ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「ノマドランド」

ノマドランド」観ました。
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2008年、アメリカ。大手証券会社破たん…いわゆるリーマン・ショックによる経済危機はあらゆる世代に影響を及ぼした。

主人公のファーン(フランシス・マクド―マンド)もその一人。

ネバダ州エンパイヤで臨時教員として暮らしていたファーン。夫の働いていた工場が閉鎖。夫とも死別した。

工場で持っていた町は活気を無くし…人口が減少したことから町としての機能を失い、遂には郵便番号が消滅。住んでいた住民達は住む場所を失った。

「またひとつ、村が死んだ…(ナウシカ風)。」

 

住む場所を失ったファーン。家財道具一式をキャンピングカーに詰め込んで、住み慣れた町を後にする。こうして彼女は〈ノマド(=遊牧民)〉となった。

移り行く季節の中。短期労働の現場を渡り歩く。その中で出会うノマドたちとの交流。

 

ジェシカ・ブルーダ―著『ノマド 漂流する高齢労働者たち』原作。クロエ・ジャオ監督。主演のフランシス・マクドーマンドとデイブ役のデヴィッド・ストラザーン以外は実際にノマド生活を送る人々が出演。ドキュメンタリーとフィクションが融合する作品となった。

 

「人はただ 風の中を 迷いながら 歩き続ける(遠い日の歌)」

 

映画を観る醍醐味とは?

人により様々でしょうし、当方も一言で語る事は出来ない。けれど…映画を観る事で知る「こういう考え方もあるのか」「こういう世界があるのか」という発見と驚き。それは映画が持つ、紛れもない魅力の一つだと思う当方。

 

「ああ。今とんでもないものを観ている。」

 

ノマドランド』を観ている最中。目の前にファーンという女性を通じた世界が広がっているのに、終始一点集中が出来なかった当方。

というのも。「人生をどう生きるか」について考えていたから。

 

『ACP/Advance Care Planning:アドバンス・ケア・プランニング』

将来の変化に備え、将来の医療及びケアについて、患者さんを主体に、そのご家族や近しい人、医療・ケアチームが、繰り返し話し合いを行い、患者さんの意思決定を支援するプロセスのこと。患者さんの人生観や価値観、希望に沿った、将来の医療及びケアを具体化することを目標にしています。(東京都医師会より抜粋)

 

近年医療業界で見かける言葉。いわゆる『人生会議』ことACP。

自身の終末期をどういう風にするか。それを心身共に健康な内に家族や周囲の人間と話し合い、自分の意思を伝えておくこと。もし自身に不測の事態が発生し、生死を彷徨う羽目になった時…延命を行うか死を選ぶのか。その選択と決定を自分以外の人にさせなくて済むために。自分らしく生きる、または死ぬために。事前にそういう話しをしておきましょうという内容。

 

この物語の主人公、ファーン。夫とは死別。臨時教員として働いていた頃もあったけれど今は無職。

住み慣れた町は事実上消滅。家財道具一式担ぎ込んでのキャンピングカー生活。それを〈ノマド遊牧民)生活〉と言ってしまえば恰好が良いけれど…それは『ホームレス』と紙一重じゃないか。いつ破たんしてもおかしくないぞと思った当方。

というのも。ファーンがリタイア世代…つまりは高齢者世代であるから。

 

慎ましやかな(当方なりの配慮)キャンピングカーに乗って。寒さに震え、雨風に身を縮め。短期労働を繰り返しながら転々と移動する。

時に同じ境遇の仲間たちと交流し。これまでの互いの半生を語り合う。互いに不要なものを交換し、本当に必要な持ち物だけで暮らしていく。

今まで見る事が出来なかった景色を見る。新しい時代の遊牧民。何にも囚われない。

 

「でも。彼らはその生活を望んで始めた訳では無いんでしょう?」

ノマド生活を送る高齢者たち。各々の背景は違えども、かつては皆『家』を持っていた。しかし、経済的な理由で住む家を失った事からこの生活が始まった。

「今の方が自由」そう言うけれど…どうしてもどこか強がっているように見えるし、できれば辞めて欲しい。そう思うのは、おそらく当方がファーンたちの子供世代だから。

 

「一緒に暮らしましょう。」ファーンにそう声を掛けたファーンの姉。あの姉の気持ちはよく分かる。

 

気高く生きることは素敵だけれど、やはり家族にはきちんと食べて暖かいベットで休んで欲しい。ふきっさらしの屋外で車中生活なんて辞めて欲しい。

自分を幾つだと思っているんだ。みっともない。こんな歳で若い子に交じってバイト生活なんてせずに、のんびり暮らして欲しい。

あくまでも想像ですが。当方の両親がノマド生活を送ると言い出したら…絶対にそう言って反対するだろう。そう思うのですが。

 

「私はもう長くない。」

あるノマド女性が語った死生観。自身は癌を患っており、エンドステージに居る。そんな彼女がファーンに語った意思決定。今の自分の状態や、だから今後どうするつもりだという計画。

そこまでの覚悟を持ってノマド生活を送っているのならば…もう口出しは出来ない。溜息をついてしまった当方。

 

「自分の人生は自分で決める」「親であれ子であれ。誰も邪魔は出来ない」「自分の人生は他の誰かのものではないのだから」

当たり前だけれど…それは時に、家族やその人を大切に想う人にとっては寂しい気持ちになる。

 

途中でノマド生活から降りた人。ノマド生活を続ける人。家で家族と住み続ける人。誰もが間違いでは無い。自分で決めたのだから、とやかく言われる筋合いは無い。

 

「いつかまた会える」ノマドの人が語った言葉。この生活をしていればいつかまたどこかで会える。生きていれば。そして風になった時も。

 

この世に生を持った。けれど必ずその命は尽きる。がむしゃらに日常を生きる日々がある。けれどそれがひと段落した時…人は自分の人生をどう振り返り、どう締めくくろうとするのか。

 

「こういう生き方を選ぶ人たちが居るんだ。」

この作品を観て打ちのめされ…身近な人を想い。そして最終的には自身について考える。果たして当方なら?どうする?どう最後を生きるだろう?

