ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「判決、ふたつの希望」

判決、ふたつの希望」観ました。
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レバノン。シアド・ドウエイリ監督作品。

キリスト教徒トニーとパレスチナ人で工事現場の現場監督ヤーゼル。

きっかけは本当に些細な事だった。けれどそこで起きた傷害事件を発端に。「謝れ」「嫌だ」。次第に「これは人権侵害だ」「何を言うか」二人の意見は法廷に持ち込まれ。そこで繰り広げられる、両者弁護人による代理戦争の勃発。遂には国家を揺るがす大論争へと発展していく。

 

レバノン」「パレスチナ難民」「移民問題」ニュースなどでちらほら見掛けるけれど。案の定世界情勢に疎い当方。しどろもどろ。

(ところで。当方は一体何の分野なら胸を張って語れるのでしょう?このお決まりの『当方はよく分からんのですが~』の下り。我ながら情けなくなります。…とは言え。そういう『普段興味を持って追及していない部分』を見せてくれて、思いを馳せられるのも映画の良い所だと思います。THE開き直り!)

けれど。そんな情勢を一切分かっていなくても。非常に楽しめる(言い方)。そして分かりやすい作品でした。

 

自動車整備士のトニー。妊娠中の妻と二人暮らし。けれど妻は今の生活と、ごみごみして暑苦しい今の町も正直気に入らない。「貴方の実家のある村に引っ越しましょうよ」。けれど。「このアパートを買ったばかりだぞ。」「絶対にあそこには戻らない。」声を荒らげるトニー。

冒頭。そうした夫婦の喧嘩中。暑さも相まって苛々しているトニー。加えて近所一体で行われている工事の音も煩く腹立たしい。

時を同じくして。工事現場を見回っていた、現場監督のヤーゼル。

「何だ此処。違法建築だらけだな」ふと見上げると、アパートの雨どいがおかしい。建物からただ突き出しただけの排水管。これではあのアパートのベランダからの水がその下を歩く人間にかかってしまう。

とっさに雨どいを修理するヤーゼル。しかし家主であるトニーに無断で工事をしてしまったため、逆上したトニーに雨どいを破壊されてしまう。

「善意とは言え。無断で工事はいけない」そして事を荒立ててはいけないと、責任者と共にトニーの元に謝罪に向かったヤ―セル。しかし、そこでのトニーの態度と雰囲気に謝罪の言葉が出せず。そんなヤ―セルの態度にトニーが放った「お前らなんかシャロンに殺されればよかったのに。」

その言葉を受け。トニーに殴りかかるヤ―セル。結果ろっ骨を二本折る怪我を負わせてしまう。

 

~という所から。まさかの法廷劇が始まるのですが。

 

れっきとした傷害事件。骨折させられた。しかもその後のオーバーワークに依って病状は悪化。加えて妻はショックで早産。生まれた子供は未熟児で危険な状態。

その側面だけ見れは、暴力を振るったヤ―セルが悪い。しかし。

「何故ヤ―セルは暴力を振るったのか。」

寡黙で真面目。実直さは折り紙付き。仕事ぶりも丁寧で信頼が於ける。そんな彼が何故。

 

シャロンに殺されればよかったのに」

アリエル・シャロン。1982年のレバノン侵攻を指揮したイスラエル元国防相

当方は、レバノンパレスチナ問題についてあまりにも薄っぺらい知識しか持ち合わせていないのでバッサリ割愛しますが。

パレスチナ難民であるヤ―セルにとって、それはどうしても聞き逃す事の出来ない言葉であった。

 

「これ。どう着地するつもりなんやろう…。」

 

トニーとヤ―セル、両者に就いた弁護人。(いくら何でも世界が狭い!)本人達が「いや。俺も悪かったし…」と言おうものならば「私に任せたんだろう?」「勝ちに行か無くてどうする」「法廷は戦場だぞ」最早弁護士同士の代理戦争の様相も呈してきたり。

 

「とは言え…殴られたのはトニーだろ?」そう聴いていた傍聴人たちも。件の「シャロンに~」の言葉がきっかけであったと知るや否や。各々の感情が爆発。

「確かにトニーは殴られた。けれど言葉だって立派な暴力だ。」

普段からため込んでいた憤懣が二人の対立する構図に沿って巨大化。次第に夜中トニーの店が襲撃されるなど、二人の生活も脅かされる。そして遂には現首相が仲裁に入る事になって。

 

「なんか。スケールが大きくなっていく事で取返しが付かなくなっているな…。」

 

もう途中位から互いを許していたと。そう思う当方。ただ。事は余りにも大きくなり過ぎた。けれど。この裁判は決して茶番ではない。

 

何故とっさにあんな言葉が口から出たのか。どうしてとっさに手が出たのか。この国にかつて起きた事。そして今起きていること。どこに心を痛めているのか。怒りを感じているのか。

 

この裁判を通して。「一体自分はどう思っているのか」を懇切丁寧に振り返る事になった。そしてそれは同時に「相手はどう思っているのか」を知る事にもなった。

 

「トニーは一見カッとなりやすくて乱暴に見えるけれど。彼もまた、自分の仕事をきちんとやり遂げる人間なんよな。」

 

当方が好きなシーン。物語の終盤、エンストしたヤ―セルの車を黙々と修理するトニー。

 

これまでの人生で起きた悲しい事。決して忘れられない恐怖。そこからくる相手集団への嫌悪感、憎悪。正直それは消すことは出来ない。けれど。

その集団に属する者すべてが悪者ではない。あくまでも個は個であって、背景で個を塗りつぶしてはいけない。

 

「私たちは原点に立ち戻り、正しい判決を行う事にしました。」(言い回しうろ覚え)

そうして下された判決も納得出来たし、そして二人の間で付けた落としどころも良かった。これで良かった。

 

