ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」

バトル・オブ・ザ・セクシーズ」観ました。
f:id:watanabeseijin:20180714201530j:image

1973年。当時の女子テニス女王ビリー・ジーン・キング29歳と、1938年に年間グランドスラムを達成し国際テニス殿堂入りのボビー・リッグス55歳による『バトル・オブ・ザ・セクシーズ=テニス男女対抗戦』が行われた。

 

女子テニス選手が男子と比べ1/8のギャラしか支払われない事に憤り。ビリー・ジーン・キングはテニス協会を脱退。仲間の女子選手達と『女子テニス協会』を立ち上げた。

スポンサーを見つけ。徐々に興行を伸ばしいつつあった女子テニス協会。そんなある夜、ビリーにボビーから男女対抗試合の申し込みの電話が掛かってくる。

「男性優位主義対フェミニストのバトルはどうだ!」

馬鹿らしい。そんな茶番に付き合えるかと一旦は断るが。

当時『テニス界の最も有名な母』と呼ばれたマーガレットが試合を承諾。そして母の日にボビーに惨敗した事で、ビリーはボビーとの試合を受けて立つ事を決心する。

 

ラ・ラ・ランドで米アカデミー賞主演女優賞を受賞したエマ・ストーン最新作』

元々正統派美人というよりコロコロ変わる表情で輝く彼女。…にしても、髪を黒く染めて70年代眼鏡を掛けただけでこんなに野暮ったくなるなんて。(という事は漫画王道の「眼鏡を外したらあの子は美人パターン」ってある…って事ですかね?当方は男女問わず眼鏡っ子が大好きなんで認めたくないんですが…)

まあ。ともあれ。実際の『ビリー・ジーン』を画像で見たら。凄く忠実な再現でした。

 

そして『ボビー・リッグス』を演じたスティーブ・カレル。

エマ・ストーンも良かったですが、この役をスティーブ・カレルが好演した事も非常に良かった。このペアだから成り立った作品だと思う当方。

(当方がスティーブ・カレルが純粋に好きだというのもあります。『フォックス・キャッチャー』のあの悲しすぎる『ママの前での茶番稽古』のシーンは映画部の中でも「泣くしかない」と話題に上がった、切ないシーンでした)

「女性がコートに立つ事は必要だ。球拾いが要るからな。」「女は台所と寝室に居たらいい。」言葉だけ聞いたら何て嫌な奴なんだと憤りを感じますが。ボビーを見ていてそこまで憎たらしいとは思わなかった。

 

「と言うのもボビーは完全な道化だからだ。」(当方の印象)

 

元テニス王者。殿堂入りした伝説の選手。そんな大層な肩書きを持つけれど。

ギャンブル依存症。強制的にカウンセリングにも通わされているけれど。家族に隠れて隙あらば賭け事に興じ。妻からは呆れられ。三下り半を突きつけられる。

妻を愛している。別れたくない。けれど…ギャンブルも止められない。

「俺は根っからの勝負師だ。」

お金の問題。ギャンブル仲間との関係性。テニス界に対するもやもや。最近調子に乗っているビリー・ジーン。女子テニス協会の存在。…けれど。当方にはボビーがそれらをまともに考察して出した挑戦状には見えなかった。

 

「どう思う?男子と女子がテニスで戦う。本来ならば実現しないけれど、今のテニス協会のゴタゴタにかこつければやってやれない事は無い。現世界王者だけれど男子に比べれば非力な女子選手と、元世界王者だけれどシニアの俺。これ、面白くない?」

 

根っからの勝負師ボビー(しかもメンタルは無敵な少年)のワクワク案件。加えてボビー、盛り上げ上手。

 

けれど。そんな挑戦状。受ける訳にはいかない。

 

「どうして女子は男子に比べて劣っていると思うの。」「私たちのやっていることだってテニスよ。」テニス協会は馬鹿だと息巻いて。付いてきてくれた女子選手たちと立ち上げた『女子テニス協会』。潰す訳にはいかないと必死で興行する日々。

 

そんなある日。お調子者ボビーからのバカげた挑戦状。

「そんな事をやっている暇は無い。」という気持ちと平行して「もし負けてしまったら…。」という不安。

 

「年齢的にはこちらが優位かもしれない。けれど相手はシニアとはいえ男子選手。負けてしまったら?もし世界王者の自分が男子選手に負けたら。まさに『女子は男子に劣っている』という偏見に屈してしまう事になる。」

