映画部活動報告「MEMORIA メモリア」
「MEMORIA メモリア」観ました。
タイのアピチャッポン・ウィーラセクタン監督最新作。舞台は南米コロンビア。主演はティルダ・スウィントン。
それは突然はじまった。
とある明け方。地球が爆発したかのような爆発音で目が覚めた。けれどもどこも爆発などしていなくて。どうやらこれは自分の頭の中でおきた現象らしい。
それ以降、唐突に訪れる爆発音に眠れなくなっていくジェシカ(ディルダ・スウィントン)
「一体この音は何なのか」音を再現すべく音響技師のエルナンに依頼しそれらしい音源を入手できるかと思ったら、突如エルナンが消えた。入院中の姉を見舞った病院で知り合った考古学者のアグネスを訪ね。人骨の発掘現場などを巡るうちに、川沿いで魚の鱗とり職人エルナンと出会う。
「これは…なんか凄いもんをみせられた感じがする…わけがわからんけれど」
鑑賞直後の率直な感想。ストーリーの整合性なんてない。ちぐは…おおらかすぎて、けれど圧倒的な世界観で有無を言わせない。すっかり飲み込まれている。
『頭内爆発音症候群=寝入りばなに頭の中で大きな音が鳴り、目覚めてしまう睡眠の病気/平均発症年齢58歳』
アピチャッポン監督自身が患ったという睡眠障害から着想を経たと。そんな病気初めて知りましたけれど…当方も今回「寝入りばなに爆発音」という体験をしました。この作品で。
とにかくまったり。終始おかしなことが起きているにも関わらず、段々と襲われる睡魔。淡々とした会話と絵画みたいな(当方の語彙力のなさよ)画面にまどろんでいく意識…あかんあかんこれは寝てしまう…と力尽きてしまうタイミングでの爆発音。飛び上がる当方。
順を追ってストーリーを理解している気がしない…いつにも増してふんわりした感想文になる予感しかしません。あしからず。
子供のころ。「生きている」という実感があまりなかった。
ぼんやり夢見がちだったということもあって、目の前に見えている景色も出来事にも現実感がなかった。ただただ現象として受け入れていたのだと思う。
けれどそれらは次第に経験として記憶に取り込まれていく。蓄積された記憶から同じような出来事にはよいとする選択枝が生まれるようになり、判断力が培われていく。積み重なって思想と思考が確立していく。世界が鮮明になっていく。そうしていくつもの月日をかけて「当方」というオリジナルの人格が出来上がった。
学生のころ。哲学者プラトンのイデア論「あらゆるものの『本質』はこの世の中にはいない。異世界(イデア)にある」に膝を打つほど合点がいった当方。
例えば、花を見て美しいと感じる。けれどそれは誰かに教わった感情ではない。元々頭の中に「花=美しい」というイメージ(当方の語彙力よ…)があるから。そこにこれまでの経験から「香りが」「色が」「形が」と感情に肉付けがされていく。
この作品を鑑賞していて思ったこと。
主人公はジェシカという女性で、「ある日を境に始まった頭内の爆発音の原因を探す物語」だけれど。ジェシカの視点で物語を追うとちぐはぐになってしまう。
けれど、視点を「地球上に生きてきた、生きている人たちの記憶をジェシカが行く先々で拾っていく物語」と変えるとしっくりしてくる。
終盤に川沿いで出会った、鱗とり職人エルナンの「俺はハードディスクで、君はアンテナだ」という言葉。地球上にあるすべての記憶を持つエルナンと記憶を拾い上げるジェシカ。
(初めに出てくる音響技師もエルナン。最後の鱗とり職人もエルナン。さまようジェシカを誘導する役割=エルナンだと後から気づいた当方)
ジェシカの能力が覚醒したときに、頭内の爆発音が始まったということか。二人が遭遇し、互いの力が合流した。地球が持つ記憶。けれどそれは個人の記憶の積み重ねでもある。マクロの中に見え隠れするミクロ。誰もが持っている記憶と、個人だけが持っている記憶。記憶の融合が起きるとき…濁流のような映像と音と爆発…結局これらの正体とは。
「まさかのSF展開!」
「これは…なんか凄いもんをみせられた感じがする…わけがわからんけれど」
とても言葉では説明できない。けれど実際に映画を鑑賞してもわかるとはいいがたい。きっと眠たくなる。下手したらがっつり寝てしまう。けれどできれば観てほしい。
休日の昼下がり。いつの間にかうとうとしてしまって、目が覚めた時一瞬、どこにいるのか、今が朝か夜なのかもわからない。ああまだ夕方か…なんか眠っちゃたな。何だか壮大な夢を見た気がしてあんまりすっきりしない…でももう起きないと。そんな気持ちになる作品。
確かに唯一無二。こんな映像体験はそうそうないです。