 

「ああ。今とんでもないものを観ている。」

 

これはただの物語にとどまらない。アメリカのとある人々を題材にしているけれど…普遍的な「どう生きるのか」という問題を観ている者に突きつけてくる。

 

「こういうのがあるから面白いんよな」

これもまた映画を観る醍醐味。こちらの価値観をグラグラ揺さぶってくる。おいそれと回答なんて出ないけれど…たまらなくてゾクゾクする。これは傑作。

 

お薦めなのに万人受けしそうにありません。

映画部活動報告「まともじゃないのは君も一緒」

「まともじゃないのは君も一緒」観ました。
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女子高生の秋元香住(清原果耶)と予備校講師の大野康臣(成田凌)。

香住が通う予備校の数学講師、大野は数学一筋の変わり者。土台は相当良いのに、無頓着な身なりとコミュニケーション能力の低さ故に恋人の影など皆無。

けれど。「自分はこのまま一生一人なんじゃないか」「自分だって人並に恋をしたい、結婚だってしたい。」そんな悩める大野に恋愛指南をすることになった香住。

「もうちょっと普通に会話出来たらモテるよ。」「こういう時はね。」

訳知り顔で恋愛のノウハウを手引きするけれど。実際には恋愛経験が無く、SNSなどで得た知識を総動員させる香住。

 

憧れの青年実業家、宮本功(小泉幸太郎)に婚約者が居ると知り大ダメージを食らった香住。けれど直ぐに気持ちを切り替え、作戦開始。恋敵である君島美奈子(泉里香)との仲を裂くべく「女の人と付き合えるようになる練習」と大野を接近させる。

「どうせダメ元。」そんな気持ちもあったのに、何故かおかしな方向に進み始めて。

「普通が分からない」大野と「普通を知ったかぶる」香住の行きつく先は?

 

監督:前田弘二×脚本:高田亮のオリジナルストーリー。

 

「一言で言うと、可愛い作品だった。」

眉が下がりっぱなし。不器用な二人が何だか愛おしくなる。噛み合っていないまま強制的に回す内に、歯車が合ってくる会話がどんどん癖になってくる。

 

「最近の予備校って個人授業なのか!」昨今の学習塾事情なんて、電車内広告でしか知り得ない当方がまず驚いた設定。

だって…当方が女子高生で、担当に成田凌が付いたらもうそれだけで毎日が浮足立ってしまう。けれど…そこは冷静な女子高生、秋元香住。

(話が脱線しますが。成田凌って、当方が認識し始めた数年前はグットルッキングと甘ったるい喋り方から、いかにもスケコマシな役(クラスのカースト上位男子とか)が多かったんですが。最近グッと演技の幅が広がりましたね。二枚目キャラ以外でも見かけるようになった。)

 

香住が大野に繰り出す言葉の散弾銃。

「先生見た目は良いんだからさあ。もっとまともな恰好したら。」「普通に会話できたら彼女出来るよ。」「普通にしてりゃあ良いのに。」

まとも(普通)のゲシュタルト崩壊。一体普通ってなんだ。普通の人ってなんだ。

「普通を手に入れたら、自分は一人じゃなくなる?」

 

「一人が寂しいという感情はあるんじゃないか…。」

恋人や配偶者を持たない人が増えているこの現実社会。御多分に漏れず当方もその部類に属しているけれど…切実に「一人が寂しい」「誰かと一緒に居たい」とは思わない。

数学命。そんな大野が誰かとの繋がりを求めている点に意外性を感じましたが…そんなところで躓いたら物語が始まらないという事は理解していますので目を瞑って。

 

香住の憧れの人、青年実業家の宮本。

これがまた…清々しいまでの薄っぺらさ。

『教育関係』『知育』子供が何にも抑え受けられることなく伸び伸び育つ環境とは。多分元々の志しはご立派なんでしょうが。いかんせんその内容は雲のようにふわふわと掴み所がなく実体が無い。

かつて辛かった時に救われた。そこから妄信的に入れ込んでいた宮本には婚約者が居た。

戸川美奈子。宮本がグローバルに活動するにあたり有力な後ろ盾となる権力者の娘。

香住は明らかに政略結婚だと言い放ち二人の中を裂こうとするけれど。

 

「美奈子さん。良い娘さんやないの。当方は好きやな。」

金持ち。ホテル王の娘。華やかな見た目も相まって、どんな高慢ちき(死語)かと思ったら。意外と気立ての良い家庭的な女性。

 

結婚寸前の婚約者は、仕事で仕方ないとはいえ自分の父親とばかり行動。自分は置いてきぼり。この人との結婚生活は大丈夫なのかしら。そんな時に現れた大野という風変わりな男性。

「普通になりたいんです。」真顔でそう言って。何もかもに初々しい反応を見せる。

けれどそれは嫌じゃない…。正直な大野と一緒に居ると安心する。

 

二人の出会いと接近をセッティングしていた香住。二人が出会うまでこそドタバタしたけれど、いざ大野と美奈子が対面してしまったあたりから慌て始める。

「こんなはずじゃなかった。」美奈子は高嶺の花。あっさり玉砕すると思ったのに、何だかイイ感じになってしまった。どうしよう。

 

「相談に乗っていた相手を好きになってしまうって。少女漫画王道のヤツやんか(当方心の声)。」

自覚してしまった大野への恋心。けれど…どうしていいのか分からない。だって恋なんてしたことが無かったから。

 

香住からやたらと出てきた『普通』というフレーズに。「若いなあ~」と思った当方。

普通とは何か。香住が指していたのは『空気を読める行動が出来る人』だと当方は感じましたが。

「『空気が読める=場を丸く収めるために自分が我慢する』ではない」という答えを出した大野。

 

自分が大切だと思う人が誰かに傷つけられるのは嫌だ。

自分の心を偽ることはよくない。

 

まともという言葉が『普通』とイコールで結ばれる表現が多々ありましたが。そもそもまともとは『正面から物事に向き合う』ことで。

それがきちんと出来て然るべき行動が取れた大野は…確かに『普通』ではない。

 

