ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「アトミック・ブロンド」

アトミック・ブロンド」観ました。
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1989年。東西冷戦末期のベルリン。所謂『ベルリンの壁崩壊』寸前。混沌としたその都市で。世界を揺るがしかねない重要機密が記されたリストが奪われる。

イギリス秘密情報部(MI6)のエージェント、ロレーンは現地で潜入中のデイヴィットとタッグを組んでのリストを奪還を命じられるが。

 

シャーリーズ・セロン劇場」

 

『マッドマックス 怒りのデス・ロード』の記憶も新しい。素の彼女の凛とした佇まい、彼女にまつわるエピソードからも「強い女性」と認識される女優。シャーリーズ・セロン

 

今回は特にそこを強調。ひたすら強く、そしてとびっきりのアクション。兎に角硬派に硬派に仕上げた、最早「姐さん」ではなく「アニキ」感漂うシャーリーズ・セロン劇場でした。

 

…でした。で終わりたい。そう思う当方ですが。…なんだか。なんだかしっくりこなくて。と言うのも。

 

(小声)「アニキなシャーリーズ・セロンのとびっきりのキレキレアクション!…しか無かったよな…と言うか、もしシャーリーズ・セロンが主人公じゃ無かったら、一体主人公が女性である意味ってなんやろう?」

 

勿論、「女スパイものなんだから色仕掛けしろよ」とかのナンセンスな意見ではありません。

「硬派な一匹狼。誰の事も信じない、唯一信じるのは己の腕」「誰にも媚びない」これって正直…非常に既視感のあるハードボイルドの主人公像で。

 

散々見た事のあるキャラクターを、シャーリーズ・セロンが演じる理由。

それは「そんなハードボイルド主人公を女性で出来るのはシャーリーズ・セロンだけだぜ!」という。彼女のポテンシャルのみ。

 

「いや。それでええやん。と言うかそれが見どころの映画やん」…そうなんですがね。

 

「お話しの持って行き方。進め方がもっさりしすぎかと」歯切れ悪くもそもそ言う当方。

 

某取り調べ室にて。MI6主任とアメリカ中央情報局(CIA)の主任の前で。「ベルリンで何があったのか」という問いに対し「ベルリンで起きた事」をロレーンが語りだすという振り返りスタイルで進行。

 

「誰も信じるな」それを信条として渡ったベルリンの地。合流したデヴィット(ジェームズ・マカヴォイ)のうさん臭さ。凄腕なんだろうけれど…敵なのか味方なのか。全く分からない。そしてひっそり近寄ってくるフランス人女性、デルフィーヌ。(ソフィア・ブテラ

「マカヴォイ!最近ではスプリットの多重人格者が記憶に新しい。そしてキングスマンの危ない足の持ち主ソフィア!」高まる当方。

マカヴォイの手練れ役者っぷりに痺れ。そして恋する女子を演じたソフィアに「もう一つ捻るかと思ったけれど。意外と直球」と驚いて。

 

紛失したリストの内容。端的に言えば「世界のスパイ名簿」。

「このリストが紛失したのには、二重スパイの関与が考えられる」舞台はベルリンだけれど。どこかの国のスパイの。誰かが裏切った。

ベルリンにあったそのリストを。誰かが誰かと手を組んで。誰かを使って奪った。

そんなリストが流失したら…慌てふためく各国の秘密組織達。けれど。

手元にあれば安心なそのリストを手に入れるには、一体誰を出し抜けばいいのか。誰かの手にあれば脅威。でも。

…己の手元にあれば世界のスパイを牛耳れる。そんな魅力的なリストが。

 

「二重スパイ『サッチェル』。その正体は現在は不明だけれど。そいつを仕留めて来い」

 

ロートンがベルリンに渡った理由。「リストの奪還」のほかに「サッチェルの解明と暗殺」

 

まあ。それももっさりと解決してましたが。当方は「もう別にどうでもいいよ」という投げやりな感想。(ああいうのは何とでもこじつけられるんで)

 

流石にアクションはキレキレ。「これ結構な長尺。で、吹替…していなさそう。凄いなあ~」「だんだん互いに疲れてきて。でもそれでも延々やり合うファイティング」至る所から敵は現れて。それに太刀打ちするシャーリーズ・セロン。逞しい。けれど。

 

昔呼んだ、恩田陸の小説で。とある登場人物の「ハードボイルドの内容って100文字位で言えるわ。」からの「昔は腕を鳴らしたけれど、今は殆ど隠居状態。どうしようもない理由で無理やり現場復帰。俺強いんだぜえ~。女にモテるんだぜえ~。セックスもつよいんだぜえ~。そして女との悲しい別れ。そして一人で立ち向かう…」(こういう感じの事を言ってましたが、完全に言い回しうろ覚え。)を思い出す当方。

 

シャーリーズ・セロン劇場は結構。でも…出来れはアクションだけじゃなくてお話しもクールでスタイリッシュであって欲しい」「そして似合う髪型をして欲しい」

 

