ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「ブレードランナー2049」

ブレードランナー2049」観ました。
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「1982年公開。ブレードランナーの。35年振りの続編。」

2049年。LA。環境破壊が一層進み。今や地球は貧困と病気に溢れたディストピア

世代交代を繰り返したレプリカント達。かつてレプリカントを製造していたタイレル社の倒産後を引き継いだウォレル社。「あくまでも人間に従順な」レプリカントを造る事をモットーとし。

ある事件を追っていた、LA市警のブレードランナー『K』。

そこで次第に明らかになっていく「30年前に起きた出来事」「そこから産まれた奇跡」「ウォレル社の企み」。

 

Kをライアン・ゴズリング。そして30年前に姿を消した、元ブレードランナーデッカードを前作と同様ハリソン・フォードが演じた。

 

35年振りの‼…とは言え、前の週に『ブレードランナー ファイナル・カット』を観たばかりの当方の記憶は鮮明で。

 

確かに続編。世界観の下地は同じ。同じだけれど…。(小声)正直、当方は1982年版の方が好きです。

 

思えば遠くに来たもんだ。随分と綺麗で高尚な所に連れて行ってくれたもんだなと。

 

前作の監督リドリー・スコットが今回製作総指揮。監督は『メッセージ』の記憶も新しいドゥ二・ヴィルヌーブ。

語れる程ドゥ二監督作品を知っている訳ではありませんので。何となく「こういう抒情的な作風なのかな」と思っているのですが。

 

ところで。前作でも思ったんですが。

 

「何故こういうレプリカントを造ったんやろう」

 

環境破壊が進んで。人類は新たに宇宙開拓に目を向ける。その開拓に携わったのは遺伝子工学に基づいて造られた人造人間『レプリカント』。

 

「そもそも何故宇宙開拓の為に『人型ロボット』を造ったんやろう?もっと効率よく作業できるロボットでいいやん。」

 

しかも。驚異的な事に、レプリカントには一定の期間を経ると『感情』が出てくると。オズの魔法使いでブリキの木こりが切望した『心』があるロボット。

「感情があるなんてそんなの…そんなの造れるって、神の領域やないの」

何故作業効率を挙げる事を目的としたデヴァイスに感情を植え付ける?…ましてや植え付けていなくて自然発生するのなら、それは最早生物であってロボットでは無い。そりゃあ「俺たちは奴隷か」と反乱しますよ。

 

前作で。「兎に角長生きをしたい」と願ったレプリカント。そして30年の時を経たレプリカントの願いは…「それをやったら人間とレプリカントの境界は無くなる」という壮大で絶対に越えてはいけないもの。けれど。

 

どうやら奇跡が30年前に起きていた。それを探るKと、Kの行動を注視し続けるウォレル社。

 

人類にとっては末梢したいタブー。けれどレプリカント側にとっては希望。

 

日常生活がレプリカントに依って支えられている事は自覚しているけれど。レプリカントに対して『人間もどき』と悪態をついて嫌悪感を見せる人類と。一見従順であるけれど、人間との境界を無くしたいと願うレプリカント

 

「でも。俯瞰の立場で考えてみたら。今も昔もレプリカントの願いって自然の摂理なんよな。昔の『長生きしたい』だって。今回のやつも『人類の繁栄と叡智』と同じ。そりゃあ感情があって姿形が同じなら考える事も似てくるよ」

 

「1982年版もそうやねんけれど。寧ろ人類の視点は殆ど無いからな…」

ウォレル社の『ラブ』とんだ天使。

今回に至ってはホログラムキャラクターまで登場しますからね。(また可愛いんですよ)

前作に続いて、またもレプリカントに肩入れしてしまう当方。

(ところで。『レイチェル』の別格さ!やっぱり滅茶苦茶綺麗)

 

「まあ。デッカードが邪魔なのは昔も今も変わらん」

 

ハリソン・フォードが出てくるまで。延々引っ張っていましたけれど。「またあんたの所為でややこしい事になってるやないの!」冷たい当方。

人類にもレプリカントにも。いつだってデッカードは皆を引っ掻き回すジョーカー。(あくまでも当方視点です)

 

話が進むにつれて、散々(心身ともに)傷つけられていくK。「もう今年で何回ライアン・ゴズリングの踏みにじられた表情を見た事だろうか」たれ目の犬顔ゴズリングに心を痛める当方。そして思い出す、1982年版のロイの言葉。

「俺たちは雨の日に流す涙だ」切ない…。

 

1982年版の偉大さ。それはやっぱり「1980年代にあれだけの近未来を見せた」独特な世界観。発想と技術そして表現。そのトライアングルがバシッと決まっていた。その面白さ。

 

「そう思うと今回の作品には目新しいモノは無い。前作のわちゃわちゃした猥雑さも無い。寂寥感は増していたけれど…全体的に小奇麗、スマート過ぎる」

 

「ふたつで充分ですよ!」今回もあるかと期待したんですけれどね。

 

正当な続編。映像技術が進化した現代の澄んだ映像。豪華な役者陣。118分の前作からぐんと伸びた163分。それらの世界を見届けて…改めて1982年版を愛おしく思った当方。

 

