ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「ダンケルク」

ダンケルク」観ました。


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いつだって妥協を許さない。そんなクリストファー・ノーラン監督最新作は…第二次世界大戦当時フランスダンケルクで起きた、イギリス軍撤退作戦『ダンケルクの闘い』。

当時の船や戦闘機を使って。臨場感が半端ない映像を作り上げた!!

(失礼ながら。今後ノーラン監督で表記させて頂きます)

 

…みたいな予告をばんばん打って。兎に角「ノーラン映画ここに極まれり」と言わんばかり。

いかほどのものかと。戦争映画なのにどこか期待に胸を膨らませて。公開初日に映画館に向かった当方。そして鑑賞後。

 

「これまでのノーラン監督のやり方を意識し過ぎていた」これは予習して観るべき案件であったと反省した当方。

 

1939年。当時イケイケだったドイツがポーランドに侵略した事で、イギリス・フランスが宣戦布告し第二次世界大戦は勃発した。その後ベネルクス三国(ベルギー・オランダ・ルクセンブルク)もドイツに飲み込まれ。フランスも追い詰められ。

1940年。英仏連合軍40万人の兵士はフランス北部の港町ダンケルクにまで追い込まれる。

この時。イギリスの当時の首相チャーチルはイギリス兵士に対し「戦う」のではなく「撤退」を命じた。とは言え。ドイツ軍の脅威は凄まじく。逃げ場などどこにもない。

陸海空。各々の時系列を変えて。兵士たちに共通するのは「祖国に帰る事」

そしてイギリス国民の取った、「彼らを連れ戻す」勇気と行動。

イギリスに今でも語り継がれる『ダンケルク・スピリット』

それをノーラン監督が圧倒的な迫力と映像で描いた作品。

 

2008年の『ダークナイト』間違いなくノーラン監督の出世作。そして脂がのったまま発表された2010年『インセプション』そして近年2014年『インターステラ―』

御多分に漏れず。当方も『ダークナイト』でノーラン監督を知って。一番好きなのは『インセプション』先日も自室を真っ暗にしてブルーレイ鑑賞をしておりました。

 

「でも…正直、その二作以外はそんなに嵌っていなくて…」

そもそもバットマンが好きな当方。なのであれこれ文句は言いますが一応『バットマンモノ』は観てしまう。

バットマンの持つ暗さ。そしてDCのやたら陰気な感じは確かにノーラン監督の持つ「生真面目さ」にマッチしていた…『ダークナイト』は。

「でも…ノーラン監督て生真面目で理屈っぽいから。ダークナイトは『ノーラン版バットマン三部作』の真ん中で。丁度いい感じに説明も省かれていたし、明らかに盛り上がるピーク内容やったからみやすかったけれど。その前後の『バットマン・ビギンズ』と『ダークナイト・ライジング』なんて鬱陶しくて観ていられんかったよ」当時の。そして今でもそう思う当方。

インセプション』に関しては波長が合ったからとしか言いようがない。ノーラン監督の提示するレギュレーションにすんなり共感出来たから。だから好きなだけ。あの設定に乗れなかったら、全く箸にも棒にもひっかからない。

「でも。ノーラン監督は決して受け手個人のインスピレーションに任せている感じはしない」

「兎に角俺の世界はこうなんだと。何重にも重ねてレギュレーションのご説明をする」「その為にも。登場人物のセリフだけでは無く。映像で納得させようとしてくる」「それこそが、ノーランクオリティーの『あくまでも本物』に拘った映像」

 

今回。イギリス人は知っているのかもしれないけれども。正直世界中では知らない者も数多いる『ダンケルクの闘い』を。そんな史実をどうノーラン監督がみせてくるのか。

 

「これまでのノーラン作品とは全く違う。説明しないノーラン作品」青天の霹靂。

 

陸海空。各々の時間軸を変えて。共通点は『ダンケルク』のみ。

 

波止場で。援護船を待つ若い兵士達。絶え間ない砲撃。やっと無事船に乗り込めたと思ったらすぐに沈められてしまう。そして再び海岸へと戻される。その繰り返し。

海で。母国イギリスから「兵士を助けよ」と民間船までもが船の貸出要請を受ける。そんな中。政府には任せておけぬと、自ら操舵して救助に向かった民間人。その親子と友人。

空で。形勢不良ながらも飛び出して行った空軍パイロット。

 

彼等について、殆ど説明は無し。兎に角「生きるか死ぬか」の非常事態の連続。逃げ惑い。時には仲間も押しのけて。「生きて帰りたい」「死にたくない」必死。

 

「俺…国に帰ったら結婚するんだ」「馬鹿野郎!お前が死んだら国の母親は!お前の幼い妹は!!」なんてデフォルトは無し。「今な…こういう事が起きているんだ」と説明してくれる年配のキャラクターも無し。そういった説明ファクターを一切排除。圧倒的な現場主義映画。説明なんかしないから。よく見て付いて来いと。

 

なので。観ている側はひたすら画面を追いながら「今はどういう事が起きていて」「助かって…いない!」等と頭をフル回転しなければいけない。これはこれまでのノーラン監督には無かった傾向。

 

「でも。確かに有事の最中とはこういうものかもしれない…。非常事態の中で何もかもを把握している人間なんて一握り。末端の人間は訳も分からず必死に動き回るだけで…」そう思う当方。何があったかなんて。随分経ってからしか分からないのだろうなと。

 

比較的分かりやすかった民間船のパート。「私たちが戦争を起こしたんだ。だから私たちが息子たちを助けなければならない(細かい言い回しうろ覚え)」キングスマンかと思わんばかりの英国紳士。あのきちんとしたシャツとセーターのご老人の、シャンとした佇まい。「危ないから戻れ!」始めに救助された兵士が怯える中。絶対に譲らなかった強い意志。

 