「流石にこれだけ大事になったからあれやけれど…二人の間に友情が芽生えた感じすらした。」

こんなにも『大風呂敷を畳む』事に成功している作品に。胸が一杯になる当方。

 

ところで。冒頭「これはフィクションであり、レバノンの答えではありません(言い回しうろ覚え。当方意訳)」というテロップ。

 

この作品の持つ『多様性に於ける個の容認』というメッセージ、非常に分かりやすく沁みたのですが。

これを本国レバノンの人たちはどう見たのか。どう感じたのか。

 

寧ろそこが気になる当方です。

映画部活動報告「1987、ある闘いの真実」

1987、ある闘いの真実」観ました。
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韓国民主化闘争。1987年の『六月民主抗争』を描いた作品。

軍部政権下の韓国。しかし国民の民主化思想は次第に高まる中。来年にはソウルオリンピック。そんな1987年初冬、ソウル大学生が警察公安部の拷問尋問により死亡する。

秘密裏に処理しようとする警察。しかし。

死体火葬を阻み。解剖する事を譲らなかった検事。そして事態をかぎつけた報道陣。次第に綻び、燻っていく警察内部。終いには国家を揺るがす民主の暴動へと発展していく。

 

警察所長。暴力班長。検事。新聞記者。看守。女子大学生。互いに立場の違う六人を主軸に。

発端はある大学生の不審死。しかしそこから彼らの物語が絡み合い。うねり。結果、とんだスぺクタル超大作に仕上がっていました。

 

最近で言うと、1980年の光州事件を題材にした『タクシー運転手~約束は海を越えて~』の記憶も新しい。韓国の近代史の映画化。

「ところで何故今こういった作品が続々公開されたのか?」と思っても「前政権と現政権の思想的な云々…」当方はややこしい事はよく分かりませんし、恥ずかしながら韓国民主化闘争自体も最近になって知って調べた次第。

なので。付け焼刃な知識故、「ん?違うで」と思う所があると思いますが。そこは生暖かい目で見てもらうと幸いです。

 

韓国軍事政権。言論、思想の自由がはく奪され。それに対し大声を上げれば「出る杭は打たれる」『アカ』と目を付けられたが最後、拷問、投獄。そんな時代。

しかし押さえつけにも限界が来る。民衆の不満。そこに真っ先に食いついたのが当時の大学生達。当然社会人で賛同、協力した者も居たが…如何せん彼等には社会生活や家族を養う義務があった。

とは言え。次第に高まる社会全体のフラストレーション。1980年の光州事件はくしくも事態の突破口にはならなかった。そうして七年。

 

きっかけはソウル大学生の不審死。警察内で暴行に依って死亡した。それをいつも通り速やかに処理しようとした警察と。そうはさせるかといよいよ立ち上がった検事。わざと記者に情報を漏らした内部者。これこそが真実だと燃え上がる報道陣。

物語の前半。絶対的な強さを見せた警察と国家VS民衆。そうして始まった勝てそうにないオセロが。中盤、終盤に渡ってパタパタと裏返っていく。

 

この作品に対し、韓国近代史及び韓国俳優陣等、造詣のある人物が。ああでもないこうでもないと考察してくれるのでしょうが。

特に何も持たない当方が、知ったかぶりをして語るのは恥ずかしいので。当ブログの原点通り拙い感想文、ひいては『思った事』をつらつら書いていきたいと思います。

 

「この時代を生きた人の、リアルはどこだ」

 

話がズレますが。日本映画に於ける『戦争映画』という分野の画一的な流れ。「辛い。苦しい。こんな事は二度とあってはいけない」

それを変えたのは『この世界の片隅に』だったのは間違いないと思う当方。

日本は第二次世界大戦で負けた。敗戦国。多くの命が奪われ。戦争や暴力は何も産み出さないという教育を戦後に生まれた当方達は受けた。

当方もまたその思想事態に揺るぎは無いし、「じゃあ竹やり持って誰かを殺してこい」なんてミッションは不毛。絶対に受けたくない。ただ。

「戦争はいけない事だ」それだけでは人は納得しない。「過ちは繰り返しませんから」どこが過ちなのか?一体何を間違ったのか?

「戦争が間違いで愚かであっても。その当時の人たちが愚かな訳では無い」

当方が気になる人達。特に市井の人とされる民間人は?果たして有事とされた戦勝中、どう暮らしていたのか。何を考えていたのか。

(その視点が初めて描かれたのが『この世界の片隅に』だったと思います)

戦争に対してどう考えていたのか?家族が戦地に向かう時。家を。家族を失った時。彼らはどう解釈したのか。「嫌だった」「辛かった」その通り。でもそれだけ?他には?

 

この話は長くなりますので。やんわりフェードアウトしながら、この作品についてを絡めていきますが。

 

登場人物が多い中。誰もにしっかりピントを合わせて。そうして六人のバトンを渡していきながら物語は最高潮に達する。非常に上手い作り。何も知らなかった当方にもコトの経緯が分かりやすいエンターテイメント作品。けれど。

 

「当方が特に重要だと思ったのは『女子大生ヨニ』と『パク所長』だ。」

 

大学に入ったばかりの普通の新入生。母親と叔父さんの三人暮らし。実は民主化運動家との連絡役、という裏の顔を持つ叔父さんに頼まれて時々お使いを頼まれるけれど。至って普通の女の子。周りではデモだの騒がしいけれど。そういうの危ないし、関わりたくない。(彼女の父親はどうやらそういった活動絡みで命を落としている感じでしたので。決して普通ではなさそうでしたけれど)なのに。

初めての合コンだと浮かれていた日。デモと機動隊の騒動に巻き込まれ。そこで出会った年上の青年に一目ぼれ。けれど彼は活動家で。

 

