ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「猿の惑星 聖戦記(グレート・ウォー)」

猿の惑星 聖戦記(グレート・ウォー)」観ました。


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新しい猿の惑星シリーズ三部作。『創世記』『新世紀』に継ぐ最終章。『聖戦記』。

ずっと初日公開鑑賞で追っていました。

猿の惑星創始者であるチンパンジー、伝説の『シーザー』の生き様を軸に。

「かつては人類の科学実験から産まれた」「人類との決別」「共存は出来ない。悲しい別れ」「秩序が生れた、猿たちの世界」そして今作。「そして猿の惑星になる」。

 

「何故当方は旧作からの全8作品をおさらいしなかったのか!少なくとも前作『新世紀』から3年あったのに!愚かな!」己を厳しく叱咤する当方。せめて。せめて旧作5作は観るべきだろうと。

 

現在の職業に就いて早十何年。今とは違う職場で違う部署で働いていた時。三交代で働いていた当方は、深夜も過ぎた丑三つ時にタクシーで帰宅する事もしばしば。

さっきまで働いていた頭は中々睡眠モードには入らず。そんな深夜。テレビを付けるとやっていた古い映画。
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シリーズ最初の『猿の惑星』公開が1968年。以降、合わせて5作の猿の惑星シリーズ発表時は勿論生を受けておりませんでしたし、後付けでそうやって夜中の映画ショー等でちらちら見た程度。(2001年版は観ていません)なので「大体こういう感じの~」としか語れなくて。と言うか語る資格もなく。

 

なので。2011年に新しく誕生した猿の惑星シリーズが「1968年の猿の惑星に繋がる作品シリーズ」だとは正直忘れていました。(迂闊)

 

なので。今回お話しが進む中で。「あれ…これ…」と。ふっと脳内を過る、荒い映像に「ばかばかばか」ともどかしくなるばかり。(具体的には…ノバとか。コーネリアスの名前とか。あのラストの地とか…)でも。

その。荒い映像の中で。幾度か語られた伝説の創始者『シーザー』。

 

この三部作の主人公であり…最早神話レベルのキャラクター。

 

「圧倒的なリーダーであり、指導者。人類など太刀打ち出来ない男前さよ」

 

産まれたばかりのあどけなかった時など何時の事やら。すっかり眉間に皺を寄せまくった、貫禄ある渋いボス猿に進化していました。

 

科学の力で異常な進化を遂げたシーザーと猿達。彼らは人間と決別し、ひっそり森の中で暮らしていた。そして。やっと安住の地を見つけたと喜び。明日には移動しようと語らい。

なのに。打ち破られた静寂。猿憎し、駆遂すべしと襲ってくる人間達。

 

冷酷非道な大佐の夜の奇襲に依って、襲われた猿たちの集落。愛する家族を失ったシーザー。怒り。

 

群れの皆は安全な場所に移動せよと。しかし、自分の家族を奪った人間は許さない、復讐に向かうと踵を返すシーザー。

 

この作品に於ける大きなテーマとしてあったのだろうと当方が思う事「憎しみは何も産み出さない」

 

まだ公開してあまり日にちも経っていませんし、あれこれネタバレするべきではないと思いますので。此処からはふんわりとしていきますが。

 

(一つだけ。気になった事。黄色い字幕って珍しいなあ~と思った当方。余談ですが。)

 

今作。家族を奪われたシーザーの原動力は『憎しみ』でも。彼は群れを率いるリーダーであって。

前作の『新世紀』。途中からアウトレイジ化した理由。「コバ」

シーザーと初めは心を通わせたチンパンジー。でも彼は人間に虐待された過去を持っていて。その憎悪は計り知れず。その感情故の行動は、猿も人間も後戻り出来ない所に連れて行ってしまった。

 

何度か。「俺のやっている事は何だ」と立ち止まるシーザー。今守るべきものは何か。愛する者は何か。これはコバと同じでは無いかと。

 

「まあでも。そこで緩急つけずに繰り出してくる、大佐の『非人道的処置』」ところがとろが。

 

「大佐が完全な悪役だったら。いっそ憎みきれたら…」切なくなる当方。「そうか。ここは猿の惑星になるんだな」

 

旧シリーズで。地球は猿の惑星と化し。人類と思わしき者達は…確かにああいう風になっていた。(ロボトミー手術ってなんでしたっけ?『カッコーの巣の上で』とはまた別だったと思うんですが…)切ない。

 

「切ないいいいいい」そうなると。ノバのあの華憐な姿。ああやって幸せになれた人類と、目一杯足掻いた大佐と。その人類の末路の比較が。

 

正直。痛々しいなあと思う所もありましたが。シーザーは何処までも男前で。仲間たちはシーザーを信頼し尊敬し。

自分可愛さに人類に媚びた猿たち。その『ドンキー』の末路まで。猿たちは何処までも恰好良過ぎて。

「基本的にはシーザー以外誰も人類と話せないのに。その手話とウホウホで大体の事が分かるという稀有なストーリー」

 

