映画部活動報告「新感染 ファイナル・エキスプレス」
「新感染 ファイナル・エキスプレス」観ました。
何事にも全力疾走。本気過ぎる韓国映画の新ジャンル『Z(ゾンビ)映画』
離婚秒読みのエリートサラリーマンの主人公とその娘。
娘の誕生日。「ママに会いたい」と娘にせがまれ。ソウル発プサン行きの高速鉄道KTXに乗った二人。そこで起こった謎のパンデミック(感染爆発)。発狂し、凶暴化したそれは見さかいなく乗客、客室乗務員を襲い。そして噛まれた者は漏れなく同じ人外になってしまう。その姿はさながらZ。
彼ら親子の他。出産間近の妻を気遣う夫。高校野球部集団と女子マネージャー。老いた姉妹。浮浪者。居合わせた者達は、果たして無事に目的地に着く事が出来るのか。
「この、ふざけた日本語タイトルの所為でイロモノ枠になってしまっているけれど…この作品は本当に面白い」「馬鹿にしとらんと観に行って!」鑑賞後。周囲に熱くお薦めする当方。
当方が好きな電車映画。高倉健が珍しく犯人役。東京発博多行き新幹線をジャックした、名作『新幹線大爆破』。
大好きでは無いけれど。レギュレーションが印象的だった、人間の住めなくなった氷河期を永遠に走る。その列車の中で起きたヒエラルキーの崩壊を描いた、ポン・ジュノ監督作品『スノー・ピアサー』。
それら当方のお気に入り電車映画に並ぶ(どうだっていい話ですが)…しかもZ映画作品。
冒頭の鹿のシーン。そこから既に不穏な世界は姿を見せ始めていて。
『その日』の前日。
仕事優先で家族を顧みない主人公と、その家族(主人公の母親と娘)。
娘の誕生日は覚えていたけれど。子供の日と同じゲーム機をプレゼントしてしまうなどの残念さ。案の定、娘は別居中の母親の元に行きたいとダダをこね。「きちんと話し合いなさい」と心配する母親にも適当な返事をし。
夜が明けて。「午後には帰るから」と半ば嫌々早朝のKTXに娘と二人で乗り込んだ主人公。でも。
ソウルを出発する時点で、既に『異常事態』の片鱗は見せていた。
この親子以外の乗客。それがまた、無駄が無く上手い組み合わせで。
特に当方が好きだったのは…御多分に漏れずのマ・ドンソク。
妊娠中の妻を終始守り続け。でも周りの人間も見捨てない。そして、ダイナマイトボディからは想像も付かない戦闘能力の高さ。
に引き換え。主人公の卑怯さ。
「俺と娘だけ助けてもらえないか」有事の最中。どうにかコネを見つけ電話で懇願。
流石に娘は大切だけれど、周りの乗客なんか知ったこっちゃない。
高校生カップル。積極的な同級生の女子に好意を寄せられ。満更では無いけれど恥ずかしくて。そんな高校球児。メンバーに冷やかされながら。ワイワイとはしゃいでいた高校生たちを襲った悲劇。
また…所謂『走ってくる系Z』なんで。Zの動きが早い早い。しかもZ達は折り重なって襲ってくる。その迫力。『ワールド・ウォー・Z』以来のZドミノ。Zピラミッド。
初めのZパンデミック。何事かと逃げ惑った乗客達。密室である高速鉄道に逃げ場は限られていて。兎に角前へ前へ。前方車両に避難する事が出来たのに…途中駅に停車。そこで全員が一旦下車してしまった事で、事態は更にややこしくなってしまう。
まさかの。その駅で待機していた軍隊が総じてZ化。襲われる乗客と職員達。ある者はそこでZとなり。ある者は無事列車にたどり着いて。そしてある者(主人公。ダイナマイト戦士。高校生)は後方車両に戻ってしまって。
彼等は始め、親しくは無かった。寧ろ憎んだりもした。でも…各々守りたい者があった。娘。妻。恋人。前方車両に居る彼女達に会う為、必死にZに立ち向かう三人。
「しっかしまあ…半袖にガムテプロテクターで立ち向かうハートの強さよ!!」
しかも。襲い掛かるZに対し、飛び蹴りやらチョップで対抗。逞しすぎる。
終始真っすぐの高校球児。そして彼らと行動を共にすることで『人間らしさ』(この作品でこの言葉は皮肉やなあ)を取り戻していく主人公。
この作品のZには「かなり見えていない」という特徴があって。
音や動くものには反応するけれど、眼球は重症の白内障以上に白濁。
「という事は、トンネルではZの動きは鈍くなる」
ただでさえ見えていないZ達。トンネルの暗闇ではただ棒立ちになって呻くだけ。「かしこいな~」高速鉄道ならではのトンネルの利用価値。上手いなあと感心する当方。
主要なキャラクターとしては、主人公親子。一組の夫婦。高校生カップルが主軸となる訳ですが。どこまでも利己的で憎たらしかったあいつ。職業倫理を失わなかった客室乗務員と運転手。(何があったのかよく分からんかったけれども)これまで苦労したらしかった老いた姉妹。浮浪者も余す事無く物語の展開を牽引し続けて。
「どうして助かったのに…」物語が二転三転するにつれ。そっと溜息を付く当方。どうして人と人が助け合わない。明らかに彼らが逃げてきた相手とは違うのに、恐怖からの疑心暗鬼。そして因果応報。
「大体、Zに噛まれてからZになってしまうまでの潜伏時間がまちまち過ぎるんよな」
ある者は即Z化。ある者は暫くは正気を保てる…物語の進行上仕方が無いからなんやろうけれど…けれど、Zに噛まれてから長時間正気であった者なんて居なかったのになと。どうして誰もそう指摘しなかったのかとあのシーンで思った当方。
もうここで終わってくれよと。そう思ったのに…。「え?これバトルロイヤルなんですか?」思わず疑った当方。そして悲しすぎる終末。初めて『アロハ・オエ』で泣く当方。