誰かの真似をしたり、周りから浮かない様に努力して。当たり障りのない人間になれば恋が出来るなんて…それこそ恋愛経験がない人間のいう事。だってそんな人間、誰も見つけられないから。

 

不器用で変わり者。でも二人で居たら楽しい。自分のとっておきなお気に入りの場所を、この人になら教えてあげても良い。きっと気に入ってくれる。

「そんな相手が見つかるのは本当に幸せだ。」そう思った当方。

とはいえ。宮本と美奈子もまたお似合いの二人なんだなと思わせた最後。まさに破れ鍋に綴蓋。

 

1時間38分というコンパクトさ。ほとんどが会話劇でそのテンポの良さ。そして主人公を始め、結局は「ここには悪い人などいません」。登場人物全員が愛おしくなる。

「一言で言うと可愛い作品だった。」

 

エンドロールはひたすら笑顔。こういう作品は大好きです。

映画部活動報告「ミナリ」

「ミナリ」観ました。
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1980年代。アメリカ、アーカンソー州

韓国系移民のジェイコブ(スティーブン・ユアン)。妻のモニカ(ハン・イェリ)、長女のアン(ノエル・チョ)と末っ子デビット(アラン・S・キム)と共に向かった新天地は辺鄙な田舎にあるトレイラーハウス。

「ここの土は最高だ」農業で成功することを夢見るジェイコブ。韓国から遠く離れたアメリカの地で、幾つになっても成功する事を夢見る夫に、不安が隠せず苛立つモニカ。

喧嘩が絶えなくなっていく両親を尻目に、次第に馴染んでいく子供たち。

ほどなくしてモニカの母親スンジャ(ユン・ヨジョン)が同居するために韓国からやって来た。立膝ついて悪態をつき、教えてもらったのは花札くらい。

「おばあちゃんらしくない」初めはそう言って避けていたデビット。しかし次第に絆が生まれていって。

 

監督&脚本を務めたリー・アイザックの自伝的作品。配給会社A24とブラッド・ピット率いるPLAN Bがタッグ。各国の映画祭で高評価、今年の米アカデミー賞にもノミネートされている作品。

 

ミナリ/セリ:セリ科の植物。日本原産の多年草。香味野菜として春の七草にも挙げられ、韓国では『ミナリ』と呼ばれる。韓国では「逞しく地に根を張り、二度目の旬が最もおいしい事から子供世代の幸せのために親の世代が一生懸命に生きる」という意味が込められている。

 

アメリカ映画の移民モノで1980年代の韓国系かあ…これまで観た事無い題材。」

 

ここ数年。韓国から製作発表されたいくつかの映画作品から知った、1970年代後半~1980年代の激動の韓国情勢。軍事政権。この作品ではそんな韓国の社会情勢は全く描かれないけれど、父ジェイコブが妻モニカに放った言葉「今の韓国には戻れない(言い回しうろ覚え)」の意味合いが深い。

 

つまりは。この作品をさらっと観ると「アメリカンドリームを夢見て農業で一旗揚げようとする父親に振り回される母親を子供視点から描いた作品」となってしまうのですが。

背水の陣。生まれ育った母国にはもう戻らないというジェイコブの覚悟…の意味合いよ。

 

けれど。その気負いが随分強く出過ぎているのも確か。

アメリカで韓国人として成功したい」そもそも彼がアメリカの農地で作りたい作物は『韓国の野菜』。年間何万人も移民としてアメリカに渡ってくる韓国人が美味しいと思える食べ物を提供したい。

一から耕す農地。全ての源となる水源を探すとき。「こうやって導てくれるんだ」という儀式?(木の枝を地面にかざして歩いていたら、水源で反応するというもの)には「韓国人は頭を使うんだ」とにべもくれず。

農耕器具を安く譲り受けた縁で農業を手伝ってくれることになった地元に住む変わり者、ポール(ウィル・パットン)。信心深く、時にはオカルトじみた彼にどこか一線を置く。合理主義者であり頑固者。

対して妻のモニカ。ジェイコブと人生を共にする覚悟をしアメリカに渡った。子供にも恵まれ…そうなると安定した生活を送りたい。

夫婦で長く勤めてきたヒヨコの雄雌判定の仕事。地味だけれど家族四人で暮らしてこれた。まだまだ子供たちにはお金もかかるのに…一体何を夢見ているの。

 

長らく生きてきた当方。誰の父でも母でもありませんけれど…夢を追いたいジェイコブも安定を望むモニカの気持ちもどちらも頭では理解できる。

 

喧嘩が絶えなくなった両親が出した一つの提案。それは韓国に住むモニカの母親スンジャを呼び寄せ同居すること。

 

この作品はあくまでも末っ子デビットの視点で進められる。スンジャがトレイラーハウスに引っ越してきてからは特に「祖母と孫の交流」がメインで語られていた。

 

「おばあちゃん」と呼ぶには似つかわしくない人物。大人しくない。言葉使いも荒々しいしズケズケ切り込んでくる。何だか下品。

けれど。デビットをと特別扱いせずに「強い子だ」と認めてくれたのはおばあちゃんだけだった。

生まれつき心臓に疾患を持っていたデビット。定期受診が必須で、激しい運動は止められれている。そんなデビットを心配するがあまり、神経質にならざるを得なかったモニカ。(安定した生活という中身には「もしデビットに何かがあったらすぐに医療機関に受診できる場所に住みたい」という気持ちもあった。)

 

デビットとスンジャに絆が生まれた頃。思いもかけない変化が訪れた。

 

順を追ってネタバレする訳にはいきませんので。ふんわりまとめていきますが。

つまりは。先述した『ミナリ』の意味合い。

「子供に親が成功する姿を見せたい」そう望むけれど…現実は厳しい。上手くいきそうに見えた途端、ジェイコブの農場に陰りが見え始めた。水が出なくなった。

娘の心の支えになりたくて。長く暮らした祖国を捨て、新天地にやって来たスンジャ。初めこそ懐かなかった孫とも仲良くなれた。なのに…自分の体が悲鳴を上げた。

 

