ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「愛のコリーダ (2K修復版)」

愛のコリーダ(2K修復版)」観ました。
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「愛か。猥褻か。」

 

昭和11年(1936年)に起きた『阿部定事件』。

阿部定に依る、情夫の殺害、及び男性器を切り取り持ち去ったといった、日本の犯罪史上でも突き抜けてトリッキーな事件を題材に製作された日本初のハードコア・ポルノ映画。

本番行為ありき。大胆な性描写が多く、日本では表現に限界があった1970年代。大島渚監督が当時ハードコアが解禁されたばかりだったフランスの製作者アナトール・ドーマンから打診されたこともあり、日仏合作での製作に至った作品。

阿部定役に新人の松田英子(当時24歳!)。そして情夫役の吉蔵を藤竜也(当時35歳)が演じた。

 

昭:はいどうも。当方の心に住む男女キャラ『昭と和(あきらとかず)』です。

和:THE棒読み。昭さんよ…頑張っていこう!

昭:男女の各々の立場から考察する。男女の心の機微…俺、こういうエロ案件語れる引き出し一切無いんで。そこの所よろしくお願いします。

和:ドンマイ。同じ人間の心から派生しているんやから、そこはお互い様。どんどん無い引き出し空けて、机上の空論広げていこう。しまっていこうぜ!

 

昭:『愛のコリーダ』。1976年公開で題材は『阿部定事件』。それは知っていたけれど…思っていた以上に元の『阿部定事件』を知らなかったな。

和:「惚れた相手を殺して、その上男性器を切り落とした女性」それだけでお腹いっぱいで詳しく調べた事が無かった。料亭の旦那と住み込み女中の恋…つまりは不倫関係で、その不毛な関係性に絶望した女性側が凶行に至った…と思い込んでいたけれど。まさかの「プレイの果て」の情死。

昭:まあ…生きながら男性器切られて…とかじゃなかったのは幸い(何が?)。ところでさあ、今回『男性器』でいくの?

和:え?…この呼称、多分今後それなりに出てくるよ。劇中にならった方がいい?子供っぽくした方がいいの?

昭:やめてくれ。このデバイスにそういう言葉を打ち込みたくないからさ…『おんどりゃあ』でもいい?

和:それ、当方が中学生の頃に聞いていたAMラジオで決めていた男性器呼称やん…まあなんでもいいよ。

 

昭:東京中野にある料亭、吉田屋。住み込みで働いていた女中の定と、主人の吉蔵が出会ったのは1936年の2月。河岸に出かける前に女将のトク(中島葵)と交わる姿を見て、吉蔵に一目ぼれした定にちょっかいを出したのが運のつき。トクの目を盗みながら散々体を重ね。案の定トクにばれてしまい、吉田屋を辞めた定と吉蔵は駆け落ち。待合宿で祝言をあげ。以降は昼夜を問わずにただひたすらまぐわう日々。

和:次第に尽きてくる軍資金。二人で過ごす生活を維持するため、名古屋に居るパトロンに金の無心に行く定。嫌々吉蔵と離れたら。もう…一人で居るのは無理。吉っちゃんと一緒じゃないと定は無理。

昭:いくら何でも家を空けすぎているからと、一旦吉田屋に帰った吉蔵。直ぐに定の元に戻ったのに…「今度離れたら殺してやる」と嫉妬に狂い、刃物をちらつかせる定。以降退廃的な日々。そして破滅に向かう同年5月。正味3か月のジェットコースター・ロマンス

 

和:ええと。「刃物をちらつかせてくる女性」について昭さんはどう…(食い気味で)昭:無理。

和:そうよなあ…我々は同じ人間から派生しているから(段々小声)。

 

昭:そもそも『メンヘラ系女子』が苦手なんで。定はブラック案件もいいところ。性欲旺盛な若い女性にベッタベタに惚れられたといい気になって嵌ったら最後、精根尽きるまでしゃぶり尽くされて廃人になる未来しか見えない。

和:ワンフレーズで言い切ったな。確かにそういう事なんやけれどさあ。でも私、定が吉っちゃんに惚れる気持ち、分かるよ。

昭:おっと。お聞かせいただこうか。

 

