ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「神と共に 第二章:因と縁」

「神と共に 第二章: 因と縁」観ました。
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「人は死んだら冥界に送られる。冥界には7つの地獄があり、各々現世での罪が裁かれる。それらの裁判を全て無罪で通過しなければ、現世に生まれ変わる事は出来ない。因みに期限は49日。」

 

韓国。冥界ファンタジー作品『神と共に 第一章:罪と罰』の続編。

 

watanabeseijin.hatenablog.com

 名誉の殉死を遂げた消防士、ジャホン。彼を無事転生させた冥界の使者、カン二ム、へウォンメク、ドクチュン。彼ら3人には「1000年で49人を転生させることが出来れば、使者としての任務終了とし、現世に転生する事が出来る。」という希望があった。

ジャホンが48人目。そしてカン二ムが49人目として弁護する事にしたのは…ジャホンの弟、スホンであった。

弁護士になる夢半ばで、不本意に命を絶たれたスホン。一時は怨霊となり冥界と下界を荒らした。本来ならば消滅させなければいけない存在。しかし閻魔はある条件を追加した上でスホンの弁護を許可する。

それは「もうとっくに寿命が尽きている人間がいる。屋敷神ソンジュ神が守っているからどの使者も太刀打ちできない。ソンジュ神を倒し、その人間を連れて来い。」というもの。

スホンの弁護をカン二ム。下界に降りるのをヘウォンメク、ドクチュンと二手に別れ。

各々の任務を進めていく中で。次第に明かされていく、使者たちの過去。

1000年前に起きた事。それは壮大で…哀しく、残酷なものだった。

 

「第二章141分。でももう詰め込みすぎて…頭がパンパン!」

 

第一章140分。7つの地獄めぐりをメインに進められた前作。今回、スホンは不遇の死だったからと幾つかの地獄をショートカットする形で進行。(何故だ!甘すぎるやろう!)

徴兵で入隊中だったスホン。ある夜起きた発砲事故。しかしその銃撃ではスホンは死んでおらず瀕死状態だった。その事故を隠避しようとした上司とおろおろするばかりの後輩に依ってスホンは息の根を止められた。一体彼らの行動は殺人なのか?故意なのか?

 

~というベースがあるにはあるのですが。何だかスホンの弁護云々は二の次。第二章のメインは『使者たちの過去と繋がり』。

 

下界。とっくに寿命が尽きているという老人。新興住宅地にすべく、住民達は軒並立ち退かされて最早限界集落。そんな場所にぽつんと暮らす年寄りを屋敷神として守っているソンジュ神。何故彼が頑なに老人を守っているのか。それはたった一人の孫と暮らしていたから。叔父さんという呈で同居。こまごまと生活を手伝うソンジュ神。

そこに現れたヘウォンメクとドクチュン。けれど。ソンジュ神の圧倒的な強さに太刀打ち出来ず。

「とは言えいつまでもこのままではおれない」「せめてこの子が小学校に上がったら。」老人が去った後一人で生きていける様、手立てを講じる三人。

 

「ところで。お前たちは何も覚えていないのか?」

1000年前。ヘウォンメク、ドクチュンを担当した使者であったというソンジュ神。前世での記憶が一切ない二人に、ぽつりぽつりと語られる、厳しすぎる過去。

 

スホンの弁護を通して、己の罪深さを語るカン二ム。前世で犯した罪。後悔の念は1000年の時を経ても収まる事は無く、今もなおずっとカン二ムを苦しめる。最早地獄裁判の舞台の主人公はスホンでは無くカン二ム。

そして。次々と明かされていく自分たちの過去とその行く末に。動揺するヘウォンメクとドクチュン。そして彼らの出した結末とは。

 

「ああもう。だめだだめだ。これ全然纏まりませんわ。」

詰め込み過ぎなんですよ。もう…本編を観ていないと…ストーリーの説明なんてこれ以上は無理。

 

兎に角。当方がこの作品を観るきっかけとなった、マ・ドンソク(マブリー)扮するソンジュ神。そのハートフルパート。ほのぼの。

使者達には圧倒的な強さで打ち勝つけれど。人間には手出し出来ない。毎日やってくる地上げ屋や借金取りにヘこへこして。老人の資金を増やしてやろうと「ファンドはいつか来るんだ!」と駄目な株に手を出して。却って財産を減らしている。

 

「いつか、完全な悪。一切のコミカルさを断ち切ったマブリーを見てみたい。」そう思う当方。いかついビジュアルとパワー系アクション。けれど時折見せるキュートな表情や仕草。そういう森のくまさん的な役が多いマブリー…今回も御多分に漏れず。そういう人情味溢れるキャラクターを演じておられました。

 

使者達の前世。特にヘウォンメクとドクチュンのエピソードが何だか…とてもエモーショナルだった。

敵対する部族に依る領土争い。強者と弱者。ある日出会い。次第に強者に慈愛の念が生まれる。しかしある時突如知ってしまった。「相手は何者なのか」。

憎んでも憎みきれないはずの相手を赦す心。誰かの為ならば己の命をも投げ出す覚悟。しかしその思いがやっと交差した時。全てが終わった。

「うわあああああ。なにこれえええ。」

 

ヘウォンメクとドクチュンは前世の記憶を消された。けれど。カン二ムは記憶を消されなかった。彼は罪を背負って、二人と共に使者として1000年を過ごさなければいけなかった。忘れたい。赦されたい。そう思って。49人を転生させようと必死だった。

 

「そういう事情だったのか。」

罪を認めろ。相手にきちんと詫びろ。スホンの裁判では証人として加害者達を呼び。罪を抱えて生きていく事の辛さを講じた。

 

「とは言え。やっぱり話を盛り込み過ぎやと思うけれどな…。」スホンの裁判と判決の取って付けた感よ。そして登場人物達の背景…こうなったらもうどうにでもこじつけられるじゃないか。

 

そして…巨大海洋生物恐怖症の当方にとって、息の根が止まるかと思った衝撃。

暗い海のシーン。第一章からも嫌な予感はしていましたが。「船の下に浮かぶ巨大な影」という悪夢。そして何より…「この砂漠ではお前が怖いと思っているものが現れる」からのまさかのジュラシック・ワールド展開。「うわあああああ。」まさかの韓国冥界ファンタジーで当方が最大級に恐れているアイツの登場。ショック死寸前。

「本当にねえ!要る⁈このシーン要る?!」ショックからの最大級の怒り。こんな目に合うなんて。

 

