ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「ウィッチ」

「ウィッチ」観ました。
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ロバート・エガース監督作品。2015年のアメリカ映画。

 

1630年。開拓時代のニューイングランド

厳格なキリスト教徒の一家。ウイリアムとキャサリン、そして長女、長男、幼い男女の双子、まだ赤ん坊のサムと、5人の子供達。

「お前たちは教会の教えに従順では無い」と住んでいた町を追われ。森の麓に引っ越してきた一家。周りに人家は無く。畑を耕し、家畜を飼う自給自足の生活。貧しい生活。

長女の主人公トマシン。家事や家畜の世話。そして弟や妹の面倒を見る毎日。

 

ある日。サムと二人。「いないいないばあ」をしてあやしていて。ほんのつかの間、顔を覆っていたその瞬間。消えた弟。開けた視界の前にはただただ暗い森が広がるばかり。驚き、探し回るトマシン。一家総出で探したけれどサムは見つからず。

 

以降も。一家を襲う不気味な事件の数々。そこに毎回居合わせてしまうトマシン。

 

次第に家族たちはトマシンが「魔女」なのではないかと疑い始め…。

 

「貴方はまだ本当の『WITCH(魔女)映画』を知らない」

 

当方の所属する、たった二人の映画部。部員の当方。

「得意な部門は単館系作品と変態映画部門です」

ムカデ人間』三部作。『私が、生きる肌』『エコール』『パンズ・ラビリンス』『ローズ・イン・タイドランド』『ヴィジット』等々。当方がストーリーを嬉々として語れば語る程、相手の表情が曇ってしまう。

今作はそんな困った変態映画(褒めています)だろうと。予告編の、ものものしい映像と煽り文句に「これは面白そうだな」と直感し。ワクワクと期待して観に行きました。

 

結論から言うと、凄く好みの映画でした。

 

「かつて。魔女と呼ばれた者達の多くの資料を参考にして作った」(細かい言い回しうろ覚え)作中で断りが出ていましたが。

 

「一体この現象は何なんだ」「不気味で。科学的に落とし所が見つけられない」「これは何の祟りだ」「誰の所為だ」

(余談ですが。この思考の持って行き方は、今年上半期に公開された韓国映画『哭声』もそうでした。「この村の災いはあいつ(國村隼)が来てからだ。あいつは悪魔だ。という流れ)
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また、一家が「厳格なキリスト教徒」と言うのが効いてくる。かねてから「私は罪深い人間です」「生きているだけで罪人です」「でも死んだ時には許されて天国に召される」という思考。でも。

余りにも一家に連続して起きている出来事のまがまがしさ。しかも子供達に災いが向けられる理不尽さ。そして不安と恐怖から。「家族の誰かが悪魔に魂を売ったのか」と疑心暗鬼に陥ってしまう。

(色んな作品を観ての、当方のぼんやりとした印象ですが…普段『罪』や『罰』を口にしすぎる人程、実際にそれらしい事が起きた時に「悪魔の仕業か!」と騒いでいる気がします)

 

「トマシン役のアニヤ・ティラニジョイ。可愛い…く見える時もあるけれど。何だか変わった魚顔の彼女。最近観たM・ナイト・シャマラン監督『スプリット』での生命力の強いハンター気質の女子高生「ケイシー」役が記憶に新しいけれど」
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調べてみたら。寧ろ逆なんですね。この『ウィッチ』2015年公開で注目されての『スプリット』起用であったと。

 

まあでも。何だか独特の癖がある顔立ちと雰囲気(『アダムス・ファミリー』の時のクリスティーナ・リッチみたいな…注意⦆個人的にアダムス・ファミリーのウェンズデーはマイベスト、クリスティーナ・リッチです)
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「いや。あんたは結局魔女やって」そう思わせてしまう佇まい。

 

勿論、トマシンには思い当たるふしなど無い。なのに。何故か自分と一緒の時に居なくなった弟達。かつて憎たらしい双子を黙らせるために、両親のいない所で「私は魔女なのよ」とうそぶいたら。このまずいタイミングで双子がその言葉を持ち出して。家族を不安に陥れてしまう。そしてまた。新たな不吉で奇怪な出来事が重なって。

 

「この作品の凄さ。音楽、音響とボリューム。画面の暗さ。そして曲者揃いの役者達。何かが始まっている。動いているというものものしさが。嫌~な感じがスクリーン全体から漂ってくる」

 

動物の動きも。兎に角気持ち悪い。(褒めています)

 

結局、一体何が起きていたのかとか。すっきりと解決には至りませんでしたし…最後のシーンには周りの観客たちの「何やねんそれええ~」という空気を強く感じましたが。

 

「いやでも。こういう話の流れは大好きです」暗転する中。にやにやが止まらなかった、変態映画部門大好き当方。

 

今後。「アニヤ・ティラ二ジョイ」と「ロバート・エガース監督」注目して行きたいと思います。

 

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映画部活動報告「夜明けの祈り」

「夜明けの祈り」観ました。
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1945年。12月。ポーランド

第二次世界大戦終結。もう戦争が終わる、そんな冬。

赤十字。フランス人を対象に医療活動を行っていた女医のマチルダ。

そこに。決死の勢いで転がり込んできた、ポーランド人のシスター。

担当外だと一旦は断ったマチルダであったが。必死なシスターの姿に、彼女の元に行ってみたら…。

「これは、若きフランス人医師の、心揺さぶられる真実の軌跡」

一体何事かと。観に行って来ました。

 

