がサニーだ」と名乗り始める。

 

この下り。当方は沢山言いたい事はあるんですよ。「14年経ってもそうやって集まる人は居るのか」「彼らは軒並み社会から断絶されたアウトローなのか」「経済的にはどうなっているのか」「藤井赤理は捜索願いが出されないのか」「どこからドローンは来たのか」「しっかりネット上には晒されているのに通報されないのか」「日本には警察は居ないのか」エトセトラ。エトセトラ。野暮なんで…飲み込みますが。

 

人に依っては『茶番』と言われかねない、赤理の『サニー覚醒』シーン。

 

「おいおい何が始まった」当方も全ては良しとはしませんが。

 

サニーとして赤理を拉致した首謀者、柏原(ピエール瀧)。少しでも思い通りにならなければ相手を殴り。そうやって暴力でねじ伏せてきた。

 

「男性と違って女性には暴力に対する耐性が無い。だから大きな声を出しただけで委縮してしまう人も居る。けれど女性は痛みには強い。何故だか知っているか?痛みは子供を産むからだ。お前の暴力は何だ。お前の暴力からの痛みは何も産み出さない」(言い回しうろ覚え)そう言ってピエール瀧を蹴り上げたサニー。

 

「おお…」

 

個人的な問題ですが。最近。男性が威圧的にふるまう暴力について悩まされていた当方にとって。非常にすっきりとした瞬間。

 

まあ。何かしら琴線に触れたり触れなかったり。サニーのやり方はいつも『けなして、褒める』『鞭と飴』。けれど。

そうしてサニーに怒られて。最後には抱きしめられたい。信者たちはそういうサニーを求めていた。事件当初は少女だった彼女の。最も納得できる『現在の姿』。神健在。

 

「ああ。こういう着地でいくのか…」

人違いで。殺人者の熱狂的信者に拉致され。けれどそこで腹を括って居座れば。彼女は『神』になれる。赤理にとっても。それは願ってもみなかった承認欲求。自分と信者のウインウインな関係。

 

そうなれば、赤理が元々『悩める子羊たちを慰めたい』と教師をしていたのもうなずける。今や彼女はアウトローに居るけれど。ここでは綺麗事なんて言わなくていい。

ある程度自分への信頼を寄せている相手からの頼られ。その、何を言っても「ありがとうございます‼」と感謝される気持ち良さ。けれど。

 

突然現れる、『本物のサニー』。

 

「指を折るって。あかんよ」終始眉を顰めながら。「やっぱり門脇麦は本物やな」とため息を付く当方。

『本物のサニー』その不安定さ。惨めで。強さなんて微塵も感じられない。だからこそ、彼女は本物で。

 

「一体どれだけ反省したらいいんですか」「何故殺したかなんて。分からないですよ」「ただ。一緒に居るのが楽しくて。一日が終わって欲しく無くて」

 

「どうして貴方は同級生を殺したの?」とある事情で。必死でサニーに問いかける赤理。けれど本物のサニーはふわふわとした事しか答えられない。雰囲気は分かるけれど。(そして一体彼女はどういう状態だったんでしょうかね?)

 

元ネタは一切笑えない少年犯罪。アイドルが主人公。シンクロしていく世界。

拉致。暴力。被害者と加害者の逆転現象。そうして次第に生まれる共犯意識。とは言え。

どこかしら随所に笑えるポイントも盛り込んで。(不謹慎ながら、『名前。享年何歳』の明朝体テロップ』に笑えた当方)

そうして主人公は奇妙な安住の地を得た。と思いきや。突きつけられる自身の嘘。

 

「やっぱりこいつは偽物だ」メッキが剥がれていってしまう。

 

じゃあ、偽物はどう生きていく?

 

オリジナルから得られるモノには限界がある。

同じにはなれない。じゃあ偽物はどうやって生きていく?

どうやって『本物』になっていく?

誰かの真似じゃなくて。けれどこれまでの経験を活かして。どう生まれ変わる?

 

歪な物語。

北原里英さんは今後。色んな活躍をされるのでしょうが。

 

非常に面白い作品に出たなあと。そう思いました。

 

映画部活動報告「グレイテスト・ショーマン」

グレイテスト・ショーマン」観ました。
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19世紀。アメリカ。伝説の興行師、P・T・バーナム。

実在した人を。ヒュー・ジャックマンが演じた、ミュージカル映画

 

ラ・ラ・ランドの音楽スタッフが集結!」予告でそう煽って。

ヒュー・ジャックマンと言えば『レ・ミゼラブル』でのジャン・バルジャンの記憶もまだ新しい。「歌って踊れる」事はお墨付き。

 

アメリカ。貧しい仕立て屋の息子だったバーナム少年。出入りしていたお屋敷の令嬢チャリティとの恋。身分違いに彼女の父親は激怒したけれど。彼らは長らく愛を育み。

成人し、きちんとした職に就いて。結婚。娘二人にも恵まれ。貧しくも幸せな日々。そんな時。会社からの唐突な解雇宣告。落ち込むけれど。

夜の自宅アパート。屋上で。回るランプの光に、瞳をキラキラさせる妻と幼い娘達。「そうだ。俺のしたいことはこれだ」

 

「皆を驚かせ。そして笑顔にさせる。嫌な事なんてその瞬間はすっかり忘れていて。思いっきり笑う。そういう顔を見たい。ワクワクする事をしたい」

 