最後の感じからして、ひょっとしたらシリーズ化を狙っているのかなと思いましたが。

「これ幾らでも作れそうな感じがするけれど…ただもしまたあいつが現れたら…。」

そう思うとちょっと二の足踏みそう。そんな当方です。

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映画部活動報告「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス」

「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス」観ました。
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ニューヨーク公共図書館(NYPL)。19世紀初頭のボザール様式建築の本館と92の分館からなる、世界最大級の『知の殿堂』。

幾多の分野に於いて世界有数のコレクションを誇り、また多くの作家や画家を育ててきた。そんな歴史はあるが、決して敷居の高い場所では無い。常にニューヨーク市民の生活に密着した存在でもある。

「図書館はただの大きな本棚では無い。」そんなNYPLの取り組み、活動…今の時代に図書館とはどうあるべきか。そしてこれからは。ドキュメンタリーの巨匠フレデリック・ワイズマンが撮った、3時間25分の超大作。

 

「図書館かあ。一体いつが最後に行った時やろう。」

最近はめっきり腰を据えて読書に没頭する事が無くなりましたが。当方は元来相当なジャンキー読書家で。と言っても映画と一緒。基本的には気になれば何でも、というスタンス故ジャンルは不問で読んでいました。しかも速読。大抵の文庫本は二時間くらいで読んでしまう。(恐らく活字中毒。まだ風呂場に読み物を持ち込まなかった頃から、湯船に浸かりながら手当たり次第入浴剤やら洗剤やらの文言を読んでいました。)

 

市立図書館。というものは当方の住む地方都市にも当然ありますが。残念ながら自宅からは遠く。近くのコミュニティーセンターやらに小さな分館図書館や自習室があった。

 

まだ幼かった頃(未就学~小学校低学年くらい?)。妹と通った記憶。

バーバーパパ。ミッフィー。だるまどんシリーズ等々。定番の絵本を読みつくし。

ある土砂降りの雷雨の日(夕立だったのか?)。図書館から傘一つで、くっついて震えながらの帰り道(雨宿りしてから帰りなよ)。突如目の前に落ちた閃光と怒号。あの落雷の恐怖から。しばらく図書館からは足が遠のいた。

小中学校は学内の図書室の本を殆ど読みつくした。

 

高校生。帰宅途中の自習室に寄ってみたけれど。そこは文字通り『自習室』で。誰も背後の本棚には見向きもせず。物音一つ立てようものなら死刑!という雰囲気に耐えられず、二度と足を踏み入れなかった。(そのコミュニティーセンターの一階フロアが丁度いい感じにくつろげる空間だったので、そこで飲み物を買ってよく『踊る大捜査線』の再放送を見てから帰宅していた。)

 

社会人になってから。他の市が所有する、大きな市立図書館に一時通った。「ああ。ほっぺん先生シリーズがこんなに沢山。」「これ、今は絶版なんよな。」そういう楽しみもあったけれど。如何せん、やはりわざわざ電車を乗り継いで通うのはしんどかった。借りても返しに行くのが難儀。そして正直…本が全体的にボロボロすぎた。

 

「それから早…10年位?」

そう振り返って思ったのは、ライフステージに応じて図書館に対して求めるものは変わるのだなという事。ただひたすら新しい世界を見つける場所。静けさに身を委ねる場所。知識を求める場所。そして穏やかにこれまでの世界を読み返す場所。

何となく。図書館というものに対して、色んな人達のニーズを受け入れるおおらかな場所だという認識があった当方。いやいやいや。

 

「図書館はただの大きな本棚では無い。」

目から鱗。こんなアグレッシブな活動をしている図書館があったなんて。

「図書館の在り方は。」「市民の税金と寄付金で成り立っているこの図書館が出来る事は。」

子供達への読み聞かせ。最早学童保育じゃないかという放課後自習教室。

作家、音楽家有識者を招いての講演会。と思えば就職説明会。はたまた専門書コーナーでのワークショップ。

由緒ある巨大図書館。観光名所でもある。なのにそこに胡坐をかいていない。ただ受動的に『来てくれるのを待つ』のではない。「知りたい事がある。NYPLなら分かるかな。」「興味が持てるイベントがある。だから行ってみようか。」足を向けさせる。その企画力。

そして各部署の担当者達のプレゼンテーション能力の高さよ。「私が担当している、ここの資料は100年かけて集められたものだ。」誇りを持っているんだな、と感じる流暢な喋り。

 

本館だけでは無い。分館の在り方も興味深い。

中国系コミュニティにある分館では、そこに応じた図書ラインナップ。そして中国語が話せるスタッフが、まだ来て日にちの浅そうな利用者相手にパソコン教室。

黒人が多く住むコミュニティ。どんなに平等な世の中になったと言われても、やはり差別は今も尚存在している。けれど学校で使用している教科書にはそんな事実はのっていない。「でも。この図書館には本当の歴史が記された本がきちんと残されている。」「このコミュニティにこの図書館がある事には大きな意義があるんだ。」

 

作中何度も映される、NYPL幹部者会議の模様。「どうやって軍資金(税金と寄付金)を得るか。どんな活動を企画すれば、その金は生きてくるのか。」「公共の図書館が出来る事って何だ。」

「この町には約3万人のインターネット難民が居る。」(言い回しうろ覚え)昨今目まぐるしい勢いのデジタル革命に取り残されている人たちに何が出来るのか。そしてその革命に乗っかっている人たちにはどう対応出来るのか。

 

電子書籍は便利だ。けれど我々が今紙媒体で所有しておかなければ、10年後見つける事が出来なくなる本がある。」(言い回しうろ覚え)

「ベストセラーはどうにかなるんだ。そうじゃなくて…。」「研究書に予算を割いた方が寄付金は集まる。けれど本当に皆が読みたいのは…。」

 

「図書館はただの大きな本棚では無い。」けれど「大きな本棚としての役割は大前提。」

どんなに多様性のある活動を企画実行しようと。本来図書館は皆が本を求めてくる場所。

『100年掛けて集めた資料』は今後も積み重なっていく。そうならなければいけない。

 

「何だかんだ言って。図書館って利用タダやからなあ~。」

利用する側の最大の魅力であり、図書館側の最大のアピールポイントであり…おそらく図書館運営最大の弱点でもある。

少ない軍資金からいかに蔵書を増やせるか。一体世間ではどういう本が求められているのか。時代として残さなければいけない本とは何か。そして紙媒体一択から電子書籍という選択肢が増えた昨今。今後益々インターネットで情報は収集出来ていくと思われる中で。どういう形態で蔵書バランスを取ればいいのか。

