ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「あさがくるまえに」

あさがくるまえに」観ました。


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フランス映画。

夜明け前。まだ寝ている恋人をベットに残し。友人たちと車で海へ。サーフィンを楽しんだ帰り道に遭遇した事故。そのまま帰らぬ人となってしまった17歳の少年。

病院から連絡を受け、駆けつける両親。そこで告げられる『脳死』の判定と臓器移植、所謂ドナー(提供者)になる事の勧め。

憤り、混乱する家族に説明する医師。「申し訳ないが時間は限られている」そして「決して『モノ』扱いはしないと保障する」と。

場面は変わって。ある女性音楽家。二人の息子を持つ彼女。現在は重度の心臓病の為、音楽活動はおろか日常生活もままならない。

命を受け渡す。そのバトンを。そして引き継ぐ者の姿を描いた作品。

 

カテル・キレヴェレ監督。女性で37歳?!またとんでもない逸材がでたものよ!」驚く当方。

 

今思うと何故この作品を観ようと思ったのか。当方が事前に持っていた情報は「脳死判定からのドナーになる選択を強いられた家族の話」映画館で何となく手に取ったチラシのみ。(それもきちんと読んではおらず)ほぼ真っ白な状態。

まあ正直、今映画を観たい!という気持ちと上映時間が上手く合ったから。…でしたが。

 

「『朝のリレー』(谷川俊太郎)だ」

ぼくらは朝をリレーするのだ 

 

確かに脳死判定を受けた家族の話ではある。でも。受け取る側の登録者を。そして彼らを繋ぐ医療者を。この三者を描いた作品だとは思いませんでした。

 

「また海の。波の画の使い方が上手い」

始め。海でサーフィンをしていた少年達の。楽しそうなのに…途中から何だか不吉な波。そして帰宅する車が事故に遭う時の。あの波に飲み込まれるシーン。

 

17歳で命を終えるという事。その残念さは言葉では言い尽くせないけれど。でもそこに唯一の希望を持たせるとしたら。「彼がどこかで誰の一部となって生きていく事」

 

日本でこの題材で作品を作ったら。間違いなくこの少年と家族、恋人に焦点を当てまくって。もうそれだけで一本出来上がってしまう。それもお涙頂戴エピソード満載にして。

でも違う。この作品でも少年と彼女のエピソードは語られたけれど…恋する二人の高揚感に満ちたエピソード。

 

この、各パートの登場人物のエピソードの切り取り方。見せ方が丁度良いなあと思った当方。つまりは「何でもないような事が 幸せだったと思う」そういう日常の一コマ。

 

登録者の音楽家女性。どうやら夫は居らず。家族は一緒に住む長男と、離れた場所に住む次男

重度の心筋症故に末期の心不全状態。少しの運動でも息が切れて。階段の昇降も出来ない状態。

愛する息子達と恋人。大切にしたい。でも。蝕まれて、尽きてしまいそうな体。

何となく。主治医に勧められて心臓移植の登録者リストに登録した。けれど、若くも無い自分が登録した事、『移植が出来る』=『誰かの死』という構造に戸惑いを隠せない。でも。

 

ある夜。舞い込む『移植するドナーが見つかった』と言う知らせ。

 

「心臓移植?!これそういう話なの!」と思わず映画館の椅子を座りなおした当方。

そこからは興味津々の目で観てしまいましたが。

 

「思ったよりも、まともな医療監修が入ったようだ…」

 

凄い水圧の低い手洗いの水。あ。こんなカニューレ達もちゃんとそれらしい所に入ってる。と言うか何科の生物から取ったのか、それとも作ったのかは分からんけれどちゃんと心臓っぽい。(にしても流石17歳。綺麗な心臓)。人工心肺?血では無いにしてもそれ一回回すのに凄くお金が掛かったやろうに…。ちゃんと大動脈を遮断解除したら不整脈が起きている!等々。

 

俄然楽しくなる当方。いや~えてしてこういうシーンってチープになりがちなんで。

後日。心臓移植の手術について知っている人に聞きまくる当方。「意外と手術時間は短いんですよ」「主要な血管を吻合するだけなんで」「ドナーの臓器が今どこを通過しているとかの連絡を常にタイムリーに受け取りながら、こちらも手術が進行するんです」成程成程。

(でも。一晩でドナーから心臓を貰って、それを朝が来るまでに移植終了は流石にお話しの世界かな~とは思いましたが)

 

少年の両親に医者が言った「決してモノ扱いはしません」

ある臓器だけは取らないでと言った家族。話の焦点を散漫にさせない為にも「心臓移植」にポイントは絞られていましたが。

「恐らく、その他の臓器も誰かの体の一部になったのだろう」

そう思わせた、少年の体にメスを入れた時にちらっと移った腹部あたり。ましてや健康な17歳。肝臓だって。腎臓だって。その臓器を必死で待つ人達が居る。

でも。最後の。『心臓』が少年の体を離れる時。少年に本当の死が訪れる。そこで止めた、両親に移植を勧めた医者の行為。

 

「まだだ」「最後に彼に聞かせたいものがある」

 

ポスターやチラシに使われたシーン。此処で一気に涙腺が崩壊した当方。

 

確かに。少年は臓器を皆にプレゼントする「モノ」では無い。

家族が居た。恋人が居た。友達が居た。少年には未知数の可能性があった。

 

