ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「街の上で」

「街の上で」観ました。
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今泉力哉監督作品。

東京。下北沢を舞台にした、若者たちの群像劇。

 

2020年。テアトル系列映画館で何度も何度も観た予告編。満を持して公開された2021年4月。

「事実は小説よりも奇なり」。随分と様相が変わってしまった現実世界。しかも未だ渦中で明るい見通しがあるわけでもない。そんな、3度目の緊急事態宣言直前。映画館が閉まってしまう間際に鑑賞した作品。

 

下北沢で古着屋を営む荒川青(若葉竜也)。彼を定点とした群像劇。

大体単独行動の清。一人で店をやり、古本屋をぶらつき、たまにライブを観に行ったり、行きつけの店で飲み食いする日々。

浮気された挙句、一歩的に別れを告げられた恋人、川瀬雪(穂志もえか)を忘れられずに時々連絡してしまう青。

行きつけの古本屋の店員、田辺冬子(古川琴音)に余計な事を言って泣かせてしまう。

ある日。美大学生の高橋町子(萩原みのり)から自主製作映画の出演を依頼された青。普段古着屋で読書をしている姿が、町子の次回作に登場するキャラクターとしてインスピレーションされたのだという。

素人だし大した事は出来ないのにと、緊張しながら向かった撮影現場。そこで知り合った、衣装担当の城定イハ(中田青渚)。

 

昭:はいどうも。当方の心に住む男女キャラ、昭と和(あきらとかず)です。

和:ステイホーム(in布団)していたはずなんですけれど。どうしても我々に男女の機微?!を語って欲しいらしくて。って知らんよ!こんなサブカルモテ世界は!

昭:おっと。暴言はやめろ(すったもんだ争う音)…まあ。久しぶりに仲良くお話しましょうよ。

 

和:東京の下北沢。行った事は無いんでアレですけれど…小劇場や古着屋、サブカル野郎が跋扈する街。という認識でいいんですかね。

昭:荒れてるなあ~。当方の心から派生しているんやから、俺だって行った事無いよ。そういう場所って事で良いんじゃないの。

和:まあ…当方も若い時に古着を着ていたから。休日に古着屋のハシゴ、その周辺の雑貨屋なんかを歩き回った記憶はあるな。

昭:当方は店員に「いつもの~」とか声を掛けられると一気に心のバリアー張り巡らせてしまうタイプだったけれど。そこで店員と仲良くなって、ネットワーク広がっていく同級生とかも居た。

 

和:一人で古着屋を営む主人公・青。風呂屋の番台よろしく、カウンターでつらつら本を読みながら店番をする日々。…って彼、店長なんですよね?雇われ?兎に角、責任者というオーラが皆目無いの。商品の整理もしない。

昭:それは言ったらアカン。正直、青だけじゃなく他のキャラクター全てに感じた共通点やったけれどな。「一体どうやって食べているんだ」疑惑。総じて生活感が皆無。

和:いや…これ結構ずっと気になってたけれどな…(小声)。

 

昭:青の生活圏で起きる出来事。些末なことから、切なく逝ってしまった知り合いのことまで。深く心をえぐられ傷ついた者も居るけれど…新しい出会い。やんわりと流れていく時間が人と人の関係を変えていく。

和:そういうふんわりした雑なポエムでお茶を濁したらいいんやけれどさあ~。まあ全体的に余白の多い作品やったよね。

昭:なんでそういう実も蓋もない言い方をするんだよ。

和:キツイ風に聞こえてしまったらごめん。なんていうか…「こういう事が起きたら人はこう捉える」とか「こうあるべきだ」という決めつけをしないな~と思ったんよな。

昭:どういうこと?

和:登場人物同士のリアルな掛け合いは、今泉監督作品持ち前のセンスやと思うんよな…登場人物たちが会話している場に居合わせているような感覚を持たせるのが上手いし、そこからこれがどういう作品なのかは観ている者の引き出しに委ねる。だから、基本的にはただ起きている出来事を淡々と提示しているだけ。

 

昭:そうか。まさに『街の上で』という群像劇。

和:本に例えると短編集。一つの街で起きている出来事。男女の別れと再生。新しい冒険と苦い結末。けれどそこから派生した友情。…ところで昭さん、余談ですけれども男女に友情って成立しますか?

昭:しない。(和:即答。)年齢を重ねたら事情は変わってくるかもしれないけれど…あの状況で友情なんて絶対に成立しない。っていうか、何もしないならば自宅に帰れ!布団も風呂も自分のものを使え!

和:落ち着いて。これ、観てないと絶対に分からないシーンを指しているんですけれど…「長回しでリアルな男女の会話」として評価される以上に当方的に「嘘やろおおおおおお~カマトトぶってんじゃねえ!」というすかしっぷりやったんで。ちょっと挟ませて頂きました。

 

昭:ちょっと取り乱してしまった。

和:仕方無いよ。こういうオシャレな青春は一切送ってこなかったもの。若い頃のファッションなんて剥ぎ取りたくなるくらいにおかしかったし、恋愛もやっている事も顔を真っ赤にして叫びたくなるくらい恥ずかしいことばっかりやった。

昭:だからかな…こういうどこを切りとっても恥ずかしくない若者たちの群像劇には、美しい蜃気楼を見たような気持になる。

和:でも。どこかで知っている。この感情は。一見ふわふわした絵空事なのに…なのにこの短編集を閉じた後、ふっと過る胸の痛み。そんな感じ。心の引き出しをくすぐってくるんですわ。上手いよなあ~。

 

まとまりのない着地をしてしまいました。

こういう「なんでもないようなこと」を一定のテンションで描き切る邦画を観る機会がトンと減っていたなかで、出会えたことがしみじみ幸せでした。

誰かと誰かが運命的に出会い。ドンパチが起こり。何かの威信をかけた戦いが始まる。今生の別れやこの世の終わり…そんなんじゃない。ただただ日常を切り取った作品。

 

