ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス」

「しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス」観ました。
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1903~1970年。カナダでは知る人ぞ知る、女性画家モード・ルイス。

素朴で天真爛漫な作風の彼女の生涯。

若年性リウマチに侵され。共に人生を歩んだ夫エベレットとのなれそめ。そして二人の日々。

 

「『シェイプ・オブ・ウォーター』で主演女優賞ノミネート?むしろこっちだろ」そんな声を聞いて。

「いや。いいんやけれどさあ…題名、どうにかならんかったかね?」そんな事も思いながら。公開から少し経った日に。観に行く事が出来ました。

 

サリー・ホーキンス。先述した『シェイプ・オブ・ウォーター』ですっかり有名になりましたが。
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「正直、美形な女優さんでは無い。けれど脇役に居て、しっかりその存在を知らしめる。そして段々可愛く見えてくる、チャーミング(便利な言葉)女優」

 

日本人では安藤玉枝さんだと。そう勝手に想定している当方。

この手のチャーミング女優は引き出しが数多あり。決して目立ったり小奇麗なポジションには立たないけれど、エロから底辺から知性派から純度の高いキャラクターから。正にカメレオン的に表情を変える。

 

ブルージャスミン』でのケイト・ブランシェットの妹役。そして『GODZILLA』。

GODZILLA…流石GODね…」思わず鑑賞後一緒に居た映画部長に「そういう意味でしたっけ?」と確認。「いや。ゴリラとクジラやで」と即答の部長。

 

脱線が過ぎましたが。兎に角チャーミング女優サリー・ホーキンスの真骨頂。そういう作品でした。

 

両親はもう居らず。たった一人の兄は借金で首が回らず。嫌味な叔母と二人暮らし。

このままでは居場所が無いと。雑貨屋での『家政婦募集』のメモを頼りに男やもめエベレットの家に住み込みで働く事になったモード。

 

「また。その無骨な男やもめがイーサン・ホーク‼」


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『Mr.無骨』として勝手に当方が認識する、イーサン・ホーク。今回もまた。『孤児院で少年時代を過ごし。今は魚売り、クズ鉄売り。その他孤児院の手伝いでてんてこまいの男やもめ:エベレット』。不器用で無骨。言葉足らずの男を。好演していました。

 

そんな二人の手練れ役者。それだけでもう。殆ど勝った(何に?)も同然。後はもう…お話さえしっかりしていれば。身を委ねるだけ。

 

エベレットの家に転がり込んだモード。けれど初めは全くうまくいかなかった。

「どうしたらいいのか指示してよ」どこかお客さん的な態度もあったモードと、「お前は一日中遊んで怠けていたのか」「言われなくてもやれ!お前は使用人だろうが!」と猛々しいエベレット。二言目には「やる気が無いなら帰れ!」。

 

初めて会った時。「歩き方が変だ。何か障害が?」とエベレットに聞かれたモード。「歩き方が変なだけよ」決して作中では病名を明かさなかったモード。

そして(お前は手が掛かるという表現はしていましたが)「病気だから」と家政婦時代に特別扱いしなかったエベレット。

 

当方は『モード・ルイス』という人物については詳しくありませんが。サリー・ホーキンスが演じるモードを見て「筋・神経系の疾患を持っている人物なんだな」と直ぐに思いました。

如何せん、経験した訳では無いので上っ面な発言になりますが…筋・神経疾患は今すぐ死に至る病では無いにしろ、不可逆的に加速する、十分にADLもQOLも脅かされる病であるという認識はあります。

あの叔母。そして作中エベレットが言っていたように。「お前は手が掛かる」。

そういうシーンは作中殆どありませんでしたが。

例えば。自力で歩行して自立してる様に見えても、健康な人から見たら緩慢で危なっかしい。そしてサポートが必要な事もある。

そうして『自分をサポートしてくれる』相手に。どこか引け目を持ってしまう。申し訳ない、そういう思考が。往々にして身体的マイノリティーな人たちにはある様に…当方は思っていたのですが。

 

「貴方には私が必要でしょう?」

 

初めこそ。無骨で。下手したら手が飛んでくるエベレットに言葉を失ったけれど。

「まだ一度も給料を貰っていないわよ!」食ってかかって。

「蕪のスープなんか食わねえ」とはねつけられれば、鶏を絞めてスープを作る。その逞しさ。(当方の祖父母は鹿児島県の人で。鶏を絞める所を見た事がありますが…大変やったと思いましよ)

「いやいやいや。それは流石に…」という「二階のベットは広いから一緒に寝る」という二人。案の定…けれど「これ以上進むなら結婚して」

 

『家政婦』という立場で来たものの。そして「何だか体が不自由…」という気になる点があっても。モードは決してエベレットに対してへりくだったりしなかった。

初めは恐る恐る。けれど。彼女はエベレットに対し主張するべき所はして。決して「私は家政婦だから」とか「身体障害者だから」という態度では無かった。

あくまでも私達は対等。当たり前だけれど…当たり前に思えない人はいくらでも居るのに。

 

「もう長く一緒なんだから。貴方には私が必要でしょう?」

 

また…無骨なはずのエベレットが。家中が絵具でファンシーにペイントされていくのに。初めから殆ど拒否していない。(当方なら、たとえ持ち家でも家に絵を描かれたら怒りますけれどね。どちらかと言うとシンプル派なんで)

 

二人の結婚式。
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「俺たちは一組の靴下だ」その下りが愛おしくて。

 

あくまでも史実ベースなんで。そこからの流れに対して「そうですか…」とやんわり見ていくしかない当方。

シンプルな夫婦の形。虚飾など無く。贅沢なんて必要ない。裕福とはどういうことか。

電気も通っていない、そんな小さな小屋での生活。けれど二人はそれ以上のものは望まなかった。ただ…ハエが入らないように網戸を貼る。そいう事が幸せで。私たちは二人で一つ。最高の伴侶に出会えた。貴方と居たら楽しい。それで十分。
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筋・神経系疾患の患者に多い終末。「ねえ。貴方犬が好きじゃない。また犬を飼ったら?」

