ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「存在のない子供たち」

「存在のない子供たち」観ました。
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レバノン発のドラマ映画。ナディーン・ラバキー監督作品。

 

「両親を告訴する。僕を産んだ罪で。」

獄中に居る12歳の少年が両親を告訴した。

 

ベイルートのスラム街に住む12歳の少年ゼイン。貧困層に位置する家庭は数えきれないほどの子供を持つ大所帯。学校にも通えず、幼い兄弟達と路上で物売りをする日々。

いつも一緒に居た、一つ下の妹が強制的に結婚させられた。逆上し家を飛び出したゼインを待ち構えていたものは。

 

出演者は似たような環境に置かれた素人。けれど彼らが各々の立場をありのままに演じたことで、まるでドキュメンタリーかの様な生々しい作品に仕上がった。

 

「海を渡った先には、今でもこういう問題を抱えた子供が居るのか。」「貧困層移民問題。生きていくためにと人身売買すれすれの方法で扱われる子供たち。」「自分の国に希望が持てないと見限って、他の国で幸せを目指す少年少女。けれど彼には戸籍すら無かった。」「そもそも存在が無いってなんだ。」

 

主人公ゼイン(演じたのはゼイン・アル・ラフィーア。当時12歳。本物のシリア難民)。両親と多くの兄弟の内の長男(多分)。

一つ下の妹やら数名で路上に毎日立ち。なんだか怪しげな野菜を売る日々。その卸しをしている雑貨屋の親父が、何だか最近妹を狙っているようで気にくわない。

「学校に行けば食事も出るし、家に持ち帰れるものもあるかもしれない。」「学校?そんなの必要ない。」同じような年ごろの子供たちは皆学校に通うのに。両親は話に上がっても結局受け流してしまう。

ある日。強引に妹の結婚が決まった。泣き叫ぶ妹を無理やり連れていく両親。「こんな所、二度と戻るか‼」家を飛び出し。車やバスを乗り継いでゼインが行き着いた先は遊園地。

そこで働いていたエチオピア移民の女性。シングルマザーでまだ1歳の息子ヨナスを育てながら必死に生きているラヒルと出会い、共に暮らしながら近くの市場で働き始めるゼイン。

といっても以前やっていた物売りと大して変わり映えせず。ガラクタを見つけてきて売る程度。

しかもある日突然ラヒルが失踪。その理由も分からず。ヨナスを残されますます困窮を極めるゼインの生活。

12歳と1歳ではどうにも出来ず。

市場で知り合った同世代の少女から「他の国へ出るのよ。」という話を聞いたけれど。出国するには自身の存在を証明する書類が必要と知り、嫌々実家に戻るゼイン。

そこで、自分には書類等は一切存在していなかったということ。そして絶望の知らせを知ってしまう。

 

「痛々しい。こんな。こんな。」

125分の本編の中、8割方は胸を痛めるばかり。とにかく12歳ゼインに押し寄せる展開が余りにも辛辣過ぎて。

一体誰が主体の家なのか。雑然とした場所に多くの子供たちが雑魚寝。両親は子供の目などお構いなしにまぐわい、また新たに子供を作る。…なんのために?

話ががっつり飛びますが。後半の裁判のシーンで母親が「子供たちを食べさせていくのって大変なのよ!(言い回しうろ覚え)」みたいな事を言っていたと思うのですが…。

「そこは子供たちに物売りをさせたり家事をさせることでまかなっているという事ですか?あなた達は家族が食べていく為の人員として子供を使っているんですか?女の子ならあわよくば後々物資やお金と引き換えに嫁にも行くし?」なんやそら。涙目で喚く母親に冷ややかな目を向けてしまった当方。

 

妹が不本意な結婚をさせれらた。もうこんな家には居れないと。行き着いた先で出会ったラヒルとヨナス。女手一人でヨナスを育てようと必死なラヒル。その愛情たっぷりな姿には一見好感が持てるけれど。

実は不法滞在移民だったラヒル。元々はメイドとしてきちんと働いていた。けれど、恋人が出来て妊娠したことで解雇。追い出された。

出産はしたけれど。結局息子ヨナスだってゼインと同じ。国籍も無く、国としては『存在のない子供たち』。

どうにか偽の身分証明書を手に入れようと画策していたのに。不法滞在の罪で拘束されてしまったラヒル

 

「結局、大人の都合で振り回されているのは子供たちやないか。」

移民問題に当方がアレコレ言える事は無い。知識も、現実にそういう事態になっている人たちの思いもあまりにも知らなさすぎるし、何を言っても薄っぺらい。(知る努力はするべきだとは思っていますよ。)けれど。

 

大人たちが抱える、貧困や国籍やプライドや生活。そんなツケを12歳や1歳の子供に背負わせるのは絶対に違う。

 

無責任な家族計画。そうして莫大に増えた子供たちに『存在』を与えない。それを貧困のせいにする。

確かに置かれた状況はシビア。子供の為にも何とか身分を作りたい。そうあがいている途中だった。

 

実際に放り出されてしまった彼らが。12歳と1歳でどうやって生きていけというのか。

 

まだ授乳中だったヨナス。赤ん坊が口に出来るものを調達しようとするけれど。限界。

「仕方ない。仕方がないよ…。」目をウルウルさせながらゼインの判断にうなづく当方。そして自身の身分証明ができる書類と取りに行った実家で知った衝撃の事実。

 

暴力沙汰を起こし少年院に入る事になったゼインに、追い打ちを描けた両親。(人ってそこまで無神経になれるものなんですかね?流石に…。)遂にゼインが立ち上がる。

「両親を訴えたい。僕を産んだ罪で。」

 

「子供を育てるって大変なのよ!」「私だって11歳の時に嫁に来たわ!」「お前たちには俺ら貧困層の気持ちなんて分からないだろう!」哀しい泥仕合

けれど両親にゼインが放った言葉は観ている側も含めた全員の総意だった。

「育てられないのならば、子供を作るな。」

 

これはゼインの両親に限らず。もっと多くの人に向けたメッセージだと。そう思った当方。

 

随分と息苦しい展開が続きますが。時々挟まれる幸せなシーン達。

ゼインと妹が町を見下ろすシーン。ラヒルとヨナスとゼインで過ごした日々。そして。最後にやっとゼインが見せた表情。これは救われる。

 

これはレバノンを舞台にした架空の物語。けれど監督による3年のリサーチを経て、実際に似た境遇の素人が配置されて紡がれた。作り物であるけれど、背景にあるものは作り物ではない。