大脱走。レヴェナント等々。数多の映画要素も(何となく観ている側には)盛り込んで。そんな硬派で硬質な作品の雰囲気も持たせながら、どこかコミカルな要素もある。

 

「バッド・エイプ。可愛かった」
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シーザー達初期メンバーと同じく。動物園で暮らしていた、新しい仲間。「悪い子!悪い子!」と呼ばれていたことから名乗る「バッド・エイプ」何だか悲しいのに。持って余るひょうきんで憎めないキャラクター。勿論当方も大好き。苦しすぎる雰囲気をふっと緩めてくれる、ムードメーカー。

 

そうして。「ああ。こうして人類は」と。雪山というロケーションの意味を理解した終盤。そして。

 

「ありがとう。シーザー」

 

あの。昔深夜のテレビで。褪せた映像で見た、あの場所だと。夕焼けに焼ける件の場所を見た時、どっと何かが押し寄せた当方。

 

「そうか。あの時言っていた『創始者シーザー』とはこの猿だったのか」

最早神話。

 

新しい猿の惑星シリーズが気持ちよく幕を下ろした所で。

 

「やっぱりここまでの8作品を振り返らなくては…」溜息を付く当方。

 

映画部活動報告「パターソン」

「パターソン」観ました。
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ジム・ジャームッシュ監督作品。

ニュージャージー州、パターソン市に住むパターソン。バス運転手。

妻のローラ、ブルドックのネリーと。二人と一匹で暮らし。

朝6時15分~30分頃起床。シリアルを食べ、出勤。市営バスを運転。昼は決まったベンチで妻の作った弁当を食べ。帰宅。妻と夕食の後、犬の散歩がてら行きつけのバーで一杯のビールを飲む。そして就寝。

月曜日から金曜日。判で押した様にそのスケジュールで進行する平日。そして、幸せで…不幸な休日。そんなパターソンの一週間のお話。

 

まったり。映画としての、華々しい事件や見せ場がある訳じゃ無い。食事の後に観に行ったら。下手したら心地よく眠りに落ちてしまう映画。

でも…何だか嫌いになれない。寧ろ好きなタイプの映画でした。

 

基本的には同じ毎日の繰り返し。でも。決して同じ日なんて存在しない。

 

「またこのパターソンの浮世離れしたキャラクターよ」

 

朴訥として。毎日を淡々と過ごす。いつもノートを持参して。自作の詩をしたためる。何にでも興味があって(そしておらくすぐ飽きてしまう)妻には「絶対に才能があるんだから」と詩のコピーを取って見せろと言われるけれど、あんまり乗り気では無い。

「無くても困らない」と電話は携帯せず。

あんまり自分から話さないけれど。不愛想では無いから、人から嫌われたりしない。

 

「こういう距離感で人と付き合えるという稀有な存在」羨ましい。

 

かと言って、人嫌いではない。バスで乗客が話す内容は気になるし、コインランドリーで一人歌を作る青年にはエールを送る。行きつけのバーの、マスターや他の客に話掛けられたら対応するし、誰とも話さなかった日はちょっと寂しい。

 

「そういう無口で大人しい人物の内側に流れる、美しい日々よ」

 

また絶妙なテンポと、どこかおかしな人達。

初めに双子の話をしたからか。何故か随所に現れる双子達。バス会社の社長。本人は必死なのに、道化に見えてしまう恋を失った男。街で出会う人たちも…結局は悪者の存在しない、優しい世界。

 

「そして。妻ローラとブルドックのネリーの愛おしさよ」

 

専業主婦のローラ。(小島聖系美人)色んな事に興味があって。そして自分には才能があると信じている。パターソンの一軒家は常にローラのDIYに依って改造。何だか落ち着かないセンスのカーテンやラグも手作り。カップケーキの店がどうのこうのとか。そして唐突に高額なギターを買いたいと言い出し。

「今日はキヌアの何とかよ」「今日は疲れたからピザを取ってもいい?」

「疲れる…」仕事が散々だった日位、美味しいものを食べたい。当方なら思わずそう愚痴ってしまいそうですが。

「妻をとても愛している」戸惑う表情はするけれど。決して妻を責めたりしない。

まあ。下手したらアレ過ぎるローラですが…結局は愛し合う夫婦。

いつもと違う事があったら夫を心底心配し。自身は自由でエキセントリックだけれど、大人しくて穏やかな夫を見下したりする事は絶対にしない。(そういう発想が無さそう)

 

そしてブルドックのネリー。

「犬ってこんなに演技が出来るんやな…」あのポスト。可愛らしい。

 

一週間を描く中で。何回か訪れた、パターソンの世界を揺るがせた出来事。パターソンのスタンスに対する内外からの疑問符。それに抗うパターソン。そして決定的に事態を変えた土曜日の夜。

 

「ああ。ここで永瀬正敏が出るのか」日曜日。

落ち込むパターソンの背中を押した。日本人旅行者。
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(本当に馬鹿みたいなんですが。永瀬正敏が「これ」と言って鞄に手を入れた瞬間。「飴ちゃんか?!」と思ってしまった当方。だって…永瀬正敏が大阪云々って言うから…大阪のおばちゃんは本当にいきなり飴とかみかんとかくれたりするから)