出会った頃。「お前は犬より下だ」そう吠えていたエベレットに。命が尽きそうな時にほほ笑みながら言うモード。「いや…もう犬はいいよ」そう答えるエベレットにボロボロ泣く当方。

 

下手にお涙一杯のエンディングにしなかったのも好感。なのに…ラストシーンでもう何回目か分からない感情のビックウェーブに飲み込まれて。タオルを口に押し当てた当方。

 

アカデミー賞等の大きな賞レースで日の目を見なくても。地味でもしっかりした作品は数多ある。

 

今まさに大きな作品公開目白押しの中で。埋もれて欲しくない良作を観る事が出来ました。
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映画部活動報告「15時17分、パリ行き」

「15時17分、パリ行き」観ました。
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クリント・イーストウッド監督最新作。

2015年8月21日。アムステルダム発フランスパリ行きの列車で。イスラム過激主義思想者に依る、『タリス銃乱射事件』こと無差別銃発砲テロ事件。

その場に立ち会い。初動で阻止した、若きアメリカ人青年3人。

 

実際にその事件に居合わせた。そして対峙した青年3人に。『本人』として出演させた。

そんな、実験的作品。

 

実際に。列車内でテロに遭遇し。対峙した(左から)アレク、アンソニー、スペンサー。
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最近。『アメリカン・スナイパー』『ハドソン川の奇跡』等、『THE 近年のアメリカ事件史』を題材に撮る事の多い御大が。

 

「遂に役者を使わず。実際の事件の当事者を使って。しかもその3人だけじゃなくて。列車の売り子や警官。居合わせた乗客なんかもかき集めて。そうやって撮った。壮大な再現フィルム」

 

主にはスペンサー(地獄のミサワ風なビジュアル)視点で。

 3人の青年たちの。少年期の出会い。挫折だらけの日々。「こんなの意味ないだろ」そう思って燻りながらも積み上げた軍での訓練。それが。

 

「人生に無駄な事なんて一切ない」

 

思わず押し黙ってしまう。正に運命に導かれた、そんなあの時。

 

94分。映画としてはコンパクトな作品。

 

列車での事件描写は…おそらくその中でも10分位。じゃあ他の時間はと言うと。3人の青年たちの出会いと葛藤。そして休暇を利用したヨーロッパ旅行。

 

普通の作りであれば。この『事件発生』の下りに時間を割いて。そこに関わった人物達のヒューマンサブストーリーを情緒たっぷりに描き出す。

 

「俺。この旅が終わったら恋人に結婚を申し込むんだ」「なあ。お前たちは覚えているか?俺たちが出会ったあの時を」「俺たち。いつだって最高だったよな!」主要キャラクターのうち誰かがこんな事を言おうものなら。「こいつ…死ぬな」そんなフラグも無し。なにしろこの作品の彼等は今も生きている。

 

とんでもない有事に遭遇してしまった人達。彼らは特別な人では無い。これまではごくごく平凡な。そんな人生を送ってきた。けれど。

 

一見平凡な。そう見える彼らの物語を紐解けば。何とも不思議な『ここに来るべきして来た』という道のりが見えてくる。

 

スペンサー。アレク。冴えない少年時代。キリスト教系学校で。教師にはADHDと言われ。共に落ちこぼれて腐っていた。そんな時。出会った黒人のアンソニー。瞬く間に友情が芽生えて。

ともに成人し。スペンサーとアレクは軍に入って。3人は休暇を合わせ『ヨーロッパ横断旅行』に出かける。

 

「誰かの役に立ちたい」そう志願して軍隊入り。努力したけれど、身体検査の結果思っていた部署には配属されなかった。

「有事が起きた時にどうやって身を守るか」「傷ついた人をどう助けるか」「護身法」地味…こんな事を身に付ける為に自分は軍隊に入ったのか。そんな思いも過るけれど。

 

「そりゃああんた。この日の為やったんやで」終盤。余りの適材適所に唸った当方。

 

この事件は…大体的に報道されましたし「ドキドキハラハラ。一寸先も見えないスリル」みたいな話ではありませんので。あっさりとまとめていきますが。

 

「この作品がつまらない」という感想。正直、分からなくはないです。と言うのも、「男3人のヨーロッパ旅行」のだらだら描写が結構長いから。

 

実在の人物。過剰な演出は無い中で。彼らの生い立ちにこれ以上の肉付けは出来ない。フィクションならば。もっともっと思わせぶりな引っ掛けが作れる。でも。彼らはフィクションでは無い。

 

「素人を起用?」そこに感じた不安。「どうせ、目も当てられない棒だろう」

 

彼等は確かにプロの役者では無い。けれど。スクリーンの中の彼等は決してみていられないような有様では無かった。想像以上に自然だった。

 

「これは演技では無い。無理に演じなくていい。ただ。あの旅を再現して欲しい」

 

恐らく。御大が彼等に要求したのはそれだけ。けれど。それはどれだけ難しい事か。

 

(勿論、百戦錬磨の製作スタッフ達が数多のセッティングとフォローをしたのだとは思いますが…)

 

彼らが一番ナチュラルに再現出来る方法。それは『同じ状況を作る事』。

 

だから。観ている側からしたら一見間延びしてしまう、男3人ヨーロッパ旅行。何てことのない現地の人との交わり。旅ならではの馬鹿騒ぎ。一見メインとは関係ないけれど。そうやって3人の記憶を引き出していく。そんな演出、見た事が無い。

 

そして。実際の列車と同じモノを貸し切って。乗り合わせた人達をかき集めて。そうして彼らで『あの時どうだったか』を再現させる。

 

「この事件がトラウマになった人は…云々」という声も聞きましたが。…トラウマになっていたとて。この事件を再現する。そうして出来上がった作品を通して俯瞰から自身が感じたいと思って参加したんでしょう、と思う当方。