終始溜息。心を痛め、辛くなりますが。こういう作品が観られるのは貴重なので。できれば今後も観ていきたいと思う反面。

 

こうして世界に向けて発信し評価されている作品は、一体本国ではどういう扱いでどういう層が観ているのかと疑問に思う当方です。

映画部活動報告「守護教師」

「守護教師」観ました。
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韓国映画最強の男マ・ドンソクが教育的指導!」

「アジア版ハルク」「強面なのにおどおどした態度で可愛い(でもキレたらメッチャ強い)。そんな森のくまさんキャラ。マ・ドンソク。ラブリーを兼ねてニックネームはマブリー。」

そんな一部の韓国映画ファンから絶大な人気を誇るマブリー兄さん。

当方も御多分に漏れず。「マブリー兄さんが高校教師?しかも女子高の⁈」

鼻息も荒く。足早に映画館に向かった次第でしたが。

 

元ボクシングチャンピョンのギチョル(マ・ドンソク)。暴力沙汰を起こしコーチの職を失職。知り合いのつてを頼って得た職業はなんと『女子高の体育教師』だった。

辺鄙な田舎にある高校。慣れない環境に何とか馴染もうとするギチョル。しかし…「行方不明になった親友を探している。」という生徒ユジン(キム・セロン)の存在を知って。

授業をサボって危ない場所に首を突っ込む。ユジンから目が離せず後を追いかけたギチョルだったけれど。直ぐに気がつく。「この町は何だかおかしい…。」

 

ヒューマンサスペンス。という括りになるんですかね。

辺鄙な村社会で起きていた異常事態。よそから来た人間だから分かったその不気味さ。村社会ならではの無法地帯。行政も司法も村の有識者の前では無力。そうして有識者による犯罪はかつて堂々と横行し、握りつぶされてきた。しかしいつまでもそんな事は続かない。

「曲がった事は大嫌い。は~ら~だたいぞうだ!(さあ一体どれだけの人がコメディアン原田泰造の歌を知っているか)。」

腐りきった村社会にマブリーの鉄拳制裁!…とまあ。そういう流れでしたが。

 

元ボクシングチャンピョン、ギチョル。そんな彼が新しく得た職業は高校教師。けれど赴任先は辺鄙な場所にある女子高。

体育教師が名目だけれど。実は「授業料を滞納している生徒の借金取り立て役」という教育現場では聞いたことのない職務も兼任。

それを遂行している最中。浮かんできた生徒ユジン。取り立て対象の生徒と親友で、なおかつ彼女は失踪中。けれど地元警察は捜索活動にまともに取り合ってくれず、一人で探し回っていると。

授業をバックレ。繁華街をうろつき、挙句危ない場所に首を突っ込む。見ていられなくて追いかけるギチョル。

案の定危険な目に合うユジンを何度も救いながら。「どうして警察はまともに取り合わない?」「何故ユジンは執拗に狙われる?」疑問を募らせていくギチョル。

ユジンと共に消えた生徒の行方を追うが…。

 

「一体俺は誰と戦っているのか。そして一女子生徒の失踪から見えた、この町に蔓延っていた腐敗。」「大切な命が体裁の元、ないがしろにされる。」「皆はどうせ家出したんだろうって言う。でもそんなの信じない。私は彼女が居なくなった真実を知りたい。」

 

切り込んだが最後、すっぱりネタバレしそうなんで。正直このままふんわりさせたまま煙に巻こうとしている算段ですが。

(だって。結局武骨なはぐれ教師と女子高生がすったもんだしながら失踪した同級生を探していたら、思いもかけない大きい魚を釣り上げてしまった。というお話なんで。(…小声)目新しい何かは無いんですよ)

 

「ああ。こういう町の有識者の子供が歪んだ躾を受けた結果、とんでもないサイコパス野郎になってしまう感じは大好物ですよ!」途中、個人的にちょっと色めき立った部分もありましたが。

 

「結局、マブリーの女子高体育教師要素が無さすぎる…。」

しょんぼりした声を出してしまった当方。

「車のサイドガラスを拳で割るマブリー。」「壁なんて拳で破ってしまうぜ。」「安定の体一つで解決するマブリー。」そこは安定のマブリーで大満足。でしたが。

 

「何なのあの熊。」「いやらしい。私たちの体操着姿見てるわよ!」「バレーボールを握り潰した⁈」「(貧血起こして倒れた生徒を運んでいる途中)きゃっ。触らないで!」

体操服着た女子高生との授業風景、皆無。

借金取り立ての光景は少しありましたが。足りない。あまりにも『女子高の体育教師』設定が生かされていない。「マブリーの教育的指導」ってどこだ。

いつも通りの兄さん要素は十分。けれど…女子高生との戯れを期待してしまった当方、正直肩透かし。

戯れ…といっても。とある人物(成人)に対し「相手は未成年だぞ!」と恫喝していた所からも。「ホッ。そういう絡みというか、ラブ的な展開は無し!」と安心しましたが。当方が見たいのは単純に『こまっしゃくれた女子高生に翻弄されるマブリー兄さん』というだけだったので。マブリーには清廉潔白であってほしい。

 

「韓国の階級社会にメスを入れた…。」そういう社会派サスペンスではないので。ただただ流れに身を任せるしかない本編。「ああ…こいつが犯人…じゃないと思ったら…。」と目の前で何度もオセロがひっくり返るのを目の当たりにしているばかり。そしてどうやら韓国でも映画の世界では警察は無能らしい。

 

ところで。今年春から入職した新人が「韓国のマッチョ俳優が大好き」と言っていたと聞きつけ。沸き立つ気持ちを抑えながら、秘蔵のマブリー兄さんのポストカードを自宅から持ち出した当方。(『無双の鉄拳』と『守護教師』の鑑賞半券を提示することで貰えた先着特典ポストカード。)休憩時間が合わなくて、仕方なく彼女の韓流仲間にポストカードを見せた所。「あ。こういうのとは違います。」

どれだけマブリー兄さんのラブリーな部分を語ろうとも「細マッチョが。」「シュッとした男前が。」

 

「くっそう。どうやら当方の身近には、今のところ映画部長以外マブリーの魅力を分かち合える友は居ないらしい。」

今後マーベル作品にも出演予定なのに。せいぜい韓国本国で可愛いマブリーをいじっている内に、当方もそれをしがんでおこうと。そう思う次第です。


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映画部活動報告「よこがお」

「よこがお」観ました。
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深田晃司監督作品。筒井真理子主演。