けれど。窮地に陥った時にこそ、人間の真価が問われる。

「子供世代のために、親世代が一生懸命に生きる」

 

今の自分は、望んだ格好良い姿ではないけれど。命が続くのならば生き続けるしかない。

思考を変えること。自分は元々韓国人であるけれど。今はアメリカの地に骨をうずめる覚悟でいる。ならば…どこかでこの土地の考えも受け入れなければいけない。

「自分は移民だ」その気負いが余りにも大きすぎたジェイコブ。祖国を捨てたのならば新天地では成功しなければならない。

けれど。何を以て「人生の成功者だ」と言えるのか。分かりやすく金持ちになることなのか。それとも…「新しい土地で根強く生きていくこと」なのか。

水辺に生息し、広く強く繁殖しやすいミナリ。スンジャが韓国からアメリカに種を運び蒔いた植物。その強さこそが彼らが目指す姿。

 

モニカがキリスト教徒であること。ヒヨコの選定。ポールの変わり者エピソード。書けば書くほど取っ散らかってしまうので割愛しますが…どうしても気になる点が二つ。

 

ひとつ。「お姉ちゃんはどう思っていたのか?」

デビットより少し年上の長女アン。あまりにも彼女の描写が無さすぎる。家族と共にトレイラーハウスに引っ越し。両親の連日の喧嘩に耐え。病弱な弟に両親は集中、その上韓国から来た祖母まで弟にべったり。過保護の極み。放置される自分。

「どういう気持ちで暮らしていたんだ!」監督&脚本家の自伝的作品でデビット視点なら仕方ないのか?姉の心情はお察し下さい?う~んちょっと不憫過ぎやしないか。

 

そしてもうひとつ。「予告でネタバレはあかんて」

素敵な予告編なんですけれどねえ~。重要な展開の結末を思いっきり見せてしまっているのはどうかと。

 

親から子へ。そして孫へ。三つの世代を繋ぐ物語。子は親の背中を見て育つ。

そうか、あの時はこういう事が起きていたのか。それでも必死で生きざまを見せてくれていた。そんな家族の物語。

所々歪なひっかりも感じましたが…概ねすんなり飲み込めた作品。

 

最後に…韓国映画でちょくちょく見かける大女優、ユン・ヨジョン。彼女が演じた祖母スンジャが余りにも素晴らしかったと思う当方。米アカデミー賞助演女優賞ノミネートが嬉しい限り。授賞式での彼女が楽しみです。

映画部活動報告「ビバリウム」

ビバリウム」観ました。
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安定した付き合いのカップル、トム(アイゼンバーグ)とジェマ(プーツ)。

一緒に住む新居を探していた最中、ふと立ち寄った不動産屋の店員マーティンから半ば強引に紹介された住宅街〈ヨンダー/Yonder〉の一軒家。『9』番地のラベル。

同じ見た目の一軒家がずらりと並ぶ、けれど人気を全く感じない不気味な住宅街。

どうせ入居するつもりはないし…と内見していたら、いつの間にか案内していたはずのマーティンが姿を消した。

不安になり、とっとと街を後にしようと車を走らせたけれど…どの道を行っても景色は変わらず、街から出る事が出来ない。9番地に戻ってくる。

憔悴し仕方なく9番地に身を寄せる事になった二人。

翌日、翌々日…どこまで行っても、何をしても9番地からの呪縛から解き放たれない。

いつの間にか食事の入って段ボールが家の前に置いてある。けれどその送り主の姿をとらえる事が出来ない。

そんなある日。赤ん坊が入った段ボールが家の前に置かれていた。

「この子を大人になるまで育てあげれば、あなた達は自由になれる」

同封されていたメモから一縷の望みを掛けて、見知らぬ赤ん坊を育てる事にした二人だったが。

 

『Vivarium/ビバリウム:(自然の生息状態をまねて作った)動植物飼養場。動物施設。小動物保存施設。』(Weblio英和和英辞書より)

 

「ラビリンス・スリラーねえ…というよりこれ、ド直球でシンプルな話やな。」

 

タイトルしかり。冒頭10分以内「これから始まるお話はこういう内容です」と言わんばかりの映像が流れ…そして案の定「こういう内容」が語られる。

 

庭師のトムと教師のジェマ。ラブラブな二人は一緒に住むための新居を探していた。

仕事終わり。ふと立ちよった不動産屋から紹介された住宅街〈ヨンダー〉に足を踏み入れたが最後~二人は元居た世界には戻れなくなった。

 

全く同じ外観の一軒家が立ち並ぶ。なのに人気が全くない。気持ちが悪くなって街から抜け出そうとするけれど、延々と続く同じ風景は何処を走っているのかも分からないし、結局毎回同じ家の前に戻ってくる。

 

「血液や臓器が露わになり、緊張感の強い手術室などではリラックス目的からも緑色などの内装が多く用いられる(作中で言ってた訳では無い。一般的に語られる配色の話)。」そんな、手術室くらいでしか見た事のない、クリームがかった緑色がベース配色のヨンダーの街並み。

せめて他の家々にも住民が居たら暮らせただろうに。けれど、どこまで行っても果ては家に火を放ってみても再びその家は現れる。

一人ならばとっくに精神が崩壊している。ところが二人はカップル。まだ何とか支え合える。そんな時、突然現れた赤ん坊。

 

「この子を育てたら元の生活に戻れる」一縷の望みを託して子育てを始めたけれど…愛情を注ぐには努力を要する日々。次第に二人の関係も歪み始めた。

 

どういう書き方をしたら…そもそもネタバレも何も…と進め方に困ってしまう作品。

「だって。タイトル…」モゴモゴ口ごもる当方。

 

およそ愛せない子供。成長のスピードの速さからも異質なナニかである事は明白。時折見せる子供っぽさに心を許しそうになるけれど…やっぱり「私はあんたの母親じゃない」。気持ち悪い。苛々する。

 