 

ごくごく平凡な。と先述しましたが。この事件に於いて『有事に遭遇した際の対処』を徹底的に訓練されていた人物の存在は遥かに大きい。彼の存在が無ければ…ぞっとするような被害が発生したはずで。けれど。彼がこの列車に居合わせたのは本当に偶然。

「何故だかパリに行かなけばいけないと思うんだ」他の二人が気乗りしない中。スペンサーの気まぐれ。それだけ。

 

お涙頂戴のヒューマンドラマも無い。手に汗握るスペクタルも無い。ご都合主義も無い。美男美女のラブロマンスなんて微塵も無い。

数多の観てきた作品の枠には嵌らない。なのに。

『事実は小説より奇なり』正に。これが現実。けれどそれは奇妙な偶然に導かれている。

 

クリント・イーストウッド監督87歳⁈

 

全く…御大はまだまだ衰えず。仕掛けてくる罠にまたもや引っかかるばかりです。

 

映画部活動報告「シェイプ・オブ・ウォーター」

シェイプ・オブ・ウォーター」観ました。
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「幾多にも姿形を変える、愛のために」

 

ギレルモ・デル・トロ監督作品。90回米アカデミー最優秀作品賞受賞作品。

 

1962年。冷戦時代のアメリカ。政府の研究施設で清掃員とした働く、主人公のイライザ(サリー・ホーキンス)。
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赤ん坊の時、川辺に捨てられていた彼女。心無い人物に依って声帯を傷つけられていた彼女は声を発する事は出来ず。

劇場の上のアパートで独り暮らし。夜勤勤務なのもあって。夜の決まった時間に起床。食事の準備をして。入浴しながらマスターベーションをして。隣に住む、売れない画家の友人に食事を差し入れして。0時から朝までひたすら掃除。仕事が終わったら画家とテレビを見ながらまずいパイを食べて。そういう日々を過ごしてきたけれど。

 

ある日。研究施設に秘密裏に運び込まれた『半魚人』。南米では『アマゾンの神』とあがめられた未確認水洋生物。当然研究職員とはコミュニケーションが取れず。けれど。

ふとした事から。『彼』の存在を知ってしまったイライザ。そして恋に落ちて。

 

「デルトロ監督が『愛』をテーマにしたら。こんなに優しいおとぎ話になるのか…」

 

男子が大好き監督。押井守庵野秀明黒沢清タランティーノ。そしてギレルモ・デル・トロ

「思春期。ロボット。お化け。怪獣。西部劇。ドンパチ」エトセトラ。エトセトラ。

その中でもデル・トロ監督は主に「怪獣」「ロボット」の「日本オタク」な印象が強く。

当方の属する、たった二人の映画部でも。『パシフィック・リム』の話題が出ようものなら映画部長はエンドレスに熱を帯びて語りに語り。

それに対し。毎回静かに「デル・トロと言えば『パンズ・ラビリンス』は最高ですよ」と打ち返し続けた当方。
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今作の『彼』。
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(サワーズの亀そっくり‼)パンズ・ラビリンスでも奇妙な生き物を演じた、ダグ・ジョーンズが演じたと知って胸が熱くなった当方。
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「やっぱりデルトロ界の変な奴は彼じゃないと‼」

 

サリー・ホーキンス。決して美人な女優ではないけれど。『GODZILLA』『ブルー・ジャスミン』等。結構色んな作品に出ているので顔は知っている。

華は無いかもしれないけれど、安定安心の手練れ役者。(日本人で言ったら安藤玉枝ですかね)

今作の主人公イライザ。声が出せない。手話で会話して。一見内気で地味な女性だけど。決して彼女は臆病では無い。恋をしたらまっしぐら。そうして、色の無かった彼女の世界は鮮やかな色に染められていく。

 

『異形の者同士の恋』

 

半魚人という、文字通りの異形の者と。はっきり言うと…不美人な上に発声にも障害がある中年女性(なんて失礼な言い回し。震える…)の恋。

 

この二人の、ぎこちなくも果てしなく純度が高い恋愛について語る人は多いと思いますが。

 

 「周りの人達の姿よ…」

 

主人公イライザと、半魚人の彼。二人は直ぐに恋に落ちて。何だかんだラブラブじゃないですか。デル・トロがまさかセクシャルな部分をこんなに突っ込んでくるとは思いませんでしたけれど。まま満ち足りた性生活を送って。けれど。

「結局ここでは生きていけない…」という人魚姫展開。そんな切なさ…もありますが。

 

「悪の全てを担ったマイケル・シャノン演じた警備員。ストリックランド」
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政府の研究施設で。未確認水洋生物ですよ?そんな得体の知れない生き物と対峙する担当者。見た目もグロテスクで。決して愛せない。だから暴力でねじ伏せようとした。そうしたら案の定。暴力は暴力しか生まず。痛い目に遭ってしまって。尚更募る嫌悪感。

「電流が流れるこん棒」というアイテム片手に『彼』を虐待する姿。憎たらしいけれど。

施設から帰れば愛する家族が居る。妻と子供二人と。郊外の一軒家に住んで。「いい所じゃないの」と妻は満足してくれているけれど。もっと。もっといい暮らしを都会でさせてあげたい。

終盤。主人公カップルを追い詰めながら。誰よりも追い詰められていたストリックランド。その悲壮感。

完全な悪者であれば憎めるのに。なのに。血の通った哀しさ。

見ないふりをしたかった。見たくなかった。けれど。俺は確実に腐っていってる。もう戻らない。

あの指…。彼を象徴した、あの二本の指。

 

そして、彼女の友人。イライザの隣家に住む売れない画家、ジャイルズ。
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「えっ?二人恋人じゃなかったっけ?」序盤。思わず声に出しそうになった当方。だって。あんなに仲睦まじくしていたのに?