 

「でも。あの点字本の読み方教室とかも大切やと思うんよな。」そっと呟く当方。紙や電子だけじゃない。本の形態はそれだけじゃない。どんな人にだって、求めれば本の世界は広がっている。

当然分かっている。きちんと見逃さずに、その間口にはNYPLが居る。

 

3時間25分の長尺。途中トイレ休憩があったりもしたけれど。怒涛の畳みかけに眠たくなる暇もなく。ひたすら圧倒され続けた当方。

 

ところで。当方馴染みの地元図書館と、遠くにある大きい図書館。ふと気になって取り組みについて調べたりしましたが。『子供への読み聞かせ会』『あなたの好きそうな本を探します』う~ん。やっぱりなと思う反面、「そりゃあ世界でもトップクラスの規模とネームバリューと軍資金を持つNYPLと比べるなよ!」という声が聞こえてきそう。そりゃそうだ。

 

アグレッシブな図書館の姿に、希望を感じながらも。

おそらく…子が居ない当方が図書館通いを再開するのは随分先。『定年後』とかになりそうだなと思う次第。(せめて自宅近くに無いと…。)

映画部活動報告「ハウス・ジャック・ビルト」

「ハウス・ジャック・ビルト」観ました。
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「『ダンサー・イン・ザ・ダーク』『ニンフォマニアック』等手掛けた鬼才、ラース・フォン・トリアー監督作品。」「2018年第71回カンヌ国際映画祭で途中退出者続出!」「醜悪で魅力的!」

 

「随分煽ってくるなあ~。まあ、トリアー監督やし…長時間に渡る、狂った主人公のだらだら自分語り。何一つ共感出来ない内容故に観ている側はフラストレーションを募らせていって。最終的には主人公がドツボに嵌る。そういう話なんちゃうの~。」

はい正解。まさにそういう作品。

 

1970~1980年代のアメリカ、ワシントン州

建築家希望の技師ジャック(マット・ディロン)。とある出来事をきっかけに。「これはアートだ。」と次々と殺人を犯していくようになる。そんな彼が『ジャックの家』を完成させるまでの12年を、5つのエピソードから描いていく。

 

ジャックを形容するならば、『シリアルキラー』『サイコパス』。

己の犯罪に対する罪悪感なんて微塵も無し。殺人を繰り返し、その死体を細工する。そしてそれを写真に収める。個人で借りている業務用冷凍庫に死体を(雑に)保管する。

初めこそ『強迫性神経障害』で『潔癖症』である事を主張していたけれど。途中からはもう、ただただルーティンワークのごとく殺人を犯していたとしか思えなかったジャック。潔癖症エピソードもうやむや。

 

初めて殺人を犯すきっかけとなった第一の女(ユマ・サーマン)。

「危ねえええ。何でこんな言い方するんだ。こんなの殺されてもおかしくないよ。」

雪道。故障した車の持ち主の女。たまたま車で通りがかったジャックを捕まえて。近くにある金物工場まで送ってもらい、これまた壊れていた、修理に使うジャッキを修理してもらう。(何故車そのものを治せる所に行かないんだ。いくら1970年代とは言え、自動車修理が出来る店があるでしょうが…という当方のツッコミ)けれど。結局上手くいかず。右往左往。

ぶっきらぼうではあるけれど。あくまで親切だったジャックに対し、礼を言うどころか「いかにも殺人犯が乗りそうな車ね。」「もしあなたが犯罪者だったら~。」としつこく絡んでくる女。鬱陶しい。

「ジャックはただドライブをしていたのか?用事とか無かったの?」と疑いたくなる位、長時間その女に振り回され。やれ工場まで送れだの、引き返せだの、もう一回どこかまで送れだの。図々しい。しかもその態度は限りなく不快。

「殺されて良い人間なんて居ない。けれどこいつは腹立たしい。当方なら…殺しはしないけれど、うっかり殴ってしまいそうだ。」(多分…この女を置き去りにするな。そして離れた場所から修理業者に連絡する。)

案の定、殺害。

 

それをきっかけに。見知らぬ独居女性宅に押しかけ強盗よろしく侵入。殺害。後はもう手当たり次第。

 

「カンヌで100人以上が席を立った…やっぱりあの子供の所なんかなあ。」

「決して弱い相手を狙っていた訳じゃない」ジャックはそんな戯言を言ってましたが。大体のターゲットは結局女性。その中でも「これはあかん。」と思わせた『二人の子供を持つ母親』。

休日のピクニック。幼い子供に猟銃の扱いを教えるジャック。「良い再婚相手になるわ」と言わんばかりの表情を浮かべた母親が映し出された…次には、子供を猟銃で撃つジャック。しかもその死体を細工。何だかもう笑うに笑えない…悪趣味すぎて。

 

かつての恋人(巨乳)の切り取った乳、その皮で作った小銭入れ…という代物には乾いた笑いが出ましたけれど。

 

個人的には、『幼少期のジャック少年が、小鳥の足を剪定鋏でパチンと切ってから、水面に小鳥を投げつけたシーン』が生理的に受け付けなかった…もし当方が席を立つとしたらそこだったと思いましたが。

 

冒頭。12年間散々殺人を重ねてきたジャックが、暗闇の中で突如出会った、謎の人物バージ(ブルーノ・ガンツ)。自身の事を話せというバージに、これまで重ねてきた犯罪を語るジャック。という呈で物語は進行。

バージはアートだ哲学だ逸話だとジャックの行動に意味合いを付けようとしている風にも取れましたが…正直観ている側からしたら何の共感も得られず。だって、ジャック全然悪びれていないから。一連の行為に主義主張なんて無い。ただただ己の生理的欲求に素直に従っていただけ。

 

マザー・グースにも詩にも詳しくないので。

この話が『ジャックが経てた家』というマザー・グースの歌になぞらえているとか(積み立て歌。一つの出来事があって、次にこういう事が起きて、と膨らんでいく歌だと。…この元々の歌自体も気持ち悪い印象)。

