ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「彼女がその名を知らない鳥たち」

彼女がその名を知らない鳥たち」観ました。
f:id:watanabeseijin:20171124185403j:image

白石和彌監督作品。沼田かおるの同名小説の映画化。

主演、蒼井優阿部サダヲ。脇を松坂桃李竹野内豊が固め。

 

大阪。とあるマンションに住むカップル。十和子と陣治。

無職。かといって家の事をするでもなく。ただただ暇を持て余す、自堕落な十和子。クレーマー

惚れたもんの負け。そんな十和子をべたべたに甘やかしている陣治。(土建屋勤務?)

十和子が可愛くて。十和子は何にもしなくていい。ただ一緒に居てくれたらいい。

陣治が働いて。陣治がご飯も作って。ゴミ屋敷ではないにしろ。散らかった…よく言えば生活感溢れまくりの部屋で暮らす二人。でもそんなに尽くしてくれている陣治に対し、風当たりの強い十和子。

 

15歳も年上の恋人。でもそれはただの汚いおっさん。

見た目も汚らしい。太って。清潔感なんて欠片も無い。気持ち悪い位に自分を好いてくれているけれど。年上の威厳も無い。いつも自分にへこへこして。みっともない。

 

忘れられない。かつての恋人。黒崎。

年上で。カッコよくて。スマートで。でも何だか可愛くて。…そして最悪な恋人。

もう全然連絡なんて取っていないけれど。とても好きだった。

 

ある日。いつもの手当たり次第なクレームから知り合った、デパートの時計売り場主任。水島。

一見誠実そうで。自分にだけ語ってくれる夢や旅の事。それがうれしくて。すぐさま恋に落ちてしまう十和子。

 

そんな時。かつての恋人黒崎が失踪していたと知って。

 

『共感度0%。不快度100%。でもこれは、まぎれもない愛の物語』そんなキャッチコピーを掲げて。

 

10月28日公開でしたが。何故かスケジュールが合わない日が続いて。ちょっと諦めかけましたが。「まあ。同郷のよしみでな」と。随分経ってからの鑑賞となりました。

 

まあ…分かっていたんですけれどね。当方は…当方は(小声)メンヘラ女性が嫌い(キッパリ)ですから。

 

「嫌いやあわああああああ。十和子」

 

当方の家族の暗黙の家訓『働かざる者食うべからず』。もうのたうちまわりそうなくらい、十和子が癇に障る当方。

 

蒼井優は最近はメンヘラ枠女優ですか?メンヘラ。ニート。(『岸辺の旅』の愛人役は怖かったですね)まともな人格の者を演じていない感じがしますけれど。…あの中途半端に引っかかるイントネーションで。甘えた喋り方。もう「嫌いやわああああああ。十和子」

(余談ですが。この役は、ちょっと前なら池脇千鶴がドンピシャやなあ~と思った当方)

 

働かず。かと言って家の事もせず。献身的に尽くしてくれる陣治の事は馬鹿にして。なのに毎日陣治が置いて行ってくれた小遣いで遊んで。

 

「で?挙句好きな人が出来たって。陣治にばれても開き直って。怒ってこないのを良いことに、陣治に当たり散らすけれど、結局はまた二人の家に帰ってくるって」

 

当方の中の神鳥忍が。2000年代初頭。テレビの『女子プロ学園』で。やる気の無い生徒の荷物を窓から放り投げた神鳥忍が。「十和子なんて追い出しな!!」と吠えてくる。

 

ですが。結局十和子の引き寄せた男達のあかんたれさよ。

 

昔の恋人。黒崎。

根っからの女たらし。その手練手管に溺れた十和子。でも。次第に見せてくる、どす黒い根性。結局は自身が上昇するためには女を売る事も厭わないという最低さ。しかもそれをなじったり拒否したら鉄拳制裁を食らわせてくる。

 

新しい恋人。水島。

端正な顔立ちと、誠実そうな振舞い。ただのクレーマーの自分に、きちんと対応してくれた。下らない。つまらない毎日から引き揚げてくれそうな恋人。

そう思ったのに。ただただ利己的で。冷たくて、薄っぺらいだけの男。

 

松坂桃李が…何だか好きになってきた」当方。もう振り切りすぎて。清々しい位のクズ。薄っぺらい水島をしっかり演じ切って。

「俳優生命の転換期」「どちらかと言えばいい奴を演じる事が多かった様な気がするのに」

「今更何を守っているんだ!」という蒼井優の濡れ場。そんな声出しながら。なんで十和子はそんな中途半端な恰好でセックスしているんだ。という不完全燃焼っぷりと比べて。楽しかったでしょうね。イキイキしてましたし。

(当方が毎日の通勤で近くを通って。そして毎年花見をするあの川沿いで。何させてんだ!桃李!…そして意外とあそこ人が通るんやぞ!)