(って、錯覚しますがジャイルズ ゲイ設定なんですよね。となると、奇跡の『男女間の友情』が成立しているパターンなんですね)

 

多くは語られなかったけれど。「今は酒は呑んでないよ」そういう失敗をしてしまった過去があったのか。解雇されたかつての会社の上司に絵を持って行くけれど。時にはやんわり。時にははっきり。上司は彼の画を受け取らない。

「君がいるから生きていられるよ!」「君といると楽しい」そうやってイライザと過ごした。単調だけれど愛おしい日々。なのに。

「私と彼は一緒なの!」「彼を救わないなんて。私たちも人間じゃないわ!!」何故。イライザにそんな依頼をされる。「好きな人が出来た。運命の人なの」って。安住の仲間に一番言われたくない言葉。なのに…協力するジャイルズ。送り出す役目なんて。全当方が泣く瞬間。

 

イライザを取り囲む人達が余りにも優しくて。先述のジャイルズ。そして清掃員仲間ゼルダ

売れない画家。ゲイ。黒人。彼らもまたマイノリティで。社会の隅っこで暮らしていた。大切な友人イライザが。明らかにおかしな相手との恋に落ちて。でも。彼らは初めこそ驚いたけれど。決して笑わなかった。二人の恋を後押しした。

優しい…優しすぎる世界。

(加えてあのソ連の人…不憫すぎる)

 

優しすぎる。夢の様なおとぎ話。けれど。

 

「二人は幸せに暮らしましたとさ」ストーリーの語り手であるジャイルズに語らせて。

そうやって『おとぎ話』として二人の世界を閉じさせた後。

一体。一人になってしまったジャイルズはどうなってしまうのか。

 

美しくて。不思議で。これで良かったと言い聞かせるけれど。終いには堪らなく切ない気持ちが溢れだしてしまう。

 

「デル・トロ監督作品でこんな気持ちになるなんてな…」溜息が止まらない。そんな作品でした。

 

映画部活動報告「ビガイルド 欲望のめざめ」

「ビガイルド 欲望のめざめ」観ました。
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トーマス・カリナンの同名小説。1971年にはクリント・イーストウッド主演で『白い肌の異常な夜』が公開された。

 

1864年南北戦争の最中。バージニア州にある、女子寄宿学校。

決して貧しくは無いけれど。帰る場所の無い5人の生徒と。若き教師。校長。
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女ばかりで暮らすその学校。ある日、学生の一人が学校敷地近くの森で負傷した北軍兵士を発見する。

幼い彼女が連れてきた敵方兵士に対し、恐怖、動揺する面々。しかし。

マーサ校長の「傷が癒えるまではここで面倒を見る」という判断に依って学校に転がり込む事になった兵士、マクバニー。

女ばかりの閉ざされた空間。規律正しいその世界に。突然現れた男性。

 

正直、この原作も。1971年版の作品も。全く未読の当方ですが。

 

「女ばかりの世界に。ある日突然やって来たコリン・ファレル‼色気付く女たち」

 

下品な言い方をするとその一言。だってコリン・ファレルですよ?『セクシー』の権化ですよ。
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(おっと。悪意がある写真選択。ですが。当方はコリン・ファレルの「俺色っぽいぜええ~(こんな馬鹿っぽくないですけれど)」と言わんばかりの姿より、この『ロブスター』の彼の方が好きです。(下手したら一番好きです)そしてこの作品のコリン・ファレル、十分に色っぽいですからね。
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幼い子供から思春期まで。幅広い年代を預かっているこの学校の。思春期クラスに属するマリシア(エル・ファニング)。「こんなつまんない場所に居るなんてと」。反抗気味。こまっしゃくれた態度を取る彼女は当然、マクバニーに興味津々。

 

若き女教師。エドウィナ(キルティン・ダンスト)。「ここで私は朽ちていくの?」と自身を持て余す日々。子供達は可愛い。マーサ校長は尊敬できる。けれど。私はずっとこうして生きていくの?

そんな時彼は現れた。うんざりしていた日々から私を救ってくれるかもしれない。そんな彼が。

 

マーサ校長(ニコール・キッドマン)。清く正しく美しく。いつだって凛として。最善の決断を即決。だって私はここに住む皆を守らないといけないのだから。そうして自分を律していたけれど。

久しぶりに。唐突に現れた『男』に。図らずも胸が高鳴ってしまう。

 

総勢7人の女の城。そこに一人放り込まれた、精悍な男性。『THE 酒池肉林』。

 

ああもうもどかしい。当方が原作未読なのも、「男性主観の『白い肌の異常な夜』」を観ていないのも。

 

ソフィア・コッポラ監督。言わずと知れたフランシス・フォード・コッポラ監督の娘。

当方は2006年『マリー・アントワネット』を観たのみですが。

 
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「あの時のキルティン・ダンスト。可愛かったですね」強張った声を絞り出す当方。と言うのも…。

 

マリー・アントワネットを語るに於いて『ヴァレンヌ逃亡』の走りで終わるってなんじゃこりゃああ!(以降下品な悪態)。ただのお洒落映画に落としてんじゃねえよ!だから『ガールズムービー』っていうジャンルは馬鹿にされているんだよ!!(以降下品な悪態)」

 

高校生当時。ある日何故か妹が買ってきた『ベルサイユのばら池田理代子著』。

「目がキラキラの古典やろう~」と馬鹿にしながらも。借りて読んで、直ぐに目からボロボロと鱗が落ちた当方。

ルイ16世とその妻、マリー・アントワネットフランス革命前夜。つかの間の堕落した贅沢三昧な生活と。もう取返しの無い時代の歯車に飲み込まれた。『断頭台の露に消えた』女性。

史実の人と。オスカル、アンドレの架空の人物との絡み。アンドレの。オスカルの最後に声も出ずに号泣した高校生の当方。

そして読了後。遠藤周作著『王妃 マリー・アントワネット』も直ぐに読んだ当方。

そんなフランス革命マニア当方の怒り。

「よくもまあ。こんなに薄っぺらく作れるもんだよ!!」

 