電車。パニック。社会派。ハートフル。そしてZ。盛り込みまくっているのにしっかり絡み合ってちゃんと着地(到着?)素晴らしい。
なのに。今脳内で再現すると、どうしても大沢たかお(又は東出昌大)と葉加瀬太郎になってしまう。困った事態です。
映画部活動報告「エル ELLE」
「エル ELLE」観ました。
『氷の微笑』のポール・バーホーベン監督。イザベル・ユペール主演のフランス映画。
レイプシーンでの幕開け。
被害者のミシェル。一人で住む一軒家でくつろいでいたいた昼下がり。スキー帽を被った闖入者に依って、まさかの自宅でレイプされる。
一人になって。暫く呆然と床に倒れていたミシェル。でも。むくりと起き上がった後、てきぱきと掃除。服を捨て、風呂に入って。そしてデリバリーの寿司を注文。
ーそんな彼女の行動を見るだけで「こいつ…ただモノじゃないな」と感じさせる。
(エロ)ゲーム会社の剛腕社長。一部の若手男性社員からは疎まれ、又は心酔され。でも全く動じない。鼻にも掛けない。
離婚した夫(作家)は最近若い彼女が出来て。何だか楽しくない。とは言え、自身はちゃっかり仕事上のパートナーで親友の夫と不倫中。
当然、レイプされた事は許せない。でも警察に通報する気がおきない。
と言うのも、ミシェルの父親は39年前に大量殺人を犯したから。
39年前。当時10歳だったミシェル。加害者の家族という事でメディアに追われ、周囲から忌み嫌われた経験を持つミシェルは、どうしても警察とは関わりたくなくて。
時々スマートフォンに送られてくる不気味なメール。そして社内のPCにバラまかれたエロコラ画像。「犯人は誰?」探っていくミシェル。
そんな時。「お宅に不審人物が居ましたよ」と警察に通報し、ミシェルを送ってくれた向かいに住む若夫婦の夫。ときめくミシェル。
自宅でパーティを開き。こっそりアプローチ。何だかいい感じに思えたけれど…。
イザベル・ユペールありきの作品。
主人公ミシェルがねえ…兎に角可愛げが無いんですよ。何事に対してもクールで皮肉っぽい。
例えば。元夫、親友とその夫(不倫相手)とのレストランディナーでも「私。レイプされたの」とあっけらかんと告白。動揺する周りに「この話はもういい」とぶった切って。こんな食事会、楽しめる訳が無い。
ミシェルの年老いた母親。ゴテゴテのAルリ子系メイクを施し。明らかに金目当ての若い男と再婚すると惚れまくっている母親に「馬鹿な事を言うな」「みっともない」「私がいつか同じ事を言いだしたら殺して」とぶった切り。
ミシェルの息子ヴァンサン。成人しているけれど、定職に就く訳でも無く。やっとハンバーガーショップでバイトを始めて。と言うのも彼女に子供が出来たから。
心優しい…優しすぎる息子。息子は可愛い。でも明らかに尻に敷こうとしている息子の彼女は気に食わない。そして案の定…。
そんなエピソード満載。ちょっと詰め込みすぎかなと思うけれど。ミシェルは常に強気。あっけらかんとした物言い。実際にレイプ被害にもあっているのに。気持ち悪いメールも送りつけられているのに。特にセキュリティーを強化する訳でもなし。
「会社の人間が犯人なの?」疑って。結局は違う案件が平行して起きていたという結果で。でもその落とし前の付け方は非常に中学生男子風。
「男はみ~んな馬鹿。結局世界は女が回している」
まあ。ひっくるめるとそういう作品かなという解釈を当方はしてしまいましたが。
余りにもミシェルというキャラクターが達観しすぎていて。何だかどこまでが『本気』でどこまでが『かまし』なのか分からない。真意が今一つ掴み切れない。
レイプ犯をそこまで真剣に追っている様にも見えず。
ネタバレしてしまうと…レイプ犯の正体は分かるんですが。その相手に対してミシェルが取った行動もあんまり共感出来ず。
「結果ああなる事を見越していたとしたら…それは凄いけれど…違うんやろうな」
何の実体験も基にしていませんが。SMとレイプって絶対に違うと思うんですね。前者は相互理解と、需要と供給が成り立ってのプレイで。でも後者は完全に一方の勝手な性欲を押し付けてくる…暴力でしかない。
だからミシェルがどうしてああいう受け入れ方をしたのか理解出来ない。
なので。寧ろあのレイプ犯のパートナーが最後に放った言葉の方に闇を感じて。「おっかねええ」とぞっとした当方。
まあ。幾つになっても魅力的なイザベル・ユペールに男達は皆翻弄されて。自爆して。残ったのは女ばかり。「男はみ~んな馬鹿。結局世界は女が回している」
(エピソードを幾つか減らして。そして39年前の事件の背景とミシェルの人格形成の経過はしっかり描いていたら…と思いますけれど)
何だか歪で…でも気になる。後からじわじわやってくる。そんな作品でした。
映画部活動報告「ワンダーウーマン」
「ワンダーウーマン」観ました。
「DCの最強女子。ワンダーウーマン」
女だけが住む島『セッシラ』外界とは結界を張って。外部からの侵入を遮断。そこで暮らすアマゾネス族の王女ダイアナ。
昔まで遡れば、元々は奴隷であった彼女達。自衛の為に訓練し戦士となって。
ダイアナの母親はダイアナの身を案じ。訓練に加わる事を禁止していたが…戦士達が訓練する姿に惹かれていく幼いダイアナ。
母親の妹で史上最強の将軍の説得もあって。ダイアナは晴れて訓練に参加。めきめきと戦闘能力を上げていく。