ある事件をきっかけに『無実の加害者』に陥れられた看護師の市子(筒井真理子)。平々凡々と暮らしてきた彼女の日常が突然無責任な世間に取り上げられ、崩壊へと追いつめられる。事件は自分には関係ない、身に覚えのないことなのに。

一人の女性が理不尽な運命に巻き込まれた時に見せた顔とは。そしてそれを受け入れて再び歩き出すまでの絶望と希望を描いたヒューマンサスペンス。

 

あらかじめお断りしておきますが。

当方はこの主人公市子の職業『訪問看護師』について、多少知っている部分があって。なのでどうしても「なんやそら」の視点が多くあり、おそらくこの作品を素直に観られていない部分が沢山あります。念のため悪しからず。

 

訪問看護師の市子。真面目な勤務態度で利用者さん家族からの信頼も厚い。プライベートでは職場上司の医師戸塚(吹越満)と婚約中。戸塚は前妻と離婚し、幼い息子と二人暮らしだが市子と息子の関係も良好で結婚は秒読み。

とある利用者さん宅の娘、基子(市川実日子)。学校を卒業し現在はニートの彼女は何かと市子を慕っていて。「私も介護職に就きたい」と希望。仕事終わりに基子の勉強を見てやるのが市子の日課だった。

ある日、基子の妹が失踪する。まだ中学生。騒然とする中。数日後に若い男と居る所を発見保護されたが。一緒に居た男は市子の甥だった。

「あなたが引き合わせたんだ。」「甥の性格に影響を与えたのはあなただ。」

私は関係ない。そう思うのに世間の糾弾の手は市子に伸び…。

 

「市子がどれだけ技術的に秀でた看護師なのか知らんけれど。利用者さんとの距離感を間違っているな。」序盤から真顔になる当方。

どういう規模で展開している訪問看護ステーションなんだか知りませんが。一人の看護師が担当している利用者さんは普通何人もあって。話の進行上そこは語られませんでしたが…もしあんなトロトロやってたらどれだけ時間があっても足りない。

サービスの内容も選択次第ですが。保清。食事介助。吸引や投薬、処置。やることが一杯あるのに限られた時間で、看護師はてきぱき動き。たとえ「お茶でもどうぞ」に預かっても家族とはちょっとお話する程度。本当にしっかり聞くべき内容(大抵は行政介入や施設云々とか)ならばケースワーカーなんかをご紹介。「システマチックな。何て愛が無いんだ。」そう言うのならば個人専用の人材を雇えばいい。高齢化社会のこのご時世、介護を金で買うってそういうことだ。

「市子さんみたいになりたい。」現在ニートの基子。介護士になりたいのならば然るべき学校を調べて入学したらいい(入学する事自体はそんなに難しくない)。そういう手立てを調べてやれよ。

もし看護師になりたいのだとしても、最低限必要なのは中卒ないし高卒資格。看護学校や看護大学入試に向けて勉強するべきで、どちらにせよ試験には看護も介護も知識は要らない。

つまりは、「一体基子は喫茶店やファミレスで何の勉強をしているんだ?」という疑問。あれ、何の問題集開いてるんですか?そして現役看護師の市子は何の勉強を見ているんですか?

正直勤務時間外に利用者さんの家族と関わり過ぎていると感じている上に、その娘の進路相談にまともに乗っている様には見えなかった。

 

まあ…そういう余計な視点が入っているので…正直話に身が入らない。

「中学生を誘拐した二十歳の甥っ子。」

これがねえ。殆ど語られないんですわ。「何故そんな事を?」「そして中学生妹の心境は?」「二人に何があったのか?」何となく匂わせるシーンもあるにはありましたが。肝心なそこは言及されない。

(蛇足だと分かっていても。どうしても甥っ子に真実を語って欲しかった。そう思った当方。どんな内容でも。部分的でも。でないと、本来糾弾されるべき誘拐事件の存在が薄くなりすぎているから…。)

 

「事件のきっかけは一家に出入りしていた訪問看護師。」「彼の性的嗜好に影響を与えた叔母の存在。」

よくもまあ…と思ってしまうマスコミの糾弾。しかもセンシティブな性的案件まで(あれは流石に下世話)お茶の間に流される。市子はただの人なのに。何も罪を犯していない。法に触れたのは甥なのに。じわじわと社会的に殺されていく市子。

 

その引き金を引いたのは基子。市子に想いを寄せるがあまり、その想いをかわされた途端牙をむいた。私はこんなに市子さんで一杯なのに。私を置いてきぼりにして幸せになろうっていうの?…そんなの許さない。

私の妹の平穏を奪ったのは誰?そいつはどうして妹を知った?私たち一家を壊したのは市子さん。勝手に離れて行こうだなんて許さない。

 

「そういう束縛するタイプ。嫌いやわあああ。」メンヘラ系女子が地雷の当方、自爆。

 

誇りをもっていた仕事。愛。社会的信頼。全てを失った。けれど…やられっぱなしではおれない。

 

依存心全開の基子も苦手だったけれど。何より市子の定まらない印象に危うさと不気味さを感じていた当方。

あの犬のシーン。池のシーン。日常生活から乖離した場所での支離滅裂さ(すみません。当方には解釈する努力が湧きませんでした)。

「何故今そんな話をするんだ?」市子が基子に語った、唐突すぎた「昔あの子が小さかった時にね…。」幼少期の甥っ子に対してやったいたずら。(本当にねえ。あれ、何であんな事言ったんですか?ぶっこみもいいところ。会話のセンスが意味不明。)

市子が基子に対して行った復讐のベタさ。

「メンヘラ基子が依存し、暴走した原因は市子の異常性。存在自体が不穏。」

 

そういう不穏な存在市子を巧みに演じていた。それは確かに女優筒井真理子の力だとそう思いましたが。

 

よこがお。片方の顔が見えている時。もう片方の顔は隠れて見えない。人間の多面性を表したというタイトル。

 

ああ。こういう顛末になるのか…資格職やし、働く場所と部署を工夫すれば看護職続けられそうやのになあ。しみじみとそう思った市子の行きついた先。

 