きっと頭の中で思い描いていたモノとは違うモノが出たからですかね。これはこれで見た目が素敵で美味しいけれど、当方が食べたかったモノとは違う。

当方が食べたかったモノ。もっと歪で不格好で。でもとびきり美味しい奴。

 

とは言え。これ以上の続編は蛇足。此処で終わるのが綺麗な幕引き。

 

「ふたつで充分ですよ!」

 

 

映画部活動報告「ゲット・アウト」

「ゲット・アウト」観ました。
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NY在住のアフリカ系アメリカ人、クリス。付き合って約半年の彼女ローズは白人女性。

ある週末。ローズの実家に泊りがけで遊びに行く事になったクリス。「家族に彼氏は黒人だって言ってないの?」不安を抱きながら向かう道中。追い打ちをかけるような気の滅入る事故にもあって。でも。

不安とは裏腹に。実際には、ローズの家族に大歓迎を受けたクリス。拍子抜け。

でも何だか落ち着かない。過剰なまでのローズの家族の受け入れっぷりと、使用人の黒人二人の不気味な表情と動作。落ち着かない。何だか気持ち悪い。

翌日。ローズの亡くなった祖父を偲ぶ会が行われる。集まる、スノッブな白人たち。

彼等もまた、一応にクリスを受け入れ好意的ではあるけれど…。

そんな時。客人の中に唯一黒人男性を見つけたクリス。思わずスマートフォンで写真を撮ったところ。それまで温厚であった彼は鼻血を流し、クリスに殴りかかってきて…。

 

『ヴィジット』系映画。

 

2015年。M・ナイト・シャマラン監督作品『ヴィジット』。
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「初めて会うけれど。お爺ちゃんとお婆ちゃん。ボケてるの?それとも…ヤバいの?」

「シャマラン復活」と言われたスリラー映画。当方も大好きお婆ちゃん。怖ええええ。

…という感じの流れ。

 

「初めて会う彼女の両親と弟。しかも白人一家。…そんな事あって欲しくないけれど、黒人である自分に偏見や嫌悪を抱かれたらどうしよう。そんな家族だったらどうしよう」彼らが白人至上主義だったらどうしようと。不安で。多民族国家に属さない当方にはピンときませんが…そういう無意識の差別に心を痛めた事があった主人公クリスの。憂鬱な彼女宅訪問。

 

オバマを支持していた。彼に三期目があったらまた入れていたよ。」笑顔で。そういって握手を求めてくる。ローズの父親を初め。翌日集まった白人連中もこぞってクリスに近寄って興味津々。「凄い筋肉!!」「やっぱり…あっちの方も強いの?」何だか…馬鹿にされているのかと、うんざりしてくるクリス。

 

しかも。ローズの家の使用人が黒人という「典型的な古い白人家庭」という構図。一応の説明はなされるけれど。彼らの待遇をどうこう思う以前に、彼等は不気味で気持ち悪い。

(あのメイドの顔芸は秀逸)

 

「また。ローズの家族そのものも何だか気持ち悪いんよな。」

脳神経外科医の父親精神科医の母親。そして医大生の弟。一見インテリな家族だけれど。

「禁煙したいなら彼女(母親)に催眠術を掛けて貰ったらいい。もうタバコを見ただけで吐きそうになるよ」

別に希望はしていなかったけれど。夜眠れなくて。何となく受ける羽目になった催眠術。そこで見た、果てしない闇の世界。

 

「彼女の家族も、使用人の黒人たちも。ここに集まった連中も。何もかも気持ち悪い!居心地悪い!帰る!」そうして立ち上がって出ていこうとした途端…暗転。

 

「持つべきものは、頭の切れる友達だよ…」呟く当方。

 

中盤以降。これまで積み重ねた『不気味な引っかかり』が。四隅を取られたオセロのごとくパタパタとひっくり返されて。一気に見せた『闇の世界』。

 

ああ~。でも。こういう風になるよなあ~。そう思う当方。ですが。

 

あの運輸保安局勤務の、クリスの友人。
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(黒人で肥満男性)あの、ウィットの効いた友人のナイスキャラに随分と救われたこの作品。

 

「ところであの手術何なんですか」

それ以上はネタバレになりますんで。それ以上には説明しませんが…しませんが。

「ところであの手術何なんですか」

 

当方の隣に座っていた、見知らぬ女性が「わっ」と言いながら身をよじっていましたが。「あんな手術は無いぞ」と彼女に言ってやりたい当方。「ここは笑う所だ」と。

 

「自宅に手術室。どういう設備環境?そして誰が麻酔を?そして手洗いをして清潔になってからマスクを引っ張り上げるあの人。一気に不潔。そしてあのシャンプーハットみたいなやつ、何?…ああ。血よけか。実際そんなの無いけれどな。そして。」

そしてそして爆弾炸裂。それまではまだ大人しく観ていたのに。突如はじける当方。

 

「医療的に可能と謳った『ムカデ人間』を見習え!やるならきちんとやれ!(まあ、絶対にあそこだけは移植行為はありませんけれど。死にますから)」

 

黒人男性の主人公の。「彼女の白人一家にご挨拶」そんな気の重い案件を。どう転がすのかと思ったら思いがけない方向に話は転がって。とんでもない方向に着地。もう笑うしか無くて。