 

そういえば。協賛に大阪市が出ていましたが。確かにロケ地が思い至る場所ばかりで。それは単純に楽しめた当方。「水島はハービスエントにお勤めで」「鴫野?!」「玉造駅!!」なんて。

 

中盤。長らく音信不通であった恋人黒崎が実は失踪していたと。刑事から知らされた十和子。

 

とんでもない別れ方をしたけれど。でも。その頃を思うと。何だかおかしい。

 

「何かがあった?」

 

そして。その状況と、現在の自身の状況を比較して。一つの答えを出す十和子。

 

そこからの展開はもう…ホンマに。

「嫌いやわああああああ十和子!」(三回目)

 

幾ら公開して一か月以上経ったとは言え。順番にネタバレするのもどうかと思いますので。ここいらでふんわりと大風呂敷を畳んでいきますが。

 

十和子の恋人。陣治。

あくまでも献身的で。ちょっと怖い位に、十和子への執着心を見せた陣治…ちょっと怖い位に?…ちょっと?苦い表情で首を振る当方。

「いや。十分怖いって」

 

終盤。十和子への想いや、二人が辿ってきたこれまでが駆け巡るシーンがあって。

それはそれは美しい。陣治と十和子のストーリー。陣治から見た純愛ストーリー。それに無理やり落としどころを付けて。いきなり十和子に押し付けた陣治。

 

ふわふわと。直ぐにどこかに行ってしまいそうな十和子を。縛り付ける、最後の手段。最も効果的な。そして忘れる事など出来ない呪縛。

 

「陣治が一番怖いって」震える当方。

 

彼女がその名を知らない鳥たち』このタイトルは何を表すんでしょうね。

 

とめどない愛の話?それを見た女の話?

 

当方はそれを見たが最後…と思うと。ぞっとしました。

映画部活動報告「全員死刑」

全員死刑」観ました。
f:id:watanabeseijin:20171124185327j:image

2004年。福岡県。大牟田4人殺人事件。

暴力団組長の父。母。兄。弟。家族総出で近所の貸金業者一家を強盗殺人、死体遺棄した実際の事件。家族全員に死刑判決が下り。その次男が書いた手記『我が一家全員死刑』が2010年に発行された。

この家族をモチーフとした作品。

 

「近年は実際に大きな犯罪が起きた時に、いつか映画化されたりするんやろうけれど。一体どう描かれるんやろうかと考えている」

 

事実は小説よりも奇なり。食事時に。ふと付けていたテレビから報じられる、信じられない事件。人が人をこんな風に殺めるなんて。

 

今現在。日常を生きている当方の、この瞬間にも。ぞっとする様な所業を犯している者が居る。そして。無下に扱われ、命を奪われる者が居る。

 

世間を震撼させた事件。そういった事件が映画化されるとき。一体観る者は何を望むのか。

 

結局はゲスな興味?ただただバイオレンスでいかれた連中がおかしなルールで他人を巻き添えにする様を見たいのか。そうやって連中も崩壊する様を。そうして「やっぱり駄目やって。こんな奴らは」いかれた連中を見下して。

それとも。「自身の中にもある異常性」をふっと見てしまうのか。

 

「よく分からん…」ぼそぼそ答える当方。

 

「上手く言える気がしないけれど。何でそういう事になってしまうんかなあって。事件を起こした人はどういう考え方をするんかなあって。そこに興味がある」

 

暴力団家族。実際は火の車。資金繰りに困った両親(言い出したのは母親)は近所に住む貸金業一家の殺害と強盗を提案。

一緒に押し入ると自分たちの取り分が無くなると、兄は弟に決行前日に押し入りを提案。二人で貸金業宅に訪問。

一人で居た次男を殺害。金庫を奪ったけれど。中身は貴金属。大した金にはならなかった。次男の死体は川に遺棄。

 

翌日。貸金業の母親を。前日いなくなった次男を探し回っていた長男と、一緒に居た長男の友人を。

家族は次々に殺していく。

 

清々しい程のクズっぷり。胸が悪くなるような犯行の数々。

 

絶対に関わりたくないとしか言いようのないチンピラ兄弟。肩で風を切って。誰彼ともなく絡んで。特に当方が嫌いだったのがあの兄。

「こういう小心者は堪らなく嫌いなんよな。イキがって、エラそうな事言って。ビビらせて。でも結局は弟に嫌な事はさせて。ほんましょうもない奴!!」

 

どうしようもない両親。情緒不安定でボロボロな父親と、キイキイ騒ぐ母親。

六平直政と入江加奈子って!!」「て言うか六平直政!!」

六平直政…好きなんですよ。強面故に、悪徳商会所属かと思ってしまう程悪い役が多くて。でも何だかチャーミングに見えて憎めない。

美大出身」「相当な潔癖症で便座に座れない」「ディズニーランドが好き」なんだなんだというエピソード満載)

今回完全に組長役に徹していました。「どこで売ってんのその服」という白いジャージ。(ウインドブレーカー?)安定のチンピラファッション。

 

そして、今回初主演。次男を演じた間宮祥太郎。

 

実際の犯人家族の。兄弟が元力士でどちらも巨体であった事を思うと。随分美化されたもんだなと思いましたが。

 

