映画部活動報告「ボヘミアン・ラプソディ」
「ボヘミアン・ラプソディ」観ました。
1970~1980年代。イギリスを代表したロックバンド『Queen/クイーン』。
バンド誕生から数々のヒット曲を生み出し。けれどそんな中進む、バンドメンバー内の関係性の乖離。そして1985年に行われたライブ・エイドでの伝説のパフォーマンス。
ボーカルのフレデリック・マーキュリーを主軸に描いた作品。
「そうか。クイーンってこういうバンドで、こういう背景があったのか。」
当方の移動必須アイテムであるiPod。そのミュージックライブラリーにも入っているクイーンのベストアルバム『Greatest Hits』。
特別クイーンに思い入れがある訳じゃ無い。でも、クイーンの曲は知っているものが多くて耳馴染みが良い。初めからトップギア、みたいな勢いのある曲はテンションを上げたい時に聞いたりもしていた。けれど。
CMなんかでもよく使われていた、耳馴染みのある曲たち。だからこそ聞き流していた。
脳内でヒアリングした英語を和訳する能力も、ホンヤクコンニャクも持っていない当方。
恥ずかしながら、今回この作品字幕で初めてそのメッセージを知った次第。
「そうか。こういう歌詞で。こういうメッセージだったのか。」
フレディ・マーキュリー。インド系イギリス人という出生。きっちりとした家族。
恋に落ちて。結婚したメアリー。けれど次第に自覚していく同性愛属性。人気と名声は手に入れたけれど、ぎくしゃくしていくバンド間。そんな時に囁かれる、ソロ活動。バンドメンバーとの決裂。孤独。~の復活。
概ねそういう流れを描いていましたが。如何せん流れが速い早い。
それこそ勢いのあるクイーンの楽曲のごとく…誤解を恐れずに言うならば『2時間13分のクイーン史ダイジェスト映画』。
「ん?」と深追いしたくなるような事も受け流して、サクサク物語は進む。
印象的過ぎる、フレディ・マーキュリーその人について。もっともっとスポット当てて掘り下げて、という作りだってありえたはず。ゾロアスター教の家族。息子を苦々しく観ていた父親との関係。どうしても俗っぽく語られてしまう、彼の同性愛。結果当時『ゲイの癌』(酷い言い方)と揶揄されていたAIDSに罹患してしまい、早すぎる死を迎えてしまった。
(本当にねえ。1980年~1990年代なんて十分に現代なのに。年端もいかなかった当方は当時の記憶が殆どありませんけれど。あの当時の性的マイノリティの人たちへの冷ややかな視線と、ただでさえ恐怖の病だったAIDSやHIVに罹患した患者たちへの容赦ない偏見。溜息しか出ないです。)
けれど。これはあくまでも『クイーンの映画』であろうとした。
クイーンを語る時。当然フレディ・マーキュリーの存在は外せない。けれど、彼がクイーンの全てでは無い。
クイーンは四人で構成されたロックバンド。そしてこれはクイーンの音楽を描いた作品。
『ボヘミアン・ラプソディー』があんな牧場で合宿生活をしながら作られたなんて。曲が出来なくて。喧嘩して。けれどインスピレーションが降りて来た。そこからはもう皆が高揚しながら一緒に音楽を作っていく。
『We Will Rock You』がああして作られた曲だったなんて。
音楽を作り出している時の彼らのワクワク感。
そして最後の『ライブ・エイド』。
1985年。「一億人の飢餓を救う」をスローガンとしたアメリカ難民救済目的のチャリティーコンサート。アメリカとイギリス二国に会場を設けて行われた。
そこで最高のパフォーマンスを魅せた。その伝説のステージをほぼ完全コピーで再現した。ラスト20分強。
(この作品を観た後。ネットでライブ・エイドの画像を検索して見ましたが。再現度の高さと「これは当時現地に居たら…」とぞくぞくした当方。)
クイーンの実際を知っていて「時代考証がどうのこうの」と言われる方々は恐らくこのライブ近辺の流れについて言ってるのだろうなと思った当方。
「フレディ・マーキュリーがAIDSと診断されたのは1987年だ。」「この頃クイーンの仲は最悪だった。」「ジム・ハットンと付き合いだしたのは1984年からだぞ。」
まあまあまあ。それはもう…いいじゃないですか。これはクイーン映画だけれど、実録じゃないんやから。
ただでさえ伝説と言われた『ライブ・エイド』が。こういう演出が加わる事で、映画として最高潮を迎え。その余韻のまま終わっていく。
(配役も絶妙。本人と比べたらそこまで似ていないのに、立ち居振る舞いで本人に見えてくる役者陣。でも…ももう散々言われていますが。ギターのブライアン・メイはもう、ブライアン・メイ本人にしか見えなかったです。)
元々涙もろいのもあって。ライブ・エイド界隈からぐずぐずに泣いていた当方。
物語が終わってエンドロール。そこで流れた『クイーン本人たちの映像』に。隣に座っていた人が突然顔を覆って泣き始めた時。
見知らぬ人につられてまた泣いた当方。