そんな戦い、受ける訳にはいかない。

 

なのに。同じ女子テニス協会のマーガレットがボビーの挑戦状を受けてしまった。

しかも惨敗。

 

これは自分が出るしかない。出ないと…。

 

この世紀の対決に至るまでと、最終の大会までがメインストーリーとなる訳ですが。

 

「おお。これそういう話やったのか。」

あまり劇場で予告編を見る機会が無かったのもあって。ほぼまっさらな状態で観に行った当方。(テニス事情も全く通じていない)

『ビリー・ジーン・キング』という女性の人となり。どういう活躍をした人物なのか。そして彼女のセクシャルティ。今回初めて知りました。

 

女子テニス協会を立ち上げた当時。ビリー・ジーン・キング。つまりはキング夫人。

結婚していたビリー・ジーン。優しくてハンサムな夫とは、遠征が多い事もあってほぼ別居状態。けれど互いに愛し合っている。そう思っていた。けれど。

女子テニス協会の設立広報の準備で知り合った美容師のマリリン。彼女に惹かれてしまった。

「女性を好きになった事は無い」「私には夫がいる」そう思っていたのに。(またねえ。マリリン役の女優さんがまた…なんかエロいんですよ)互いに求め合って。盛り上がって。止められなくて。

 

時代は1970年代。色んな価値観が変わっていくけれど。如何せん同性愛に対する理解などまだまだ厳しかったのであろう時代。

恋人が出来た。そうは言えなくて。(まあ…結婚しているって言うのもありますし)この感情を誰かには言えない。自分でもどうしていいのか分からない。集中できない。そんな精神状態のブレは案の定テニスにも影響してしまって。

 

そうやってもがいていた中での『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』。

 

結局ビリー・ジーンがどういう選択をしたのかは後日談のテロップと、当方が後から調べた情報から知りましたが。

 

「男だとか女だとか。そこに優劣を付ける事は出来ない。個人を見る時、性別は関係ない。男だから。女だから。そんな『だから』は存在しない。人を枠にはめて判断してはいけない。なぜなら誰もが自由だから。」(当方の解釈)

 

今日。皆が注目するような世紀の試合をした。試合の結果は出た。けれど。それはテニスの試合にはとどまらない。

 

最後。歓声に沸くコートに向かうビリー・ジーンに。ずっと一緒にやってきた衣装担当のスタッフが掛けた言葉。頷いて後歩きだした彼女の。その決心。

 

「いやあこれ。こういう話だとは思いませんでしたよ…。」「後。正直あのテニスシーンは何処まで凄いのか…誰かテニス経験者の方教えて欲しい。」「事実は小説よりも奇なり。」

実話ベースの深みに唸りましたが…出来ればテニス経験者か詳しい人に色々聞きたいとも思う当方です。

 

映画部活動報告「マッド・ダディ」

マッド・ダディ」観ました。
f:id:watanabeseijin:20180710204604j:image

それは突然始まった。

 

ニコラス・ケイジ主演。

アメリカ郊外。一軒家に住むブレント一家。サラリーマンの父。専業主婦の母。生意気な女子高生の姉。こまっしゃくれた未就学児童の弟。四人家族。

取り立てて問題がある訳じゃ無い、けれど特に特徴もない。どこにでもいる平凡でさえない一家。

 

今日だってそうだった。何てことない平凡な一日になるはずだった。

各々仕事や学校に行き。残された者もスポーツクラブに行ったり友人に会ったり。夜からはブレントの両親も遊びに来る。皆で一緒に夕飯を囲む。その日に起きた、他愛もない事を話合う。そんな一日になるはずだった。なのに。

 

今日は何故か陰鬱な気分になるニュースばかりが流れる。「親が突然我が子を殺した」何故?何故今日はそんなニュースばかり?何だか街の様子もおかしいし…胸騒ぎ。

 

どうしても気になって。仕事を早退し帰宅。そして我が子の姿を見た途端…ブレントの中の何かがはじけ飛んだ。

 

…という事を、主に姉弟視点多めでやっておられました。

 

「いやあ~これ…何て言うか…中途半端というか…。」歯切れが悪くもごもご言う当方。「オープニングが一番良かった。そこで終了しちゃった…というか…。」

 