 

特に多くの人に評価されたり、特別な事なんて無くて良い。今で十分。愛する人が居て。家族が居て。それで十分幸せ。

一見したら。単調な毎日を繰り返してと。でも一日たりとも同じ日なんて無い。そこで出会う人や景色の、ちょっとした違いを楽しめる。発見する力がある。そして自分だけが浸れる趣味がある。

 

そして新しい朝。目が覚めたら愛する人が横に居る。

 

「幸せやなあ。パターソン」

 

今思い出しても、多幸感で一杯になる。不思議で可笑しくて。美しい作品でした。

映画部活動報告「ポルト」

ポルト」観ました。


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ポルトガルの都市。ポルト

とある夜。一夜の恋に落ちた、26歳のアメリカ人の男性と32歳のフランス人女性。

あまりにも幸せ過ぎた、完璧な夜。そして現実。

 

2016年。事故にて急逝したアントン・イェルチンの遺作。

 

「また。どえらい上質な恋愛映画を観たものよ」

 

映画館で一人。日曜の昼下がりに。こんなに…まったりとお酒を飲みながら恋人と観るべき映画を観てしまった当方。寒い…心が寒い…ギブミー・ブランケット映画。

 

ポルトガルの都市。ポルト。自分の様なよそ者でも住みやすい所であると言いながら。

どこか虚勢を張りながら暮らしてきた『異邦人』の二人。

 

32歳の彼女。考古学を学ぶ彼女はフランスからの留学生。恋人は大学の先生。別に何か不満がある訳じゃ無い。でも。

ある天気の悪い日。いつものように採掘場に居た。そこで。何となく見掛けたアルバイトの26歳主人公男性。互いに視線を交わし。でも。それだけだった。けれど。

採掘場から。帰る電車で。ホームで。一緒になる二人。目で追って。同じ場所に帰る二人。そして夜。

賑やかなカフェで。またもや一緒になった二人。もう無理。もう無視は出来ない。

立ち上がって。近寄ってくる主人公に声を掛ける女性。「私とよそに行かない?」

 

「そんな都合の良い事あるかあああ!!(恋愛難民当方の叫び)」

 

余談ですが。数年前。夏休みに青森に一人旅した事がありましてね。

普通車運転免許を持ちながら、それは完全に身分証明書でしかない当方。「竜飛岬に行ってみたい」と。青森駅近くの宿に宿泊。翌日の電車、バスの公共交通機関を確認した所、往復で一日(確か片道6時間以上)掛かるスケジュール。そして翌朝6時台の電車にて青森駅出発。そこで青森駅から見かけた、同じく公共交通機関で移動していた旅行者。正直当方の好きなタイプ。

今思えば、いっそ声を掛けたら良いじゃないかという位。全く同じ行程で旅をし続けた当方とその旅行者。「何この時間!」と叫びたくなるような、「乗り継ぎの電車待ち2時間強の超田舎駅(コンビニ等娯楽無し。無の時間)」なんかもあったのに…。

夜21時も回って。青森駅から暫く歩いて…やっと当方とは違う路地に消えていったその姿を見た時。「バカバカバカ!」となった当方。

(あの時。「お前はオバケのQ太郎ドロンパか。またはチンピラか」という赤地に星柄というピタピタシャツを着ていた事も、当方の勇気が引っ込んた一つの理由でした)

 

何を延々と馬鹿話をしているのかと言うと…「完全に運命としか思えない出会いはある」という話です。

 

まあ。この当方の青森旅行は与太話ですが。確かに「これは運命だから逃してはいけない」と思う事。やっぱり、長く生きていたらありますね。これは立ち上がらないといかんと。(ですが…正直こうやって相手から都合よく運命のアクセル切られた事はありませんよ。そういうの…体験してみたかったですよ‼)

 

三部構成。26歳の男性視点。32歳の女性視点。そして…あの夜、何があったのか。

 

はっきり言って一夜の。行きずりの恋。だからこそ燃え上がって。互いにいい所しか見えない。恋愛の一番いい所しか。

 

だからこそ。そこからの未来を信じたかった男性と。そしてしっかり現実にシフトした女性。

 

運命の恋。そう思った。やっとこの場所に、自分の居場所が見つかった。たった一日しか共有していないけれど、彼女は運命の人。これから一緒に幸せになる相手。なのに。

 

あれは一夜の事。今の恋人は大切な人。だからあれはいい思い出。そして幾重もの時を重ね。後戻り出来ない『家族』が出来て。でも。思い出してしまう。あの夜の事を。

 

時系列を変えながら。「あの夜…」と互いに反芻しながらも。あの奇跡の夜以降、二人が重なる時は二度と来ない。…そう思ったら。

 

とびきり幸せな。三部構成のラスト。「あの夜、何があったのか」

 

「こんなの…惚れてまうやろう」震える当方。

 

何もかもが美しい、でも危なっかしい彼女。(本当に。出で立ち全てがエレガントでした…ただ。ヘビースモーカーっぽくて。それは心配…)シャイで、ひたすら純粋な主人公。引っ越してきたばかり。まだ何も整っていない、そんな彼女の部屋で繰り返された、甘すぎる…リアルなセックス。何これ。最高過ぎる。