「これは…」そして。早速心を痛める当方。

 

つまりは。女人ばかりのその場所で。ソ連兵士が数日乗り込んできた悲劇。

 

結果。数日に渡ったレイプ事件に依って、7人が妊娠。そのショックも冷めやらぬまま、妊娠後期になってしまった彼女達。始めての妊娠。勿論心の準備は出来ぬまま。

 

そんな彼女達とはまた別に。少し前に妊娠し、出産を迎えた「修道院が匿った少女」に先述のシスターが外部の手助けを求め。それがあの雪の日の出来事で。

 

それをきっかけに、この修道院の悩める妊婦たちを見つけ。

そして彼女達と、件の女医は。そして彼女達のお腹の命は。

 

といった事をしていました。

 

「そうか。1945年当時」国境のない医師団とは言い切れない。前線に居ながら、言葉の通じない者に対してどういう対応をせざるを得なかったのか。ましてや赤十字が。

そして。「母国の医療機関にこそこの内情を話せない」と有事でありながら母国のポーランド医療機関をはじいて外部に助けを求めた教会側。

 

数か月前。教会は恐るべき事態に陥った。そこで行われた、忌まわしい行為。

 

どんなレイプだって、勿論許されない。でも。殆どが処女で。神に永遠の純潔を誓っていた彼女達が。男達に汚された。そして今。彼女達はその子供を産もうとしている。

 

「神の意のままに」でも晴れない。どんなに神に祈りを捧げたって、心は晴れない。

 

「で。私にどうしろと?」(マチルダ)

 

始めこそ。出産間際の妊婦の元に連れてこられ。(素手で!!)という帝王切開を施行して。そういった悲劇が教会に起きたと聞いて。それはどうにかしなければと思うけれど。

じゃあ彼女達を診るといったところで。彼女達は心も脚も開かない。

 

そんな中で。互いの橋渡しをしてくれる修道女、マリア。

 

ポーランド語とフランス語。それを通訳してくれる、修道女の彼女。

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「彼女は本当にありとあらゆる意味での通訳だな」そう思う当方。

 

「私。此処に来るまでは彼氏が居たの」

そんなマリアが語る、凄惨な教会でのレイプ被害と、冷静な視点を持って修道女達の混乱に対応出来た彼女。

 

宗教とは。祈りとは。

一つの存在に対して絶対の純潔を誓ったのに。それが破られた時。どうしたらいいのか。

 

「かと言って。死ぬ事も、堕ろす事も許されていないんよな…確かカトリックって」そう溜息を付く当方。

 

「神は乗り越えられる試練を下さった。そう思いたいけれど…」何故。私は。私は。

 

「私は医療者だから」自由に恋愛して。修道女とは違う。レイプ?強い気持ちがあればどうにかなったんじゃないの?…でも。実際自身も移動中に怖い目に会って。ただ恐怖しかない。ねじ伏せられるしかない。敗北と無力感。

 

「どこまでこういう診療が効くんやろう」初めから。そう思っていた当方。

 

勿論患者家族の守秘義務は守るべき。かといって緊急患者優先とされる部署で働くマチルダ。今ほど専門性もない中。特殊な「周産期医療の患者」。

しかも一人では無く。少なくとも7人。しかも同時。そして特殊な事情。秘密。

通常勤務と同時進行。

絶対一人では診れない時期が来る。

 

これは美談とするべきなのか。本当にそうなのか。

 

 果たして現場とその状況は合っていたのか。

 

最終。マチルダは然るべき選択をした。(その発想と提案に関しても「それでよろしい」と言うしかない。表向きには。でも…)

 

「あくまでもメンツにこだわった院長」

 

ここは教会だぞと。ここに居るのは神に絶対を誓った者ばかりで。例えそれを無茶苦茶にしたのはとんでも無い無法者であったとしても…私たちは決って汚れてなんていない。見せたくない。隠したい…哀しいけれど。分からなくはないですよ。

 

「汚れてなんていない」「私たちは踏みにじられたけれど。汚れてなんていない」

 

けれど。

 

戸惑っていたけれど。宗教の力は大きいけれど。結局彼女達は子供を産んだ。

 

その子供の行方について。驚くような措置はあったけれど。

 

「宗教が。医療が。思想が。メンツが。各々何を持っていたって。結局強いものは」

 

戦時中で。憎むべき粗野な相手の子供を宿した。自身の尊厳を奪われた。信じるべき相手を失った。何を信じていいのか分からなくなった。でも。

 

お腹の子供が愛おしくて。忘れたい記憶の末に得たのに。なのに結局は大切で。

 

 

「信仰だって医療だって同じ。生まれてくる子供の前には」

 

 

「信じるべきモノはなんだ」

 

かと言って。最後に車に乗って来た若い女性も否定はしませんが。

 

「これは。真っ暗な夜の。確かに『夜明けの祈り』」

 

あの雪景色の。澄んだ声が届きますようにと。祈った当方。

 

 

 

 

 

 

 

映画部活動報告「ボン・ボヤージュ~家族の旅行は大暴走~」

「ボン・ボヤージュ ~家族旅行は大暴走~」観ました。
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フランス映画。

夏休み。

美容形成外科医の主人公。もう臨月?の精神科医の妻。娘と息子。そして恋多き主人公の父親

各々問題を抱え。表面上では上手くやろうとしているコックス一家

買ったばかりの新車に乗ってバカンスへ出発!!…と思ったら。

最新鋭の機能があだとなって。高速道路でまさかの160キロから減速出来ない事態が発生!