…こういう書き方は誤解を招きますが。あくまでも当方は好きなタイプのお話でした。

 

まあ。音楽も「いかにも脅かす感じの」やつがふんだんに盛り込まれていますので。きっちり驚くべき所にはびくっとさせられて。

 

「ともあれ。あのメイドの顔芸。それは観て損はしないかと」
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 今でも。思い出したらニヤニヤが止まらない、そんな当方です。

 

映画部活動報告「セブン・シスターズ」

セブン・シスターズ」観ました。
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2073年。紆余曲折あってヨーロッパ連合となったそこで。

深刻な人口爆発飢饉に依る食料難の中。打開するべく取られた遺伝子組み換え食品による食糧難対策。

一旦は多くの民を救ったけれど。結果生じた『多胎児出生多発問題』。

どうにもならないと、政府の打ち出した『一人っ子政策』。

一つの家庭に子供は第一子のみ。不正の無いよう徹底的に管理される社会。第一子以降の子供たちは『児童分配局』に依って連れて行かれ。「現在の有事が過ぎ去った後には解凍される」との文言の元、冷凍保存される。

そんなご時世に。とある家庭に一卵性7生児が誕生する。父親が不明のまま子供を産み、そしてその生を終えた母親。母親の父親(お爺ちゃん)は、医師に口をつぐんで貰い、子供らを自宅に引き取る。7つ子の女児。一週間の曜日の名前を付けられた彼女達はすくすくと成長。そして。

『カレン・セットマン』という一人の人格を。7つ子がその名の曜日の日に。日替わりで演じる事で、社会と繋がる事にしたお爺ちゃん。

~それから30年。銀行員として働いていた『カレン・セットマン』の波乱の月曜日が開ける。

 

「オフィシャルサイトのネタバレ全開さよ!」余談ですが。先程。細かい調べものの為、初めてあけたオフィシャルサイト。その奔放さにちょっと驚いてしまった当方。

(まあ、ある程度ネタバレしないと何も説明出来ない話ではありますが)

 

完全なる管理社会の中。7つ子も30歳。もうお爺ちゃんも亡き世界。

とは言え。互いに情報共有出来るデヴァイスを持って。毎夜行われる『本日の出来事報告会』
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『銀行員カレン・セットマン』バリバリのキャリアウーマン。そういう基本キャラをベースに。カレンを伸ばせる頭脳戦術の持ち主も居れば、お色気要因も居る。

7人の個性は真っ向勝負で違う。とは言え個性を出したが最後、7人皆で児童分配局に捕まってしまう。各々己を殺して一つの人物になりきる、そんな日々。

そんな中。『一世一代のプレゼン』大仕事を任された月曜日。朝から吐いて。体調不良で仕事に向かった月曜が。帰宅時間になっても帰ってこない。姉妹の間に流れる、不穏な雰囲気。そして。

翌日火曜日。勇気を出して出社した火曜を襲った事態。遂に児童分配局と対峙する事になった姉妹たち。

果たして彼女達の運命は?!

 

~だらだら書いてしまいましたが。おおよそこういう流れの事をやっていました。

 

「中国って昔『一人っ子政策』ってやってたやん。あれって…第一子以降は税金上げるとかそういう事?」

「おんまり詳しくないけれど。そうやろうな」

「そうやんな…一人目以降は死ね!とかじゃないよな…」

「当たり前やろう!税金だって十分やけれど。そんな事したら世界的な倫理に引っかかるよ!」

当方と身近な社会科教師との会話。そうですよね。一人っ子政策ったって、自然な摂理に深く介入する事は不可能。でもそれをやっている映画世界の話で。

 

「それは一旦置いといて。あの7つ子の中で誰が一番好き?」

 

今年はこういう、役者の力量が試される作品がちょくちょく出るんですかね?『スプリット』のジェームズ・マカヴォイといい。7つ子の主人公を演じたノオミ・ラパラ。その演じ分けの見事さも話題な作品。

 

(以降日本人に分かりやすい表記にさせて頂きます)

聡明で。いつだって私はお姉さんだと自負してきた月曜。ヒッピーでハッピーな火曜。肉体改造に躍起な水曜。破天荒で規則を破ってきた木曜。頭脳派で内気な金曜。お色気満載のビッチな土曜。皆の母親的存在。包み込む日曜。

 

「あの幼少期の少女の可愛さ。そばかす女子にこんなに惹かれる当方という再発見」
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この7つ子の幼少期を演じた少女がねえ。ピカイチに可愛いんですよ。これがまた。あの顔の女の子が7人わちゃわちゃしている姿も眼福でしたが。

 

「大人になった7つ子ねえ。…当方が好きなのは金曜と土曜かな」

 

ぶっちゃけますが。正直「7人で力を合わせて乗り越えよう!」という都合の良い展開にはならなくて。…結構な犬死をしてしまうんですね。そんな中で。主導権を握って話を進めていくのは『木曜』。幼い頃から反抗的であった彼女。

 

勿論当方も嫌いではないキャラクター。彼女が矢面に立つのも成程。そして、悲しいかな倒れていく姉妹たちにもそれなりに花は持たせて。

 