仕事終わり。休日。一人で。誰かと。映画を観て暖かい気持ちになれる。それが日常だった。それを思い起こさせた。そんな作品。

 

公開途中で閉まってしまった映画館。観られる地域もあるけれど、少なくとも当方の住む地域では映画を映画館で観る事は出来ない。けれども最後に。

 

「誰も見ることはないけれど 確かにここに存在している」(映画ポスターから)

 

また会える日まで。

映画部活動報告「アンモナイトの目覚め」

アンモナイトの目覚め」観ました。
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1840年代。イギリス南部の寂れた海辺の町、ライムレジンス。

年老いた母親と二人土産物を営むメアリー・アニング(ケイト・ウィンスレット)。

実は幼少期に発掘した『イクチオサウルス』が大英博物館に収集されている古生物学者。しかし時代柄、彼女の功績は認められず。ずっと田舎町で細々と暮らしていた。

ある日。地質学会の権威である化石収集家ロデリック・マーチソンが妻のシャーロット(シアーシャ・ローナン)を連れてライムレジンスにやって来た。

ふさぎ込んでいる妻の気分転換になればと、話し相手を頼まれたメアリー。初めは互いにギクシャクしていた二人だったが。

 

「『ゴッズ・オウン・カントリー』のフランシス・リー監督最新作かあ~。」

 

2017年公開。イギリスの牧場を舞台とした男性同士の恋愛を描いた前作。「スパダリとはこのことか!」包容力無限大のゲオルゲに当方も漏れなく酔いしれた作品…のフランシス・リー監督。新たな舞台は1840年代の海辺の町。女性二人の恋。

 

「未知の古代生物の発見」かつて偉大な発見をしていながら。女性であるが故に正当に評価されなかった。家族には不幸が続き、いつの間にか母親と二人。その母親も最近滅法年老いている。

寂れた観光地。あまり来ない観光客相手に収集した化石を土産物として売る…身なりも構わず。そんな中年女性、メアリー。

ある日訪れたマーチソン夫妻。夫のロデリックは化石収集家で、メアリー目当ての来訪。「あのイクチオサウルスの発掘者でしょう!ああやはりお目が高い!」。

翌朝の化石収拾にも参加。天真爛漫な彼は「しばらくの間、妻のシャーロットを預かってくださいませんか」と切り出してくる。

 

これは…最近公開された『燃える女の肖像』を連想せざるを得ない。閉ざされた場所での女性同士の恋愛。(以降比較することはない予定です)

 

まあ…寂れた田舎町に埋もれていた中年女性、メアリー。過去に功績を挙げながらもひっそり暮らしていた彼女の元に現れた若き人妻、シャーロット。  

初めはどうしていいのか分からなかった。綺麗だけれど生気がなく、およそ場違いな装いでついて来たお人形。しかし彼女が海に飛び込んで風邪を引いて寝込んでしまい。看病したことから、二人の関係は変化していく。

 

そもそも何に対してふさぎ込んでいるのかもよく分からんシャーロット(欲求不満?)。「まあ…着衣水泳をした事による風邪か肺炎ですわな…」勝手に海に飛び込んだ挙句、大げさにメアリーの家で寝込むシャーロット。在宅訪問した医者(ゲオルゲ!お久しぶり!)も大した処方をするでもなく「女性ならば女性同士の方が看病しやすいでしょう(言い回しうろ覚え)」という「いやいや特効薬くれよ!」な言葉を吐いて診察終了。結局メアリーは過去何かあったとしか思えんご近所さんからヴェポラップ的なもの(ヴェポラップが何かはお手持ちのデバイスで検索してください。当方は子供の頃大変お世話になりました)を入手し使用。メアリーのかいがいしい(具体的には何を?)看護の結果回復(何から?)したシャーロット。

(切れ間の無い長文から心中お察しください。)

 

田舎町で年老いた母親二人で暮らすメアリー。比べて私は何も出来ない。そう言って泣くシャーロットに寄り添うメアリー。そして近づく二人の距離。

 

硬質で静か。けれどその内情には熱く燃える恋がある。

くたびれ切ったメアリーをリアルに演じ切るケイト・ウィンスレットは流石の貫禄。しかし華やかで若々しいシャーロットを演じたシアーシャ・ローナンも決して負けてはいない。

1840年代。まだ女性が社会で表立って活躍出来なかった時代。偉大な発見をしていながら埋もれようとしていた女性古生物学者と、夫を支える妻という役割に疲れていた女性。そんな二人の恋…。

 

そんな風に感じる事ができたら良かったんですが。

 

当方には残念ながら気難しい性質があって。

化石収集にもこの時代のイギリス事情にも全く疎いのですが。一つだけ事前に知っていたこと。「この二人はどうやら実在の人物らしい」

不遇の古生物学者・メアリー・アニング。化石採取で偉大な功績を残しているが、女性であることからイギリス学術振興学会からは認められず。生涯独身であり、47歳で生涯を終えている。

シャーロット・マーチソン。実際の人物はメアリーよりも10歳は年上。年下の夫ロデリックは元々は軍人であったけれど、時世の流れから夫に地質学者になるように勧めた。

メアリーとシャーロットの出会は事実。そこで人脈を得た、聡明で頭の回転の速いシャーロットがメアリーの良質な収集物をロデリックに回すべくロンドンに招待したと識者間で解釈されている。

 

「魅力的な人物であることはよく分かる。けれど…それならば実在の人物にこだわらない方が良かったのでは?」

 

メアリーは一体どういう人物だったのか。伝記的な内容を求めていたわけではない。けれど、実在した人物に対してこの描き方は…自由過ぎる。

男性優位であった時代における、女性としての学者としての生きづらさ。そこにはあまり視点が置かれていなくて。「彼女のセクシャリティ」という踏み込んではいけないところに終始。センシティブが過ぎる。

 