時は経ち。強く。そして美しく成長したダイアナ。
ある日。楽園であったセッシラの結界が破られる。
飛行機で飛び込んできたスティーブ。その彼を追ってきたドイツ軍。
突然の闖入者に立ち向かうアマゾネス戦士達。ドイツ軍を全滅する事は出来たが、彼女達にも大きな痛手が残った。
アマゾネス戦士の武器の一つ「真実の投げ縄」に依って「今世界では戦争が起きている」「自分はアメリカ陸軍航空部隊長で連合軍のスパイだ」「ドイツ軍に侵入し、危険な薬物兵器を作っている情報を入手した」「連合軍に秘密基地を破壊せよという報告をしようと出発しようとしていた所、見つかって追われていた」ペラペラと話す羽目になったスティーブ。
生れて初めて見た「男性」に興味津々のダイアナ。
「世界は貴方が救うには値しないわ」「この島を出たら、もう二度と戻れない」
反対する母親を振り切って。スティーブに付いていく事にしたダイアナ。
そうして。初めて人間の住む世界を目にしたダイアナは。
「ワンダーウーマンかあ…あの絶妙なコスプレしたお姉ちゃんな」
(ワンダーウーマンに対する知識が殆どありませんでしたので)
前作。『バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生』で。「で、このお姉ちゃんは何なの」「勿体ぶって。来るのが遅いわ」と思っていた当方。(ワンダーウーマン云々では無く、そもそもこの作品自体が嵌らなかったというのが最大の要因。2016年ワタナベアカデミー賞のラズベリー賞作品。「こんなバットマンは嫌だ!」という感想でした)
今回この作品を観て。「ああ。こういうキャラクターだったのか」と、ワンダーウーマンの背景を知った当方。
まあ真面目な作品でした。
どう見ても立派な大人の女性。なのに。湯上りで一糸纏わぬスティーブに「男って皆そういうもの?」と聞いてきたり。「一緒に寝ないの?」「生殖の為に男性は必要だけれど、快楽には必ず必要ではないわ」と言ってきたり。知識はあるけれど、初心なダイアナに「女性と一緒に寝るってことは…」寧ろドキドキさせられるスティーブ。
そして。ダイアナの持ち出す、戦争に対する超理論。
「戦争が起こるなんて、軍神アレスの仕業よ。あいつは悪の象徴ゼウスの神の息子で。地上に追い出されたアレスは、人間とは愚かな者だと思わせる為に人々に争いを起こさせる様に仕向ける。アレスを倒せば世界は平和で満たされる」
いやいやいや。戦争ってそんな単純な話じゃないぞと。スティーブと我々観客の思いとは裏腹に。「私がアレスを討つ!そして世界を救う」と息巻くダイアナ。
連合軍に件の報告をしたけれど。思ったようには動いてくれなかった。そんな議会の代表にダイアナは「貴方達は真の軍人じゃないわ!」と吐き捨てて。
「約束したでしょう。前線に連れて行って!」「アレスを探す!」
ダイアナ。スティーブ。そして変装の達人サーミア。狙撃手チャーリー。武器密輸の酋長。寄せ集めのメンバーは一路西部戦線に向かう。
丁寧に書いていくとこのままネタバレするばかりですので。ここからの詳細はふんわりとぼかして進めますが。
「今更しょうもない突っ込みやけれど。どんなに大真面目にやろうが、みんな普通の恰好の中で一人露出が高すぎるコスプレって…変やなあ」
周りは男だらけなんですよ。そんな中で裸同然の衣装。ジェントルマン当方なら思わず「おい!お前何て恰好してんだ!これ羽織れ!」とそこら辺の布を投げて寄越しますよ。戦いに集中出来ないし…。(余談もいい所なんでこの話は止めますが)
まあ。そんなモヤモヤとする部分もあるんですが。それでもやっぱりこの作品に於いての功労者はダイアナ役のガル・ガドット。そしてスティーブ役のクリス・パイン。
勿論、数多の画像編集技術を持ってあの作品が出来ている事は承知。でもそれにしても彼女の鍛えられたしなやかな肉体とアクション。それがあってこそ。
そして流石女優。全てのポーズが決まる決まる。
「彼女無しでは成立しない」
そして。人間味があって。主人公ダイアナを支えつつ自分の正義も忘れない。そんなスティーブをクリス・パイン。ベストチョイス。
あの、ちょっとボンクラ臭のする仲間達も良かった。各々傷を抱えながら。始めこそ寄せ集めだったけれど。行動を共にするにつれ、生まれる連帯感。
「正直敵がイマイチなんよな…」「そしてダイアナのキャラクターのアンバランス感」そっと溜息を付く当方。
ドイツ軍のルーデンドルフ将軍。マッドサイエンサーと組んで秘密兵器を製作。確かにいかれたコンビネーション。冷酷で独裁的なルーデンドルフ将軍。そんな彼はアレスの化身。彼を倒せば、世界に平和を取り戻す事が出来る。
「戦争とはたった一人の人間が起こせるモノでは無いし、また、一人の人間の死を以って終結するモノでもない」という事を知っている当方のモヤモヤ。
「何故、紙面上で得た人間に対して溢れんばかりの知識を持つ彼女が、こと戦争に対する認識だけ言い伝えの神話レベルなんだ…」
性について。世界中の言語。そんな事を知り尽くしていた彼女が。何故戦争だけ「軍神アレスの仕業」と思うのか。
当然「違うんだ!!人間ってやつはな!!」そんな展開がありましたが。
「そもそも何故ダイアナは人間を救いに行こうと思ったんだ。正義感?スティーブへの興味?どこからか溢れだす使命感?」それらが複合された感じだろうとは匂わせていましたが。