「一体何様だ!」多くの民の立ち上がる声が聞こえてきそうですが。

 

取りあえず、間違っても続編及びシリーズ化はしないで欲しいと(しなさそうですが)切に祈るばかりです。

 

映画部活動報告「ブレードランナー ファイナル・カット」

ブレードランナー ファイナル・カット」観ました。
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1982年公開。言わずと知れたSF作品の金字塔…の一つ。

巨匠リドリー・スコット監督自ら再編集、デジタル修正を加えた2007年版。

間違いなく近日公開の『ブレードランナー2049』の為。ご親切にも映画館で上映しておりましたので。予習復習を兼ねて観に行って来ました。

 

「もうこれで。あやふや・うろ覚え等は無く、新作に向き合える」

勿論1982年版をリアルで観てはいない当方。恐らくそれから幾度もやっていた『何曜日かのロードショー』で観たのでしょうが。記憶には全く残っていませんでしたので。

泊り明け勤務を終えて。初めて行った遠い映画館で。無事鑑賞出来ました。

 

「1982年当時の技術を侮っていたな…(デジタル修正がなされているとは言え)こんなに近未来感が出ていたなんて…」

 

近未来。環境汚染の進んだ地球。急ピッチで進められた宇宙開拓。

しかし。実際に開拓に携わったのは、遺伝子工学に基づいて造られた人造人間『レプリカント』。身体能力を上げ。便利なロボットとして働かせていた人類。ところが。

暫くするとレプリカントには人類と同じように『感情』が芽生え始める。

次第に人類に対し反抗的な態度、行動を取る様なレプリカントも現れ始める。そんなレプリカントを『解任する』のが『ブレードランナー』の仕事。

2019年。地球。LA。

植民惑星から4体(ロイ、プリス、リオン、ゾーラ)のレプリカントが宇宙船を乗っ取り地球にやって来た。既に殺人を犯している彼らは危険であり、彼らを始末せよという指令が警察より元ブレードランナーデッカードに下る。初めは嫌々。仕事に取り掛かるデッカード

 

ハリソン・フォード若っか!!」

 

もうありとあらゆる映画で見掛けてきたハリソン・フォード。いつも何だかちょっと口が開いている手先の器用なおっちゃん。(スターウォーズインディージョーンズ等々のファン総立ちでのお怒り失言をかます当方)そ~んなイメージでしたが。

 

いやー。若い。顔つきもシュッとして。まさかあんなラブ的要素もあるなんて。ちょっと近年のイメージが先行しすぎて。彼のノリノリな時代を忘れていた当方。

 

「でも…当方はハリソン・フォード主体では見れないな。この作品」

 

レプリカント創始者タイレル社のタイレル博士。彼に会った時に案内してくれた女性秘書、レーチェル。(ジョジョの奇妙な冒険に出てきそうなビジュアル。圧倒される美貌の持ち主)

親から愛されて育った。子供の頃の記憶。でもそれは「タイレル博士の姪」の記憶を植え付けられただけだった。レプリカントを判別するテストに依って、自身がレプリカントであったと知り、衝撃、動揺が隠せないレーチェル。

初めはぶっきらぼうに接していたけれど。次第にレーチェルに惹かれていくデッカード。でもそれは…必ず終わりが訪れる…しかも早くに。哀しい恋。

 

レプリカントの暴走、反乱に対する安全装置。レプリカントの寿命は4年」

 

絶妙な設定。如何なる能力を身に付けようと、人類を脅かす脅威になろうと、彼らは4年で命が尽きる。

 

レプリカントは悪だったのか??」深く溜息を付く当方。

勿論デッカードとレーチェルの恋もアレですが…何より当方は…当方はロイに惹かれすぎて。

 

35年前の作品なのをいいことにガンガンネタバレしていってますが。もうねえ…中盤以降、主人公はデッカードじゃなくてレプリカントのリーダー、ロイですよ。

 

正直犬死感が否めなかったゾーラとリオン。残念ながら当方も後追いしませんが。(ゾーラのあの大蛇。あの女優さんの実際のペットだったらしいと読みました。何か…凄いな)

 

パンクでロックな出で立ちの彼女。プリス。レプリカント同士のカップル。

戦闘用として開発されたロイ。レプリカント集団の中でもリーダーの彼の望みは、決して『レプリカントの、レプリカントによる、レプリカントの為の政治』や『打倒人類』では無かった。ただただ『長生きしたい』それだけ。

 

「4年で命が尽きる」そう知ったけれど。自身がいつ生まれたのか、自身のリミットも分からない。そしてそれは愛するプリスも同じ。

 

穏便に話が出来る相手では無い。だからと言って許される訳ではないけれど『父』に当たる『タイレル博士』に会う為にはなりふり構ってはいられなかった。そうしてやっと『父』に会えたけれど。

(セバスチャンは良い奴やのにな…趣味が独特過ぎて当方は家に遊びに行けないけれど)

 