例えば。当方が死んだときに「あの人浮いた噂も無かったし、パートナーも居なくて。寂しい人生だったでしょうねえ」なんて言われたとしたら。

死んでいても棺桶破りたくなるくらいに腹が立つであろうと想像する当方。「恋をしなかったからって、とやかく言われる筋合いねえよ!」「当方の一生を勝手に値踏みするんじゃねえ!」

それに…「恋をしている」とか「今パートナーがいる」とかを誰かに報告する義務もない。

知らないくせに、勝手に「あの人は恋をしなかった」=「寂しい人生だった」と思われるのは心外ではないか。

ましてや。「色恋沙汰を誰にも漏らさなかったのは、同性愛者だからだ」という解釈もおかしい。

つまりは、恋愛とは超個人的で自由であるということ。誰を愛しても、誰も愛さなかったとしてもそれは個人の自由。

 

メアリーの47年の生涯が一体どういうものだったのかは、メアリーが語っていないのならば他人が分かるはずがない。生涯独身であったとしても、とやかく言われる筋合いもましてや新解釈を差し込まれる隙間もあるはずがない。

 

そして。何だかんだ仲睦まじかったらしいマーチソン夫妻にも何だか(シャーロットは80歳を超える大往生)…シャーロットを実際の年齢よりも随分若く設定したのははっきり言ってキャスティングと内容の萌えの問題であって、それならば尚更メアリーとシャーロットを題材にするべきではない。

 

「何故実在の人物をそのままスライドした。それさえなければ素直に物語の世界に溺れられたのに。」

 

二人の女優の演技や硬質な画面からにじみ出る静かで激しい愛。「アンモナイト」という掘り起こされて磨かれて初めて世間に認められる原石=埋もれてしまった科学者=メアリーという多重構造なんでしょうし、最後は一体どうなるの...という余韻もある。

 

ただ…偏屈故に真っすぐには受け止められなかった。

 

フランシス・リー監督。彼の作る硬質で静かな世界観は大好きなんで。次回作に期待しています。

映画部活動報告「ザ・バッド・ガイズ」

「ザ・バッド・ガイズ」観ました。
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韓国。受刑者たちを乗せた護送車が高速道路上で武装集団に襲撃された。護送車は転倒。一部の受刑者たちが逃走…凶悪犯たちが野に放たれてしまった。

韓国警察が何たることかと国民から叩かれる中、上層部は事態の早期収拾を図るために元警察官オ・グダグ(キム・サンジュン)が召喚された。

引退したはずのオ班長が命じられたのは、かつて彼が率いていた『特殊犯罪捜査課』の復活。

警察官と収監中の重罪受刑者たちで構成された極秘プロジェクト。『特殊犯罪捜査課』が再び動き出した。

 

「マ・ドンソク+ラブリー=マブリー」。マブリーの愛称で呼ばれるマ・ドンソク。

アジア人とは思えないムッキムキの体躯とボクシング経験などからもたらされた腕力。一見強面…なのに見せる表情や言葉尻は何だかキュート。

当方も御多分に漏れず「マブリー大好き!」。マブリー血中濃度を一定に保っておきたくて。マブリーが出演している作品だと聞けば、心が疼いて観に行かざるを得ない。そんな中毒性のある俳優。

 

こういう「悪をもって悪を制す」というジャンルは古今東西お見掛けするジャンルであって。最近では『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒』など。

「犯罪者の心理は犯罪者だから分かる」というロジックで、癖のある犯罪者たちが集められる。その犯罪者集団を纏めるポジションに大抵現役警察官が居て。初めは何だかんだ乗り気ではなかったメンバーたちもすったもんだしている内に友情と正義感が芽生えていく。そして共通の悪に立ち向かっていく。まさにこの王道をなぞったパターン。

 

この作品は、2014年に韓国で放送された『バッド・ガイズ-悪い奴ら-』というテレビドラマが発端のシリーズモノだと知った当方(2017年に続編も作られている)。

その初回メンバーから、警察官のオ・グダグ(キム・サンジュン)と「伝説の拳」という異名を持つパク・ウンチョル(マ・ドンソク)を続投させて映画製作に至った。

 

今作の特殊犯罪捜査班のメンバー。

「伝説の拳」という異名(ダサいな)を持つ、情に厚い元ヤクザ・パク・ウンチョル(マ・ドンソク)。頭の回転がキッレッキレな女詐欺師・クヮク・ノスン(キム・アジュン)。過失死致罪で収監された、元エリート刑事・コ・ユソン(チャン・ギヨン)。

そして、かつて「狂犬」と呼ばれた元警察官(現職復帰)のオ・グダグ(キム・サンジュン)。

 

ある刑務所から複数の受刑者達を移送中だった護送車。それが武装集団に襲撃され、一部の受刑者が逃走した。

「そもそも何故この襲撃事件は起きたのか?」

たまたま起きたとは思えない。護送車の中に居た誰かを狙った?誰が乗っているのかを知っているのか…?

 

おっと。ここを細かく書いてしまうとネタバレの沼に落ちますので。本編の内容はこれ以上進めませんが。

 

当方がマブリー映画を観る理由は一択。「マブリーを観たい!」だけ。

「大きな体を丸めて裁縫をするマブリー」「ピンクの愛らしい手袋をはめるマブリー」「かつてヤクザ時代に恩義を感じていた相手とのほっこりシーン」「ヤクザの抗争にその相手が巻き込まれたと知って復讐を誓うマブリー」「向かってくる相手をボッコボコにねじ伏せるマブリー」「相手が武器を持っていても、体一つでぶちのめすマブリー」あれも観たい。これも観たい。それも観たい。みんなみんな観たい。兎に角動くマブリーを観たい。

なので。話の展開なんかに「あれ…雑やな」とか「何でこんな事になっているんやったっけ?」という気持ちが一瞬過ったとしても…それは脳内にある引き出しでカバーする。

 