あらゆる手段を取ってもスピードを落とせない車に乗って。しかもその先には大渋滞。

コックス一家の運命やいかに?!

 

「全身の力を抜いて観られる映画を観たい」

 

『なんちゃって家族』を始め。『お!バカンス家族』と、近年「家族(疑似家族)のおバカ旅行モノ」が好きな当方。今回もそういう期待を込めて。観に行ってきました。

 

「まあ。確かにずっと薄ら笑いで観ていた」このカテゴリーは不動ですね。面白い。

 

最新鋭の車に乗って。家族で旅行。なのに、その車の自動速度制御システム(システム名うろ覚え)の故障に依って時速130キロから減速出来なくなってしまう。

お爺ちゃんのアイデア、「アクセルを踏んで、ゆっくり離してみろ」をやってみたら。結果時速160キロで固定されてしまう。

車中は大パニック。何とか運転し続ける主人公。周りを宥める母親。頓珍漢で余計な事をしてしまうおじいちゃん。ちょっとサイコパス気味の長女。水中銃(かなり危険)を振り回す長男。…そして、まだ車が大丈夫だった時のインターからこっそり車中にいたパンク風の少女。

 

そこに。暴走する車に、自分のBMWを壊された怒りに駆られ。ずっと追いかけてくる男性。高速道路の交通警備警察官。そしてコックス家に件の車を売りつけたディーラーなど。

 

『暴走する車』というシンプルな案件に。飽きさせない工夫を幾つも混ぜて話を進めていました。

 

「130キロ?160キロ?どちらにせよ、当方なら減速出来ないと悟った時点でもうパニック。制御出来ずに自爆するな」

 

完全なるペーパードライバーの当方。もうこういう事態に遭遇した時点でジ・エンド。

そう思うと、コックス父のハートの強さ。それだけでも十分高評価。

 

なのに。他の座席の連中の騒々しさよ。止まれだの。水中銃で撃つだの。整形処置がどうこうだの。ママの秘密だの。恋がどうこうだの。蜂だの。おしっこしたいだの。

ましてや。「車を壊されたと言って追いかけてくる奴」そんなのに構っていられない。

 

「こういうどたばたコメディは、いちいち出来事を追って語ってもキリが無いからな…」今回はコンパクトに纏めようと思う当方。

 

「キャラクター的には、お爺ちゃんが良い狂言回しになっている」

 

年寄り=弱弱しく正しい人。というデフォルトをひっくり返し。

今は独り身のお爺ちゃん。「運命の人症候群」で惚れやすく。主人公のクリニックで一緒に働くけれど、何かとちょろまかし。図々しくて。でも憎めない。

妻はいつでも付いてくるお爺ちゃんが鬱陶しいけれど。決してへこたれず。

そして。こういう作品にありがちな、何かとひっかきまわしてくるキャラクター。

 

「母親とヌーディストビーチに行く途中で。インターで置き去りにされた」そんな事あるかいなというパンク少女も。何かうるさい末っ子長男も。当方はまだ温かい目で見れましたが。

 

「おい。バービーの首を指に指してセリフ言うって。お前それは何だ!」いきなり眼鏡っ子長女に対して声を荒げる当方。

 

「貴様!2005年。テリー・ギリアムローズ・イン・タイドランド』を知っての事か!」
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勿論、あの少女には何の思惟も無いんでしょうが。

 

「あの時のローズの可愛さと、その闇。全然まともじゃない、ローズとその世界」
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 当方の好きな変態映画の一つ。闇を見せられないんなら、浅はかにやるんじゃねえよ!(勝手な言いがかり)

 

「結局どうやって車を減速させるのか」「中に乗っている者はどうなるのか」「大渋滞にはどう立ち向かうのか」

 

まあ。映画ならではのスケールで物事を収束させていて。そのおバカさにも息を呑みつつ笑った当方。最高やないかと。

 

ところで。最後まで誤解していましたが。

 

「あ。あの人。アイアンマンじゃ無かったんか…」

 

 

 

 

映画部活動報告「ハートストーン」

「ハートストーン」観ました。


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アイスランド映画

小さくて閉鎖的な田舎の漁村。そこに住む住民は皆、互いの事を知り尽くし。

ソールとクリスティアン。幼馴染みの二人はいつだって一緒。大好きな親友同士。

思春期に差し掛かり。第二次性徴を迎える中。ソールに気になる女子が出来て。

「お前の為なら何でも出来る」とソールの恋を後押ししていたクリスティンであったが。

 

冒頭から。「生えた生えない問題」とか「女子ってどんなだろ」みたいないかにも思春期な二人の行動に「こういうこっ恥ずかしい気持ちになるやつは…」と身構えた当方。でも。

 

主人公のソール。周りはどんどん大人の体になっていく中。いつまでも子供みたいな外見の自分に焦って。恥ずかしくて。

(ソール役の子って、お母さんの顔そっくりなんやろうな~。こういう顔の女性って居るよな~。まあでも、この手の可愛い顔男子って、この時期だけの奇跡やったりするからなあ:当方心の声)

