映画部活動報告「ウィッチ」
「ウィッチ」観ました。
ロバート・エガース監督作品。2015年のアメリカ映画。
1630年。開拓時代のニューイングランド。
厳格なキリスト教徒の一家。ウイリアムとキャサリン、そして長女、長男、幼い男女の双子、まだ赤ん坊のサムと、5人の子供達。
「お前たちは教会の教えに従順では無い」と住んでいた町を追われ。森の麓に引っ越してきた一家。周りに人家は無く。畑を耕し、家畜を飼う自給自足の生活。貧しい生活。
長女の主人公トマシン。家事や家畜の世話。そして弟や妹の面倒を見る毎日。
ある日。サムと二人。「いないいないばあ」をしてあやしていて。ほんのつかの間、顔を覆っていたその瞬間。消えた弟。開けた視界の前にはただただ暗い森が広がるばかり。驚き、探し回るトマシン。一家総出で探したけれどサムは見つからず。
以降も。一家を襲う不気味な事件の数々。そこに毎回居合わせてしまうトマシン。
次第に家族たちはトマシンが「魔女」なのではないかと疑い始め…。
「貴方はまだ本当の『WITCH(魔女)映画』を知らない」
当方の所属する、たった二人の映画部。部員の当方。
「得意な部門は単館系作品と変態映画部門です」
『ムカデ人間』三部作。『私が、生きる肌』『エコール』『パンズ・ラビリンス』『ローズ・イン・タイドランド』『ヴィジット』等々。当方がストーリーを嬉々として語れば語る程、相手の表情が曇ってしまう。
今作はそんな困った変態映画(褒めています)だろうと。予告編の、ものものしい映像と煽り文句に「これは面白そうだな」と直感し。ワクワクと期待して観に行きました。
結論から言うと、凄く好みの映画でした。
「かつて。魔女と呼ばれた者達の多くの資料を参考にして作った」(細かい言い回しうろ覚え)作中で断りが出ていましたが。
「一体この現象は何なんだ」「不気味で。科学的に落とし所が見つけられない」「これは何の祟りだ」「誰の所為だ」
(余談ですが。この思考の持って行き方は、今年上半期に公開された韓国映画『哭声』もそうでした。「この村の災いはあいつ(國村隼)が来てからだ。あいつは悪魔だ。という流れ)
また、一家が「厳格なキリスト教徒」と言うのが効いてくる。かねてから「私は罪深い人間です」「生きているだけで罪人です」「でも死んだ時には許されて天国に召される」という思考。でも。
余りにも一家に連続して起きている出来事のまがまがしさ。しかも子供達に災いが向けられる理不尽さ。そして不安と恐怖から。「家族の誰かが悪魔に魂を売ったのか」と疑心暗鬼に陥ってしまう。
(色んな作品を観ての、当方のぼんやりとした印象ですが…普段『罪』や『罰』を口にしすぎる人程、実際にそれらしい事が起きた時に「悪魔の仕業か!」と騒いでいる気がします)
「トマシン役のアニヤ・ティラニジョイ。可愛い…く見える時もあるけれど。何だか変わった魚顔の彼女。最近観たM・ナイト・シャマラン監督『スプリット』での生命力の強いハンター気質の女子高生「ケイシー」役が記憶に新しいけれど」
調べてみたら。寧ろ逆なんですね。この『ウィッチ』2015年公開で注目されての『スプリット』起用であったと。
まあでも。何だか独特の癖がある顔立ちと雰囲気(『アダムス・ファミリー』の時のクリスティーナ・リッチみたいな…注意⦆個人的にアダムス・ファミリーのウェンズデーはマイベスト、クリスティーナ・リッチです)
「いや。あんたは結局魔女やって」そう思わせてしまう佇まい。
勿論、トマシンには思い当たるふしなど無い。なのに。何故か自分と一緒の時に居なくなった弟達。かつて憎たらしい双子を黙らせるために、両親のいない所で「私は魔女なのよ」とうそぶいたら。このまずいタイミングで双子がその言葉を持ち出して。家族を不安に陥れてしまう。そしてまた。新たな不吉で奇怪な出来事が重なって。
「この作品の凄さ。音楽、音響とボリューム。画面の暗さ。そして曲者揃いの役者達。何かが始まっている。動いているというものものしさが。嫌~な感じがスクリーン全体から漂ってくる」
動物の動きも。兎に角気持ち悪い。(褒めています)
結局、一体何が起きていたのかとか。すっきりと解決には至りませんでしたし…最後のシーンには周りの観客たちの「何やねんそれええ~」という空気を強く感じましたが。
「いやでも。こういう話の流れは大好きです」暗転する中。にやにやが止まらなかった、変態映画部門大好き当方。
今後。「アニヤ・ティラ二ジョイ」と「ロバート・エガース監督」注目して行きたいと思います。