以降。何となくソフィア・コッポラ作品は敬遠してきました。

(有名監督の娘云々の話しもあると言えばあるのですが。その為に別の二世女性監督を引き合いに出して「どちらもファッション写真だけ撮っておいてくれ」と言うのはナンセンスなので。これ以上は言及しません。していますが)

 

ですが。題材とキャストを観て。前作から12年(‼)経っているのもあったので…観に行ってみた…のですが。

 

「流石。画面は美しい。以上」またもや。強張った声を絞り出す当方。

 

未読ではありますが。恐らく原作通りに進んだのであろう展開。

美しくも鬱屈した女達の城にある日飛び込んできたエロい男。同時多発的に色気付く女達。無意識を装った、同性同士ではミエミエのセックスアピール。あざといとあざけって。

また。回復するにしたがって。調子に乗り始める男。

「君は唯一の友達だ」「君は美しい」

挑発的な視線にはもれなく反応して。そうやって女達をたぶらかしていたけれど。

 

「女達が手を組んで。総出で手のひら返しをした時の恐ろしさよ」

 

ただねえ~。原作未読でありながら。早くから。こうなる流れが見えているんですよね。そしてただお話をなぞっているだけ。そんな印象。

 

「キノコ。の子の子。元気の子」と陽気に歩いていたHOKUTO軍団も表情を曇らせる展開。「そんなに即効性が?」

 

生意気な態度を取るマリシア。彼女のフラストレーションは何処から?結局は「エル・ファニングは可愛いから。小悪魔キャラやから」という当て書きにしかならず。

若さを持て余す女教師、エドウィナ。「キルティン・ダンスト、老けたなあ~」という悲しみ。

ニコール・キッドマン演じたマーサ校長。彼女の硬質な印象と、かつての恋人とのエピソード。捨てたと思った女の部分。そこ、深めてもいいんじゃないの?

 

セクシーの権化、コリン・ファレルはあのままでいいですけれど。見た目はセクシーで女達を駆り立てる。けれど。その実空っぽな男。

 

「総じて薄っぺらいんですよ。見た目は全編美しいけれど。それじゃあ説得力が無くて。ただただ目の保養映画」厳しい当方。

 

単純に当方がソフィア・コッポラ作風に合わない。それだけだとは思いますが。『マリー・アントワネット』の呪縛。今回は解けず。

 

「また…12年後」。いつかは納得の『ガールズムービー』を撮ってくれるのだろうと。一応は期待している当方です。


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映画部活動報告「サニー/32」

サニー/32」観ました。


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白石和彌監督。高橋泉脚本。

『凶悪』での印象が深い、ピエール瀧リリー・フランキーコンビ。主役は北原里英。そして門脇麦。「アドバイザー、秋元康…」呟く当方。

2003年。当時11歳の小学生少女が同級生をカッターナイフで刺殺。ネット上では直ぐ様素性が晒され。その愛らしい姿と、独特なサイン(顔の横にかざしていた両手の指が3本と2本であった事)から彼女は『サニー』と呼ばれ。「犯罪史上、最も可愛い殺人犯」と一部のネットユーザーから神格化されてしまう。

事件から14年。新潟。中学校教師の藤井赤理(北原里英)。

情熱はあるけれど。空回り。満たされない日々。

25歳の誕生日の夜。二人の男に突然拉致され。混乱し。恐怖に震える彼女に掛けられた言葉。

「会いたかったよ。サニー」

 

2004年。長崎佐世保小6女児同級生殺害事件。

小学生が同級生をカッターナイフで刺殺。ネット上では彼女のプライバシーは守られず。その美少女ぶりと。彼女が着ていた服のロゴから『ネバダ事件』と呼ばれ、騒がれた。そんな実際の事件に着想を経て。

 

(注:申し訳ありません。今回ははっきりネタバレします)予告を見る限り。センセーショナルな事件から14年経って。全く違う、似たような年齢の女性が拉致されて。そこから始まる『普通の人』からの覚醒物語。

「皆が呼ぶなら。私は『サニー』」けれど。そこで現れる、本物のサニー。

 

はっきり言って。予告で当方が推測した流れ。完全に本編と概ね一致していました。

 

なので。「ちょっと待って。これどうやったらもうひとひねり出来る?この主人公がやっぱり本物のサニーだったって奴は?」なんて。あたふたしてしまいました。

 

当方はアイドル事情に全く詳しくありませんが。北原里英さんという…NGT48をもうすぐ卒業するアイドルの。まあ…はなむけ的な作品でもあると。

「そう思うと、随分頑張ったな」

通常の彼女を当方は知りませんが。作品の初め。情熱がある事はあるけれど。ぱっとしない。空回りしている主人公を演じている時の彼女。

「下手くそやなあ~」

当方は役者ではありませんが。どうしてもそう思ってしまった。けれど。

はあはあという彼女の息遣い。拉致され。目が覚めたら見た事も無い田舎の一軒家。

「サニーだろ。」「ずっと探していた。」「見ていた。」「愛しているよサニー。」

気持ち悪い。何この状態。誰?サニーって。私?私はサニーじゃない。けれど。そう言おうものなら鉄拳制裁。なんなのサニーって。

 

目の前に居る、言葉の通じない男達に対する恐怖。初めて感じた「下手したら殺される」という感情。もう駄目。もういい。私はサニーです。

 

演じる…と言うよりは自然に見えた、北原里英の『サニー』への進化。

 

赤理を拉致した柏原(ピエール瀧)と小田(リリー・フランキー)がネットで拡散し。仲間を募った事で。集まった『サニー信者』達。

 

初めこそ物騒なやり取りが続いたけれど。彼等は奇妙にも結束し。『サニー信者』として改めて崇拝。始めこそ「私はサニーじゃない」と拒んでいた赤理も。「私がサニーだ」と名乗り始める。

 