ごくごく普通の女子大生。その目に映っていた1987年。そのリアルを知りたい。お話としては彼女は物語のバトンの最終ランナーとしてしっかり役目を果たしていましたが。どうしても。どうしても当方は知りたかった。『普通の女の子の視点』を。

 

そして『パク所長』。

圧倒的ボスキャラ。梅宮辰夫系ビジュアルでどっしり構え。『お国の為』なら何でもする。甘っちょろい信念等笑止。少しでも歯向かおうものならば「家族がどうなっても良いのか」と脅し。

清々しい程のぶれない悪役。けれど彼の背景は『脱北者』というステータス。かつて裕福な家庭で育った彼はそれ故に目の前で家族を皆殺しにされた。その後北から脱北。以降国家に忠誠を誓っている。それ故の行動。分かりやすい。

 

「何故こういう事が起きたのか?」

当時の軍事政治は何だったのか。どうしてそうなったのか。そして軍事政治を支えた人たちの信念は何処にあったのか。韓国の人たちには周知の事なのかもしれないけれど。昨日今日この事を調べ出した当方にはよく分からない。けれど。

パク所長の思考は分かりやすい。かつて彼らは『お国』を守っていた。なのに。それ故の行動はいつしか『お国で暮らす人たち』を守るものでは無くなっていた。結果、守っているものは『自分たち』でしか無くなった。

 

「ただ。そんな政府に対しての感情は。市井の人たちのリアルな感情は?」

辛い。苦しい。嫌だ。そういう思いが決壊して。民衆の怒涛の感情が当時の政権を揺るがした。そういう流れ。そういう流れが起きた。それが結果だけれど。そこまでの民衆の感情が決して同じだったとは思わない当方。

立ち上がった人が居る。けれど。立ち上がらなかった人も居る。何が起きたのか分からなかった人も…きっと居る。それどころでは無かった人。嫌悪感を感じた人。皆が同じでは無い。

 

後から生まれた者は、先に起きた事を知っている。それに対する先人達の解釈も。

 

けれど。それを単純に丸のみしてしまっては物事の深みを失ってしまう。

何故そういう解釈に至った。何を間違ったとし、何を選択してそうなった。それをしっかり知らないと。すっ飛ばして答えだけを知ってしまっては、同じような事が起きた時に同じことをなぞってしまう。

 

正直、この作品が非常に優れたエンターテイメント大作であると受け止めながらも。どこかで「主人公たちの行動が画一的ではないか」とも過ってしまった当方。

 

後付けの倫理観で登場人物達の行動が構成されていないか。「そんな事言ってたら話がまとまらないよ」とは当然思いますが。

 

終盤怒涛の盛り上がりを見せる中、「あのソウル大学生の家族は?」「靴屋のおばちゃんは?」「ヨニの友達は?」今どうしている?

そんな人たちの顔も過った当方。

パク所長は悪。けれど彼の信念の出どころは?憎っくき警察は?

その当時の人達、彼らの思考について。知りたい。リアルな当時の声を。正しいとか正しくないとか、後からなら何とでも言える。

正義は時代の背景で幾らでも変わる。

 

物語は一つの形として集結した。オセロは終わった。けれど。

 

ただ面白かったではなく。そこから派生する物語に思いを馳せたい。知りたい。

 

何だかとんでもないものを観てしまったという気持ちで一杯です。

映画部活動報告「SPL 狼たちの処刑台」

「SPL 狼たちの処刑台」観ました。
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香港映画。『イップマン』シリーズ、ウィルソン・イップ監督作品。

 

「随分とまあ。威勢の良い作品が来るな」「何この動き」「サモ・ハン・キンポ―」「ムエタイの神?」

最近すっかり通う事の多くなったシネマートで見掛けた本作予告。気になって。

公開翌日。いそいそと観に行ってきました。

 

香港の警察官リー(ルイス・クー)。父一人子一人。しかし愛情いっぱいに育てていた一人娘のウィンチ―(15歳!!)が誕生日の日に彼氏の存在とその子を妊娠している旨を報告してくる。当然逆上。彼氏を未成年淫行の罪で逮捕させ、子供を堕胎させるリー。

傷心。一人タイのパタヤに住む友人を訪ねるウィンチ―。友人は彫り師をしており、とあるメッセージを自分の体に刻む為の訪タイであった。しかし。

パタヤでウィンチ―が誘拐されたという一報を受け。「自らの手で娘を奪還しよう」と決意。単身タイに乗り込むリー。

 

地元パタヤ警察のチュイ(ウー・ユエ)に捜査に同行させて欲しいと懇願。同僚警官タク(トニー・ジャー)の三人で捜査を進めていく。

しかし。ウィンチー誘拐には国家ぐるみの臓器売買組織が絡んでおり。パタヤの地元警察もがっつり関わっていた。

果たしてリーは愛する娘ウィンチ―を無事連れ戻す事が出来るのか?

 

という事をやっておられました。

 

当方は…学生時代は陸上部(短距離とリレー選手)に属し。体育分野に於いて足の速さでは困った記憶はありませんでしたが…球技とダンス系、水泳が駄目でした。(動体視力の遅さ。絶望的なリズム感。水温に直ぐに体温を奪われ、震えすぎて長時間の水中生活が出来なかった等)まあ、総じて言うと足は速いけれどどんくさい子供だったんですよ。勿論それは今日にも至りますが。

 

なので。「こんな動きが人類には出来るのか!!」の連続。「え?これ怪我とかしてないの?」「死んじゃうよ~。死んじゃうよ~。」「今日は~倒れた~旅人たちも~生まれ変わって~歩き出すよ~って早!立ち上がるの早!」「人間ってこんなにバネみたいな動きするの‼」概ねアクションに関してはその繰り返し。