和:俳優藤竜也の魅力も相まっているとは思うけれど。兎に角、吉っちゃんは「断らない人」なんよな。元々、雇っている女中に手を出すなんて日常茶飯事なんやろうと思ったけれど。遊び人ながら釣った魚にとことん優しい。嫌なプレイも「俺は嫌だけれど定が良いんなら良いよ」と受け入れてくれる。「お前が気持ちい良いんなら俺はなんでも付き合う」。断らない。(また声が優しい)。

昭:さぞかしモテてきたんでしょうな~という余裕。

和:遊び人な吉っちゃんに対し。とことんとんとん圧力で詰め寄った定。けれど定も初心なわけじゃない。序盤で一瞬現れた浮浪者が定に言ったように、「お前とは昔まぐわった覚えがあるが、お前の事が忘れられなくて」という…床上手?(下品)。

昭:とはいえ。結果命を落とすことになった件のプレイ以外は、そんなに特殊性癖でもないと思ったぞ。ひたすら定が吉っちゃんのおんどりゃあを褒めまくり、あがめ奉る。そりゃあ吉っちゃん的に悪い気はしないけれど。一辺倒で段々疲れてくるよな。

和:小説『ミスターエロチスト:梶山秀之著』の刷り込みが過ぎる。特殊性癖フルコンボで描いたりしたら、本当にこの作品の真意が問われるでしょうが。『ハードコア・ポルノ』とは言ってもエロに完全に振りきるつもりは無かったんでしょうから。

 

昭:1976年公開時も大騒ぎになった「愛か。猥褻か。」確かに全編の9割はセックスがらみのシーン。恋愛初期の盛り上がりというには執拗な「ヤッテヤッテヤッテヤッテヤリまくって」のミルフィーユ。

和:初めこそ、力関係(あくまでも社会的地位や性的な意味で)で優位だった吉蔵。けれど次第に定と形成逆転。そうなると「吉っちゃんのおんどりゃあが大好き」「ずっと繋がっていたい」「一瞬たりとも離したくない」「二人きりでいたい」と定の勢いに押し潰されていく。終盤の吉っちゃん、生気が抜けて泣いていたもんな。

昭:言っといていい?俺さあ。ホンマにアカンのが「食べ物で遊ぶプレイ」と「刃物プレイ」なんやと再確認した。ゆで卵を膣内に入れて「産め」ってやってたやつには憤りを感じたし…それにどんなに盛り上がっていても口に包丁咥えて赤襦袢脱いでくる女性には恐怖しか感じない。しおしおのぱ~。

 

和:あの、肉切り包丁咥えて貝印のロゴみたいなマークが入った赤襦袢脱ぐシーン。滅茶苦茶画になるんよな。ああいうセンスがこの作品をエロ映画とは呼びきれない境界線。吉っちゃんを殺めてしまう「も~いいかい」のシーンなんてアートさながら。センスが飛び抜けている。

昭:個人的には、海外版で観られるらしい無修正版には興味が無い。特段おんどりゃあを見たくもないし、二人のセックスシーンの生々しさはこれ以上要らない。その具体的な情報が無くても十分「行きつく先には死しかない」という二人の未来は感じられる。俺には理解出来ないけれど定吉カップルの「ふ~たりの~た~め~。せ~かいはあるの~」という世界観。さながらカマキリの性交。メスに捕食されながら果てるオス(きちんと調べずに書いています)。メンヘラカップルの幸せな着地。いいんじゃないの。俺は絶対に関わりたくないけれど。

 

和:『大島渚監督祭り』勝手に銘打って『戦場のメリークリスマス』と『愛のコリーダ』二本立てで鑑賞した6月のあの日。どちらも40年くらい前の作品。けれど大島渚監督の代表作にふさわしい問題作。帰宅途中、脳が痺れてパンパンやった。

昭:「大島渚監督作品は2023年に国立機関に収蔵される予定で、大規模公開はこれが最後になる。」パンフレットに書いてあった一文を読んで「滑り込みセーフ」と思ったな。

和:百聞は一見に如かず。観ない事には分からない。「愛か。猥褻か。」我々は「愛」を取りますよ。f:id:watanabeseijin:20210707003242j:image