この下り。当方は沢山言いたい事はあるんですよ。「14年経ってもそうやって集まる人は居るのか」「彼らは軒並み社会から断絶されたアウトローなのか」「経済的にはどうなっているのか」「藤井赤理は捜索願いが出されないのか」「どこからドローンは来たのか」「しっかりネット上には晒されているのに通報されないのか」「日本には警察は居ないのか」エトセトラ。エトセトラ。野暮なんで…飲み込みますが。

 

人に依っては『茶番』と言われかねない、赤理の『サニー覚醒』シーン。

 

「おいおい何が始まった」当方も全ては良しとはしませんが。

 

サニーとして赤理を拉致した首謀者、柏原(ピエール瀧)。少しでも思い通りにならなければ相手を殴り。そうやって暴力でねじ伏せてきた。

 

「男性と違って女性には暴力に対する耐性が無い。だから大きな声を出しただけで委縮してしまう人も居る。けれど女性は痛みには強い。何故だか知っているか?痛みは子供を産むからだ。お前の暴力は何だ。お前の暴力からの痛みは何も産み出さない」(言い回しうろ覚え)そう言ってピエール瀧を蹴り上げたサニー。

 

「おお…」

 

個人的な問題ですが。最近。男性が威圧的にふるまう暴力について悩まされていた当方にとって。非常にすっきりとした瞬間。

 

まあ。何かしら琴線に触れたり触れなかったり。サニーのやり方はいつも『けなして、褒める』『鞭と飴』。けれど。

そうしてサニーに怒られて。最後には抱きしめられたい。信者たちはそういうサニーを求めていた。事件当初は少女だった彼女の。最も納得できる『現在の姿』。神健在。

 

「ああ。こういう着地でいくのか…」

人違いで。殺人者の熱狂的信者に拉致され。けれどそこで腹を括って居座れば。彼女は『神』になれる。赤理にとっても。それは願ってもみなかった承認欲求。自分と信者のウインウインな関係。

 

そうなれば、赤理が元々『悩める子羊たちを慰めたい』と教師をしていたのもうなずける。今や彼女はアウトローに居るけれど。ここでは綺麗事なんて言わなくていい。

ある程度自分への信頼を寄せている相手からの頼られ。その、何を言っても「ありがとうございます‼」と感謝される気持ち良さ。けれど。

 

突然現れる、『本物のサニー』。

 

「指を折るって。あかんよ」終始眉を顰めながら。「やっぱり門脇麦は本物やな」とため息を付く当方。

『本物のサニー』その不安定さ。惨めで。強さなんて微塵も感じられない。だからこそ、彼女は本物で。

 

「一体どれだけ反省したらいいんですか」「何故殺したかなんて。分からないですよ」「ただ。一緒に居るのが楽しくて。一日が終わって欲しく無くて」

 

「どうして貴方は同級生を殺したの?」とある事情で。必死でサニーに問いかける赤理。けれど本物のサニーはふわふわとした事しか答えられない。雰囲気は分かるけれど。(そして一体彼女はどういう状態だったんでしょうかね?)

 

元ネタは一切笑えない少年犯罪。アイドルが主人公。シンクロしていく世界。

拉致。暴力。被害者と加害者の逆転現象。そうして次第に生まれる共犯意識。とは言え。

どこかしら随所に笑えるポイントも盛り込んで。(不謹慎ながら、『名前。享年何歳』の明朝体テロップ』に笑えた当方)

そうして主人公は奇妙な安住の地を得た。と思いきや。突きつけられる自身の嘘。

 

「やっぱりこいつは偽物だ」メッキが剥がれていってしまう。

 

じゃあ、偽物はどう生きていく?

 

オリジナルから得られるモノには限界がある。

同じにはなれない。じゃあ偽物はどうやって生きていく?

どうやって『本物』になっていく?

誰かの真似じゃなくて。けれどこれまでの経験を活かして。どう生まれ変わる?

 

歪な物語。

北原里英さんは今後。色んな活躍をされるのでしょうが。

 

非常に面白い作品に出たなあと。そう思いました。

 

映画部活動報告「グレイテスト・ショーマン」

グレイテスト・ショーマン」観ました。
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19世紀。アメリカ。伝説の興行師、P・T・バーナム。

実在した人を。ヒュー・ジャックマンが演じた、ミュージカル映画

 

ラ・ラ・ランドの音楽スタッフが集結!」予告でそう煽って。

ヒュー・ジャックマンと言えば『レ・ミゼラブル』でのジャン・バルジャンの記憶もまだ新しい。「歌って踊れる」事はお墨付き。

 

アメリカ。貧しい仕立て屋の息子だったバーナム少年。出入りしていたお屋敷の令嬢チャリティとの恋。身分違いに彼女の父親は激怒したけれど。彼らは長らく愛を育み。

成人し、きちんとした職に就いて。結婚。娘二人にも恵まれ。貧しくも幸せな日々。そんな時。会社からの唐突な解雇宣告。落ち込むけれど。

夜の自宅アパート。屋上で。回るランプの光に、瞳をキラキラさせる妻と幼い娘達。「そうだ。俺のしたいことはこれだ」

 

「皆を驚かせ。そして笑顔にさせる。嫌な事なんてその瞬間はすっかり忘れていて。思いっきり笑う。そういう顔を見たい。ワクワクする事をしたい」

 

詐欺まがいの手段を使って銀行から融資を受け。そうして誕生した『バーナム博物館』。初めは奇妙な置物なんかを陳列していたけれど。閑古鳥。

娘からの「生きているものの方が面白い」という発言を受け。

小人症の男。ひげもじゃの女性。巨人。結合双生児。デブ。全身入れ墨男。曲芸師。エトセトラエトセトラ。

自ら出向いてスカウト。そして募集して。片っ端から採用。過剰広告を打って。『バーナム博物館』はサーカスへと生まれ変わった。

初めは珍しいもの見たさ。けれど。そこで繰り広げられたエンターテイメントに観客は夢中。驚き。笑い。ドキドキして。拍手して。

 