「ずっと子供の時から聞かされていた。アレスは悪だと」そうなんでしょうが。
彼女を突き動かす原動力のアンバランスさ。何て言うか…余りにも子供っぽい。
(まあ、確かにこの作品はワンダーウーマンの成長記なんですが)
そして。約2時間半の尺の。最後の闘いのシーン。「あれですか?時間無くなったんですかね?」
大風呂敷を慌てて閉じ始め。「何だその悪役」「何だその思考」「おいおいそういう重大な告白と理解を10分位で済ますな」「早い早い。頭の回転が速すぎる。丁寧にして」そしてスティーブの決断。
ダイアナの善悪のボーダーラインが一気に危うくなって。そこで効いてくる母親の言った「世界は貴方が守るには値しないわ」でも。
「私には守りたいものがある」
もうあの楽園には戻れない。何故ならこの世界を選んだから。
今後、DCのジャスティスチームにがっつり組み込まれる事が確定しているワンダーウーマン。エロくてクールでミステリアス。そしてしっかり強い彼女が、どういった背景を持ったキャラクターだったのか。
こんな熱くて、真っすぐで世間知らずで。一所懸命で。傷ついた。そんな彼女の背景を知るという意味で、真面目に作られた作品だなあと思いました。
映画部活動報告「ローサは密告された」
「ローサは密告された」観ました。
フィリピン。マニラのスラム街。
ローサとその夫、息子2人、娘1人の5人家族。
雑貨屋を営むローサ夫妻。飴を売り。雑貨を売り…そして麻薬を売って。
大して稼げる訳でも無いけれど。麻薬売買の売り上げ込みで細々と生計を立てていた。
ある雨の夜。何者からか麻薬の売人だと密告され、捕まったローサとその夫。
何もかも終わったと。連行された警察署で起きた、信じられない出来事。
「何だかもう…凄まじいで!」という先人たちの感想を聞いて。思わず観に行ってしまいました。そして。
「ええと…これは何処までリアルだと認識したらいいのか」困惑する当方。
語彙力が無い故に。暴力的な物言いになってしまいますが…一言で言うと兎に角民度が低い所で。
きったない雑貨屋を営むローサ夫妻。駄菓子。雑貨。でもそれだけでは無い。ローサの雑貨屋では麻薬も売ってくれる。
勿論非合法。でも。周りに住む人たちは皆知っている。ローサの店で麻薬が買える事を。遠方からも麻薬を求めて来るけれど。顔なじみから麻薬を買う集落。大したセキュリティも施さず。麻薬が余りにも無自覚に身近。ローサ自身は麻薬を売買するだけれど。ローサの夫は立派なジャンキーになっている。
日常故に罪の意識なんて微塵も感じず。そんなある日。摘発されたローサ夫妻。
子供の前で逮捕。連行。それだけでも十分ショックなのに。ご近所さんにも思いっきり見られながらの逮捕劇。(日本ならそれだけでも一家転居案件)なのに。
「私たちは知りません」「麻薬を売りにくる売人が居たから、店に置いただけ」とシラを切ろうと?するローサ夫妻。ところがところが。
「曲がった事は大嫌い!」なはずの警察官が。
警察署…と思いきや。何だか施設の周りをぐるっと回った所にある裏口に案内。
そこをくぐると…そこは裏警察署で。
そこで「ええと。これは何処までリアルと認識したらいいのか…」再び困惑する当方。
大して社会情勢に明るくない当方。
確か現フィリピン大統領のドゥテルテ大統領。学の無い当方はきちんとした言葉では解説出来ないのですが…つまりは「麻薬の取引売買やら使用した奴、はその場で死刑な!」というおっかない政策を打ち出していて。
「麻薬に手を染める様な人間はあかんやつやけれど…それは極論ちゃうか」と世界的にひかれていた…と当方は認識しているのですが。
「確かにきつい政策やけれど…もしこういう実態が横行しているのであれば…個人的には分からなくはない…」ひっそりとため息を付く当方。
と言うのも…警察側も十分に腐っているから。
「捕まって豚箱に行きたくないだろう。じゃあ俺たちが提示する金を準備するか、お前たちに麻薬を売っていた奴を教えろ」末端警察官達からの、まさかの司法取引が開始。捕まる訳にはいかないと、すぐさま自分たちに麻薬を卸していた売人を売るローサ夫婦。(自分たちもそうやって密告されたのにな…)
そして。速攻その売人を警察は捕まえたけれど。またも売人にも同じ話を持ち掛け。結局は全員同じ穴のムジナ。
結局は、ローサ夫妻も警察に賄賂として金を位支払わなくては裏警察署からは解放されないと知って。
どこまで行っても「麻薬・駄目・ゼッタイ」という流れにはならないんやなあ。そう思ってうんざりする当方。そりゃあ現職大統領が「麻薬に関わった奴は即死刑な!」と言いたくなるかなあと。そう思えて仕方なくて。
そこからは、警察からげんなりするほどの「釈放されたければ金を作ってこい」の繰り返しなんで。黙ってムカムカするばかり。
「本当の、親のあるべき姿」当方は誰の親でもありませんが。
そもそもの麻薬売買という犯罪に手を染める気がしませんが。とは言え、リスク(捕まる)は承知なはずで。
だとしたら、捕まった時には、本当にやっていたのならばあっさり認める。
(「罪を償う=死」という犯罪ですし、実際にはどういう行動を取るのか。はっきりしませんが)
警察に捕まって連行されるという失態を犯した地域にはもう住めない。
でもやっぱり、釈放されて娑婆で生活したい。犯罪者にはなりたくない。とはいえ。