バージ=『神曲』のウェルギリウス(罪人を地獄へ誘っていく人物)であるとか。何だかもう…ああそうでしたかとしか言えない当方。

「だって。だってそうやってインテリぶって作っている割に、結局エピソード同士の繋がりとか、決着の付け方とかが雑やねんもん。」「結局ジャックの建てた家ってやつもさあ。」「あんた、アートアートっていうけれど。アートって何だね。(北の国から菅原文太風)。」

 

「考えるな!感じろ!」「トリアー監督作品に緻密さとか野暮な事を言うんじゃない。」そうなんですけれど。

「だけど 気になる(マーマレード・ボーイの主題歌)」何だかんだ毎回文句を言いながらも結局観てしまう所からも…トリアー監督作品嫌いじゃないんですけれど(今回も公開初日鑑賞)。

 

もごもごと歯切れが悪い当方。「この作品を嫌い…では無い。勿論好きでもない。ただ…何だか観終わった後清々しい気持ちになった。何故だ…。」

 

おそらく。これまで何度も犯してきた犯罪を、一点の曇りもなく語りきったジャックへの観ている側が感じていたフラストレーションと、そこにきっちり落とし前を付けたラスト。そして抜群にフィットした音楽で締めた。その面白さだったのかと。今現在、そう思う当方。

 

「ああもう気持ち悪い。」サイコホラー?いやいや、これは非常に悪趣味なコメディ映画。

下手したら当方のセンスが問われますので万人にはお薦めしませんが…広い心と忍耐力のある人には観て欲しい。そして苦笑いしながら語り合いたい。そんな作品。

 

じゃあ一緒に観に行きませんかと言われたら?当方は一度で充分です。

映画部活動報告「午前十時の映画祭 ゴッドファーザー」

「午前十時の映画祭 ゴッドファーザー」観ました。
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1972年公開。マリオ・プーゾの同名小説の映画化。マーロン・ブランドアル・パチーノ出演。フランシス・フォード・コッポラ監督作品。

「言わずと知れた超名作。」「以降ゴッドファーザー2、ゴッドファーザー3へと続くシリーズ一作目。」「フランシス・F・コッポラ監督作品の代表作。」「同年アカデミー賞の作品賞、主演男優賞、脚色賞受賞作品。」

そんな、映画好きなら登竜門的作品。ですが。

案の定もぐりな当方。「はて。観た事あるような気もするけれど…どんなやったっけ?」(まあ、本当にきちんと観ていたのならばそんな覚え方はしていないなと今回思いましたが)有難い事に『午前十時の映画祭』が取り扱ってくれていたので。今回無事履修する事が出来ました。

 

1945年アメリカ。イタリア系アメリカ人のコルレオーネ家。舞台は娘コニーの結婚披露宴から幕が上がる。

大邸宅でのガーデンパーティ。沢山の招待客で庭は溢れかえり。皆笑顔で歌い、踊り。新郎新婦を祝福。

しかし。お祝いムードの傍ら。屋敷の中ではコルレオーネ家の長、ドン・コルレオーネ(マーロン・ブランド)への、一部の招待客から挨拶といくつかのお願いが交わされていた。

姉の結婚式を楽しむ三男のマイケル(アル・パチーノ)。初めてマイケルの実家に招かれた、恋人のケイは盛大なパーティの様子と、やってきた有名歌手に驚きが隠せない。

「ねえ。どういう事?」「彼は父に借りがあるんだ。」

そしてマイケルはコルレーネ家が『ゴッドファーザー』という、NYで5大ファミリーに入る、巨大マフィア組織である事、父ドンがそのトップである事を告げる。

 

~というペースでつらつら物語の筋を追っていくとエンドレス。何しろ2時間58分の大作。あらすじを纏める事がメインでは無いので。此処からはただただ当方の感想文を書いていきますが。

 

マフィアのトップ、ドンの栄枯衰退。そして「マイケルだけは悪に染まらないようにしたい」と望まれていたのに。結局カタギからマフィアの世界に足を踏み入れざるを得なくなっていって。次第に無邪気さを失い、冷徹な表情になっていく哀しさ。そして新しいドンの座に収まるマイケル。そういう話。

 

「新しい猿山のボス誕生。」「マフィアの世代交代。」

 

話ががらっと変わるんですが。

社会人になってもうすぐ20年。そんな当方の職種、某専門職。

はっきり明示はしませんが、非常に閉鎖的な人間環境を形成しやすい場所で。当然管理職という存在も居るけれど。独特な派閥を形成する人物というのもまま存在した。

組織が選出した管理職では無いけれど。胸にモヤモヤとした出来事が起きた時、その人物に相談したら気持ちが晴れるアドバイスをしてくれる。何だかひっそりと動いてくれていたりもする。

ひょっとしたらただの愚痴じゃないか。何だか大事になったり面倒な事になったりしないか。そう思って管理職に相談するのは気が引けるけれど…あの人になら話せる。いつも親身に聞いてくれる。もしかしたらどうにかしてくれるかもしれない。いや、きっと力になってくれる。だって今までだってそうやって助けてくれたもの。

実際にそういう派閥を目の当たりにしていた当方。一緒に酒を飲んで愚痴った事は幾らでもありましたが。無所属を決め込んでいた当方は結局その人物に泣きついた事はありませんでした。なぜなら…当方とその人物は同期入職だったから。

これ以上踏み込んだ事は書きませんが。

そういう過去を何故か何度も思い出した作品。

 

古き良きマフィア(そんな言い方があるのかどうか…)。ドンを慕って訪れる旧友達の物騒な依頼も何だかんだ聞いてやって。そしてファミリー間の結束は強靭。けれど。

「麻薬を扱わないか。」という密売人の誘いを断った所からその地位が狙われ始める。

政治家、警察官とも繋がっていた密売人。そしてその背後には5大ファミリーの影もちらついていて。

クリスマス直前。何者かの銃弾に倒れたドン。激震。グラグラに揺れたコルレオーネ家。それはマフィア同士の抗争の火ぶたが切られたという事でもあった。

重体で意識不明、入院中のドン。ボスが不在の中、唯一カタギの世界に居たはずの三男マイケルが復讐の為に犯罪に手を染める。

決行後。ほとぼりが冷めるまで雲隠れしていたマイケルが、シチリアで出会った運命の女。なのに。結局その女も抗争に依って失った。

NYに戻り。音信不通にしていたケイの元へ。ほぼ強引に結婚。コルレオーネ家に戻ったマイケルにはもう、あどけなく笑っていた面影は無い。

 