色々苦労したのもあったから、金こそ全てになってしまったと思われる女詐欺師ノスン。彼女の哀愁。

元エリート刑事。けれど暴力が過ぎて犯人を殺してしまったユソン。同業者であった父親に対する、想いと誇り。

そしてチームを引っ張るオ班長。彼が置かれている健康状態。

他の面々にもそれなりの背景は用意されているんですが…いかんせん脇役ごった煮感が否めない。それこそテレビシリーズとかで数回に渡って放送されるならば、彼らがメインの回があるはずのキャラクター設定なのに…とはいえ彼らに時間を割いてしまうと「マブリーを観たい」という欲求が満たされなくなってしまう。つまりはこのバランスが黄金比なのか。

 

護送車襲撃。そこから逃走した受刑者を追っていたのは特殊犯罪捜査班だけでは無かった。一体この事件の真相は。誰が何の目的で起こしていたのか。

特殊犯罪捜査課が行きついた相手は…意外な人物と組織だった。

 

「いやいやいやいや~」思わず声に出しそうになってしまった当方。

「あっはは。我こそは~!」と言わんばかりだったあの人は「まあそうだろうと思っていましたよ」と鼻で笑ってしまいましたけれど…ラスボスはナニコレ感が否めなくて。(ていうかどこの仁義なき戦いだよ)そして。このラスボスも含め、唐突にチョイチョイ飛び出す社会批判的なセリフにも「ン?」となってしまう当方。すんなり飲み込めない。

 

まあ。「マブリーを観たい!」という欲求は満たされ。マブリー血中濃度も安定値には至ったのですが。お話全体としてはドタバタ感が否めず。

 

ところで。マブリー映画を観ていて毎回つくづく思うのが、あんなに強そうなマブリーを前に飛び掛かっていく男たちの勇敢さ。武器で立ち向かおうにも素手でぶちのめされる。車に籠もっても窓をこぶしで破ってくる(しかも横の窓)。下手したら体を抱きかかえられて頭で天井を破ったりする力の持主。ビンタ一つで失神するのに。当方なら逃げるか、やられたテイを装って床に倒れてやり過ごすよ(見逃してくれないんよな〜)。

なので。あのラスボスの死闘。当方は彼の健闘を称えたい(それなりの凶器をお持ちでしたけれど)。

 

最後に。今現在、当方は再び映画館に行けなくなってしまいましたが。

今回でしばらく安定したマブリー血中濃度から。あんなマブリー。こんなマブリー。そんなマブリーを思い出して…またマブリー映画を楽しい気持ちで観られる日を気長に待ちたいと思います。

映画部活動報告「騙し絵の牙」

「騙し絵の牙」観ました。
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「もう本は売れない」

昨今叫ばれる出版不況。活字離れ。ネット社会も追い風となり。出版業界、特に紙媒体の本が売れなくなっている。

大手出版社『薫風社』。創業一族の社長伊庭喜之助の急逝から次期社長の座を巡って権力争いが勃発した。

社長の息子惟高(中村倫也)は成人してはいるもののまだ年齢が若い。そこで、一時的に現在専務である東松龍司(佐藤浩市)に実権が移行した。

東松が進める社内の大改革。さっそく社内のお荷物扱い、エンタメ雑誌『トリニティ』が廃刊の危機にさらされる。

新しく就任したばかりだった、変わり者の編集長・速水明輝(大泉洋)は社内の看板雑誌『小説薫風』から引き抜いた新人編集者・高野恵(松岡茉優)らを引き連れ、『トリニティ』の存続を掛けて奔走。それは次第に薫風社を揺るがす事態へと発展していく。

 

小説『罪の声』の著者・塩田武士が、俳優の大泉洋を主人公に当て書きした原作『騙し絵の牙』。その主人公、速水輝を大泉洋が主演。他主要キャストも豪華俳優で固め。『桐島、部活やめるってよ』などの吉田大八監督で映画化した。

 

「本や雑誌を読まなくなったのはいつからやろう。」

 

子供のころ。学校の図書室にあった本はほとんど読んだ。漫画雑誌は買わなかったけれど、学生の頃は何冊も定期購読状態の雑誌があった。

休み時間。放課後。休日は部屋に閉じこもった。座り込んだり寝っ転がって起きている間延々と活字を追った。活字中毒。風呂に入っている間すら、手元に本が無ければ入浴剤の入れ物の裏に書いてある文字を読んだ。

…いつから?

社会人になって。ゆっくり本を読む時間が取れなくなったから?

生活に携帯電話が現れ。メールのやり取りから、その内液晶に色んな情報が現れるようになったから?かさばる紙媒体を持たなくとも、お金を払わなくとも情報が得られるようになったから?

大人になって。物語を必要としなくなった?そういうこと?

 

大手出版会社『薫風社』を舞台に。「どうやって出版社は生き残るのか」を描いた作品。

『小説薫風』を看板雑誌としていた。つまりは文芸…大御所作家たちによる小説を扱っていた薫風社。しかし、大御所は金が掛かる上に扱いが難しい。

作家生活40年の大御所、二階堂大作(國村隼)。「小説薫風の顔は俺だ」と言わんばかりの古狸を、なだめすかして追い込んで。『トリニティ』での連載をこぎつけたのを皮切りに。

人気ファッションモデル・城島咲(池田イライザ)の意外な起用。小説薫風の新人賞選考では落選した、新人小説家・矢代聖(宮沢氷魚)の連載採用など、ありとあらゆる企画をぶつけて廃刊の危機から脱出、快進撃を見せていく。

 

掴み所の無い、飄々とした編集長・速水。彼を当て書きしたという大泉洋の演技は流石。どんな大御所相手であろうが、下手すれば「失礼」すれすれのあけすけな物言い。ズケズケと切り込んで、けれど結局相手をその気にさせて連載をこぎつけてくる。

けれど。速水の最終目的は「トリニティを存続させること」ではない。

 