真顔の当方。「だからって、当方の子供達に。当方の尻拭いをさせたくない」
まあ。致命的な犯罪を犯した事はありませんので。何とも言えませんが。
ローサ夫婦にとっての麻薬売買に関わった重さは、『遂に今夜捕まってしまった』『捕まってしまった』『抜け道無いかな~』『警察官に釈放するなら金を払えと言われている』『本当に嫌だ。これも麻薬販売に手を染めたからだ』『やらかしたな~』『娑婆に戻ったらもう止めておこう』という程度。(作中でこういう発言はありませんでしたが)
麻薬が人間の尊厳と命を脅かすモノで。それと引き換えに得られるモノもあるみたいやけれど。誰もコントロールも制御も出来ない代物。だから取りあえず多くの国で麻薬の一般流通は認められない。麻薬を知る事で失われる理性。人間性。それをローサ夫婦も、恐ろしい事に警察官も分かっていない。
ローサ夫婦の3人の子供。「お父さんとお母さんを釈放するためにお金を作って来て」
嫌すぎるミッション。ある者は自室のテレビを警察に売って。ある者は親に言われた通り親戚中に頭を下げ。ある者は自らを売って。そうして三者三様に金をかき集める子供達。険しい顔をして追う当方。つくづく嫌になってしまうシーン。
「結局この作品は、どこの誰に向けて作られたんやろう…」途中からふと思う当方。
治安や地域差があると言え。この監督は結局、誰に向けてどういうメッセージを送ろうとしたんやろう。国内?…どちらかと言えば国外向けな感じもする(あくまでも当方の私見)
「パンフレット買えよ!」何をいってるんだと。お叱りの声が聞こえてきそうですが。
「フィリピンスラム街の実態?」それは確かに何処までの再現度なのかは分からないけれど。ベースとしては伝わる感じがした。でも。ローサ達を「そこで逞しく生きる人々」とは言い切れなくて。。全然綺麗ごとじゃないんで。
「麻薬を無自覚に売る雑貨屋夫婦」「近所ではすっかり有名な麻薬斡旋の店」「摘発」
「腐った警察とのやり取り」「子供たちのお金の集め方」これらは当方の様なフィリピンの事を知らない者の方が「そういう実態があるのかな」と飲み込みやすい気がする。
だからといって「そういう現実社会を見せたかった」と言うのは安直な気がして。
答えは自ら探さないといけない。
「それでも生きていく」
ローサが最後に見せた表情。それは絶望なのか。何なのか。「思えば遠くに来たもんだ」なのか。どちらにしても。
この単純な様で奥まった世界観。ドキュメンタリー風の緊張感。
「フィリピン映画ってあんまり触れる機会がないから。今回こういう何の飾りつけも無い作品から受けるインパクト。今後も出来れば観てみたいかなあ」
今回、モヤモヤと結論は出ませんでしたが。また機会があればフィリピン映画、観に行きたいです。
映画部活動報告「ハイドリヒを撃て!「ナチの野獣」暗殺作戦」
「ハイドリヒを撃て!「ナチの野獣」暗殺作戦」観ました。
第二次世界大戦下の1942年。チェコ、プラハで起きたナチス№3のハイドリヒ暗殺計画。(=エンスラポイド作戦)
イギリスとチェコスロバキア駐英防衛政府に依って計画された。
その実行部隊であった軍人、ヨゼフとヤン。「七人の兵士」の内二人を軸にして。チェコ国内に潜伏するレジスタンスの協力を得ながら。実行するべくハイドリヒの行動を窺う日々。「カップルの方が怪しまれない」とカモフラージュの為にあてがわれた女性達との心休まる関係。でも。自分たちの使命は何かと頬を叩き。決行の日。そして追い込まれていく最後。
「ああ。当方の無知さが露呈される…」
何となく気になって。映画は観たけれど。
「これはどういう事?」が余りにも多くて。後から資料を探して読む当方。
「第二次世界大戦時。同盟国から見放されたチェコスロバキアは、話し合いのテーブルに付く事も無く当時ナチスに統治されていたドイツの配下に置かれた」「イギリスとチェコスロバキア亡命政府に依って計画された、当時チェコに駐在していたハイドリヒを暗殺する計画」
「チェコスロバキアってあの当時チェコとスロバキアに分断されたやん」「で、有名な『プラハの悲劇』が起きる訳ですよ」
当方の近しい社会科教師(専門は地理)。ちょっと「エンスラポイド」というキーワードを口にしてみたらすらすらと語りだし。
「すみません。そのくだりかいつまんで教えて頂けませんかね?後、何故当時そんなにドイツ(ナチス)がイケイケだったのも含め…」と下手に出た途端「まずは自分で調べな!」と教師風を吹かせ…。(奴らはねえ…意地悪ですよ!!)またまた地道な作業に戻った当方。(余談ですが。随分前に「どうして山ではよく霧が発生するの?」と聞いた時も「何でも聞かずにまずは自分で調べろよ!」と怒られた当方。ですが。そうなるとねえ…調べないんですよ)
ですので。これからの流れに対し「ん?違うよ」と思ってたとしても…「バーカバーカ」と呟きながらも…胸に収めて頂けると幸いです。
冒頭。チェコ。年末の雪山。山林に降り立つパラシュート部隊。二人の男。一人は足を負傷し。
地元の朴訥な男性に助けられ。二人は彼の住居にて暖を取って…と思いきや。
同じチェコ人であっても「反体制人物です」とナチスに通報されてしまいかねない。同胞の意識は同じと思うなかれ、いつどこで誰に寝首を掻かれるか分からない。そんな緊張感から解放されない「我が祖国」