そして「祖国だ」のシーンに唯一目頭が熱くなった当方。

 

IMAXでは鑑賞しませんでしたが。それなりにハイスペックな映画館で鑑賞した当方。それでも十分に見応えのある映像でしたが。

どこかで聞いた「IMAXじゃなかったから全部を受け止められなかったんじゃないか」というご意見に眉を顰めた当方。だって。だってIMAXが無い地域だってあるやないの。画面のサイズやら見切れるやらで理解が変わる云々はナンセンス。

今回。ノーラン監督が新境地にチャレンジしたのは分かるけれど。バランスが悪かったかなとは思う当方。

 

いつにもまして説得力のあった映像体験。でも…言葉での説明を一切排除したのならば、いっそ無声映画にすれば良い。なのにに最後差し込まれた「ダンケルク・スピリット」

それは…下手したらプロバガンダになりかねないじゃないかと。そのスケールに落とし込みたかったんじゃないやろうに。なんだかなあ。

 

とは言え。これまでで完成されていたと思っていたやり方を。がらっと変えたノーラン監督には敬意を表しますし(何様だよ)、これからも付いて行こうと思った。そんなターニングポイントとなったノーラン作品でした。

 

映画部活動報告「散歩する侵略者」

散歩する侵略者」観ました。
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皆大好き。黒沢清監督の最新作。

末期状態であった夫婦。数日間の行方不明の後、見つかった夫真治は松田龍平になっていた。

 

「違う違う!」慌てて立ち上がる皆さま(誰?)。「『真治は別人の様になっていた』やろ!」

静かに続ける当方。

飄々と無表情で。妙に落ち着き払った態度と受け答え。病院に駆け付けた妻鳴海(長澤まさみ)も、どう対応したらいいのやら。ほっとしたのもあるけれど。それ以上に押し寄せる腹立たしさ。何故か歩くのもやっとの夫は、妻と二人になった時に打ち明ける。「ガイドになって欲しい」

時を同じくして。とある一家惨殺事件が発生する。一人だけ助かった女子高生あきら(恒松祐里)。彼女を取材しようと事件現場をうろついていたジャーナリストの桜井(長谷川博己)は、奇妙な少年天野(高杉真宙)に出会う。

「俺たちは宇宙人なんだ。地球を侵略する為に、まず地球人の『概念』を集めに来たんだ」「より多くの概念を集める為のガイドになって欲しい」

初めは半信半疑。しかし彼らと共に行動するにつれて彼らの主張を認めざるを得なくなっていく桜井。

「家族」「家」「仕事」「自分」果たして概念を奪われる事は不幸なのか。幸せなのか。奪われることで失うものは。そして愛する者が侵略者に奪われたら…。

 

前川知大率いる劇団「イキウメ」の同名舞台の映画化。昨年、神木隆之介門脇麦主演で公開された『太陽』も同じ劇団の作品であったと。なるほどなるほど。こういう不穏な奴がお得意なんですねと頷く当方。

 

ところで。始めに重大なお断りをしておかないといけないのですが。

 

「当方は黒沢清監督の事がとても好きなんですよ」

 

どうしてなのか…何故か当方が熱く黒沢清監督作品を語れば語る程「馬鹿にしている」と思われるという誤解がありますので。大好き宣言してから始めさせて頂きますが。

 

まあ。あれですよね。宇宙人=松田龍平というキャスティングでもう勝ったも同然。(誰に?)

松田龍平と全く面識もありませんし、失礼なのは承知ですが…(小声)いつもああいう感じじゃないですか。覇気も無いし、いつだって無表情で三白眼。ぼそぼそと喋る口調も朴訥として。のらりくらり。

「夫は別人になって帰ってきた」って。そのビフォアーを全く想像出来ない。想像出来ないけれど、「宇宙人=松田龍平になって帰ってきた」と言われればそれは飲み込める。

後の二人の若い宇宙人は結構役をしっかり作って気持ち悪くしていたと思いましたがね。でも松田龍平のみが通常運行。素でしっかり宇宙人。

 

原作ありきなんで。あんまりどうこう言えませんが…良く言えば「確かに舞台っぽい」はっきり言えば荒唐無稽。でも揺るがない。黒沢清監督作品に於いて、作品の整合性なんかを言うのは野暮だから。むしろおかしくなればなるほどニヤニヤが収まらず。

 

冒頭。女子高生あきらが遭遇する、惨たらしく荒らされた家と家族。でもそこから一転。血だらけの満面の笑顔で外を歩くあきら。

 

「本当につかみが上手いんよな」(誰とは言いませんが。ああいうシーンで大量過ぎる血をぶちまける某監督の下品さ。それに比べ、きちんとリアルな惨殺現場)さすがホラー出身の気持ち悪くて最高なスタート。

 

「家族」「家」「仕事」「自分」エトセトラ。エトセトラ。「それって何?」「説明できるように頭に思い浮かべて」そうやって相手に考えさせて。イメージ出来たところで「それ。もらうね」概念を奪い去る。奪われた人間に一瞬浮かぶ涙。でもそれもつかの間。

概念を奪われた人間は。ある者はそれによって全てを失ってしまう。でも幸せになる者もいる。そして多くの概念を奪われた者は…どこか虚ろなぼんやりとしたモノになってしまう。そしてそれは最早人間では無い。

 

「散歩して。多くの人間と会って。対面で質問して概念を奪う。そうして地球人のサンプルを入手する…って。結構ハードル高いけれどな」まあでも。町が世界が壊れそうになる展開を見ると、彼らはスクリーンでは見えない所で街頭インタビューをしまくったんでしょうね。

 

そして「一体国家は何処でどうやってその宇宙人云々の危機を察知したんだ」

 

