「星の子」観ました。
今村夏子原作の同名小説の映画化。芦田愛菜主演。大森立嗣監督作品。
未熟児で生まれ、病弱だったちひろを案じた結果『金星のめぐみ』という水に出会った両親(永瀬正敏、原田知世)。以降、その水をきっかけに販売母体であった新興宗教にのめり込んでいった。
時が経つにつれ。自宅は貧乏になっていき、小五の時に姉が突然蒸発した。
「ああこれは…どうしようもない…」。
どこまでも優しく。そして物哀しい。そんな世界観に溜息が止まらなかった当方。
この世に生を受け。幼い頃は多少親に心配を掛けるような体ではありましたが…学校に上がる頃にはすっかり健康体。以降はふてぶてしい心身に育ってしまった当方。
今や滅多に風邪すら引きませんが(丈夫な体に産んでもらって、親に感謝です)。
この作品の冒頭。未熟児で生まれ、皮膚がボロボロだったちひろに、藁をも掴む気持ちで怪しげな水にすがったちひろの両親。
「アトピーには良質な水がきく」。専門学生だった時。小児科医がふとそう言った言葉。当方ですら何となく覚えていたその言葉にすがって、社会人になって直ぐに浄水器を買ったアトピー肌に悩んでいた友人(案の定、それはネズミ講の入り口で。友人にとって泥沼の借金&人間関係崩壊の始まりだった)。
小学生の時。近所にあった宗教施設の子供たちが数名同じ小学校に居た。集団生活をするその子たちは、子供であった当方の目には特に異質なものには見えなかったけれど…。
「思っているより身近に『そういう人たち』は居る」。
当方のこれまでの半生で。『そういう人たち』はいくらか存在した。何かを盲目的に信じている彼らは雄弁で、けれど当方は両手に鉛筆を持って片目をつぶりながら芯を合わせようとするくらい、彼らと交わる事がなかった。
やたら猜疑心が強い当方はそういった「いかにも胡散臭いやつ」とか「お金をふんだくろうとするやつ」にはそもそも聞く耳が持てなかった。けれど。
そういった『胡散臭いやつ』にはまり込んだ友人を。近所に住むその子供たちを。おかしいとは思わなかった
ある程度生活能力のある成人が。他人に(当方に)迷惑を掛けないのならば、多少相入れない所があっても構わない。
真っ当な社会生活を営めて。納税の義務を果たし。他人を不快にさせないのならば、己の心の拠り所を異質な場所においてもいいじゃないか。
強引な話、そう思わなくもない当方。だって昼間のパパはちょっと違う~という人はこの世にどれだけいる事か(この歌詞の本来の意味合いは全く無関係)。勝手にすればいい。
「違う。大人はそれでいいんですよ。好きなモノを信じて、堕ちたとしても自分のせいに出来る。今回の問題はそんな大人に振り回される子供だ」。
15歳。多感な中学三年生のちひろ。
未熟児で病弱だった自分のせいで両親は新興宗教にはまった。水を始め、家じゅうにその宗教のグッズが溢れ。どんどん生活水準は落ちているのに両親の信仰心は止まらない。
歳の離れた姉はこの家に耐えられずに出て行った。叔父も両親の元に居ては危ないと、高校進学をきっかけに叔父の家に呼び寄せようとしている。
「ちひろのためを思っている」。
両親は心の拠り所を見つけた。そこに居る事が何よりも安心で、最早抜け出そうとも思わない。けれど。
年齢的に両親と一緒に居るしかないちひろにとって、果たしてこの場所は安心できる場所なのか。自分で選んでいないのに。
ちひろの未来はどうなる。まだ中学生で。まだなんにでもなれるのに。
当方は悲しいかな大人なので。どうしても大人目線でみてしまうのですが。
ちょうど高校進学という節目を前に「ちひろはどうしたいのか」という…シンプルで重大な判断を身近な大人たちはちひろにさせようとしているのだなと。そう思った当方。
両親に愛され、素直に育った。目の前で変化していく両親に耐えられなかった姉に対し、どうしても同じようには切り捨てられなかったちひろ。
両親の信じているモノをまるきり同じ様には思えない。けれど全く否定もしていない。だってあながち間違ってもいないから。
幼馴染で同級生のなべちゃん。彼女に「その水なんなの」と茶化されても、一緒に否定はしきれないちひろ。「だってこれは有名な大学教授も認めていて…」。
春に赴任してきた、数学担当の南先生(岡田将生)。若くてハンサムでテニス部の顧問。女子生徒がこぞってきゃあきゃあ言う中で。面食いのちひろも一目ぼれ。
授業中は内容そっちのけで先生の似顔絵を描き続けた。
『天然コケッコー』くらいから岡田将生さんは知ってますがね。彼は素晴らしい。あんなに爽やかなイケメンでありながら、毎度性根の腐った教師役を引き受けてくる…良い役者だなあと思う当方(褒めています)。今回も「おいおいお前」という最低を具現化した南先生を熱演。
一見爽やかなイケメン教師。そんな彼に惹かれ。ふいに訪れた自宅に送ってもらうというチャンスに舞い上がっていたら…自宅裏の公園で儀式をしている両親の姿を見られた。
「いくら何でもその情報を知らないのはおかしい。教員内でのちひろの個人情報申し送りでトップに上がるやつやろう」と思いますが…しかも加えて後日、南先生の取った行動の無神経…というよりも意識的な言葉の暴力。あまりにもひどすぎる。
(「そういう風に見る人が居たのか」。先述の様に現実に同じ校内に宗教関係の子供たちが居たからといって、そんな活動をしている姿を見た事も想像したことも無かった当方にとってもショックだった瞬間)。
そう思うと、ちひろの親友のなべちゃんとその彼氏の新村君。あの二人の距離感の真っ当な感じよ。特に新村君…アンタ良い男だよ。
最終。件の新興宗教泊りがけの会合。「結構大掛かりな宗教なんやな…」と何度目かの溜息を付いた当方でしたが。最後怒涛の畳みかけ。
タイトル通りの星の下、空を見上げる両親とちひろを見て。「ああ。両親はちひろを送り出そうとしているんだな」と感じた当方。
きっかけは末の娘ちひろだった。藁をもすがる気持ちでのめり込んだ宗教。上の娘は自分たちの元を去った。そして今、ちひろにも決断の時が来ている。
自分たちはもうこの世界から出られない。けれど…ちひろには自分で住む世界を見つけて欲しい。
ちひろを愛している様に、ちひろも自分たちを愛してくれている。けれどその愛でちひろの未来を縛ってしまいたくはない。
上の娘は自分たちの元を去った…けれど。彼女は家族の縁を完全に絶ったわけではない。家族の縁は容易く切れるものではない。
想像以上に丁寧に丁寧に。愛を込められて作られた作品。バッサリ善悪で切り捨てられる人物も一部存在したけれど…人間って、元々そんな簡単には決めつけられないよな。寧ろ誰も悪くないからこそ、気持ちをすっきりとは落とせなくて…もやもやする。
とんだ良作。迂闊に見逃しては後悔してしまうやつです。