予告で見た「シルクハット被ったヒュー・ジャックマンが歌い出して~からの‼」という圧巻のサーカスシーン。それが物語の幕開け。「早‼」仰け反る当方。

 

職場でも、あの人やたら映画観てるらしいなと思われている当方。時々「最近どんな映画観たの?」「面白いのやってる?」なんて挨拶のついでに聞かれる事もあって。

 

「『グレイテスト・ショーマン』観た?」「はい」

「あれどうやった?俺なあ~近年で一番感動したわ~」

「そうですか…何だかダイジェスト感が半端なかったと思いましたけれど…」

「そうかあ~めっちゃ分かりやすかったやん。ああいうんでええんや」

「…」

 

この文章を打っている今。正に。映画部部長から「『グレイスト・ショーマン』内容は薄いけれど、歌は良い。内容は薄いけれど」という活動報告を受け。思わず頷く当方。

 

「105分で纏める内容じゃないよ!!これ3時間位掛けてやらないと。」

 

主役のヒュー・ジャックマンのポテンシャルの高さ。生き生きと歌って踊って。

そして「流石ハリウッド俳優たちはレベルが違う」というエンターテイメント性の高さ。

出てくる誰もが歌って踊れて。「え?貴方歌える人だったの?」例えば昨年『マンチェスター・バイ・ザ・シー』で主人公の元妻を演じたミシェル・ウイリアムズ。

曲芸師を演じたセンデイア。彼女がスタントマン無しで自分で演じていたという驚き。

ひげもじゃの彼女も。オペラ歌手、ジェニー・リンドの彼女も。歌声の力強さよ。

 

作中何度も訪れるミュージカルシーン。そのクオリティにただただ押さえ付けられ。

「何かもう…凄いな」ぐったりして。けれど。

 

冷静な当方の声。「話が雑過ぎる」「ダイジェストか」

 

見も蓋も無い言い方をすれば。『見世物小屋』を作る事で一躍時の人となったバーナムとその仲間達。毎日がお祭り騒ぎ。

そんな彼らに水を差す、サーカス団に反対する一部の近隣住民。建物の前での小競り合いは日常茶飯事。

所詮フリークス集団の成り上がりだと揶揄される中で。箔をつけたくて劇作家フィリップ(ザック・エフロン)に声を掛けるバーナム。

 

あのバーでの。バーナムとフィリップのウイスキーダンス。華やかなサーカスのシーン達を抑えて当方が一番好きなシーン。

 

「あんなに動きがバシッと決まって。気持ちいいシーンでした」

「まあ。映画やし何回も撮ってええ風に繋げるんやろう。それにヒュー・ジャックマンて元体育教師やったんやろう?」

「体育教師が皆あんなに動けるって事は無いでしょうよ…」

職場で繰り広げられたおバカな会話。

 

フィリップの加入。そして彼のコネに依って、ビクトリア女王に謁見する事が出来たバーナムと仲間達。そこで欧州一と言われるオペラ歌手、ジェニー・リンドと出会い。

 

彼女の歌声にすっかり魅せられ。サーカスはそっちのけ。ジェニーと契約し、大々的なツアーに出かけるバーナム。取り残されたサーカスの面々。

 

ただただ話を追ってもあれですので。ここいらでふんわり着地させていきますが。

 

「どうしてサーカスに反対する人たちが居るのか」プラカードや火のついたたいまつを持ってまでして。暴力的にサーカス団に嫌悪を剥き出しにする人達。

 

当方の推測ですが。(上手く言える気がしませんけれど)所謂『見世物小屋』という…障害やマイノリティな部分を持つ人達がそれを寧ろ売りにするという、それでお金を取るという事への嫌悪なのかと。

 

「見たくない、考えたくない。だから引っ込んでいろ。お前は隠れていろ。私たちはそう言われてきた。そうやって生きていくんだと思っていた。でも。貴方はそのままで良いと言ってくれた。これは個性だと。何も恥ずかしくないんだと。」

バーナムに見出された。救われた。だから私たちはずっと貴方についていく。

 

そういう感じの事を確かに言っていましたが。これ、もっと丁寧にやらないと。

 

「お前たちは表に出てくるな!」なのか「見世物小屋の露悪さ」に怒りを覚えているのか。それとも単純に「うるさい!」なのか。(近所に一日中煩い音を出す場所があるって、地味に腹が立ちますからね)

 

障害やマイノリティな部分を持つ人達と、周りの人達の受け止め方。時代背景なんかも含め。これをしっかりやっていたら…。

 

「後、劇作家フィリップは一体何をしたんですか?」彼が加入された事で演目や演出はどう変わったんですか?高尚さは加味されたんですか?

 

「結局バーナムはただのお調子者って事ですか?」「ひげもじゃで毛深い彼女は、まめにカミソリで剃ったらいいんじゃないですか?」手を挙げだしたら止まらなくなる当方。あかんあかん。

 

本国アメリカで2017年公開。前年に『ラ・ラ・ランド』と『SING/シング』というミュージカル映画が出た中でこれは…分が悪いなあ~。思わず溜息。

 

見せたい所だけをしっかり押さえて。一切の無駄を無くした結果。薄っぺらくなってしまった。そぎ落としすぎた。けれど。

 

ヒュー・ジャックマンって、変なB級コスプレアクション映画に出ていたイメージやったからさあ~。」

「え。それってまさかウルヴァリンの事ですか?」

 

あんなに生き生きとしたヒュー・ジャックマンを見せられたら。何だか「もういいです」と言ってしまう。体育会系な力業に終始押されて。ねじ伏せられる。そんな作品。

 

ところでこれ。サントラは実に良いです。(そりゃあ当然)

 

映画部活動報告「リバーズ・エッジ」

リバーズ・エッジ」観ました。
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岡崎京子の同名漫画を。行定勲監督に依って映画化。