語彙力が無いので…特に見どころは…あの雑居ビルでのムエタイの神(タク)と最終の工場でのチャンバラ(チュイ)ですかね。アクション関連は。後は皆様総じて凄まじい身体能力でしたけれど…「主人公リー役のルイス・クーの端正な佇まい。松平健を若くてシュッとした感じの男前。そして現地警察官チュイ役のウー・ユエの溢れんばかりの色気。アジアの俳優も捨てたもんじゃありませんな!」という何様だという感想。

 

まあ…何だか歯切れの悪い感じでここまでつらつら書いてきましたが。

 

これ、全面アクション&ノアール作品なんですが。一応のテーマは「命の重さは誰が決めるの?」(当方意訳)

 

15歳の少女が異国タイで誘拐された。しかしその正体は国家容認の臓器売買組織。しかも警察が堂々と関与。タイでは主に足の付かない旅行者などがそういう目的で誘拐されてきたと。

臓器売買の実態…ネットやあくまでも架空の物語でしか聞いた事が無い。ただ…何となく闇で臓器を取り扱っているのはアジアの国が多い印象がある。何故なら、臓器移植は高度な医療とその国それぞれの倫理観があるから。

その闇間を潜るのが、雑多なアジアの国々。

 

とはいえ。そんなお堅い事を言ってはお話に浸れない。タイで臓器売買って…『闇の子供たち』で散々怒られたのになあ~なんて思っていたら。

『市長が心臓発作を発症。急な心筋の病気であり、心臓移植しか助かる道はない』

「はああああああ~?」本当に小声が口から出てしまった当方。「心臓移植う?」

「腎臓じゃなくて?心臓!」「何急な心筋の病気って。心臓移植って拡張型心筋症とか肥大型心筋症でしかも子供が優先対象じゃ無かったっけ?(これはうろ覚え)あんたのはせいぜい心筋梗塞やろう」「心臓手術って多くの医療スタッフとお金が要るから、流石に闇では無理やろう。」「医療従事者の倫理観も見くびられたものよ!」

激しいアクションが繰り広げられる中。時折挟まれる『いくら何でも絵空事』過ぎる設定に引っかかりすぎて集中力を失う当方。

(今さらっと調べましたけれど。タイの心臓移植手術は1897年から開始。けれど極めて高度な技術と術後のフォローも要する事と。現在腎臓移植は26施設。心臓は6施設。肺は2施設で移植手術に対応しているとの事)

 

後ねえ。「命の重さは誰が決めるの?」ですが。当方の私見ですが。「如何なる職種に於いても代理は存在するが、家族にとっては代理は存在しない」と思っています。

 

現実に。かつて国家の総理大臣が急病に倒れ命を落とした。そのこと自体はお悔やみ申し上げるけれど。やっぱり即日には総理大臣代理が誕生した。そういう事。一見どんなに重要なポストに就いている重鎮だって。その命と引き換えにする命なんてない。命に重いとか軽いとかは無い。けれど。

 

それはあくまでもオフィシャルな話。自分の家族だったら?自分の大切な人が息絶えそうだったら?そしてその命を救える存在を見つけたら?見つけてしまったら?

 

主人公のリー。愛する娘を救う為なら何でもする。それがたとえ相手の命を奪いかねない暴力であっても。娘の為だから。そして娘の為に、娘のお腹に宿る命を奪った。

 

「命の重さは誰が決めるの?」

 

正義の定義は主観に依って幾らでも変わる。リーにとっては娘の為なら。けれど。命が絶えそうな市長とその支援者にとっては?そして現地警察官にとっては?

 

「愛する者を守るという事は?」

 

時折見せるその倫理観と哲学に。ふと想いを寄せたいけれど…如何せん『びっくりnot医学監修設定』に直ぐ様気持ちを持って行かれる当方。

 

「そんな工場の一角でまさかのクリーン手術が」「もういっそ他の臓器も他の患者に渡したらいいんじゃないですか?」「そののこぎりなんですか」「えっ。市長の家、どういう設備なんですか?」「『ゲット・アウト』展開?」「まさかまだ手術当日ですか?」「酸素を扱う部屋で銃とか撃つな!爆発するぞ!」最後の最後まで。泣く暇無し。

 

良いアクション映画やったと思うんですけれどね。如何せん…集中出来なかったです。

映画部活動報告『SHOCK WAVE 爆弾処理班』

『SHOCK WAVE 爆弾処理班』観ました。
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香港映画。アジアのトップスター、アンディ・ラウ主演兼プロデューサー作品。

 

香港警察『爆弾処理班』。その中でもトップクラスの処理能力を持つチョン警官(アンディ・ラウ)。

爆弾を使う犯罪グループに潜入。一気に摘発、逮捕に至るが、グループのトップであるホンを取り逃がしてしまった。

それから一年半。じわじわと姿を見せ始めるホン。狙われる爆弾処理班の仲間や上司。そして遂に「海底トンネルに1000キロの爆弾を仕掛けた」「トンネルに閉じ込められた香港市民が人質だ」「香港市民の命を助けるには身代金を払え」「タイムリミットは48時間だ」との犯行声明が告げれられる。

それはホンに依る、チョン警官と香港警察への復讐であった。

 

「近年稀に見るバブリーな映画よ。」「香ばしい。」「最後のどんちゃん騒ぎ。痺れる。」「と思えばまさかの…。」

 

感情のジェットコースター。冒頭の「パージのバッタもんかな?」みたいな仮装をした男達に依る銀行強盗から。西部警察並みの大爆発をかましながらのカーチェイス。飛ばしまくりの『チョン警官の潜入捜査』。一斉逮捕。当方満面の笑み。これは面白くないはずがない。

 

基本的には『カッコいいアンディ・ラウ』『漢達のララバイ』という話なんで。

 