「にしても。金曜の未知数とつつましやかさ。そして土曜のビッチな振りして純情という抱きしめたくなる可愛さ」堪らん。当方的に堪らん。…ですが(小声)。

 

ノオミ・ラパラがいかに優れた役者であると言っても…それは認めますが…何だか厳しいキャラクターがあったのも確かで。

 

『肌感』スキンフェチ(気持ち悪い言い方)の当方にしたら。共通キャラクターである『カレン・セットマン』の厚化粧感。加えて口紅が赤すぎるが故に気持ち悪く、老けすぎ。そして体型的にも全くセクシーさを感じなかった(効果には個人差があります)。
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だから。

演技では住み分けがきちんとなされていて。それなりに感情移入も出来るのに。何だか最終的に踏み込めない、当方の理由。「ヘアメイクが何だか変』。(大きなお世話ですね)

 

お話し自体は納得出来る、きちんとした作り。

そもそも人口をコントロールするという事の理不尽さ。そこに迫害された民の怒り。立ち向かう7つ子。けれど…どうしてこういう事になったのか。

…まあ。結構途中で分かっちゃうんですけれどね。

 

7人で一緒に産まれて。とは言え全く違う人格を持ち。

一人の女性像をシェアする事でしか生きられなかった。そういう年月だった。疑問も怒りも。限界も感じてはいたけれど。どうする事も出来なかった。そんな時。打ち破られた日常。

 

本当は痛みを伴いたくなかった。けれど。

知ってしまった、誰かを愛するという事。自分とその家族以外に向けられた愛。それを守りたい。優先順位が出来てしまった時…。悲しい。天秤に掛けるしかなくなって、そういう手段しか取れなくなった者の姿が。

 

「かと言って。この作品世界に於ける一人っ子政策だって、愚とは言い切れないんだぜ…」苦々しく呟く当方。

 

お話しの設定。ノオミ・ラパラの7つ子の演じ分け。気を囚われて観ていたら。思いがけず「う~ん」となってしまう。しっかりウィットに飛んだ着地。

 

結構上手く出来た作品なんですがねえ…如何せん、公開している映画館が少なすぎて。

 

今現在。話題作目白押しの中で。下手したら埋もれてそっと終わるんじゃないかと、勝手に心配している当方です。

映画部活動報告「アトミック・ブロンド」

アトミック・ブロンド」観ました。
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1989年。東西冷戦末期のベルリン。所謂『ベルリンの壁崩壊』寸前。混沌としたその都市で。世界を揺るがしかねない重要機密が記されたリストが奪われる。

イギリス秘密情報部(MI6)のエージェント、ロレーンは現地で潜入中のデイヴィットとタッグを組んでのリストを奪還を命じられるが。

 

シャーリーズ・セロン劇場」

 

『マッドマックス 怒りのデス・ロード』の記憶も新しい。素の彼女の凛とした佇まい、彼女にまつわるエピソードからも「強い女性」と認識される女優。シャーリーズ・セロン

 

今回は特にそこを強調。ひたすら強く、そしてとびっきりのアクション。兎に角硬派に硬派に仕上げた、最早「姐さん」ではなく「アニキ」感漂うシャーリーズ・セロン劇場でした。

 

…でした。で終わりたい。そう思う当方ですが。…なんだか。なんだかしっくりこなくて。と言うのも。

 

(小声)「アニキなシャーリーズ・セロンのとびっきりのキレキレアクション!…しか無かったよな…と言うか、もしシャーリーズ・セロンが主人公じゃ無かったら、一体主人公が女性である意味ってなんやろう?」

 

勿論、「女スパイものなんだから色仕掛けしろよ」とかのナンセンスな意見ではありません。

「硬派な一匹狼。誰の事も信じない、唯一信じるのは己の腕」「誰にも媚びない」これって正直…非常に既視感のあるハードボイルドの主人公像で。

 

散々見た事のあるキャラクターを、シャーリーズ・セロンが演じる理由。

それは「そんなハードボイルド主人公を女性で出来るのはシャーリーズ・セロンだけだぜ!」という。彼女のポテンシャルのみ。

 

「いや。それでええやん。と言うかそれが見どころの映画やん」…そうなんですがね。

 

「お話しの持って行き方。進め方がもっさりしすぎかと」歯切れ悪くもそもそ言う当方。

 

某取り調べ室にて。MI6主任とアメリカ中央情報局(CIA)の主任の前で。「ベルリンで何があったのか」という問いに対し「ベルリンで起きた事」をロレーンが語りだすという振り返りスタイルで進行。

 

「誰も信じるな」それを信条として渡ったベルリンの地。合流したデヴィット(ジェームズ・マカヴォイ)のうさん臭さ。凄腕なんだろうけれど…敵なのか味方なのか。全く分からない。そしてひっそり近寄ってくるフランス人女性、デルフィーヌ。(ソフィア・ブテラ

「マカヴォイ!最近ではスプリットの多重人格者が記憶に新しい。そしてキングスマンの危ない足の持ち主ソフィア!」高まる当方。

マカヴォイの手練れ役者っぷりに痺れ。そして恋する女子を演じたソフィアに「もう一つ捻るかと思ったけれど。意外と直球」と驚いて。

 