「結局。こういう犯罪家族の『家族』という繋がり。それが異常に強くて」

 

貸金業者一家の。次男を殺したのも、その母親も、長男と友達も。全員に対して実際に手を下したのは主人公。

 

他の家族は命令してきたり、お膳立てをしたり、騒いだりしていたけれど。結局は主人公の次男が『殺してあげた』。『家族のために』。

 

こういった犯罪者家族(以下の段落では集団と表します)の繋がりがどうして濃いのか。これは当方のぼんやりとした推測ですが。

社会に馴染んでいない。孤立した集団。でも、彼らは少数ながらも集団であって。その中で支え合い、互いに肯定し合ってきた。

どうしてこの集団が孤立したのか。でもそこは立ち止まらない。なぜならそれは自己否定に繋がるから。立ち止まったら真っ暗な穴に落ちてしまう。自分たちは間違っていない。おかしいのは周りの奴ら。

集団を。ひいては自身を守る為。おかしな奴らには何をしても構わない。

 

「でも。そうやって暴走した結果がこれなんやろう」

 

「あの彼女もなあ~。大切やけれど…守り切れるか分かったもんじゃないで」溜息。だって。被害者の貸金業者一家の長男だって。元々は主人公の連れの一人なんですよ。

 

全員死刑』ある一家を貶めた。その加害者家族に下された判決。皮肉にも…ウイットの効いたタイトル。

 

「なんだかなあ~」非常に胸が悪い。ずっと引きずってしまう作品。

これが事実ベースだと思うと尚更やりきれないです。

 

 

映画部活動報告「おじいちゃん、死んじゃったって。」

おじいちゃん、死んじゃったって。」観ました。
f:id:watanabeseijin:20171124185249j:image

森ガキ雄大監督作品。

彼氏とのセックスの途中に掛かってきた訃報。

父方祖父の唐突な死。とはいえそれなりに高齢。驚くほどでは無いけれど。

ボケボケのお婆ちゃんを残して逝ったお爺ちゃん。

 

「お爺ちゃんが死んだ」それなりに衝撃は受けたけれど。お通夜。お葬式。自分の親も久しぶりに会った親戚もやるべき行事はこなすけれど。あんまり悲しそうじゃない。

でも。自分だってお爺ちゃんが死んだと聞いた時はセックスをしていた。

 

 何だか気になって。でもなかなか鑑賞出来なかった作品。

満を持して。ようやく劇場鑑賞する事が出来ました。

 

 

大人になって。人の生死に関わる職に就いて。だから正直、この作品についても「甘いな」と思った部分はありました。はっきり言って生前関わりが無かった親族こそが色んな事に大騒ぎするといったセオリー。

残されたお婆ちゃん。認知症があって。一人では生きていけないお婆ちゃんに対し、あの父親のスピーディーな対応。それに冷たい、システマチックだというのか。じゃあ、普段関与していない他の兄弟の何も行動していない姿は美談か。およそ一人で生きていけないお婆ちゃんに、一人で死ねというのか。

 

「私はお爺ちゃんが死んだ時セックスをしていた」そこに引け目があって。何を言っても白々しいんじゃないかと、引け目を感じる主人公。

 

何を言っているんだと。兎に角冷たい当方。じゃあ、貴方はお爺ちゃんとお婆ちゃんが生きている時にそこに足しげく通ったのか。貴方は祖父母の家に比較的近くに住んでいるんでしょう?

 

親戚の死に目に会えなかった。でもそれは心から申し訳無いという気持ちじゃない。

「命が終わるときに、自分は快楽に溺れていた」その引け目。誰かが苦しんでいる時。そっと幕を引く時に。こんなの不謹慎じゃないかという気持ち。

 

「でもねえ。それでいいんだと思いますよ」

 

誰に対しても。数多の対象についても悔いの無い日々。明日己が居なくなったとしても、何の悔いも無いと言える人生。そんなの、誰が送っているというのか。

 

お爺ちゃんが死んだ。

 

動揺する親族一同。慌てふためいて。

お爺ちゃんが逝った。その時に。お爺ちゃんに見せられる自分では無かった。

妻子に逃げられた。早期退職させられた。遠くに居た。彼氏とセックスしていた。未来が見えなくて。そんな自身の事で一杯。こんなはずじゃなかったのに。

 

まあ。そんな深刻な感じじゃないんですけれどね。

 

喪主の長男が岩松了次男光石研。これだけでお楽しみなのに。歳の離れた妹に水野美紀って。どんな面白兄妹かよと。

案の定。通夜も葬式も。黒い汗流しながらどこかコミカルで。

でもそんな兄妹のじゃれ合いも。多分最後。コミカルな兄弟げんかに笑っていて。ふっと過る「お終い」の気配。

 

この家族に於いて、お爺ちゃんが死ぬという事は。一族にとって田舎の消滅に値する。

 