夜明け前。恋人に挨拶もせずに。そのまま別れてしまった少年。

少年を想う人達からの、最後のメッセージ。

 

まあ…これは確かに医療者として最大の誠意の見せ方かなと当方は思いましたけれど。

 

いつもどこかで朝がはじまっている

それはあなたの送った朝を 誰かがしっかりと受け止めた証拠なのだ

(『朝のリレー』谷川俊太郎

 

『命を受け渡す』ともすれば幾らでも重たく出来た話を。何だか爽やかな目覚めの様に描いた。貴重な作品でした。

 

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映画部活動報告「ナインイレヴン 運命を分けた日」

ナインイレヴン 運命を分けた日」観ました。
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2001年。9月11日。WTC世界貿易センター)ビル。ハイジャックされた二機の旅客機がビルに突撃。そこから始まった、近年に於ける中でも大きい、最悪のテロ事件。

その日。その時。たまたまエレベーターに居合わせた5人。テロ事件に依って停止したその密室で起きた事…。

90分のフィクション作品。

 

911の映画を。9月11日に観に行く事が出来ました。

 

「今生きている事が奇跡だなんて。そう思う事なんて。普通に生活している中ではそうそうあり得ない」ですが。

 

当方が生きてきたこれまでで。物心付いて初めて感じた有事は『1995年1月17日。阪神淡路大震災』でした。

それまでも自然災害はあったけれど。それはいつもテレビの向こうでの出来事で。

それが。実際に自らも叩き起こされた朝。テレビで見た「知っている場所」の無残な姿。

 

「当たり前の毎日は、決して当たり前に続く訳では無い」そう初めて実感した朝。

 

それから。また幾つもの災害で胸を痛め。そして、2011年。3月11日の東北地方太平洋沖地震

「お願いですから。助かって下さい。波よ。彼らを飲み込まないで」「せめて。雪よ止んで下さい」「お願い」

テレビの前で。会った事の無い人達を想って。祈った日。

 

一体どういう世界になってしまったのか。頻発する自然災害。最早無事で暮らせる場所なんて無いのかもしれない。そう思うと「悔いの無い毎日を送るしかない」と己に言い聞かせる当方。ですが。

 

『人災』で命を脅かされる。その虚しさ。憤り。結果憎しみしか生まれない。そんな負の連鎖。

 

当方が初めて衝撃を受けた人為的有事は、『1995年3月20日。地下鉄サリン事件』。そして次が2001年の、この『米同時多発テロ』。

実体験では無く。どちらもテレビで見た惨事でしたが。

 

「どんな主義思想があったとて、一般市民の生活を突然脅かしてまで。彼らは一体何を得ようとしているのか」「ただの暴力。暴力からは何も生れない」「誰も賛同する訳が無い」ぞっとする、目を疑うばかりの。信じられない光景。

 

無学で浅瀬に住む当方は、ひたすら非難の声を上げるばかり。でも。彼等の思想を学んだとしても。それにどこか共感出来る部分があったとしても。テロ行為そのものには絶対に賛同できない。冷静に話が出来ない奴は愚。それを暴力にして。ましてや関係の無い者にぶつけるのは…万死に値する。それは今でも絶対に揺るがない、当方の理念。

 

この作品について。どうしても「もっと悲惨な事態が起きたのだろう」「非情な判断をせざるを得ない場面があっただろう」「その事でずっと心を痛めている人がいるのだろう」等々。この作品を通した『実際の人たち』に思いを馳せてしまって。

 

「恐らくの低予算での秀作」「コンパクトに纏まったヒューマンストーリー」「あの小さな箱の中で。夫婦が居て。孤独な女性が居て。黒人が居て。富裕層が居て。貧しい人が居て。色んな象徴の塊で。始めはぎくしゃくしていたけれど。次第に団結し、友情が。愛情が築かれてゆく」「破壊と再生の物語」それらしい感想は上げられなくはないはずなんですが。なんだかそれでは終われなくて。

 

「多分。当方の記憶にきちんと残っているからだ」

 

16年経った今。知らない世代だっている。それは日本の東北地震にも。そしてこれまでの『忘れてはいけない出来事』全てに通ずる課題。

 

知っている者にとっては。「恐らくこんなものでは無かったはず」又は「実際はこんなものでは無かった」のかもしれない。それとも「ああ…そうだった」と思うのかもしれない。

でも。知っている者は時が流れると減っていく。

 

この作品を観て。そして今後こういう作品を観て。「こんなものでは無かった」でも「そうだった」でも。想いを口にして。伝えていく事の大切さ。…それは「物事は暴力では解決しない」という事も含め。そう思った当方。

 

「この手の作品はちゃんと押さえていかんとな」

しみじみと。映画館を後にした当方。

 

映画部活動報告「三度目の殺人」

三度目の殺人」観ました。


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ある夜起きた殺人事件。工場経営社長山中が何者かによって殺害。その死体には火が放たれる。捕まったのは、殺人の前科がある元工員の三隅(役所広司)。

犯行を認めており、死刑はほぼ確実。しかし何とか無期懲役に持ち込みたい、弁護士の重盛(福山雅治)。

何てことのない裁判。ただ量刑を争うだけだったのに…三隅の供述は二転三転。振り回される法廷の面々。

その時。山中の娘咲江(広瀬すず)が重盛達に衝撃の告白をしてきて…。

是枝監督最新作。今回はまさかの裁判劇。(法廷シーンは少なめ)

