ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「東洋の魔女」

東洋の魔女」観ました。
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1964年、東京オリンピック。当時は高度経済成長の夜明け前。戦後復興の象徴として開催された日本初のオリンピック、この大会から追加された競技は柔道とバレーボールだった。

日本のお家芸、バレーボール。『東洋の魔女』と呼ばれ、無敵を誇った女子バレーチームは、元々は大阪府にある『大日本紡績(のちのユニチカ)』貝塚工場の女子バレーチームが発端だった。

 

「バレー部=スパルタ。というか女子の球技の部活は全体的に厳しかったという印象があるな…」

しょっぱなから余談ですが。中高と公立学校のポンコツ陸上部に所属していた当方…中学生の時のグラウンド風景を思い出してしまった。

校庭を円で5等分に割るとして。バレー部、バスケ部、女子ソフトボール部、サッカー部、野球部で分配されたその中を一周トラックとして使用していた陸上部。周囲が全て球部という環境下で、いつ体になにがしかのボールが当たるかもしれないとハラハラしながら練習した。

女子バレー部は上下関係が厳しく。朝の当校の際に下級生たちが門の前に並んで「おはようございます!」と大声であいさつをするのが慣例。

女子バスケ部は放課後すぐにブルマ姿の一年生が校庭の石?を拾っていた。

女子ソフトボール部は、たしか当時全国大会レベルだったらしいけれど…顧問の男性数学教師の鬼ノックを泣きながら拾っていた(そのボールは時々我々陸上部員も体で受ける羽目になった)。

サッカー部はちゃらちゃらしていたし、野球部も真面目ではあったけれど特に記憶にない。男子はそんな感じだったけれど。とにかく女子の球部は「やたら大声でどなる顧問に泣きながらも食らいついていく=そして強い」という構図があった。

 

もう何十年も前の話。今なら通用しないと思うし、スポーツ指導の何たるかを当方は一切知らないけれど…「スパルタな指導が結果強いチームを作る」という姿は実際に見たことがある(当方が所属していた陸上部は少人数すぎて男女共同練習。ゆるゆる活動しており大会も「参加することに意義がある」という弱小チームだった)

 

『鬼の大松』と呼ばれた大松博文監督。しかし監督も含め、部員たちも皆工場で働く工員。特別扱いなどなく、朝から夕方までは仕事をしてから、16時から練習開始。しかし時間制ではなく「今日はここまでやる」というノルマ制で練習していたため、練習は深夜に及ぶことも多々あった。

やむことのないボール。打ち返さなければ終わらない。倒れてもお構いなしにぶつけてくる。

 

そんな彼女たちももう70~80代。当時のメンバーの5人が京都のホテルで食事会をするところから始まり。各々が現在の生活を見せながら、当時を振り返るというドキュメンタリー作品。

 

監督・脚本がフランス人ジュリアン・ファロ。プロデューサーがウィリアム・ジェアナン、つまりは海外のドキュメンタリー制作なんですね。配給は太秦ですが。

 

1960年代の映像や記録が果たしてどのくらい残っているものなのか…こういう資料はNHKとかが持っていそうな気もしますが…ちょっと『アタックNO.1 』の挿入が多いかなと思った当方。

当時日本女子バレーが巻き起こした熱狂から、この漫画が生まれたのは知っていますが…どうしても「アニメじゃなくて実写の映像が見たい」と欲してしまう。

 

現在の彼女たち。確かに歳は重ねたけれど、バレーの話をするときの表情と眼光の鋭さよ。まさに死線をくぐり抜けた戦士のそれ。只者ではない。

同じチームの中でも一軍に行くための努力と根性。「大松コーチは厳しかったけれど皆がついていった。かっこよかったわね(言い回しうろ覚え。)」たしかにしんどかったけれどやり切ったという達成感。バレーをやめてからも体力があり余っていて「なぜ周りがすぐに疲れたとかいうのが分からなかった」とおっとり話す姿。「でもね。子育てだけはむつかしかったわ(言い回しうろ覚え)」

今もスポーツクラブに通い、筋トレに励む。バレーボールクラブに所属し、指導を担う。まだまだ体を動かしているメンバーもいる。なんというか…矍鑠としている。

 

昔を振り返って。何も悔いなどない、やり切ったと胸を張って言える。そしてその時期をともに戦った仲間がいる。それはおいそれとは得られない経験。けれどそれは当時血のにじむような努力をしたから。

 

1961年。欧州えん戦で24連勝を成し遂げ。彼女たちは『東洋の魔女』と呼ばれるようになった。翌年1962年の世界選手権後に引退するつもりだった彼女たちは、2年後に東京で開催される東京オリンピックにバレーボールが追加競技されることから、日本中から続投するように熱望される。

そして1964年。「勝って当然」「負けたら日本にはいられない」というプレッシャーの中、強敵ソ連を破り金メダルを取得した。それ以降も公式戦258連勝という驚異的な記録を持つ『東洋の魔女』というチーム。

 

そんな時代があったねと笑いあえる日がくるわ。今なら絶対にありえないスパルタ&スポ根精神。けれどやり遂げたものたちの清々しさよ。

 

ところで。教育やスポーツ指導に全く精通しておらず。それどころかスポーツ全般のルールすらもおぼつかない当方にはなんの引き出しも持ち合わせていないので。

なにがしかのスポーツ指導に携わっている人たちにはどう見えるのか。ぜひ聞いてみたい…そう思う日々です。