紛失したリストの内容。端的に言えば「世界のスパイ名簿」。

「このリストが紛失したのには、二重スパイの関与が考えられる」舞台はベルリンだけれど。どこかの国のスパイの。誰かが裏切った。

ベルリンにあったそのリストを。誰かが誰かと手を組んで。誰かを使って奪った。

そんなリストが流失したら…慌てふためく各国の秘密組織達。けれど。

手元にあれば安心なそのリストを手に入れるには、一体誰を出し抜けばいいのか。誰かの手にあれば脅威。でも。

…己の手元にあれば世界のスパイを牛耳れる。そんな魅力的なリストが。

 

「二重スパイ『サッチェル』。その正体は現在は不明だけれど。そいつを仕留めて来い」

 

ロートンがベルリンに渡った理由。「リストの奪還」のほかに「サッチェルの解明と暗殺」

 

まあ。それももっさりと解決してましたが。当方は「もう別にどうでもいいよ」という投げやりな感想。(ああいうのは何とでもこじつけられるんで)

 

流石にアクションはキレキレ。「これ結構な長尺。で、吹替…していなさそう。凄いなあ~」「だんだん互いに疲れてきて。でもそれでも延々やり合うファイティング」至る所から敵は現れて。それに太刀打ちするシャーリーズ・セロン。逞しい。けれど。

 

昔呼んだ、恩田陸の小説で。とある登場人物の「ハードボイルドの内容って100文字位で言えるわ。」からの「昔は腕を鳴らしたけれど、今は殆ど隠居状態。どうしようもない理由で無理やり現場復帰。俺強いんだぜえ~。女にモテるんだぜえ~。セックスもつよいんだぜえ~。そして女との悲しい別れ。そして一人で立ち向かう…」(こういう感じの事を言ってましたが、完全に言い回しうろ覚え。)を思い出す当方。

 

シャーリーズ・セロン劇場は結構。でも…出来れはアクションだけじゃなくてお話しもクールでスタイリッシュであって欲しい」「そして似合う髪型をして欲しい」

 

「一体何様だ!」多くの民の立ち上がる声が聞こえてきそうですが。

 

取りあえず、間違っても続編及びシリーズ化はしないで欲しいと(しなさそうですが)切に祈るばかりです。

 

映画部活動報告「ブレードランナー ファイナル・カット」

ブレードランナー ファイナル・カット」観ました。
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1982年公開。言わずと知れたSF作品の金字塔…の一つ。

巨匠リドリー・スコット監督自ら再編集、デジタル修正を加えた2007年版。

間違いなく近日公開の『ブレードランナー2049』の為。ご親切にも映画館で上映しておりましたので。予習復習を兼ねて観に行って来ました。

 

「もうこれで。あやふや・うろ覚え等は無く、新作に向き合える」

勿論1982年版をリアルで観てはいない当方。恐らくそれから幾度もやっていた『何曜日かのロードショー』で観たのでしょうが。記憶には全く残っていませんでしたので。

泊り明け勤務を終えて。初めて行った遠い映画館で。無事鑑賞出来ました。

 

「1982年当時の技術を侮っていたな…(デジタル修正がなされているとは言え)こんなに近未来感が出ていたなんて…」

 

近未来。環境汚染の進んだ地球。急ピッチで進められた宇宙開拓。

しかし。実際に開拓に携わったのは、遺伝子工学に基づいて造られた人造人間『レプリカント』。身体能力を上げ。便利なロボットとして働かせていた人類。ところが。

暫くするとレプリカントには人類と同じように『感情』が芽生え始める。

次第に人類に対し反抗的な態度、行動を取る様なレプリカントも現れ始める。そんなレプリカントを『解任する』のが『ブレードランナー』の仕事。

2019年。地球。LA。

植民惑星から4体(ロイ、プリス、リオン、ゾーラ)のレプリカントが宇宙船を乗っ取り地球にやって来た。既に殺人を犯している彼らは危険であり、彼らを始末せよという指令が警察より元ブレードランナーデッカードに下る。初めは嫌々。仕事に取り掛かるデッカード

 

ハリソン・フォード若っか!!」

 

もうありとあらゆる映画で見掛けてきたハリソン・フォード。いつも何だかちょっと口が開いている手先の器用なおっちゃん。(スターウォーズインディージョーンズ等々のファン総立ちでのお怒り失言をかます当方)そ~んなイメージでしたが。

 

いやー。若い。顔つきもシュッとして。まさかあんなラブ的要素もあるなんて。ちょっと近年のイメージが先行しすぎて。彼のノリノリな時代を忘れていた当方。

 

「でも…当方はハリソン・フォード主体では見れないな。この作品」

 

レプリカント創始者タイレル社のタイレル博士。彼に会った時に案内してくれた女性秘書、レーチェル。(ジョジョの奇妙な冒険に出てきそうなビジュアル。圧倒される美貌の持ち主)

親から愛されて育った。子供の頃の記憶。でもそれは「タイレル博士の姪」の記憶を植え付けられただけだった。レプリカントを判別するテストに依って、自身がレプリカントであったと知り、衝撃、動揺が隠せないレーチェル。