ジェマは小学校の教師である事や…陳腐な言い回しですが、持ち合わせていた母性を総動員して子供を愛そうと努力していた。対して子供に嫌悪感をむき出しにしていたトム。

家に留まり子供を守ろうとするジェマと、家から飛び出し、出口を求めて庭を掘り始めたトム(庭師)。ついには自らが掘った穴の中に住むようになった。

 

けれど…結局子供が大人になった。その「愛せない不気味さ」が顕著になった時に、いよいよジェマも精神が保てなくなる。「やっぱり私はあんたの母親じゃない」。

 

一体この子供は何なのか。ヨンダーとは。そのネタバレは流石に避けますが…。

 

「監督のロルカン・フィネガンはアイルランド出身らしいけれど…もしかしたら『おとうさんがいっぱい』を読んだんだろうか。」

 

『おとうさんがいっぱい/三田村信行=作(フォア文庫より1975年刊行)』
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トラウマ児童文学作品として呼び名が高い作品。

小学生中高年くらい?当方も学校の図書室で借りて読んだのですが。確かに衝撃を受けた。(また佐々木マキさんの画もぴったりなんですよ)

表題の作品を始めとする5本の物語が収められているのですが。

ある日突然おとうさんが増えた。家族が留守宅に帰ってきたが最後、家から出られなくなった少年。同じ道をぐるぐる回りどこにも行けない。おかあさんと喧嘩した挙句おとうさんは壁に入り出られなくなるなど。

どれ一つ気持ちがよい終わり方をしない。

児童文学ですし分かりやすい文体で淡々と進められるのですが、その世界観の不気味さがもう…日常生活から突然おかしなスポットに足を踏み入れてしまい、そして後戻りが出来なくなる。無力さを叩きつけてくる。泣きたくなってもお構いなし。不条理なままで突き抜ける…読み手キッズによってはトラウマ恐怖作品。

けれど当方には何故か魅力的で忘れられなくて…大人になってから、古本市で見かけて即購入した。

 

「その世界観に似ている。」「もし読んでいないのならば…お勧め。絶対気に入るって(決して接点がないであろう監督へのメッセージ。って何様だ)。」

 

何を言わんとしてるのかが明白で、それを淡々と映像化した。

ウェス・アンダーソンのような、計算され尽くしたのであろう画力。無駄を極力排除する事で生々しさを一切感じない、血の通っていない(褒めています)雰囲気を保ち続けた。(最後一気に変わる瞬間がありますけれど)

結果、なんとも言えないシュールな作品に仕上がった。そんな印象。センスの匙加減が良い。

 

何だか煮え切らない感想文を綴ってしまいましたが。98分というコンパクトさも含め、当方は割と好きなタイプの作品。少なくとも子供のころに『三田村信行』の不条理作品が好きだった人には刺さるはず。

そして…もうこの流れに乗じて。児童文学『おとうさんがいっぱい』もお勧めします(おそらく今でも図書館にあるはず)。

映画部活動報告「トキワ荘の青春 デジタルリマスター版」

トキワ荘の青春 デジタルリマスター版」観ました。
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東京都豊島区にあった、伝説のアパート『トキワ荘』。漫画の神様こと手塚治虫を始め。名だたる漫画家たちを輩出した。

1950年代。若き漫画家たちが集まり、共に暮らした日々。誰もが貧しく食べるのにも事欠いた。けれど皆、漫画への情熱は決して絶やさなかった。

 

1996年公開。市川準監督作品。

トキワ荘の静かな兄貴、寺田ヒロオ本木雅弘が好演。藤本弘藤子・F・不二雄)を阿部サダヲ我孫子素雄(藤子不二雄Ⓐ)を鈴木卓爾石ノ森章太郎をさとうこうじ。赤塚不二夫を大森嘉之。森安直哉を古田新太鈴木伸一生瀬勝久が演じた。

 

おそらくは昨今のコロナ事情で、劇場公開作品に少し違う流れが目立ち始めた。それは旧作と呼ばれる作品たちが映画館で再上映される機会が増えたこと。(これまでも皆無ではなかったけれど。)

「どうにかしたら家のテレビでも見れるじゃないか」

けれど。そうやって「いつでも見られる作品」をどれだけ見逃してきたか。

色んな考え方の人や生活背景がある。忙しい日常の隙間で、自宅のテレビで色んな映画が観られたらどれだけ心が潤うか。そういった人たちも居るし何一つ否定はしませんが…当方は『観られるのならばスクリーンで映画を観たい派』の人間なので。映画館で短期上映期間中に観に行ってきました。

 

トキワ荘』という、そうそうたるメンツの漫画家を輩出したアパートが東京に存在した事は、流石の当方もうっすら知ってはいましたが。

手塚治虫藤子不二雄石ノ森章太郎。そして赤塚不二夫トキワ荘に住んではいなかったものの、つのだじろう(翁華栄)まで交友があっただと⁈」

日本で漫画家を志した人ならば足を向けては眠れない(当方は漫画家志望であったことはありませんが)まさに聖地。

 

手塚治虫は既に相当な売れっ子で、物語の初めにはトキワ荘を出ていった。

手塚治虫に憧れて上京した藤本・安孫子青年が藤子不二雄として大成していく様や、一気に人気漫画家に上り詰めた石ノ森章太郎という華やかな成功ストーリー。

けれど。住人の皆が皆華やかな階段を上った訳では無い。田舎に帰った者、他の道を選んだ者…そして己の書きたい作品を大切にしたくて筆を置いた者。

世間に認められて売れっ子になっていく様は観ていて楽しいけれど、そのすぐそばには芽が出なくてくすぶっている仲間が居る。

 

トキワ荘の住人は揃って『漫画少年』の投稿仲間。住人とつのだ8人で『新漫画党』を結成し、漫画の未来について喧々諤々語りあった。そんな日があった。

「大先生」だと。蝶よ花よと大切にされる者も居れば、「言いたかないけれど田舎に帰っては」と厳しい言葉を掛けられた者も居た。

けれどその『漫画少年』だって、子供っぽいと世の少年たちから切り捨てられた。出版会社、学習社の倒産。

漫画は子供のもの。けれど彼らの評価はシビアで一切の甘さも感傷もない。面白くなければ終わり。

出版会社の倒産も相まって、各々の進む道が変化してく様が切ない。誰もが漫画家として大成する事を夢見て切磋琢磨していたけれど。それが「皆で一緒に」とはいかない残酷さよ。