対するクリスティアン。冒頭。波止場でくつろいでいた少年達。漁村の無粋な彼らは、突然姿を見せた、ありきたりな魚の大群に「金になるぞ!」と色めきながらも。そこでぽつんと釣れるカサゴには「変な顔」「クリスティアンみたいだ」と暴挙に出る。

(何でだ!クリスティアンの繊細で美しい姿。ギリシャ彫刻みたいやぞ!!:同じく当方の心の声)

 

まあ。この「どちらも美少年」の二人が。

「思春期。成長。恋。友情。そして取返しの付かない痛みを知った」そんな話。

 

グズムンドゥル・アルナル・グズムンドラン監督。1982年生まれ。

幼い頃、実際に漁村で過ごした経験を基に作られたという作品。

「親友と義父の愛おしい思い出に捧ぐ」最後に現れる賛辞。

 

この作品のどういう所が、具体的にどう監督の実体験に沿っているのかは分かりませんが。

 

「舞台が1990年代としたら。まだそういう時代だったのか」田舎の閉鎖的な世界だから?そうでもなさそうだなと。そう思った当方。

 

「この映画がLGBT案件だとか。人とは違ったセクシャルティの目覚めとか。確かにそうなんやけれども。それだけが注目される作品ではない」

 

この作品に於いての主人公は、あくまでもソール。周囲よりも成長が遅いと悩んで、そんな自分が恥ずかしくて。自信が持てなくて。気になる女子も居るけれど、アタックするのは気が引けて。

 

いつも一緒だから。じゃれ合って楽しくて。大好きなソール。ソールの事は何でも分かるソールの親友。だから。ソールの気になる女子、ベータとの恋を後押ししたクリスティアン

 

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「正直、二人ともその恋が上手くいくとは思わなかったんやろうな…」


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思いがけず。ソールの恋するベータが発展的(正直ビッチ)だったのもあって。ぐいぐい距離の縮まるソールとベータ。ベータとべったりくっ付いていた女子ハンナがクリスティアンに好意を示したのもあって、ダブルデート?を繰り返す4人。

 

「しっかし。あんな年頃の男女が同じ部屋で一緒にいて所謂『王様ゲーム』って。「~と~はキス」って。汚れちまった当方には恥ずかしくって素面では出来ませんよ!!」

赤面する当方。でも。女子とでは無く、親友同士でキスする羽目になる二人。

(ところで。「パパに見つかったら殺されるからトイレに行ったら駄目」という鬼のレギュレーションを課せた少女達…からの結果。惨事。あり得なくは無いけれど…もう当方なら彼女達に二度と会えないと思うよ…)

 

ベータとの恋がトントン拍子に進むソール。違和感を感じ始めるクリスティアン

 

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もうね。この辺りから完全に、当方の視点はクリスティアンに移動してしまう。

 

大好きな親友。ソール。子供みたいで。母親と二人の姉の女家族に玩具にされて。そんなソールが可愛くて仕方なくて。ふざけてじゃれ合ってもみ合って。ソールの気持ちはいつでも分かる。ソールを茶化す奴は許さない。いつだって。永遠に一緒。俺たちは友達。

そんなソールが恋をして。何も考えずに後押しした。ソールが喜んで。でもちょっと傷付いて終わって。そしてまた自分の所に戻ってくる。そんな恋のはずだった。なのに。

 

「大好きって。どういう意味で?」

 

じゃれ合ってもみ合って。それはもう…何も考えずに笑えた時とは違う。取り残されたと寂しくなった気持ちに向き合ったら、とんでもないコアが剥き出しになって。戸惑うどころではない。「触りたい」の気持ちがもう今までと違ってしまった時。どうしていいのか分からなくて。

 

「1990年代。マイノリティに対する、無意識な差別。一般世間はゲイは認めない。目の前から消えて無くなれという風潮。ましてや閉鎖的な田舎では」

 

クリスティアン父親。気に食わなければ暴力を振るい。長い付き合いの友人であったとしても「彼、ゲイだったんだって」に憤り喧嘩。そんな父親

(こういう閉鎖的な村社会故の、大人たちの生きにくさも印象的でした)

 

今までなら。無邪気に何も考えずに二人は友情で結ばれていた。第二次成長期。前は性的な好奇心故にふざけて相手を触ってみた。でももう無理。今は無理。

 

本気で触りたい。相手に触れたい。ふざけてじゃない、大好きだから一緒に居たい。でも。

 

ソールが恋しているのはベータ。ソールはクリスティアンを友達として大切だと思っている。

 

絶対に上手くいかない恋。失うモノしかない恋。

 

「こうやってベータにキスするの?」抑えきれなくて。ソールに迫るクリスティアン

(余談ですが。体格差もあるんでしょうが。クリスティアンって基本的にソールを組み敷いて迫ってくるなあ~とぼんやり思っていた当方)

 

何よりも。大好きなソールに、抑えきれなくなった自分の姿から距離を取られるクリスティアン。そして追い打ち。もう終わりだと。

 

歳を取って。ふてぶてしくなった当方から見たら。「何でそこまで思いつめないといかんのかね」「大丈夫だよ」とクリスティアンを抱きしめたくなりました。もう痛々しくて。

 

