ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「ディーパンの闘い」

「ディーパンの闘い」観ました。


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 今年のカンヌ国際映画祭パルムドール作品。

スリランカ。内戦からの脱出。そのために赤の他人で構成された疑似家族。行先のフランス。移民問題

実際の問題をどっさり盛り込んだ作品。

「何で。何でこういう幸せが夢のようなんだろう。」

恐らく、映画感想文というものは基本的に最終シーンからは語られない。ネタバレしかねないし。

当方はなんの縛りもないし。ただの駄文を垂れ流しているだけ…でも一応そこは気を付けなければとは思っているのですが。ですが。

この最終シーンこそが、彼ら疑似家族のゴールだったのだとすれば。その、あまりにもアメリカンデフォルト家族像に胸が一杯になってしまって。

当方もアメリカンでは無いので…。ああいうホームパーティーを開いたりする事がアメリカで当たり前なのかは分かりませんがね。でも。あれは確かに(資本主義で自由とされる)幸せな家族の象徴。

戦いで妻子を失った、元兵士の男。毎日怯えながら暮らすのは嫌だと。イギリスに住む親戚の元に身を寄せたいと思う女。大人達の勝手に振り回される身寄りの無い少女。

スリランカから脱出するために。初めて会って、そこから始まる「父。母。娘」という共同体。絶対に失敗してはいけない「家族」という名の共犯。

「で。何でフランスなの」

そこの何故は全く語られませんがね。確かに、彼女の言うようにイギリスに住む親戚の所に行ったら良いんですよ。…と当方は思いますが。

フランスの移民問題。「日本は島国だから。大陸続きのヨーロッパは色々あるよ…。」知り合いの社会科教師に教えを請いましたが。面倒だったのかこの一言で片づけられる当方。(因みに「山では何故霧がよく発生するの?」と無邪気に聞いて「何でも聞かずに調べろよ!」とキレられた経験あり)

ディーパン一家の住む団地。その治安の悪さ。ごたまぜ感。

麻薬ディーラー。彼らを取り巻くやんちゃな連中。そしてディーパン達のような移民達。貧困層アウトロー層。そこにそっと存在する独居老人。

祖国を捨てた3人。命の危険を感じながらの生活にピリオドを打つため。

平穏無事で。思わず、つまんない人生だと悪態を付きたくなるような日々を手に入れるため。

祖国を捨てるために無理やり家族になった3人。

「でも…。意外と上手くやってるよなあ。」

外面では家族に見せて。団地の管理人。家政婦。大人は仕事を見つけ。子供は学校に通い。始めはぎすぎすし。…でも、家の中でもだんだん家族になっていく。

まず、フランス語がよく分からない。でも、そこをフォローしていく柔軟な子供。

子供を産んだことが無いからどう接していいか分からない。目立つから外に出れない。

そうやってぶつかって。互いになれ合っていく。

「仕事の皆で休憩中な。言ってる事は分かる。でもおかしくないのに笑えない。」「いいのよ。貴方はそういう人でしょう」二人で語るシーン。なにこれ。幸せじゃないの。

また、ディーパン夫婦の律義さ。形式とはいえ夫婦なんだからぐっと近づいたらいいのに。なかなかもどかしい日々。

当方ですか?…おそらく「雪山のロッジ。数人の男女で孤立」というシチュエーションでは誰よりも早く「裸で暖め合う」ご提案と共に衣類を脱ぎ去るエロポテンシャルを所持していますので…当方がディーパンで、あの女性が妻の一つ屋根の下なら理性は保てませんね。あの後ろ姿。(何を言っているのか)

しかし。そうやって愛情を持って。こんなささやかな毎日を大切にして。3人で秘密を共有しながらも幸せになっていこうと。そう思った休日。幸せMax。なのに。

どうして「命を脅かされない」はずの場所で。またもや形の違う暴力を。

新天地で幸せになるだった。

そこで起きる暴力。それはかつて自分が経験した「生きるか死ぬか」とは違う。

思想や宗教。対する薬物、犯罪。メンツ。でも何に命を懸けるのかという価値観は人それぞれ。命の重さは同じはず…なのに。(あのお爺ちゃんの可愛さ。切なさに泣く当方。)

 

絶対に幸せになりたい。家族でつつましやかに暮らしたい。そう強く願うディーパンと妻。それ故に行き違い。結局は闘いから逃れられない。

 この作品に於いて、希望の光であったはずの少女。

あの中で誰よりも理不尽なんですよね。「実の子ではないから」と見知らぬ女に引き渡される。知らない男女を親とするレギュレーション。自身の意志では無くフランスに移住。学校で食らう仲間はずれ。でも。

少女の強さ。時には涙を見せるけれども。彼女は無茶苦茶な環境に対して柔軟だし、自己主張もきちんとする。言葉も習得。不安定な大人達より、よっぽどしっかりしている。

だからこそ。彼女の姿をしっかり見たかった。…正直、後半は大人達の話が大半になっていくので。

あのちょいちょい挟み込まれる象の姿。当方の勝手な見方ですが。…それはあの少女と同じ。

内戦の続く不安定な祖国。疑似家族。新天地でも異質分子。でも、それは彼らのせいではない。彼らは幸せになっていけないわけではない。

どんな場所であっても。誰だって、幸せになる権利はあるはずで。

この作品は、彼らの持ち札がどうひっくり返ったのかという話で。彼らがあの最後の姿になる可能性だって、決してゼロではない。…しかしこれは綺麗事。

「カレー野郎(ゲラゲラ)」最低な人間の悪意。異質という事の圧倒的なマイノリティー。言葉が通じない事の便利と壁。綺麗事では何とでも言える。でも結局、始めの持ち札から何となく見える、展開。

厳しい局面に突き進む現実に対し、ゆっくり姿を見せる夢の世界。それは希望。

あの少女の受ける絶望。試練。でもそれは無いかもしれない。もしかしたら…もしかしたら、3人で暮らすあの世界がこの後あるのかもしれないから…。それに関してはもう個人でどうにでも解釈出来るから。

家族というものが、決して血の繋がりだけでは成立しないこと。と言うか、家族という定義などは無いのかもしれないと。

「何でもないような事が。幸せだったと思う。」そんな幸せを、喉から手が出る程欲している人たちの姿を思った作品でした。