まさかの…は言い過ぎですかね。でも。是枝監督と法廷サスペンスモノって合わない印象がありましたから。それがそれが。きちんと。硬質で。哀しい話に仕上がっていました。

 

「藪の中だ…」

 

「何故山中を殺したのか」その動機に、初め全く焦点を合わせていなかった重盛達。

「工場を辞めさせられての腹いせだろう」「金品を奪いたかったんだろう」お決まりの動機を誰もが決めつけていた。なのに。

何だか定まらない三隅の供述。挙句「社長の奥さんに頼まれました」と委託殺人であったかの様な事を言い出して。

「真実なんてどうだっていいんだよ」そう言って。兎に角勝てれば良いんだという信念を持っていた重盛が。

何度も三隅と接見し。三隅の身辺を探るうちに、己の信念とも向き合っていく事になっていく。

 

「しっかし。これ、役所広司のイキイキとした感じ。楽しかったやろうなあ~。」振り返ってみて。ニヤニヤと思う当方。

ファンの皆様総立ちでお怒りになると思いますが…(小声で)福山雅治って、特に演技が上手い訳じゃ無いじゃないですか。でも。

役所広司起用の妙。この手練れの老練俳優が三隅という犯罪者を飄々と演じる事で。役所広司に引っ張られるようにして、高みに連れて行かれた福山雅治。そんな印象。

三隅の持つ「なんやねんこいつ」「なんやねんこいつ」その気持ち悪さ。

殺人犯とは思えない、一見穏やかな物腰。理性的(に見える)話し方。なのに。結局何を言っているのか分からない。何を信条としているのか分からない。

「あいつはねえ。『空っぽな器』ですよ」昔三隅を捕まえた警察官の言葉が良い得て妙。確かに三隅からは何も得られない。三隅には元からは何も盛られていない。そこに何かを盛るのはいつも他人。

 

「金品を目的にしていたのか」「怨恨か」それを焦点にしようとしていた矢先。降って沸いた「山中社長夫人が三隅に殺人を依頼した」週刊誌の独占スクープ。「何でだよ!」唐突すぎて。「そういうことは早く言ってよ!」と怒りながらも。「それ、使えるな」と飛びつく重盛達。

そして山中社長の家族を改めて見てみると。意外にも娘の咲江と三隅に交流があった事が判明する。

 

広瀬すず。完全に同世代の女優の中でも頭一つ飛び出したな…。今でも十分にアレやけれど。末恐ろし過ぎる」

元気一杯な役が多い印象やけれど。是枝監督作品「海街diary」でもそう思った。広瀬すずは、何処か影のある役にこそ未知数の役者だと。

 

生まれつき片足が悪く。いつも足を引きずっている咲江。でも幼い時「足が悪いのは工場の屋根から飛び降りたから」と周りに嘘を付いていた。

三隅と咲江が一体どう繋がっていたのか。30年前に犯罪を犯し、服役していた三隅には足の悪い娘がいた。その娘と咲江を重ねたのか。では咲江は三隅に何を求めたのか。

 

終盤。咲江が「法廷でお話ししたい」と重盛達に持ってきた告白。

咲江の告白を三隅に話し。憤る三隅。「あの子はねえ。嘘ばっかりつくんですよ!」そしてまた翻った供述。

 

「真実とは何か」

 

咲江の告白が本当であったとしたら。咲江の為に行われた殺人だったとしたら。でもそれすらも分からない。咲江は誰を救おうとしたのか?母親?三隅?…自分?

 

「真実とは何か」

 

法廷に真実など必要ない。ただただ量刑を決める場所であると息巻いていた重盛が。

「一体何が真実か」と追い求めていく様になる。

なのに。探しても探しても。相手は『空っぽな器』。

真実は「藪の中」。

 

「でもねえ。真実って果たして何なんんでしょうな」溜息を付きながら椅子に沈む当方。

 

一体誰にとっての真実なのか。誰にとって都合の良い真実なのか。どういう正義があったのか。無かったのか。

法廷とは、誰をどう裁く場所なのか。

 

三度目の殺人」なかなか意味深で秀逸なタイトル。

 

まあ無粋な事を言ってしまうと「法廷で争う時の状況証拠が犯人の供述だけって事は無いやろう。いくら何でも鑑識とかも何か掴んでいるやろうし。日本の国家権力の科学力を舐めてはいかんぜよ」とは思いましたが。(後。重盛の娘とか…扱いが中途半端かなあ)

 

とは言え。これまでで完成されていたと思っていたやり方を。がらっと変えた是枝監督には敬意を表しますし(何様だよ。そしてつい最近見た、当方のこのフレーズ)これからの作品も楽しみだなあと思った是枝監督作品でした。

映画部活動報告「ダンケルク」

ダンケルク」観ました。


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いつだって妥協を許さない。そんなクリストファー・ノーラン監督最新作は…第二次世界大戦当時フランスダンケルクで起きた、イギリス軍撤退作戦『ダンケルクの闘い』。

当時の船や戦闘機を使って。臨場感が半端ない映像を作り上げた!!