「ロイ目線で見たらもう…デッカード邪魔。仲間は次々やられるし」早い所始末せよと。当方なら指の骨どころじゃ済まないですよ。なのに。なのに…(涙目)

 

全編を通して夜?みたいな薄暗さの。しかも常に雨が降る中で。あんなポエミーな終末。美しすぎて泣けてくる当方。

 

 

ほぼほぼネタバレした所で。少し話を変えますが。

「多くのSF作品に影響を与えたとされるこの作品が。何故公開当時はひっそりと、そして速やかに公開を終えた…ってなんで?なんでマニアック枠やったの?」

調べて直ぐ様解決。全米公開日『ブレードランナー/1982年6月25日』『E.T./1982年6月11日』

E.T.かああ~しかもそっちの方が先。そりゃあ勝てんわ。

(そのまま調べたら。1892年の公開作品の凄まじさ。『愛と青春の旅立ち』『ロッキー3』『ランボー』『遊星からの物体X』『ポルタ―ガイスト』エトセトラ。エトセトラ)

まあでも。多くの人に愛される『ブレードランナー』だからこその新作製作、そして公開なんだと思いますし。

 

(後。1980年代のアメリカにとっての日本ってどれだけ『黄金の国ジパング』だったんだ。今なら他の発展途上国に持って行かれそうな、猥雑な日本のエッセンスを散りばめて。そして強力わかもとって、何の薬やったっけ?多分求心みたいなやつやったと思うけれど)

 

付け焼き刃ながら。予習復習も済ませましたので。

 

ブレードランナー2049』ネタバレ爆弾を食らわない様に。(どの口が言うのか)

早めに観に行きたいと思います。

映画部活動報告「すばらしき映画音楽たち」

「すばらしき映画音楽たち」観ました。
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「ああこれ。あの映画の…」

その音楽を聴く時。思い出す『あの映画』。そして。

映画を観ている時。目の前のスクリーンに広がる世界。やはり一番多くを語るのは画。役者の演技。そしてそこまで自身を連れて行ってくれたストーリー。けれど。

その時高揚し、緊張させ、胸に込み上げてくる感情の後押しをするのは、そこに流れる音楽。

「敢えて一切の音楽を排除した」映画も存在するけれど。やっぱり映画に於いて音楽の存在はかけがえが無い、そう思う当方。

 

そんな映画音楽についての。映画音楽に携わる人たちのドキュメンタリー映画

 

予告でその存在を知った時から。これは絶対に観るべきだと確信し。そして公開後数日で。いそいそと映画館に向かった当方。

 

「93分?短い…もっともっと。もう永遠に観ていたかった。」満たされ…でも求める当方。

 

ハンス・ジマー
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ダークナイト』『パイレーツ・オブ・カリビアン』もう挙げればきりがない、30年以上トップを走り続ける巨匠のインタビューを始め。

 

「あんな作品も?」「こんな作品も?」メジャー所に寄っている感は否めませんでしたが。凄まじい作品群とその音楽の応酬。観ている者を引っ張りまわし。

 

「映画には常に音楽が一緒に居た」「無声映画時代であっても、映画館にはオルガン奏者が居て。決められた音楽、又は即興で音楽が付けられた」

 

「即興?!」また…そのオルガンの「うへえええ」という難解さ。
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(当方にはとても説明出来ませんので、パンフレットの裏表紙を撮ってみました)

 

そうやって映画を楽しんでいた時代を経て。映画に音が入った時。映画音楽も誕生する。

 

「もし音楽が無かったら。何も怖くないし、安っぽく見えてしまうでしょう。でもね。音楽が付く事で恐怖感が出てくる。」

例えば、ヒッチコック『サイコ』『めまい』。この座りの悪い不気味さ。モノクロ時代の『キング・コング』の迫力を引き上げたのは音楽。これらがもし無声であったとしたら?

 

映画音楽創世記から、現在に至るまで。流行りすたりはあれども、映画作曲家達の目指すものは一つ。『その映画の世界にマッチする事』(こういう言い方はしていませんでしたが)

 

「映画監督の多くは、自身の世界を音楽では語れない」けれど。撮り終わった後のその作品に生きた感情を付加するのには音楽は不可欠。

撮り終わった作品を監督と一緒に観て。監督から「これはこういう気持ちで」「こういうイメージで」そんな漠然としたイメージを作曲家たちはすくい上げる。恐らくその映画をイメージしていた時、実際に映画を作っていた時、監督の頭に流れていた音楽を再現するために。

でもそれは。往々にして監督の想像を遥かに超える。その時の監督たちの笑顔がまた。

(エンドロールのエピソードも至高)

 

とはいえ。どんなに手練手管の作曲家たちだって、新しい作品に向かう時は戦々恐々。「全然浮かんでない」「逃げ出したい」「出来ていないのにもう看板は出ているんだよ」怖いんだと。そして実際に映画が封切られてから。近くのシネコンにそっと足を運んで。トイレに籠って、鑑賞後鼻歌を歌いながら入ってくる客に嬉しくなって。

 

楽器だって。「それ何?」と目を疑う様な民族楽器から。おもちゃの子供ピアノから。吹きっ晒しの屋外のピアノから。かと思えばスタジオ環境に依って(素人には全く違いが分かりませんが)音が変わるというオーケストラ演奏から。

「兎に角映画世界に合う音楽作り」のあくなき探求。舌を巻くばかり。

(そしてそのオーケストラスタッフのプロ感。まさか楽譜を初見で演奏しているとは!)