 

「ちょっと!ブランケット貰っていいですかね!」(注意:リアルでは言ってませんよ!)普段映画館でブランケットサービスは利用していないんですが。言いたくなった一人ぼっちの当方。

 

だからこそ。一部、二部の現実が…。でも。

 

映画だからこそ。三部の流れが美しくて。もうどれが現実でも構わない。寧ろ、このラストに身を委ねたい。

 

不慮の事故にて命を落としたアントン・イェルチン。勿論彼を惜しむ気持ちは尽きないけれど…何だか彼もこの幸せな世界に居て欲しくて。

 

兎に角、上質な恋愛映画。思い出すと何だか人恋しくて…堪らなくなります。

 
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映画部活動報告「パーフェクト・レボリューション」

パーフェクト・レボリューション」観ました。
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「あなたと私みたいなのが幸せになれたら。それって凄い事じゃない?」

「それを世界に証明するの!!」

 

脳性麻痺にて重度の運動障害があり、車椅子生活の主人公『クマ』をリリー・フランキーが。人格障害(パーソナリティ障害)を持つ『ミツ』を清野菜名が演じた。

 

障害者の性の理解について、活動されている熊篠慶彦氏のほぼ実体験に基づいているという作品。

 

「まあ。押しかけ女房ならぬ、押しかけ彼女案件。しかも相当エキセントリックな」

 

とある講演会場で。『障害者の性について』を語っていた熊篠氏(以降クマと表記)。まだ質問タイムでもないのに手を上げ勝手に発言した女性、ミツ。「セックスを語っていますが。愛についてはどう思いますか?(言い回しうろ覚え)

ざわつく会場。ミツを止めようとするスタッフを制し。「愛はよく分からない。俺が立って動くのと同じくらい無理な事だと思っている」と答えたクマ。

講演を終えて。会場を後にしようとしているクマに駆け寄るミツ。

「私。あなたの本も読んだ。あなたが大好き!」

 

それ以来。何かとクマの周りをうろつくミツ。「クマピー」と呼び「彼女にして」と迫り。

始めこそ戸惑い、警戒していたクマだったが。次第に彼女に惹かれていって。

 

何しろ「ほとんど実話です。プライバシーの切り売りです」と熊篠氏が語っている以上、何がどうとかは言い辛いのですが…。

 

「何かバランスがおかしいなあ~」しっくりこない当方。

 

この作品はあくまでもクマ目線なので。そりゃあ視野が偏るのは仕方無い。そう言い聞かせるのですが。

 

確かに。クマの思う事、感じている事は丁寧に描けていた。「障害者だってセックスしたい」そう語る彼をメディアが撮る時。麻痺のある手をアップで撮らせてくれと言われる「なんだかな…」という表情。

何より居心地が悪かった、クマの実家での法事。あの身内のやり取りの中で。特に当方の印象に残った弟の妻。(でも。リアルな反応だとは思いました)

障害者ドキュメンタリーを撮るテレビマン達の、「全然ドキュメンタリーじゃ無いな、それ」というお涙頂戴ストーリーを演出しようとする下り。等々。…ですが。

 

「ミツの描き方。もうちょっと丁寧にしてやっても良かったんじゃないの?」

 

人格障害(現在はパーソナリティー障害と名称変更されていますが。作中の表記を使用します)を持つミツ。

いや。当方だってこの疾患について何も精通していません。ですが。

 

ミツの行動そのものは『パーソナリティ障害B群』(周りを盛大に巻き込む系)なのかなあと無知な当方はぼんやり思いましたが。

そもそも何でミツはクマを好きだと思ったのか。

「障害のある者同士でも幸せになれる。それを証明する」その目標からクマに近づいたんですか?あの出会った講演でのやり取りでそれが出来ると確信したんですか?そして追い回す内にクマを好きになったんですか?…う~ん。

そしてクマが手に入った(言い方が悪いですね)ら、「失ったらどうしよう」と不安になる余り、心のバランスが崩れていったんですか?…う~ん。

まあ。こうやって文章にしてみたら「なるほど」と思わなくもないんですが。どうにもこうにも観ている間はしっくりこなくて。

身体障害者についてはある程度サポートする者も描かれている。でも、今現在病状が不安定な状態にある精神障害者についての理解やサポートがあんまり…に見えたからかなあ」たどたどしく語る当方。

「で。結局あんたミツの何なの?」という、謎の後継人、余貴美子

「ミツはねえ」と彼女の哀しい生い立ちを語り。恵まれなかった家庭環境から件の病に掛かったと。

「ところで。病名を言うって事は、前に病院に掛かって診断されたって事ですよね?」「ちゃんと通院出来ているんですか?お薬。ちゃんと飲んでいるんですか?」険しい顔をする当方。「何か…描かれてないだけかもしれないけれど…出来ていなさそうな感じがする」