ナチス(ドイツ)に乗っ取られ。チェコスロバキアは解体。トップは挿げ替えられ。国としての形は失われた。
そこで、イギリスとチェコスロバキア亡命政府は極秘暗殺計画を練る。
「エンスラポイド」
当時チェコを統治していたハイドリヒ。
「金髪の野獣」と呼ばれ。兎に角冷酷な事で知られるナチスの№3。(実質は№2)
彼の命を奪う事でナチスの勢いを抑え、祖国を取り戻そうという作戦。
「人は何故こんなに残酷になれるのか」「人命が嘘の様に軽く扱われる」
勿論の戦後生まれ。戦争は悪だという教育を受けた当方には、結局この時代の考え方に芯から共感は出来ないのだろうなと思う昨今ですが。
「そこまでして守らないといけないものはなんだ」
こと戦争という有事に置かれた人々に思う事。末端の市井の人がそういう意識を持っていたのかは不明ですが。(多分…市井の人にとっての戦争は…そんな雰囲気を感じながら徐々に巻き込まれていく日常の果てしない延長なのかなと思うので)
そんな彼らとは違う。軍人や政府関係者にとって。戦争とは何なのか。彼らにとって、国家の位置づけはどうなっているのか。
チェコ。プラハに潜伏。それを支えたレジスタント(抵抗者)達。
彼等の住居に住み込み。政府組織達の意向や指示を待ちながら。「ハイドリヒを殺す」という任務追行に向け、情報収集に費やす日々。
「カップルだと街を歩き回っていても怪しまれない」とあてがわれた二人の女性。任務を明かした時。一旦は動揺したけれど「私は戦う」という意思を示し、彼女達は逃げなかった。
徐々に惹かれて。普通に幸せになれる。彼女となら希望が持てる。そう思うのに。
「俺たちの任務を忘れたのか」「俺たちのやるべきことはなんだ」
恋をして。その相手と幸せに暮らしたらいい。現代に住む当方はそう思いますが。
それよりも守りたいもの。
当方なんかは、どうしても身の周りの人間関係や環境をまずは大切にしてしまいますが。それよりももっとマクロな世界を優先して守ろうとするのがこの人達で。
「でも。その為には誰かの命と引き換えという考え方は…極端な言い方をすると憎むべき相手と同じ土俵に立っている可能性もあるんじゃないか」そう思ってしまう当方。
ハイドリヒ一人を討ったとして。本当に現状は変わるのか。そしてその報復をどれだけの人が受けるのか。危惧し。なかなかゴーサインが出せない本部。詰め寄る現場。
(確かに。ハイドリヒを討った後の、所謂『血の報復』。「実行犯が居たと思われた(実際には無関係)村の住民全てを集めて。16歳以上の男は全てその場で殺し。女子供は残らず収容所に送った村が二つある」に震えた当方。誰の命だって天秤には掛けられないけれど…あまりにもバランスがおかしい。(そもそもの倫理観もおかしい))
ハイドリヒを討つことに意味があるのか。そう逡巡する中の。「ハイドリヒ、プラハ去るってよ」(桐島ごめん)焦る実行部隊。そして決行。
この作品は兎に角終始異常なまでの緊張感に満ちているんですが。もうこの決行のシーンのドキドキ感が凄まじい。(そして肝心な所での…「おい!スケアクロウよ!!」(当方にとってキリアン・マーフィーと言えば『バットマン・ビギンズ』のスケアクロウ)という叫び。)
もうこれ以降は、坂道を転がりながら逃げ道を塞がれていくばかり。観ている側も苦しくて。
「エンスラポイド」の実行犯の7人。彼らを匿っていたレジスタンスの終末。(本当に眉をひそめるばかりでした)愛した女性達との別れ。
何もかもを捨てて。追い込まれた先の教会での最後の攻防。
「極限状態で。人は何を守るのだろう」
「自分」「信念」「使命」「自分らしさ」
確かにどれも失いたくないけれど…当方が今想像しているものと、当時の彼らとのその意味合いは全く違う。
「もういいです」特に後半。そう言いたくなるシーンは沢山ありましたが。
こういう現実がかつてあったのだと思うと。時には向き合っていきたいと思う当方。
分かり合えるのかは別として。何にしても「こういう考え方がある」と知って相手から学ぶのはずっと続けたい。戦争は悪だという認識はあるけれど。その当時に生きた人が悪な訳では無い。
「そしてこの作品…(こういう言い方が適切なのかは分かりませんが)普通に面白かったしな。テンポやスリリングさが」
ただ…あまりに無知な自身にがっくりする事も沢山ありますので。
常識的な範囲で。知識を得ていかないとなあ~と思った当方です。
(ですが。そうとなるとねえ…調べないんですよ)
映画部活動報告「ベイビー・ドライバー」
「ベイビー・ドライバー」観ました。
「ベイビー。いつもイヤホンをしたままで。無口で寡黙な若者。その正体は犯罪組織の実行犯を車で逃がす、専属ドライバー」
彼には子供の時に遭遇した自動車事故の後遺症からひどい耳鳴りがあって。トレードマークのイヤホン。繋がる歴代iPodには莫大な量の音楽が収められており、それを聴いている間はその耳鳴りから解放される。
ベイビーの驚異的な才能。それは「車の運転」
警察も決して捕まえる事の出来ない、その逃がし屋技術。それの才能は彼の聴いている音楽とシンクロすることでどんどん加速していく。
冒頭。銀行の前で車(赤いスバル)が止まって。仲間達が強盗に入るべく車から飛び出して行って。一人…になった途端、無表情だったベイビーが突如音楽に合わせてリズムを取り始め。テンポに合わせ車の位置を微調整。そして仲間たちが車に走って戻ってきて。音楽が盛り上がるタイミングで一気に車がスタート。そこからはもう「何が起きているのか」目を疑うようなカーチェイスが始まって。これはあかん。目が離せない。