「ああ。もうこういう風になっちゃうわけね。」

血気盛んな他の兄弟なんかも押しのけて。結局一番ドンの後釜になる素質があったということか。けれど。どこか人情味のあったドンとは全く違うマイケル。頭脳派で冷酷、血も涙もない。かつての仲間だって断捨離。ミニマリスト過ぎる。

ラストのマイケルの姿と、それを複雑な表情で見る妻のケイ。始めの結婚式のシーンを思うと本当に「思えば遠くへ来たもんだ」としみじみ。

 

ゴッドファーザー』という組織のトップの栄枯衰退、そして代替わり。それを描いた約3時間。長いけれど…体感としては別に長くない。グイグイ引き込まれて…そして溜息。

 

ところで。当方が好きだったシーン。

ドンが凶弾に倒れて、皆がピリピリしている中。あるメンバーがマイケルに料理を教えるシーン。肉団子のミートスパゲッティみたいなのを作っていましたが。あの手際の良さと単純に「美味そう。」と思った出来上がり。(後当方が無類のトマト好きと言うのもある)本筋と全く関係ないのに、凄く印象的だった。

 

そして。やっぱり冒頭のドン…の腕の中でひたすらじゃれまくる子猫。

「何で~。何でこんな怖そうな人物にベッタベタにじゃれてんの~。」

招待客からの物騒な依頼内容と、それをあくまでも真面目な表情を崩さずに聞いている…のに遊ぶ気満々の子猫をずっと撫でまわしているドン。

猫派な当方。『癒し猫動画ジャンル』トップ級の可愛さにメロメロ。正直依頼内容なんて頭に入らず。椅子から崩れ落ちんばかりに悶えましたが。

(撮影現場で何故かドン役のマーロン・ブランドに懐いていた野良猫をそのまま出演させた、みたいなエピソードを見かけました。)

 

確かに名作。映画好きならば履修しておくべき作品。

大きな組織の中で一つの時代が去り、新しい時代が始まる。そんな流れの中で失われるもの。あの有名なテーマソングが本当にぴったり。切なく物悲しい。けれど…思いがけず美味しそうな料理や猫に悶えたりもする。(後。乳もびっくりしました。)

 

本当に『午前十時の映画祭』シリーズは有難い。企画としては今クールで終了との事ですが…名作をスクリーンで観られる。ぜひ続けて欲しいんですが。

 

取りあえず、この後続く『ゴッドファーザー2』と『ゴッドファーザー3』を近いうちに観ておかねば。そう思う所です。


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映画部活動報告「アナと世界の終わり」

「アナと世界の終わり」観ました。
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イギリス発。ミュージカルゾンビ映画。ジョン・マクフェール監督作品。

 

イギリス。田舎町リトル・ヘイヴン。父親のトニーと二人暮らしの女子高生アナ。

「こんな田舎から早く出ていきたい。此処には何もない。」ぱっとしない日々。つまんない。高校なんてとっとと卒業して。大学なんて行かずに旅に出たい。世界を見たい。

そう思って立てていた海外旅行計画をトニーに知られ。一人娘を心配する父と反発する娘は大喧嘩。本当に最悪。

そんなむしゃくしゃする気持ちを幼馴染のジョンに慰めて貰って。心機一転、楽しく過ごそうと決めたクリスマス。なのに。

唐突に町がゾンビに乗っ取られた。次々と襲われ、ゾンビ化していく町民達。

「だめだ。この町から出よう。」ジョンはそう言うけれど。

「パパに会いたい。昨日の喧嘩の事を謝りたい。」自分の通う高校の用務員をしているトニーに会うべく、学校へ向かうアナとジョン。

学校にはトニーの他に、クリスマス学芸会の練習の為に友達や多くの学生が居たはず。

果たして、アナは無事トニーに会えて、仲間達と共に脱出する事が出来るのか?

 

「ゾンビとミュージカル?確かに新しい。」そう思って。映画館に観に行った当方。

 

元々は2010年『zombie musical』という短編作品がベースなんですね。そう思うと、確かに短編向きというか…ちょっと間延び感があったというか。

 

「えっと。これはどういうテンションで観ていけばいいのか…。」ちょっと戸惑いが隠せなかった当方。というのも。

 

ミュージカルとダンスはバシッと決まっている。けれどどうしても『突然歌って踊り出す感じ』が否めない。そもそもアナがどうしてこの田舎町にうんざりしているのかの描写が無いのに、それをミュージカルで語ってしまう。

同じ学年のイケイケ男子ニックとの関係も途中から「ああ。そういう…。」となるけれど、あまりにも説明不足。

元々『なんかやばいなこいつ臭』がプンプンしていたサヴェージ校長が話が進むにつれて大暴走。何だか演じている役者さんも楽しそうに見えた限界突破。でもこれ…お話としては何だかバランスが悪い。

 

「何か。脳内の引き出しで補てんしている部分が多い気がするなあ~。」もやもやする当方。

 

ゾンビ映画って。と語れる程、当方はゾンビ映画のなんたるかは知りませんが。

「意思疎通の取れない化け物。醜い死体であるが動き、動作は緩慢ながらも人を襲う。襲われた者は漏れなくゾンビ化。奴らを完全に倒すには頭部を破壊するしかない。」「そんなゾンビに。親しかった者が襲われ、噛まれてしまった。最早ゾンビ化が避けられない。哀愁。」それこそがゾンビ映画の醍醐味(当方にとって)。

愛する人が。たった今まで一緒に戦っていた仲間が。家族が。そんな大切な人がゾンビに噛まれた。果たしてその時。その人はどういう選択をするのか。そして自分は。

 

という醍醐味に重たさを付けるには。ゾンビが現れる前の状態や人間関係をはっきり描いておく。そういうものだと。勝手に思っている当方。

 

と思うと…主人公アナの感じている『つまんない日常』の内容が今一つよく分からない。そしてそのままゾンビタイム突入。そんな印象。

 

だらだら気になった事を書いていてもあれなんで。進めていきますが。

 

主人公アナ。幼馴染のジョン。ラブラブカップル、クリス&リサ。恐らくLGBT案件のステフ。イケイケでいけ好かないニック。そして父親トニー。キレッキレのいかれ野郎サヴェージ校長。

ゾンビ映画あるあるとはいえ。結構主要メンバーも容赦なく襲われる。「あ。こいつが…。」という悲しさ。『良い奴が報われない世界観』切ない。

町がゾンビ化する前。学食で「恋愛は映画みたいにいかない」と踊っていたシーンで。あんなにも熱く踊っていたあの二人がこんな結末に…。

点滅する、馬鹿みたいなセーターが…。世知辛い。

 