詐欺まがいの手段を使って銀行から融資を受け。そうして誕生した『バーナム博物館』。初めは奇妙な置物なんかを陳列していたけれど。閑古鳥。

娘からの「生きているものの方が面白い」という発言を受け。

小人症の男。ひげもじゃの女性。巨人。結合双生児。デブ。全身入れ墨男。曲芸師。エトセトラエトセトラ。

自ら出向いてスカウト。そして募集して。片っ端から採用。過剰広告を打って。『バーナム博物館』はサーカスへと生まれ変わった。

初めは珍しいもの見たさ。けれど。そこで繰り広げられたエンターテイメントに観客は夢中。驚き。笑い。ドキドキして。拍手して。

 

予告で見た「シルクハット被ったヒュー・ジャックマンが歌い出して~からの‼」という圧巻のサーカスシーン。それが物語の幕開け。「早‼」仰け反る当方。

 

職場でも、あの人やたら映画観てるらしいなと思われている当方。時々「最近どんな映画観たの?」「面白いのやってる?」なんて挨拶のついでに聞かれる事もあって。

 

「『グレイテスト・ショーマン』観た?」「はい」

「あれどうやった?俺なあ~近年で一番感動したわ~」

「そうですか…何だかダイジェスト感が半端なかったと思いましたけれど…」

「そうかあ~めっちゃ分かりやすかったやん。ああいうんでええんや」

「…」

 

この文章を打っている今。正に。映画部部長から「『グレイスト・ショーマン』内容は薄いけれど、歌は良い。内容は薄いけれど」という活動報告を受け。思わず頷く当方。

 

「105分で纏める内容じゃないよ!!これ3時間位掛けてやらないと。」

 

主役のヒュー・ジャックマンのポテンシャルの高さ。生き生きと歌って踊って。

そして「流石ハリウッド俳優たちはレベルが違う」というエンターテイメント性の高さ。

出てくる誰もが歌って踊れて。「え?貴方歌える人だったの?」例えば昨年『マンチェスター・バイ・ザ・シー』で主人公の元妻を演じたミシェル・ウイリアムズ。

曲芸師を演じたセンデイア。彼女がスタントマン無しで自分で演じていたという驚き。

ひげもじゃの彼女も。オペラ歌手、ジェニー・リンドの彼女も。歌声の力強さよ。

 

作中何度も訪れるミュージカルシーン。そのクオリティにただただ押さえ付けられ。

「何かもう…凄いな」ぐったりして。けれど。

 

冷静な当方の声。「話が雑過ぎる」「ダイジェストか」

 

見も蓋も無い言い方をすれば。『見世物小屋』を作る事で一躍時の人となったバーナムとその仲間達。毎日がお祭り騒ぎ。

そんな彼らに水を差す、サーカス団に反対する一部の近隣住民。建物の前での小競り合いは日常茶飯事。

所詮フリークス集団の成り上がりだと揶揄される中で。箔をつけたくて劇作家フィリップ(ザック・エフロン)に声を掛けるバーナム。

 

あのバーでの。バーナムとフィリップのウイスキーダンス。華やかなサーカスのシーン達を抑えて当方が一番好きなシーン。

 

「あんなに動きがバシッと決まって。気持ちいいシーンでした」

「まあ。映画やし何回も撮ってええ風に繋げるんやろう。それにヒュー・ジャックマンて元体育教師やったんやろう?」

「体育教師が皆あんなに動けるって事は無いでしょうよ…」

職場で繰り広げられたおバカな会話。

 

フィリップの加入。そして彼のコネに依って、ビクトリア女王に謁見する事が出来たバーナムと仲間達。そこで欧州一と言われるオペラ歌手、ジェニー・リンドと出会い。

 

彼女の歌声にすっかり魅せられ。サーカスはそっちのけ。ジェニーと契約し、大々的なツアーに出かけるバーナム。取り残されたサーカスの面々。

 

ただただ話を追ってもあれですので。ここいらでふんわり着地させていきますが。

 

「どうしてサーカスに反対する人たちが居るのか」プラカードや火のついたたいまつを持ってまでして。暴力的にサーカス団に嫌悪を剥き出しにする人達。

 

当方の推測ですが。(上手く言える気がしませんけれど)所謂『見世物小屋』という…障害やマイノリティな部分を持つ人達がそれを寧ろ売りにするという、それでお金を取るという事への嫌悪なのかと。

 

「見たくない、考えたくない。だから引っ込んでいろ。お前は隠れていろ。私たちはそう言われてきた。そうやって生きていくんだと思っていた。でも。貴方はそのままで良いと言ってくれた。これは個性だと。何も恥ずかしくないんだと。」

バーナムに見出された。救われた。だから私たちはずっと貴方についていく。

 

そういう感じの事を確かに言っていましたが。これ、もっと丁寧にやらないと。

 

「お前たちは表に出てくるな!」なのか「見世物小屋の露悪さ」に怒りを覚えているのか。それとも単純に「うるさい!」なのか。(近所に一日中煩い音を出す場所があるって、地味に腹が立ちますからね)

 

障害やマイノリティな部分を持つ人達と、周りの人達の受け止め方。時代背景なんかも含め。これをしっかりやっていたら…。

 

「後、劇作家フィリップは一体何をしたんですか?」彼が加入された事で演目や演出はどう変わったんですか?高尚さは加味されたんですか?