いかんせん。主人公の職業に対する茶々が入り過ぎて…なんだかまともに観れなかった。なので感想も纏まらず支離滅裂。ただ。

今まで視線をそらせなくて。そうしてがんじがらめになった関係から目をそらした。横顔。そして踵を返す。もう二度とそこに視線をやることはない。振り返らない。

そうやって歩き出した市子と甥っ子への希望のラストだと。そう思いたいです。

映画部活動報告「ワイルドライフ」

ワイルドライフ」観ました。
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「14歳。僕は父から男のプライドを。母から女の逞しさを学び。そして大人になった。」

 

俳優ポール・ダノ初監督作品。キャリー・マリガンジェイク・ギレンホール出演。

地味でもっさりした風貌とは裏腹に。俳優のキャリアは幅広く多才。そして私生活ではゾーイ・カザンとパートナー。そんなリア充(あくまでも当方の印象です)ポール・ダノ

近年で言えば、2017年ワタナベアカデミー賞作品賞受賞の『スイス・アーミーマン』等々。映画部部員としても大好き俳優の一人。そんな彼の初監督作品。

またキャストが豪華。キャリー・マリガンジェイク・ギレンホールが夫婦なんて。あんなに濃い顔立ちの父親からポール・ダノっぽい顔の少年が生まれるもんなんですかね。そう思わなくもなかったですが。

「ああこの少年。M・ナイト・シャマラン監督の『ヴィジット』に出ていた少年やん。」

主人公ジョーを演じたオクセンボールド、ビル・キャンプ。「おばあちゃん、ぼけてるの?それとも…やばいの?」壊れた老人たちが織りなす恐怖映画に出ていた孫の少年。「おっと。この少年のデコの広さ。なんか胸がざわざわするな。」そう思わせたあの少年。

何だか前置きが長くなってしまいましたが。映画を観た先人たちの評判も良く、そして監督及び出演俳優陣も気になったので。観に行った次第でしたが。

 

「これは…丁寧に…丁寧に家族が壊れていく様を描いている。」「大人が完璧じゃないって。確かに子供が初めてそう気づくのは両親なのかもしれないな。」

 

1960年代。カナダに近いモンタナ州の田舎町。親子三人で引っ越してきたばかり。

父親のジュリーはゴルフ場勤務。専業主婦のジャネット。そして一人息子のジョー。

田舎での生活がやっと軌道に乗り始めた頃、ジュリーは職場から突然解雇されてしまう。

なかなか次の職を見つけられず。挙句の果てには山火事を消す出稼ぎに旅立ってしまったジュリー。残された母子の生活は暗礁に乗り上げ。母ジャネットはスイミングプール、息子ジョーは写真館で働き始める。

幸せだった家族。その歯車がきしみ始め。家族の元を離れてしまった父親。孤独感と寂しさから、許されない処ににすがってしまった母親。

あの素晴らしい愛をもう一度。そう願うのは息子だけ。覆水盆に返らず。どうやっても戻れない夫婦の関係。その切なさ。

 

それをまあ。大自然の田舎をバックに、あまり緩急をつけずに描いていくもんで。

ちょっとでもお疲れ食後ボディで挑もうものならば。下手したら眠りにいざなわれる。けれど。万全の睡眠と集中力を持ってたら。心のやらかい所を締め付けられる事必須。

(当方は…一瞬まどろみの世界に連れていかれましたが。話を見失う事はありませんでした。)

 

「なんかなあ。分かる気がするよ。」

個人的な話ですが。1990年代中盤。日本経済が本格的に落ち込みだした頃。当方はまさしくジョーと同じく10代半ば。

当方の父親の職にも不景気の波ががっつり押し寄せた。その頃を何となく思い出してしまいながら鑑賞していましたが。

 

ジョーの目から見た両親と家族。決して生活は裕福ではないけれど。ジュリーは昼間働いて、夕飯は家族で揃って食べる。その日あったことなんかを話しながら。夜は両親はお酒を飲みながらゆったり過ごす。彼らの傍ら、宿題をして。分からない所は両親が見てくれる(ジャネットは元教師)。そんな何でもない、穏やかな日々。平凡だけれど安心して過ごせる幸せ。なのに。

ジュリーが職場を解雇された事で一変してしまった。一方的な解雇だったので、すぐに職場からは復職してほしいと依頼がきたのに。プライドが許さず元には戻れなかったジュリー。けれど新しい仕事を探す気にもなれない。鬱屈とした日々。

このままでは生活がたちゆかない。働き始めたジャネット。バイトを始めたジョー。

これでジュリーが次の仕事を見つけてくれたら。そう思っていたのに。まさかの『山火事を消す仕事』という出稼ぎに出てしまう。

 

「生活力が無い男のロマンほどばかばかしいものは無い!」

夢やロマンなど、何かしらの生活の基盤あってこそ。そう思うのに…山火事?何それ?しかもそれ…かなり危なそうなのに。どれくらいの収入になるの?

 

「娘さんよく聞けよ 山男にゃ惚れるなよ」「山で吹かれりゃよ 若後家さんよ」

(ダークダックス/山男のうた)

 

こんな田舎町で家族三人。引っ越してきたばかりでまだ友達だっていない。貧しくったっていいじゃない。一緒に今の状況を打破しないの?どうして?

ゴルフ場だってあなたの腕を認めているのに。悪かったのはこちらだ。帰ってきてくれって言ってるのに。

ジャネットの気持ち、痛い位に分かる。残されたジャネットが、スイミング教室で出会った金持ちに気持ちを引っ張られるのもこれまたよく分かる。けれどなあ~。

 

きれいごとを言うならば…両親共に「息子が居るんやから。あんたがしっかりしないと。」なんでしょうが。そんなの詭弁。

 

おそらく20代で結婚し息子が14歳。そんな30~40代の男女。

父親であり母親。けれどそれ以前に男であり女である。家族を作り、生活してきた。けれどその基盤が傾いたとき。

勿論家族は大切だけれど。それでも守りたいポリシーがあった。

一人になってしまった。これからどうしよう。寂しい。誰かそばにいて。抱きしめて大丈夫だって言って。そんな時。『誰か』が現れてしまった。

 

当方は(独身)貴族なので。家族を持つ気持ちは想像でしかありませんが。けれど30~40代の世代として、この男女の心理は共感し理解できる。

誰も悪くない。誰かが何かを少し我慢すればこういう事態は避けられたとは思うけれど…もう哀しい位に関係は崩壊に向かっている。不可逆的に。

 

大人になってしまった側から観れば。溜息ばかりですが。そりゃあ現在進行形で家族が壊れていく渦中に居る息子ジョーは辛い。辛すぎる。

 