不条理劇なんですよ。そりゃあ、『親が我が子を殺す』というセンセーショナルな内容なんですから当然ですけれど。

けれどこういうのって、大体『実は訳の分からない未確認生物に依って突如人類の思考に変調がもたらされ云々』とか『未知のウイルスに依って人間凶器と化してしまった大人達!さあ!子供達よ立ち上がれ!』みたいな…みたいなこじつけ(例題が凄いチープ)があるじゃないですか。でもこの作品には『親がどうしてこうなったのか』という説明は一切ない。(最後それっぽいフレーズがかすめましたけれど)

なので始まりは唐突だし、「これってどう落とし込むつもりなんやろう…まさか投げっぱなすとか…」という不安も心の中でどんどん膨らむ上に、まあ正直そういう感じに…(小声)。

 

「ここ十数年の出演作の中で一番気に入ってる作品さ!」-ニコラス・ケイジ

ちょっと待て。ちょっと待てケイジ。あんた何言ってんだ。それを言うなら『俺の獲物はビンラディン』やろう。どういう意味でそれ言ってんだ。

 

後。今回は当方もとことん褒めない感じで突っ走っていますが。「音楽がうるさい」という不満も…。いかにも「出るで出るで~」「ジャーン!」みたいな音。やかましい。

 

「何やろうなあ~この感じ」そう思ってモヤモヤしていましたが。先ほど当方の脳内に唐突に降りてきた答え。「これあれですわ。『キングスマン』の『教会のシーン』。又は『キャビン』のラスト。」

 

キングスマン』先日公開された駄…じゃなくて、初期の方。あの最高だったキングスマンの中でも。やっぱり評価が高いのって『教会のシーン』じゃないですか。音楽に乗ってコリン・ファースがガンガンに信者たちを殺していくという。あのシーン。

そして『キャビン』。あんなに上手く出来たホラー…が一転してウィットの効いたコメディ作品に切り変わった瞬間。「ジャーン。チャンチャラチャンチャラ~」という音楽が聞こえて来そうな程のドリフ感。

どちらも見ている側のテンションを一気に爆上げしたシーンでしたが。

あれって。そのシーン自体は確かに異質だけれど。大元のストーリーがしっかりあるからこその切り替えの妙じゃないですか。

それがこの作品の場合、さっき例えた作品達の所謂『異質なシーン』のみで構成しようとするから。何だか落ち着かない。緩急が無いから。うーん。

 

「後単純に『サバ―・ビコン』を最近観てしまっているのもあって。何だか既視感もある。今思えば同じく『我が子を殺そうとする』行動もマッド・デイモンの方に軍配が…。」まあこれは言ってはいけない事ですが。

 

まあでも。ニコラス・ケイジのハイテンションジェットコースター演技を楽しむ。そういう観点で観るのならば…後、オープニングのセンスは絶妙な感じで当方は好きでした。

 

映画部活動報告「V.I.P.修羅の獣たち」


f:id:watanabeseijin:20180709211124j:image

「V.I.P.修羅の獣たち」観ました。

 

韓国映画。「もし北から亡命させた最重要人物(V.I.P.)が殺人事件の容疑者だったら?」

 

北朝鮮と韓国。先ずは北朝鮮で起きた猟奇殺人とその容疑者。しかし彼は北朝鮮の金庫番の息子(V.I.P.)。彼は北では裁けないと。CIAと韓国の国家情報院に依って韓国に亡命させた。

しかし彼は韓国でもその性癖(最早猟奇殺人は性癖)を抑える事が出来ず。同じような殺人事件を繰り返してしまう。

利害など関係ないと犯人を追う韓国地元警察。犯人を守ろうとする国家情報院。犯人を守ろうとしているのは彼が北朝鮮の金庫番の息子だから…という下心があるCIA。執念深く犯人を追っていた北朝鮮からの工作員。そして。

絶対に自分には誰も手出しが出来ないと高をくくっているV.I.P.。

 

「つまりはまあ…オイタがすぎた北のボンボンを誰もが憎たらしいと思いながらも手が出せなくて。結局誰が鉄拳制裁を食らわせたかという話。」

 

…凄いですね。こう書いてみたら、本当にこの一文が全てでした。となると…あんまりこれ以上つらつら書けなくなってしまうのですが。

 

北からのサイコパスに対し、工作員、国家情報院、地元警察。そしてCIAと。四つ巴の攻防。互いの立場があれど。それは時に自身の行動理念の足かせとなって。

 