 

「結局バーナムはただのお調子者って事ですか?」「ひげもじゃで毛深い彼女は、まめにカミソリで剃ったらいいんじゃないですか?」手を挙げだしたら止まらなくなる当方。あかんあかん。

 

本国アメリカで2017年公開。前年に『ラ・ラ・ランド』と『SING/シング』というミュージカル映画が出た中でこれは…分が悪いなあ~。思わず溜息。

 

見せたい所だけをしっかり押さえて。一切の無駄を無くした結果。薄っぺらくなってしまった。そぎ落としすぎた。けれど。

 

ヒュー・ジャックマンって、変なB級コスプレアクション映画に出ていたイメージやったからさあ~。」

「え。それってまさかウルヴァリンの事ですか?」

 

あんなに生き生きとしたヒュー・ジャックマンを見せられたら。何だか「もういいです」と言ってしまう。体育会系な力業に終始押されて。ねじ伏せられる。そんな作品。

 

ところでこれ。サントラは実に良いです。(そりゃあ当然)

 

映画部活動報告「リバーズ・エッジ」

リバーズ・エッジ」観ました。
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岡崎京子の同名漫画を。行定勲監督に依って映画化。

1993年~1994年。雑誌『CUTIE』にて連載された作品。

「主題歌が小沢健二‼」公開初日。胸を熱くして映画館に向かった当方。

そして今。小沢健二の名アルバム『LIFE』と『刹那』をBGMに流しながら。

 

「正直、1990年代にこの映画を観たかった」

 

CUTIEというファッション雑誌。当方は一度も買った事はありませんでしたが。クラスのお洒落女子によく見せてもらいました。

もう廃刊してしまいましたが。1990年代…所謂原宿系お洒落雑誌だったと記憶しています。

兎に角元気のある雑誌で。ファッション雑誌なんですが。そこに載っていた連載漫画。

当方は岡崎京子世代ではありませんでしたので。(安野モヨコ世代)この作品も未読。そもそも岡崎京子作品は『ヘルタースケルター』しかきちんと読んだことはありません。けれど。

1990年代に10代を過ごした。そんな当方からしたら。これは観ておかなければと。

そう思ったのですが。

 

「1990年代に。1990年代の10~20代の俳優達で。あの時代の空気そのままで作ったら。そしてそれを当時の当方が観たら。」どう受け止めたのだろう。

 

主人公若草ハルナ(二階堂ふみ)。高校生。彼氏の観音崎は、何故か同級生の山田一郎(吉沢亮)を酷く虐めていて。見ていられなくて何回も助けにいくハルナ。それが気に食わなくて観音崎の行動はエスカレート。

ある日。助けてくれたお礼にと「僕の宝物を見せてあげる」と山田に川原に連れて行かれたハルナ。

生い茂る藪をかき分け。山田がみせてくれたそれは何と白骨死体。

呆然とするハルナをよそに恍惚と『宝物』への想いを語る山田。そして発した「もう一人この宝物を共有している人が居るんだ」。

同じ高校に通う後輩の吉川こずえ。幼い頃から芸能活動をしていたモデルの彼女はいやに大人びているけれど。摂食障害で。人知れず過食と嘔吐を繰り返している。

 

「ああ。キャラクターが全員濃い」

 

ハルナの友達、小山ルミ。「30代の彼氏がいる」と、彼氏から貰った物を纏い。色んな男とセックスをする。裸で抱き合っている時が一番幸せ。

実は同性愛者の山田の便宜上の彼女、田島カンナ(森川葵)。山田君が大好き。山田君を好きな自分が大好き。山田君は私だけのもの。そうやって束縛してしまう彼女。

 

出てくるキャラクターが総じて濃い中。主人公である『若草ハルナ』が一番影が薄い。
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なぜなら。終盤こずえがぼそっと言ったように。ハルナはあくまでも『傍観者』の立場だから。

他のキャラクター達が輪になって。ぐるぐる回りながら自身の踊りを舞う中で。その輪の真ん中に居ながらただ立ち尽くして見ている。タバコを吸いながら。そういう役回り。

「何スカしてんだ…」呟く当方。周りのキャラクター達は。各々ボロボロになりながらも必死な中で。一見彼らに無茶苦茶にもまれている様で…ハルナは絶対に飲み込まれない。

そうして。一人のキャラクターが業火と化し。己もその火に包まれながらハルナを弾き出した。この世界から、主人公の退場。そういう終わり。

 

この原作漫画を未読なんで。何とも言えない…歯切れが悪い当方。ですが。

 

「1990年代を2010年代に表現する事の意味。そして難しさ」

 

いっそ設定は現代にしても良かったのかもしれない。だって…正直、再現が中途半端だと思ったから。服装も見た目も何となく当時とは違う。ちょっと現代に置き換えてしまっている。(見た目では観音崎が一番リアル)

そしてあの時代を肌で感じた当方は何となく思い出せるけれど。分からない世代にはとことん分からない。

 

1999年。世界は終わる。ノストラダムスの大予言を馬鹿にしながらも。何となく漂っていた世紀末感。高度経済成長のピークが過ぎつつあることを匂わせていたあの頃。加えて10代。意味不明な厭世観。シャカリキに頑張るのは馬鹿らしくて。一生懸命は恥ずかしくて。クールでちょっと尖っている。そんな自分は特別。

 