おそらく。当方が鑑賞中どうしても引っかかった部分。「勝ち負けにこだわり過ぎている」世界観。

老舗の大手出版社。創始者一族が権力を握り、古臭い経営を続けていた中での社長の急逝。そのままの体制を維持したいとしがみつく旧体制・常務の宮藤和生(佐野史郎)と新しい風を起こして経営を一新したい壊し屋・専務の東松。

旧体制側にいる『小説薫風』と、東松とズブズブの速水が率いる『トリニティ』。つまりは文芸小説雑誌とエンタメ誌。

街中にある寂れた本屋。本を卸す仲介業者を挟むことで生じる手間とお金。欲しけりゃ直接出版社から直に買えばいいじゃないか…つぶれてしまえばいい。仲介どころか末端の本屋すらいらない。それが出版社の本音。

 

昨今の出版業界が抱えているのであろう問題を片っ端から並べたのであろう、てんこ盛りの話題。それらを弱肉強食の法則で食い潰していく…と思いきや、実はやられている方が一枚上手で…の繰り返し。テンポが良いと言えばいいけれど、何だか腑に落ちない。もやもやする。

 

多分。当方が一番気持ちが分かる気がしたのが、トリニティの副編集長・柴崎真二(坪倉由幸)。

少ないメンバーで細々続けていたエンタメ誌。新しい編集長の速水は「どれもこれも読んだことある記事ばっかり。つまんない」と言い放ち。次々と新しい企画を挙げさせて採用。危険な賭けを乗り越えて『トリニティ』は注目される雑誌へと生まれ変わった。

けれど。速水にはトリニティへの愛が無い。

「売れればいいんだって」「面白ければいい」「皆でトリニティを利用すればいい」

そんな言い方をされて…気持ちいい訳がない。プライドを持って仕事をしてきたのに。

 

老舗の大手出版社・薫風社をひっかきまわす壊し屋。その筆頭である専務の東松と編集長の速水。彼らから感じる事が出来なかった「本を愛する気持ち」。

速水の放つ「面白い本を作りたい」という言葉が持つ意味が違う。面白い本…当方が浮かべるそれは「時間を忘れて読みふける本」を指していて。決して「読む前から世間で話題になっているから気になる本」という意味ではない。(エンタメ雑誌なんだから!と言われればそれまでですが…)

 

きっとそのもやもやに答えを出したのが本屋の娘、新人編集者・高野の最後の行動だったのだと思うのですが。

彼女が取った行動は『この作品に於けるもっとも痛快な着地』だったと納得はしているのですが。

それもまた、速水の『面白ければいい精神』を引き継いでいるじゃないかと引っかかっている当方。

 

歯切れが悪い文章をだらだら書いているのも苦しくなってきましたので〆ていきますが。

つまり当方が終始感じていたのは「彼らは読者が読みたいものを作っているのだろうか」「こういうやり方は作家や本を作る人たちのやる気を削ぐんじゃないか」という引っかかり。

 

「こういうのが面白いんでしょう?」「これなら皆飛びつくでしょう?」人間の興味を引く心理に付けこんで本を作っていないか。そしてそれは製作者の本意なのか?

 

現実に本を読まない人は増えている。実際に本は売れない。けれど『活字中毒者』は減っていないと当方は感じている…その対象が本や雑誌だけではなくなったというだけで。いわゆるスマホ中毒だって活字をずっと追っていると言えばそう。風呂場で延々入浴剤の文言を読んでいた当方と同じ。

物語を求める気持ちはいくつになっても無くならない。

 

「じゃあこうして欲しい」という明確な意見で終われないのが残念ですが。本を作る人たちに当方が思ったのは「物語と出会う場所は沢山欲しい」ということ。

電子でも紙媒体でも何でも。特に、純粋に楽しめる子供たちにとって間口は広いままであって欲しい。

だから…高価だから本を手に入れられないというのはやめてあげて欲しい。…偏屈な性格だなと我ながら嫌になりますが。エンターテイメントに振り切れ過ぎて、最後までちょっと乗り切れなかった。

 

 

ところで。この作品を鑑賞した当方の妹から「実際に一作品だけしか書いていない作家って誰?」ときかれたのですが。

とっさに「『バトル・ロワイヤル高見広春』しか答えられなかったです。

映画部活動報告「JUNK HEAD」

「JUNK HEAD」観ました。
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遥か昔、人類は地下開発の労働力として人口生命体のマリガンを創造した。自我に目覚めたマリガンは自らのクローンを増やして人類に反乱。

それから1600年後の世界。

人類は地下世界で独自に進化するマリガンの生態調査を始めた。

~『JUNK HEAD』パンフレットより抜粋。

 

映像制作の経験が無かった内装業他を営む堀貴秀監督が、一人で撮り始めたストップモーションアニメ。造形~コマ撮りを延々4年続け、2013年に完成した30分の短編映画『JUNK HEAD1』。

渋谷アップリンクで「面白くなければお金はいらない」という投げ銭制度で一日だけ上映。その後紆余曲折あったが(こんな一言で纏めようとする当方の雑さよ)長編映画に仕立てなおすこととなり追加製作開始。

その後も3,4人の少数スタッフで作業を続け、2017年に完成。上映に至った。

 

ストップモーションアニメ』

当方の中でそう言われて想像するのは、かつてNHK教育番組で放送されていた『ピングー/pigu 』や『ニャッキ』。

単純な造形のクレイ人形が、緻密なコマ送りによって動いているように見える。

当方は映像製作やアニメ制作に関わる仕事とは全く無縁ですが。それでも流石に想像できる…この、一見ほのぼのとした映像を作るのにどれだけの労力と時間を要するのか。

 

「なんか凄いのが出てきたぞ!」

今作品公開後。「今時こんなに手間のかかる事を!」「しかも相当なクオリティで!」至る所から聞こえてきた、称賛の声。

公開当初、若干行きづらい(単純に遠いのと、生活と上映時間がすり合わせられなかった)映画館でしか上映していなかったので様子を見ていましたが。あれよあれよという間に上映館が増えたのを幸いに。無事鑑賞する事が出来ました。