ここまで感情の起伏が乱高下して。こんなの、周りも疲れるけれど、本人が一番しんどそう。きちんと然るべき病院に掛かって、治療を受けた方が良い。何故誰もそういう風に動かないのか。

自身の身体障害について理解した上で愛してくれている彼女。でもその彼女の持つ精神障害をクマはどう理解していたのか?どう受け止めていたのか。

例えば。「俺はどんなミツだって愛しているよ」そう言うとしたら。

愛しているは結構。でも。それなら尚更、ミツがどうすれば苦しまないのか。考えてあげないと。そう思って止まない当方。

ミツの周りの人々は、ミツの障害をどう思っていたのか。

精神障害は、絶対に完治はしない。」「ましてや自然には」かつてそう学んだ当方。「一生付き合っていくものだから。その症状を緩和するために様々な治療がある。」

 

「いや。色々あったんだよ!ここでは描いていないだけで!」「じゃあ描けよ!プライベートを切り売りしたんなら!」こんなやり取り、勿論ありませんが。もしそう言われたとしたら、間髪入れずにそう答えるだろうなと思う当方。

 

「じゃないと。ただただエキセントリックな押しかけ彼女とのラブストーリーになってしまう。薄っぺらくなってしまうよ…」

 

この作品の中の常識人。クマの介護職員恵理さんこと小池栄子。非常に好感を持ちながら観ていた当方。でしたが。

 

「はっきり言う。この作品のラストの下り。あかん」

 

ラブストーリーとしてのエンディング。蛇足。今までのまともな人たちの崩壊。止めてくれ。止めてくれ。叫ぶ当方。

 

「何かなあ~。しっくりこないんよなあ~」

題材から。観たいものを勝手に脳内で組み立て過ぎたんでしょうかね。

う~んと言いながら。今でもちょっと首をかしげてしまう。そんな作品でした。

 

映画部活動報告「泥の河」

「午前十時の映画祭 泥の河」観ました。

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1981年公開。小栗康平監督作品。1977年の宮本輝による、同名小説の映画化。

 

「最早戦後では無い」高度経済成長の兆しを見せ始めた昭和30年代。

大阪安治川(旧淀川の分流。中の島西端~大阪湾)の川沿いでうどん屋(定食屋)を営む板倉夫妻とその一人息子信雄。

物語はその9歳である信雄(ノブちゃん)視点で描かれる。

 

「大阪。戦後十年の大阪…それは観ないとな」

 

当方も一応、同郷の者として押さえておこうと。「何か聞いた事あるけれど、正直観ていない」この作品を、午前十時の映画祭上映の機会を得て。映画館で観る事が出来ました。

 

余談ですが。

「これ。大阪のどこなん?!いくら36年前とは言え、全く思い当たる風景が無いけれど(天神祭りとかのシーンは別として)」映画鑑賞中戸惑う当方。

後で調べて「名古屋市中川運河にて撮影された」の一文に納得した当方。

 

これまた余談ですが。

「東洋のベニス」「水の都」と呼ばれた大阪。豊臣秀吉の都市開発によって一時は15本の堀が作られた大阪は、江戸時代水路に依って運搬や観光が栄えた。

「確かに今でも川には屋形船や観光船、何かを運搬する船が行きかっている。」「天神祭りもお金がある人達は船から花火を見るからなあ」毎日の通勤風景を思う当方。

「まあ。全然綺麗な川では無いけれどな。」

 

そんな河沿いに建つ、お世辞にも綺麗では無い板倉夫妻が営むうどん屋。

昼時には、近くで働く労働者が。夜にはまた彼らの胃袋を満たす。結構繁盛している店。そこの一人息子信雄(ノブちゃん)。

ある日。店の常連のおっちゃんが事故で亡くなる。そのおっちゃんの荷物がまだ往来に残されたままの雨の日。ノブちゃんは「この鉄売れるで」と覗いていた同い年の少年、松本喜一(きっちゃん)と出会う。

ノブちゃんは河を挟んだ向こうに、つい最近現れた船(また絶妙なボロ船)に住んでいるという。

数日後。きっちゃんの船に遊びに行ったノブちゃんは、2つ年上のきっちゃんの姉、銀子(銀子ちゃん)と、扉越しにきっちゃん達の母親と対面する。きっちゃんの母親はノブちゃんに「あんまりここ(船)には来ない方がいい」と釘を刺す。

同じ頃。板倉夫妻は、向かいに泊まる船が『廓船(売春船)』だと客から知らされる。

 

ノブちゃん、きっちゃん、銀子ちゃん。この子役三者の絶妙な演技。

始めこそ「棒読みやなあ~」と思うけれど。次第にこの世界に己が順応するのか、それともこの子供達が上手くなっていくのか。どんどん引き込まれていくんですよね。

特に当方が堪らなくなったのが「銀子ちゃん」。

「こんな11歳…あかん!!」

きっちゃんとは2つしか変わらないのに。何もかも悟ったていの銀子ちゃん。「親父さんは腕の良い船乗りやったみたいやで」でもその父親が死んで。美しい母親が子供二人を養っていくには体を売るしか無かったという事。
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加賀まりこの美しさよ‼)
学校にも行かず、家事全般を自分が全てこなしている事。幼い弟は、今はこの生活がどういうことか分かっていないけれど、いつかは全て理解する事。周りの人たちが自分たち家族をどういう風に見ているのかという事。…誰にも期待してはいけない事。