未成年だけれど、タバコもお酒も呑んで。あんまり好きじゃないけれど、学校でそこそこに目立つ男子が彼氏。スカして、その実空っぽなハルナ。

周りは子供だと下に見て。大人の男性と付き合って、セックスして。そうやって自分を高見に置いて。そんなルミ。

本当は甘えたいだけ。でもそうは言えなくて。結局は暴力で相手をねじ伏せてしまう。観音崎

「死体に癒される」という悪趣味極まりない発言と行動。いかにも自分は他人とは違うとアピールする山田とこずえの自己主張の強さ。(本当のサイコパスはそういうの、全部黙っているもんですわ)

モデル=摂食障害というベタ。(和式トイレの床に食べ物並べて食べるって…)

同性愛者という設定が何だか生かし切れていない。(山田の方じゃ無いですよ)

当方がいいなと思った、狂気を孕んで加速していくカンナ。(当方が森川葵が好きだという贔屓目もありますが)

あの「この演出要らんやろう~」と思ったインタビューシーン達の中で唯一。「幸せ?」と言った彼女の表情…ばしっと決まった感じがしました。

 

ぜ~んぶ。『1990年代の、尖っているとされるキャラクターあるある』。これらが全部登場して。そうしてぐるぐる輪になって回っている。これを20年以上経った現代でされると…ちょっと溜息を付いてしまう。けれど。

 

「1990年代に。1990年代の10~20代の俳優達で。あの時代の空気そのままで作ったら。そしてそれを当時の当方が観たら。」

おそらく違った気がします。

 

作り手の作りたかったものも。見せたかったものも。言いたいことも。全部分かるのに。なのに…。

 

ただ。時を経ても変わらず良かったのが『小沢健二』。アルペシオ。素晴らしい。

 

映画館から出て。

直ぐ様『LIFE』を選択。イヤホンを耳に差し、歩き出した当方。
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映画部活動報告「犬猿」

犬猿」観ました。
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『さんかく』『ヒメアノ~ル』吉田恵輔監督作品。

 

真面目なサラリーマン、一成(窪田正孝)。強盗で服役していて出所したばかりの兄、卓司(新井浩文)。そして小さな印刷工場を切り盛りする由利亜(江上敬子)。同じ工場に勤務し。中途半端な芸能活動をする妹の真子(筧美知子)。

とある兄弟、姉妹。かけがいが無いはずだけれど。どうしても愛せない。でも憎み切れない。そんな二組の『きょうだい』のお話。

 

当方は第一子でして。二つ下に妹が居ます。

当方が小学5年生の時。無神経で嫌われていた家庭科教師が居まして。

忘れもしない『家庭科だより』というしょうもない新聞。4コマ漫画を担当した当方が漫画を提出した時。二人っきりで。あの大っ嫌いな教師が放った言葉。

「お宅は顔が可愛いのは貴方(当方)だけれど、賢いのは妹さんね」

今でも全身を震わせるくらい失礼な言葉。雷に打たれた位の衝撃。(加えて、何の脈絡もないという腹立たしさ)

緑黄色野菜たちがグダグダ言う漫画のオチも、明らかに落ちていない感じに無理やり変えさせられ。そして帰宅したら遠くに住む父方の祖母の訃報。

大人たちが悲しみに暮れる中。全く違う、誰にも言えなかった案件でおいおい泣いた当方。

「当方だけではなく、妹も馬鹿にされた」

当方は馬鹿扱いされ。でもそれ以上に、妹は不細工扱いされた。それが悔しくて。

当方は確かに頭が悪く、妹は秀才だった。けれど、それに対して引け目に思った事は無くて。寧ろ自慢だった。対して当方は特別愛らしい見てくれでは無かったけれど。妹に何かを言われた覚えは無い。(そして妹は不細工では無い)

妹はちょっとした事はあったけれど、エリートコースを今でも驀進し。当方は安定した職を手に付けて現在に至る。

互いに「クラスメイトなら友達にはならなかっただろう」とは言うけれど。ずっと仲は良くて。今でも二人で一緒にどこにでもいけるし…正直お互いこれからも伴侶には恵まれないだろうから、このままなら余生を一緒に過ごす事になる。でも嫌じゃない。

 

「あんな奴、兄弟じゃない」「顔も見たくない」当方はそんな巷の言葉は信じられなくて。…まあ。色んな形態があるとは思うので…幸せな関係に居るんでしょう。有難い事です。

 

地味だけれど。両親を支えながら営業の仕事をしてきた和成。そこら辺のいきがっている奴らも怖がる兄貴、卓司の出所。そして卓司が自宅に転がり込んできた事でかき回される日常。

行きたくもないキャバクラに連れて行かれ。そこで暴れ。自宅にはデリヘルを呼ばれ。

「最悪だ」と顔をしかめるけれど。

「どこかで憧れている生き方」のエッセンスもあるから…一概には切って捨てられない。

「なんだよあの車」「男ならでっかい事しろよ」「安っすい酒飲んで」憎たらしい。そんな事、言われたくない。けれど。ふと見てしまう、ディーラー。帰った家。溜息ついて。けれど。

「最近頑張ってるな」そう言って肩を叩いてくれる人の存在。忘れてはいけない。自分がきちんと積み上げた事を。

窪田正孝新井浩文。安定の手練れ役者がきっちり焦燥感を積み上げる中。かなり異色ながらも面白い化学変化を起こした、江上敬子+筧美知子。

下町の小さな印刷工場。家内工業で、家長であり社長である父親が倒れ。働いていた長女が社長の座を継ぐしかなかった。けれど。残った従業員をきちんと食べさせるだけの技量を彼女は駆使し。そしておそらく取引先からも「地味で小さいけれど。きちんとした仕事を素早く低コストでやってくれる会社」(そういうの、貴重ですよ)として重宝されているんだろうと。…多くは語っていないけれど、そういう池井戸潤テイスト町工場。下手したらロケットとか人工弁をニットから作る会社(日曜ロードショー)な訳ですよ。