 

この作品が、淡々としているようでグッと引き締まっているのは、やはり主人公を本木雅弘演じる寺田ヒロオに据えている所だと思う当方。彼こそが…いわゆる「大成しなかった漫画家」なので。

デジタルリマスター版、今回上映前に本木雅弘氏のコメンタリーが流れたのですが。

「1995年という阪神大震災を始めとした有事があった年に製作されたこと。こういった作品が求めらた時代であったこと。そして25年経った今、また大変な時代にこの作品が再上映されるに至った感慨。」「今でこそ有名な俳優さんたちだが、当時は皆小劇団や自主映画で活躍されていて映画には慣れていなかった。けれどいざ演技となると圧倒的な勢いにたじたじだった。」「皆の兄貴的存在である、テラさんとしての受けの演技がもっと出来ていたら…」といった内容のお話をされていました(かなり当方の意訳が入っています)。

「そりゃあ、25年の月日で様々な経験を重ねておられるんだから…そうやって駄目だししする部分もあるんでしょうが。十分にテラさんの哀愁、感じましたけれどねえ。」鑑賞後、しみじみ「トキワ荘にテラさんありき」を噛みしめた当方。

 

そして。唸るしかない俳優陣。25年前、笑ってしまう位に若い。けれど今となっては有名な俳優ばかり。いやあこれ、トキワ荘の若き漫画家たちの活躍とリンクする。

 

当方的に、後半一気に話の展開を盛り上げたのは赤塚不二夫石ノ森章太郎のアシスタント的な活動がほとんどで、自作の漫画を持ち込んでも「(一言で言えば)暗い」と突き返される日々。それこそ「田舎に帰れ」とまで言われ…とことん追いつめられる。

「あぶねえええ~」天下の赤塚先生が生まれない世界線なんて。天才バカボンもおそ松くんもひみつのアッコちゃんも生まれないなんて。(下手したらタモリすらも…)

 

「でも。そうやって消えていった天才は幾らでも居たんやろう…。」

人気漫画雑誌があって。そこに載るのも売れるのも一握り。しかも何かをすれば確実に売れるなんて保障もない。才能。構成。テンポ。画力。努力。気力…運。

1950年。この作品が公開された1996年。そして今。

紙媒体に留まらず、クリエイターたちが活躍する場は今やどこにでもある。けれどそれは果たして広がったと言えるのか。

 

「自分の漫画を届けたい。ワクワクしてページを読み進める手が止まらない。そんな漫画を描きたい。」

漫画に関わらず。誰かに何かを伝えたいのならばどんなに時代が進んでも、原点は同じ所にある気がする。伸ばすべきは小手先の技術じゃない。そう思った当方。

 

青春時代が夢なんて。後からほのぼの思うもの。青春時代の真ん中は 道に迷っているなかり。

 

武骨で。みっともなくて。真面目で必死に手を動かした。懐かしい…忘れてはいけない。一生懸命に好きな事に向き合うことと…それを共有できる仲間がいるのならば大切にしなければいけないこと。

いつまでも同じ時は続かない。辛かったけれど、後から思い返すとあれは青春だった。

 

想像以上の名作。映画館で鑑賞出来て本当に良かったです。(上映終了しましたが)

映画部活動報告「あのこは貴族」

「あのこは貴族」観ました。
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東京。同じ都市に生きる、二人の女性。

東京生まれの東京育ち。医者家系のお金持ちで「結婚=幸せ」と育てられた箱入り娘の榛原華子(門脇麦)。

20代後半、結婚適齢期。なのに結婚間際の恋人に振られた。慌てふためいて探したお相手探しの結果…とんでもないサラブレッドを引き当てた。

義兄から紹介されたのは、良家の御曹司、弁護士の青木幸一郎(高良健吾)。

とんとん拍子に結婚へと話がまとまる中、幸一郎に見え隠れし始めた女性の影。

一方。富山から大学進学で上京した時岡美紀(水原希子)。

猛勉強した結果、入学に至った慶応大学。なのに経済的理由で学業を続ける事が出来ず結局中退。

大学時代の同級生だった幸一郎とは腐れ縁。中退後仕事に就くも、特にやりがいを見出せず東京に居続けた美紀。

華子と美紀。幸一郎を通じて交差した二人の女性の運命は~。

原作は山内マリコの同名小説。岨手由貴子監督作品。

 

昭:はいどうも。当方の心に住む男女キャラ『昭と和(あきらとかず)』です。

和:棒読み感半端ないな~。元気出していこう!

昭:おなじみ。「当方の心に住む男女キャラに、男女の機微を語っていただきたいと思います」「団子?団子?」「そのきびじゃねえよ!」の下りも省略。だって俺男性キャラやもん。この全編女性視点のお話に俺どうやって絡んでいけんの。

和:まあまあまあ。(溜息)…当方は平均的な経済能力の家庭に育ったし、生まれてこの方ずっと、地方住みだけれどそこまで田舎じゃない。「おら東京さいくだ」的な「東京で一旗揚げてやる!」なんて考えた事がない。だから結局ファンタジーの域を超えないの。主人公の二人どちらにも偏った感情移入は出来ない。この作品には女性が多く登場するし、彼女たちの生きざまが描かれるけれど、決して幸一郎という男性の存在抜きには語れない。そう思うから昭さんにも居て欲しい。

昭:うう…。

和:あと、こういう会話形式じゃないと我々の回は進行出来ないからね。はい、やっていきますよ。

 