「でもな。大人になるってこういう事なんよな。」

理不尽で。自分の意志ではどうにもできない。泣いて喚けば状況が変わるのならばそうする。でもそんな事では何も変わらない。そういう事って生きていると時々起きる。

 

変わっていく家族の形。けれど変わらない事もある。家族全員にとって苦しかった日々も、後になれば全てが悪かったわけじゃない。

 

ポスターにも予告にも使われた家族写真のシーン。あの家族にあった出来事と、それを経ての夫婦の関係を一枚に収める。確かに秀逸なシーン。

 

リア充俳優ポール・ダノ。恐るべし。なんなんだこの情緒は。余韻は。

初監督作品とは思えないレベルに「チッ。すっげえな。」当方は舌打ちが止まらないです。

映画部活動報告「工作 黒金星と呼ばれた男」

「工作 黒金星と呼ばれた男」観ました。
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1992年。「北朝鮮が核開発を行っている。」「…って北朝鮮が核を持っている⁈」。

現在でこそこの事実は世界中に周知されているけれど。

当時緊張が走った朝鮮半島。韓国の軍人、パク・ソギョン(ファン・ジョンミン)は工作員として北朝鮮への潜入を命じられる。コードネームは『黒金星(ブラック・ヴィーナス)』。任務は『北朝鮮の核開発の実態を明らかにすること』。

ちょっとしたミスが命取りのミッション。命を落とした先人たちを肝に据えて。

事業家として北朝鮮に潜入。3年の工作期間が実を結び、北朝鮮の外交を取り仕切るリ・ミョンウン所長(イ・ソンミン)との接触に成功する。

互いに重ねられた腹の探り合いを経て、何とか信頼関係に持ち込み。ついに最高権力者金正日との接見に成功したパク。

しかし1997年。韓国の大統領選挙における、韓国と北朝鮮の裏取引に己のすべてをかけた工作活動が利用されると知った時。

彼は祖国である韓国を裏切るのか?北朝鮮はどう動くのか?

 

昨年日本で公開された韓国映画『タクシー運転手』『1987、ある闘いの真実』。

近代韓国史の映画化。それは民主化運動など…いうなれば『国の汚点』(あくまでも韓国政府側から見た視点)。

「近代国家として世界に名をはせているけれど。今の国の成り立ちにはこういうことがあった。」そういった題材を急に映画作品として発表している感のある韓国映画界。

韓国映画界全体について全く知識がありませんが…そんな印象がある)

ジャンル無制限。ほわほわしたラブものからアクション、バイオレンスなど…数多に広がる中、当方が韓国映画で一番好きなジャンルは『ノワール作品』というジャンルですが。それはともかく韓国映画全体に通じる印象は『全力投球』。

ラブもアクションも暴力もエロも。とにかく振りかぶる。中途半端など笑止。そういうエンターテイメント精神が、良くも悪くも近年急に目に付きだした『韓国近代史社会派映画』に引き継がれている。

 

「日本でこういう案件を映画化した時。ここまでエンターテイメントとして仕上げられるのだろうか?」

別に近代史に限られた事ではありませんが。どうも実在の出来事…しかも社会政治案件は堅苦しく、後付けの倫理観にがんじがらめになる印象の日本映画。

よくよくみれば、先述した韓国社会派映画も勧善懲悪の傾向はあるのですが…実際スクリーンで物語が進行しているときのハラハラ感は完全に別物。息つく間もない。ちゃんとエンタメ作品として昇華されている。

 

1992年~1997年。当方が小~高校生位だった、そんな時代に韓国ではにこんな事があったなんて。10代だった当方にとっては日々生きているのが当たり前、命の危険なんて全く感じた事もない。そんなたった20年前位前に。実際にあった出来事。

 

まあ。先述した社会派エンタメ映画と今作が共通している条件として「手練れ俳優の配置」というのも大きいと思う当方。脚本や演出は言うまでもなく。とにかく俳優陣が上手い。上手すぎる。

「あ。自分『コクソン』の祈祷師な。」祈祷合戦なんて後にも先にも見ること無いと思われたファン・ジョンミン。今回も「どこの孤独のグルメかな?」という松重豊ビジュアルで綱渡りの韓国工作員。国軍情報司令部・少佐パク・ソギョンを演じ切り。
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「ヘウォンメク!」つい最近の『神と共に/第一章・第二賞』で冥界の使者を演じていたチュ・ジフン。今回は北朝鮮国家安全保衛部課長チョン・ムテク。絶対にパクを信じないスタンスで、人を食った態度でのらりくらり。でもそういうの…調子乗っていたら鉄拳制裁(粛清)食らっちゃうよ~。
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そして…誰よりもいぶし銀な胸熱キャラだった北朝鮮対外経済委員会・所長リ・ミョンウンことイ・ソンミン。
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国から指令されて潜った北朝鮮。俺の使命は『北朝鮮の核開発の実態調査』。それさえうまくやればこんな危ない仕事とはおさらば。そう思うのに。

やっとのことで知り合った、本丸に近い相手。初めは喰えない奴だと思っていた。なのに。何度も逢瀬(わざとの言葉チョイス)を繰り返すにつれ、相手と俺との共通点が見えてくる。

自分の国が。相手の国がどういう状況なのか。本当に相手は敵なのか。

何を考えているのか分からない。そんな相手じゃない。もしかしたら…誰よりも自分の国の状況を理解していて、良くなるように考えているんじゃないのか。

俺たちはもともと繋がっていた…もしかして。俺たちが手を組めば。俺たちは上手くやれるんじゃないのか。

国を背負ったスパイ行為。でもその先で出会った友情。

 

 「北風作戦?正直初めて知りましたけれど。」

韓国政府に大きな変化が起きそうな時。この作品では大統領選挙でしたけれど。

これまでも韓国政府に頼まれた北朝鮮が分かりやすく軍事境界線などで暴れていた。「こりゃあ現政権に守ってもらわなければ。」そう韓国民に思わせるため。そんなの思ってもみなかった。

(これを知ってしまった今。なんかきな臭い雰囲気のタイミングで北朝鮮から飛翔体送られているんじゃないかと勘繰ってしまう当方)

 

ああ。流れ的に結構なネタばれをしてしまう…止められない。大変申し訳ありません。

南北は完全には断絶していない。北朝鮮は韓国に依存している闇売買があるし、そして韓国も政治的な局面では北朝鮮に芝居を打ってもらわなければいけない。そういう国同士の隠れウインウインな関係と。せっかく自身が築き上げた南北の架け橋が天秤にかけられてしまう。