(失礼ながら。今後ノーラン監督で表記させて頂きます)

 

…みたいな予告をばんばん打って。兎に角「ノーラン映画ここに極まれり」と言わんばかり。

いかほどのものかと。戦争映画なのにどこか期待に胸を膨らませて。公開初日に映画館に向かった当方。そして鑑賞後。

 

「これまでのノーラン監督のやり方を意識し過ぎていた」これは予習して観るべき案件であったと反省した当方。

 

1939年。当時イケイケだったドイツがポーランドに侵略した事で、イギリス・フランスが宣戦布告し第二次世界大戦は勃発した。その後ベネルクス三国(ベルギー・オランダ・ルクセンブルク)もドイツに飲み込まれ。フランスも追い詰められ。

1940年。英仏連合軍40万人の兵士はフランス北部の港町ダンケルクにまで追い込まれる。

この時。イギリスの当時の首相チャーチルはイギリス兵士に対し「戦う」のではなく「撤退」を命じた。とは言え。ドイツ軍の脅威は凄まじく。逃げ場などどこにもない。

陸海空。各々の時系列を変えて。兵士たちに共通するのは「祖国に帰る事」

そしてイギリス国民の取った、「彼らを連れ戻す」勇気と行動。

イギリスに今でも語り継がれる『ダンケルク・スピリット』

それをノーラン監督が圧倒的な迫力と映像で描いた作品。

 

2008年の『ダークナイト』間違いなくノーラン監督の出世作。そして脂がのったまま発表された2010年『インセプション』そして近年2014年『インターステラ―』

御多分に漏れず。当方も『ダークナイト』でノーラン監督を知って。一番好きなのは『インセプション』先日も自室を真っ暗にしてブルーレイ鑑賞をしておりました。

 

「でも…正直、その二作以外はそんなに嵌っていなくて…」

そもそもバットマンが好きな当方。なのであれこれ文句は言いますが一応『バットマンモノ』は観てしまう。

バットマンの持つ暗さ。そしてDCのやたら陰気な感じは確かにノーラン監督の持つ「生真面目さ」にマッチしていた…『ダークナイト』は。

「でも…ノーラン監督て生真面目で理屈っぽいから。ダークナイトは『ノーラン版バットマン三部作』の真ん中で。丁度いい感じに説明も省かれていたし、明らかに盛り上がるピーク内容やったからみやすかったけれど。その前後の『バットマン・ビギンズ』と『ダークナイト・ライジング』なんて鬱陶しくて観ていられんかったよ」当時の。そして今でもそう思う当方。

インセプション』に関しては波長が合ったからとしか言いようがない。ノーラン監督の提示するレギュレーションにすんなり共感出来たから。だから好きなだけ。あの設定に乗れなかったら、全く箸にも棒にもひっかからない。

「でも。ノーラン監督は決して受け手個人のインスピレーションに任せている感じはしない」

「兎に角俺の世界はこうなんだと。何重にも重ねてレギュレーションのご説明をする」「その為にも。登場人物のセリフだけでは無く。映像で納得させようとしてくる」「それこそが、ノーランクオリティーの『あくまでも本物』に拘った映像」

 

今回。イギリス人は知っているのかもしれないけれども。正直世界中では知らない者も数多いる『ダンケルクの闘い』を。そんな史実をどうノーラン監督がみせてくるのか。

 

「これまでのノーラン作品とは全く違う。説明しないノーラン作品」青天の霹靂。

 

陸海空。各々の時間軸を変えて。共通点は『ダンケルク』のみ。

 

波止場で。援護船を待つ若い兵士達。絶え間ない砲撃。やっと無事船に乗り込めたと思ったらすぐに沈められてしまう。そして再び海岸へと戻される。その繰り返し。

海で。母国イギリスから「兵士を助けよ」と民間船までもが船の貸出要請を受ける。そんな中。政府には任せておけぬと、自ら操舵して救助に向かった民間人。その親子と友人。

空で。形勢不良ながらも飛び出して行った空軍パイロット。

 

彼等について、殆ど説明は無し。兎に角「生きるか死ぬか」の非常事態の連続。逃げ惑い。時には仲間も押しのけて。「生きて帰りたい」「死にたくない」必死。

 

「俺…国に帰ったら結婚するんだ」「馬鹿野郎!お前が死んだら国の母親は!お前の幼い妹は!!」なんてデフォルトは無し。「今な…こういう事が起きているんだ」と説明してくれる年配のキャラクターも無し。そういった説明ファクターを一切排除。圧倒的な現場主義映画。説明なんかしないから。よく見て付いて来いと。

 

なので。観ている側はひたすら画面を追いながら「今はどういう事が起きていて」「助かって…いない!」等と頭をフル回転しなければいけない。これはこれまでのノーラン監督には無かった傾向。

 

「でも。確かに有事の最中とはこういうものかもしれない…。非常事態の中で何もかもを把握している人間なんて一握り。末端の人間は訳も分からず必死に動き回るだけで…」そう思う当方。何があったかなんて。随分経ってからしか分からないのだろうなと。

 

比較的分かりやすかった民間船のパート。「私たちが戦争を起こしたんだ。だから私たちが息子たちを助けなければならない(細かい言い回しうろ覚え)」キングスマンかと思わんばかりの英国紳士。あのきちんとしたシャツとセーターのご老人の、シャンとした佇まい。「危ないから戻れ!」始めに救助された兵士が怯える中。絶対に譲らなかった強い意志。

 

そして「祖国だ」のシーンに唯一目頭が熱くなった当方。

 