 

(「そりゃあ、映画やから…」と言っては終いですが)この作品には本当に多くの作曲家や携わるプロや評論家が出てくるんですが。気持ちいいばかりに互いをリスペクトしあっていて。それが気持ちいい。

 

「あの映画ではやられたよ」「ああいう事が出来るなんてな」「彼は偉大だ」(一番震えたのは「オーケストラが演奏する『レッド・ツェッペリンだ』のフレーズでした)勿論個々のオリジナリティはある。でも。どこかで聴いた誰かの作った音楽を意識している時もある。それはどこか仕方ない…だって。互いに『映画に寄り添う音楽』を作っているのだから。

 

映画に於いて音楽は寄り添うものであって、決して音楽だけが突出してはいけない。

「なんかうるさい映画だな」となってはお終い。

 

なんて。何だか分かった様な事をだらだら書いてしまいましたが。

 

この作品は兎に角「ああ。あの映画の…」

それが余りにもひっきりなしで。観ていたら胸が熱くて。

 

E.T.』が。『ジュラシック・パーク』が。『スター・ウォーズ』が。『ダークナイト』が。『マッド・マックス』が。『バック・トゥー・ザ・フューチャー』が。『インセプション』が。その他…もう出てきた中で知っているあらゆる映画が。その時観た環境や思った事。どういう感情が押し寄せたのかがどっと押し寄せてきて。

しかも。映画とは関係が無い、あの時胸を痛めていた…今の当方にとってはちっぽけで、でも当時は真剣に悩んでいた事。そんな事なんかも記憶には付いてくる。げに恐ろしき、音楽の力よ。

 

「子供の頃。何でか車の中に『西部劇のテーマ』というカセットがあって。よく父親と聴いたな」西部映画を殆ど知らないのに。そんな事を思い出して。懐かしくて。

 

まあ。映画好きなら観て損する事は絶対無い。そう言い切れる作品。プロたちが見せてくるお仕事映画ジャンルではありますが、言葉に出来ない高揚感に包まれる。そして「あなたの映画音楽は?」と聞きたくなる。

 

当方ですか?言い出したらキリがありませんが。原点はこれだと思います。

 
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映画部活動報告「猿の惑星 聖戦記(グレート・ウォー)」

猿の惑星 聖戦記(グレート・ウォー)」観ました。


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新しい猿の惑星シリーズ三部作。『創世記』『新世紀』に継ぐ最終章。『聖戦記』。

ずっと公開初日鑑賞で追っていました。

猿の惑星創始者であるチンパンジー、伝説の『シーザー』の生き様を軸に。

「かつては人類の科学実験から産まれた」「人類との決別」「共存は出来ない。悲しい別れ」「秩序が生れた、猿たちの世界」そして今作。「そして猿の惑星になる」。

 

「何故当方は旧作からの全8作品をおさらいしなかったのか!少なくとも前作『新世紀』から3年あったのに!愚かな!」己を厳しく叱咤する当方。せめて。せめて旧作5作は観るべきだろうと。

 

現在の職業に就いて早十何年。今とは違う職場で違う部署で働いていた時。三交代で働いていた当方は、深夜も過ぎた丑三つ時にタクシーで帰宅する事もしばしば。

さっきまで働いていた頭は中々睡眠モードには入らず。そんな深夜。テレビを付けるとやっていた古い映画。
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シリーズ最初の『猿の惑星』公開が1968年。以降、合わせて5作の猿の惑星シリーズ発表時は勿論生を受けておりませんでしたし、後付けでそうやって夜中の映画ショー等でちらちら見た程度。(2001年版は観ていません)なので「大体こういう感じの~」としか語れなくて。と言うか語る資格もなく。

 

なので。2011年に新しく誕生した猿の惑星シリーズが「1968年の猿の惑星に繋がる作品シリーズ」だとは正直忘れていました。(迂闊)

 

なので。今回お話しが進む中で。「あれ…これ…」と。ふっと脳内を過る、荒い映像に「ばかばかばか」ともどかしくなるばかり。(具体的には…ノバとか。コーネリアスの名前とか。あのラストの地とか…)でも。

その。荒い映像の中で。幾度か語られた伝説の創始者『シーザー』。

 

この三部作の主人公であり…最早神話レベルのキャラクター。

 

「圧倒的なリーダーであり、指導者。人類など太刀打ち出来ない男前さよ」

 