 

ひとことで言うと「良いもの観させてもらいました」(何様だ)。

まさに「継続は力なり」。こんなに緻密で丁寧なお仕事をクオリティが一切落ちることなく最後まで完走されていることへの感動。

普段映画作品を観る時、結局はストーリー重視になってしまっている自身を実感。

けれどこの作品はストーリーや映像だけには留まらない。スクリーンに映るもの全てが全力で存在感を押し出してくる。

 

寧ろストーリー自体には緻密さが無い。

「核の冬により生態系が崩壊。汚染された地上に住めなくなった人類たちは生活圏を地下に埋めた」「地下開発のためにマリガンという人工生命体を創造したが、彼らは意思を持ち始め。遂には人類に反乱した」「人類とマリガンとの停戦。地下世界の分配」「正体不明のウイルスにより人類存続の危機。その危機を脱した後に人類が手に入れたのは人体の無機質転化。すなわち、微弱な電気刺激さえあれば頭部のみで生きていける体…代償として人類は生殖能力を失った」

新たなウイルスの発生で再び人類は存続の危機にさらされた。偶然知ったとあるマリガンに生殖能力の可能性を見出した人類は調査を開始。そこで主人公パートン(ダンス講師)が調査員をかって出た。

 

という冒頭の説明をした以降は、観ている側に「こういう事だろうな」と脳内補完をさせながら進んでいく。

 

ナウシカブレードランナーなど。どこかで聞いたようなディストピア設定を掛け合わせた世界観。

ウイルスに侵されさえしなければ、ほぼ永遠の命を得た人類。けれど日々の生活は殆どバーチャルで、人との接触もなく生殖能力もない。淡々とした日常。

好奇心と、ある意味暇つぶしも兼ねて調査員に志願。地下世界のもっと下層、マリガンの生息する場所まで降下したパートン。けれど降下途中で追撃に会い。頭部だけになってしまったパートンは「地獄の3鬼神」こと3バカに拾われる。ラボに運ばれロボットの体を得たパートン。初めは記憶を失っていたが、次第に記憶を取り戻し、マリガンたちの世界を目の当たりにしていく。

 

キャラクター達は、先述したNHK教育番組でお見掛けしてもおかしくないような愛らしい造形。主要なキャラクターは勿論、虫っぽい生物から誰彼構わず襲い掛かってくる野獣まで、どことなく愛嬌がある。(寧ろ人類の方が気持ち悪い)

おっとりした野獣「トロちゃん」や、高級食材で人間遺伝子由来のクローンである「クノコ」の「いやいやいやそれってさあ~」という造形。

そして圧倒的な迫力で畳みかけてくる「地下世界」。

全てが手作りとは思えない、武骨な工場要塞感。「~工業地帯」とかの映像を延々見続けられる性癖の人(当方も含む)には堪らん画作り。

…とまあ、総じて「男子って本当にこういうの好きなんだからあ~(誰?)」という夢の世界なんですわ。

 

日常に飽きて刺激を求めていた主人公が、未知の世界に飛び込んで目にしたモノ。相容れないのかと思っていた生命体とのふれあい。危険生物。ヒロインとなる孤独な少女との出会い。そして最後に最高の見せ場を作ってくれた3バカたち。胸が熱い。
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(あの3バカたちのフィギアが販売されたら間違いなく購入するんですがね。最後に知った彼らの名前も素敵過ぎた…。)

 

「苦しい事もあるだろさ 悲しい事もあるだろさ だけど僕らは挫けない 泣くのは嫌だ 笑っちゃおう 進め(ひょっこりひょうたん島テーマソング)」

 

「え。コレ続くの。」

最後に何が一番驚いたって、この作品が一話完結では無かったこと。そしてどうも「三部作構想」があるらしいという噂に「おお…」唸るばかり。だって…制作に7年…。

 

パンフレット1500円。パンフレットにしては高額ですが、この収益はそのまま次回作への製作費になるという話と、単純に製作秘話が知りたくて購入に至った当方。

おかげさまでふんわりとした理解で進めていた脳内補完も出来たし、何より全ページカラーで読み応えのある内容。これは買って損はしない。

 

かなり気長に待つことになりそうな続編公開。けれど一度この世界を観てしまったからには、是非ともクオリティは維持したままの続編を期待したい。

パンフレットで見る限り、色んな意味で過酷な製作現場であるようですが…是非ともご自愛頂きたい。(お金があれば全てが解決する…訳ではなさそうな印象)

 

どれだけ掛かっても最後まで見届けたい。

そう思う作品が現れました。

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映画部活動報告「ノマドランド」

ノマドランド」観ました。
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2008年、アメリカ。大手証券会社破たん…いわゆるリーマン・ショックによる経済危機はあらゆる世代に影響を及ぼした。

主人公のファーン(フランシス・マクド―マンド)もその一人。

ネバダ州エンパイヤで臨時教員として暮らしていたファーン。夫の働いていた工場が閉鎖。夫とも死別した。

工場で持っていた町は活気を無くし…人口が減少したことから町としての機能を失い、遂には郵便番号が消滅。住んでいた住民達は住む場所を失った。

「またひとつ、村が死んだ…(ナウシカ風)。」

 

住む場所を失ったファーン。家財道具一式をキャンピングカーに詰め込んで、住み慣れた町を後にする。こうして彼女は〈ノマド(=遊牧民)〉となった。

移り行く季節の中。短期労働の現場を渡り歩く。その中で出会うノマドたちとの交流。

 

ジェシカ・ブルーダ―著『ノマド 漂流する高齢労働者たち』原作。クロエ・ジャオ監督。主演のフランシス・マクドーマンドとデイブ役のデヴィッド・ストラザーン以外は実際にノマド生活を送る人々が出演。ドキュメンタリーとフィクションが融合する作品となった。

 

「人はただ 風の中を 迷いながら 歩き続ける(遠い日の歌)」

 

映画を観る醍醐味とは?