またこの犯人であるキム・グァンイル。(凄い名前)彼の圧倒的な悪役感。強い。

しれっとした佇まいから漏れるサイコパス臭。常にニヤニヤ笑い。そして毎度窮地に立たされながらもちゃっかり助かる悪運の強さ。彼に対して当方が納得できないのはヘアスタイル位でしたよ。

だって…。北朝鮮の金庫番、№2、3を誇る人物の息子にしてはラフすぎ。確か北朝鮮のトレンドは受話器ヘアスタイルなはず。角刈り上等。そこはきっちりして頂きたい。

 

そんなへらへらしたサイコパスに『喧嘩上等』と殴りかかっていく韓国地元警察。

「もしやこの中に韓国随一の上腕刑事が?」なんて探してしまいましたが。兎に角被害者の事を思うと犯罪者憎しと暴力も厭わない地元警察。

警察と気持ちは同じだけれど。CIA…ひいては韓国国家の犬故に手出しが出来ない国家情報院。THE板挟みの中間管理職。

そして。なにもかを捨てて復讐に燃える、北の工作員

 

当方ですか?この中の誰に特別思い入れがあったかと?

 

「いや…話が進むにつれてこのボンボンに対するフラストレーションが募りすぎて。お仕置き出来る立場なら誰でもいいと思いましたよ。」

何だか変態っぽい言い回しをしてしまいましたが。まんまとストーリー展開に飲み込まれる当方。

 

「ただし!このCIA職員ポールはごめんだ!何なん終始クチャクチャガム噛んで!あんた昔のプロ野球選手か!人様とお話する時はガムを噛むな!」

いかに頭が切れようとも、対人関係に於いて口をクチャクチャさせる米国人…万死に値する生理的嫌悪感。お前は道端の空き缶蹴っ飛ばし。そのまま退場願いたい。

 

そして…悲しいかな。以外にも強かったV.I.Pの前に。哀しくも倒れていった者達。

 

ところで。唐突に話をぐっと変えますが。

 

今現在は退職してしまったので不在なのですが。当方には非常~に合わない同僚がかつて職場に居ました。 場違いですので具体的な内容は割愛しますが。

「あの人を思い出すと、当方の暴力性が引き起こされてしまって…」

どういうことですかと笑う後輩に対し、淡々と答えた当方。

「もし当方に『撃って良い銃』が与えられたらあの人を撃つ。まずは馬乗りになって撃つ。全弾使う。もう息をしていなくても最後まで撃つ。最後立ち上がって、亡骸に空の銃を投げつける。」

あははやばいですね~。ていうかそういうの見すぎですよ~。そういって笑った後輩の前で、最後飲み込んだ言葉。

「先ずは肩越しとかに撃って黙らせる。そして最後、銃を口に咥えるかそれともデコに当てるかは選ばせてあげる」

何だかヤバそうな性癖を露呈してしまいそうな気がしたので…この一文は飲み込みましたが。

 

何故当方がこのエピソードをこのタイミングで持ってきたのか。お察し頂きたい次第ですが。

 

ままこの通りでなくとも…思いがけないカタルシスに、溜息ついて、座席に深く沈みこんだ当方。

(また…あいつの表情がまた…(変態的発言))

 

「もし北から亡命させた最重要人物(V.I.P.)が殺人事件の容疑者だったら?」

そしてこの四つ巴なら?この作品の回答は至極真っ当でスタンダードでしたが。

 

「溜まらん…。」

 

思いがけず。その最後は、当方の柔らかい所を今でも締め付け続けています。

映画部活動報告「ブリグズビー・ベア」

ブリグズビー・ベア」観ました。
f:id:watanabeseijin:20180704214910j:image

アメリカ。コメディユニット『GOOD NEIGHBOR』のメンバーが監督・脚本・主演。

 

両親と三人。シェルターで暮らすジェームズ。25歳。

最早この世は世紀末。汚染された地球から守られた我が家で。時々外をぼんやり眺める以外は全く自宅から出た事の無かったジェームズ。

幼い頃から毎週ポストに届けられる教育番組『ブリグズビー・ベア』のビデオ。

それこそ擦りきれる程繰り返し見て。ブリグズビー・ベアはジェームズの全てだった。

 

ある日。そんな日常が食い破られる。

 