当方がベイビーに好感が持てた点。それは「決して耳鳴りの為だけにイヤホンして音楽を聴いているんじゃなくて、音楽が好きで仕方ない」所。
この作品は「カーチェイス版ララランド」という触れ込みをされていましたが。
「ララランドとははっきりと違うけれど。でも…異例のミュージカル映画ではあると思う」音楽と映像のテンポのシンクロさが全編に渡っていて気持ちいい。
話をすっ飛ばしますが。とある悪い仲間がベイビーに言っていた「分かるよ。俺も大好きでテンションの上がる曲を聴きながら車飛ばしたりしたな!(細かい言い回しうろ覚え)」そしてその曲をベイビーのiPodから拾って。二人でイヤホンを共有してその音楽を聴いて。
当方も「分かる分かる!」と何度も頷きました。
(まあ…当方は車に関しては完全なペーパードライバーなんで。学生の時に原付バイクで走りながら「田園」やら「今宵の月のように」(歳がばれるなあ)を力一杯歌っていたとかですがね)
つまりは。仕事仲間には無表情なポーカーフェイスを見せていながら、その実音楽にノリノリではしゃいでいる無邪気な若者の一面も持っているんですよ。そんな奴。嫌いになれませんよ。
何故ベイビーが犯罪組織のお抱えドライバーにどっぷり浸かっているのか。
「あいつがまだ子供だった時、俺の麻薬を運んでいたトラックを車泥棒として奪ったんだ」「俺の身分を完全に明かした上で、あいつにはその時の代償を払ってもらっている」「もうすぐその借金は完済される」
「ケヴィン・スペイシー‼」(このキャスティング、当方的にかなり好きです)
悪の親玉なんですよ。悪の組織のトップ「ドク」。警察ともつるんで。次々と強盗計画を立案。そこで動く実行部隊はいつもメンバーを入れ替え。でも「ラッキーチャームだから」とベイビーは毎回運転手に組み込んでいた。
奪った金を皆で山分け。勿論ベイビーにも同じ様な額が一旦は渡される…けれど。他のメンバーと別れて二人っきりになった時。「お前の借金を引いた分だ」と殆ど差っ引かれる。けれど。ベイビーにとってそんなお金はどうでもいい。
正義感に厚い訳じゃ無い。(結局犯罪組織に属しているんやし)でも。決して乗り気でそこに居る訳じゃ無い。寧ろ嫌々。だから家に帰ったらその金は直ぐに床下に放り込んでしまう。そんなベイビーを心配する、里親のジョゼフ。
件の事故で孤児になってしまったベイビーの里親、ジョゼフ。車いすに乗った老人で耳が聞こえないけれど、スピーカーの振動と口の動きでベイビーと一緒に音楽を楽しむ事が出来る。多くを語らないけれど。ベイビーが危ない事に加担している事には気づいていて、何とか足を洗って欲しいと願っている。
そんなベイビーが恋をした。
事故死した母親が働いていたレストラン。そこで働く「デボラ」
その金髪少女に一目ぼれ。
「何でこんなコミュニケーション下手そうなベイビーが?!」トントン拍子に良い感じに進んでいく二人の恋。
丁度その時。とある強盗の報酬に依ってベイビーの「過去の罪」が清算された事で、晴れて自由になったと思って。大人しくジョゼフに勧められた「ピザ配達」の仕事に就いて真面目に働いていたのに。
再び現れるドク。結局はベイビーを手放さない。ドクはデボラの存在も把握していて。
「お前の彼女に何が起きても知らないぞ」的な脅しに、再び犯罪組織のドライバーに戻るベイビー。
そして。新しく構成されたメンバーで計画された「郵便局強盗」
何だか不穏な雰囲気の中。その日は近づいていって。
公開されてまだ一週間も経っていませんし。何もかもをネタバレする事は無いと思いますので。もうまとめに入っていきますが。
「前半の掴みが良かっただけに、何だか整合性に欠ける展開になった」「ドクの大物感がちょっと弱いかなあ」「というか何でこいつがラスボスなんだ」
大体「お前はこれで自由だ」とか言って別れたはずのドクがあんな再会の仕方をしてくる?強引やし、もっとスマートな難癖付けてベイビーを連れ戻せば良いのに。とか。
「兎に角バッツは嫌い(当方の心の声)」疫病神もいい所。チームワークが必須の仕事なのに乱しまくり。もう何もかもが鬱陶しい。と思ったら、ああいうあっさり展開。そしてまさかの「何故あんたがラスボスなんだ」という仲間からの変わり身。しかも不死身。
そして。「最早カーチェイスじゃねえよ!」という「どこまで車を壊せるのか祭り」
また、吊り橋効果も相まって高まるベイビーとデボラの恋。無敵な二人は手を取り合って逃げるけれど…。
「まあ。まだまともな所に着地したな」と思った途端の「アメリカ司法って奴は!」というミラクル超法規的処置。
余りにも冒頭からの流れに惹かれていただけに。個人的には後半若干「ちょっと違う」「甘すぎる」なんて思って観ていましたが。
「まあ。あれだけの運転技術があれば、大抵の運送業に適応して生きていけるのだろう」
ベイビーの未来。具体的な意味で全く心配が無いなあと思いながら。
幸せにやっていけるんだろうという明るさに満ちて…一気に駆け抜けて行ってしまいました。
映画部活動報告「ダイ・ビューティフル」
「ダイ・ビューティフル」観ました。
フィリピン映画。