初めはぶっきらぼうに接していたけれど。次第にレーチェルに惹かれていくデッカード。でもそれは…必ず終わりが訪れる…しかも早くに。哀しい恋。

 

レプリカントの暴走、反乱に対する安全装置。レプリカントの寿命は4年」

 

絶妙な設定。如何なる能力を身に付けようと、人類を脅かす脅威になろうと、彼らは4年で命が尽きる。

 

レプリカントは悪だったのか??」深く溜息を付く当方。

勿論デッカードとレーチェルの恋もアレですが…何より当方は…当方はロイに惹かれすぎて。

 

35年前の作品なのをいいことにガンガンネタバレしていってますが。もうねえ…中盤以降、主人公はデッカードじゃなくてレプリカントのリーダー、ロイですよ。

 

正直犬死感が否めなかったゾーラとリオン。残念ながら当方も後追いしませんが。(ゾーラのあの大蛇。あの女優さんの実際のペットだったらしいと読みました。何か…凄いな)

 

パンクでロックな出で立ちの彼女。プリス。レプリカント同士のカップル。

戦闘用として開発されたロイ。レプリカント集団の中でもリーダーの彼の望みは、決して『レプリカントの、レプリカントによる、レプリカントの為の政治』や『打倒人類』では無かった。ただただ『長生きしたい』それだけ。

 

「4年で命が尽きる」そう知ったけれど。自身がいつ生まれたのか、自身のリミットも分からない。そしてそれは愛するプリスも同じ。

 

穏便に話が出来る相手では無い。だからと言って許される訳ではないけれど『父』に当たる『タイレル博士』に会う為にはなりふり構ってはいられなかった。そうしてやっと『父』に会えたけれど。

(セバスチャンは良い奴やのにな…趣味が独特過ぎて当方は家に遊びに行けないけれど)

 

「ロイ目線で見たらもう…デッカード邪魔。仲間は次々やられるし」早い所始末せよと。当方なら指の骨どころじゃ済まないですよ。なのに。なのに…(涙目)

 

全編を通して夜?みたいな薄暗さの。しかも常に雨が降る中で。あんなポエミーな終末。美しすぎて泣けてくる当方。

 

 

ほぼほぼネタバレした所で。少し話を変えますが。

「多くのSF作品に影響を与えたとされるこの作品が。何故公開当時はひっそりと、そして速やかに公開を終えた…ってなんで?なんでマニアック枠やったの?」

調べて直ぐ様解決。全米公開日『ブレードランナー/1982年6月25日』『E.T./1982年6月11日』

E.T.かああ~しかもそっちの方が先。そりゃあ勝てんわ。

(そのまま調べたら。1892年の公開作品の凄まじさ。『愛と青春の旅立ち』『ロッキー3』『ランボー』『遊星からの物体X』『ポルタ―ガイスト』エトセトラ。エトセトラ)

まあでも。多くの人に愛される『ブレードランナー』だからこその新作製作、そして公開なんだと思いますし。

 

(後。1980年代のアメリカにとっての日本ってどれだけ『黄金の国ジパング』だったんだ。今なら他の発展途上国に持って行かれそうな、猥雑な日本のエッセンスを散りばめて。そして強力わかもとって、何の薬やったっけ?多分求心みたいなやつやったと思うけれど)

 

付け焼き刃ながら。予習復習も済ませましたので。

 

ブレードランナー2049』ネタバレ爆弾を食らわない様に。(どの口が言うのか)

早めに観に行きたいと思います。

映画部活動報告「すばらしき映画音楽たち」

「すばらしき映画音楽たち」観ました。
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「ああこれ。あの映画の…」

その音楽を聴く時。思い出す『あの映画』。そして。

映画を観ている時。目の前のスクリーンに広がる世界。やはり一番多くを語るのは画。役者の演技。そしてそこまで自身を連れて行ってくれたストーリー。けれど。

その時高揚し、緊張させ、胸に込み上げてくる感情の後押しをするのは、そこに流れる音楽。

「敢えて一切の音楽を排除した」映画も存在するけれど。やっぱり映画に於いて音楽の存在はかけがえが無い、そう思う当方。

 

そんな映画音楽についての。映画音楽に携わる人たちのドキュメンタリー映画

 

予告でその存在を知った時から。これは絶対に観るべきだと確信し。そして公開後数日で。いそいそと映画館に向かった当方。

 

「93分?短い…もっともっと。もう永遠に観ていたかった。」満たされ…でも求める当方。

 

ハンス・ジマー
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ダークナイト』『パイレーツ・オブ・カリビアン』もう挙げればきりがない、30年以上トップを走り続ける巨匠のインタビューを始め。

 

「あんな作品も?」「こんな作品も?」メジャー所に寄っている感は否めませんでしたが。凄まじい作品群とその音楽の応酬。観ている者を引っ張りまわし。

 

「映画には常に音楽が一緒に居た」「無声映画時代であっても、映画館にはオルガン奏者が居て。決められた音楽、又は即興で音楽が付けられた」

 

「即興?!」また…そのオルガンの「うへえええ」という難解さ。
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(当方にはとても説明出来ませんので、パンフレットの裏表紙を撮ってみました)

 

そうやって映画を楽しんでいた時代を経て。映画に音が入った時。映画音楽も誕生する。

 

「もし音楽が無かったら。何も怖くないし、安っぽく見えてしまうでしょう。でもね。音楽が付く事で恐怖感が出てくる。」

例えば、ヒッチコック『サイコ』『めまい』。この座りの悪い不気味さ。モノクロ時代の『キング・コング』の迫力を引き上げたのは音楽。これらがもし無声であったとしたら?