「誰が誰か分からない」状態になっているお婆ちゃん。そんなお婆ちゃんをずっと面倒見ていたお爺ちゃん。そのお爺ちゃんが居なくなって。一人になってしまったお婆ちゃん。

 

作中では、お通夜とお葬式を邪魔したり、かと言えば納棺の時に思いがけない声を出したお婆ちゃん。

 

お爺ちゃんとお婆ちゃんは一心同体。

お爺ちゃんが居なくなる時。お婆ちゃんもまた。一族の皆にとって遠い存在になってしまう。そういう選択をしたから。そして。お婆ちゃんにとっても最早繋がりの無い人達だから。

 

ボンクラの長男と次男が取っ組み合いのけんかをしても。何度もそんなシーンはあったのに。ずっと「どこのどなたか分かりませんが」と言ったお婆ちゃん。お爺ちゃんは認識しても。自身の子供も孫も分からなかったお婆ちゃん。

 

切ないなあ…。泣く当方。

 

当方の両親は、どちらも田舎の大家族の末っ子で。祖父母共、当方が産まれる前や子供の時、社会人一年目に他界しましたが。

 

「お婆ちゃん。いっつもくしゃくしゃのお金を小遣いにくれたよな」

 

主人公の弟の話にボロボロ涙があふれた当方。当方の両親の田舎はどちらも遠くて。祖父母とは夏休みにしか会えなかったけれど。お婆ちゃんはいつもお別れの時に泣きながらお小遣いをくれようとした。それを思い出して。

 

滅多に会えない祖父母が亡くなった時。田舎やし、家から葬式を出したけれど。そこで集まった親戚の事。男たちは酒を飲んで騒いで畳の上で寝てしまって。女たちはご飯を作って。だらしない男達にやれやれと溜息を付いて。故人を思ってしんみりして。子供達は何だか分からないけれど騒いで。そして。

 

あれからもう、全員が集まる事は無い。

 

(余談ですが。当方の田舎では夫が亡くなった時、妻は焼き場にはついていかない。家で待つという風習もあったみたいです。)

 

全体としてはどこかコミカルなのに。ふっとどこかを押されて、泣けて仕方ない当方。どうしたもんだか。

 

お爺ちゃんが死んだ時セックスしていた云々については、個人的にはかったるいなあと思っていたので。

お坊さんが当たり前な事を言ってくれて良かった。だって、生きるってそういう事ですから。

 

正直「今終わってもいいんじゃないの」「ちょっとここは要らないんじゃないの」「真夏に獅子舞が来るの」なんて。思ったりもしましたが。

 

思っている以上に…侮れない。気付いたら泣いていて。しみじみとしてしまう作品。見逃してしまわなくてよかったと思うばかりです。

 
f:id:watanabeseijin:20171126223856j:image

 

映画部活動報告「笑う故郷」

「笑う故郷」観ました。
f:id:watanabeseijin:20171123204903j:image

アルゼンチン映画。

ノーベル文学賞作家のダニエル。

しかし受賞後早5年。新作を発表するでもなく、バルセロナの豪邸で引きこもるダニエル。数多の講演依頼、作品の映画化等を軒並み断ってきたが…ふと紛れ込んでいた『故郷アルゼンチンサラスからの招待状』に思わず引き受けてしまう。

40年振りの帰郷。故郷の人たちの反応。そして田舎町ならではのゴタゴタに巻き込まれていって。

 

2016年ヴェネチア国際映画祭主演男優賞受賞も納得。主人公ダニエルを演じたオスカル・マルティネス。圧巻の演技。

理性的で常識人。一見とっつきにくい皮肉屋に見えて、実は情に深い一面もある。そしてアクの強い周囲の連中にもみくちゃにされる可愛らしさ。そんなダニエルというキャラクターを。もうダニエル自身にしか見えないリアリティーで演じた。

 

端的に言うと面白い作品でした。

 

当方は、初期の三谷幸喜作品みたいな(ラヂオの時間の頃)印象を受けました。

こう…「閉鎖的な環境と人間で織りなす、悲喜こもごものコメディ。出てくる役者は皆手練れの曲者で、全くストーリーにも無駄が無い」そういう感じ。

 

ノーベル文学賞を貰ったけれど。それによって自身の書きたいものが分からなくなってしまった。国際派だと持ち上げられても、結局自分の書く小説の舞台は常に故郷のサラスにある。

今回、サラスから『名誉市民』の称号を与えたいとの招待を受け。帰るきっかけを失ったまま40年も経ってしまった故郷に帰る事にしたダニエル。

 

またサラスという町が。えらい田舎なんですよ。

 

空港から迎えに来た車。長時間の移動…と思いきやエンスト。町の職員と過ごす羽目になった一夜。(あの本の使い方…笑いました)

やっと町にたどり着いたけれど。好意的な受け入れ。望んでいない大仰な待遇。でも悲しいかな、田舎故に野暮ったさは否めず。

とはいえ。好意を示してくれる相手に悪い気はせず。愛想よく大人の対応をするダニエル。

かつての街並み。旧友と。そして昔の恋人との再会。秘密のラッキーハプニングもあって。すっかり気を良くしていたけれど。

何故か帰郷に合わせて町の定例行事、絵画コンクールの審査委員まで依頼される。

 