産まれたばかりのあどけなかった時など何時の事やら。すっかり眉間に皺を寄せまくった、貫禄ある渋いボス猿に進化していました。

 

科学の力で異常な進化を遂げたシーザーと猿達。彼らは人間と決別し、ひっそり森の中で暮らしていた。そして。やっと安住の地を見つけたと喜び。明日には移動しようと語らい。

なのに。打ち破られた静寂。猿憎し、駆遂すべしと襲ってくる人間達。

 

冷酷非道な大佐の夜の奇襲に依って、襲われた猿たちの集落。愛する家族を失ったシーザー。怒り。

 

群れの皆は安全な場所に移動せよと。しかし、自分の家族を奪った人間は許さない、復讐に向かうと踵を返すシーザー。

 

この作品に於ける大きなテーマとしてあったのだろうと当方が思う事「憎しみは何も産み出さない」

 

まだ公開してあまり日にちも経っていませんし、あれこれネタバレするべきではないと思いますので。此処からはふんわりとしていきますが。

 

(一つだけ。気になった事。黄色い字幕って珍しいなあ~と思った当方。余談ですが。)

 

今作。家族を奪われたシーザーの原動力は『憎しみ』でも。彼は群れを率いるリーダーであって。

前作の『新世紀』。途中からアウトレイジ化した理由。「コバ」

シーザーと初めは心を通わせたチンパンジー。でも彼は人間に虐待された過去を持っていて。その憎悪は計り知れず。その感情故の行動は、猿も人間も後戻り出来ない所に連れて行ってしまった。

 

何度か。「俺のやっている事は何だ」と立ち止まるシーザー。今守るべきものは何か。愛する者は何か。これはコバと同じでは無いかと。

 

「まあでも。そこで緩急つけずに繰り出してくる、大佐の『非人道的処置』」ところがとろが。

 

「大佐が完全な悪役だったら。いっそ憎みきれたら…」切なくなる当方。「そうか。ここは猿の惑星になるんだな」

 

旧シリーズで。地球は猿の惑星と化し。人類と思わしき者達は…確かにああいう風になっていた。(ロボトミー手術ってなんでしたっけ?『カッコーの巣の上で』とはまた別だったと思うんですが…)切ない。

 

「切ないいいいいい」そうなると。ノバのあの華憐な姿。ああやって幸せになれた人類と、目一杯足掻いた大佐と。その人類の末路の比較が。

 

正直。痛々しいなあと思う所もありましたが。シーザーは何処までも男前で。仲間たちはシーザーを信頼し尊敬し。

自分可愛さに人類に媚びた猿たち。その『ドンキー』の末路まで。猿たちは何処までも恰好良過ぎて。

「基本的にはシーザー以外誰も人類と話せないのに。その手話とウホウホで大体の事が分かるという稀有なストーリー」

 

大脱走。レヴェナント等々。数多の映画要素も(何となく観ている側には)盛り込んで。そんな硬派で硬質な作品の雰囲気も持たせながら、どこかコミカルな要素もある。

 

「バッド・エイプ。可愛かった」
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シーザー達初期メンバーと同じく。動物園で暮らしていた、新しい仲間。「悪い子!悪い子!」と呼ばれていたことから名乗る「バッド・エイプ」何だか悲しいのに。持って余るひょうきんで憎めないキャラクター。勿論当方も大好き。苦しすぎる雰囲気をふっと緩めてくれる、ムードメーカー。

 

そうして。「ああ。こうして人類は」と。雪山というロケーションの意味を理解した終盤。そして。

 

「ありがとう。シーザー」

 

あの。昔深夜のテレビで。褪せた映像で見た、あの場所だと。夕焼けに焼ける件の場所を見た時、どっと何かが押し寄せた当方。

 

「そうか。あの時言っていた『創始者シーザー』とはこの猿だったのか」

最早神話。

 

新しい猿の惑星シリーズが気持ちよく幕を下ろした所で。

 

「やっぱりここまでの8作品を振り返らなくては…」溜息を付く当方。

 

映画部活動報告「パターソン」

「パターソン」観ました。
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ジム・ジャームッシュ監督作品。

ニュージャージー州、パターソン市に住むパターソン。バス運転手。

妻のローラ、ブルドックのネリーと。二人と一匹で暮らし。

朝6時15分~30分頃起床。シリアルを食べ、出勤。市営バスを運転。昼は決まったベンチで妻の作った弁当を食べ。帰宅。妻と夕食の後、犬の散歩がてら行きつけのバーで一杯のビールを飲む。そして就寝。

月曜日から金曜日。判で押した様にそのスケジュールで進行する平日。そして、幸せで…不幸な休日。そんなパターソンの一週間のお話。

 

まったり。映画としての、華々しい事件や見せ場がある訳じゃ無い。食事の後に観に行ったら。下手したら心地よく眠りに落ちてしまう映画。

でも…何だか嫌いになれない。寧ろ好きなタイプの映画でした。

 

基本的には同じ毎日の繰り返し。でも。決して同じ日なんて存在しない。

 