「こういう有事の時。当方ならどう行動するんやろうなあ~。」生活している町がゾンビタウン化。想像しにくい事態ですが。

 

会いたい人に会いに行く。そりゃあまあそうでしょうな。そしてそれがアナにとっては父親トニーだった。

前日喧嘩した。パパなんか嫌い。わからずや。そう思ったけれど。こんな事態をきっかけにおさらば、そんな風には思えない。だってたった一人の父親だから。

幼い時にママが死んでから男手一つで育ててくれた。大切な家族。お願いだから無事でいて。そして一緒に居て。それがアナの選択。

そんなアナに付きそう。そういう選択をしたのが、幼馴染のジョン。

学校に取り残されている恋人を救う為一緒に行動していたクリス。

正直成り行きで合流していた感が否めなかったステフとニック。

共に学校へ向かう中。結束していく友情と。儚くも散っていく仲間達。

 

というしんみりもあるんですがねえ。気を抜けばコミカルも挟んでくるし、そして『取って付けた感』のあるミュージカルシーン。何だかバランスが悪い。

 

「何故最終決戦がこいつとなんだ。」「そして何故こいつは無敵なんだ。」「父と子の会話に最終決戦要らなくないか?」「何故このメンバーが生き残ったんだ。あいつ…いい奴だったのに。当て馬だった上に犬死やないか‼(ネタバレを避けようとするが故にふんわりとした文章)。」そんなモヤモヤで一杯。終いには突っ込みすぎてへとへと。

 

「行儀よく真面目なんてくそくらえと思った。」「夜の校舎窓ガラス壊して回った。」当方の脳内ではそんな歌がちらちら浮かんだり消えたりしていましたが。

確かに。アナが望んだ形では無いけれど、この騒動に依ってアナは強制的にこの町から旅立つしかなくなった。もう戻る事は出来ないけれど。そんな幕切れ。「こ~の支配からの。卒業。」

 

ゾンビミュージカル映画。けれど吹っ切れた爽快感や突き抜けたギャグがある訳では無く。けれどシリアスにも傾かない。何だか中途半端な気持ちになってしまう。

 

なので。機会があれば2010年の『zombie musical』。この短編作品を観てみたい。そう思う当方です。

映画部活動報告「神と共に 第一章:罪と罰」

「神と共に 第一章:罪と罰」観ました。
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韓国発。冥界ファンタジー・アクション映画。(何このジャンル)

 

「人は死んだら冥界に送られる。冥界には7つの地獄があり、各々現世での罪が裁かれる。それら裁判を、全て無罪で通過しなければ現世に生まれ変わる事は出来ない。因みに期限は49日。」

 

韓国で話題になった人気ウェブコミックの映画化。『ミスターGO!』のキム・ヨンファ監督作品。

「『ミスターGO!』ってあのゴリラが野球選手のやつ。」コミカルでありながら、ほろりとさせる演出なんかもあった。そういう人情モノだったと記憶。ですが。

 

「別にこの原作コミックを読んだ事がある訳じゃ無い。正直キム・ヨンファ監督を追っている訳でも無い。どうしてこの作品を観ようと思ったのか…。次の第二章にマ・ドンソクが出ているからだ。」

 

『マ・ドンソク』。
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アジア版ハルク(当方が勝手に命名)。キュートな表情に、規格外のボディ。二の腕の太さなんて何かの映像加工をしているのかと見まがうほどの迫力。もう…大好きなんですよ。

マ・ドンソクの出演作品公開予定を見掛けてしまったら。脳内観るものリストに即記入。そしてこの『神と共に 第一章・第二章』にたどり着いた訳ですが。

 

消防士のジャホン。真面目で実直を絵に描いた様な彼は、ある日ビルの大火災で少女を救助中に壮絶な殉死を遂げる。

地面に呆然と佇むジャホンの前に現れた、カン二ム、へウォンメク、ドクチュンの三人。彼らは冥界からのジャホンの担当使者であると名乗り、ジャホンを冥界へと連れて行く。

使者達から冥界での7つの裁判と49日の期限について説明を受けたジャホン。

しかも『正義の死者』として19年ぶりに『貴人』として冥界から認定された事で、ジャホンは難なく裁判を通過すると思われた。

ジャホン担当死者である三人には『1000年で49人の死者を転生出来れば、彼らも新しい生を受ける事が出来る。」というレギュレーションがあって。彼らにとってはジャホンが48人目。ラッキーカウント。

まだ自身に起きた事の整理もつかず戸惑っているジャホンを焚き付けて。

使者達に導かれるまま。『殺人地獄』『怠惰地獄』『ウソ地獄』『不義地獄』『裏切り地獄』『暴力地獄』『天倫地獄』7つの地獄へ向かい、各々の大王の裁きを受けていく。

 

地獄めぐり。当方は昔々絵本で読んだ程度にしか『地獄』というものを知りませんので。お馴染み浅瀬から「確か地獄って…」とたどたどしく話出しますが。

「確か。日本では、仏になったら三途の川ってやつを渡って、閻魔大王に裁かれるんじゃなかったっけ。現世での行いに依って、天国か地獄か行先が決まると。裁きはその一回。天国なら涅槃に行って幸せにのんびり過ごせる。けれど地獄は多種多様。罪の種類に依って、針山みたいなやつとか、火炙りとか、石を延々積んでは壊されるとか。ずっと居るはめになる。そんな感じやった気がする。」

 

この感想文の為に『地獄について』『日本と韓国の認識』『仏教』『儒教』等々勉強する時間は今の当方の日常生活にありませんので。ふんわりとした認識のままの当方は、この作品の世界観を深めた分析は出来ないのですが。

 

「兎に角。天国という概念は無くて。一つ一つの地獄で無罪を勝ち取らなければいけないと。もし有罪になってしまったらその地獄に落ちて罰を受ける。その地獄ステージは(ステージって言っちゃったよ)合わせて7つ。」

「各々の地獄ステージに応じた『裁判』が行われる。例えば第一ステージ『殺人地獄』では「ジャホンは人を殺した事があるか」。ここではとある同僚についての話が提示され、果たしてその時のジャホンの行動は是であったのか否であったのかが争点となる。大王たちは元々『訪れた亡者を己の地獄に堕としたい』という視点なので、いかに亡者が是の行動を取ったのだと弁護し『無罪』を勝ち取る様便宜する。それが使者=弁護士の役割。」