一家惨殺の生き残りあきらと少年天野。そしてガイドの桜井。彼らが合流して行動すると。何故か武装した厚生労働省幹部に追われ。なんですか。彼らが去った後の。あの「概念を奪われた者が見せる奇異行動」ってやつ故ですか。

地球を侵略するというビックスケールの割に、一つの街に降り立ってちまちま活動する宇宙人たち。

「あかんあかん。そういう些細な事の揚げ足を取ってはいかん」我に返る当方。

 

終わっていた夫婦。同じ屋根の下に住みながらも最早心は離れていた。そう思っていた。なのに。

 

自分が知っていた真治では無い(当方達観客からしたら、元の夫の方が想像できないですけれど)からっぽで。でも放っておけない。

言ってる事は無茶苦茶。なのに。今再び持てる夫婦の時間。

「やぱり『岸辺の旅』以降。黒沢清監督にはこういう夫婦ものをやりたいという意志を感じる」何となくそう思う当方。

かつては他人。でも愛し合い。夫婦となって。でもだんだんすれ違う。そしてもう…終わり。決定的なピリオドが打たれたと思った所から…物語は始まる。

 

「終わり良ければ全て良しってか…」今回。余りに美しく着地した事に震えた当方。

 

お楽しみポイントをふんだんに散りばめて。

あの人が出てきた途端「地面に気を付けろ!また落とし穴に落とされるぞ」とニヤニヤした当方。「満島真之介の幸せそうな表情!でもあんたの主張意味不明やで」「カメラの動きが鬱陶しい!!」「またもや光を操る黒沢清!」そして「長澤まさみよ!!」

 

クリーピーなのはあんただよ」当方をニヤニヤの渦に叩き落とした、昨年公開『クリーピー』の竹内結子。あの「真夏に隣家にシチューの差し入れ。しかも透明の大きなボウルにサランラップで。両手に抱えて!どうやったらこぼさずに持ってこれたのか。そしてお宅にはタッパーは無いのかね?」等の面白過ぎた主婦。そこまでは行かなくとも。

 

「あんた…圧力鍋何処やったっけ?って。何故階段から持って降りてくる?台所にも置いてないって、それ使ってないアイテムやん」「真ちゃんそれ前は絶対に食べなかったのに。って何その食べ物?かぼちゃ?ですか?色的に。何故他の食材は全て皿に盛っているのにその謎の食べ物だけタッパーから直に食べているのか?」しょうもないけれど見逃がせない。黒沢清映画あるある変な主婦炸裂。

 

もう一人のガイド。桜井こと長谷川博己。そのブレブレな人間性と最後の面白ウォーキング。脳裏に焼き付いて離れず。そして東出昌大最強伝説。

 

当方の中で松田龍平に並ぶ「宇宙人俳優」東出昌大。その彼がまさかの「愛を教える牧師」役。その絶妙な配役と、案の定うさん臭い話が始まった…と思いきや即刻カット。次のシーンで松田龍平の言った言葉に本当に笑ってしまった当方。

 

129分に渡って。終始滑稽な話を繰り広げるんですが…本当に「終わり良ければ~」なんで。何だか感動的な話を観た様な。じんとした気持ちにすらなってしまう。

今回そうやって着地している事で「ぬるい!」という声も当方は聞きましたが。

 

しっかり黒沢清テイストは引き継ぎながらも。最近の経験を活かして話をまとめたんだと。そう思いましたし。当方は十分ニヤニヤと楽しむ事が出来ました。

職場にて。今日の昼休憩でも、空気を無視して同僚にお薦めする当方。

 

ただ…何故か当方が熱く黒沢清監督作品を語れば語るほど、どうしても「馬鹿にしている」と誤解されてしまうんですよ。ですので最後にもう一度。

 

「当方は本当に黒沢清監督が大好きなんですよ」

 

映画部活動報告「幼な子われらに生まれ」

「幼な子われらに生まれ」観ました。
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40歳。バツイチの主人公、田中(浅野忠信)。同じくバツイチで二人の娘を持つ奈苗と出会い、再婚。

『善き夫。善き父親』であろうと。仕事より何よりも家族を最優先。

妻の妊娠。

めでたいはずなのに。幼い次女は喜んでくれたのに。難しい年齢の長女との関係は、それを機におかしくなってしまう。

 

重松清原作。道理で…」主人公田中を追い詰める状況。仕事。家族。妻の元夫。そしてかつての家族。全方位から押し寄せる、容赦ない圧迫感。観ている方もどんどん息苦しくなっていって。

 

「娘と一緒に居られる時間はあっという間ですから」会社では定時退勤。飲みの誘いも受け付けず。手土産にケーキを買って真っすぐ帰宅。

「なかなかサラリーマンでそれが出来ている人は居らんで~」素敵な事だとは思いますが…案の定、工場に出向(左遷)させられる田中。

家族優先とはいえ。仕事が傾けば家族の経済基盤が破たんしてしまう。そんな不安。

なのに。その大切な家族事体がグラグラに揺れ出して。

 

「あの長女…憎たらしかった」

思春期。反抗期。自身も心身共に成長していく年齢。そんな時に母親が妊娠。何も分かっていない妹は能天気に騒いでいるけれど…色んなフラストレーションがふつふつと湧いて。抑えきれなくて。

「いや。分からんくは無いんやけれどな。でも…余りにも子供すぎる」

「子供が生まれたら、私たちは捨てられるんだよ」幼い妹にまでその矛先は向いて。

そして挙句の果て。「本当のパパに会わせて」と言い出す始末。

 

