ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「万引き家族」

万引き家族」観ました。
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是枝裕和監督。第71回カンヌ国際映画祭パルムドール賞受賞作品。

 

東京下町の汚い一軒家に住む柴田家。五人家族。家主の初枝(樹木希林)、日雇い労働者の治(リリーフランキー)と、クリーニング工場で働く妻の信代(安藤サクラ)。息子の祥太(城桧吏)。風俗店で働く、信代の妹亜紀(松岡茉優)。

THE貧乏。誰一人、確固たる職に就いていない柴田家の安定の収入源は初枝の年金。

しかし当然それでは生活は成り立たず。家族は万引きをする事で生計を保ってきた。

ある冬の夜。帰宅途中の治と祥太はとある団地の廊下に出されていた少女、ゆり(佐々木みゆ)を見つける。

児童虐待を感じた治は思わず自宅に連れて帰ってしまい…。

初めこそ「やばいって。」「ご飯食べたら返してやろう。」と話していた柴田家の面々であったが。ゆりの体に刻まれた明らかな虐待の跡や、ゆりの住む家から聞こえてきた夫婦の大声に、引き渡せなくなってしまって。

 

「近年の是枝監督作品の最高峰。」「安藤サクラは化け物(称賛)。」「家族とは。絆とは何か。」「タイトルだけで判断するな。先ずは観てからだ。」随分大きな賞を得た事で、多方面から注目されている作品。

 

ネタバレされるのは嫌だと。6月8日公開の先行上映、6月2日に観に行ってきました。

 

そして10日程経過。未だ考えが纏まらず、ふわふわしている状態。

これは…たどたどしい感じになると思いますが。書き出していきたいと思います。

 

「家族総出で万引き」「年金不正受給」「貧困」「風俗」「幼児虐待」兎に角昨今の日本の悲しい問題をひっくるめた柴田家。

 

「それにしても汚い家!!よくもあんなに散らかって暮らせるな‼」ゴミ屋敷寸前の柴田家に震える当方。

 

とは言え東京の一軒家。(下町たって)間違いなく資産価値があって。なので未だに『民生委員』の肩書を持つ元地上げ屋にはマークされている。けれど、世間からは完全に隔離された家に。所狭しと五人も住む柴田家。

 

「大体、失礼ながら裕福な家庭はああいう呈を成していないんよな。だらしない、片付けられない、無駄なモノに溢れている、不衛生。これらの要素が突き抜けている家=貧乏という印象…でも恐らく合っている。」

貧乏で生活がままならない柴田家は、哀しいかな10歳そこそこの祥太に万引きをさせて日用品や食料品を調達。

治と祥太だけが通じる指のサイン。ちょっとゲームの要素もあってスリルもあるけれど。やっている事はれっきとした犯罪。

そうして手に入れたカップ麺は家族の夕飯。皆でカップ麺にコロッケ入れて。それが立派なご馳走。

「あかああああああん!」食いしん坊万歳の当方、心の中で絶叫。何て貧相な食生活。仮にも家族の夕食じゃないし、あの少年の成長に悪影響すぎて。目がチカチカする。

 

そんなある日。柴田家に新しく迎えられた『家族』。

 

4,5歳。未就学児童のゆり。こんな寒い夜に外に出されていた少女。明らかに児童虐待案件。けれど治は思わず拾ってきてしまった。当然家族は戸惑うけれど。

 

返せない。あの家にはゆりを返せない。そうしてゆりは柴田家の一員になった。

 

「貧しくても。ここにはいつだって笑いがある。絆がある。ここには家族の姿がある。」

冬の夜、殆ど肉の無い鍋をつつきあった。夏。家からは見えない打ち上げ花火。それを皆で縁側に座って見上げた。一緒に水着を選んで。海に行った。毎日一緒にご飯を食べて、毎日一緒に布団を並べて寝た。私たちは家族。家族だから。…けれど。

 

そうかな?どうしてもそうは思えなかった当方。

これは決して美しい家族の話では無い。

 

少し遅れて万引き家族を観た、当方の身近に居る教育者がぽつり。

「子供を学校に行かせないのは、立派な虐待だ。」

 

両親から心身共に暴力を受けていたゆり。彼女の愛らしさが引き立つにつれ、その理不尽な生い立ちにやるせなくなりますが。では柴田家で育ってきた祥太はどうなのか。

 

「学校は勉強を家で出来ない奴が行く所だ。」じゃあ祥太は家で何を教わっているのか。後に治が言った「俺に教えられるのはこれだけだったから。」万引きの手口?生きていく術を?今この日本で?学校に行くべき年頃の少年が?それは…。

 

「学校は勉強だけをする場所じゃない。人間関係を学ぶ所だ。寧ろそれが重要だ。」

身近な教育者の受け売りですが。だとしたらそうやって、外界との関わりを絶たれて特殊なコミュニティーでのみ成長していく子供=祥太だって思いっきり虐待を受けている側に居るじゃないかと思う当方。殴る蹴る、無視又は暴言だけが虐待では無い。

 

大人はいいんですよ。貧乏だってたかりだって万引きだって風俗だって。結局自分で選択してそこに落ちていて。せせら笑って自己嫌悪に陥っても、結局その環境から抜け出せないんじゃなくて、抜け出そうとしていないんですから。そしてその底辺の世界にささやかな幸せを感じて、紡いでいこうとする。けれど子供はどうか。

 

「おい。妹にはそれ。させんなよ。」

がっつりネタばれしましたが。いつも日用品や駄菓子を万引きしていた雑貨屋で。気づいていないと思っていた店主に祥太が言われた時。

 

『祥太=スイミー説』当方に点滅。(これは完全に当方の暴論です)

 

祥太が散々治に語った『スイミー』。

言わずとしれた、光村図書出版の小学校二年生国語教科書に載録(1977~)されている作品。(当方も学びました)

「大きくて怖い魚を、小さな魚が集まってより大きく見せて追い払った」という『巨大海洋生物恐怖症』の当方には鳥肌嘔吐モノの作品。スイミーはその小さな赤い魚界で唯一の黒い魚で、行動を扇動。そして自身は小さな魚の集合体の内、目を担当した。

 

最終、想像以上につぎはぎだらけであった事が露呈していった柴田家。彼らは確かに『大きく見せる為に集まった、小さな魚たち』だった。けれど。では柴田家にとっての『大きな魚』とは何だったのか。そして、大きな魚に立ち向かった小さな魚たちはその後どうなったのか。

 

「その魚たちはその後ちりぢりになるはず。だってもう、彼らにとっての大きな魚は居ないのだから。再び集まって魚の影を作る必要は無い。小さな魚は、各々の安住の地で幸せに暮らすはず。一致団結した、その美しい思い出を胸にして。」

 

もう祥太の限界はどちらにせよ近かったと思いましたが。やはり彼の行動原理は「ゆり=妹を守りたい」だったのだと思うと。「それでも家族という繋がりを感じていたのだな」と切なくなった当方。

 

そして。そのつぎはぎの家族で『大きな魚』に体当たりする事は、結果全員を解放した。

 

これから。一体柴田家はどうなるのか。

 

時が各々に流れ。そうしてまた彼らは交わるのか。それはもう、観ている側の手を離れていきましたが。

 

頼むからゆりには。寄り添って救いだすスイミーが早く現れてくれと。そう思った幕引きでした。