その女社長、由利亜。

恐らく脳梗塞後寝たきりになった父親の介護もしながら。彼女の働き方や生き方をNHKでダイジェストすれば「抱いてくれ!」と日曜21時の友が殺到する案件なのに…如何せん彼女は恋する乙女。取引先の営業マン、和成に片思い。

「お前かああ」こんな若造、お前さんの良さなんか分からんよと思いきや、案の定妹の真子に行ってしまい。

「切ないいいい~」あの遊園地の下り。手ぬぐいの下り。悶える当方。

あんな乳しか取り柄のない妹に。そしてそんな妹になびいてしまったような若いアンチャンに。なんでまだ執着しなればいけないのか。

(でも。あの妹の空っぽ故の切なさも良かったですよ)

 

「普通に考えれば、手練れの兄に行けば良いのに。あのチャーハンの下りから。ぐっだぐだのエロい展開に持ち込めるのに。それで良いのに(キャラクター的にも合ってるし)」もどかしすぎてのたうち回る当方。けれど。

 

「好きって、そうやって割り切れるもんじゃないんで」

だから。みっともなくも足掻いてしまう。貴方、本当に分かってるの?あの子の事。

そうすればそうする程。墜ちて行くのは自分の方で。

 

二人とも、本業が女優では無いのに…凄く上手かった。もうあの姉妹にしか見えなくて…それは…大成功ですわ。

 

終盤。もうどうしようも無い渦に飲み込まれていく、二組のきょうだい。

でも。当方が観た世界。弟と妹のカップルは互いに初め「うちの馬鹿は」という切り口ではあったけれど。

「兄ちゃんは馬鹿じゃない」「お姉ちゃんは頑張ってる」と必死に相手に主張し。

兄と姉は崩れそうになりながらも「弟を守ろうとした」「妹を認めていた」という行動原理を提示し。

「ちくしょう…。何故今日に限ってタオルを持っていない!!」映画館で。溢れる涙をどうも出来なくて、鞄から手袋を出し、それで顔を覆った当方。

 

「当たり前だよ。きょうだいが憎い訳がない。」

 

ちょっとあっけない位に綺麗に落ちた感じもあったので…「吉田監督にしては大人しく終えたな」という感じもあるのですが。

 

こういう話は。嫌いにはなれないです。

 

映画部活動報告「バグダッド・カフェ」

「午前十時の映画祭 バグダッド・カフェ」観ました。
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1987年。西ドイツ映画。

 

アメリカ。モハーヴェ砂漠の中、ぽつんとあるモーテル兼カフェ兼ガソリンスタンド『バグダッド・カフェ』。
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かつて賑わった時があったのかもしれないけれど。店は寂れ。掃除も行き届いていないので尚更みすぼらしい状態。

働かない夫。好き勝手な事ばかりしている二人の子供。幼い孫。悪い者ではないけれど、決して働き者では無い従業員。寂れた店にも、だらけた周囲の人間にも全てに苛々してヒステリックに当たり散らす、女主人ブレンダ。
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ある日。汗だくでスーツケースを引きながら、歩いてやってきたドイツ人の旅行者ヤスミン。
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久しぶりの宿泊客なのに不愛想に対応するブレンダ。

「一体何者なの?」怪しんで、追い出そうとするけれど…全く去る気配を見せないヤスミン。

 

「何か。有名ではあるけれど…結局よく知らない作品。」恥ずかしながら未見。

しかも今回、他の映画鑑賞とのスケジール調整で『バグダッド・カフェ』を選択した当方…でしたが。

 

「これは‼」些末な出来事やらにささくれ立っていた当方の心に。乾いた場所に。しみじみと何かを満たしてくれた…恐らく近日中にBD購入案件。

 

はっきり言うと『雰囲気映画』『何も起こらない』『辻褄が合わない』『自称映画通を名乗る奴がファッションアイテム的に選ぶ映画』そうやってとられかねない。だってそうだから。確かに雰囲気映画で、大きな事件が起きる訳でも無い。淡々と話は進んで。辻褄なんて全然合わない。ツッコミどころは幾らでもある。けれど。嫌いじゃない。寧ろ好き。

 

北風と太陽の話。あの「旅人のコートを脱がせる」というレギュレーションに対して。冷たい風で無く、温かい日差しで旅人はコートを脱いだ。

分かりやすい教訓。『凍てついた人の心は、優しさに依って溶かされる』この作品のテーマも同じ。

 

物語の初め。ドイツから夫婦で車でアメリカ旅行に来たヤスミン。何かで夫と喧嘩になって。砂漠に一人放り出されたヤスミン。
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とぼとぼ歩く彼女の後ろ姿~の『calling You 』。震える当方。

 

そして舞台は変わって。バグダッド・カフェ。店の面々と、一人キレまくっているブレンダ。正直げんなり。夫もブレンダに愛想を尽かして出て行ってしまった。

 

男女に関わらず。落ち着いてまともに話が出来ない人間。大声を張り上げて相手を威圧して。そういう人間が大嫌いな当方からしたら、「ブレンダを出すな!!」と苛々する事この上なし。(しかも物語の中盤位までブレンダこの調子)