 

対して、このノブちゃんの両親。板倉夫妻の良心。

息子が連れてきた「友達」は向かいの廓船の子供。やっぱり初めは一瞬「アイター」と思ってしまいますよ。正直な所。でも。

「子供は親を選ばれへんからな」「いつでも遊びにおいで」

田村高廣藤田弓子。どちらも最高でしたが、特に父親役の田村高廣。ベストアクト。

歳を取ってから生まれたのもあって。ノブちゃんが可愛くて仕方ない。でも彼は自分の子供だけが大切な親ではない。

祖母が母に語った様に。「子供は皆のもんや。あんたも皆に育てて貰ったやろ」そういう考え方の人物。素晴らしい。

見た目もいかにも汚らしくて。どんな子供か分からない。…でも両親はノブちゃんに「きっちゃん達とは付き合うな」とは言わなかった。家に招いて。ご飯を一緒に食べた。

 

またねえ。きっちゃんが歌うシーンからの。不意にやって来た常連客に傷つけられたきっちゃんに手品をして笑顔を取り戻させる、ノブちゃんの父親
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「そりゃあ、お母ちゃん惚れてまうわ」しみじみノブちゃんに語り掛ける当方。あんた最高の父親を持っているよと。

 

けれど。そんなささやかで幸せな日々は続かなくて。

 

円満に見えた板倉夫妻の過去。そこに揺らいだ一家

 

そして。悪夢の様な『天神祭りの夜』

 

またもや余談ですが。天神祭りを知る当方としては「その店絶対その日忙しいんやから、お父ちゃんも舞鶴とか行ってる場合ちゃうで。猫の手も借りたい騒ぎちゃうの。ノブちゃん遊びには行かせられへんで」と思ってしまいました。

(大阪人にのみ通じる会話:天神祭りって有名な天満の界隈でやる奴とほぼ同日に福島でもやるんですね。こちらはこじんまりとしているみたいですが。「九条に住んでいる子供が天満まで歩いて行くって遠いなあ~。って福島神社?そういえばお母ちゃんも「天満までは行きなや」と言って小遣い渡していたなあと)

 

「ああ。優しい世界では終われなかった…」

 

「夜にはあの船には行きなや」そうやんわり言われていたノブちゃんが『廓船』に行ってしまった夜。そこで見た衝撃。

 

「きっちゃん…」きっちゃんがそういう時、どうやって自分の気持ちを紛らわせていたのか。その「サイコパスかお前」という闇に震える当方。

そして。動揺して駆け出すノブちゃんを見る、銀子ちゃんの表情。

 

「最早戦後ではない」そういう時代だと。皆が前へ前へと向かい始めた時代。

ノブちゃんの父親が何度も言った「絶対戦争から帰ったるんや。生きて帰るんや思うてたけれどな。あのおっちゃん(初めに事故死した常連客)やきっちゃんの親父とかみたいにあっけなく犬死するのんを思うとな。一体俺らは何の為に生き残ったんかと。」

 

言い回しは違いますが。大方こういう事をノブちゃんの父親は何回か口にする。

あの幸せな夜、きっちゃんが歌った軍歌に涙ぐんだ父親

妻に語った「俺はな。信雄がおらんかったらどうしてたか分からんで」(言い回しうろ覚え)

 

「そうやと思う。貴方には家族が居るから。妻が居て、息子が居るから。だから今生きている。」そう思う当方。

一体俺は何だ。俺の人生は何だ。そういう逡巡も構わない。存分にしたらいい。でも。貴方には今、もっと大切にする相手がいる。それが分かっているから、過去ばかりを振り返ってはいられない…正に「最早戦後では無い」。

当時。そうやって気持ちを無理矢理切り換えた大人が沢山居たのではないかと。そう思う当方。

 

ノブちゃんときっちゃんが出会った雨の日。きっちゃんが言った「この河には大きなお化け鯉が居るんやで」

あの鯉の下りは、作中ではあんまり以降触れられていませんでしたが。

一体お化け鯉とはなんだったのか。時代の流れに乗れない人々を飲み込んでしまう、そういうメタ的な存在なのか。それともあの船自体を指すのか。ぼんやり思う当方。

 

河をまた流れて行く、あの船を見ながら。少しでも澄んだ場所へ。お化け鯉などいない場所へと行ってくれと。

 

ノブちゃんの声とは裏腹に「これで良いんや」と言い聞かせる。そんなラストでした。

映画部活動報告「オン・ザ・ミルキー・ロード」

オン・ザ・ミルキー・ロード」観ました。
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エミール・クリストリッツア監督、主演作品。ヒロインはモニカ・ベルッチ

 

