ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「サニー/32」

サニー/32」観ました。


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白石和彌監督。高橋泉脚本。

『凶悪』での印象が深い、ピエール瀧リリー・フランキーコンビ。主役は北原里英。そして門脇麦。「アドバイザー、秋元康…」呟く当方。

2003年。当時11歳の小学生少女が同級生をカッターナイフで刺殺。ネット上では直ぐ様素性が晒され。その愛らしい姿と、独特なサイン(顔の横にかざしていた両手の指が3本と2本であった事)から彼女は『サニー』と呼ばれ。「犯罪史上、最も可愛い殺人犯」と一部のネットユーザーから神格化されてしまう。

事件から14年。新潟。中学校教師の藤井赤理(北原里英)。

情熱はあるけれど。空回り。満たされない日々。

25歳の誕生日の夜。二人の男に突然拉致され。混乱し。恐怖に震える彼女に掛けられた言葉。

「会いたかったよ。サニー」

 

2004年。長崎佐世保小6女児同級生殺害事件。

小学生が同級生をカッターナイフで刺殺。ネット上では彼女のプライバシーは守られず。その美少女ぶりと。彼女が着ていた服のロゴから『ネバダ事件』と呼ばれ、騒がれた。そんな実際の事件に着想を経て。

 

(注:申し訳ありません。今回ははっきりネタバレします)予告を見る限り。センセーショナルな事件から14年経って。全く違う、似たような年齢の女性が拉致されて。そこから始まる『普通の人』からの覚醒物語。

「皆が呼ぶなら。私は『サニー』」けれど。そこで現れる、本物のサニー。

 

はっきり言って。予告で当方が推測した流れ。完全に本編と概ね一致していました。

 

なので。「ちょっと待って。これどうやったらもうひとひねり出来る?この主人公がやっぱり本物のサニーだったって奴は?」なんて。あたふたしてしまいました。

 

当方はアイドル事情に全く詳しくありませんが。北原里英さんという…NGT48をもうすぐ卒業するアイドルの。まあ…はなむけ的な作品でもあると。

「そう思うと、随分頑張ったな」

通常の彼女を当方は知りませんが。作品の初め。情熱がある事はあるけれど。ぱっとしない。空回りしている主人公を演じている時の彼女。

「下手くそやなあ~」

当方は役者ではありませんが。どうしてもそう思ってしまった。けれど。

はあはあという彼女の息遣い。拉致され。目が覚めたら見た事も無い田舎の一軒家。

「サニーだろ。」「ずっと探していた。」「見ていた。」「愛しているよサニー。」

気持ち悪い。何この状態。誰?サニーって。私?私はサニーじゃない。けれど。そう言おうものなら鉄拳制裁。なんなのサニーって。

 

目の前に居る、言葉の通じない男達に対する恐怖。初めて感じた「下手したら殺される」という感情。もう駄目。もういい。私はサニーです。

 

演じる…と言うよりは自然に見えた、北原里英の『サニー』への進化。

 

赤理を拉致した柏原(ピエール瀧)と小田(リリー・フランキー)がネットで拡散し。仲間を募った事で。集まった『サニー信者』達。

 

初めこそ物騒なやり取りが続いたけれど。彼等は奇妙にも結束し。『サニー信者』として改めて崇拝。始めこそ「私はサニーじゃない」と拒んでいた赤理も。「私がサニーだ」と名乗り始める。

 

この下り。当方は沢山言いたい事はあるんですよ。「14年経ってもそうやって集まる人は居るのか」「彼らは軒並み社会から断絶されたアウトローなのか」「経済的にはどうなっているのか」「藤井赤理は捜索願いが出されないのか」「どこからドローンは来たのか」「しっかりネット上には晒されているのに通報されないのか」「日本には警察は居ないのか」エトセトラ。エトセトラ。野暮なんで…飲み込みますが。

 

人に依っては『茶番』と言われかねない、赤理の『サニー覚醒』シーン。

 

「おいおい何が始まった」当方も全ては良しとはしませんが。

 

サニーとして赤理を拉致した首謀者、柏原(ピエール瀧)。少しでも思い通りにならなければ相手を殴り。そうやって暴力でねじ伏せてきた。

 

「男性と違って女性には暴力に対する耐性が無い。だから大きな声を出しただけで委縮してしまう人も居る。けれど女性は痛みには強い。何故だか知っているか?痛みは子供を産むからだ。お前の暴力は何だ。お前の暴力からの痛みは何も産み出さない」(言い回しうろ覚え)そう言ってピエール瀧を蹴り上げたサニー。

 

「おお…」

 

個人的な問題ですが。最近。男性が威圧的にふるまう暴力について悩まされていた当方にとって。非常にすっきりとした瞬間。

 

まあ。何かしら琴線に触れたり触れなかったり。サニーのやり方はいつも『けなして、褒める』『鞭と飴』。けれど。

そうしてサニーに怒られて。最後には抱きしめられたい。信者たちはそういうサニーを求めていた。事件当初は少女だった彼女の。最も納得できる『現在の姿』。神健在。

 

「ああ。こういう着地でいくのか…」

人違いで。殺人者の熱狂的信者に拉致され。けれどそこで腹を括って居座れば。彼女は『神』になれる。赤理にとっても。それは願ってもみなかった承認欲求。自分と信者のウインウインな関係。

 

そうなれば、赤理が元々『悩める子羊たちを慰めたい』と教師をしていたのもうなずける。今や彼女はアウトローに居るけれど。ここでは綺麗事なんて言わなくていい。

ある程度自分への信頼を寄せている相手からの頼られ。その、何を言っても「ありがとうございます‼」と感謝される気持ち良さ。けれど。

 

突然現れる、『本物のサニー』。

 

「指を折るって。あかんよ」終始眉を顰めながら。「やっぱり門脇麦は本物やな」とため息を付く当方。

『本物のサニー』その不安定さ。惨めで。強さなんて微塵も感じられない。だからこそ、彼女は本物で。

 

「一体どれだけ反省したらいいんですか」「何故殺したかなんて。分からないですよ」「ただ。一緒に居るのが楽しくて。一日が終わって欲しく無くて」

 

「どうして貴方は同級生を殺したの?」とある事情で。必死でサニーに問いかける赤理。けれど本物のサニーはふわふわとした事しか答えられない。雰囲気は分かるけれど。(そして一体彼女はどういう状態だったんでしょうかね?)

 

元ネタは一切笑えない少年犯罪。アイドルが主人公。シンクロしていく世界。

拉致。暴力。被害者と加害者の逆転現象。そうして次第に生まれる共犯意識。とは言え。

どこかしら随所に笑えるポイントも盛り込んで。(不謹慎ながら、『名前。享年何歳』の明朝体テロップ』に笑えた当方)

そうして主人公は奇妙な安住の地を得た。と思いきや。突きつけられる自身の嘘。

 

「やっぱりこいつは偽物だ」メッキが剥がれていってしまう。

 

じゃあ、偽物はどう生きていく?

 

オリジナルから得られるモノには限界がある。

同じにはなれない。じゃあ偽物はどうやって生きていく?

どうやって『本物』になっていく?

誰かの真似じゃなくて。けれどこれまでの経験を活かして。どう生まれ変わる?

 

歪な物語。

北原里英さんは今後。色んな活躍をされるのでしょうが。

 

非常に面白い作品に出たなあと。そう思いました。