「普通の…誰の恋だって。殆どが上手くいかない。こういう年頃の恋は。初恋故に戸惑って。上手く立ち回れなくて。必死で。必死過ぎて刹那的で。危なくて…初恋って概ねそういうもんなんやから。そして貴方は一人じゃない。世界で一人ぼっちじゃない」

 

かと言って。クリスティアンの気持ちに答えられなかったソールが悪かったとは思わない。もうこれは…仕方が無いから。恋はどんな性別年代なんの形であれ「哀れみ」や「妥協」からは発生しないから。残酷やけれど。

 

「そんなソールが。必死に取ったクリスティアンへの最後の行動。それでいい。そしてもう二度と会わなくていい。それでいい」(当方涙目)

 

「いつか。笑えなくても。穏やかに噛みしめられる。そんな日が来てくれたら」

 

「ハートストーン」の題名の通り。胸に重い石を置きながら。

でも。最後のシーンで救われる。

 

広い海で。自由に泳ぎだせますようにと。

希望をもって。彼らの物語を後にした当方。

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映画部活動報告「地獄愛」「ハネムーン・キラーズ」

「地獄愛」と「ハネムーン・キラーズ」観ました。
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1940年代。アメリカで起きた『ロンリー・ハーツ・キラー事件』

120キロの巨漢。マーサ・ベックと、結婚詐欺師のレイモンド・フェルナンデス。

「ロンリー・ハーツ・クラブ」という出会いを目的とした文通クラブで出会った二人。

始めこそ色々あったけれど。意気投合。ラブラブカップル。

二人は共謀して、結婚詐欺→金をだまし取り殺人。を繰り返し。その犠牲者数延べ21人。

アメリカ犯罪史に残る連続殺人事件。

 

を、題材に製作。1970年に公開されたのが「ハネムーン・キラーズ」

幻(は言い過ぎか)のカルト映画が。今回同じくこの事件を題材にした「地獄愛」が公開されるに当たって復活。同時期公開となった。

 

基本的には「一作品で一ブログ項目」と考えているのですが。どう考えても同じような話を繰り返しそうなので。今回は纏めて書こうと思います。

(同日、同映画館で。「地獄愛」→「ハネムーン・キラーズ」の順で観ましたので。その順番で行こうと思います)

 

「地獄愛」

ベルギー。「変態村」の監督最新作。

シングルマザーのグロリア。友人が勝手に出会いサイトで見つけてきた男性、ミシェル。

「貴方に会いたいって言ってるわよ」と言われ。友人に対し怒るけれど。「いいじゃないの。会ってみるだけでも」と背中を押され。気乗りせずに食事に行くグロリア。けれど。

瞬く間に恋に落ちる二人…と思いきや。

結構早い時点でミッシェルが結婚詐欺師である事。寂しい女性の心に付け入るのも、性的欲求不満を満たすのもお手の物だという事が発覚する。でも。

「貴方は好きにしたらいいわ」娘を友人に預け、ミッシェルの元に飛び込むグロリア。

「だって私。幸せなの」

ミッシェルの妹だと偽り。一緒に標的の元に転がり込み、行動を共にするグロリア。

しかし。あくまでもミッシェルは結婚詐欺師で。標的とのラブラブな姿を見て、直ぐに嫉妬するグロリア。抑えられず爆発。標的を殺してしまう。

 

まあ、大体上記の「妹と偽って~殺してしまう」の下りを繰り返していましたが。

 

「グロリア怖いよ…」好きの気持ちが強すぎて。嫉妬。止められない自制心。そして感情のままに標的を(主には)撲殺。

「貴方は好きにしたらいいわ」じゃなかったの?!その言葉は何だったんだ。

「だって好きなの!!私以外を抱かないで!!」もう支離滅裂。だってミッシェル結婚詐欺師なんやで。

 

「何故ミッシェルはグロリアを手放さない」

この作品最大の謎。

 

ミッシェルの通常運行なら。寂しい、独身女性はいつでも見つけ出せる。自分一人なら上手く相手を篭絡させ、財産を奪い取れる。でも。グロリアが居るといつも上手くいく前にぶち壊されてしまう。完全に足手まとい。

 

「何ですか。グロリアの異常な(殺人)行動力故ですか。下手したら自分もグロリアに危害を加えられるとか?」

そういう危機感みたいなものはミッシェルからは感じませんでしたがね。

「エロい事も出来ないしな」

女とみれば手を出したい。兎に角やりたい。しかも自分は殆どの女を満足させられると思っている。そんなミッシェルに「自分以外の女は抱くな」と言うグロリア。しかも大抵グロリアがキレて襲い掛かってくるのはミッシェルと標的がいちゃついている時。

終いにはグロリアに睡眠薬を盛って、他の女性とセックスするミッシェル。

 

ミッシェルの精神状態。どうしてそれでもグロリアと一緒に居るのか。観ている者に納得させる材料が無さすぎて。

 

終盤。一人娘を持つシングルマザーを標的にして転がり込んだ二人。自分と同じシングルマザーという対象に、心のバランスを崩していくグロリア。

これまでと違って。標的の娘とも仲良くして。明らかに楽しそうなミッシェル。

 

「私だって娘に会いたい」

グロリアにとって、目の前の光景は自分のものであって欲しかった。

自分と娘。そしてミッシェル。結婚詐欺師なんかじゃないミッシェル。3人で仲良く暮らして。そういう家族になりたかった。でも。自分にはそういう明るい未来は来ない。

 