「でも。40年も帰らなかった故郷の人達はこんなに純朴なのか?」

 

案の定。次第に歯車が狂い始め…結果とんでもない窮地に立たされる羽目になるダニエル。

 

余談ですが。当方の脳裏に過るあの人。『カズオ・イシグロ

イムリー過ぎて。今年度のアカデミー文学賞を受賞した氏。長崎県出身ではあるけれど。幼少期にイギリスに渡り。完全に現在の拠点はイギリス。と言うか彼はイギリス人。

「でも。氏の受賞で大騒ぎだった日本。もし氏が日本に来ることがあったら…」

…流石にこういう展開にはならないでしょうが。何だか似たような事をしそうな気がしてならない当方。

 

サラスの人達。こんな田舎に世紀の文豪がやってくる!初めこそ大騒ぎ。好意的に受け入れての大騒ぎ。でも…誰かが言い始める。「彼はよそ者だ」

何故40年も帰らなかった。両親が亡くなった時ですら帰っては来なかった。こいつはそういう薄情な奴なんだ。

ダニエルがこれまで書いてきた小説が、サラスが舞台である事は間違いない。ダニエル自身は否定するけれど、あの本に出てくるあいつは町のあいつだ。この本のこいつは俺の親父だ。そうやって時にはサラスを、そしてサラスに住む者を馬鹿にしてきたんだ。

この町の中での暗黙の了解。それにケチをつけてくるダニエル。ノーベル賞作家様はそんなに偉いのか?この町を捨てた奴なのに。

出迎えた時はあんなに笑顔だったのに。牙を剥き始め、雪だるま式に肥大する憎悪。手が付けられず。

 

また、こっそりと胸にしまっておいたラッキーハプニングの正体も最悪。しかも一番知られたくなかった相手に露呈。ひどすぎる。

 

「こんな所には居れないよ!早く逃げて逃げて!」焦る当方。そして案の定。

 

『笑う故郷』という邦題。原題は『名誉市民』で、正直当方もそのままで良かったのにと思っているクチですが…。

 

一体最後に笑ったのは誰なんですかね?

 

『笑う~』は単純に故郷に掛かっているんじゃないと思っている当方。(この邦題を付けた人物の意図を知らないので勝手な持論ですが)

 

「最後に笑ったのはダニエルだ」

 

ここまでの事態は予測していなかったでしょうが。故郷サラスを舞台にした作品しか書けなかった作家が、ただの郷愁だけで40年も帰らなかった故郷に帰る訳が無い。作家の武器はペンやぞと。転んでもただでは起きるものか。…けれど。

 

「もうダニエルに帰る故郷は無くなったんやな」

 

悲劇は最大の喜劇。

面白い作品を観ました。

 

映画部活動報告「IT/イット“それ”が見えたら、終わり」

「IT/イット “それ“が見えたら、終わり」観ました。
f:id:watanabeseijin:20171122210925j:image

スティーブン・キングの小説『IT/イット』。1986年発表。1990年のテレビドラマシリーズが高評価のホラー作品。

 

27年毎に現れる『ペニー・ワイズ』という子供さらいのピエロ。田舎町デリーを襲った連続子供失踪事件。それに立ち向かった13歳、『ルーザーズ(負け犬)・クラブ』の少年少女達7人と、27年後40歳大人になった彼等のお話。

 

テレビシリーズから。現実にも27年後の現在。装いも新たに。

13歳の『ルーザーズ・クラブ』視点。完全に『子供編』で割り切った今作品。

多くの先に観た者達が語る、「大丈夫やって」「そんなに怖くないって」「スタンド・バイ・ミーみたいな爽やかさも感じたって」と励ましの声を受け。

「エネナイッツ!」(当方なりのスタンド・バイ・ミーのあの曲)怖がり故に観るべきかどうか迷っていた当方でしたが…遅ればせながら観に行ってきました。

 

まあ…確かに当方が脳内で難しくし過ぎていた様な(表現しにくいですが)「お母さん、怖いから一緒に寝て」と幼い当方がべそべそ泣きながら言いに行く感じではありませんでしたが。

「何て言うの?音で怖がらせる系ではありましたよ」渋い顔をする当方。

いかにも「でるででるで~」というおどろおどろしい音楽、ちょっとやりすぎでしたよ!(ああいうの、直ぐ反応してしまうんで…構えてしまうんですよ)

ホラーとしての描写はストレート。冒頭からしっかり血とか見せていましたが。別に過剰ではない。途中で出てくる恐怖の象徴とされる『それ』のいくつかのビジュアルなんて寧ろチープで。「これで怖がるのは13歳だな」なんて思ってしまいました。

 

「13歳か…」

 

13歳当時。中学1年生か2年生。当方が怖かったモノは一体何だったんだろうかと。そう思っても、特に何も浮かばず。

「アホか!」中学生当方が顔を真っ赤にしながら立ち上がって来そうですが。

どんどん変わっていく自身の体と環境?それに追いつかない感情。子供じゃないという気持ちと、大人は分かってくれないという反抗心。そういう所ですかね?

