ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「蜜のあわれ」

「蜜のあわれ」観ました。


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年老いた小説家と金魚と幽霊の織り成す。
幻想的で、可愛くて、エロくて、何だか物悲しい。
室生犀星の小説を映画化した作品。

少女の姿をした「赤子」を二階堂ふみ
70代の小説家「先生」を大杉漣
「先生に焦がれ。ある日誰かに殺された女」を真木よう子が演じ。

「うん。あざといな!」

元気一杯天真爛漫な赤子。己を「あたい」と言い。年老いた小説家を崩落。エロすれすれの互いの言葉遊び。仕草。幼さと無意識のエロの交差。でも。

あざとい…。

所詮は生を終えようとする、先生の妄想の産物。そこの滑稽さ、哀しさが…ちょっと弱いかなあと。

二階堂ふみの確信犯ぷり」

今さら絶対に比較されたくないであろう、宮崎あおい

宮崎あおい二階堂ふみ。似た系統の顔立ちの彼女達の住み分け。二階堂ふみ

宮崎あおいの出来ない事がやれる」

宮崎あおいの決してやらない、いわゆる脱ぐ事からのエロ。そこに躊躇を見せない。しかも若いのに。

何をもって「ヨゴレ」とするのか。決して脱いでエロシーンをやる事では無いし、犯罪者や悪者を演じる事では無い。

寧ろ「害虫」「好きだ」「初恋」の宮崎あおいは神がかった禍々しさだったし、ある意味どんな分かりやすい悪者より純粋な凶器だった。

今、ふんわりはんなりキャラで固めたとて、どこかで宮崎あおいは底知れない化け物だと思う当方。…何て言うか…気持ち悪い。そのポテンシャル。

二階堂ふみは分かりやすい手練れ。(あくまでも当方比ですよ)

若いのに上手くあしらってくれる芸達者。どう自分を演出するべきか分かっているし、皆が気持ち良いツボも分かっている。頭が良いし、カンが良い。

そう思ってしまう、ひねくれた当方。

赤子はこういうんでしょう?こういう表情でしょう?口調でしょう?その強い答え合わせ。押しきられる観客。


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「17歳で原作を読んだ時から、この役を演じたいと熱望し」うん、その気概は伝わります。

ついでに言うと、先生も幽霊も元気一杯過ぎるかと…。

こういう幻想的とされる原作は…どうしても読者は己の脳内で世界を作りますから…。結局の所は、それに嵌まれば良い訳で。嵌まらなければブウブウ言う。

あっけらかんとした口調で語られる世界。
でもそんな世界は所詮まやかしだと。年老いた人物と、早くに命を終えてしまう金魚。そもそも生きていない幽霊。
そんな互いが瞬間的に関わる一時。

もう少し…全体的にテンションを下げてみたら…。

映画感想文としてあるまじきですが、この原作で一番納得のπを得られるのは「ラジオドラマ」なのかもしれない…。

ああでも。

あの映像の美しさからしたら。いっそ、あのままで無声映画もありなのかもしれない。

どこかで余白を。完璧な世界観を出すより、少し個々が思いを挟み込める隙間を。

「難しいお話に取り組んだんだなあ~」

ただ当方が嵌まりこめなかっただけ。ただそれだけなんですが。

だからこそ、古典は難しいなあ~と思いました。