映画部活動報告「14の夜」
「14の夜」観ました。
足立紳監督作品。
1987年夏。14歳。中学三年生。
田舎に住む、何の変哲もない14歳が。
誰もが通った、愛すべき…でも絶対に戻りたくないその時の。たった一日の出来事。
胸を痛め。そして顔を覆って。笑った…馬鹿らしくていとおしい作品。
さあ、それを。当方の心の中の男女昭和キャラ、昭(男)と和(女)に存分に語って貰いたいと思います。
(昭)あかんあかん。断らせて貰う!
(和)えええ?なんやの。
(昭)俺はこの映画感想文に於ける男女キャラコントの、クールで知的なポジションやから。この作品で何も語れる事が無いよ!だからあかん。
(和)よく自分で自分の事、そんな風に言えるな。この作品に付いては、あんたの男子視点が無いとどうにもならへんやん。
(昭)俺は…。1980年代のノスタルジーとか、どうしようもない中学生時代とかは熱く語れるんやけれどな‼如何せん、ピュアな世界に居たから…エロい案件に関しては…。
(和)はい。つまりは非常に共感が出来たという事ですね。ぐだぐだうるさいから、昭さんは黙っておいて結構。和が淡々と進めます。
ただ。一つだけ取り決めを。我々の居住地域では「おっぱい」は口に出すのが恥ずかしい言語なんで、以降「乳」に統一させて頂きます。
(昭)意義なし。
(和)1987年。主人公を含む、田舎のボンクラ中学生4人組。その中のタカシを軸に。タカシのある夏の一日を追った作品。
(昭)俺らはこの年代より一つくらい後の世代なんで…ドンピシャとはいかなかったけれど。まあ。あの年頃のどんづまり感はよく分かったな。
(和)結局喋るんやね。…後ねえ。今のこの年頃と1980年代のタカシたちが絶対的に違うのは「携帯電話やインターネットが無かった」という事やと思う。
(昭)全くだよ。例えば、主人公が「俺らは何の目的も無い。人間としても中の下なんじゃないか」みたいな事を序盤で言ってたけれど。あれって所謂あの年頃のモラトリアムというか。「同じ年頃でもっと活躍している者」や「目的を持っている者」が輝かしくて。自分も何か優れた点や他人から一目置かれる何かを持っているはずなんやけれども「それ」が何か分からない。勝手に光る何かがピンポイントに見つかると思ってる。それさえ手に入れたら一気に「輝ける何かを持つ者」の仲間になれると思ってる。違うんよな。本当は何でも手当たり次第にやってみたら良いのに、それは怖くて。結局何もしていない自分がもどかしくて。自分の矛盾にイライラして。しかも自分の気持ちだけでも持て余してイライラしてるのに、そんな時に限って親は何かと絡んでくるし。その親を改めて見たらまた…何か冴えない、ぱっとしない大人なんよな。もしかしたら…結局自分もこうなるんじゃないかという不安。でまたイラついて。爆発しそうで。でもそういう気持ちを、多くの同じ年頃の奴が共有してるって今なら分かるし。「そう思っているのは自分だけじゃない!」という安心感。兎に角何に於いても情報量のπが昔とは全く違う。
(和)何をだらだらとまとまりのない…自分に酔っているな。私が言いたいのは「エロに対するピュアさと馬鹿馬鹿しさ」ですよ。だって今なら例え中学生でもインターネットを介してエロ情報は幾らでも入手出来るやん。あの鉄板の「道端に落ちている湿ったエロ本」からの。「よくしまる今日子」「おかしな都市伝説」そういうの。ああいうのって、今でもあるのかな?
(昭)俺を知のステージから引きずり下ろすなよ!知らないよ!今現在中学生じゃないし、道とかパトロールしていないし!
