ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「ファーザー」

「ファーザー」観ました。
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父と娘の物語。

 

「親が老いていくとはなんと切ないことなんやろう。」

現在83歳の俳優、アンソニー・ホプキンスが放った渾身の父親『アンソニー』。

イギリス、ロンドン。元エンジニアで引退し、今は娘のアン(オリヴィア・コールマン)と二人暮らし。

認知症の症状が進むアンソニーと、アン自身の人生の選択。父と娘が暮らした日々を、アンソニーの視点で描いていく作品。

 

「そうか。こういう風に見えているのだとしたら、それはそれは…不安で仕方がないだろうな。」

 

自分が昔から住んでいるアパートだと思っていたら「ここはアンの家ですよ」と言われる。随分前に離婚して独身のはずのなのに「私はアンの夫です」と名乗る男が目の前に現れる。かと思えば別の男に「私はアンのパートナーです」と名乗られる。挙句自分になれなれしく話す、見覚えのない女性が「何言ってるの。私がアンじゃないの」と言い切られる。

目の前でコロコロ変化する人物像や人間関係。誰が誰なのか確信が持てない。自分が今居る場所の不確かさ。記憶は前後し、次第に今が朝なのか夜なのかもよく分からない。何もかもが不確かで、父アンソニーが体感している世界はさながらサスペンスかホラーのよう。

 

「あれ?」と思っても、それを口に出すのが怖い。自分の記憶と目の前で起きている現象との乖離。それを認める事は自身が壊れている事を認めてしまうから…。

 

作品を観ていて、どうしても自身の親を連想せざるをえなかった。当方の父親は認知症ではないけれど、当方がそれなりに年を取ってきたという事は同じく親も老いているということで。それを最近とみに感じるから。

 

歩くのが速くて、子供の頃小走りで追いかけた。その父親を、今の当方は時々立ち止まって追いつくのを待っている。食べ物を食べる速さもしかり。何かもの動きが緩慢になってきていて、話し方にも理路整然さがなくなっている。

 

世代的には娘のアンの立場なので、アンの心情を思うと辛い。

この作品はアンソニーの視点で進められるが、そこで並行して浮き上がるアンの葛藤。

魅力的な父の変化へに対する戸惑い。不可逆的に進行するその病に希望はなく、ひたすら現状を受け入れるしかない。さっきまでご機嫌で話していたかと思えば急に怒り初め、悪態をついてくる。「下の娘ルーシーがどれだけ最高か」を語り、「アンがパートナーと結託して父親の家を乗っ取るつもりだ」と責めてくる。

 

嫌いになれたらいいのに。認知症で人が変わっていく父親を、別の人間だと区別して嫌いになれたらもっと楽になれるのに。いっそ死んでくれと思った夜もあった。

なのに、ふいに「ありがとう」と感謝を示してくれたり。不安に打ちひしがれている弱弱しい姿を見ると、抱きしめて守らなければと思ってしまう。

 

父アンソニーの、認知症によって混沌としていった世界に対し、娘アンに起きていた人生の転機。かつて結婚していた相手とは離婚し、その後パートナーが居た時期もあった。そして今、心から愛せる相手を見つけ、その相手の住むパリに移住するつもりである。

父と共に暮らしてきた日々。しかし新しい生活に父を連れていくわけにはいかない。

 

「父を捨てる」

誰かの助けがないと生活していく事が出来なくなった父を誰が面倒を見るのか。

出来れば家族である自分が見たい。そう思って一緒に住んできたけれど。果たしてそれが父にとっても自分にとっても幸せな事なのか。

 

「腕時計がない」

場面転換が起きるたび。父は自身の腕時計を無くしたと探しており、それは誰かの手によって探し出される。どんな格好をしている時でもその時計を腕に嵌めるとホッとして今が何時なのかを確かめる父。この「時を失う」という暗喩。しかし物語の終盤、もう父が腕時計を探していない、気にも留めていない姿が寂しくもあり…そして「ああもう違うステージに行ったんだな」と身に沁みた。あの最後のアンソニー・ホプキンスの演技には震えて泣くしかなかった当方。

 

久しぶりに感想文を書いてみたら。想像以上に散漫な文章になってきましたので。そろそろ〆ていこうと思いますが。

 

以前。当方が親に何かの話の流れで言われた言葉。

「親の為に子供が犠牲になるなんてことを、親は望んでいない。」

 

そして鑑賞中、何度も頭に過った「親の背中を見て子は育つ」という言葉。

常に自身の先を生きている親。愛情をもって大切に育ててくれた。そんな親の生きざま。年を重ねていくということ。円熟し、そして次第に朽ちていく様を見せてくれているのだから、子供はしっかり受け止めなければいけないのだということ。

そこでどうするのか。色んな家族の形があるし、幾つもの答えがある。そして確固たる正解などないけれど。その時とった行動はいつか…自分にも訪れるラストステージをどう生きるのに繋がる。

 

「それにしても凄まじいものを観せられたものよ。」

シンプルでありながらサスペンスさながらの展開。絶妙な構成と、何よりアンソニー・ホプキンスの怪演と見事なオリヴィア・コールマンの演技。

ハラハラして、ちょっとコミカルな部分もあって…でも最後にはホロホロと涙が落ちた。傑作。

 

日本の暦では父の日がある6月。長らく閉じていた、映画館再開初日に鑑賞出来て最高だった作品でした。