確かに地獄。愛故の地獄。業。

「どこまでも一緒に墜ちていく」グロリアの気持ちはひしひしと受け取りましたが。

「やっぱりミッシェルの感情が良く分からんのよな」不完全燃焼。くすぶる当方。

 

「ハネムーン・キラーズ」

この大元となった事件。鑑賞後調べましたが。こちらは結構忠実になぞった感じで作られたんだなと思った当方。

「職業看護師長?!マーサ幾つよ!!」(作品では明言していませんでしたが。マーサ26歳だったんですね。病院というより、施設だったようですが)

「恋をしなさいよ」と。友達が勝手に「ロンリー・ハーツ・クラブ(出会い系文通クラブ)」にマーサを登録。ほどなくしてマーサにアタックしてきた男性、レイ。

すぐさま恋に落ちて。看護師の職も、同居していた母親も投げ捨ててレイの元に飛び込むマーサ。そこでレイ自身から「自分は結婚詐欺師なんだ」という告白を受ける。

特に動じる事も無く。レイと共に行動。結婚詐欺、遂には殺人にも手を染めていく。

 

同じ事件を基にしていますので。流れ自体は「地獄愛」と似た感じ。ただ。

 

「レイとマーサの連帯感。共犯っぷりがしっかり伝わってくる」

 

(実際の事件の二人を強く結びつけたもの…調べた記事や文章を総合すると、ぶっちゃけた話「体の相性が良かった」が一番大きかったみたいで。まあ、それはそれでものすごく腑に落ちました)

 

地獄愛と同じく。マーサの嫉妬による番狂わせはあった。「また嫉妬しやがって」とレイが怒るシーンもあった。でも。二人の間に「でもこいつが一番だ」という空気があった。

 

あくまでも標的は標的。金蔓でしかない。どんなに甘い言葉を掛けようとも、実際に標的に心は動かされない。そして二人になった時には標的を笑い。

 

「お前との生活の為だ」「家を買おう」「俺たちの結婚式をしよう」

 

こういう二人の姿と行動は非常に納得出来る。

 

とは言え。結局マーサにとって越えてはいけなかった一線を越えた(と思われた)標的が現れ。感情的になってしまった挙句の自滅。

 

「女って。哀しい生き物よのう」(誰!!)

 

実際の事件をなぞっていながら。最後の閉め方は実に映画らしい終わり方で。

 

1970年公開当時。賛否両論だったようですが。当方はどちらかと言うと『賛』の方ですね。

 

同じ事件を基にして。あっさりなぞった「ハネムーン・キラーズ」色々付け足してちょっと焦点がぼやけた印象を受けた「地獄愛」

 

ところで最後に。どちらにも共通して思った事なんですが。

「そもそも。たとえどんな事情があろうとも。恋愛絶頂期。もうすぐ結婚するような時期に。自分と一緒に女兄妹を住まわせてくれと言う恋人はおかしいで」

 

そうですよね?そう思う当方の感情はおかしいんですかね?

 

 

映画部活動報告「グッド・ウィル・ハンティング 旅立ち」

午前十時の映画祭「 グッド・ウィル・ハンティング 旅立ち」観ました。


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1997年公開のアメリカ映画。

1992年。ハーバード大学在住であったマッド・デイモンがシナリオ製作の授業課題にて書いた脚本。それを親友のベン・アフレックに見せた事でこの物語は生まれ…とはいえ映像化までは随分な月日を要したけれど。

 

余りにも有名な作品。マイベストに挙げる人も多い中で。当時田舎の幼い学生であった当方は街にある映画館に行く機会は無く。

「その後、何回も『何曜日かのロードショー』でやっているんやろうけれど…あんまり覚えていない」

観たい映画に困ったら『午前十時の映画祭』今回もまた、全く期待を裏切る事の無い指折りの名作でした。

 

有名大学の数学クラス。そこのジェラルド・ランボー教授が生徒たちに提示した、超難問の数式。教室前に書き出されていたその問題を解いたのは何と…学生では無く、大学の清掃員の若者。

何回か数式を提示→見事回答。を繰り返し。遂にその若者(ウィル=マッド・デイモン)にたどり着いたランボー教授。

しかし、その天才は素行の悪い集団とつるむ街の不良で。

見つけ出した時も、下らない喧嘩をして暴行を働き、鑑別所送り寸前。

ランボー教授はウィルの身元引受人となり。保釈する代わりに、定期的に自分の研究所に学びに来ること、同じくセラピーを受けることを約束させる。

驚異的な数学の才能を開花させ、めきめきと伸びていくウィル。しかし、口の悪さ、態度の悪さは相変わらずで、何人ものセラピストが匙を投げていく…。

ランボー教授がダメ元で最後に頼んだセラピスト。それは彼の大学時代の同級生で、別の大学で教鞭を取る、ショーン・マクガイア(ロビン・ウイリアムズ)だった。

 

ロビン・ウイリアムズが…本当に大好きで…」昨年同じく午前十時の映画祭で観た『いまを生きる』も当方のやらかい所を締め付けすぎて…ボロボロに泣いてしまい。

兎に角もう…ロビン・ウイリアムズがあの困った様な、くしゃくしゃの表情で何かを発する時。もうそれだけで当方はやられてしまう…。

 

まあ。「この作品自体のメッセージ性」と「若者が書いたとは思えないクオリティー」というベースがしっかりしているのが勿論の前提ですが。

 