IMAXでは鑑賞しませんでしたが。それなりにハイスペックな映画館で鑑賞した当方。それでも十分に見応えのある映像でしたが。

どこかで聞いた「IMAXじゃなかったから全部を受け止められなかったんじゃないか」というご意見に眉を顰めた当方。だって。だってIMAXが無い地域だってあるやないの。画面のサイズやら見切れるやらで理解が変わる云々はナンセンス。

今回。ノーラン監督が新境地にチャレンジしたのは分かるけれど。バランスが悪かったかなとは思う当方。

 

いつにもまして説得力のあった映像体験。でも…言葉での説明を一切排除したのならば、いっそ無声映画にすれば良い。なのにに最後差し込まれた「ダンケルク・スピリット」

それは…下手したらプロバガンダになりかねないじゃないかと。そのスケールに落とし込みたかったんじゃないやろうに。なんだかなあ。

 

とは言え。これまでで完成されていたと思っていたやり方を。がらっと変えたノーラン監督には敬意を表しますし(何様だよ)、これからも付いて行こうと思った。そんなターニングポイントとなったノーラン作品でした。

 

映画部活動報告「散歩する侵略者」

散歩する侵略者」観ました。
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皆大好き。黒沢清監督の最新作。

末期状態であった夫婦。数日間の行方不明の後、見つかった夫真治は松田龍平になっていた。

 

「違う違う!」慌てて立ち上がる皆さま(誰?)。「『真治は別人の様になっていた』やろ!」

静かに続ける当方。

飄々と無表情で。妙に落ち着き払った態度と受け答え。病院に駆け付けた妻鳴海(長澤まさみ)も、どう対応したらいいのやら。ほっとしたのもあるけれど。それ以上に押し寄せる腹立たしさ。何故か歩くのもやっとの夫は、妻と二人になった時に打ち明ける。「ガイドになって欲しい」

時を同じくして。とある一家惨殺事件が発生する。一人だけ助かった女子高生あきら(恒松祐里)。彼女を取材しようと事件現場をうろついていたジャーナリストの桜井(長谷川博己)は、奇妙な少年天野(高杉真宙)に出会う。

「俺たちは宇宙人なんだ。地球を侵略する為に、まず地球人の『概念』を集めに来たんだ」「より多くの概念を集める為のガイドになって欲しい」

初めは半信半疑。しかし彼らと共に行動するにつれて彼らの主張を認めざるを得なくなっていく桜井。

「家族」「家」「仕事」「自分」果たして概念を奪われる事は不幸なのか。幸せなのか。奪われることで失うものは。そして愛する者が侵略者に奪われたら…。

 

前川知大率いる劇団「イキウメ」の同名舞台の映画化。昨年、神木隆之介門脇麦主演で公開された『太陽』も同じ劇団の作品であったと。なるほどなるほど。こういう不穏な奴がお得意なんですねと頷く当方。

 

ところで。始めに重大なお断りをしておかないといけないのですが。

 

「当方は黒沢清監督の事がとても好きなんですよ」

 

どうしてなのか…何故か当方が熱く黒沢清監督作品を語れば語る程「馬鹿にしている」と思われるという誤解がありますので。大好き宣言してから始めさせて頂きますが。

 

まあ。あれですよね。宇宙人=松田龍平というキャスティングでもう勝ったも同然。(誰に?)

松田龍平と全く面識もありませんし、失礼なのは承知ですが…(小声)いつもああいう感じじゃないですか。覇気も無いし、いつだって無表情で三白眼。ぼそぼそと喋る口調も朴訥として。のらりくらり。

「夫は別人になって帰ってきた」って。そのビフォアーを全く想像出来ない。想像出来ないけれど、「宇宙人=松田龍平になって帰ってきた」と言われればそれは飲み込める。

後の二人の若い宇宙人は結構役をしっかり作って気持ち悪くしていたと思いましたがね。でも松田龍平のみが通常運行。素でしっかり宇宙人。

 

原作ありきなんで。あんまりどうこう言えませんが…良く言えば「確かに舞台っぽい」はっきり言えば荒唐無稽。でも揺るがない。黒沢清監督作品に於いて、作品の整合性なんかを言うのは野暮だから。むしろおかしくなればなるほどニヤニヤが収まらず。

 

冒頭。女子高生あきらが遭遇する、惨たらしく荒らされた家と家族。でもそこから一転。血だらけの満面の笑顔で外を歩くあきら。

 

「本当につかみが上手いんよな」(誰とは言いませんが。ああいうシーンで大量過ぎる血をぶちまける某監督の下品さ。それに比べ、きちんとリアルな惨殺現場)さすがホラー出身の気持ち悪くて最高なスタート。

 

「家族」「家」「仕事」「自分」エトセトラ。エトセトラ。「それって何?」「説明できるように頭に思い浮かべて」そうやって相手に考えさせて。イメージ出来たところで「それ。もらうね」概念を奪い去る。奪われた人間に一瞬浮かぶ涙。でもそれもつかの間。

概念を奪われた人間は。ある者はそれによって全てを失ってしまう。でも幸せになる者もいる。そして多くの概念を奪われた者は…どこか虚ろなぼんやりとしたモノになってしまう。そしてそれは最早人間では無い。

 

「散歩して。多くの人間と会って。対面で質問して概念を奪う。そうして地球人のサンプルを入手する…って。結構ハードル高いけれどな」まあでも。町が世界が壊れそうになる展開を見ると、彼らはスクリーンでは見えない所で街頭インタビューをしまくったんでしょうね。

 