 

「一体何者なの?」「本当に旅行者なの?」「何故同じ服ばっかり着ているの?」(ヤスミンが車から降ろされた時に持ってきたトランクが夫の物で。男物しか中には入っていなかったから)うさん臭い、ドイツ女。とっとと出て行って。なのに。

 

最悪のおもてなしをしているにも関わらず。どっかりと居座るヤスミン。そしてブレンダが買い出しで不在の内に、店を徹底的に掃除。

ブレンダは烈火のごとく怒っていたけれど。結局綺麗な事務所は使いやすい。そしてそんなヤスミンの姿に、惹かれていくバグダッド・カフェの面々。

 

ビッチの娘。いつもピアノを弾いていると怒鳴られていた息子。不思議な雰囲気の従業員。隣のワゴン車に住む、カフェの常連客(画家)。初めこそ、皆一応に距離を取って様子をうかがっていたけれど。
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ヤスミンの柔和な雰囲気に。チャーミングな魅力にすっかり魅せられてしまう。すっかりヤスミンに懐柔されてしまう。

 

そして。遂に難攻不落と思われたブレンダの心が、ヤスミンに依って溶かされる。意外とあっさりと。

 

「何で?」「それ何で?」「って言うか。ヤスミンの背景、説明無さ過ぎやろう」ずっこける当方。

 

映画作品の中で起きる事象や人物について、作品内で全て説明せよとは当方も思いません。話には奥行きや個々が感じ取るべきものがある。けれど。…けれどこの作品は余りにも余白が多すぎる。

 

「そもそもヤスミンの夫はどうなったんだ」「ヤスミンの人物描写がふんわりしすぎ。人が良くてお茶目だという事しか分からん」「手品のキットとか民族衣装とか。一体ヤスミンの夫は何者なんだ」「お金、どうしてるの?」「子供の話。それ以上しないの?」大体はヤスミンのリアルな背景に対する疑問。

 

まあでも。それ…きっちり説明しだすと野暮になるんでしょうし、この作品でやりたいのは『北風と太陽』なんでしょうし。

 

溶かされたブレンダの変わり様。最終にはすっかり丸くなっちゃって。まあ最後は皆ニコニコで。店も何故か『手品カフェ』として大盛況。いい人達が集う場所なんでしょうな。ハイウェイカフェなんで大体はトラック野郎なんですが。こんな中年女性二人の手品でワクワクして集まってくれて。お酒も出していないのに。

 

「あ。そうやった。ヤスミンって旅行者やった」そんな急転直下の後。また再会。
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「ここで終わっていたら神映画やったと思う」そう思うんですがね。ちょっと最後蛇足な上に意味不明かなあと。

 

そういう不器用で不思議な作品ではありますが。観ていたらしみじみ癒される。やっぱりギスギスした気持ちで日々を過ごすと腐ってしまう。そんな単調な毎日に、何か面白い事を運んでくれる存在。そうやって一緒に笑って。そうしたら世界はガラッと変わる。

 

音楽も良いし、何より画が綺麗。夕暮れの日が落ちる所。ぽつんと寄り添うワゴン車。広大な砂漠の一本道の中にあるバグダッド・カフェ。美しい。

 

『オサレなカフェかバーで流れる映画』(あの、無音にしているやつ)当方の中であんまり中身の無い、けれども画的に綺麗な作品を揶揄して示していましたが。

「これはまったりしながら。お酒か紅茶片手(当方はコーヒーが飲めないので)に観たい」

当方初めての『店で流して欲しい映画』(勿論それなりの音量で)認定。

まったりまったりしながら。溶けて観たいです。

 

映画部活動報告「悪女 AKUJO」

「悪女 AKUJO」観ました。
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やりすぎ韓国映画枠。『殺人の告白』のチョン・ビョンギル監督最新作。

 

「アクションが‼」「兎に角アクションが‼」人間の成せる技では無いと。そんな前評判を受け。期待に胸をパンパンに膨らませて。劇場に観に行きました。

 

感想ですか?「これ…どうやって」の連発。撮り方。そして人体のポテンシャル。そういった振り幅が広すぎて。もう何が何だか。どうしようもなくて最後は笑うしかなくなった当方。

 

冒頭7分強のPOV。女主人公スクヒ視点の暴力団カチコミシーン。暗い廊下で。そしてエアロビみたいなスタジオで。襲い掛かってくる膨大な相手の動きは縦横無尽。始めこそ銃で撃っていたけれど。次第に刃物。手斧。そして最後には体一つで。ただただ圧倒され。

ただ。その鏡張りのスタジオで。己の姿が写った途端反転する世界。一人称の世界から第三者世界へ。カメラの視点移動から始まる物語。上手いなあと思いました。

 

女一人で暴力団組織を一網打尽。当然国家権力に逮捕。しかし彼女は裁かれず。整形され、秘密裏に国家情報院に送られ。そこで暗殺員に育てられる。

当然反抗するスクヒ。しかし彼女のお腹には子供が…。

「黙って10年任務を遂行すれば、後は一般人として生きていける」その言葉につられ。

 

国家情報院修行。そして娑婆へ。そこで得た、ささやかな幸せ。

「幸せになれる」そう信じたのもつかの間。

 

とある国家情報インからのミッション。それはかつてスクヒが愛した男を殺せという指令だった。

 

お話としては単純なんですよ。「女子は惚れたらあかんのう…」というどこかの田舎お婆ちゃん当方。如何なる身体能力やヒットマン要素を高めようと、惚れた者の負け。

「そんな実態の無い者じゃなくて、目の前の善き人を信じなさい」そう呟くばかり。

 

あのカチコミのあった雨の夜。私は死んだ。生きている意味なんて無い。なのに。

 

生き残ってしまった。しかもお腹には愛した人の子供がいる。

 

愛する子供の為。娘と一緒に平凡に暮らしていく為…。

 

~とかいうしんみりで語るには、スクヒの能力、高過ぎなんですよ!