1993年~1994年。雑誌『CUTIE』にて連載された作品。

「主題歌が小沢健二‼」公開初日。胸を熱くして映画館に向かった当方。

そして今。小沢健二の名アルバム『LIFE』と『刹那』をBGMに流しながら。

 

「正直、1990年代にこの映画を観たかった」

 

CUTIEというファッション雑誌。当方は一度も買った事はありませんでしたが。クラスのお洒落女子によく見せてもらいました。

もう廃刊してしまいましたが。1990年代…所謂原宿系お洒落雑誌だったと記憶しています。

兎に角元気のある雑誌で。ファッション雑誌なんですが。そこに載っていた連載漫画。

当方は岡崎京子世代ではありませんでしたので。(安野モヨコ世代)この作品も未読。そもそも岡崎京子作品は『ヘルタースケルター』しかきちんと読んだことはありません。けれど。

1990年代に10代を過ごした。そんな当方からしたら。これは観ておかなければと。

そう思ったのですが。

 

「1990年代に。1990年代の10~20代の俳優達で。あの時代の空気そのままで作ったら。そしてそれを当時の当方が観たら。」どう受け止めたのだろう。

 

主人公若草ハルナ(二階堂ふみ)。高校生。彼氏の観音崎は、何故か同級生の山田一郎(吉沢亮)を酷く虐めていて。見ていられなくて何回も助けにいくハルナ。それが気に食わなくて観音崎の行動はエスカレート。

ある日。助けてくれたお礼にと「僕の宝物を見せてあげる」と山田に川原に連れて行かれたハルナ。

生い茂る藪をかき分け。山田がみせてくれたそれは何と白骨死体。

呆然とするハルナをよそに恍惚と『宝物』への想いを語る山田。そして発した「もう一人この宝物を共有している人が居るんだ」。

同じ高校に通う後輩の吉川こずえ。幼い頃から芸能活動をしていたモデルの彼女はいやに大人びているけれど。摂食障害で。人知れず過食と嘔吐を繰り返している。

 

「ああ。キャラクターが全員濃い」

 

ハルナの友達、小山ルミ。「30代の彼氏がいる」と、彼氏から貰った物を纏い。色んな男とセックスをする。裸で抱き合っている時が一番幸せ。

実は同性愛者の山田の便宜上の彼女、田島カンナ(森川葵)。山田君が大好き。山田君を好きな自分が大好き。山田君は私だけのもの。そうやって束縛してしまう彼女。

 

出てくるキャラクターが総じて濃い中。主人公である『若草ハルナ』が一番影が薄い。
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なぜなら。終盤こずえがぼそっと言ったように。ハルナはあくまでも『傍観者』の立場だから。

他のキャラクター達が輪になって。ぐるぐる回りながら自身の踊りを舞う中で。その輪の真ん中に居ながらただ立ち尽くして見ている。タバコを吸いながら。そういう役回り。

「何スカしてんだ…」呟く当方。周りのキャラクター達は。各々ボロボロになりながらも必死な中で。一見彼らに無茶苦茶にもまれている様で…ハルナは絶対に飲み込まれない。

そうして。一人のキャラクターが業火と化し。己もその火に包まれながらハルナを弾き出した。この世界から、主人公の退場。そういう終わり。

 

この原作漫画を未読なんで。何とも言えない…歯切れが悪い当方。ですが。

 

「1990年代を2010年代に表現する事の意味。そして難しさ」

 

いっそ設定は現代にしても良かったのかもしれない。だって…正直、再現が中途半端だと思ったから。服装も見た目も何となく当時とは違う。ちょっと現代に置き換えてしまっている。(見た目では観音崎が一番リアル)

そしてあの時代を肌で感じた当方は何となく思い出せるけれど。分からない世代にはとことん分からない。

 

1999年。世界は終わる。ノストラダムスの大予言を馬鹿にしながらも。何となく漂っていた世紀末感。高度経済成長のピークが過ぎつつあることを匂わせていたあの頃。加えて10代。意味不明な厭世観。シャカリキに頑張るのは馬鹿らしくて。一生懸命は恥ずかしくて。クールでちょっと尖っている。そんな自分は特別。

 

未成年だけれど、タバコもお酒も呑んで。あんまり好きじゃないけれど、学校でそこそこに目立つ男子が彼氏。スカして、その実空っぽなハルナ。

周りは子供だと下に見て。大人の男性と付き合って、セックスして。そうやって自分を高見に置いて。そんなルミ。

本当は甘えたいだけ。でもそうは言えなくて。結局は暴力で相手をねじ伏せてしまう。観音崎

「死体に癒される」という悪趣味極まりない発言と行動。いかにも自分は他人とは違うとアピールする山田とこずえの自己主張の強さ。(本当のサイコパスはそういうの、全部黙っているもんですわ)

モデル=摂食障害というベタ。(和式トイレの床に食べ物並べて食べるって…)

同性愛者という設定が何だか生かし切れていない。(山田の方じゃ無いですよ)

当方がいいなと思った、狂気を孕んで加速していくカンナ。(当方が森川葵が好きだという贔屓目もありますが)

あの「この演出要らんやろう~」と思ったインタビューシーン達の中で唯一。「幸せ?」と言った彼女の表情…ばしっと決まった感じがしました。

 

ぜ~んぶ。『1990年代の、尖っているとされるキャラクターあるある』。これらが全部登場して。そうしてぐるぐる輪になって回っている。これを20年以上経った現代でされると…ちょっと溜息を付いてしまう。けれど。

 

「1990年代に。1990年代の10~20代の俳優達で。あの時代の空気そのままで作ったら。そしてそれを当時の当方が観たら。」

おそらく違った気がします。

 

作り手の作りたかったものも。見せたかったものも。言いたいことも。全部分かるのに。なのに…。

 

ただ。時を経ても変わらず良かったのが『小沢健二』。アルペシオ。素晴らしい。

 

映画館から出て。

直ぐ様『LIFE』を選択。イヤホンを耳に差し、歩き出した当方。
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