そして「一体国家は何処でどうやってその宇宙人云々の危機を察知したんだ」

 

一家惨殺の生き残りあきらと少年天野。そしてガイドの桜井。彼らが合流して行動すると。何故か武装した厚生労働省幹部に追われ。なんですか。彼らが去った後の。あの「概念を奪われた者が見せる奇異行動」ってやつ故ですか。

地球を侵略するというビックスケールの割に、一つの街に降り立ってちまちま活動する宇宙人たち。

「あかんあかん。そういう些細な事の揚げ足を取ってはいかん」我に返る当方。

 

終わっていた夫婦。同じ屋根の下に住みながらも最早心は離れていた。そう思っていた。なのに。

 

自分が知っていた真治では無い(当方達観客からしたら、元の夫の方が想像できないですけれど)からっぽで。でも放っておけない。

言ってる事は無茶苦茶。なのに。今再び持てる夫婦の時間。

「やぱり『岸辺の旅』以降。黒沢清監督にはこういう夫婦ものをやりたいという意志を感じる」何となくそう思う当方。

かつては他人。でも愛し合い。夫婦となって。でもだんだんすれ違う。そしてもう…終わり。決定的なピリオドが打たれたと思った所から…物語は始まる。

 

「終わり良ければ全て良しってか…」今回。余りに美しく着地した事に震えた当方。

 

お楽しみポイントをふんだんに散りばめて。

あの人が出てきた途端「地面に気を付けろ!また落とし穴に落とされるぞ」とニヤニヤした当方。「満島真之介の幸せそうな表情!でもあんたの主張意味不明やで」「カメラの動きが鬱陶しい!!」「またもや光を操る黒沢清!」そして「長澤まさみよ!!」

 

クリーピーなのはあんただよ」当方をニヤニヤの渦に叩き落とした、昨年公開『クリーピー』の竹内結子。あの「真夏に隣家にシチューの差し入れ。しかも透明の大きなボウルにサランラップで。両手に抱えて!どうやったらこぼさずに持ってこれたのか。そしてお宅にはタッパーは無いのかね?」等の面白過ぎた主婦。そこまでは行かなくとも。

 

「あんた…圧力鍋何処やったっけ?って。何故階段から持って降りてくる?台所にも置いてないって、それ使ってないアイテムやん」「真ちゃんそれ前は絶対に食べなかったのに。って何その食べ物?かぼちゃ?ですか?色的に。何故他の食材は全て皿に盛っているのにその謎の食べ物だけタッパーから直に食べているのか?」しょうもないけれど見逃がせない。黒沢清映画あるある変な主婦炸裂。

 

もう一人のガイド。桜井こと長谷川博己。そのブレブレな人間性と最後の面白ウォーキング。脳裏に焼き付いて離れず。そして東出昌大最強伝説。

 

当方の中で松田龍平に並ぶ「宇宙人俳優」東出昌大。その彼がまさかの「愛を教える牧師」役。その絶妙な配役と、案の定うさん臭い話が始まった…と思いきや即刻カット。次のシーンで松田龍平の言った言葉に本当に笑ってしまった当方。

 

129分に渡って。終始滑稽な話を繰り広げるんですが…本当に「終わり良ければ~」なんで。何だか感動的な話を観た様な。じんとした気持ちにすらなってしまう。

今回そうやって着地している事で「ぬるい!」という声も当方は聞きましたが。

 

しっかり黒沢清テイストは引き継ぎながらも。最近の経験を活かして話をまとめたんだと。そう思いましたし。当方は十分ニヤニヤと楽しむ事が出来ました。

職場にて。今日の昼休憩でも、空気を無視して同僚にお薦めする当方。

 

ただ…何故か当方が熱く黒沢清監督作品を語れば語るほど、どうしても「馬鹿にしている」と誤解されてしまうんですよ。ですので最後にもう一度。

 

「当方は本当に黒沢清監督が大好きなんですよ」

 

映画部活動報告「幼な子われらに生まれ」

「幼な子われらに生まれ」観ました。
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40歳。バツイチの主人公、田中(浅野忠信)。同じくバツイチで二人の娘を持つ奈苗と出会い、再婚。

『善き夫。善き父親』であろうと。仕事より何よりも家族を最優先。

妻の妊娠。

めでたいはずなのに。幼い次女は喜んでくれたのに。難しい年齢の長女との関係は、それを機におかしくなってしまう。

 

重松清原作。道理で…」主人公田中を追い詰める状況。仕事。家族。妻の元夫。そしてかつての家族。全方位から押し寄せる、容赦ない圧迫感。観ている方もどんどん息苦しくなっていって。

 

「娘と一緒に居られる時間はあっという間ですから」会社では定時退勤。飲みの誘いも受け付けず。手土産にケーキを買って真っすぐ帰宅。

「なかなかサラリーマンでそれが出来ている人は居らんで~」素敵な事だとは思いますが…案の定、工場に出向(左遷)させられる田中。

家族優先とはいえ。仕事が傾けば家族の経済基盤が破たんしてしまう。そんな不安。

なのに。その大切な家族事体がグラグラに揺れ出して。

 

「あの長女…憎たらしかった」

思春期。反抗期。自身も心身共に成長していく年齢。そんな時に母親が妊娠。何も分かっていない妹は能天気に騒いでいるけれど…色んなフラストレーションがふつふつと湧いて。抑えきれなくて。