「またこのパターソンの浮世離れしたキャラクターよ」

 

朴訥として。毎日を淡々と過ごす。いつもノートを持参して。自作の詩をしたためる。何にでも興味があって(そしておらくすぐ飽きてしまう)妻には「絶対に才能があるんだから」と詩のコピーを取って見せろと言われるけれど、あんまり乗り気では無い。

「無くても困らない」と電話は携帯せず。

あんまり自分から話さないけれど。不愛想では無いから、人から嫌われたりしない。

 

「こういう距離感で人と付き合えるという稀有な存在」羨ましい。

 

かと言って、人嫌いではない。バスで乗客が話す内容は気になるし、コインランドリーで一人歌を作る青年にはエールを送る。行きつけのバーの、マスターや他の客に話掛けられたら対応するし、誰とも話さなかった日はちょっと寂しい。

 

「そういう無口で大人しい人物の内側に流れる、美しい日々よ」

 

また絶妙なテンポと、どこかおかしな人達。

初めに双子の話をしたからか。何故か随所に現れる双子達。バス会社の社長。本人は必死なのに、道化に見えてしまう恋を失った男。街で出会う人たちも…結局は悪者の存在しない、優しい世界。

 

「そして。妻ローラとブルドックのネリーの愛おしさよ」

 

専業主婦のローラ。(小島聖系美人)色んな事に興味があって。そして自分には才能があると信じている。パターソンの一軒家は常にローラのDIYに依って改造。何だか落ち着かないセンスのカーテンやラグも手作り。カップケーキの店がどうのこうのとか。そして唐突に高額なギターを買いたいと言い出し。

「今日はキヌアの何とかよ」「今日は疲れたからピザを取ってもいい?」

「疲れる…」仕事が散々だった日位、美味しいものを食べたい。当方なら思わずそう愚痴ってしまいそうですが。

「妻をとても愛している」戸惑う表情はするけれど。決して妻を責めたりしない。

まあ。下手したらアレ過ぎるローラですが…結局は愛し合う夫婦。

いつもと違う事があったら夫を心底心配し。自身は自由でエキセントリックだけれど、大人しくて穏やかな夫を見下したりする事は絶対にしない。(そういう発想が無さそう)

 

そしてブルドックのネリー。

「犬ってこんなに演技が出来るんやな…」あのポスト。可愛らしい。

 

一週間を描く中で。何回か訪れた、パターソンの世界を揺るがせた出来事。パターソンのスタンスに対する内外からの疑問符。それに抗うパターソン。そして決定的に事態を変えた土曜日の夜。

 

「ああ。ここで永瀬正敏が出るのか」日曜日。

落ち込むパターソンの背中を押した。日本人旅行者。
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(本当に馬鹿みたいなんですが。永瀬正敏が「これ」と言って鞄に手を入れた瞬間。「飴ちゃんか?!」と思ってしまった当方。だって…永瀬正敏が大阪云々って言うから…大阪のおばちゃんは本当にいきなり飴とかみかんとかくれたりするから)

 

特に多くの人に評価されたり、特別な事なんて無くて良い。今で十分。愛する人が居て。家族が居て。それで十分幸せ。

一見したら。単調な毎日を繰り返してと。でも一日たりとも同じ日なんて無い。そこで出会う人や景色の、ちょっとした違いを楽しめる。発見する力がある。そして自分だけが浸れる趣味がある。

 

そして新しい朝。目が覚めたら愛する人が横に居る。

 

「幸せやなあ。パターソン」

 

今思い出しても、多幸感で一杯になる。不思議で可笑しくて。美しい作品でした。

映画部活動報告「ポルト」

ポルト」観ました。


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ポルトガルの都市。ポルト

とある夜。一夜の恋に落ちた、26歳のアメリカ人の男性と32歳のフランス人女性。

あまりにも幸せ過ぎた、完璧な夜。そして現実。

 

2016年。事故にて急逝したアントン・イェルチンの遺作。

 

「また。どえらい上質な恋愛映画を観たものよ」

 

映画館で一人。日曜の昼下がりに。こんなに…まったりとお酒を飲みながら恋人と観るべき映画を観てしまった当方。寒い…心が寒い…ギブミー・ブランケット映画。

 

ポルトガルの都市。ポルト。自分の様なよそ者でも住みやすい所であると言いながら。

どこか虚勢を張りながら暮らしてきた『異邦人』の二人。

 

32歳の彼女。考古学を学ぶ彼女はフランスからの留学生。恋人は大学の先生。別に何か不満がある訳じゃ無い。でも。

ある天気の悪い日。いつものように採掘場に居た。そこで。何となく見掛けたアルバイトの26歳主人公男性。互いに視線を交わし。でも。それだけだった。けれど。

採掘場から。帰る電車で。ホームで。一緒になる二人。目で追って。同じ場所に帰る二人。そして夜。

賑やかなカフェで。またもや一緒になった二人。もう無理。もう無視は出来ない。

立ち上がって。近寄ってくる主人公に声を掛ける女性。「私とよそに行かない?」

 