「第一地獄ステージを通過しないと第二地獄ステージには進めない。そうしてステップアップしていって、最終の第七ステージ『天倫地獄/閻魔大王』までたどり着き…そして全面クリアしたなら(全面クリアって言っちゃった)また現世に生まれ変わる事が出来る。」

「あ。後期限があって。全面クリアするの、49日以内ね。永遠じゃ無いよ。」

 

「めっちゃめちゃゲームやん。RPGロールプレイングゲーム:参加者が各自に割り当てられたキャラクターを操作し、一般にはお互い協力しあい、架空の状況下を乗り越えて目的の達成を目指すゲーム)やん。ゲーム思考やんこの地獄‼!」

 

そう。基本的にゲーム的進行。ただ。扱うものは『一人の人間の人生を振り返る旅』なんで。流石にテクニカルには進まない。

 

消防士ジャホン。独り身。故郷には言葉が話せない母親と歳が離れた弟が二人で住んでいる。かつて一緒に暮らしていた時。母親は重体に陥る程の(何なんですか、それ)病気を患い家庭は貧しかった。高校生の時家を飛び出し、それ以降二人には会っていなかったけれど。寝る間も惜しんで働いて、そのお金を実家に送っていた。

職場でも常に一生懸命。離れていても家族思い。そんな『貴人』のはずのジャホン。正直不戦勝通過まで見越して楽観視していた使者達だったけれど。…何だかおかしい。

 

ジャホンが馬鹿正直に受け答えしたせいであわや地獄に落ちそうになった事もあった。けれど。旅を進めようにもやたら邪魔が入る。ジャホン一行を襲ってくる地獄魔。怨霊。これは何事か。このままでは冥界事体の秩序も崩壊するぞ。

ジャホンの過去には一体何があった?そして残されたジャホンの家族に何かが起きているのか?

 

確かに。もし『ジャホン一行が7つの地獄をクリアしていくRPGゲーム』で物語が進行したら、ただののっぺりした作品になっただろうなと思った当方。

この作品がRPGにとどまらず、ぐんと広がりをみせたのは…「使者の一人、カン二ムが現世に移動してジャホンの家族を見に行った」所から。

ジャホンの地獄めぐりを邪魔している怨霊。一体誰が怨念を残している?どういう怨念を?誰に向けて?

 

「それはやるせない。辛いな…。」家を飛び出したジャホンのそれ以降の人生。そして。家に残された家族が過ごした日々。誰もが一生懸命生きた。けれど…悲しい顛末。

 

結局。7つの地獄をRPG的にジャホン一行が進むのと同時に、現世側でもその地獄に合わせたテーマで真実が明かされていくという、多重進行。

そして最終ステージ(最終ステージって言っちゃった)では互いの世界が交差し。とんだ大団円に導かれる。そんな壮大な着地に「お。おお。」と圧倒され。

 

まあ。どの地獄でも、一旦は「あれ?ジャホンって…。」という引っ掛かりを持たせながらも。毎度毎度「義理と人情の厚いジャホンならではの…。」というお涙エピソードでクリアしてきた感じだったので。「地獄の沙汰も泣き落としだな。」なあんて思っていた当方。でもねえ。あの最終ステージは流石に胸が詰まりましたよ。あの家族が堪らなくて。

 

ゲーム的世界。CGもいかにもゲームな異世界感。でも安っぽくない。そして俳優陣がハ・ジョンゥ(お嬢さん等)。チュ・ジフン(アシュラ)等、流石に当方にも分かる、顔なじみの役者さんが多くて。「この人こういう役もするんだなあ~」と観ていて楽しい。(ジャホンの弟スホンが在籍していた軍隊の後輩兵士がD.Oというアイドル(7号室)なんですね。そして、うそ地獄の泰山大王の女の子が(新感染)の娘やったなあ~とか。)

まあ。そういう遊びを散々入れていながら。でもキッチリ泣かせるところは決めてくる。そういう「ああ。人情系韓国映画っぽい」という部分もある。

 

140分にも渡る、壮大なスペクタクル冥界ファンタジー作品。飽きさせる暇なく駆け抜けていきましたが。

 

「さあ。ここからマ・ドンソク参戦ですよ。」

ワクワクが収まらず。後編第二章『神と共に 第二章:因と縁』楽しみです。

映画部活動報告「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」

ゴジラ  キング・オブ・モンスターズ」映画部部長と観ました。
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ゴジラVSムートー」の戦いから5年。巨大怪物の存在が人類に周知された世界。

秘密裏に怪獣を調査していた『モナーク社』は、政府や世論から対応等についてバッシングを受けていた。

そんな時。中国雲南省にあるモナーク基地から、怪獣と交信する装置『オルカ』と、その開発者である女性学者エマ、娘マディソンの二人が環境テロリスト・アランに奪われる。

『オルカ』を手にしたテロリスト達の向かった先。北極にあるモナーク基地。そこには『モンスター・ゼロ』が眠っていた。

『モンスター・ゼロ=キングギドラ』の覚醒。続けて『炎の悪魔=ラドン』。幾つかの巨大怪獣が次々覚醒。跋扈する世界。人類の終わりが始まった…そんな絶望の中。救世主『ゴジラ』が現れた。

 

ゴジラの公開初日、観に行きませんか?」「金曜日やろ?平日は無理。」

もう10年以上の付き合いになる、映画部長。年二回行われていた映画部活動『上半期総括』『年間総括』もご無沙汰。ここ数年でお忙しくなった部長とは段々会う機会が無くなり。と言っても細々と最近観た映画の感想をメールで送り合う。そんな事は続けていました。(当方のメールタイトルが『映画部活動報告』です。)

滅多に会わない我々が上記総括以外で会っていた活動。それが『ゴジラ映画鑑賞』。

モンスターバースシリーズの一作目、所謂ギャレス版ゴジラこと『GODZILLA ゴジラ』。庵野秀明版『シン・ゴジラ』。これらを二人で観ていたのもあって。誘ってみた当方。断られ。

「そうですか。残念です。ネタバレしないように気を付けますね。」そう送り、さあどこでどう観ようかと調べていた夜中。

「レイトショーなら行けるかと。」

結果。映画部長の職場近くの、郊外の映画館にて無事初日鑑賞する事が出来ました。

 