「しっかし。街の底辺に住む不良が。意外と本を沢山読んでいて博識というのはあっても、数学の天才ってあるのかね?だって。数学って、ある程度の基礎を教えられてから応用に行っての何段階ものステップ踏むやん」

 

昔々。思い出したくもない。数学馬鹿であった当方。

国語とかではまだまともな成績を取れたのに…数学では目を見張る程の低能ぶりを発揮。授業には全て出席しているのに、高校では数学の所為で仮進級寸前まで追い込まれ。

「分からない。どうしてこういう考え方をしなければいけないのか。何故この問題の解き方は一つの方程式しかないのか。この公式には何の意味があるのか。何故誰かが考えたやり方を、理解も出来ないのにただ覚えろというのか」

こういう、ドツボに嵌った学生はねえ…数学の世界では伸びないですよ。

実際、担任教師(数学教師)には「お前の人生に数学は要らんのやろう」と言われた学生時代。

(余談ですがね。例えば小学生の「200円を持っていたら、1本20円の鉛筆と1つ30円の消しゴムは幾つ買えるでしょう」とかいうのも「そんな買い方する奴いねえよ」と引っかかっていた当方に、数学的な未来は無いですよ)

 

下らない話をしてしまいましたが。

 

実は非凡な才能を持つウィル。でも彼には心を開ける相手が居ない。心を開くという怖さ。そしてどうすればいいのかも分からない。もうそこには触れたくない。

それ故に底辺に身を置いて。気に入らなければ直ぐに暴力沙汰。または知識で相手をねじ伏せ。

 

またどうせランボーが連れてきた無能だろうと。完全に子馬鹿にして、舐めて掛かったマクガイアに。返り討ちに合うウィル。

 

「確かに。子供の時に思っていた大人は、強くてどっしりと揺るがないものだと思っていたな」そう思う当方。でも。

「大人になった今なら分かる。大人だって精一杯で立っている時はよくある」

 

でも。子供とは圧倒的に違うもの。それは「実体験に伴う、感情の裏打ち」「経験から来る重み」それは机上の空論では絶対に太刀打ち出来ない。

 

勉強が出来て、博識で。そこに傲慢さのあるウィル。でも彼は、かつてバーで出会って論破した「お前の言葉じゃなくて、どこからかのコピーだろう」と言った輩と何ら変わりが無い。ただのかしこいだけの子供。

 

最愛の妻を失い。必死に生きてきたマクガイア。彼から語られる、彼の人生哲学。

徐々に変わっていくウィル。二人の間に生れていく信頼感。

 

同時に、ナンパして出会ったスカイラー。段々と惹かれていく中で。どう自分をさらけ出せばいいのか悩むウィル。

 

「そうやって相談出来る大人が必要だったんよな…」

 

自分で勝手に悩んで。殻に閉じこもって。自分を見せる事が怖くて。ありのままを見せたら嫌われるんじゃないか。どうせ俺なんか。それくらいならと相手を突き放してしまう。

 

「君は悪くない」

 

そういう自分を。まずは肯定してくれて。そして抱きしめてくれる相手。そういう大人。

君は悪くない。君は何も悪くない。君は君のままで大丈夫。

そういう相手をやっと見つけられた。その、心からの安心感。

 

ウィルが最終的に取った選択に「若いな~」と苦く笑う当方。でも、それでいいやと。

 

そして。ベン・アフレック演じる、底辺仲間チャッキー。彼が最後に見せた表情に、不意に涙がこぼれた当方。

 

「誰も悪い奴なんて居ないよな」

 

やっぱり。『午前十時の映画祭』に外れなし。

彼らの門出が良いものでありますようにと祈った作品でした。

 

映画部活動報告「パワーレンジャー」

パワーレンジャー」観ました。
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アメリカ版『スーパー戦隊シリーズ

毎週日曜日。8時。当方が物心ついた時には既にその枠は『戦隊ヒーロー』枠で。

(何か子供時、そういう枠で『シルバニアファミリー』のアニメを見たような…とか思ったら『メイプルタウン物語』というアニメでした。一年位しかやってなかったアニメだったみたいですが…よく覚えていたもんです)

当方の宅は「ご飯を食べながらテレビを見るな!」という教育でしたので。現在でも朝食時はラジオ(しかもAM)

そういった事からも、全く戦隊ヒーローモノに触れる機会など無く。

ましてや、子供の時から「何故地球の平和がこんな子供に託されているのか」と数多の少年少女向け正義の味方系ストーリーに妙に冷静であった当方。

国連とか」「G何とかとか」「軍隊とかそういう人とか」そういう大人たちが有事に対し矢面に立って立ち回るだろうと。こんな不安定なティーンエイジャーに任されるほど世界って簡単じゃないやろうと。

 

「そうやって屁理屈こねて!どうせ文句言うんやろう!…じゃあ何でこの作品を観ようと思ったんだよ!」お怒りはごもっともですが。

 

「アメ公が…金を掛けて作ったどんちゃん騒ぎが観たかったからだ」(妙に低い声で)