(和)(無視)道端に落ちてるエロ本って、つまりは燃やそうとした残骸って事?(昭)それは違う。(和)早。食い気味での即答。
(昭)数多のケースを知っている訳じゃ無いけれどな…あれはエロ本を買う事の出来る大人から、少年達へのプレゼントなんやと思う。そしてその少年が大人になった時、自分もプレゼントを道端に捨てる…。
(和)「捨てる」って言ってしまってるやん。大体、濡れてる紙ってくっ付いて破れたりしてめくられないんちゃうの
(昭)それが大人からのメッセージなんだよ!「エロは容易く手に入らないぞ」っていう。しかも道端とかに捨ててあるって事は綺麗じゃないやん。そんな気持ち悪い物体を。でも己のリビドーに負けて触ってしまう敗北感。しかも誰かに見られるリスクもある。そういうのがごたまぜになって、異常にドキドキするんよ。後あれな。「よくしまる~」さんは当時でもそういう人とかは居たみたいやけれど。そういう有名人とかアイドルのパロディって、いつの世もあるもんなの。ただ「よくしまる~」は呼ぶ時絶対に「薬師丸ひろ子」のイントネーションな。
(和)おいおい知のステージどこ行った。
(昭)「よくしまる今日子」というAV女優が、町に一つしかないビデオ屋にサイン会に来る。しかも日付を越えたら乳を吸わせてくれる。そんなの、絶対に無いのに…でも、ありそうな中学生のガセネタやし。でも「じゃあ行ってみようぜ」という話の持って生き方は、本当に絶妙やと思ったな。だって、そんな噂に結局は振り回されるって。まさに「道端のエロ本」の延長やもん。
(和)またあのビデオ屋。あの色あせたVHSが並ぶ様。痺れたわあ~あれ、今なら一日居たい。というかあそこで働いて、あの小さなTVで延々ビデオ見ていたい。
(昭)ビデオ1本借りるのにそんな値段がしたのか。とか。正直蔦屋のお膝元やから、今も昔もああいうビデオ屋では借りた事が無かったな。
(和)そこで4人で1本借りて。仲間の家で見るって。良いなあ。まあ彼らはエロ寄りの作品やったけれど。ビデオ屋から仲間の家に向かう途中でばったり会う同級生のヤンキーも。別に大人から見たら可愛いもんやけれど。
(昭)1980年台のヤンキーって、最早ブームやったんやなあ。ビーバップとかの影響もあったけれど。あの当時のヤンキー伝説って無茶がありすぎて半分以上の武勇伝は都市伝説かと思っているよ。
(和)人を殴る為に鞄に鉄板を入れていた話とか、盗んだバイクで走り出した話とか。根性焼きとか。実際にやっていた人から話を聞いた時も笑いが止まらんかったよな。
(昭)本当に笑いすぎて、最後ちょっとキレてたやんか。まあでもあの最後に現れたバイク集団が所謂「ヤンキー」なら、チャリンコで走り回ってる中学生なんて普通の奴らと大差無いよな。
(和)あの、主人公タカシの隣に住んでいて。ヤンキーとつるんでる彼女。可愛かったね。
(昭)あの幼馴染は良すぎるやろう~。あの乳も最高。そりゃあ毎日あんな恰好で近くをウロチョロされたら乳を触れせろと思うし。中学でこそぐれてるけれど。まあ何だかんだ結局地元に居座ったりするんよな。まあ…主人公とどうこうっていうのはこの先も無いと思うけれどな。
(和)まあでも。中学生って、所詮「乳触らせろ」程度なんやね。
(昭)あのボンクラ中学生4人組。良いバランスやったなあ。
(和)ジャルジャル顔の主人公タカシは勿論良かったけれど。ミツルがもう…たまらんかったよ。
(昭)あいつ…一体あの夜の後、どうなってしまうんやろうな。あれ真面目に考えたら…もう少なくともあのメンバーとは一緒には居れんよ。
(和)彼が受けた、彼の父親からのダメージが…タカシとは比較にならない。そしてあの歳でああいう性癖を見せてしまった辛さ。でも。なんでやろう。ミツルの不幸が映画中では一々おかしすぎて。公園のシーンなんて笑いが実際に起きていたからね。
(昭)いつか笑えたらいいけどな。あいつ…多分相当面倒くさい人生を送る事になるよ。
(和)タカシの父親と言えば。今回の光石研は「恰好悪い」に完全に振り切っていたね。
(昭)「紀子の食卓」みたいな飛び方もしてくれたり。ベタベタにいい人やったり。何をやらせてもきっちり仕上げてきはる。今回はもう…あの「姉が彼氏を連れてくる」という父親の中でもビックイベントを盛大にぶち壊して。あの流れは痛々しいけれど最高やった。
(和)あそこまでのタカシは、何に対してもすっきりしなくて。でも言いたい事が言葉にならなくて。モヤモヤして。だから話も停滞気味やったけれど。でもあそこでブチ切れて飛び出して。そこからの疾走感。でもその根底にあるのは「突き抜けた馬鹿馬鹿しさ」
(昭)結局そうなんよな。うじうじ動かなくても、もやは晴れない。どうせあの年頃の沸き起こる色んな感情なんて、スマートに整理出来る訳が無いんやから。うわああって叫んで走り出したらいいんやと思う。おっかないヤンキーだって、衝動原理は一緒。で、転んだり泣いたり。恰好悪い事なんて山ほど経験して。
(和)そうして大人になるんやね。
(昭)この作品の舞台が。1980年台で。田舎で。中学生男子という愛すべき馬鹿で。とがったヒロインも一応存在して…プールのシーンとか、畑の道を歩くところとか。何か「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」も連想してしまって。最後には凄くノスタルジックな気持ちになったな。
(和)「14歳」を過ぎてしまった我々にしたら。痛い事もみっともない事も一杯あった。そんな時代の記憶を。その恰好悪い様を思い出させてくれて…なのに。それもひっくるめて愛おしいと思った作品やったな。
(昭)全くだよ…まあ、大体語れたんじゃないの。という事で俺はまた知のステージに戻らせて貰うよ。
お疲れ様でした。
と言っても。「昭」も「和」も当方の心の中のキャラクターですから。またいつか出てきてもらいますよ。
どんな人が観ても何かしらの引っ掛かりを。記憶の中をふっと何かがかすめるんじゃないかと思った作品。
後は…リアルな14歳に観てみて欲しいと思う当方です。