公開から一週間以上が経過。色んな人が色んな感想や解釈を語るのをぼんやり見ていた当方。いい加減だらけ癖が付きますので、纏まりが無いまま書いていきますが。

 

今回のゴジラについて。怪獣そのものを悪く言う声は殆ど無い。寧ろほぼ諸手の称賛。

確かに動きが滑らかで迫力があった。

そしてモスラの美しさよ。流石『怪獣の女王』。神々しさまで携えて。そして想像以上に大健闘。もっと弱々しいと思っていたので。

ラドンに関しては…要らない気もしたけれど。モンスターバースでは雑魚かもしれないけれど、人間にとってはやっぱり脅威。

キングギドラって前からああいう感じ?」「自分の知る限りあいつが良い奴やった事は無い。」「頭取れてもまた生えてくるって、無敵すぎへん?」「あいつ宇宙怪獣やからな。」

憎たらしい。最早清々しいまでの悪役、キングギドラゴジラと唯一タイマン張れる怪獣。そんな二体の『キング・オブ・モンスター』を巡る戦い。

「ところで。『ゴジラの通った後は絶滅危惧種が復活』とか。ゴジラ一体何者やねん。」

 

誰もが大絶賛の怪獣パートと引き換え。賛否両論、寧ろ否のご意見ご感想が多かった人間パート。

「あの家族の話。要らんな。」

話を牽引する上で、何らかの人間ドラマも必要。そう思ってはいても。何かもう…ちぐはぐすぎて。

5年前。『ゴジラVSムートー』で壊滅状態に陥ったサンフランシスコ。そこでバラバラになってしまった家族。

我が子を失った傷みから離婚した夫婦。-の壮大な夫婦喧嘩ともとれる茶番劇。

 

大体、何なんですか『モナーク社』って。

「太古の世界は巨大怪獣達に支配されていた。」そのレギュレーションは分かる。「その怪獣達は今、長い眠りについている。」それも結構。けれど「そんな怪獣達を秘密裏に調査している会社があった。」からもやもやと疑問が渦巻いてくる。それ、どこが母体の団体なの。国営じゃないの?「モナーク基地云々。」全世界にどでかい基地を配置。。陸海空を移動するツールも武器も配備。しかも原子力が動力の武器。ヤバい。ヤバ過ぎる。

「どんなブラック企業だよ…。」けれど。モナーク社の最も危ない所は『所属する研究者達』。人間がヤバい。悪の巣窟。

「我々は怪獣と共存すべきだ。怪獣を殺すな。怪獣にとって、我々人間こそがペットだ。」うっとりしながら発言する芹沢博士だって十分狂っているけれど。今回この事態を引き起こしたあの科学者だってとんだマッドサイエンスト。「私達人間は増えすぎたの。だから怪獣達にある程度処分してもらわないと。」

稚拙~。どこの少年少女漫画の悪役だよ。その割には己の家族がやられそうになったら装備品奪って助けに行ってるし。もう…信念がブレブレ。

 

文句を言い出したらきりがありませんが。あの『オルカ』って何なんですか。

巨大怪獣達との交信機器。そこには彼らの鳴き声等が収録されていて、周波数を合わせ流す事で怪獣と会話の様な交信が出来ると。今回は主に「悪役怪獣の暴力性を煽る」目的で使われていましたが。

「巨大怪獣達が大暴れしている最中で怪獣には聞こえるって、どんな音波だよ。」「音に釣られるって、ゾンビか。」そしてそんな大層な機械でありながら動力は…電池?または充電式?見た目はでっかいパカパカラジオ。雑な管理故に、ティーンエイジャーに持っていかれ。しかも容易く操作される。何それ。

 

米軍の無駄死に‼振動や熱波等にもぶれない船体や車体、そして立位を保てる人類の強靭なコア。最後の最後まで自分に酔っていた芹沢博士。いつの間にか退場させられていた芹沢博士の相棒ヴィアイン。等々。疲れすぎて突っ込む事すら出来なくなった人間ドラマパート。

 

「うるせえ‼」「ごちゃごちゃ言うんじゃねえ‼」「いいんだよ!俺達が見たいのは怪獣なんだから‼」「雄叫びをあげながらぶつかり合う怪獣が見たい‼それが今見られているんやぞ‼」

賛否両論の賛の皆様。上げる声は涙からの最早悲鳴。

「俺たちが子供の頃見た怪獣映画。」「それからずっと待っていた怪獣映画を。今観ているんやぞ‼」

押し寄せる感情の波でもみくちゃになっている彼らを。離れた場所からぼんやり眺めている。

それが当方の今の立ち位置。

 

ゴジラ生誕65周年。今日まで公開された数多のゴジラ作品。それらをきっちり押さえてきた人達からすれば。踏襲された作りだった今作は堪らなかった。「人間パートの粗?違う違う。これはあの話のあの部分を持ってきていて…。」熱量が違う。

 

「『パシフィック・リム』。元々日本の怪獣マニアであるデル・トロ監督が思いっきりリスペクトして作って、日本でウケた。その流れに似ているな。」「一言で言うとオタク映画。」「オタクで何が悪い。」「ゴジラ好きが海外を越えた。そして海外には金があった。スケールが違う。」

 

「それ。浅瀬に居る当方にはもう何も語れないです。」

同じものを観たけれど。何だかもう佇むしかない。そんな状態の当方。

 

ところで。映画観賞後。じっくり感想を語り合うなんて暇は全く無かった映画部長と当方。何しろ観賞回はレイトショー。もう日付が変わる位の時間に映画部長の車に乗り込んだ二人。

「え。この車ナビ無いの。」

免許取得から二年目の映画部長の危険過ぎる運転。加えて当方もペーパードライバー。道が全然分からない。

前述の「キングギドラって~。」と「家族の話要らんな。」以外には「音楽が良かった。」「チャン・ツイィー可愛い。そしてあの双子設定。」「怪獣が多いとごちゃつくな。」と交わした程度。後は「ちょっとそのスマホ貸してよ。ナビするから。」「怖い。怖い。」「どこここ。」そんなてんやわんや。勿論無事に帰して頂きましたが。

 

モンスター・バースシリーズ。前二作と今作を観て思った事。

「見たいのは怪獣。そこがしっかりしているんやから。人間パートはオマケ。細かいゴタクを言うのは不粋。」「考えるな‼観ろ‼」

次回『ゴジラVSキングコング』も楽しみ。出来れば電車で行ける場所か明るい時間帯に観たいです。