「町中に戦争時代の不発弾発見!」「周囲何キロの住民を避難させろ!」からの、観ているこちらも息を呑んでしまう緊張感たっぷりの爆弾処理シーン。

「後何分で爆発する!」「よし!それならいける!」と。上司と二人で車に乗り込んで。かっ飛ばして海に爆弾を投げ込むハッスルタックル。

「手榴弾のピンを抜いてしまったとしても、手を離さなければ爆発はしない。そう。女性の手の様に…。」なんて「講義に紙コップドリンクを片手に講釈を垂れる気障」なんかも見せてくる。何て香ばしい。

 

そして。ともすれば漢達の友情物語になりかねない所を。「クラブで自棄自暴になって泥酔していた女性をあくまでも紳士にお持ち帰り。そしていつの間にか恋人に昇格。」という警察官が最も落ちなさそうなヒロインゲット。

 

終始大真面目。ふざけているシーンなんか一切ないのに。何だかシティハンター系のキザったらしさを感じる当方。(全然伝わらないと思いますが。褒めています、好きだと言ってるんですよ。)なんて言うか…バブリーなんですよ。

 

独特の間。ちょいちょいアンディのキメ顔をスローに決めてくるのも癖になってくる。

 

そうやって楽しんでいるうちに。外堀を埋められて最終『海底トンネル爆破予告事件』へと話は転がっていくんですが。

 

犯罪集団のボス、ホン。
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芋洗坂係長をシュッとさせた様な風貌。(今改めて画像検索しましたが。当方の脳内芋洗坂係長は随分男前に修正されていました)

そんなちょっとぽっちゃりの可愛い顔立ちとは裏腹に。結構クールな爆弾犯。

きっちり時間を区切って。それまでに警察が要求を呑まなければ、容赦なく人質を殺していく。

でもねえ。ホンの奴。敵と見なした相手には非情ですけれど。対する身内への情の厚さよ。

そもそもの要求も「トンネルに閉じ込められた市民の身代金」と「潜入捜査で捕まった実弟を返せ」の二本立てですからね。そしてチョン警官に対しても「可愛がってやったのにお前!裏切ったな!」という「信じらんない!バカ馬鹿!」ですからね。

なのに。捕まった時は「俺の兄貴が黙っていると思うなよ!」と吠えていた弟が。いざ刑務所から移送するとなったら「もう兄貴には会いたくない。」「俺は刑務所で神に出会って救われたんだ。」まさかの『親分はキリスト様』状態。

そうなると。ホンの身内愛が何だか不憫な様相を呈してくるし…そして何よりも悲劇だったのは(文字通り)満身創痍におちいった弟。

(よく考えたらホンの奴。潜入捜査はされるわ、弟には見切られるわ。挙句今回の仲間達…とことん信頼出来る仲間に巡り合えないなあ。オー人事に相談した方が良いんじゃないですかね)

 

そして。48時間のタイムリミットを前に。散々もだもだしまくった、香港警察とホンのトンネル前での交渉から遂に。もう笑ってしまう位の事態の決壊。やりたい放題。

一体ここまで警察は何を守ったのだろうか、という思考も吹き飛ぶどんちゃん騒ぎ。近年のパニックホラー『キャビン』のドリフ感さながら。「もう面倒くせえ!突入!」と言わんばかりの怒涛の畳み掛け。

そして逃げ惑う人々の中を。流れるように動くストレッチャーと。その顛末に声をだして笑ってしまった当方。(不謹慎)

 

「あの。『29歳問題』にも出ていた青年は…染谷将太似の若き警察官は…OBの皆さんの見せ場は?あの腕時計は??…犬死にかあああ!!」そんな衝撃の投げっぱなし案件。気になりましたけれど。
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(大体、車から警察官が降りてきたら。同乗している男たちは一体何者かと思わないもんなんですかね?)

 

そして「そうやった。これは『爆弾処理班』の話やった。」という至高のラスト。あんなに込み入った配線でありながら「切るのは赤か。黄色か。」

 

そこからのシーンに。当方の脳内で流れてくる中島みゆきの歌声。「テールラーィ。テールラアア~。」どこまでもカッコよかったアンディ・ラウに無言で敬礼。

 

終始アンディ・ラウはかっこよくて。そして爆発もカーチェイスもアクションも全力。

ハリウッドだのに比べたらスマートさは一切欠けるけれど。そんなもの求めていない。

「だって。これがアジアの。香港映画の泥臭さ。」当方大満足。

 

ところで。チラシを見て気付いたんですが。『PART2の製作も決定!』って。

それはちょっと…ここで止めていいかなあ~と思うんですが…。

映画部活動報告「追想」

追想」観ました。
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2007年発表。イギリスの作家イアン・マーキュアンの小説『初夜』。

ドミニク・クック監督にて映画化。

 

『所謂成田離婚(新婚旅行後即離婚する事)』『婚姻時間六時間だった夫婦』の物語。

1962年。新婚ほやほやのカップル。二人は若く、お互いを愛し幸せだった。なのに。

初夜。たった一度の。そして初めての性生活で二人の夫婦関係は破たんした。

妻フローレンスをシアーシャ・ローナン。夫エドワードをビリー・ハウルが演じた。

 

2007年当時。結構話題になったんでこの小説は当方も読みました。

そこで感じた「おっとこれは…」という印象。から十年以上経った今。映画として再び観た当方は一体何を感じたのか。~というのを、当方の心に住む男女キャラクター『昭/あきら:男』と『和/かず:女』に忌憚のない会話で語って頂きたいと思います。

 

和:いやこれ会話って…。きっついわ。

昭:男女の会話形式ってさあ、性別による認識とかを基に議論を交わすって事やん。 ああでもない、こうでもない。だから男ってやあね。とか女って奴は。みたいな。

和:まわりくどいなあ。つまり私たちの回答は『エドワードが不憫』で一致って事です。以上!マイクお返しします!

