ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「マーウェン」

「マーウェン」観ました。
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バック・トゥ・ザ・フューチャー』『フォレスト・ガンプ』等のロバート・ゼメキス監督作品。

アメリカ。実在するイラストレーターのマーク・ホーガンキャンプを題材とした作品。

 

2000年。ニューヨーク州郊外。当時38歳だったイラストレーター、マークはある日バーからの帰宅中に暴行に会う。犯人たちはどちらも10代の若者5人。直前にマークとバーで会話をしており、犯行のきっかけは『マークへの不快感』だった。

女装癖。特に女性の靴に対しての嗜好が強かったマーク。しかし、他人に迷惑をかけるような行為は無く、単純に個人の趣味として自己満足していた程度。

暴行を受け瀕死状態。9日後やっと意識を取り戻したが、マークには成人以降の記憶がなく。それどころか日常生活すらままならない状態にまで陥っていた。

早々に公的な補助を打ち切られたマーク。重いPTSDを抱え治療も十分に受けられない中、理解ある周囲の手伝いもあって、自身と周囲の人々を模した6分の1フィギアの写真を撮り始める。

地域の人たちの力で彼の写真は雑誌に連載され、NYのギャラリーで個展も開催。

ジェフ・マルムバーグ監督によってマークの物語は『マーウェンコル』というドキュメンタリー映画として制作2010年公開。様々な賞に輝いた。

 

~という実在の人物マーク・ホーガンキャンプを。当方大好き俳優スティーブ・ガレルが演じると知って。

7月19日劇場公開。結構早く観に行ったんですがねえ…超個人的なアレコレ。『パソコン水死事件』『新しい仲間を迎えるまで』『布団との熱い戯れ~離れられないアイツ・2019夏~』『すべての思考と時間を奪うSAKE』くだらない日々は危うく当該映画感想ブログとの決別を迎えるところでしたが。

恐らく映画鑑賞直後なら、いつものごとくだぐだ順を追って感想を綴るのですが。

時を置いた今。ちょっと俯瞰した場所からこの作品をぼんやり見てみたい。そう思う当方。

 

「ああこれ。セルフ『箱庭療法』だ。」

 

箱庭療法心理療法の一種。主に小児に用いられる。

箱の中にクライエントが、セラピストの見守る中で自由に部屋の中にあるオモチャを入れていく手法。(ウィキペディア先生から一部抜粋)

 

『6分の1フィギアの写真撮影』GIジョーのホーギー大尉と5人のバービー人形が織りなす戦いの日々。にっくきナチス親衛隊との攻防を撮った写真たち。

ホーギー大尉はもちろん自分自身。そして5人のバービーたちも周囲の支援してくれている女性たち。にっくきナチス親衛隊だって犯罪被害者を投影したキャラクター。そして『魔女』という存在…。

自宅及び庭をジオラマ風に。執拗にホーギー大尉を狙うナチス親衛隊と彼に魅せられともに戦うバービーたち。バービーは一応に皆ホーギー大尉を愛しており。けれど彼を愛するということは身の危険を意味する。

 

とまあ。実も蓋もない言い方をすると…マークが撮っているのは入れ食い状態のハーレム女子戦隊のリーダー、ホーギー大尉のハードボイルド日記な訳ですよ。

 

「実話ベースなんやから突っ込みにくいけれど…なにこれ。」正直そう思ってしまう点、いくつもある。(完全に主観であることは認識しています)

「何だかんだ結局生活に困窮するわけでもなく、自宅で人形相手に暮らせるマーク。」

「何だかんだ周囲の人たちに愛されているじゃないか。一部のとち狂った若者にはえらい目にあわされたけれど、おおむね支援者に恵まれているように見える。」

「何だかんだマークの世界観が苦手。この入れ食いちやほやストーリー。」

 

勿論。他人とは違う嗜好を持っていたからといって、いわれもない暴力を受けていいはずなどない。ヘイトクライムによる偏見。深刻な差別…。

 

「当方が今作を観て何だかしっくりきていないと思う理由。それはあまりにも『マークそのもの』を表面的に扱っているにとどまっているように見えたから。」

 

ヘイトクライムからの暴力を受けた男性。PTSDに苦しみながらもたどり着いた表現の世界。それは箱庭療法的な作用を彼に症し。結果加害者たちと向き合う勇気を得た。

そういうストーリーであったと。そこに、ゼメキッス(わざと)の力量で描かれた、雄弁な人形たちの世界。その説得力。ですが。

 

「何故彼らはマークに暴行を働いたのか。」

 

あまりにも深すぎて、足を突っ込むのも恐ろしいヘイトクライムの加害者心理。

 

どうして加害者少年集団はマークに暴行を働いた。事前にバーで会話していた38歳の男性。その場で目立った小競り合いが起きていたわけでもないのに。

 

「女装に興味があって。特に女性の靴、ハイヒールが好きで収集。自身で履いてみたりもする。」

 

…だから?「その靴でお前を踏ませてくれ。」「その靴でお前を云々。」そういう接続詞がない限り、ふーんと聞き流せる気がする当方。けれどそれは当方がええ年した中年だから。

実際にもあった犯人集団は10代の少年5人。…おそらく暴行理由は「マークが気持ち悪かったから。」

 

数年前。とあるホームレス男性を暴行死させた10代少年集団の国内ニュースを思い出した当方。それも断片的なニュースを見ただけなので。詳細は推測でしかありませんが。

 

そんなの個人の自由なんだから。誰にも迷惑をかけているわけじゃないんだから。そんな嫌悪感を抱かなくても。そんな潔癖ともいえる嫌悪感。

 

若さ故じゃない、幾つになってもそうやって相手を見る奴はいる。絶対にこう、とは言い切れませんが。

男らしさ。女らしさ。大人なんだから。恋ってこういうものだ。正しい性癖って。この国の人間なんだから。そうやって何らかの枠組みを自身の頭の中で決めてしまって。そこから一歩でも外れた人間を見たらいたたまれなくなって攻撃してしまう。

だらしない。みっともない。何やってんだお前は。

 

けれど。そうやってあらゆるものに対して『節度』を求める人間にも「視野が狭い」とは言い切れない当方。例えば「私はマイノリティだから~」とカミングアウトすることと個人のレベルを下げることは違う。けれど「私は皆と違うんだから~」を免罪符扱いに甘えてくる輩は実際に存在する。「仕方ないって。俺は~なんだから。」そう言って堕落した自分を正当化して笑う輩。下手すれば「悪いのは周りだ」と開き直る輩。

各々が個人で決めてしまった『節度』『倫理観』。そのボーダーのアンバランスでどうにでも解釈出来てしまう危険性。どうしてもそこに気が取られてしまって。

 

10代の少年たちから見て、40歳手前の男性がバーで酔って「女性のハイヒールが~。」と語る姿はどう映ったのか。当然加害者を擁護している訳ではありませんが…そいういう視点も求めてしまった当方。

 

流石ゼメキッス。人形たちが動く様は最高だった。「彼の演じる役に外れなし」と勝手に太鼓判を押しているスティーブ・ガレル(『フォックス・キャッチャー』での憐れな練習風景シーンは涙が出ました)は今回も深みのある演技をしていた…正直、本当に彼に救われたなと思いましたし、セルフ箱庭療法PTSDを乗り越えようとしてるマークの姿には胸が熱くなったりもしましたが。

 

いかんせん。ややこしい性格故に。

終始『マーク側だけじゃなくてさあ』『加害者側の心理』『もっと突っ込んだ、俯瞰で見た状況』が気になった作品でした。