「いや。分からんくは無いんやけれどな。でも…余りにも子供すぎる」

「子供が生まれたら、私たちは捨てられるんだよ」幼い妹にまでその矛先は向いて。

そして挙句の果て。「本当のパパに会わせて」と言い出す始末。

 

田中と前妻との間に生まれた娘。前妻に引き取られた娘とは、今も月に一回会っていて。

でも違う。田中と前妻友佳と、今の妻奈苗と元夫沢田の関係性は全く違う。

沢田の暴力。最終的には長女にまで手を上げた事で破たんした夫婦。

「もう死んだのと同じよ」「あの子が沢田に会いたいなんて言う訳が無い」奈苗が言う様に、長女が会いたいなんて思うはずもない人物。

ただただゴネたいだけ。この収まらない気持ちをぶつけたいだけ。そして父親を最も嫌な言葉で傷つけたいだけ。

「じゃあどうしたいんだ」イラつく当方。

長~い目で見たら、これは時間しか解決出来ない事なんやろうと思う当方。今すぐ皆がすっきり出来る解決策なんて無くて。あの長女の態度も言葉も物凄くムカつきましたが、これをずっと抱えて言わなかったらそれはそれで歪みそう。

ただ…親しき仲にも礼儀ありというか…言葉って心に残るから、家族とはいえ何を言ってもいい訳じゃない。となると、長女のやっている事は正に覆水盆に返らず。

いつか大人になった時「子供やったな」と思う日が来ると当方は思うけれど…その時の自身の居場所を今壊している事になってるよ…という痛々しさ。それが堪らなくて。

 

田中麗奈扮する奈苗。これがまた「べったり依存系主婦」

ベタベタした喋り方。(絶対一人で立てる強さがあるのに)誰かにすがって生きて行きたいタイプ。ああ嫌い。当方の苦手なタイプの女性。

(本当はあの長女はこの母親に怒りをぶつけたいんやろうな、と思った当方。でも出来ない。それをしたら本当に取返しが付かなくなると感じているから。だから言いたい事を父親に言っているんだろうなと)

 

そして奈苗の元夫。沢田。(宮藤官九郎

「ちくしょう。クドカン。最低やのに…最高やないか」泣く当方。

「あいつねえ。すがってくるでしょう。鬱陶しくてね。」「あいつの嫌がりそうな事は全部やりましたよ」「あいつと結婚して良かった事なんて何も無かったですよ。子供が生まれたらもっと悪くなった」

呑む喰う打つ。女にも手を出して。常にイライラ。奈苗に暴力を振るって。

(2004年のクドカン初監督作品『ドラッグストア・ガール』の主人公が田中麗奈でしたね。確かあの時「田中麗奈さんが大好きで大好きで…」と語っていたクドカン。そんなクドカンがまさかの田中麗奈に暴力を振るう役なんて…)

長女が本気で会いたい訳が無い。でももうどうしていいのか分からなくて。沢田に会いに行った田中。でも会うたびにただただ沢田のクズっぷりを見せつけられる田中。
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「なのに…」

あのデパートの屋上で。そこに現れた沢田に、思わずタオルを口に押し当てて泣く当方。あんなの…ずるい。

暴力も何もかも。沢田のやった事に同情の余地など無い。でも。彼が田中に語ったのは結局は虚勢。語らなかった、沢田にしか分からない『かつての家族』への気持ち。

 

「あの時ああしていなかったら」

夜。コンビニの駐車場に停車した車内。田中の前でひたすらそう連呼した田中の前妻、友佳。

「あの時~していなければ」でもそんなたらればには意味が無い。全て自分で選んで今がある。分かっている。そんな事は。分かっている。

「貴方は理由は聞くけれど。気持ちは聞かないのよね」

いつもそうだったと田中を責める友佳。

「いや…結構貴方の行動よく分からんかったけれどな」12年前の二人を見てそう呟く当方。

 

「一体どう決着をつけるつもりなのか」

 

結局。崩壊寸前まで追い詰められた田中家を救ったのは、かつての家族。

 

ところで。この田中家のある、独特な集合住宅。「知ってる」

そしてエンドロールのロケ地で「西宮名塩」のテロップに頷く当方。

子供の時。週末と言えば、車で色んな所に連れて行ってもらった当方。一家でドライブ。その時、高速道路でよく見かけたあの住宅地。

恐らく。かなりの急斜面に所狭しと建てられた家々。それらを繋ぐケーブル。

「ああいう風になっていたのか~」いつも車内から見ていたその町を。新鮮な気持ちで見た当方。

(因みに、夜はそのケーブルに明りが灯るので。「きらきらしてきれい」と思って見ていた幼かった当方)

 

つぎはぎで出来た家族。一見上手くやっていたけれど。新しい家族が増える事で起こった新陳代謝。それは家族皆に痛みが伴ったけれど…そうやってまた深まった絆。

 

そして父になる」「そして家族になる」

 

いつか。あの憎たらしかった長女も含め、家族の皆で穏やかに笑い合える。幼な子はそんな希望でありますようにと。祈るばかりです。

映画部活動報告「午前十時の映画祭 おしゃれ泥棒」

「午前十時の映画祭 おしゃれ泥棒」観ました。
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今年の夏休み企画。午前十時の映画祭『オードリー・ヘップバーン特集』

ローマの休日』の期間以降、暫く当方には休日がありませんでしたが。何とか最終作品に滑り込む事が出来ましたので。幸い、未見であったこの作品を観に行く事が出来ました。

 