田中と前妻との間に生まれた娘。前妻に引き取られた娘とは、今も月に一回会っていて。

でも違う。田中と前妻友佳と、今の妻奈苗と元夫沢田の関係性は全く違う。

沢田の暴力。最終的には長女にまで手を上げた事で破たんした夫婦。

「もう死んだのと同じよ」「あの子が沢田に会いたいなんて言う訳が無い」奈苗が言う様に、長女が会いたいなんて思うはずもない人物。

ただただゴネたいだけ。この収まらない気持ちをぶつけたいだけ。そして父親を最も嫌な言葉で傷つけたいだけ。

「じゃあどうしたいんだ」イラつく当方。

長~い目で見たら、これは時間しか解決出来ない事なんやろうと思う当方。今すぐ皆がすっきり出来る解決策なんて無くて。あの長女の態度も言葉も物凄くムカつきましたが、これをずっと抱えて言わなかったらそれはそれで歪みそう。

ただ…親しき仲にも礼儀ありというか…言葉って心に残るから、家族とはいえ何を言ってもいい訳じゃない。となると、長女のやっている事は正に覆水盆に返らず。

いつか大人になった時「子供やったな」と思う日が来ると当方は思うけれど…その時の自身の居場所を今壊している事になってるよ…という痛々しさ。それが堪らなくて。

 

田中麗奈扮する奈苗。これがまた「べったり依存系主婦」

ベタベタした喋り方。(絶対一人で立てる強さがあるのに)誰かにすがって生きて行きたいタイプ。ああ嫌い。当方の苦手なタイプの女性。

(本当はあの長女はこの母親に怒りをぶつけたいんやろうな、と思った当方。でも出来ない。それをしたら本当に取返しが付かなくなると感じているから。だから言いたい事を父親に言っているんだろうなと)

 

そして奈苗の元夫。沢田。(宮藤官九郎

「ちくしょう。クドカン。最低やのに…最高やないか」泣く当方。

「あいつねえ。すがってくるでしょう。鬱陶しくてね。」「あいつの嫌がりそうな事は全部やりましたよ」「あいつと結婚して良かった事なんて何も無かったですよ。子供が生まれたらもっと悪くなった」

呑む喰う打つ。女にも手を出して。常にイライラ。奈苗に暴力を振るって。

(2004年のクドカン初監督作品『ドラッグストア・ガール』の主人公が田中麗奈でしたね。確かあの時「田中麗奈さんが大好きで大好きで…」と語っていたクドカン。そんなクドカンがまさかの田中麗奈に暴力を振るう役なんて…)

長女が本気で会いたい訳が無い。でももうどうしていいのか分からなくて。沢田に会いに行った田中。でも会うたびにただただ沢田のクズっぷりを見せつけられる田中。
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「なのに…」

あのデパートの屋上で。そこに現れた沢田に、思わずタオルを口に押し当てて泣く当方。あんなの…ずるい。

暴力も何もかも。沢田のやった事に同情の余地など無い。でも。彼が田中に語ったのは結局は虚勢。語らなかった、沢田にしか分からない『かつての家族』への気持ち。

 

「あの時ああしていなかったら」

夜。コンビニの駐車場に停車した車内。田中の前でひたすらそう連呼した田中の前妻、友佳。

「あの時~していなければ」でもそんなたらればには意味が無い。全て自分で選んで今がある。分かっている。そんな事は。分かっている。

「貴方は理由は聞くけれど。気持ちは聞かないのよね」

いつもそうだったと田中を責める友佳。

「いや…結構貴方の行動よく分からんかったけれどな」12年前の二人を見てそう呟く当方。

 

「一体どう決着をつけるつもりなのか」

 

結局。崩壊寸前まで追い詰められた田中家を救ったのは、かつての家族。

 

ところで。この田中家のある、独特な集合住宅。「知ってる」

そしてエンドロールのロケ地で「西宮名塩」のテロップに頷く当方。

子供の時。週末と言えば、車で色んな所に連れて行ってもらった当方。家族でドライブ。その時、高速道路でよく見かけたあの住宅地。

恐らく。かなりの急斜面に所狭しと建てられた家々。それらを繋ぐケーブル。

「ああいう風になっていたのか~」いつも車内から見ていたその町を。新鮮な気持ちで見た当方。

(因みに、夜はそのケーブルに明りが灯るので。「きらきらしてきれい」と思って見ていた幼かった当方)

 

つぎはぎで出来た家族。一見上手くやっていたけれど。新しい家族が増える事で起こった新陳代謝。それは家族皆に痛みが伴ったけれど…そうやってまた深まった絆。

 

そして父になる」「そして家族になる」

 

いつか。あの憎たらしかった長女も含め、家族の皆で穏やかに笑い合える。幼な子はそんな希望でありますようにと。祈るばかりです。

映画部活動報告「午前十時の映画祭 おしゃれ泥棒」

「午前十時の映画祭 おしゃれ泥棒」観ました。
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今年の夏休み企画。午前十時の映画祭『オードリー・ヘップバーン特集』

ローマの休日』の期間以降、暫く当方には休日がありませんでしたが。何とか最終作品に滑り込む事が出来ましたので。幸い、未見であったこの作品を観に行く事が出来ました。

 

1966年。ウィリアム・ワイラー監督作品のアメリカ映画。オードリー・ヘップバーン37歳。お相手はピーター・オトゥール

 

有名美術品コレクターの父シャルルと一人娘のニコル。数多の美術品を所有する彼の持ち物は実は贋作で。シャルル自ら、その作品の時代の絵具を入手して贋作作成。それを金持ちに売り捌いたりして生計を立てていた。その事を唯一知るニコルは、いつ父親が捕まるのではないかと気が気ではない。

ある時。『チェリーニのヴィーナス像』(勿論贋作)を近くの美術館に展示出品する事となったシャルル。「絵画と違って石像はバレるって!!」と不安がるニコル。

そして。「余りにも貴重な品なので保険を掛けたい」という美術館の申し出に、何の気なしに書類にサインしてしまったシャルル。途端に「一応ヴィーナス像の価値を査定する為に権威ある者に検査してもらう」と言い出す美術館サイド。内心慌てふためく親子。