昭:この作品は大きく分けると三部構成で。初めに華子、次に美紀。そして最後に二人が交差して羽ばたいていく様を描いていく。

和:華子は医者の娘なんやけれど。今日日こんな女子居る?というくらいのおっとりとした箱入り娘。

昭:「華子ちゃんて何してんの?」姉の紹介で一緒に食事した男性。現在無職の華子。それを「今は家事手伝いです」。「家事手伝いって何してんの?」「音楽を聴いたり刺繍をしたり(細かい言い回しうろ覚え)…」そりゃあ男性がああいう小ばかにした態度になるのも分かるよ。世間知らずでたいした事出来ないんやろうなって。実家に寄生したニートを体のいい言葉で繕うなよと。

和:金持ちで三姉妹の末っ子。エスカレーター制のお嬢様学校に通って、良妻賢母になるべく躾けられた。20代後半で同級生で結婚していないのは自分と友達の相楽逸子(石橋静河)の二人だけ。逸子はプロのバイオリン奏者で海外を拠点にしているからサマになるけれど…私は完全に行き遅れている。

昭:20代で必ずしも結婚、という時代ではなくなっているけれど…女性は…焦るよね(媚)。

 

和:早速お相手探し。手あたり次第に行動してみたけれど。結局義兄から紹介された相手が一番安心出来た。超ハイスペック男子登場。弁護士の青木幸一郎。一目ぼれ。

昭:政治家を何人も排出している一族。金持ちの中でもまた格が違う天上人。今は弁護士だけれど、いずれは政界進出間違いなしの御曹司。

和:何回もデートを重ねてクリスマスの夜にプロポーズされた。これで私も幸せになれる。安心安定の人生。そう思った日。眠っている幸一郎のスマホ画面に現れた「時枝美紀」からの親密なメッセージ。

 

昭:富山の田舎から上京してきた美紀。慶応大学に進学した彼女が目にしたのは「内部生」と「外部生」による慶応内格差社会だった。

和:小学部や中学、高校から内部進学で大学に進んだ生粋の金持ち(当然頭も良い)。ただでさえお金のかかる私学なのに、ずっとその学費を払える家庭環境の子供たち。同じ学校に通いながらも世界が違う。

昭:同級生の頃にちょっと関わった。それだけだったのに、社会人になった幸一郎と再会して以来、随分長い間ずるずると関係が続いている。町の中華屋で落ちあい、ビールを飲んで。時々体を重ね。パーティの場を華やかにするために幸一郎に呼び出されると、コンパニオンよろしく振舞う。

和:つまりはさあ。幸一郎は『華子』というトロフィーワイフをゲットして。けれど華子には出来ない穴埋めを『美紀』に求めている。そういう事ですよね?

昭:なんで俺に確認するんだよ。

 

和:華子と美紀。都会育ちの箱入り娘と田舎から飛び出してきてお疲れ気味女子。メインはその二人だけれど、二人の友達、逸子と里英も印象的だった。

昭:先述した、プロバイオリニストの逸子。サバサバした性格で、パートナーは居るけれど結婚にはこだわらない。それは自身の両親が仮面夫婦であったことも関係していると…けど俺…逸子の行動には矛盾を感じたな。言ってる事とやってる事が違う。

和:どういう意味?

昭:すみません。今回色々ネタバレしますけれど…幸一郎と美紀の関係にうっすら気づいていた。けれど何も言わなかった華子に幸一郎と美紀の関係を告げたのは逸子。華子と美紀を引き合わせたのも逸子。

和:待ち合わせより少し前に美紀と落ち合って、「今から幸一郎さんの婚約者が来る」「でも決して二人を戦わせたりするつもりじゃないの(言い回しうろ覚え)」そもそも美紀だって華子の存在はこの時が初耳。一方的な銃撃戦。

昭:結局逸子は何がしたかったんだ。「こんな男っているよね」という己の価値観を何故親友に押し付けないといけないんだ。…いやまあ…物語の展開として二人の女性が出会わなければいけないからやけれど…この会合の流れは個人的に不自然極まりなくて腑に落ちない。結局美紀に撤退させているだけやし。

和:華子は一見世間知らずだけれど、決して弱くはないんよな。自分と一緒に居る時の幸一郎は全てを見せてくれている訳ではないと感じている…だからこそ、自分とは違うタイプの女性が現れた時に「幸一郎さんてどんな人ですか」と聞ける。余裕がある。みっともなく取り乱したりしない。肝が据わっている。

昭:「幸一郎は悪い人ではない」美紀が華子に告げた少ない言葉の一つ。婚約者が居て。けれどずるずる関係を続けている女が居る。単純に言えば二股だし不誠実。けれど…その根底にあるものは狡さではない。俺はそう思う。青木幸一郎という人物のバランスを保つためには仕方がなかったんやと。

 

和:この作品は主に女性にスポットが当てられていて。都会。地方。お金持ち。平凡。既婚者。未婚者。エトセトラエトセトラ。色んなステータスを比較しながら、それらが交わったり交わらなかったり。苦しい時もあるけれど、決して苦しいばかりではない。

多くの人が集う東京という街で彼女たちがどう生きているのか。誰かに依存せずに生きていくということ。ふと視点を変えると、今まで見ていた馴染みの景色はガラッと変わる。

昭:スポットは女性が多いけれど。幸一郎もまたもがいて生きている人間の一人なんよな。彼は特別嫌な奴じゃないし奢った人間でもない。生まれ育った環境で固まった価値観の中で一生懸命に生きている。決して起用なタイプじゃない。しかも肝心な日は大体雨が降っている。ついてない。(女子がふんわり薦めてくるファンタジー映画…気乗りしなくても一応は観る価値ある。幸一郎よ『オズの魔法使』は名作やぞ)

 

和:どの登場人物にも少しずつ馴染めない部分があって。分かる部分もあるけれどどこかでふっと肩透かしに合う。そう思う中。どこまでも逞しくて好感が持てたのが、美紀の同郷の友人、平田里英(山下リオ)。

昭:慶応進学で一緒に上京した里英。彼女のガッツと行動力。あれこそ「サバサバした女子」だよ。俺一番好きやったね。

 

和:もうどこで幕が降りてもいいな。そう思っていた終盤。でもそう思っていたら…一番最高な瞬間にラストを持ってきた。最後に昭さん、あれどうでした?

昭:また君に~恋してる~。

和:坂本冬美!!