昭:流石にそれで終わらすなよ。…ただ。そうとしかなあ~。

和:私は女の立場のキャラクターやけれど。フローレンスの描写が貧弱過ぎて、彼女の行動が推測でしか図れないよ。だから彼女のフォローは出来ない。

昭:まあまあ。怒りなさんなよ。って何今回俺の立場。

 

和:小説を昔読んだ時も思った。ぎこちないセックスをお話全体の中に細切れに挟み込む事でいたたまれない痛々しさは伝わるけれど。そこまでの二人の愛を育む姿とのバランスがおかしいと。

昭:小説を結構忠実に再現したんやなあと思ったね。(原作者が脚本も書いたので当然と言えば当然)会社経営者の娘フローレンスと労働者階級の息子エドワード。二人の出会い。お互い親には苦労していて。でも特に取り上げられるのはエドワードの母親。

和:不幸な事故以降精神疾患を患う母親。美術に造詣が深くて天真爛漫だけれど、その不安定過ぎる病状に家族全体が疲労困憊。そこに現れたフローレンス。母親も含め、次第に穏やかさを取り戻していくエドワード一家。

昭:対するフローレンスの家族が…。かなり重要な背景なはずなんやけれどなあ。ワンマン会社経営者の父親。その暴君ぶりとフローレンスが一体どういう躾けを受けて来たのか。母親も初め達者に対して見下した態度を取っていたし。

 

和:1962年という年代。性に対してオープンでは無かったと思われる時代で。輪をかけて純粋で。性的な事に対して寧ろ嫌悪感を感じているフローレンス。~という描写、薄くなかったですか?

昭:二人で会ってる時、いっつもいちゃついてたもんな。笑い合って、チュウして、抱き合って。それで「私。セックスは出来ないの」って。何だそれ。どういう思考回路?

和:私には答えられん。何しろ中の人(=当方)は『雪山の山荘で男女数名で孤立』というお題に対して『裸で暖め合う』という回答の持ち主やから。まあ…気が動転してああいう事を言ったんやろうと推測するな。

 

昭:この作品に対して座りの悪さを感じるのは、正直『これは壮大なコントなのか』と感じたから。

和:おおっと。思いがけず昭さんからぶっ込んできました。我々の二つ目の一致『これは壮大なコントなのか』問題。

昭:だって。映画の冒頭からのホテルの描写。あのホテルマン達なんて完全にコメディやし。はっきり言うと、これまでの二人の純愛メモリーの合間にぎこちないにもほどがあるセックス描写を織り込んで。そしてあの顛末って。コントなの?これどういう気持ちで観たら正解なの?ってなったやん。

和:小説の時にも感じたこの感情。ただ、私はそれは1973年に飛ぶ瞬間の音楽で答えたと思ったね。

昭:確かにこの作品は音楽のセンスが良かったな。

 

和:1962年パートが終わって。1973年。そして2007年パートは正直すっかり忘れていたので。新鮮な気持ちで観たけれど。ひたすらセンチメンタルで畳みかけていってたね。

昭:もう完全に『ラ・ラ・ランド』の世界。男はひたすら痛みをまとって憂いていって。なのに女はしっかり前を向いて生きていく。なに?あのフローレンスのその後。

和:まあ身も蓋も無い言い方をすると、お堅い処女の初体験はがっついた童貞じゃなくてスマートにコトを運んでくれる相手やったらこんな大事には至らんかったのに、って事でしょう?よっぽど気持ち悪かったんやって。

昭:お前‼!本当に身も蓋も無さ過ぎて爆死するかと思ったやろ!!

和:エドワードにそう言ってやりたい。アンタ不憫やったな。忘れな。って。だってアンタにとっては美しい思い出でもフローレンスにとってはどれだけの恥ずかしい黒歴史か。それを50年も経って姿見せるって。ホラー過ぎるよ。

昭:言い過ぎ言い過ぎ。お前忌憚が無いの意味履き違えてんぞ。駄目駄目もうマイクをお返しします!!

 

当方一人なら。ふんわりオブラートに包んだであろう感情をむき出しにしてくる『昭と和』。…恐ろしい。

はっきりとネタバレはしていませんが。映画本編(できれば小説も)を観ていなければ絶対に理解できない内容になってしまいました。

ですが。この作品を観た方にはこう感じた者も居るはず…と思うんですが。

 

ともあれ。二人が離れていく砂浜のシーン。あの美しさと独特のアングル。あれはピカイチのお薦めシーンでした。

映画部活動報告「カメラを止めるな!」

カメラを止めるな!」観ました。
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2018年。今年夏の社会現象と言っても過言ではない化け物映画。『カメラを止めるな!』。

ENBUゼミナール発。上田慎一郎監督作品。(ENBUゼミナールと言えば、当方は2014年『殺人ワークショップ』白石晃士監督作品を連想します。)

 

6月公開。東京での一週間限定レイトショー作品にも関わらず、観た者達の口コミから火がついて。遂には全国まで公開が拡大している作品。

「何か凄いやつ観た。」「何あれ。」「終始バカバカしいのに、最後には涙が。」「ちくしょう!」そんな悲鳴にも似た感想の断片を目にして。膨らむ期待にじりじりしながらひたすら待機。そして8月。当方の住む地域でもやっと公開封切り。

連日ネット座席予約組による『満員』表示を憎らしく眺めた一週間。満を持して観る事が出来ました。

 

舞台は山奥の浄水場。そこで行われていた『ゾンビ映画撮影』。と言っても自主製作作品。低予算バレバレのチープな撮影隊。なのに。こじんまりとした所帯とは裏腹に、こだわりが強い監督。監督の終わりの見えない撮り直しに全員が疲労困憊。最早一体何が監督の望む世界なのか誰も理解できず。見つけられず。手立ても無く。