「そんな都合の良い事あるかあああ!!(恋愛難民当方の叫び)」

 

余談ですが。数年前。夏休みに青森に一人旅した事がありましてね。

普通車運転免許を持ちながら、それは完全に身分証明書でしかない当方。「竜飛岬に行ってみたい」と。青森駅近くの宿に宿泊。翌日の電車、バスの公共交通機関を確認した所、往復で一日(確か片道6時間以上)掛かるスケジュール。そして翌朝6時台の電車にて青森駅出発。そこで青森駅から見かけた、同じく公共交通機関で移動していた旅行者。正直当方の好きなタイプ。

今思えば、いっそ声を掛けたら良いじゃないかという位。全く同じ行程で旅をし続けた当方とその旅行者。「何この時間!」と叫びたくなるような、「乗り継ぎの電車待ち2時間強の超田舎駅(コンビニ等娯楽無し。無の時間)」なんかもあったのに…。

夜21時も回って。青森駅から暫く歩いて…やっと当方とは違う路地に消えていったその姿を見た時。「バカバカバカ!」となった当方。

(あの時。「お前はオバケのQ太郎ドロンパか。またはチンピラか」という赤地に星柄というピタピタシャツを着ていた事も、当方の勇気が引っ込んた一つの理由でした)

 

何を延々と馬鹿話をしているのかと言うと…「完全に運命としか思えない出会いはある」という話です。

 

まあ。この当方の青森旅行は与太話ですが。確かに「これは運命だから逃してはいけない」と思う事。やっぱり、長く生きていたらありますね。これは立ち上がらないといかんと。(ですが…正直こうやって相手から都合よく運命のアクセル切られた事はありませんよ。そういうの…体験してみたかったですよ‼)

 

三部構成。26歳の男性視点。32歳の女性視点。そして…あの夜、何があったのか。

 

はっきり言って一夜の。行きずりの恋。だからこそ燃え上がって。互いにいい所しか見えない。恋愛の一番いい所しか。

 

だからこそ。そこからの未来を信じたかった男性と。そしてしっかり現実にシフトした女性。

 

運命の恋。そう思った。やっとこの場所に、自分の居場所が見つかった。たった一日しか共有していないけれど、彼女は運命の人。これから一緒に幸せになる相手。なのに。

 

あれは一夜の事。今の恋人は大切な人。だからあれはいい思い出。そして幾重もの時を重ね。後戻り出来ない『家族』が出来て。でも。思い出してしまう。あの夜の事を。

 

時系列を変えながら。「あの夜…」と互いに反芻しながらも。あの奇跡の夜以降、二人が重なる時は二度と来ない。…そう思ったら。

 

とびきり幸せな。三部構成のラスト。「あの夜、何があったのか」

 

「こんなの…惚れてまうやろう」震える当方。

 

何もかもが美しい、でも危なっかしい彼女。(本当に。出で立ち全てがエレガントでした…ただ。ヘビースモーカーっぽくて。それは心配…)シャイで、ひたすら純粋な主人公。引っ越してきたばかり。まだ何も整っていない、そんな彼女の部屋で繰り返された、甘すぎる…リアルなセックス。何これ。最高過ぎる。

 

「ちょっと!ブランケット貰っていいですかね!」(注意:リアルでは言ってませんよ!)普段映画館でブランケットサービスは利用していないんですが。言いたくなった一人ぼっちの当方。

 

だからこそ。一部、二部の現実が…。でも。

 

映画だからこそ。三部の流れが美しくて。もうどれが現実でも構わない。寧ろ、このラストに身を委ねたい。

 

不慮の事故にて命を落としたアントン・イェルチン。勿論彼を惜しむ気持ちは尽きないけれど…何だか彼もこの幸せな世界に居て欲しくて。

 

兎に角、上質な恋愛映画。思い出すと何だか人恋しくて…堪らなくなります。

 
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映画部活動報告「パーフェクト・レボリューション」

パーフェクト・レボリューション」観ました。
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「あなたと私みたいなのが幸せになれたら。それって凄い事じゃない?」

「それを世界に証明するの!!」

 

脳性麻痺にて重度の運動障害があり、車椅子生活の主人公『クマ』をリリー・フランキーが。人格障害(パーソナリティ障害)を持つ『ミツ』を清野菜名が演じた。

 

障害者の性の理解について、活動されている熊篠慶彦氏のほぼ実体験に基づいているという作品。

 

「まあ。押しかけ女房ならぬ、押しかけ彼女案件。しかも相当エキセントリックな」

 

とある講演会場で。『障害者の性について』を語っていた熊篠氏(以降クマと表記)。まだ質問タイムでもないのに手を上げ勝手に発言した女性、ミツ。「セックスを語っていますが。愛についてはどう思いますか?(言い回しうろ覚え)