時は前後して。美術館でヴィーナス像に惚れ込んだ美術商ソルネは、美術品専門の探偵デルモットにシャルルについて調べて欲しいと依頼する。

シャルル不在の夜。こっそり屋敷に忍び込んでいたデルモットはあっさりニコルに見つかってしまう。威嚇の為ニコルが発砲した銃に依って負傷するデルモット。

「俺は泥棒だ」と嘘を付いた(いやいや。人の家に不法侵入して何かを盗む事は泥棒と言うんですがね)デルモット。いまいましいけれど。警察に届ければこちらも贋作についての腹を探られかねない。見逃すニコル。しかし。

「後数日でヴィーナス像は鑑定される。そしたら偽物だとバレてしまう…その前に盗まれてしまえばいいじゃないの」

デルモットにヴィーナス像の強奪を依頼するニコル。

そして。ついにその日がやってきた。


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(全体的に由美かおるっぽいんですよね)

可愛い可愛い。エレガントでチャーミング。そんなオードリー・ヘップバーンが。どちらかと言うとコミカルな演技全開でやっていた今作。

 

まあ。何をどうしようが結局「貴方の父親も貴方も小悪党だから」という設定。

あっけらかんとした父シャルルは勿論。「パパ!」とキャンキャン騒ぐニコルだって、愛するパパを通報する事は一切無く。その金で贅沢して。寧ろ「捕まって…私達終わりよ!!」と悲観。あらあら。

 

なんて大らかな時代。そもそも贋作がここまで世間にはびこる事は現代ではあり得無い。そして美術館泥棒なんて最早不可能犯罪。人間以上の叡智を駆使してのセキュリティー。(全く詳しくありませんが)ですが。それを言っては野暮。

「だってこれ。普通に面白い」

 

ちょっと見ただけで。そして、忍び込んだ時に入手したサンプルで贋作だという事は分かっていたデルモット。でも「どうしてヴィーナスを?(持ち主が盗むの)」とカマを掛け続け。言い出せないニコル。この下りだけで高まる当方のS気質。

結構そのやり取りにも時間を掛けて。

 

お決まりではありますが。この作品には「ラブコメ」の要素も勿論入っていますので。

「何なのかしら。泥棒の癖に図々しい。逃げられないから車でホテルまで送れってなんなの。しかも…お別れのキスって」

「いつも行く先々に現れるあの人。いつだって強引で…」

「何なのかしら。思わせぶりな態度。私には婚約者だっているのに。(ニコルの奴。もの凄くライトな感じで美術商ソルネと婚約とかするんですよ)貴方とは仕事のパートナーよ」

だけど・気になる・昨日よりも・ずっと(アニメ:ママレード・ボーイより)

何だかんだ気持ちは高まって。だってあいつは甘くて苦い。気になるママレード・ボーイだから。(我ながら寒い…ギブミー・ブランケット)

 

この作品での一番の見どころは、やっぱり『決行の日』

1966年。今から51年前!の作品とはいえ。順を追って全てネタバレしていいとは思いませんので。ふんわりさせますが。これが面白かったです。古びない。

「磁石のネタ」「警報機の音量と人間心理」「ビール瓶」そして「物置小屋での出来事」

 

「神様。明日で世界が終わるなら、こういうシチュエーションを当方に下さい」

 

憎からず思う相手と二人。閉じ込められた狭い物置小屋。たまに警備員が扉を開けに来るなんていう絶対絶命もお約束。外から掛けられた鍵をどうやって開けるのか。そして吊り橋効果も相まって。急速に縮まる二人の距離。確かめ合う互いの気持ち。そしてキス。もう次のシーンからはラブラブな二人。その余白を想像して悶える当方。

(ただ…置き換えてみても。残念なまでに膀胱の許容量が無い当方は「だんだんトイレに行きたくなってきた…」という悲しい告白をする展開しか想像出来なくて…切ないです)

 

「そしてお姫様は王子様と仲良く末永く暮らしました。」とさ。

そういう展開になるしかない、何の不安も感じさせない幸せ物語。

 

「でも。逆にそういう物語って、今は作れないよな…。どんなにハチャメチャな世界観に見えたとしても、それを納得させる整合性は必要やし」

 

そう思うと貴重。貴重なオードリー・ヘップバーンの夢物語。

何だかほんわかした気持ちになる。午前十時の映画祭夏休み企画でした。

 

映画部活動報告「新感染 ファイナル・エキスプレス」

「新感染 ファイナル・エキスプレス」観ました。
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何事にも全力疾走。本気過ぎる韓国映画の新ジャンル『Z(ゾンビ)映画』

離婚秒読みのエリートサラリーマンの主人公とその娘。

娘の誕生日。「ママに会いたい」と娘にせがまれ。ソウル発プサン行きの高速鉄道KTXに乗った二人。そこで起こった謎のパンデミック(感染爆発)。発狂し、凶暴化したそれは見さかいなく乗客、客室乗務員を襲い。そして噛まれた者は漏れなく同じ人外になってしまう。その姿はさながらZ。

彼ら親子の他。出産間近の妻を気遣う夫。高校野球部集団と女子マネージャー。老いた姉妹。浮浪者。居合わせた者達は、果たして無事に目的地に着く事が出来るのか。

 

「この、ふざけた日本語タイトルの所為でイロモノ枠になってしまっているけれど…この作品は本当に面白い」「馬鹿にしとらんと観に行って!」鑑賞後。周囲に熱くお薦めする当方。

 

当方が好きな電車映画。高倉健が珍しく犯人役。東京発博多行き新幹線をジャックした、名作『新幹線大爆破』。

大好きでは無いけれど。レギュレーションが印象的だった、人間の住めなくなった氷河期を永遠に走る。その列車の中で起きたヒエラルキーの崩壊を描いた、ポン・ジュノ監督作品『スノー・ピアサー』。