とある、戦争中の国。

絶え間無い砲火。緊張感と、どこか間延びした時が交差する、小さな山間の村。

そこの牛乳配達人、コスタ(エミール・クリストリッツア)。

ロバに乗って移動する彼の肩には、いつも相棒のハヤブサが乗っている。

大きな時計が目印の牛乳屋の娘、ミレナ(スロボダ・ミチャログッチ)。明るくてエキセントリック、そして美人の彼女はコスタが大好き。いつもコスタに猛アプローチを掛けるけれど。のらりくらりとかわされるばかり。

ある時。戦争から帰ってくる兄の為、兄の花嫁を斡旋屋から調達してくるミレナ。

戦争が終わったら、コスタとミレナ、兄と花嫁のW結婚式をするとはしゃぐミレナ。なのに。

花嫁(モニカ・ベルッチ)を一目見た途端、恋に落ちてしまうコスタ。同じく満更でも無い花嫁。

そして。戦争は終わりを告げる。

 

なんとまあ。贅沢な映画だろうかと。

エミール・クリストリッツア監督9年ぶりの映画。寧ろ歳を重ねる事で魅力が上がっていくエミール・クリストリッツアとモニカ・ベルッチって。その二人の愛の逃避行って。
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戦争中。なのにどこかほのぼのしていた前半。太っちょ3人の料理番の元、牛乳を運ぶコスタ。「あいつ、変わってるよな」「仕方ない。親父が目の前で斬首されれば誰だっておかしくなるさ」そんな過去故か。浮世離れしたコスタ。

次々と爆発する最中。飄々とロバに乗って牛乳を運ぶ。そんな毎日。

でも変わってしまった。そんなふんわりした日々は。だって、花嫁に恋をしてしまったから。

 

牛乳屋の娘ミレナ。戦争に行っている兄の為に、斡旋屋に頼んで連れてきて貰った花嫁。(凄い設定やなあと。お金で花嫁を連れてくるという事も。それをすんなり受け入れる花嫁も。だって、下手したらマッドマックスの世界に発展しますよ)

いつ帰ってくるのかも分からない兄を待ちながら。牛の乳を搾り、家の事をする花嫁。

いつものように牛乳を運ぶ為、ミレナの家に行って。互いに一目ぼれする二人。

 

かと言って。花嫁は兄の花嫁。互いに抑え込む、相手を欲する気持ち。でも抑えきれなくて。

そんな時。戦争が終わりを告げる。

浮かれ、歌い、騒ぐ村の人々。そして兄の帰還。

「明日は兄と花嫁。そして私とコスタの結婚式」はしゃぐミレナ。でも。

 

美しい花嫁。実は彼女はいわくつきの花嫁。

ローマから、セルビア人の父親を捜しに来て戦争に巻き込まれた。彼女を狂信的に愛した多国籍軍の英国将校。法に触れ、投獄されていた将校がこのタイミングで釈放される。

 

皆に祝福される、その日に村にやってきた多国籍軍。一網打尽に襲われる村の住民達。

そして。コスタと花嫁の逃避行が始まる。

 

結構流れを書いてしまいました。これは自重しないと…。

 

「ああ。男のロマン。愛した人は愛してはいけない人。でも。愛し合う二人。そして彼女と手に手を取り合っての逃避行…でも。でも」

 

「当方はミレナの方が好きなんだな」

 

そりゃあモニカ・ベルッチをキャスティングすりゃあ、ああなるしか無いでしょうけれども!けれども!

 

村で指折りの美人。勝気で明るくて。サバサバして。そしてエキセントリック。
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いきなり銃をぶっ放したり。

そしてあの「戦争が終わった!」と村人総出でどんちゃん騒ぎのシーン。

あれは当方の中での今作ベストシーンですが。村人達で楽器を弾いて。その中で踊って歌いまくるミレナ。ピアノを弾くコスタの、そのピアノに寝そべって歌うミレナ。
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また酒の飲み方も頼もしい。小さなショットグラス2,3本一気に口に咥えて、ぐっと顔を上に向けて飲むという、むせないのが不思議な飲み方。

そんないかれたミレナに胸が熱くなる当方。楽しい。これは酔っていたら相当意気投合出来るタイプ。(当方は酒の前には無力な愚か者です)

そんなミレナが自分に夢中。「コスタは私と結婚するの!」

 

「してやれよ!!」心の中で叫ぶ当方。

ミレナ…何だかメンヘラっぽい予感しかしないけれど。でもいい女やぞ!コスタ!

 

なのにねえ~。結局は美しい花嫁に心が向くんよねえ~。(おばちゃん当方)

 

後半。逃避行はどうなってしまうのか。そこまではネタバレしないようにしますが。

 

「こんなに切ないエンディングを迎えるとは…」溜息を付く当方。

 

羊飼いのおっちゃんのセリフ。あの『THE 男のロマン』余りのセンチメンタルに、むせかえる当方。(分かりにくいんですが。褒めていますよ)

 

そして、ハヤブサ、蛇の涙ぐましい協力と、なんだか犬死感が否めなかったロバ。

 

技術に走って。やれ美しい映像だ。込み入った構成だ。そんな作品が増えていく昨今。そうなると観ている側もやれ整合性がどうだとか、そんな揚げ足を取ってしまう。そんな中で。