そんな中。まさかの『本物のゾンビ』が撮影隊を襲う。

 

という内容のショートムービーが冒頭から37分。確かに緩い。「何この間。」「おいおいアイツ…何してんの?演技してなくない?」「グダグダの会話。どうしたどうした。」「このゾンビの役者さん。凄いな。」「えっつ。こんなカメラワーク、ありなん?」「何でこの役者さん熱量が振り切れてんの?」観ている側は「おいおいおい」の連続。けれど。これが噂に聞いた『冒頭37分、ノンストップ』と知っているから。一応にドキドキしながら。最後「無事終わったあ~」とほっとした前半。

 

カメラを止めるな!』は前情報が無い方が良い。と言うよりも「映画そのものの内容をなぞりにくいし、出来たとしてもそれをするのは野暮」と思いますので。

 

地方勢当方が。実際に住んでいる地域にこの作品がやって来る前に聞いたネタバレのみを提示したいと思います。

 

『冒頭37分。グダグダのゾンビストーリーが展開される。しかしそれは驚異のノンストップ一本撮り』『以降は『どうしてこのゾンビストーリーが産まれたのか』が語られる。』

 

「ああこれ。『ラヂオの時間』系だ…。」

 

三谷幸喜作品の中で当方がぶっちぎりに大好きな映画。『ラヂオの時間』(97年)。

とあるラジオ番組の生放送ドラマ。そこで大御所女優が言い出した我儘に皆が振り回され。けれどそこは生放送。出演者スタッフ総力を挙げアドリブで対応。次第に物語は壮大なスペクタクル作品へと化けていく。

 

この作品も同じ。生放送一本撮りという、やり直しの効かない限られた空間で。次々と巻き起こる珍事件。けれど各々の持ち場で。そのスペシャリスト達が最大限の力を発揮し、物語を繋いでいく。

 

「そんなの…心を打たないはずがないよ。」

 

当方はすっかりくたびれた中年なので。ティーンエイジャーや学生、新社会人世代がこの映画を観てどう思うのかは分かりませんし、正直今の所当方には彼らの声は聞こえていません。それよりも。

 

当方が聞いた声。それは所謂『何かを表現するお仕事をする人達』の声。そして『映画を愛する人達』の声。そして『くたびれ切った中年』の声。彼等の悲鳴。

 

日々与えられた仕事をコツコツこなしてきた。時を重ねて失敗をしなくなった。そつなく一定のクオリティを叩き出せるようになった。そんな安定した自分が。久しぶりに課せれらたイレギュラーなミッション。

自分ならやれる。これまでの経験は自分にとって多くの引き出しを作った。それで対応出来る。そう思ったのに。

何だこれの連続。全然思った通りにいかない。複数の人間が交差する現場で。思いもよらない事件が立て続けに勃発。

これは無理。そう言いたい。けれど。崩れた事態を必死に立て直そうとする仲間が居る。無様に転んだ奴も再び起き出して。必死に出来る事を考える。一緒にやる。一人じゃない。これは皆で作る仕事。投げ出せない。

 

「観ている人が居るだろう!」「どこに?」「~居るんだよ!!」

何故こんな事をしている?誰の為に?今の自分に観客は感じない。今は誰も見ていないかもしれない。けれど。それがなんだ。ウケなんか狙わない。

今の状況は非常事態だけれど。これは自分のやりたかった事でもある。

何が引き出しだ。そんなもの…いっそ全部ぶちまけろ!今だ。

 

カメラを止めるな!

 

回せ回せ。今は誰も観ていなくても良い。馬鹿馬鹿しくても良い。笑われたって良い。兎に角今。互いにやれるベストを尽くせ。

これが自分達の仕事だ。

 

 

一度観た「おいおいおい」と思った映像が。幾重もの背景を帯びて。「そういうシーンだったのか」「こういうことか」その肉付けに。チープなはずのこのストーリーが愛おしくなってきて。自然と涙が出てきた当方。

 

話題になっている要因として。低予算。それ故の短い撮影期間。そこからのシンデレラ映画。という側面はありますが。それだけじゃない。というより、注目すべきはそこじゃない。

単純に面白い。胸を打ちすぎて辛い。そんなお仕事映画。

 

それをスクリーンで観られた幸せ。

 

「この騒ぎが収まったら。また映画館で観よう。」そう誓う当方。

 

「最後まで席を立つな。この映画は二度はじまる」

この映画ポスターに書かれた文言。

 

エンドロールでの映像を観た時。三度目が始まったと。また涙が浮かんだ当方。

 

映画部活動報告「最初で最後のキス」

最初で最後のキス」観ました。
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イタリア。イヴァン・コトロネーオ監督作品。

アメリカで実際に起きた事件を基に、イヴァン監督が書いた小説を自ら映画化した作品。

イタリアのとある地方都市を舞台に。男女三人の高校生の友情と恋。その眩しいまでの輝きと。一転して崩壊する様を描いた。

 

イタリア東部の田舎町。そこに降り立つロレンツォ。トリノにある施設から、この地に住む里親両親に引き取られた。勉強は良く出来るけれど。奇抜な服装と言動(持ってまわった言い方は却って分かりにくいので…つまりは典型的なオネエタイプ)で、転校先の高校でも初日から浮いてしまう。けれど。

同じく浮いていた同級生ブルーとの出会い。ソウルメイト発見。二人の友情は一気に加速。そしてロレンツォの一目ぼれ。同じく同級生のバスケ部員、アントニオ。

バスケ部での活躍はかわれているけれど。如何せん他人とのテンポの違いからからかわれる事の多かったアントニオ。奇抜でお騒がせな二人組の唐突なお誘いに始めこそは戸惑うけれど。次第に彼らと過ごす日々が楽しくなってきて。