 

確かに俺は事業家じゃない。嘘ものでスパイだ。でも嘘事業家として出会ったそいつは本物だったんだよ。本当に、自分の国がどうすれは貧しさから打開できるのかを考えて、俺の計画に乗ってくれたんだよ。

そしてその事業は本物として軌道に乗っている。俺たちは今、互いの国が良い方向に向かう。そういう希望を作っている。

 

嫌だ嫌だ嫌だ。何故今祖国から事業を取り上げられる?…せめて俺の手落ちとかならまだしも。お前たちは全く違う案件から、俺たちの事業を潰そうとしている。

 

その打開策を講じたのがまさかの『名前を言ってはいけないあの人』(ハリポタのあの人ではありません)だったという…またもや胸の熱い展開。そしてその『北の御方』(あさきゆめみしみたいな言い回し)に会うシーンの並々ならぬ緊張感。

 

「これは…絶対に粛清されたよ…。」そう思って(心の中で)おいおい泣いた当方を、もう一度泣かせた最終シーン。

 

終始、中島みゆきの声で「テ~ルラアアイト。テ~ルラアアアア~」と流れ続けた脳内。熱すぎた男たちの友情に胸が熱くなりすぎて体が痛い。

 

ところで。韓国という国に対して、いい加減知識不足が過ぎると思い始めている当方。

何だか色んな情報が錯そうしていますが。当方には「皆が嫌いなら当方も嫌い!」という幼さはないし、そもそもの知識がない。好きだの嫌いだの言う次元にない。

「韓国とは。朝鮮半島とは一体どういう生い立ちで、どういう考え方をしてきたのか。」

せっかく近代史も語り始めてくれているのだから。そろそろ知る努力をするべきなのではないかと。

知りもせずに良くも悪くもアレコレ言いたくない。

あんなに素晴らしいエンタメ作品を産み出す国に。そう思う当方です。

映画部活動報告「マーウェン」

「マーウェン」観ました。
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バック・トゥ・ザ・フューチャー』『フォレスト・ガンプ』等のロバート・ゼメキス監督作品。

アメリカ。実在するイラストレーターのマーク・ホーガンキャンプを題材とした作品。

 

2000年。ニューヨーク州郊外。当時38歳だったイラストレーター、マークはある日バーからの帰宅中に暴行に会う。犯人たちはどちらも10代の若者5人。直前にマークとバーで会話をしており、犯行のきっかけは『マークへの不快感』だった。

女装癖。特に女性の靴に対しての嗜好が強かったマーク。しかし、他人に迷惑をかけるような行為は無く、単純に個人の趣味として自己満足していた程度。

暴行を受け瀕死状態。9日後やっと意識を取り戻したが、マークには成人以降の記憶がなく。それどころか日常生活すらままならない状態にまで陥っていた。

早々に公的な補助を打ち切られたマーク。重いPTSDを抱え治療も十分に受けられない中、理解ある周囲の手伝いもあって、自身と周囲の人々を模した6分の1フィギアの写真を撮り始める。

地域の人たちの力で彼の写真は雑誌に連載され、NYのギャラリーで個展も開催。

ジェフ・マルムバーグ監督によってマークの物語は『マーウェンコル』というドキュメンタリー映画として制作2010年公開。様々な賞に輝いた。

 

~という実在の人物マーク・ホーガンキャンプを。当方大好き俳優スティーブ・ガレルが演じると知って。

7月19日劇場公開。結構早く観に行ったんですがねえ…超個人的なアレコレ。『パソコン水死事件』『新しい仲間を迎えるまで』『布団との熱い戯れ~離れられないアイツ・2019夏~』『すべての思考と時間を奪うSAKE』くだらない日々は危うく当該映画感想ブログとの決別を迎えるところでしたが。

恐らく映画鑑賞直後なら、いつものごとくだぐだ順を追って感想を綴るのですが。

時を置いた今。ちょっと俯瞰した場所からこの作品をぼんやり見てみたい。そう思う当方。

 

「ああこれ。セルフ『箱庭療法』だ。」

 

箱庭療法心理療法の一種。主に小児に用いられる。

箱の中にクライエントが、セラピストの見守る中で自由に部屋の中にあるオモチャを入れていく手法。(ウィキペディア先生から一部抜粋)

 

『6分の1フィギアの写真撮影』GIジョーのホーギー大尉と5人のバービー人形が織りなす戦いの日々。にっくきナチス親衛隊との攻防を撮った写真たち。

ホーギー大尉はもちろん自分自身。そして5人のバービーたちも周囲の支援してくれている女性たち。にっくきナチス親衛隊だって犯罪被害者を投影したキャラクター。そして『魔女』という存在…。

自宅及び庭をジオラマ風に。執拗にホーギー大尉を狙うナチス親衛隊と彼に魅せられともに戦うバービーたち。バービーは一応に皆ホーギー大尉を愛しており。けれど彼を愛するということは身の危険を意味する。

 

とまあ。実も蓋もない言い方をすると…マークが撮っているのは入れ食い状態のハーレム女子戦隊のリーダー、ホーギー大尉のハードボイルド日記な訳ですよ。

 

「実話ベースなんやから突っ込みにくいけれど…なにこれ。」正直そう思ってしまう点、いくつもある。(完全に主観であることは認識しています)

「何だかんだ結局生活に困窮するわけでもなく、自宅で人形相手に暮らせるマーク。」

「何だかんだ周囲の人たちに愛されているじゃないか。一部のとち狂った若者にはえらい目にあわされたけれど、おおむね支援者に恵まれているように見える。」

「何だかんだマークの世界観が苦手。この入れ食いちやほやストーリー。」

 

勿論。他人とは違う嗜好を持っていたからといって、いわれもない暴力を受けていいはずなどない。ヘイトクライムによる偏見。深刻な差別…。

 

「当方が今作を観て何だかしっくりきていないと思う理由。それはあまりにも『マークそのもの』を表面的に扱っているにとどまっているように見えたから。」

 

ヘイトクライムからの暴力を受けた男性。PTSDに苦しみながらもたどり着いた表現の世界。それは箱庭療法的な作用を彼に症し。結果加害者たちと向き合う勇気を得た。

そういうストーリーであったと。そこに、ゼメキッス(わざと)の力量で描かれた、雄弁な人形たちの世界。その説得力。ですが。

 