 

それに比べると。ある雨の日。弟ジョージを突然失った、吃音を持つ主人公ビル。お調子者の眼鏡リッチー。喘息を始め。何らかの病気を持っている?エディ。神父の息子リッチー。そして途中から仲間に入るデブの転校生ベン。唯一のヒロインベバリー。肉屋の息子マイク。ルーザーズ・クラブの7人の特徴的な悩みと、その恐怖の対象。

 

不潔なモノを。いじめっ子を。気持ち悪い画(モジリア―二)を。肉片や手を。ピエロを。子供だけに見えるペニー・ワイズは彼らの恐怖に付け込んで姿を変えて。彼等に襲い掛かってくる。

 

彼等の中で、当方が嫌だと思った恐怖…やっぱり、ヒロインベバリーの恐怖と主人公ビルの恐怖。

一応ネタバレしないようにしたい…とは思っていますので。ふんわりさせますが。

 

「ベバリーの持つ恐怖に対する嫌悪感」

(ベバリー役の女子がまた凄くキュートなんですよ!)

子供だけに見えるピエロも嫌ですがね…彼女を取り巻く現実が堪らなく不快で。

 

余談ですが。子供時代、それなりに本を読んだ当方。高校生の時にスティーブン・キングも一作だけ読んだんですよ。『キャリー』を。

何故それを選んだのかは覚えていませんでしたが。多感な高校生には、あの血塗られた女子高生の話はきつくて…(また、キングのダラダラした文脈にも耐えられず)以降クリスティー読破!とか赤川次郎に舵を切ってしまった当方。

(何故なんでしょう。それなのに大人になった当方は定期的に『キャリー』を欲してしまうんですよ)

 

ベバリーの境遇。親からの仕打ち。学校での立ち位置。キャリーを彷彿とさせてしまって…今の当方なら観れますが。やっぱり眉を顰めてしまう。やるせなくて。

 

そして。主人公ビルの恐怖。「僕が怖いのは自分の家だ」

そりゃあ、あんなモノを見てしまうんなら。当方がビルなら一人では居れませんよ。

 

7人が各々持つ背景と抱える恐怖。そこに付け込んでくるピエロとの対峙を描きながらも。

 

7人が知り合っていく様。次第に生まれるチームワーク。俺たちは仲間だという連帯感。そして女子が一人居る事で生まれるドキドキ感。

恋した女子に絵葉書に詩をしたためて贈る。絵葉書の画だって出会った時の…でも…自分だとは思われなくて。目の前でいちゃつかれれる刹那。胸が苦しくて…。青春は残酷よのう!!(誰だよ)

 

そういう甘酸っぱい青春エピソードが差し込まれて。物語の緩急が見事。

 

最終決戦が何だか…駆け足感がするなと当方は感じてしまいましたが。

 

「こんなピエロが目の前に現れたら、多分ショック死。絶対にトラウマやわ」

ペニー・ワイズを演じたビル・スカルスガルド。素顔はイケメン俳優らしいですが。あんな動き、表情。

当方があの子役達なら一生のトラウマ案件。

(あのガレージのシーンは途中までリアルにやったらしいと何かで読みました。そりゃあ…ああなるわ!)

 

「少年少女達よ!多少は大人(特に警察とか)に頼りなさい!」「て言うかデリー警察は何をしているの?」「ああいう廃屋は防犯上でも問題やから行政に掛け合って潰してもらって!」「自転車はちゃんと道の隅に止めようぜ!」おいちゃん当方はやいやいと煩い事を言いますが。

 

「まあ…ピエロがしっかり怖いんやから。黙っとこうか」口を閉じる当方。

 

ところで。この作品で一番怖かった事『現実の映画館』

何故やったんでしょうか?当方が鑑賞している回の、トイレに立つ人の多さ。

暗い映画館で。おっかない音楽が「でるででるで~」と煽る中。ふっと視界を過る、リアルな人影。声を上げそうな位怖かったですよ。(しかも数人)

 

絶対に後編ありき。ルーザーズ・クラブの面々が27年後の『40歳編』

待ちきれん…大人になった当方なら…キャリー以来のキング小説を読もうか迷う当方です。

 

映画部活動報告「南瓜とマヨネーズ」

南瓜とマヨネーズ」観ました。
f:id:watanabeseijin:20171118203445j:image

富永昌敬監督作品。魚喃キリコの同名漫画の映画化。

主人公ツチダを臼田あさ美。恋人のセイイチ(セイちゃん)を太賀。ツチダの元彼ハギオをオダギリジョーが演じた。

 

ライブハウスで働くツチダ。27歳。同い年の恋人、セイちゃんと同棲中。セイちゃんはミュージシャンの卵だけれど、今は絶賛スランプ中。働かず。かと言って曲作りにも精を出さないセイちゃんにモヤモヤしながらも。