 

映画音楽創世記から、現在に至るまで。流行りすたりはあれども、映画作曲家達の目指すものは一つ。『その映画の世界にマッチする事』(こういう言い方はしていませんでしたが)

 

「映画監督の多くは、自身の世界を音楽では語れない」けれど。撮り終わった後のその作品に生きた感情を付加するのには音楽は不可欠。

撮り終わった作品を監督と一緒に観て。監督から「これはこういう気持ちで」「こういうイメージで」そんな漠然としたイメージを作曲家たちはすくい上げる。恐らくその映画をイメージしていた時、実際に映画を作っていた時、監督の頭に流れていた音楽を再現するために。

でもそれは。往々にして監督の想像を遥かに超える。その時の監督たちの笑顔がまた。

(エンドロールのエピソードも至高)

 

とはいえ。どんなに手練手管の作曲家たちだって、新しい作品に向かう時は戦々恐々。「全然浮かんでない」「逃げ出したい」「出来ていないのにもう看板は出ているんだよ」怖いんだと。そして実際に映画が封切られてから。近くのシネコンにそっと足を運んで。トイレに籠って、鑑賞後鼻歌を歌いながら入ってくる客に嬉しくなって。

 

楽器だって。「それ何?」と目を疑う様な民族楽器から。おもちゃの子供ピアノから。吹きっ晒しの屋外のピアノから。かと思えばスタジオ環境に依って(素人には全く違いが分かりませんが)音が変わるというオーケストラ演奏から。

「兎に角映画世界に合う音楽作り」のあくなき探求。舌を巻くばかり。

(そしてそのオーケストラスタッフのプロ感。まさか楽譜を初見で演奏しているとは!)

 

(「そりゃあ、映画やから…」と言っては終いですが)この作品には本当に多くの作曲家や携わるプロや評論家が出てくるんですが。気持ちいいばかりに互いをリスペクトしあっていて。それが気持ちいい。

 

「あの映画ではやられたよ」「ああいう事が出来るなんてな」「彼は偉大だ」(一番震えたのは「オーケストラが演奏する『レッド・ツェッペリンだ』のフレーズでした)勿論個々のオリジナリティはある。でも。どこかで聴いた誰かの作った音楽を意識している時もある。それはどこか仕方ない…だって。互いに『映画に寄り添う音楽』を作っているのだから。

 

映画に於いて音楽は寄り添うものであって、決して音楽だけが突出してはいけない。

「なんかうるさい映画だな」となってはお終い。

 

なんて。何だか分かった様な事をだらだら書いてしまいましたが。

 

この作品は兎に角「ああ。あの映画の…」

それが余りにもひっきりなしで。観ていたら胸が熱くて。

 

E.T.』が。『ジュラシック・パーク』が。『スター・ウォーズ』が。『ダークナイト』が。『マッド・マックス』が。『バック・トゥー・ザ・フューチャー』が。『インセプション』が。その他…もう出てきた中で知っているあらゆる映画が。その時観た環境や思った事。どういう感情が押し寄せたのかがどっと押し寄せてきて。

しかも。映画とは関係が無い、あの時胸を痛めていた…今の当方にとってはちっぽけで、でも当時は真剣に悩んでいた事。そんな事なんかも記憶には付いてくる。げに恐ろしき、音楽の力よ。

 

「子供の頃。何でか車の中に『西部劇のテーマ』というカセットがあって。よく父親と聴いたな」西部映画を殆ど知らないのに。そんな事を思い出して。懐かしくて。

 

まあ。映画好きなら観て損する事は絶対無い。そう言い切れる作品。プロたちが見せてくるお仕事映画ジャンルではありますが、言葉に出来ない高揚感に包まれる。そして「あなたの映画音楽は?」と聞きたくなる。

 

当方ですか?言い出したらキリがありませんが。原点はこれだと思います。

 
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映画部活動報告「猿の惑星 聖戦記(グレート・ウォー)」

猿の惑星 聖戦記(グレート・ウォー)」観ました。


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新しい猿の惑星シリーズ三部作。『創世記』『新世紀』に継ぐ最終章。『聖戦記』。

ずっと公開初日鑑賞で追っていました。

猿の惑星創始者であるチンパンジー、伝説の『シーザー』の生き様を軸に。

「かつては人類の科学実験から産まれた」「人類との決別」「共存は出来ない。悲しい別れ」「秩序が生れた、猿たちの世界」そして今作。「そして猿の惑星になる」。

 

「何故当方は旧作からの全8作品をおさらいしなかったのか!少なくとも前作『新世紀』から3年あったのに!愚かな!」己を厳しく叱咤する当方。せめて。せめて旧作5作は観るべきだろうと。

 