 

「ああもう。一体どうやっているんですか?」役者。スタッフ。乗り物。カメラ。全方位に渡っての当方の悲鳴にも似たコール。勿論レスポンスなし。

 

大型バイクで全力走行中。サイドから同じくバイクで囲まれ。しかもサイドから日本刀?(兎に角刃渡りの長い刃物)で襲われるスクヒ。

 

ざっと飛びますが。後半。走行中の車のボンネットに手斧を食い込ませて落ちないようにしながら(文章だけでは意味不明だと思います)後ろ手でハンドルをさばくスクヒ。

 

もう…何というか…あまりにもぶっ飛びすぎて…笑うしかなくなった当方。

 

「ペーパードライバーで。原付バイクしか自信を持って運転出来ない当方からしたら。こんなの…死ぬとしか思えん。」

(この作品に限りませんが。当方の人生に、もしその辺に泊まってる車を拝借するシーンがあったとしたら「まずはシートをブレーキを踏んだ距離にセットして。バックミラーをセットして…」即座に標的を見失うOr襲撃されますね)

 

ここまで殺人能力ポテンシャルが高いスクヒ。

しかしそれは国家情報院の付け焼刃では無い。一体彼女は何者なのか。

 

幼い時。父親を殺された。

殺したのは父親の弟。そう思って。彼を憎む事で生きてきた。

 

父親を失った後、育ててくれたジュンサン。当然…と言うべきか、カタギでは無かったけれど。彼には多くを教わった。身体能力の向上。暴漢との戦い方。殺しの技術。…そして彼を愛するという事。なのに。

思いが通じて。愛し合って。晴れて結婚。そして新婚旅行の最中。敵対勢力に命を奪われたジュンサン。

 

そして、冒頭のカチコミシーンに繋がるのですが。

 

物語を進めるにつれ。「スクヒの過去」が少しずつ明かされていく仕組み。まあ…(歯切れが悪く)雑…なんですがね。

 

「結局ジュンサンの立ち位置って何だったんですか」「なだぎ武ですか」「そもそもどうなったらジュンサンはスクヒの育ての親になるんですか。どういう関係ですか」「彼とスクヒの父親、その弟との関係性は」「あのガラス玉って一体何だったんですか」「HDDには何が収められていたんですか」

「あの劇団の母体は何なんですか」「劇団員で食べていけるんですか」「何なんですか。このベッタベタなラブパートの切なさは」「おっと犬死ですか」

 「国家情報院の目的って何だったんですか」「どの組織に於いても、一体何に忠誠を示して、何を敵とする組織だったんですか」

 

~挙手して質問し出したらもう止められない。おかしな点は数多にありますが。

 

「まあいいんじゃないの。あんなの(アクション)見せてくれてんだから‼」

 

げに恐ろしき、そして愛するべきロシア映画ガーディアンズ』論法。

 

「こういう作品、沢山観てきただろ。その脳内引き出しで補てんしな!じゃあ、観たいやつ行くぜ!!」という強気。…でも得てして…そういうのに皆様(当方も)弱いんですよね。

 

最終決戦の下り。もう笑うしかなくて。

 

「やりすぎ。完全にやりすぎ韓国映画枠。」

 

もうねえ~多少お話がおかしくても憎めないし、目が離せない。

 

万人にはお薦めできないのかもしれませんが。スカッとしたい方には取りあえずお薦めしたい。…なんだか観た後はやたらしっかりご飯を食べて。泥のように眠れそうです。
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映画部活動報告「RAW 少女のめざめ」

「RAW 少女のめざめ」観ました。
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フランス・ベルギー合作作品。

「失神者続出」16歳の少女が。進学した獣医学校でカニバリズムに目覚めてしまう内容。

予告段階でそうはっきりとネタバレしていましたので。

 

映画部長と当方。たった二人の映画部でも「得意分野は変態映画部門です」と公言している事からも。これは当方の出番だと。颯爽と公開初日に観て参りました。

 

基本的に、この映画感想文はネタバレをしない方向で進めているのですが。

 

今回は初めて。はっきりと「ネタバレありき」で話を進めさせて頂きます。

 

「一体本国では。何を観て失神したのだろう?」冷静に呟く当方。

 

この作品を最後まで観て。途中から…と言うかかなり早い内から「何故この学校に進学したのか」それに尽きると思った当方。

 

主人公のジュスティーヌ。16歳。神童と呼ばれた彼女はとある全寮制の獣医学校に進学する。

両親も共に獣医。そしてその学校の卒業生。そして一つ上の姉もその学校に在籍中。

真面目な優等生。そんな彼女が他人と違う点。それは家族全員が厳格なベジタリアンだという事。なのに。

入寮したその夜。寝ていた新入生たちを叩き起こした、先輩たちの寮のしきたり。真夜中の狂った乱交パーティー。

そして。通過儀礼の『生肉を食べる儀式』。自身はベジタリアンであると一時は拒否したけれど。姉に押し切られ口にしてしまった『肉の味』。開眼。

初めこそ過剰なアレルギー反応が起きたけれど。抑えらえない肉食への欲求。そして遂に彼女は人肉の味を知ってしまう。

 