1966年。ウィリアム・ワイラー監督作品のアメリカ映画。オードリー・ヘップバーン37歳。お相手はピーター・オトゥール

 

有名美術品コレクターの父シャルルと一人娘のニコル。数多の美術品を所有する彼の持ち物は実は贋作で。シャルル自ら、その作品の時代の絵具を入手して贋作作成。それを金持ちに売り捌いたりして生計を立てていた。その事を唯一知るニコルは、いつ父親が捕まるのではないかと気が気ではない。

ある時。『チェリーニのヴィーナス像』(勿論贋作)を近くの美術館に展示出品する事となったシャルル。「絵画と違って石像はバレるって!!」と不安がるニコル。

そして。「余りにも貴重な品なので保険を掛けたい」という美術館の申し出に、何の気なしに書類にサインしてしまったシャルル。途端に「一応ヴィーナス像の価値を査定する為に権威ある者に検査してもらう」と言い出す美術館サイド。内心慌てふためく親子。

時は前後して。美術館でヴィーナス像に惚れ込んだ美術商ソルネは、美術品専門の探偵デルモットにシャルルについて調べて欲しいと依頼する。

シャルル不在の夜。こっそり屋敷に忍び込んでいたデルモットはあっさりニコルに見つかってしまう。威嚇の為ニコルが発砲した銃に依って負傷するデルモット。

「俺は泥棒だ」と嘘を付いた(いやいや。人の家に不法侵入して何かを盗む事は泥棒と言うんですがね)デルモット。いまいましいけれど。警察に届ければこちらも贋作についての腹を探られかねない。見逃すニコル。しかし。

「後数日でヴィーナス像は鑑定される。そしたら偽物だとバレてしまう…その前に盗まれてしまえばいいじゃないの」

デルモットにヴィーナス像の強奪を依頼するニコル。

そして。ついにその日がやってきた。


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(全体的に由美かおるっぽいんですよね)

可愛い可愛い。エレガントでチャーミング。そんなオードリー・ヘップバーンが。どちらかと言うとコミカルな演技全開でやっていた今作。

 

まあ。何をどうしようが結局「貴方の父親も貴方も小悪党だから」という設定。

あっけらかんとした父シャルルは勿論。「パパ!」とキャンキャン騒ぐニコルだって、愛するパパを通報する事は一切無く。その金で贅沢して。寧ろ「捕まって…私達終わりよ!!」と悲観。あらあら。

 

なんて大らかな時代。そもそも贋作がここまで世間にはびこる事は現代ではあり得無い。そして美術館泥棒なんて最早不可能犯罪。人間以上の叡智を駆使してのセキュリティー。(全く詳しくありませんが)ですが。それを言っては野暮。

「だってこれ。普通に面白い」

 

ちょっと見ただけで。そして、忍び込んだ時に入手したサンプルで贋作だという事は分かっていたデルモット。でも「どうしてヴィーナスを?(持ち主が盗むの)」とカマを掛け続け。言い出せないニコル。この下りだけで高まる当方のS気質。

結構そのやり取りにも時間を掛けて。

 

お決まりではありますが。この作品には「ラブコメ」の要素も勿論入っていますので。

「何なのかしら。泥棒の癖に図々しい。逃げられないから車でホテルまで送れってなんなの。しかも…お別れのキスって」

「いつも行く先々に現れるあの人。いつだって強引で…」

「何なのかしら。思わせぶりな態度。私には婚約者だっているのに。(ニコルの奴。もの凄くライトな感じで美術商ソルネと婚約とかするんですよ)貴方とは仕事のパートナーよ」

だけど・気になる・昨日よりも・ずっと(アニメ:ママレード・ボーイより)

何だかんだ気持ちは高まって。だってあいつは甘くて苦い。気になるママレード・ボーイだから。(我ながら寒い…ギブミー・ブランケット)

 

この作品での一番の見どころは、やっぱり『決行の日』

1966年。今から51年前!の作品とはいえ。順を追って全てネタバレしていいとは思いませんので。ふんわりさせますが。これが面白かったです。古びない。

「磁石のネタ」「警報機の音量と人間心理」「ビール瓶」そして「物置小屋での出来事」

 

「神様。明日で世界が終わるなら、こういうシチュエーションを当方に下さい」

 

憎からず思う相手と二人。閉じ込められた狭い物置小屋。たまに警備員が扉を開けに来るなんていう絶対絶命もお約束。外から掛けられた鍵をどうやって開けるのか。そして吊り橋効果も相まって。急速に縮まる二人の距離。確かめ合う互いの気持ち。そしてキス。もう次のシーンからはラブラブな二人。その余白を想像して悶える当方。

(ただ…置き換えてみても。残念なまでに膀胱の許容量が無い当方は「だんだんトイレに行きたくなってきた…」という悲しい告白をする展開しか想像出来なくて…切ないです)

 

「そしてお姫様は王子様と仲良く末永く暮らしました。」とさ。

そういう展開になるしかない、何の不安も感じさせない幸せ物語。

 

「でも。逆にそういう物語って、今は作れないよな…。どんなにハチャメチャな世界観に見えたとしても、それを納得させる整合性は必要やし」

 

そう思うと貴重。貴重なオードリー・ヘップバーンの夢物語。

何だかほんわかした気持ちになる。午前十時の映画祭夏休み企画でした。