このままでは生活がままならないと、セイちゃんには内緒でキャバクラで働き始めるツチダ。

 

「あかんわ…」

生真面目に労働してきたおいちゃん当方、溜息。これはあかん。これは絶対上手くいかない恋。

 

「大体、男が働かんと夢だのを語って良いのは25歳まで」

何故か昔からそう言っていた当方。…まあ、老いたる現在の当方からしたら25歳だって十分子供ですが。

 

「私が稼いでくるから。セイちゃんは曲を作ってくれていたら良いから」

この典型的な、ヒモを養う女気質。愛する男を想う気持ちがおかしな所に行ってしまって。…そうして男は腐っていく。

案の定。毎日を無駄に過ごすセイちゃん。

遂には小遣い欲しさに愛人まで始めたツチダ。でも直ぐにセイちゃんに知られてしまって。それをきっかけに働きだしたセイちゃん。

そんな時。ツチダは自身が働くライブハウスで、元彼のハギオと再会するが。

 

「何でもない様な事が 幸せだったと思う」

 

正にこれ。どうして他愛もない日々が永遠に続くと思っていたのか。

恋愛の、楽しくて嬉しくて。一緒に居るだけで自然と笑顔になれた。そんな時はいつまでもは続かなくて。

相手を想うと苦しくて。好きだけれど、自分と居る事で輝けなくなっていく相手を見るのは苦しくて。

 

そんな時に再会する、かつての恋人。

 

「しっかしまあ。カッコいいだけで薄っぺらい男よ。でも実際にこういう男は女にモテるんよな」

 

現状の閉塞感に鬱屈としていたツチダ。ハギオと再会した事で思い出す、ハギオを想っていた気持ち。燃え上がって。

 

「ツチダよ…。あんたのそういう所が歴代の彼氏達との別れに繋がっているんやと思うよ」

勝手な人生相談員当方の、溜息交じりの診断。

 

作中、ハギオも言ってましたがね。「お前の好きっていう気持ちの押しつけが鬱陶しかったんだよ(言い回しうろ覚え)」そういう事ですよ。

どうせ数多の女の間を漂流するハギオはいいとして。現在の彼氏のセイちゃんだって「だってセイちゃんはミュージシャンなんでしょう」「私が働くから、セイちゃんは曲作りに専念して」「セイちゃんは今日一日何をしたの!!」「曲も作ってない!!」こんなの、しんどすぎる。

自身が属していたバンドがレコード会社と契約。しかも自分の居たボーカルの席にはグラビアアイドル。かつての仲間達の音楽性がブレブレになっていくのを目の当たりにして。彼等を馬鹿にしながらも、じゃあ俺はどうするんだと、どうしたいんだともがくセイちゃん。そうやって苦しんでいる所に追い打ちを掛けてくる恋人。

 

「じゃあ。そんな状態の恋人にどう寄り添うのがベストなんですか?」「知るか!!」

ハイと手を上げての質問に即答する、人生相談員当方。そんな経験無いし。こちとら恋愛マスターじゃないんだ。

 

勿論セイちゃんが大好き。でも「こういうセイちゃんが好き」とグイグイと『私が好きなセイちゃん像』を押し付けてくる。…そりゃあ駄目になってしまうよ。

 

「でも。恋って器用に出来るもんじゃないからな」ぽつりと呟く当方。

 

もう終わりかけていた。でも。実際に終わるとなると二人で過ごした時の、楽しかった所ばかりが頭の中を駆け巡って。キラキラが止まらなくて。

 

最後のセイちゃんの歌。その優しい歌声に涙が出た当方。

 

当方の大好き女優の一人である、臼田あさ美。これは現時点での彼女のベストなんじゃないかと思った作品。そして太賀。オダギリジョーも。もうキャスティングが完璧すぎて。

 

映画を観てから暫くの日にち。ぐずぐずと感想を送れずにいたら、映画部部長から「南瓜とマヨネーズ良かった」「臼田あさ美のお尻」「太賀君注目」「オダギリジョーの卑怯さ」等の映画部活動報告メールが到着。

「知っとるわ!!」と即返事してしまった当方。


f:id:watanabeseijin:20171118220438j:image

映画部活動報告「ノクターナル・アニマルズ」

ノクターナル・アニマルズ」観ました。
f:id:watanabeseijin:20171107075611j:image

トム・フォード監督作品。

アートディーラーのスーザン。夫、一人娘の家族構成。とはいえ娘は独立。夫の事業はジリ貧で末期状態。夫婦仲は冷めきっていて。

そんな中。かつて学生結婚し、直ぐ様離婚した前夫(小説家志望)から20年振りに届いた小包み。中身は小説。

「スーザンに捧ぐ小説。是非とも読んで欲しい」

思いがけず暴力的な内容。スーザンはその小説にぐいぐいと引き込まれていって…。

 

主人公スーザンにエイミー・アダムス。元夫エドワードにジェイク・ギレンホールを於いて。

 