全く目にしたことが無い訳じゃない。日曜の朝…。

何が採れる場所なのかさっぱり分からない、よく見つけて来たなと思う採石場で。シャキーンの音とキッチュなCGとくるくる回る光を纏った変身シーン。(お洒落スナップされる事など絶対に無い、汎用性の無いチャンピョンベルトなどを着用)違法としか思えない改造二輪車や最早何の乗り物か分からない物体で砂煙を上げて走り回り。と言っても結局はつかみ合いの喧嘩。それを小さな爆発でくるんで。勢い良く走り回っていたと思いきや、陥るヒーロー(又は仲間の誰か)のピンチ。直ぐ様別の仲間達が画面をコマ割りにしてそれをキャッチ。仲良く何らかの掛け声を掛けたと思いきや、彼らは合体。そうして敵に立ち向かい。でも、敵にトドメを指す訳では無く半殺し。敵は「ちくしょう!見ておれ!」などと、意外と元気な大声でどろんと煙を上げて異空間?にワープ。

そして最後。同じ仲間の連中が学生服を着て小さな学園コントみたいな事をして終わる…。

(誤解の無いようにしたいのですが。当方は一切悪気は無いのですが…この世界がよく分からん者にはこういう風にしか30分は過ぎないんですよ)

「この、どうやっても格好良くない、泥臭い日本のお家芸を。一体アメリカンはどう演出したのか」

 

結論から言うと、この「採石場でのどんちゃん騒ぎ」までが非常に長かったです。

 

遥か昔。太古の時代。世界は5人のレンジャーに依って守られていた。しかし、一人の悪にレンジャーは次々と倒され。最後の赤レンジャーが自らも悪と共に自滅する事で、世界の平和は保たれた。

そして現代。

皆、小さな閉鎖的な街に住む高校生。赤レンジャーの主人公。(注:一応彼等の役名を調べてメモしたんですがね。こちらの方が分かりやすいんで色レンジャーで表記します)有望なアメフト選手だったけれど。ちょっとしたいたずらが大げさな事態になって。一気に問題児の仲間入り。ペナルティーとしてアメフト選手生命を絶たれてしまった。(このいたずらも何だかしっくりこない内容なんですがね)

警察の保護下に置かれ。学校の問題児補講クラスに放り込まれた主人公。そこで出会った、アスペルガーの青レンジャー。

彼に誘われて。何となしに向かった夜の採石場で。偶然出会う、同じ補講クラスのかつてはイケイケメンバーに属していた女子、ピンクレンジャー。

そして採石場の近く?の掘立て小屋に住んでいる一匹狼の黒レンジャーと、うろついていた、はすっぱ黄色レンジャーも居合わせた所で、青レンジャーが「宝を見つけるんだ」と持参していた(!!)発破装置を起爆させ。

それによって現れた、光る石。それに触れた途端、彼らは驚異的な力を手にしてしまい。

時を同じくして。太古の時代に葬り去られたと思われた悪が、時を超えて目覚めてしまう。

 

「まあ、結局はそいつと高校生レンジャー部隊との戦いになるんやからさ」

当方としては、そこを楽しみとしている訳ですよ。あの毎週日曜に行われている奴をどんなクオリティーでやるのかとワクワクして。ですが。

 

「そこまでがもう…本当に長い!!」

 

高校生レンジャー達。その光る石に選ばれた彼らが、それを受け入れるまでの下り。そして水面の下にある秘密基地での、任命説明。そしてレンジャーになるべく行われる訓練。

「俺たちに必要なモノは何か」互いの心の内を話合い。徐々に打ち解けていく。そして生まれる連帯感。

 

「大切なんやろうけれど…如何せん長い!!」

 

普段ならもう少し寛容に物事を受け止められる…と思っている当方ですが。

最近仕事とか仕事とか仕事とかの重圧が当方の心を蝕んでいて…兎に角「今すぐスカッとしたい!!」という気持ちを全面に押し出して映画館に来ていたので…じりじりと焦れるばかり。

 

「ピンクと黄色。女子は二人居たけれど。YOUはどっちがお好き?」そんな明るい問い掛けにも「緑だな!」と食い気味で叫ぶ当方。そんな事にちんたら答える余裕は無くて。

 

「早く採石場のシーンが来てくれ!そして大カタルシスを!当方に!」
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 まあ…やっぱりお金を掛けているんで。それなりのクオリティーは出していましたけれど。

「戦闘シーン、短い。そして…うーん…」不完全燃焼する当方。何かちゃう。これじゃない。

(長らく毎週日曜日の戦隊モノにどっぷり浸かっていた人々にとっては…もしかしたら胸が熱くなるエピソードやフレーズや乗り物や音楽があったのかもしれませんが…)

 

ただ。911以降、どうしても「街を破壊しまくる、驚異的な力を持つ奴」についての見方が代わりつつあるなと思う近年のアメリカ映画の中では、異色の「正義の味方が思いっきり街を破壊している作品だな」と思いました。

「どうして街の人々は、戦いの後のパワーレンジャーに賞賛の声を上げられるのか。当方なら、ある日突然住む町のあの惨状を目の当たりにしたら…パワーレンジャーも憎みますよ。どこか遠くの人気の無い所でやれと」

まあ、そういうチャチャは無粋になってしまいますんで。止めますが。

 

「ノーラン監督のバットマンシリーズで言うなら『バットマン・ビギンズ』彼らがヒーローになるまでのお話」

 

最後。続編を作る事を暗示して終わりましたが。

 

次回作は前置きはいいとして。さくさくとスーパー戦隊の活躍を見たい。そう思った今作でした。


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