2014年。フィリピンで起きた『ジェニファー・ロード事件』
トランスジェンダーであるが故に殺されたジェニファー・ロード。それに対し「トランスジェンダーは殺されて当然だ」といったフィリピンの恐るべき世論に対し、作られた作品。
「ミスコンの女王」トリシャ。遂にミスコンのトップに輝いたその日、急死。
生前彼女が言っていた「私が死んだら葬儀までの7日間、毎日日替わりで有名人の化粧をして」
遺族によって、男性として葬られようとされていた彼女の遺体を、友人たちは「盗み」。
彼女の親友を始め。心優しい仲間達がトリシャの願いを叶える中。その死化粧をとある人物がフェイスブックに挙げてしまった。そして瞬く間に注目の的となってしまい…。
フィリピンの「ざわちん」と呼ばれる、人気司会者かつメイクアップ・アーティストのパオロ・バレステロスを主演に据えて。
殆どが悲しいエピソードなのに。でも何だかおかしい…そんなトリシャの人生を描いた作品。
自らもゲイであると公表されている監督。対談で「フィリピンの…所謂オネエが騒々しい感じだとは描きたくなかった」(当方意訳)みたいな事を語っておられましたがね…いやいやいや。十分に騒々しくて…そして逞しかったですよ。(良い意味で)
高校生の「パトリック時代」
もう自身の性の不一致には気づいていて。そしてそこに関するアイデンティティーの葛藤には決着が付いている。ただ。父親にはどうカミングアウトすればいいのか分からない。そんな中で。最も知られたく無かった形でのカミングアウト。案の定、理解してくれる訳も無く。家族との別れ。
同じく「パトリック時代」
大好きで、片思いの男子。恋い焦がれていた…それが踏みにじられた日。
パトリックからトリシャへ
親友バーブスと共に行動。生活してゆく為。そして自身が周りから認められる為。
そういう事務所?的な所に所属して。フィリピン内の数多の「ミスコン」に参加していくトリシャ。良いところまで行くけれど、惜しい所で落ちてしまう日々。
(レギュレーションがイマイチ不明ですが…審査の中にランダムな「質疑応答」があって。それに対して模範解答が出来ない、苦手だからいいとこ止まりなんだみたいな事言ってましたね)
友人が亡くなって。孤児になってしまった少女を引き取り育て上げた。娘との日々。
恋をして。いつだって全力で尽くして。優しくしてくれるけれど…満たされない。
哀しい裏切り。
そんなエピソードを、時系列をかなりシャッフルして展開していました。
(正直「そこまで細かく話を行ったり来たりしなくてもいいかなあ~」とは思いましたが)
兎に角、主演のパオロ・バレステロスが凄い!!
ガタイが良いんですよね。加えて精悍な顔立ちなんで男性パトリック時代もぱっと見かなりカッコいい。でもメンタルは完全な女子なんで仕草も女子。
「それでも。こんなにはっきりとした男顔なのに…」それが。流石メイクアップ・アーティスト。トリシャのメイクを自分でしていたとのエピソードに驚く当方。
「めっちゃめちゃ綺麗やないか!!」
ここまで迫力があるビジュアルなら…確かに「ミスコン」向けやなあと。
まあ、見た目だけじゃなくて。パワフルで一所懸命なトリシャのキャラクターに血が通っている。
身寄りの無い孤児を引き取って。愛情一杯に育てた。好きになった相手にはとことん尽くした。友達を、仲間を大切にした…でも。
自身の生き方を選ぶ時、父親は自分を認めてくれなかった。幸せなはずの、好きな人との初体験。なのに。愛する相手の裏切り。
愛されたいと。もがき続けた人生。
「貴方は十分に愛されていたと思いますよ」皆から。娘から。そして友人から。
トリシャの親友。バーブス。
高校生の時からの親友。同じくトランスジェンダーで。同じ頃に高校をドロップアウトして。ミスコンに出るトリシャのメイクを施して。一緒に豊胸手術を受けて。ずっと行動を共にした親友。
辛い時も、楽しい時も一緒に居た。高校の時。傷ついたトリシャを病院に連れて行ってくれた。トリシャの彼氏が寝取られた時も、一緒に怒鳴り込みに行って殴ってくれた。
一緒に笑って。泣いた。
「バーブスが亡くなったトリシャにメイクをする時の顔の切ない表情…」
思い出しただけで当方のやらかい所が締め付けられます。
トリシャの生き方。親に勘当され。自分らしく生きる事を選択した。愛し愛される時はいつも短くて、寂しい気持ちになった事もあった…かもしれない。でも。
彼女には家族が居た。きちんと育て上げた一人娘。そしてかけがえのない親友が居た。
バーブスあってのトリシャの輝き。
「そう思うと。トリシャが荼毘にふされた後、バーブスの胸にどっと来る寂寥感」
想像しただけで泣きそうになりますが。
この作品全体を通して言えるのが「どこか底抜けに明るい彼女達に」救われますね。
エピソード事体はネガティブな事が多いのに。彼女達はそれに打ちのめされてうじうじと引きずらない。悲しみも噛みしめるけれど。また笑って。ガンガン前に進む逞しさがある。だから。
若くして亡くなったトリシャ。悲しいけれど。目一杯全力で駆け抜けて、燃え尽きたのならば…それは素晴らしい人生であると思うし、きっと残された者達の中でトリシャから受け継いだ何かが行きて行くだろうと。
最後のメイクを。トリシャの姿を見て。言葉を聞いて。
お別れなのに。何だかしっかりと前を向いて、明るい気持ちで見送れた。そんな感じがしました。