「何故彼らはマークに暴行を働いたのか。」

 

あまりにも深すぎて、足を突っ込むのも恐ろしいヘイトクライムの加害者心理。

 

どうして加害者少年集団はマークに暴行を働いた。事前にバーで会話していた38歳の男性。その場で目立った小競り合いが起きていたわけでもないのに。

 

「女装に興味があって。特に女性の靴、ハイヒールが好きで収集。自身で履いてみたりもする。」

 

…だから?「その靴でお前を踏ませてくれ。」「その靴でお前を云々。」そういう接続詞がない限り、ふーんと聞き流せる気がする当方。けれどそれは当方がええ年した中年だから。

実際にもあった犯人集団は10代の少年5人。…おそらく暴行理由は「マークが気持ち悪かったから。」

 

数年前。とあるホームレス男性を暴行死させた10代少年集団の国内ニュースを思い出した当方。それも断片的なニュースを見ただけなので。詳細は推測でしかありませんが。

 

そんなの個人の自由なんだから。誰にも迷惑をかけているわけじゃないんだから。そんな嫌悪感を抱かなくても。そんな潔癖ともいえる嫌悪感。

 

若さ故じゃない、幾つになってもそうやって相手を見る奴はいる。絶対にこう、とは言い切れませんが。

男らしさ。女らしさ。大人なんだから。恋ってこういうものだ。正しい性癖って。この国の人間なんだから。そうやって何らかの枠組みを自身の頭の中で決めてしまって。そこから一歩でも外れた人間を見たらいたたまれなくなって攻撃してしまう。

だらしない。みっともない。何やってんだお前は。

 

けれど。そうやってあらゆるものに対して『節度』を求める人間にも「視野が狭い」とは言い切れない当方。例えば「私はマイノリティだから~」とカミングアウトすることと個人のレベルを下げることは違う。けれど「私は皆と違うんだから~」を免罪符扱いに甘えてくる輩は実際に存在する。「仕方ないって。俺は~なんだから。」そう言って堕落した自分を正当化して笑う輩。下手すれば「悪いのは周りだ」と開き直る輩。

各々が個人で決めてしまった『節度』『倫理観』。そのボーダーのアンバランスでどうにでも解釈出来てしまう危険性。どうしてもそこに気が取られてしまって。

 

10代の少年たちから見て、40歳手前の男性がバーで酔って「女性のハイヒールが~。」と語る姿はどう映ったのか。当然加害者を擁護している訳ではありませんが…そいういう視点も求めてしまった当方。

 

流石ゼメキッス。人形たちが動く様は最高だった。「彼の演じる役に外れなし」と勝手に太鼓判を押しているスティーブ・ガレル(『フォックス・キャッチャー』での憐れな練習風景シーンは涙が出ました)は今回も深みのある演技をしていた…正直、本当に彼に救われたなと思いましたし、セルフ箱庭療法PTSDを乗り越えようとしてるマークの姿には胸が熱くなったりもしましたが。

 

いかんせん。ややこしい性格故に。

終始『マーク側だけじゃなくてさあ』『加害者側の心理』『もっと突っ込んだ、俯瞰で見た状況』が気になった作品でした。

映画部活動報告「ハッピー・デス・デイ」「ハッピー・デス・デイ2U」

「ハッピー・デス・デイ」「ハッピー・デス・デイ 2U」観ました。
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大学生のツリー。目が覚めたら9月18日。月曜日の朝。

大学男子寮の見知らぬ部屋。スマートフォンのアラームで目が覚める。二日酔いで最悪の朝。散々やらかしてしまって、昨夜の事は殆ど覚えていない。

おはようと声を掛けてきた、この部屋の住人男子。「始めまして。覚えていないと思うけれど…俺カーターって言うんだ。」誰?散々悪態付きながら部屋を出る。苛々する。

男子寮を飛び出せば。目くばせしてくる男子。署名を求めてくる地味な女子。クラッシュする車。芝生でいちゃついていたカップルには水が浴びせられ。おバカな男子サークル集団の新入生がぶっ倒れる。一回デートしただけの男子が付きまとって来る。振り切って自分の寮に帰宅。朝帰りをなじられる。ルームメイトのロリにちょっとお小言を言われた後、カップケーキをもらう。「今日誕生日でしょう?おめでとう。」

「おやつは食べないの。」ロイの目の前でケーキをゴミ箱に投げ捨てる。今日は講義に出席しないと。既婚者のバトラー教授は今お気に入りの彼氏。

パパから何回も着信が来ている。「誕生日だしランチでも。」パパの事嫌いじゃない。でも数年前にママが亡くなってから、パパとは上手く話せない…。無視を決め込む。

夜。寮の皆が開いてくれるパーティに向かう途中。トンネルで不気味なマスクをかぶった人物と遭遇。

 

殺された。

 

そして目が覚めた。9月18日。月曜日の朝。

 

「ゾンビ。殺人鬼。そういった無差別に人間を襲う作品で、一番に殺されるタイプ=ビッチの金髪女子。」正にそのビジュアル。主人公の女子大生ツリー。

誕生日に殺され、目が覚めたらまた誕生日に戻っている。じゃあ同じ事をしなきゃ良いんじゃないの?…なのに毎回自分が殺される所で終わる。

どうすれば?どうすれば9月19日を迎えられる?

 

2017年アメリカ公開された『ハッピー・デス・デイ』。2019年公開の続編『ハッピー・デス・デイ2U』。有難い事に、同日に続けて鑑賞する事が出来ました。(8時40分からと11時から。同じ映画館、同じ箱。)

基本的に当該映画感想ブログは一作品で一つの枠で運用しているのですが…まあイレギュラーに合作で行こうと。何しろ二つの鑑賞時間にほぼブランクがありませんので。

 

お話について、粗を探せば幾らでも。そんなザルな所はあるけれど。この作品の最大の魅力は主人公のツリー。そう思った当方。

自分が殺される日に戻る。しかも記憶は残されたまま。そんな恐怖は無いなと思うのですが。「また⁈」怒り狂う。兎に角主人公のツリーが強い強い。

見た目からしてギャルでビッチ。酔って知らない男子と一夜を過ごすなんてザラ。今も教授と絶賛不倫中。見た目の良い、意識高い系の頭の空っぽな女子たちとつるんで、地味な子や忠告してくれる子はないがしろにする。