人により様々でしょうし、当方も一言で語る事は出来ない。けれど…映画を観る事で知る「こういう考え方もあるのか」「こういう世界があるのか」という発見と驚き。それは映画が持つ、紛れもない魅力の一つだと思う当方。

 

「ああ。今とんでもないものを観ている。」

 

ノマドランド』を観ている最中。目の前にファーンという女性を通じた世界が広がっているのに、終始一点集中が出来なかった当方。

というのも。「人生をどう生きるか」について考えていたから。

 

『ACP/Advance Care Planning:アドバンス・ケア・プランニング』

将来の変化に備え、将来の医療及びケアについて、患者さんを主体に、そのご家族や近しい人、医療・ケアチームが、繰り返し話し合いを行い、患者さんの意思決定を支援するプロセスのこと。患者さんの人生観や価値観、希望に沿った、将来の医療及びケアを具体化することを目標にしています。(東京都医師会より抜粋)

 

近年医療業界で見かける言葉。いわゆる『人生会議』ことACP。

自身の終末期をどういう風にするか。それを心身共に健康な内に家族や周囲の人間と話し合い、自分の意思を伝えておくこと。もし自身に不測の事態が発生し、生死を彷徨う羽目になった時…延命を行うか死を選ぶのか。その選択と決定を自分以外の人にさせなくて済むために。自分らしく生きる、または死ぬために。事前にそういう話しをしておきましょうという内容。

 

この物語の主人公、ファーン。夫とは死別。臨時教員として働いていた頃もあったけれど今は無職。

住み慣れた町は事実上消滅。家財道具一式担ぎ込んでのキャンピングカー生活。それを〈ノマド遊牧民)生活〉と言ってしまえば恰好が良いけれど…それは『ホームレス』と紙一重じゃないか。いつ破たんしてもおかしくないぞと思った当方。

というのも。ファーンがリタイア世代…つまりは高齢者世代であるから。

 

慎ましやかな(当方なりの配慮)キャンピングカーに乗って。寒さに震え、雨風に身を縮め。短期労働を繰り返しながら転々と移動する。

時に同じ境遇の仲間たちと交流し。これまでの互いの半生を語り合う。互いに不要なものを交換し、本当に必要な持ち物だけで暮らしていく。

今まで見る事が出来なかった景色を見る。新しい時代の遊牧民。何にも囚われない。

 

「でも。彼らはその生活を望んで始めた訳では無いんでしょう?」

ノマド生活を送る高齢者たち。各々の背景は違えども、かつては皆『家』を持っていた。しかし、経済的な理由で住む家を失った事からこの生活が始まった。

「今の方が自由」そう言うけれど…どうしてもどこか強がっているように見えるし、できれば辞めて欲しい。そう思うのは、おそらく当方がファーンたちの子供世代だから。

 

「一緒に暮らしましょう。」ファーンにそう声を掛けたファーンの姉。あの姉の気持ちはよく分かる。

 

気高く生きることは素敵だけれど、やはり家族にはきちんと食べて暖かいベットで休んで欲しい。ふきっさらしの屋外で車中生活なんて辞めて欲しい。

自分を幾つだと思っているんだ。みっともない。こんな歳で若い子に交じってバイト生活なんてせずに、のんびり暮らして欲しい。

あくまでも想像ですが。当方の両親がノマド生活を送ると言い出したら…絶対にそう言って反対するだろう。そう思うのですが。

 

「私はもう長くない。」

あるノマド女性が語った死生観。自身は癌を患っており、エンドステージに居る。そんな彼女がファーンに語った意思決定。今の自分の状態や、だから今後どうするつもりだという計画。

そこまでの覚悟を持ってノマド生活を送っているのならば…もう口出しは出来ない。溜息をついてしまった当方。

 

「自分の人生は自分で決める」「親であれ子であれ。誰も邪魔は出来ない」「自分の人生は他の誰かのものではないのだから」

当たり前だけれど…それは時に、家族やその人を大切に想う人にとっては寂しい気持ちになる。

 

途中でノマド生活から降りた人。ノマド生活を続ける人。家で家族と住み続ける人。誰もが間違いでは無い。自分で決めたのだから、とやかく言われる筋合いは無い。

 

「いつかまた会える」ノマドの人が語った言葉。この生活をしていればいつかまたどこかで会える。生きていれば。そして風になった時も。

 

この世に生を持った。けれど必ずその命は尽きる。がむしゃらに日常を生きる日々がある。けれどそれがひと段落した時…人は自分の人生をどう振り返り、どう締めくくろうとするのか。

 

「こういう生き方を選ぶ人たちが居るんだ。」

この作品を観て打ちのめされ…身近な人を想い。そして最終的には自身について考える。果たして当方なら?どうする?どう最後を生きるだろう?

 

「ああ。今とんでもないものを観ている。」

 

これはただの物語にとどまらない。アメリカのとある人々を題材にしているけれど…普遍的な「どう生きるのか」という問題を観ている者に突きつけてくる。

 

「こういうのがあるから面白いんよな」

これもまた映画を観る醍醐味。こちらの価値観をグラグラ揺さぶってくる。おいそれと回答なんて出ないけれど…たまらなくてゾクゾクする。これは傑作。

 

お薦めなのに万人受けしそうにありません。

映画部活動報告「まともじゃないのは君も一緒」

「まともじゃないのは君も一緒」観ました。
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女子高生の秋元香住(清原果耶)と予備校講師の大野康臣(成田凌)。

香住が通う予備校の数学講師、大野は数学一筋の変わり者。土台は相当良いのに、無頓着な身なりとコミュニケーション能力の低さ故に恋人の影など皆無。

けれど。「自分はこのまま一生一人なんじゃないか」「自分だって人並に恋をしたい、結婚だってしたい。」そんな悩める大野に恋愛指南をすることになった香住。

「もうちょっと普通に会話出来たらモテるよ。」「こういう時はね。」

訳知り顔で恋愛のノウハウを手引きするけれど。実際には恋愛経験が無く、SNSなどで得た知識を総動員させる香住。

 

憧れの青年実業家、宮本功(小泉幸太郎)に婚約者が居ると知り大ダメージを食らった香住。けれど直ぐに気持ちを切り替え、作戦開始。恋敵である君島美奈子(泉里香)との仲を裂くべく「女の人と付き合えるようになる練習」と大野を接近させる。

「どうせダメ元。」そんな気持ちもあったのに、何故かおかしな方向に進み始めて。

「普通が分からない」大野と「普通を知ったかぶる」香住の行きつく先は?