「一体エドワードはスーザンに何を伝えたいのか。愛か?それとも…」

 

トム・フォード作品と言えば『シングルマン』。エレガントの代名詞と言っても過言ではないコリン・ファースを終始愛でる作品。
f:id:watanabeseijin:20171112222158j:image

(勿論当方のiPad内にも入っています)

 

美しい。でも。決してそれだけでは無い、そんな前作から。期待を込めて観に行きました。行きましたが。

 

冒頭。アートディーラースーザンの扱う『アート』の披露。…当方は露悪的に感じました。

身も蓋も無い言い方をすると「こういう醜い人たちがこんな動き云々」ですか?…確かに彼女達は美しくないけれど。かと言って笑われるいわれも無い。

(作中で見せられるスーザンの扱うアート作品の幼さに違和感を感じた当方…特に目新しくも無いし)

 

まま成功したお金持ち。自身の事業は安定。ハンサムな夫と娘。インテリジェンスの高い、一見満たされた生活。でも。

 

蓋を開けてみれば。経済的にも精神的にも破綻しかけている夫婦関係。危なっかしい経営状況。

 

そんな時。送られてきた、元夫からの『スーザンに捧ぐ』小説。

 

 夫、妻、娘の三人で。休暇を楽しむため夜間走らせていたハイウェイ。

夜中。暗い道で。遭遇してしまった、最悪の煽り運転。かわせなくて。最悪の結果に導かれた夫。亡き者になってしまった、愛する妻と娘。

あの夜の事を。決して泣き寝入りしないぞと。地元警察官とタッグを組んで犯人を追い詰める夫。

 

そんな主人公の視点で進む小説。その世界に何故か激嵌りするスーザン。

 

「でも。どこまでその小説世界に自身がフィットするのかというと…別にスーザンとエドワードにそういう思い出がある訳では無いんよな」

 

さくさく話を進めますが。

 

「つまりはスーザンの虚栄心、傲慢さへの元夫からの復讐ですよね」

 

実際は驚くほど惨め。一見成功している事業のワンマン振り。(実際、スーザンが扱っているのは当方には中二的であからさまな作品に見える)冷え切った夫婦関係。疎遠な娘。

そんな中で。『今思えば素朴で誠実であった元夫』からの小説。

 

一緒に居た時にも青臭い小説を書いていたけれど。現在のすっかり成熟した彼に依って描かれた小説は、あの頃とは違う。読み進めるにつれて『こちらを選んでいたとしたら~』という、たらればがどんどん押し寄せてくる。

 

「しかもエドワードは今度会って感想を聞きたいとまでメッセージを送ってくる。これってあれなの?まだ私を想っていてくれているって事?あんなに酷い事をした私を?」

 

スーザンふざけるなと。冷たい当方。

 

「近年のギレンホールに外れ無し」
f:id:watanabeseijin:20171112222242j:image
元夫。尚且つ小説の主人公である彼の演技は流石でしたが。

 

「あれやな。小説世界のチンピラを演じた『アーロン・テイラー・ジョンソン』。あの憎たらしさよ!…最高やった!」
f:id:watanabeseijin:20171112222306j:image

 もう何もかもが憎たらしい。飄々としていて、尚且つ狡猾。

 

「あの夜のハイウェイのシーンの怖さ。一本道とは言え、そもそも外灯一つ無いあんな道を夜に走ろうっていうのが怖いわ」案の定。あんな輩に遭遇したら…終わりですよ。
f:id:watanabeseijin:20171112222327j:image

 

小説の世界は荒々しい展開を見せるけれど。それを追うスーザンの住む現実の薄っぺらい事。ハイソな生活。綺麗なモノに囲まれて。けれどそこには生活感は無い。人間関係にも血が通わない。およそ楽しみを見出せない、そんな環境。でも。

それを築き上げたのはスーザン自身。

 

「後ねえ。エイミー・アダムスってナチュラルでこそ映える女優さんやなって確認したな。はっきり言って、厚化粧も服装も全然似合わない。老けて見える。」
f:id:watanabeseijin:20171112222345j:image 

観も蓋も無い意見なんですが。正直、当方がこの作品に嵌れなかった最大の理由。

エイミー・アダムスが綺麗に見えない』

回想シーンでの彼女は良かったですけれど。如何せん、全体からは彼女の魅力は伝わらず。

 

「まあ。そうやって変わっていったスーザンを。虚栄心の塊で醜いモンスターになった彼女を表しているのだとするなら…確かにあの冒頭にも繋がるんやけれど。」

 

最後は非常に納得のいく着地。そりゃあそうだろうなと。この結末ありきで書かれた小説なんだから。…随分と手間の掛かる事をするなあと、となるとエドワードも大概な奴だなあと思ってしまいましたが。ともあれ。

 

「別れた相手から送付けられた何かなんて碌なモノじゃないよ。絶対に目を通すな!」

 

その教訓だけは、しっかりと受け取りました。
f:id:watanabeseijin:20171112222921j:image