けれど。誰かに執拗に殺される体験(無いなー)を繰り返す事によって、人間的な成長を見せていくツリー。その様が清々しいし、段々ツリーが可愛く見えてくる。

目が覚めた時に一緒に居たカーター。けれど彼は泥酔していたツリーを純粋に心配して介抱してくれていた。「ヤッテないの⁈」(それは分かるだろうよ…)。

思わず相談。荒唐無稽としか思えないツリーの話にも付き合ってくれた。そんな親切なカーターに惹かれていくツリー。

「犯人は誰?」「私を殺したいくらいに憎んでいる相手は…。」心当たりがありすぎる。しかも何回も繰り返しているうちにツリーの体力が消耗し限界が近づいている事も分かった。もうリミットが近い。

繰り返される誕生日。始めは無視していたパパからの連絡。だって…二人で会っても気まずくて。

「ママがもし今の私を見たらがっかりするだろうな…。」大好きだったママ。何でも話せる親友みたいだった。けれど数年前にママは病気で亡くなった…残されたパパと私は一緒に居ても気まずくて。

つまりは。ビッチでイケイケなツリーの内面が引き出されていくにつれ、観ている側は「そうだったのか~。」「素直になれよ。」と応援したくなってくる。しかも「よし今回こそは。」と無事9月18日を乗り切れる!と思いきや。毎度あの不気味な仮面が襲ってくる。

連続殺人犯が近くの病院に収容されている。犯人はもしや…。なんて急展開も見せていましたが。

「ああ。これは完璧な9月18日だ。」ツリーが、何回も繰り返した事から編み出したベストアンサー。その素晴らしさに感動すら覚えた。その後の急転直下。

 

正直犯人は「ああ~何か大風呂敷広げた割に、ありがちな動機。」という肩透かしでしたが。まあ上手く落とし込んだテンポの良い、見やすい作品だなと思った『ハッピー・デス・デイ』。

 

なので。「え?続編て。」と思わない訳にはいかなかった。

そもそもの『どうしてツリーは同じ日をループし続けたのか。』という疑問へのアンサー編。

カーターのルームメイト、ライアンが作った実験的量子反応炉。それが稼働した事でタイムループが生じ、それにツリーが引っかかったと。(書いている当方自身も全く意味が分かりません。)

大体ツリーだって、一体大学で何を学んでいるのかさっぱり分かりませんでしたけれど。

カーターのルームメイト、ライアン。織田信成みたいな顔立ちの彼は…工学系?の学生らしく。量子反応炉というやたら校内の電気を食う装置を開発している所だった。

度重なる大学校内の停電に腹を立てた学長に依って撤収されるー。その直前に稼働させた事でまたも9月18日に飛ばされたツリー。

「またあ?!」怒り狂うツリー。でももう攻略方法は分かっている。そう思ったけれど。何だか違う。前と違う。

パラレルワールド。カーターは同じ寮に住む、頭の空っぽなダニエルと付き合っているし、前回あんなに執拗に命を狙って来た犯人との関係も変わっている。なのに命を狙われ殺されるのは変わりない。何これ。誰が犯人なの?どうなっているの?

 

ともあれ、元々自分が居た世界線に戻りたい。そして9月19日を迎えたい。そう思うのに…。

この世界ではママが生きている。

 

それなりにバシッと決まって幕を閉じた前作。そこから幕を再び上げるとなるとここまで「どう転んでもおかしくない。」にするしかなかったのか。

 

「いやいやいや。中途半端なSF要素入れると却ってわけわかんなくなるんちゃうの。」案の定。当方の語彙力では到底説明不可能なんですが、ツリーは不完全な装置によってタイムリープを食らっていたと。しかも今回は全く同じでは無くて、平行世界=パラレルワールドに落ち込んだと。

不完全な装置を正しく作動させるには、莫大な計算を要して正しいアルゴリズムを取得しなければいけない。ツリーは殺され目が覚めるごとにライアンに会って、これまで暗記してきた計算式を伝え。新しい可能性に欠けるしかないと。

「ああもう面倒臭い。大体なんでツリーにその装置の波動?が適応したのか。」「冒頭のパラレルワールドから来たライアンの下り、あれ何?どうなったの?」何だか急に理屈っぽくなってしまったなと。…溜息。

 

ともあれ。わかりやすかったのは「この世界では、カーターは恋人では無いけれどママは生きている。」

不満だらけの世界線だけれど、唯一無二の条件に動揺するツリー。

恋人を選ぶのか。ママを選ぶのか。

 

「もうさあ。9月18日に拘らなくて良かったんじゃないの?カーターと恋人になって…せめて数日とか経ってさあ。それからカーターのルームメイトライアンと再会。で、変な装置に行きついたらいいんじゃないの?どう?」

「で。別の日をループ。ツリーが殺される云々の部分はカットして。」

「ループ先では他人のカーター。けれどママは生きている。元々居た世界線に戻りたいけれど…ママを失いたくない。揺れ動くツリー。」

「っていうシンプルなストーリーで良いんじゃないのかね?なんていうか…欲張りすぎてパンクしちゃってるし、前回綺麗に纏まったお話が…無かった事になってしまうよ。」

 

耐えきれなくなってわあわあ騒ぐ当方。前作のテンポの良さと着地に納得していたので…これはちゃぶ台返しじゃないのか。そう思うと何だか勿体なくて。

 

まあ…当方がSF設定自体をイマイチ理解できなかったのが悪いんでしょうけれど。

何故『ビッチなギャルが、自分が殺されるという日を繰り返すことで人間的に成長するストーリー』から『理屈っぽいSF要素の入ったパラレルワールドストーリー』に続くんだ。ちょっと解せない。

 

何分、二つの作品の鑑賞にタイムラグが無かったからなのか。脳内で整理する事なく、せいぜい20~30分後には続編を観たからこんな気持ちになってしまったのか。

 

まあ。この二つの作品を通じて当方が感じた事。

「一作目は全身の力を抜いて楽しめる作品。色んな粗なんてどうでもいいくらい主人公が好きになって応援したくなる。」「続編は。何となく上手く着地はしたけれど…欲張り過ぎたのかな?不完全燃焼。」とは言え。折角の続き物を一気に観れたのはやはり面白い体験だった。そう思いますが。

 

「後。ループを重ねるにつれ、どんどんおバカキャラになっていくダニエル(ツリーと同じ寮に住む意識高い系ギャル)が不憫。」

決して悪いやつでは無いのにな。

続編の最後。ダニエルの悲鳴に胸が痛んだ当方。お笑い要員と言っても…可哀想です。