現在の職業に就いて早十何年。今とは違う職場で違う部署で働いていた時。三交代で働いていた当方は、深夜も過ぎた丑三つ時にタクシーで帰宅する事もしばしば。

さっきまで働いていた頭は中々睡眠モードには入らず。そんな深夜。テレビを付けるとやっていた古い映画。
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シリーズ最初の『猿の惑星』公開が1968年。以降、合わせて5作の猿の惑星シリーズ発表時は勿論生を受けておりませんでしたし、後付けでそうやって夜中の映画ショー等でちらちら見た程度。(2001年版は観ていません)なので「大体こういう感じの~」としか語れなくて。と言うか語る資格もなく。

 

なので。2011年に新しく誕生した猿の惑星シリーズが「1968年の猿の惑星に繋がる作品シリーズ」だとは正直忘れていました。(迂闊)

 

なので。今回お話しが進む中で。「あれ…これ…」と。ふっと脳内を過る、荒い映像に「ばかばかばか」ともどかしくなるばかり。(具体的には…ノバとか。コーネリアスの名前とか。あのラストの地とか…)でも。

その。荒い映像の中で。幾度か語られた伝説の創始者『シーザー』。

 

この三部作の主人公であり…最早神話レベルのキャラクター。

 

「圧倒的なリーダーであり、指導者。人類など太刀打ち出来ない男前さよ」

 

産まれたばかりのあどけなかった時など何時の事やら。すっかり眉間に皺を寄せまくった、貫禄ある渋いボス猿に進化していました。

 

科学の力で異常な進化を遂げたシーザーと猿達。彼らは人間と決別し、ひっそり森の中で暮らしていた。そして。やっと安住の地を見つけたと喜び。明日には移動しようと語らい。

なのに。打ち破られた静寂。猿憎し、駆遂すべしと襲ってくる人間達。

 

冷酷非道な大佐の夜の奇襲に依って、襲われた猿たちの集落。愛する家族を失ったシーザー。怒り。

 

群れの皆は安全な場所に移動せよと。しかし、自分の家族を奪った人間は許さない、復讐に向かうと踵を返すシーザー。

 

この作品に於ける大きなテーマとしてあったのだろうと当方が思う事「憎しみは何も産み出さない」

 

まだ公開してあまり日にちも経っていませんし、あれこれネタバレするべきではないと思いますので。此処からはふんわりとしていきますが。

 

(一つだけ。気になった事。黄色い字幕って珍しいなあ~と思った当方。余談ですが。)

 

今作。家族を奪われたシーザーの原動力は『憎しみ』でも。彼は群れを率いるリーダーであって。

前作の『新世紀』。途中からアウトレイジ化した理由。「コバ」

シーザーと初めは心を通わせたチンパンジー。でも彼は人間に虐待された過去を持っていて。その憎悪は計り知れず。その感情故の行動は、猿も人間も後戻り出来ない所に連れて行ってしまった。

 

何度か。「俺のやっている事は何だ」と立ち止まるシーザー。今守るべきものは何か。愛する者は何か。これはコバと同じでは無いかと。

 

「まあでも。そこで緩急つけずに繰り出してくる、大佐の『非人道的処置』」ところがとろが。

 

「大佐が完全な悪役だったら。いっそ憎みきれたら…」切なくなる当方。「そうか。ここは猿の惑星になるんだな」

 

旧シリーズで。地球は猿の惑星と化し。人類と思わしき者達は…確かにああいう風になっていた。(ロボトミー手術ってなんでしたっけ?『カッコーの巣の上で』とはまた別だったと思うんですが…)切ない。

 

「切ないいいいいい」そうなると。ノバのあの華憐な姿。ああやって幸せになれた人類と、目一杯足掻いた大佐と。その人類の末路の比較が。

 

正直。痛々しいなあと思う所もありましたが。シーザーは何処までも男前で。仲間たちはシーザーを信頼し尊敬し。

自分可愛さに人類に媚びた猿たち。その『ドンキー』の末路まで。猿たちは何処までも恰好良過ぎて。

「基本的にはシーザー以外誰も人類と話せないのに。その手話とウホウホで大体の事が分かるという稀有なストーリー」

 

大脱走。レヴェナント等々。数多の映画要素も(何となく観ている側には)盛り込んで。そんな硬派で硬質な作品の雰囲気も持たせながら、どこかコミカルな要素もある。

 

「バッド・エイプ。可愛かった」
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シーザー達初期メンバーと同じく。動物園で暮らしていた、新しい仲間。「悪い子!悪い子!」と呼ばれていたことから名乗る「バッド・エイプ」何だか悲しいのに。持って余るひょうきんで憎めないキャラクター。勿論当方も大好き。苦しすぎる雰囲気をふっと緩めてくれる、ムードメーカー。

 

そうして。「ああ。こうして人類は」と。雪山というロケーションの意味を理解した終盤。そして。

 

「ありがとう。シーザー」

 

あの。昔深夜のテレビで。褪せた映像で見た、あの場所だと。夕焼けに焼ける件の場所を見た時、どっと何かが押し寄せた当方。

 

「そうか。あの時言っていた『創始者シーザー』とはこの猿だったのか」

最早神話。

 

新しい猿の惑星シリーズが気持ちよく幕を下ろした所で。

 

「やっぱりここまでの8作品を振り返らなくては…」溜息を付く当方。