「何故彼女がこの学校に進むことを止めなかったのですか?」

 

と言うのも…彼女が女系カニバリズム家系だからですよ。(この作品を観た人ならばヒヤヒヤする発言ですが…一応ネタバレは3段階あるので。2段階までに留めるようにします)

 

同じ学校に進学した、一つ上の姉。アレックス。
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「お前の姉ちゃん変わってるよな」同級生からそう言われる、どこかファンキーなお姉ちゃん。

 

完全な上下関係。先輩は神。先輩の命令は絶対。おかしな学校のしきたりにすっかり慣れているお姉ちゃん。対して神童扱いで生真面目な主人公は学校でも浮きがちで。

「クラブに行くような恰好で過ごしなさい。それが出来ないなら、紙おむつでも履いていなさい」そんな意味不明な先輩の指示にうんざりしながらも。頼ればそれらしい服を貸してくれるお姉ちゃん。

喧嘩もするけれど。悩みがあれば聞いてくれる。そんな頼もしいお姉ちゃん。けれど。

 

とある不幸な事件。お姉ちゃんの指が切断されてしまった。お姉ちゃんは痛みとショックで失神。その時…何故か自身を抑えきれなくなってお姉ちゃんの指を食べてしまう主人公。そして…知ってしまった。人肉からの得難い多幸感を。

 

「また。いかにも『ジャーン』みたいな音楽よ」思わず笑ってしまった当方。

 

夢中で指にむしゃぶりついている妹の姿を見てしまったお姉ちゃん。絶望と嫌悪…と思いきや。『実はお姉ちゃんもカニバリスト』。

 

少し前。『肉』という映画がありました。
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変態映画部門を得意とする当方としては勿論抑えたカニバリズム映画作品。あれもまた『カニバリズム一家』の悲劇でした。

詳細は語りませんが…当方はどうしてもああいう『女の子が泣きながら嫌々食べる様』に心の柔らかい所を押されてしまう傾向がありまして。(変態発言)

 

そう思うと、この作品にはどうしてもじっとりとした要素が薄い感じ。

我を忘れて…そしてはっと気づいたら血まみれの自分。そういう『いつの間にやら獣になってしまう自分を抑えられなくて』という自我に戸惑う…確かに『少女のめざめ』。けれど。

 

変態映画マスター当方としては『自己嫌悪に襲われながら。けれどどうしようもない猛々しさからの生理現象。今まさに人肉を食べているけれど。こんなの嫌。気持ち悪い。けれど体は欲してしまうという本能』という所までいって欲しかったですね。(サラッと変態発言)だって。獣になっていた瞬間の記憶が殆ど無いって…(あってもその心境の描写は無し。ひたすら必死で食らいついている感じ)。酔っぱらって記憶無くしたのと大差無いですよ。(互いに共通しているのは『後から人づてにその所業を聞いて自己嫌悪に陥る』という点。その瞬間は無意識に気持ちよく好き勝手な事をしているだけなんですわ)

 

カニバリズム=食欲。とすると、三大欲求の中の一つ、性欲の爆発もしかり。

「本当にねえ。何であんな学校に行ったのか」溜息の当方。あんな乱痴気騒ぎが日常生活な上。ルームメイトが男子学生。アドリアン
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「俺はゲイだから」だとしても。普通男女を同じ部屋にしますかね?例え恋愛感情が起きないとされても。異性は異性。生活しにくいですよ。

そして案の定。「俺はゲイなんだぞ!」という事態。発情した主人公と、恋なんだか何なんだかの関係に落ちてしまう。

 

そんな二人に食らい付いてくるお姉ちゃん。そして怒涛の結末。

 

本当にねえ…4回目の「何故この学校に進学したのか」。そして。

 

そもそも何故この姉妹は獣医を目指したんですか?(両親が獣医以外で)

両親は何故この姉妹が獣医になりたいと言った時(あったのか知りませんが)止めなかったんですか?

せめて。何故自宅から通える範囲のまともそうな学校を進めなかったんですか?

両親とも、この学校の卒業生ならこの学校の校風は分かっているんじゃないんですか?

何のために一家ベジタリアンでやってきたんですか?

 

あかんあかん。そもそもの動機が弱すぎて。「それでも私は獣医になりたくて」が無いから。折角の良い環境が取り留めの無い、ふんわりしたものになってしまっている。

 

「少なくとも姉妹の父親。彼は完全なMだ…」震える当方。

 

ベジタリアンの秀才少女が。全寮制の獣医学校に入学して。その破天荒な校風から。生肉を食べ…そしてひいては自身のカニバリズム精神に気づいていく…立派な変態映画要素満開なのに。いまいち乗れない。『獣医』という夢と。その解離…の必然性の欠落故。

 

「病める獣たちを救いたい…なのに何故。彼らを診ていて…納まらない鼓動。気付いたら…彼らを食べている。これを抑えられるのは…そう。忘れられない。人肉。あのトップオブ生態系…」例えば解剖シーンで。そこまで行って欲しかったからですかね。

 

まあ。あの『青と黄色のペンキが混ざり合って。緑になるまで出てくるな』という絶妙なアートエロセンス。あれは非常にぐっと心に刺さるフレーズでした。
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