 

「ガタガタ言うな。これが俺のロマンだ」

 

そんな、無骨で。シンプルに美しくて、そして哀しい。そんな作品を久しぶりに観た感じがしました。


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映画部活動報告「プラネタリウム」

プラネタリウム」観ました。
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ナタリー・ポートマンとリリー=ローズ・デップが姉妹設定の作品。

 

1930年代。フランス。降霊会が出来る事を売りに、ヨーロッパ公演をしていたアメリカ人のバーロウ姉妹。

姉のローラが会を取り仕切り。そして妹のケイトが霊を下ろす。

その降霊会を目の当たりにして。姉妹に惹かれる映画プロデユーサーのコルベン。

姉妹を自身の屋敷に住まわせて。その力を映画に撮れないかと画策する。

姉ローラをナタリー・ポートマン。妹ケイトをリリー=ローズ・デップが演じた。

 

フランスの女性監督。レベッカ・ズロトウスキ監督作品。

 

まあ~エレガントな映画でした。

 

以上!で終わっても良い位なんですが。それもちょっとどうかと思いますんで。

 

お話し自体は結構分かりやすくて。

本当なのか、ただの詐欺師なのかさっぱり分からない美しい外国人姉妹。姉は何処までも登り詰めてやろうという野心家。でも本当にスピリチュアルな力を持っているのは妹。でも何だかふわふわして掴みどころのない妹は、何を聞いても具体的な事は答えられない。

姉妹を見出した映画プロデユーサー。この奇跡を映画にしたいと燃えるけれど。カメラの前では何も出来ない妹。呆れ、お手上げになる製作陣。

姉の飲み込みの良さ、何よりもその美貌に、姉をメインに切り替えて映画を撮ろうと舵を切りなおす製作陣。そうしていつも一緒に居た姉妹に少しずつ離れる時間が出来始める。

その間。映画プロデューサーは妹と距離を詰めて…妹の能力について詮索していた。

 

全てをネタバレするつもりはありませんので。ここであらすじは止めますが。

 

「ただこれ…語り口がかったるいんよなあ~」(当方の勝手な暴言)

当方は乙女心を一切理解していない、NOエレガント体質なんでね…言いにくいんですがね…画的に綺麗な事を優先しすぎている感じがして。いや、実際綺麗なんですが…如何せんそこに気を取られてしまうというか。(歯切れ悪し)

 

一部の女性監督にありがちな『綺麗な女優を兎に角綺麗に撮りたい』『着飾らせて。そして画になるポーズやら。綺麗なショットを撮りたい』そういう香りを感じてしまって。

 

ナタリー・ポートマンと。そして映画プロデュサーコルベンを演じたエマニュエル・サンジュの頑張りは物凄く伝わった」そうなんですが。

 

疑わしい降霊会を売りに。ドサ廻りをしていた時の姉妹。貧しくとも身なりは美しく。そしてコルベン邸に迎えられてからはもうどこのセレブかと思う出で立ち。

「無駄だ…」こういう、女性誌がこぞって飛びつきそうな目の保養は要らない。

 

「何より、リリー=ローズ・デップ演じるケイトにもっと重心を置くべきではないか」

精神年齢と実際の年齢が一致していない。いつもふんわりと掴み所が無くて。でも時々鋭くて。ケイトには本当に見えているのか。だとしたら、一体何が。

 

リリー=ローズ・デップ。この作品が映画出演二作目だったと何かでちらっと見ましたが。

「ケイトという、未熟で未完成という役とリリー=ローズ・デップというシンクロキャスティングは合っていたと思うけれど…元々持っている引き出しの数もあるんやろうけれど…魅力が引き出せていたとは…正直…」(歯切れ悪し)

 

あんまりにもケイトに血が通っていなさ過ぎて。ケイトのミステリアスさに厚みが無い。ケイトには意志があるのか。何をどう感じているのか。そして自身と姉の事をどう見ているのか。伝わらない。分からない。何だか、恐ろしく綺麗な不思議ちゃんにしか見えない。そう感じて。(それが狙いであるなら成功ですけれど)

 

「そしてコルベンの顛末よ」

 

実際。あの時代にそういう人が居た。(映画関係者では無いけれど)それを描きたかったと。監督のインタビューに乗っていましたが。

 

「じゃあそこに話を絞れ!」ああいう時代に起きた悲劇について。勿論否定はしませんけれど。やるならきちんとやれ!遂に頑固爺当方の出現。

 

そういうオカルトにどっぷり嵌っていって。そうして周りの人達が居なくなっていった。そういう話やないかと。時代は関係ない。誰にも理解されない狂気と、そして彼に残されたのは二人の姉妹。それで良いじゃないかと。

 

ラストは非常に「エレガントな映画やなあ~」という着地。

「これはあれだな。当方の中での『オサレバー映画枠』⦅訳:薄暗いオサレなバーで無音で流れていたら絵になる映画。⦆やな」そう降り立った当方。

 

ただねえ。これだけ好き勝手言ってしまいましたが。あの雪のシーンの美しさは、確かに夢のようでした。

 
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