映画部活動報告「判決、ふたつの希望」
「判決、ふたつの希望」観ました。
レバノン。シアド・ドウエイリ監督作品。
キリスト教徒トニーとパレスチナ人で工事現場の現場監督ヤーゼル。
きっかけは本当に些細な事だった。けれどそこで起きた傷害事件を発端に。「謝れ」「嫌だ」。次第に「これは人権侵害だ」「何を言うか」二人の意見は法廷に持ち込まれ。そこで繰り広げられる、両者弁護人による代理戦争の勃発。遂には国家を揺るがす大論争へと発展していく。
「レバノン」「パレスチナ難民」「移民問題」ニュースなどでちらほら見掛けるけれど。案の定世界情勢に疎い当方。しどろもどろ。
(ところで。当方は一体何の分野なら胸を張って語れるのでしょう?このお決まりの『当方はよく分からんのですが~』の下り。我ながら情けなくなります。…とは言え。そういう『普段興味を持って追及していない部分』を見せてくれて、思いを馳せられるのも映画の良い所だと思います。THE開き直り!)
けれど。そんな情勢を一切分かっていなくても。非常に楽しめる(言い方)。そして分かりやすい作品でした。
自動車整備士のトニー。妊娠中の妻と二人暮らし。けれど妻は今の生活と、ごみごみして暑苦しい今の町も正直気に入らない。「貴方の実家のある村に引っ越しましょうよ」。けれど。「このアパートを買ったばかりだぞ。」「絶対にあそこには戻らない。」声を荒らげるトニー。
冒頭。そうした夫婦の喧嘩中。暑さも相まって苛々しているトニー。加えて近所一体で行われている工事の音も煩く腹立たしい。
時を同じくして。工事現場を見回っていた、現場監督のヤーゼル。
「何だ此処。違法建築だらけだな」ふと見上げると、アパートの雨どいがおかしい。建物からただ突き出しただけの排水管。これではあのアパートのベランダからの水がその下を歩く人間にかかってしまう。
とっさに雨どいを修理するヤーゼル。しかし家主であるトニーに無断で工事をしてしまったため、逆上したトニーに雨どいを破壊されてしまう。
「善意とは言え。無断で工事はいけない」そして事を荒立ててはいけないと、責任者と共にトニーの元に謝罪に向かったヤ―セル。しかし、そこでのトニーの態度と雰囲気に謝罪の言葉が出せず。そんなヤ―セルの態度にトニーが放った「お前らなんかシャロンに殺されればよかったのに。」
その言葉を受け。トニーに殴りかかるヤ―セル。結果ろっ骨を二本折る怪我を負わせてしまう。
~という所から。まさかの法廷劇が始まるのですが。
れっきとした傷害事件。骨折させられた。しかもその後のオーバーワークに依って病状は悪化。加えて妻はショックで早産。生まれた子供は未熟児で危険な状態。
その側面だけ見れは、暴力を振るったヤ―セルが悪い。しかし。
「何故ヤ―セルは暴力を振るったのか。」
寡黙で真面目。実直さは折り紙付き。仕事ぶりも丁寧で信頼が於ける。そんな彼が何故。
「シャロンに殺されればよかったのに」
アリエル・シャロン。1982年のレバノン侵攻を指揮したイスラエル元国防相。
当方は、レバノン・パレスチナ問題についてあまりにも薄っぺらい知識しか持ち合わせていないのでバッサリ割愛しますが。
パレスチナ難民であるヤ―セルにとって、それはどうしても聞き逃す事の出来ない言葉であった。
「これ。どう着地するつもりなんやろう…。」
トニーとヤ―セル、両者に就いた弁護人。(いくら何でも世界が狭い!)本人達が「いや。俺も悪かったし…」と言おうものならば「私に任せたんだろう?」「勝ちに行か無くてどうする」「法廷は戦場だぞ」最早弁護士同士の代理戦争の様相も呈してきたり。
「とは言え…殴られたのはトニーだろ?」そう聴いていた傍聴人たちも。件の「シャロンに~」の言葉がきっかけであったと知るや否や。各々の感情が爆発。
「確かにトニーは殴られた。けれど言葉だって立派な暴力だ。」
普段からため込んでいた憤懣が二人の対立する構図に沿って巨大化。次第に夜中トニーの店が襲撃されるなど、二人の生活も脅かされる。そして遂には現首相が仲裁に入る事になって。
「なんか。スケールが大きくなっていく事で取返しが付かなくなっているな…。」
もう途中位から互いを許していたと。そう思う当方。ただ。事は余りにも大きくなり過ぎた。けれど。この裁判は決して茶番ではない。
何故とっさにあんな言葉が口から出たのか。どうしてとっさに手が出たのか。この国にかつて起きた事。そして今起きていること。どこに心を痛めているのか。怒りを感じているのか。
この裁判を通して。「一体自分はどう思っているのか」を懇切丁寧に振り返る事になった。そしてそれは同時に「相手はどう思っているのか」を知る事にもなった。
「トニーは一見カッとなりやすくて乱暴に見えるけれど。彼もまた、自分の仕事をきちんとやり遂げる人間なんよな。」
当方が好きなシーン。物語の終盤、エンストしたヤ―セルの車を黙々と修理するトニー。
これまでの人生で起きた悲しい事。決して忘れられない恐怖。そこからくる相手集団への嫌悪感、憎悪。正直それは消すことは出来ない。けれど。
その集団に属する者すべてが悪者ではない。あくまでも個は個であって、背景で個を塗りつぶしてはいけない。
「私たちは原点に立ち戻り、正しい判決を行う事にしました。」(言い回しうろ覚え)
そうして下された判決も納得出来たし、そして二人の間で付けた落としどころも良かった。これで良かった。
「流石にこれだけ大事になったからあれやけれど…二人の間に友情が芽生えた感じすらした。」
こんなにも『大風呂敷を畳む』事に成功している作品に。胸が一杯になる当方。
ところで。冒頭「これはフィクションであり、レバノンの答えではありません(言い回しうろ覚え。当方意訳)」というテロップ。
この作品の持つ『多様性に於ける個の容認』というメッセージ、非常に分かりやすく沁みたのですが。
これを本国レバノンの人たちはどう見たのか。どう感じたのか。
寧ろそこが気になる当方です。