ざわつく会場。ミツを止めようとするスタッフを制し。「愛はよく分からない。俺が立って動くのと同じくらい無理な事だと思っている」と答えたクマ。

講演を終えて。会場を後にしようとしているクマに駆け寄るミツ。

「私。あなたの本も読んだ。あなたが大好き!」

 

それ以来。何かとクマの周りをうろつくミツ。「クマピー」と呼び「彼女にして」と迫り。

始めこそ戸惑い、警戒していたクマだったが。次第に彼女に惹かれていって。

 

何しろ「ほとんど実話です。プライバシーの切り売りです」と熊篠氏が語っている以上、何がどうとかは言い辛いのですが…。

 

「何かバランスがおかしいなあ~」しっくりこない当方。

 

この作品はあくまでもクマ目線なので。そりゃあ視野が偏るのは仕方無い。そう言い聞かせるのですが。

 

確かに。クマの思う事、感じている事は丁寧に描けていた。「障害者だってセックスしたい」そう語る彼をメディアが撮る時。麻痺のある手をアップで撮らせてくれと言われる「なんだかな…」という表情。

何より居心地が悪かった、クマの実家での法事。あの身内のやり取りの中で。特に当方の印象に残った弟の妻。(でも。リアルな反応だとは思いました)

障害者ドキュメンタリーを撮るテレビマン達の、「全然ドキュメンタリーじゃ無いな、それ」というお涙頂戴ストーリーを演出しようとする下り。等々。…ですが。

 

「ミツの描き方。もうちょっと丁寧にしてやっても良かったんじゃないの?」

 

人格障害(現在はパーソナリティー障害と名称変更されていますが。作中の表記を使用します)を持つミツ。

いや。当方だってこの疾患について何も精通していません。ですが。

 

ミツの行動そのものは『パーソナリティ障害B群』(周りを盛大に巻き込む系)なのかなあと無知な当方はぼんやり思いましたが。

そもそも何でミツはクマを好きだと思ったのか。

「障害のある者同士でも幸せになれる。それを証明する」その目標からクマに近づいたんですか?あの出会った講演でのやり取りでそれが出来ると確信したんですか?そして追い回す内にクマを好きになったんですか?…う~ん。

そしてクマが手に入った(言い方が悪いですね)ら、「失ったらどうしよう」と不安になる余り、心のバランスが崩れていったんですか?…う~ん。

まあ。こうやって文章にしてみたら「なるほど」と思わなくもないんですが。どうにもこうにも観ている間はしっくりこなくて。

身体障害者についてはある程度サポートする者も描かれている。でも、今現在病状が不安定な状態にある精神障害者についての理解やサポートがあんまり…に見えたからかなあ」たどたどしく語る当方。

「で。結局あんたミツの何なの?」という、謎の後継人、余貴美子

「ミツはねえ」と彼女の哀しい生い立ちを語り。恵まれなかった家庭環境から件の病に掛かったと。

「ところで。病名を言うって事は、前に病院に掛かって診断されたって事ですよね?」「ちゃんと通院出来ているんですか?お薬。ちゃんと飲んでいるんですか?」険しい顔をする当方。「何か…描かれてないだけかもしれないけれど…出来ていなさそうな感じがする」

ここまで感情の起伏が乱高下して。こんなの、周りも疲れるけれど、本人が一番しんどそう。きちんと然るべき病院に掛かって、治療を受けた方が良い。何故誰もそういう風に動かないのか。

自身の身体障害について理解した上で愛してくれている彼女。でもその彼女の持つ精神障害をクマはどう理解していたのか?どう受け止めていたのか。

例えば。「俺はどんなミツだって愛しているよ」そう言うとしたら。

愛しているは結構。でも。それなら尚更、ミツがどうすれば苦しまないのか。考えてあげないと。そう思って止まない当方。

ミツの周りの人々は、ミツの障害をどう思っていたのか。

精神障害は、絶対に完治はしない。」「ましてや自然には」かつてそう学んだ当方。「一生付き合っていくものだから。その症状を緩和するために様々な治療がある。」

 

「いや。色々あったんだよ!ここでは描いていないだけで!」「じゃあ描けよ!プライベートを切り売りしたんなら!」こんなやり取り、勿論ありませんが。もしそう言われたとしたら、間髪入れずにそう答えるだろうなと思う当方。

 

「じゃないと。ただただエキセントリックな押しかけ彼女とのラブストーリーになってしまう。薄っぺらくなってしまうよ…」

 

この作品の中の常識人。クマの介護職員恵理さんこと小池栄子。非常に好感を持ちながら観ていた当方。でしたが。

 

「はっきり言う。この作品のラストの下り。あかん」

 

ラブストーリーとしてのエンディング。蛇足。今までのまともな人たちの崩壊。止めてくれ。止めてくれ。叫ぶ当方。

 

「何かなあ~。しっくりこないんよなあ~」

題材から。観たいものを勝手に脳内で組み立て過ぎたんでしょうかね。

う~んと言いながら。今でもちょっと首をかしげてしまう。そんな作品でした。