ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「世界で一番美しい少年」

「世界で一番美しい少年」観ました。
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1971 年公開映画『ベニスに死す』。そこでタジオという少年を演じたスウェーデン出身のビョルン・アンドルセン。撮影当時15歳。

彼を見初め、起用したルキ・ヴィスコンティ監督。イタリア貴族出身で当時すでに巨匠と呼ばれ。自らゲイであることを公言していたヴィスコンティ監督は、ビョルンを「世界一美しい少年」と称した。

時は流れ。2019年公開映画『ミッドサマー』。

アリアスター監督作品の「悪夢の夏至祭り」で老人ダンを演じた役者、知る人は「あのベニスに死すの少年だ!」と驚きの声を上げた。

 

これは「世間に食い物にされた少年」のその後を描いた作品。

 

何に対しても、お馴染み無知な当方はビョルン・アンドルセンという人物をあまり存じ上げてはいませんでした。

ですが。このポスターの表情…気になって。

 

冒頭『ベニスに死す』のタジオ役のオーディション。見合った少年を探していたヴィスコンティ監督の前に現れたビョルンは、想定していた少年よりも大きかったが…完璧だった。

ヴィスコンティ監督がビョルンを見初めた瞬間。記録として残りるその映像に映るビョルンは、確かに人智を超える美しさだったけれども…全体を通してみるとその禍々しさに反吐がでてしまう。

「美しい」そう絶賛され、高揚した少年は色んな角度からカメラで撮られる。はにかんでいたのもつかの間「上の服を脱いで」と要求され、一瞬でこわばった表情に転じる少年。相手は世界的巨匠とその取り巻きたち。これがどういう状況なのか判断できないまま、終いにはパンツ一枚で写真を撮られる羽目になってしまう。

 

物語を作り出す人物や生み出された背景がなんであれ、出来上がった物語は別物。諸々抱え込んでいたビョルンにとっても、ある意味ひと夏の経験だった映画出演体験だったはずなのに。いざ劇場公開され、カンヌをはじめ世界が称賛し…ヴィスコンティ監督のお墨付きがついたことでビョルンに色がついてしまった。

 

「またな…思春期の少年を守るまともな大人がいなかったことが…何よりも悔やまれる」

父親は不明。母親はビョルンが10歳の時に失踪した。同じ年の妹と二人で祖母に育てられたが、とにかくこの環境から抜け出したかったし、祖母はいわゆる「ステージママ」で人気者のビョルンの祖母というポジションに酔っていた。

 

50年の時を経て。現在のビョルン。俳優・歌手。

アパートで独り暮らし。あまりの不衛生な環境と火の管理に不安を感じた大家から立ち退き請求をされている。

恋人と協力し大掃除。なんとか取り繕って立ち退き回避はしたけれど…覇気がない。

 

映画で一躍有名になり。一時は日本に渡り荒稼ぎさせられた。パリで映画を撮らせてやるとパトロンがついたりもしたが結局かなわなかった。

 

ヴィスコンティ監督の撮影現場のスタッフは同性愛者が多く。しかし監督のけん制から、誰も手出しはしてこなかった。けれど映画公開後の海外メディアとのインタビューで、ビョルンが分からない言葉で「もう16歳だ。老けた」と揶揄し記者たちと笑うヴィスコンティ監督。その夜連れられたパーティで何が起きたのか、ビョルンは多くを語らなかったけれど…性的搾取があったとの証言をみてしまって…ため息がでてしまう。

結局「世界一美しい少年」は同性からも異性からも性的な意味合いを含めたアイコンとして愛されてしまった。

 

日本で歌謡曲を歌い、コマーシャルに出演する。過密すぎるスケジュールをこなすために何やら違法な薬物を投与されていたという事実に「MGMがジュディ・ガーランドにやったことを批判できない!」と悲しくなった当方。なのに。当時の担当者は生き生きとその当時のことを話す。

(またねえ…確かに耳がよかったんですね。ビョルンの日本語そこまでたどたどしくないんですわ、その歌)

 

この作品全編を通じて感じたこと。それは「もっとはっきり言っていいと思うんやけれどな」というビョルンの…慎ましさ。

 

あの時こんなことがあった。これは嫌だった。なぜこんな目に。そう言えばわかりやすいのに。絶対そう思ったことはあっただろうに。ビョルンは多くを語らない。

けれどその佇まい。憂い。出で立ちが訴えてくる。

 

30歳そこそこで演劇の学校に入学。同じころに結婚し子供が生まれた。なのにその息子が突然死した。

 

精神的に不安定で、アルコールにも依存した。そうでもしないとやってられなかった。

 

ある意味、皮肉にも60代の現在でもビジュアル的に「美しい老人」なビョルンは、俳優として音楽家として。ギリギリ食べていけるくらいには生活できてきた。

けれど…今立ち止まってみると。一体自分は何をしてきたのか?アイデンティティが見つからない。

 

どうしてこうなった。自分の軌跡をたどっていくにつれ「家族」にいきつくビョルン。

 

アンドルセン家が1960年代にしては珍しくホームビデオをよく撮っていて。幼いころのビョルンと妹や、祖母。そして母親も記録が残っている。

当時でも先進的だった母親。彼女は一体どういう人物だったのか、そしてなぜ失踪したのか。

かつて「美しい少年」と呼ばれた老人が己のルーツをたどる。そこに優しい答えはなかったけれど。

 

「もういいんじゃないですかねえ」ため息をつきすぎて酸欠状態の当方の一言。

「美しいことは罪ですか?」罪ではない。間違いなくそうではないし、色々搾取されたことは…なんというか不憫だったと思う。家族環境も物悲しい。けれど。

 

「生きてきてよかったこともあったでしょう?」

 

いわくがついてしまった映画。でも…楽しいと思った瞬間もあったんじゃないの?日本の桜は綺麗だったんでしょう?誰かを愛し、いとおしくて守りたいと思ったんでしょう?それは嘘ではなかったんでしょう?

もう振り返るのは終わり。辛いことを忘れなくていいから「よくやった」と思えるところを見つけてあげたらいいんじゃないんですかね。

 

時系列的にあのシーンは直近ではない気もしましたが。当方は心がじわっと暖かくなる結末を望んでいる…ビョルンが屈託のない笑顔で過ごせますようにと祈っています。