それら当方のお気に入り電車映画に並ぶ(どうだっていい話ですが)…しかもZ映画作品。

 

冒頭の鹿のシーン。そこから既に不穏な世界は姿を見せ始めていて。

『その日』の前日。

仕事優先で家族を顧みない主人公と、その家族(主人公の母親と娘)。

娘の誕生日は覚えていたけれど。子供の日と同じゲーム機をプレゼントしてしまうなどの残念さ。案の定、娘は別居中の母親の元に行きたいとダダをこね。「きちんと話し合いなさい」と心配する母親にも適当な返事をし。

夜が明けて。「午後には帰るから」と半ば嫌々早朝のKTXに娘と二人で乗り込んだ主人公。でも。

 

ソウルを出発する時点で、既に『異常事態』の片鱗は見せていた。
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この親子以外の乗客。それがまた、無駄が無く上手い組み合わせで。

特に当方が好きだったのは…御多分に漏れずのマ・ドンソク。
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妊娠中の妻を終始守り続け。でも周りの人間も見捨てない。そして、ダイナマイトボディからは想像も付かない戦闘能力の高さ。


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に引き換え。主人公の卑怯さ。

「俺と娘だけ助けてもらえないか」有事の最中。どうにかコネを見つけ電話で懇願。

流石に娘は大切だけれど、周りの乗客なんか知ったこっちゃない。

 
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高校生カップル。積極的な同級生の女子に好意を寄せられ。満更では無いけれど恥ずかしくて。そんな高校球児。メンバーに冷やかされながら。ワイワイとはしゃいでいた高校生たちを襲った悲劇。

 

 

また…所謂『走ってくる系Z』なんで。Zの動きが早い早い。しかもZ達は折り重なって襲ってくる。その迫力。『ワールド・ウォー・Z』以来のZドミノ。Zピラミッド。

 

初めのZパンデミック。何事かと逃げ惑った乗客達。密室である高速鉄道に逃げ場は限られていて。兎に角前へ前へ。前方車両に避難する事が出来たのに…途中駅に停車。そこで全員が一旦下車してしまった事で、事態は更にややこしくなってしまう。

まさかの。その駅で待機していた軍隊が総じてZ化。襲われる乗客と職員達。ある者はそこでZとなり。ある者は無事列車にたどり着いて。そしてある者(主人公。ダイナマイト戦士。高校生)は後方車両に戻ってしまって。

 

彼等は始め、親しくは無かった。寧ろ憎んだりもした。でも…各々守りたい者があった。娘。妻。恋人。前方車両に居る彼女達に会う為、必死にZに立ち向かう三人。
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「しっかしまあ…半袖にガムテプロテクターで立ち向かうハートの強さよ!!」

しかも。襲い掛かるZに対し、飛び蹴りやらチョップで対抗。逞しすぎる。

終始真っすぐの高校球児。そして彼らと行動を共にすることで『人間らしさ』(この作品でこの言葉は皮肉やなあ)を取り戻していく主人公。

 

この作品のZには「かなり見えていない」という特徴があって。

音や動くものには反応するけれど、眼球は重症の白内障以上に白濁。

「という事は、トンネルではZの動きは鈍くなる」

ただでさえ見えていないZ達。トンネルの暗闇ではただ棒立ちになって呻くだけ。「かしこいな~」高速鉄道ならではのトンネルの利用価値。上手いなあと感心する当方。

 

主要なキャラクターとしては、主人公親子。一組の夫婦。高校生カップルが主軸となる訳ですが。どこまでも利己的で憎たらしかったあいつ。職業倫理を失わなかった客室乗務員と運転手。(何があったのかよく分からんかったけれども)これまで苦労したらしかった老いた姉妹。浮浪者も余す事無く物語の展開を牽引し続けて。

 

「どうして助かったのに…」物語が二転三転するにつれ。そっと溜息を付く当方。どうして人と人が助け合わない。明らかに彼らが逃げてきた相手とは違うのに、恐怖からの疑心暗鬼。そして因果応報。

 

「大体、Zに噛まれてからZになってしまうまでの潜伏時間がまちまち過ぎるんよな」

ある者は即Z化。ある者は暫くは正気を保てる…物語の進行上仕方が無いからなんやろうけれど…けれど、Zに噛まれてから長時間正気であった者なんて居なかったのになと。どうして誰もそう指摘しなかったのかとあのシーンで思った当方。

 

もうここで終わってくれよと。そう思ったのに…。「え?これバトルロイヤルなんですか?」思わず疑った当方。そして悲しすぎる終末。初めて『アロハ・オエ』で泣く当方。

 

電車。パニック。社会派。ハートフル。そしてZ。盛り込みまくっているのにしっかり絡み合ってちゃんと着地(到着?)素晴らしい。

 

なのに。今脳内で再現すると、どうしても大沢たかお(又は東出昌大)と葉加瀬太郎になってしまう。困った事態です。

 

映画部活動報告「エル ELLE」

エル ELLE」観ました。
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氷の微笑』のポール・バーホーベン監督。イザベル・ユペール主演のフランス映画。

 

レイプシーンでの幕開け。

被害者のミシェル。一人で住む一軒家でくつろいでいたいた昼下がり。スキー帽を被った闖入者に依って、まさかの自宅でレイプされる。

一人になって。暫く呆然と床に倒れていたミシェル。でも。むくりと起き上がった後、てきぱきと掃除。服を捨て、風呂に入って。そしてデリバリーの寿司を注文。

ーそんな彼女の行動を見るだけで「こいつ…ただモノじゃないな」と感じさせる。

 

(エロ)ゲーム会社の剛腕社長。一部の若手男性社員からは疎まれ、又は心酔され。でも全く動じない。鼻にも掛けない。

離婚した夫(作家)は最近若い彼女が出来て。何だか楽しくない。とは言え、自身はちゃっかり仕事上のパートナーで親友の夫と不倫中。

当然、レイプされた事は許せない。でも警察に通報する気がおきない。

と言うのも、ミシェルの父親は39年前に大量殺人を犯したから。

 

