ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「騙し絵の牙」

「騙し絵の牙」観ました。
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「もう本は売れない」

昨今叫ばれる出版不況。活字離れ。ネット社会も追い風となり。出版業界、特に紙媒体の本が売れなくなっている。

大手出版社『薫風社』。創業一族の社長伊庭喜之助の急逝から次期社長の座を巡って権力争いが勃発した。

社長の息子惟高(中村倫也)は成人してはいるもののまだ年齢が若い。そこで、一時的に現在専務である東松龍司(佐藤浩市)に実権が移行した。

東松が進める社内の大改革。さっそく社内のお荷物扱い、エンタメ雑誌『トリニティ』が廃刊の危機にさらされる。

新しく就任したばかりだった、変わり者の編集長・速水明輝(大泉洋)は社内の看板雑誌『小説薫風』から引き抜いた新人編集者・高野恵(松岡茉優)らを引き連れ、『トリニティ』の存続を掛けて奔走。それは次第に薫風社を揺るがす事態へと発展していく。

 

小説『罪の声』の著者・塩田武士が、俳優の大泉洋を主人公に当て書きした原作『騙し絵の牙』。その主人公、速水輝を大泉洋が主演。他主要キャストも豪華俳優で固め。『桐島、部活やめるってよ』などの吉田大八監督で映画化した。

 

「本や雑誌を読まなくなったのはいつからやろう。」

 

子供のころ。学校の図書室にあった本はほとんど読んだ。漫画雑誌は買わなかったけれど、学生の頃は何冊も定期購読状態の雑誌があった。

休み時間。放課後。休日は部屋に閉じこもった。座り込んだり寝っ転がって起きている間延々と活字を追った。活字中毒。風呂に入っている間すら、手元に本が無ければ入浴剤の入れ物の裏に書いてある文字を読んだ。

…いつから?

社会人になって。ゆっくり本を読む時間が取れなくなったから?

生活に携帯電話が現れ。メールのやり取りから、その内液晶に色んな情報が現れるようになったから?かさばる紙媒体を持たなくとも、お金を払わなくとも情報が得られるようになったから?

大人になって。物語を必要としなくなった?そういうこと?

 

大手出版会社『薫風社』を舞台に。「どうやって出版社は生き残るのか」を描いた作品。

『小説薫風』を看板雑誌としていた。つまりは文芸…大御所作家たちによる小説を扱っていた薫風社。しかし、大御所は金が掛かる上に扱いが難しい。

作家生活40年の大御所、二階堂大作(國村隼)。「小説薫風の顔は俺だ」と言わんばかりの古狸を、なだめすかして追い込んで。『トリニティ』での連載をこぎつけたのを皮切りに。

人気ファッションモデル・城島咲(池田イライザ)の意外な起用。小説薫風の新人賞選考では落選した、新人小説家・矢代聖(宮沢氷魚)の連載採用など、ありとあらゆる企画をぶつけて廃刊の危機から脱出、快進撃を見せていく。

 

掴み所の無い、飄々とした編集長・速水。彼を当て書きしたという大泉洋の演技は流石。どんな大御所相手であろうが、下手すれば「失礼」すれすれのあけすけな物言い。ズケズケと切り込んで、けれど結局相手をその気にさせて連載をこぎつけてくる。

けれど。速水の最終目的は「トリニティを存続させること」ではない。

 

おそらく。当方が鑑賞中どうしても引っかかった部分。「勝ち負けにこだわり過ぎている」世界観。

老舗の大手出版社。創始者一族が権力を握り、古臭い経営を続けていた中での社長の急逝。そのままの体制を維持したいとしがみつく旧体制・常務の宮藤和生(佐野史郎)と新しい風を起こして経営を一新したい壊し屋・専務の東松。

旧体制側にいる『小説薫風』と、東松とズブズブの速水が率いる『トリニティ』。つまりは文芸小説雑誌とエンタメ誌。

街中にある寂れた本屋。本を卸す仲介業者を挟むことで生じる手間とお金。欲しけりゃ直接出版社から直に買えばいいじゃないか…つぶれてしまえばいい。仲介どころか末端の本屋すらいらない。それが出版社の本音。

 

昨今の出版業界が抱えているのであろう問題を片っ端から並べたのであろう、てんこ盛りの話題。それらを弱肉強食の法則で食い潰していく…と思いきや、実はやられている方が一枚上手で…の繰り返し。テンポが良いと言えばいいけれど、何だか腑に落ちない。もやもやする。

 

多分。当方が一番気持ちが分かる気がしたのが、トリニティの副編集長・柴崎真二(坪倉由幸)。

少ないメンバーで細々続けていたエンタメ誌。新しい編集長の速水は「どれもこれも読んだことある記事ばっかり。つまんない」と言い放ち。次々と新しい企画を挙げさせて採用。危険な賭けを乗り越えて『トリニティ』は注目される雑誌へと生まれ変わった。

けれど。速水にはトリニティへの愛が無い。

「売れればいいんだって」「面白ければいい」「皆でトリニティを利用すればいい」

そんな言い方をされて…気持ちいい訳がない。プライドを持って仕事をしてきたのに。

 

老舗の大手出版社・薫風社をひっかきまわす壊し屋。その筆頭である専務の東松と編集長の速水。彼らから感じる事が出来なかった「本を愛する気持ち」。

速水の放つ「面白い本を作りたい」という言葉が持つ意味が違う。面白い本…当方が浮かべるそれは「時間を忘れて読みふける本」を指していて。決して「読む前から世間で話題になっているから気になる本」という意味ではない。(エンタメ雑誌なんだから!と言われればそれまでですが…)

 

きっとそのもやもやに答えを出したのが本屋の娘、新人編集者・高野の最後の行動だったのだと思うのですが。

彼女が取った行動は『この作品に於けるもっとも痛快な着地』だったと納得はしているのですが。

それもまた、速水の『面白ければいい精神』を引き継いでいるじゃないかと引っかかっている当方。

 

歯切れが悪い文章をだらだら書いているのも苦しくなってきましたので〆ていきますが。

つまり当方が終始感じていたのは「彼らは読者が読みたいものを作っているのだろうか」「こういうやり方は作家や本を作る人たちのやる気を削ぐんじゃないか」という引っかかり。

 

「こういうのが面白いんでしょう?」「これなら皆飛びつくでしょう?」人間の興味を引く心理に付けこんで本を作っていないか。そしてそれは製作者の本意なのか?

 

現実に本を読まない人は増えている。実際に本は売れない。けれど『活字中毒者』は減っていないと当方は感じている…その対象が本や雑誌だけではなくなったというだけで。いわゆるスマホ中毒だって活字をずっと追っていると言えばそう。風呂場で延々入浴剤の文言を読んでいた当方と同じ。

物語を求める気持ちはいくつになっても無くならない。

 

「じゃあこうして欲しい」という明確な意見で終われないのが残念ですが。本を作る人たちに当方が思ったのは「物語と出会う場所は沢山欲しい」ということ。

電子でも紙媒体でも何でも。特に、純粋に楽しめる子供たちにとって間口は広いままであって欲しい。

だから…高価だから本を手に入れられないというのはやめてあげて欲しい。…偏屈な性格だなと我ながら嫌になりますが。エンターテイメントに振り切れ過ぎて、最後までちょっと乗り切れなかった。

 

 

ところで。この作品を鑑賞した当方の妹から「実際に一作品だけしか書いていない作家って誰?」ときかれたのですが。

とっさに「『バトル・ロワイヤル高見広春』しか答えられなかったです。