映画部活動報告「春江水暖」

「春江水暖」観ました。
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中国杭州市、富陽。大河、富春江が流れ風情のある町。しかし富陽地区は現在都市再開発の真っただ中にあり。かつての住居群は壊され、住民達の移転が次々と決まっていた。

願(グー)家の家長である母親ユ―フォンの誕生日。高齢の母親を祝う宴に集まった4人の息子とその家族、親族たち。しかしその最中に脳卒中を発症し倒れてしまったユ―フォン。

楽しかった宴から一転。その後の治療により一命は取り留め回復したものの、認知症を患い、介護が必要となってしまった。

『黄金大飯店』という中華店を営む長男のヨウフ―。漁船で生活する次男のヨウルー。ダウン症の息子カンカンを男手一つで育て、借金まみれの三男ヨウジン。独身生活を気ままに過ごす末っ子ヨウオン。

恋に落ち、結婚問題に直面する孫たち。

とある大家族三世代の生きざまを、豊かな四季を絡めた圧倒的画力で描き切った作品。

 

「なんという美しい作品を観たのだろう」「中国といえば山水画。その世界観を実写の映画から感じるなんて」「引きの画像で延々と続く横スクロール。ロングショット」「主人公達だけじゃない。その川沿いで暮らす人々の日常が同時に描かれる。そのあまりにも自然で生き生きとした様よ。なのに散漫にならないし、観ていて全く飽きない。寧ろずっと観ていられる」

当方手放しの大絶賛。溜息をつきすぎて酸欠状態。兎に角画力が半端なくて。眼福とはこのこと。ですが。

 

「ここから先、当方がこの作品に関して感じた事を書き進めると雲行がおかしくなりそうな予感しかしない…」

先んじてお詫びするとと共に。大声で叫んでおきたい。「当方はこの作品が大好きなんですよ!」と。

 

作品を鑑賞中にふと過った既視感。そして脳内で振り返るにつれて、当方の脳内に蘇ってきたあるテレビドラマ。

橋田壽賀子脚本。石井ふく子プロデューサー作品『渡る世間は鬼ばかり』。

1990年~2010年まで。通算10シリーズに渡って放映されたTBS制作の家族ドラマ。

岡倉大吉・節子夫婦の5人娘たち。彼女たちが各々伴侶を見つけ家族を築き。そこで巻き起こる…主に嫁姑問題。

しかしシリーズを重ねるうちに、今度は彼女たちが姑の立場にシフトしていく。

多感な子供時代~20代。実家で反強制的に見せられていたあのフラストレーションの溜まるドロドロ家族ドラマ。(以降『渡鬼』と略します)

 

何故『渡鬼』を思い出したのか。

長男が営む中華料理店…あのゴチャゴチャした…従業員が黙って仕事をしていない感じ。「あれ?…幸楽?」

互いに好き同士で結婚したけれど、その親には苦労をさせられた。だから自分の娘にはいい人(金持ち)を捕まえて欲しい。そう思うが故に、娘の恋路を邪魔し意固地になる母親。

「彼は良い人じゃないか」「あんたは本当に役立たずね」

夫婦の寝室で。部屋着で寝そべりながら娘の彼氏を誉める父親に、三面鏡の前で顔面泥パックしながら辛辣な言葉を投げつける母親。「どこの角野卓造泉ピン子だ」この光景は散々お茶の間で見た覚えがある。

(散々茶化しておいてなんですが。当方は勿論『渡る世間は鬼ばかり』は面白いドラマだったと思っていますよ。癖が強かっただけで)

 

認知症を患った母親。高齢で介護が必要。結局長男のヨウフ―が一旦引きとったけれど。次男のヨウルーたちは長年住んでいた家の立ち退きに応じ、現在はほぼ船上生活。再開発の高層マンションの見学に数回行くが決めかねている状態。しかも息子のヤンヤンが結婚寸前で、お金はそこにつぎ込みたい…なのでヨウフ―に資金協力など出来ない状態。

三男のヨウジンは常に借金を抱え金欠状態。その内情は体の弱い一人息子カンカンの治療費だったりするけれど…ヨウジンのせいでヨウフ―の店が借金取りに荒らされるなど、迷惑極まりない。

末っ子ヨウオンは…この作中では存在感が薄かった印象。「お前もいい加減身を固めろ」と紹介された女性と何だかイイ感じに転がりそう。

とまあ。各々の状態に目を向ければ、皆ギリギリの場所で踏ん張って生きている。生活もジリ貧で余裕なんてない。

 

けれど、そんな中の清涼剤。長男ヨウフ―の一人娘、グーシーの恋。爽やかの極み。

地元で働く教師ジャン。ちょいポチャの好青年。この二人のデートがもう…至高のロングショット。富春江を二人で歩き、泳ぎ、手を取りながら互いの事を語り合う。このシーンがどれだけ続いても良い。ゆるゆると一定の速度で移動しながら追い続ける。まさに絵巻。どうやって撮っているのか…船?船から?

 

どうしても我が子の恋を応援出来なくて、一旦は親子の縁が切れてしまった。

息子の命を救いたいばかりにアウトローに足を突っ込んだ。結果取り返しのつかない事になってしまった。

もう無理。身内なんて知らない。

けれど…そんなちぎれかけた絆を再び繋いだのは一族の家長、ユ―フォンだった。

 

何故か話を振り返ろうとすると『渡鬼』が過ってしまう部分もありますが。

再開発が進む寂れた歴史ある町と、そこに住む大家族三世代。彼らに流れた時を淡々と描く。ちょうどいい塩梅で深追いはしない。けれど絡み合い、また最後は再び一緒にいる。なんて観ていて気持ちが良い作品。

 

「ああ。この世界が終わってしまう…」

そんな寂しさに包まれたラスト、画面右下に現れた『一の巻 完』。

大体の作品に対して「続編は結構です」という感想を持ちがちな当方に珍しく湧き上がった続編に対する期待。これは観たい。

 

この作品が長編デビューだったという、グー・シャガン監督。彼の美しい絵巻の続きを…首を長くして待ちたいと思います。