39年前。当時10歳だったミシェル。加害者の家族という事でメディアに追われ、周囲から忌み嫌われた経験を持つミシェルは、どうしても警察とは関わりたくなくて。

 

時々スマートフォンに送られてくる不気味なメール。そして社内のPCにバラまかれたエロコラ画像。「犯人は誰?」探っていくミシェル。

 

そんな時。「お宅に不審人物が居ましたよ」と警察に通報し、ミシェルを送ってくれた向かいに住む若夫婦の夫。ときめくミシェル。

自宅でパーティを開き。こっそりアプローチ。何だかいい感じに思えたけれど…。

 

イザベル・ユペールありきの作品。

 

主人公ミシェルがねえ…兎に角可愛げが無いんですよ。何事に対してもクールで皮肉っぽい。

例えば。元夫、親友とその夫(不倫相手)とのレストランディナーでも「私。レイプされたの」とあっけらかんと告白。動揺する周りに「この話はもういい」とぶった切って。こんな食事会、楽しめる訳が無い。

ミシェルの年老いた母親。ゴテゴテのAルリ子系メイクを施し。明らかに金目当ての若い男と再婚すると惚れまくっている母親に「馬鹿な事を言うな」「みっともない」「私がいつか同じ事を言いだしたら殺して」とぶった切り。

ミシェルの息子ヴァンサン。成人しているけれど、定職に就く訳でも無く。やっとハンバーガーショップでバイトを始めて。と言うのも彼女に子供が出来たから。

心優しい…優しすぎる息子。息子は可愛い。でも明らかに尻に敷こうとしている息子の彼女は気に食わない。そして案の定…。

 

そんなエピソード満載。ちょっと詰め込みすぎかなと思うけれど。ミシェルは常に強気。あっけらかんとした物言い。実際にレイプ被害にもあっているのに。気持ち悪いメールも送りつけられているのに。特にセキュリティーを強化する訳でもなし。

 

「会社の人間が犯人なの?」疑って。結局は違う案件が平行して起きていたという結果で。でもその落とし前の付け方は非常に中学生男子風。

 

「男はみ~んな馬鹿。結局世界は女が回している」

 

まあ。ひっくるめるとそういう作品かなという解釈を当方はしてしまいましたが。

 

余りにもミシェルというキャラクターが達観しすぎていて。何だかどこまでが『本気』でどこまでが『かまし』なのか分からない。真意が今一つ掴み切れない。

 

レイプ犯をそこまで真剣に追っている様にも見えず。

 

ネタバレしてしまうと…レイプ犯の正体は分かるんですが。その相手に対してミシェルが取った行動もあんまり共感出来ず。

 

「結果ああなる事を見越していたとしたら…それは凄いけれど…違うんやろうな」

 

何の実体験も基にしていませんが。SMとレイプって絶対に違うと思うんですね。前者は相互理解と、需要と供給が成り立ってのプレイで。でも後者は完全に一方の勝手な性欲を押し付けてくる…暴力でしかない。

だからミシェルがどうしてああいう受け入れ方をしたのか理解出来ない。

 

なので。寧ろあのレイプ犯のパートナーが最後に放った言葉の方に闇を感じて。「おっかねええ」とぞっとした当方。

 

まあ。幾つになっても魅力的なイザベル・ユペールに男達は皆翻弄されて。自爆して。残ったのは女ばかり。「男はみ~んな馬鹿。結局世界は女が回している」

(エピソードを幾つか減らして。そして39年前の事件の背景とミシェルの人格形成の経過はしっかり描いていたら…と思いますけれど)

 

何だか歪で…でも気になる。後からじわじわやってくる。そんな作品でした。

 

映画部活動報告「ワンダーウーマン」

ワンダーウーマン」観ました。
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「DCの最強女子。ワンダーウーマン

女だけが住む島『セッシラ』外界とは結界を張って。外部からの侵入を遮断。そこで暮らすアマゾネス族の王女ダイアナ。

昔まで遡れば、元々は奴隷であった彼女達。自衛の為に訓練し戦士となって。

ダイアナの母親はダイアナの身を案じ。訓練に加わる事を禁止していたが…戦士達が訓練する姿に惹かれていく幼いダイアナ。

母親の妹で史上最強の将軍の説得もあって。ダイアナは晴れて訓練に参加。めきめきと戦闘能力を上げていく。

時は経ち。強く。そして美しく成長したダイアナ。

 

ある日。楽園であったセッシラの結界が破られる。

飛行機で飛び込んできたスティーブ。その彼を追ってきたドイツ軍。

突然の闖入者に立ち向かうアマゾネス戦士達。ドイツ軍を全滅する事は出来たが、彼女達にも大きな痛手が残った。

 

アマゾネス戦士の武器の一つ「真実の投げ縄」に依って「今世界では戦争が起きている」「自分はアメリカ陸軍航空部隊長で連合軍のスパイだ」「ドイツ軍に侵入し、危険な薬物兵器を作っている情報を入手した」「連合軍に秘密基地を破壊せよという報告をしようと出発しようとしていた所、見つかって追われていた」ペラペラと話す羽目になったスティーブ。

生れて初めて見た「男性」に興味津々のダイアナ。

 

「世界は貴方が救うには値しないわ」「この島を出たら、もう二度と戻れない」

反対する母親を振り切って。スティーブに付いていく事にしたダイアナ。

 

そうして。初めて人間の住む世界を目にしたダイアナは。

 

ワンダーウーマンかあ…あの絶妙なコスプレしたお姉ちゃんな」

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ワンダーウーマンに対する知識が殆どありませんでしたので)