 

監督:前田弘二×脚本:高田亮のオリジナルストーリー。

 

「一言で言うと、可愛い作品だった。」

眉が下がりっぱなし。不器用な二人が何だか愛おしくなる。噛み合っていないまま強制的に回す内に、歯車が合ってくる会話がどんどん癖になってくる。

 

「最近の予備校って個人授業なのか!」昨今の学習塾事情なんて、電車内広告でしか知り得ない当方がまず驚いた設定。

だって…当方が女子高生で、担当に成田凌が付いたらもうそれだけで毎日が浮足立ってしまう。けれど…そこは冷静な女子高生、秋元香住。

(話が脱線しますが。成田凌って、当方が認識し始めた数年前はグットルッキングと甘ったるい喋り方から、いかにもスケコマシな役(クラスのカースト上位男子とか)が多かったんですが。最近グッと演技の幅が広がりましたね。二枚目キャラ以外でも見かけるようになった。)

 

香住が大野に繰り出す言葉の散弾銃。

「先生見た目は良いんだからさあ。もっとまともな恰好したら。」「普通に会話できたら彼女出来るよ。」「普通にしてりゃあ良いのに。」

まとも(普通)のゲシュタルト崩壊。一体普通ってなんだ。普通の人ってなんだ。

「普通を手に入れたら、自分は一人じゃなくなる?」

 

「一人が寂しいという感情はあるんじゃないか…。」

恋人や配偶者を持たない人が増えているこの現実社会。御多分に漏れず当方もその部類に属しているけれど…切実に「一人が寂しい」「誰かと一緒に居たい」とは思わない。

数学命。そんな大野が誰かとの繋がりを求めている点に意外性を感じましたが…そんなところで躓いたら物語が始まらないという事は理解していますので目を瞑って。

 

香住の憧れの人、青年実業家の宮本。

これがまた…清々しいまでの薄っぺらさ。

『教育関係』『知育』子供が何にも抑え受けられることなく伸び伸び育つ環境とは。多分元々の志しはご立派なんでしょうが。いかんせんその内容は雲のようにふわふわと掴み所がなく実体が無い。

かつて辛かった時に救われた。そこから妄信的に入れ込んでいた宮本には婚約者が居た。

戸川美奈子。宮本がグローバルに活動するにあたり有力な後ろ盾となる権力者の娘。

香住は明らかに政略結婚だと言い放ち二人の中を裂こうとするけれど。

 

「美奈子さん。良い娘さんやないの。当方は好きやな。」

金持ち。ホテル王の娘。華やかな見た目も相まって、どんな高慢ちき(死語)かと思ったら。意外と気立ての良い家庭的な女性。

 

結婚寸前の婚約者は、仕事で仕方ないとはいえ自分の父親とばかり行動。自分は置いてきぼり。この人との結婚生活は大丈夫なのかしら。そんな時に現れた大野という風変わりな男性。

「普通になりたいんです。」真顔でそう言って。何もかもに初々しい反応を見せる。

けれどそれは嫌じゃない…。正直な大野と一緒に居ると安心する。

 

二人の出会いと接近をセッティングしていた香住。二人が出会うまでこそドタバタしたけれど、いざ大野と美奈子が対面してしまったあたりから慌て始める。

「こんなはずじゃなかった。」美奈子は高嶺の花。あっさり玉砕すると思ったのに、何だかイイ感じになってしまった。どうしよう。

 

「相談に乗っていた相手を好きになってしまうって。少女漫画王道のヤツやんか(当方心の声)。」

自覚してしまった大野への恋心。けれど…どうしていいのか分からない。だって恋なんてしたことが無かったから。

 

香住からやたらと出てきた『普通』というフレーズに。「若いなあ~」と思った当方。

普通とは何か。香住が指していたのは『空気を読める行動が出来る人』だと当方は感じましたが。

「『空気が読める=場を丸く収めるために自分が我慢する』ではない」という答えを出した大野。

 

自分が大切だと思う人が誰かに傷つけられるのは嫌だ。

自分の心を偽ることはよくない。

 

まともという言葉が『普通』とイコールで結ばれる表現が多々ありましたが。そもそもまともとは『正面から物事に向き合う』ことで。

それがきちんと出来て然るべき行動が取れた大野は…確かに『普通』ではない。

 

誰かの真似をしたり、周りから浮かない様に努力して。当たり障りのない人間になれば恋が出来るなんて…それこそ恋愛経験がない人間のいう事。だってそんな人間、誰も見つけられないから。

 

不器用で変わり者。でも二人で居たら楽しい。自分のとっておきなお気に入りの場所を、この人になら教えてあげても良い。きっと気に入ってくれる。

「そんな相手が見つかるのは本当に幸せだ。」そう思った当方。

とはいえ。宮本と美奈子もまたお似合いの二人なんだなと思わせた最後。まさに破れ鍋に綴蓋。

 

1時間38分というコンパクトさ。ほとんどが会話劇でそのテンポの良さ。そして主人公を始め、結局は「ここには悪い人などいません」。登場人物全員が愛おしくなる。

「一言で言うと可愛い作品だった。」

 

エンドロールはひたすら笑顔。こういう作品は大好きです。