と言うのも、三人の中の紅一点、ブルーへの恋心を自覚していくアントニオ。けれどブルーは、遠距離恋愛中の彼氏『先輩』が居て…。

 

「という『片思いトライアングル』なんですよ!誰も幸せにならん…(三角形じゃないけれど)ブルーは先輩の彼女で。ブルーに片思いするアントニオに片思いするロレンツォ、という構図!悲しきちびくろサンボ!片思いの輪がぐるぐる回って皆でバターになる奴!」(支離滅裂)

 

しかしブルー…先輩とのセックスライフの「4Pをした」という事実が皆に周知されているというビッチ。『誰とでもヤル女』(言い回しうろ覚え)等の不名誉な落書きを名指しでされたりする高校生活。

けれど。あっけらかんとそれを受け入れるブルー。ともすれば「私もノリノリだった」と言わんばかりの開き直り。けれど当然周りの女子はブルーを敬遠。独りぼっち。

そんなブルーとスターを夢見るロレンツォ。そして兎に角控えめに。目立たぬように過ごしてきたアントニオの。思いがけない意気投合。
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「そういうはみだしっ子三人組の。出会って盛り上がってわちゃわちゃしている時の多幸感。」

けれど。その歯車は少しづつ狂いだしていく。

 

「いやいやいや。おかしくなったのは後半やし。最後の展開なんて急転直下やったで。」そんな声が聞こえてきそうですが。

 

同級生。クラスメイトや部活の仲間から爪弾きにされてきた三人。そんな三人がとある動画を製作し、公開する下りがあるんですね。

 

…それがまあ。クッソ胸糞悪いんですよ。

 

すみません。映画感想文に於いて、こういう言い回しはしたくなかったんですが。止められない。ここから如何なるフォローをしようともフォローしきれない気がしますが。それでもやっぱり止められない。当方の正直な感想は「こんな動画最低だ。」

 

ゲイ。ビッチ。のろまだと。各々周囲からの悪意ある、マイノリティに対する偏見に対し苛立っている。あんた達は馬鹿にするけれど。私たちは今のままで十分楽しくて幸せ。変わっている?上等。これが個性だ。世界を狭めるな。~そういう動画であって欲しかった。

彼らが作ったのは『個人攻撃動画』しかも体格や家族の事を揶揄する内容。

例えば。体及び体のパーツが大きい事小さい事、どこかに障害や病気がある事。家族や金銭的な事。何一つ本人発信以外笑えない。「そんな大げさな。」と言うかもしれないけれど。あの動画を見て。しかも動画って下手したら半永久的に全世界にはびこるのに。あの動画を流された方はどう思うのか。そういう想像力が無い癖に「他人に傷付けられて可哀想な私たち」というスタンスはなんだ。お前たちは立派な加害者だ。

(そういう行為もまた。若さ故のバカさよね~…とは思えん。ネットリテラシーの罪深さが分かってない。)

 

「マイノリティな私たちが。こんな閉鎖的な場所で私たちだけの居場所を見つけた。」~じゃねえよ!胸に手を置いて考えてみろ!

 

あの動画云々の下りから。当方の、この作品に対する歯車も狂いだし。

 

動画でやり玉に挙げられた同級生の怒りをかって(当然)。エスケープ。平日昼間から古着屋でファッションショー。の下りも「売り物を雑に扱うな!」とキレ始め。

 

「あかんあかん。落ち着け。これはまともに観れなくなるぞ。」足を組み換え。首を振って切り替える当方。

 

まあ。そこからも『クラスに居たら友達になれない三人組』をイライラしながら見続けた訳ですが。(クラスに於ける、当方のスタンスは空想の世界に在籍する無所属です)

 

「最後の展開は確かに初見では唐突に思えたけれど。けれどあれから考えると。もう一度初めからやり直してもこうなったと思う。」そう着地した当方。

 

アントニオに恋するロレンツォ。男と男。ロレンツォの想いは決して女子とつるんでキャッキャ言うだけのお遊びではない。好きだから。アントニオと一緒に居たい。触りたい。キスしたい。けれど。アントニオはどうか。

ロレンツォとブルーの三人でつるむ事が楽しい。ブルーが可愛くて愛おしくて。そんな彼女が輝いている。そんな仲間の一員で居る事がうれしい。

そこにぶっ込まれる、ロレンツォからの好意。戸惑い。揺らぎ。そして揺らいだ自分に対しての怒り。どう落とし込んで良いのか分からない感情。これは悪だと。そんなものを自分に突きつけてきた相手に対する怒り。

 

「自分の感情を表現する事が苦手なアントニオならではの。哀しいけれど理解できる行動。」

 

そして同じ頃。自身の奔放なセックスライフに対しての深層心理が爆発したブルー。

 

作品の中盤。ブルーの母親が小説家(しかも私小説系)で。雑誌公開された小説に「私にプライバシーは無いの!」とブルーはキレていましたが。まさにこの母の文章の通り。

 

一見大人びている娘が。実はひどく子供っぽく、危うく見える。(言い回しうろ覚え)

 

実は重大な問題を孕んでいる事柄を前にしているのに。その重みを理解していない。そして極論過ぎる決断をいとも簡単に下してしまう。それは全てを無にしてしまうのに。そんな不安定で儚い年頃の男女を描いた作品だなと。

 

幾つもの時を経た時。その不安定さと、そこから発する奇妙な魅力。

 

ところで。最後の最後。『これがベストアンサー』みたいなシーンを追加していましたが。

「これ。問題を先延ばしにするだけで、何も解決はされないぞ。」当方にはそうとしか思えず。

モヤモヤとしやまま。物語の幕は降りてしまいました。