 

前作。『バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生』で。「で、このお姉ちゃんは何なの」「勿体ぶって。来るのが遅いわ」と思っていた当方。(ワンダーウーマン云々では無く、そもそもこの作品自体が嵌らなかったというのが最大の要因。2016年ワタナベアカデミー賞ラズベリー賞作品。「こんなバットマンは嫌だ!」という感想でした)

今回この作品を観て。「ああ。こういうキャラクターだったのか」と、ワンダーウーマンの背景を知った当方。

 

まあ真面目な作品でした。

 

どう見ても立派な大人の女性。なのに。湯上りで一糸纏わぬスティーブに「男って皆そういうもの?」と聞いてきたり。「一緒に寝ないの?」「生殖の為に男性は必要だけれど、快楽には必ず必要ではないわ」と言ってきたり。知識はあるけれど、初心なダイアナに「女性と一緒に寝るってことは…」寧ろドキドキさせられるスティーブ。

 

そして。ダイアナの持ち出す、戦争に対する超理論。

「戦争が起こるなんて、軍神アレスの仕業よ。あいつは悪の象徴ゼウスの神の息子で。地上に追い出されたアレスは、人間とは愚かな者だと思わせる為に人々に争いを起こさせる様に仕向ける。アレスを倒せば世界は平和で満たされる」

 

いやいやいや。戦争ってそんな単純な話じゃないぞと。スティーブと我々観客の思いとは裏腹に。「私がアレスを討つ!そして世界を救う」と息巻くダイアナ。

 

連合軍に件の報告をしたけれど。思ったようには動いてくれなかった。そんな議会の代表にダイアナは「貴方達は真の軍人じゃないわ!」と吐き捨てて。

「約束したでしょう。前線に連れて行って!」「アレスを探す!」

ダイアナ。スティーブ。そして変装の達人サーミア。狙撃手チャーリー。武器密輸の酋長。寄せ集めのメンバーは一路西部戦線に向かう。
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丁寧に書いていくとこのままネタバレするばかりですので。ここからの詳細はふんわりとぼかして進めますが。

 

「今更しょうもない突っ込みやけれど。どんなに大真面目にやろうが、みんな普通の恰好の中で一人露出が高すぎるコスプレって…変やなあ」

 

周りは男だらけなんですよ。そんな中で裸同然の衣装。ジェントルマン当方なら思わず「おい!お前何て恰好してんだ!これ羽織れ!」とそこら辺の布を投げて寄越しますよ。戦いに集中出来ないし…。(余談もいい所なんでこの話は止めますが)

 

まあ。そんなモヤモヤとする部分もあるんですが。それでもやっぱりこの作品に於いての功労者はダイアナ役のガル・ガドット。そしてスティーブ役のクリス・パイン
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勿論、数多の画像編集技術を持ってあの作品が出来ている事は承知。でもそれにしても彼女の鍛えられたしなやかな肉体とアクション。それがあってこそ。

そして流石女優。全てのポーズが決まる決まる。

「彼女無しでは成立しない」

そして。人間味があって。主人公ダイアナを支えつつ自分の正義も忘れない。そんなスティーブをクリス・パイン。ベストチョイス。

 

あの、ちょっとボンクラ臭のする仲間達も良かった。各々傷を抱えながら。始めこそ寄せ集めだったけれど。行動を共にするにつれ、生まれる連帯感。

 

「正直敵がイマイチなんよな…」「そしてダイアナのキャラクターのアンバランス感」そっと溜息を付く当方。

 

ドイツ軍のルーデンドルフ将軍。マッドサイエンサーと組んで秘密兵器を製作。確かにいかれたコンビネーション。冷酷で独裁的なルーデンドルフ将軍。そんな彼はアレスの化身。彼を倒せば、世界に平和を取り戻す事が出来る。

 

「戦争とはたった一人の人間が起こせるモノでは無いし、また、一人の人間の死を以って終結するモノでもない」という事を知っている当方のモヤモヤ。

「何故、紙面上で得た人間に対して溢れんばかりの知識を持つ彼女が、こと戦争に対する認識だけ言い伝えの神話レベルなんだ…」

 性について。世界中の言語。そんな事を知り尽くしていた彼女が。何故戦争だけ「軍神アレスの仕業」と思うのか。

 

当然「違うんだ!!人間ってやつはな!!」そんな展開がありましたが。

 

「そもそも何故ダイアナは人間を救いに行こうと思ったんだ。正義感?スティーブへの興味?どこからか溢れだす使命感?」それらが複合された感じだろうとは匂わせていましたが。

「ずっと子供の時から聞かされていた。アレスは悪だと」そうなんでしょうが。

 

彼女を突き動かす原動力のアンバランスさ。何て言うか…余りにも子供っぽい。

(まあ、確かにこの作品はワンダーウーマンの成長記なんですが)

 

そして。約2時間半の尺の。最後の闘いのシーン。「あれですか?時間無くなったんですかね?」

 

大風呂敷を慌てて閉じ始め。「何だその悪役」「何だその思考」「おいおいそういう重大な告白と理解を10分位で済ますな」「早い早い。頭の回転が速すぎる。丁寧にして」そしてスティーブの決断。

ダイアナの善悪のボーダーラインが一気に危うくなって。そこで効いてくる母親の言った「世界は貴方が守るには値しないわ」でも。

 

「私には守りたいものがある」

 

もうあの楽園には戻れない。何故ならこの世界を選んだから。

 

今後、DCのジャスティスチームにがっつり組み込まれる事が確定しているワンダーウーマン。エロくてクールでミステリアス。そしてしっかり強い彼女が、どういった背景を持ったキャラクターだったのか。

こんな熱くて、真っすぐで世間知らずで。一所懸命で。傷ついた。そんな彼女の背景を知るという意味で、真面目に作られた作品だなあと思いました。