警察隊が突入。両親だと思っていたのは、実は赤の他人。彼らは25年前に生まれて間もなかったジェームズを誘拐した犯罪者だった。

保護され。実の家族の元に戻されたジェームズ。新しい両親と高校生の妹との再会。

大感動で胸が一杯の両親と、どこかぎこちない妹。

新たな場所で。ジェームズは衝撃の事実を告げられる。

 

「『ブリグズビー・ベア』は偽の父親がジェームズの為だけに作った作品であった。」「自分にとっての全ては、自分だけの全てだった。」

あのシェルター生活で。ブリグズビー・ベアグッズに囲まれて。見知らぬ誰かと夜な夜なコンピューター(ワープロ)で回線越しに文字で熱く語った。それもまた、偽の両親がジェームズの居ない間に誰かになりすまし返答していたと。

 

普通に考えれば狂気。けれど。

 

ブリグズビー・ベアは素晴らしい。それを伝えることは自分にしか出来ない。」「ブリグズビー・ベアの新作を作れるのは自分だけだ。」「ブリグズビー・ベアの映画を作る」

そうして。ジェームズと妹。妹の友人達との映画製作の日々が始まった。

 

「結論から言うと、最高でした。」

 

悪い人が居ない世界。勿論、生後間もない赤ん坊を誘拐し、幽閉するのは犯罪。しかし彼らなりの最大限の愛情を余す事無く注がれたジェームズの、一転の曇りもない純粋さ。

 

閉鎖的な生活をしていたとはいえ。読み書きも出来るし、日常生活も普通に送れる。けれど。

「食事の前のお祈り…長いな」「性器を触るのは一日二回まで」ふとした瞬間で以前の生活の片鱗を見せるジェームズ。

「25年間で出来なかった事をしよう!そのリストは無限にあるぞ!」新たな両親は兎に角ジェームズとの日々を新しい事で埋めようとする。なのにジェームズの口から出るのは「ブリグズビー・ベア」の話ばかり。

 

けれど。それは決してジェームズが現在の両親を認めていないとか、育ててくれた両親を盲目的に崇拝している様でなくて。

 

「上手く言える気がしないので誤解を招きそうやけれど…ジェームズにとっては両親は二組居て。悪者とかそういう概念は無くて…これまで育ててくれた人と産んでくれた人。みたいな…。もし偽物の両親が今後出所したら(両親同士ではモヤモヤするやろうけれど)どちらとも上手く付き合っていきそうな…可能なら皆で会ったりもしそうな…そんな気がする。」

 

自身に十分な愛情を注いでくれた両親。それを信じてきた。だからそれが他人から見たら異常であっても。自分がそう感じないのだからどうでもいい。そんなことより。

 

そんなことより。あのブリグズビー・ベアを。

誰も知らなかった。あの名作を。

 

ジェームズにはその事の方が一大事。物心ついた時から今まで送られてきたあいつが。もう新作を見られない上に、自分しか知らなかったと。…自分しか知らない。ブリグズビー・ベアを⁉

 

10近く年上の兄の出現に戸惑う妹。噂には聞いていたけれど…どう接して良いのか分からなくて。けれどある日。同級生のパーティに連れて行ったら。同級生と意気投合。

 

「この『ブリグズビー・ベア』って。すげえクールだな!最高!」

 

件の教育ビデオ。『ブリグズビー・ベア』シリーズ。1980~1090年代のNHK教育テレビを妹と見まくっていた元鍵っ子当方としては「懐かしい…」と郷愁を感じる雰囲気の番組。(作中映像では幼い感じ。『お~いはに丸』とか『できるかな』みたいな印象。幼い時はそういうバージョンで徐々に対象年齢を上げていったのか)

それは誰もが同じく懐かしいと思えるものだった。

 

そしてジェームズの「ブリグズビー・ベアの映画を作りたい!」という勢いにも「俺。映像を作る練習をしているんだ。」と一緒に走り出してくれる妹の同級生。最高。

 

同級生が動画サイトにブリグズビー・ベアの動画を流した事で世間からも注目され始めた。ジェームズを保護し、始めはジェームズを可哀想だと思っていた刑事も。ジェームズの純粋さ、そして件のビデオから。次第に自身が忘れていた『役者になりたかった夢』を思い出し。ジェームズに協力していく。

 

勿論。なにもかもが順風満帆に進んだ訳では無い。ジェームズの無知と暴走故の犯罪すれすれの行動。案の定警察沙汰。そして現在の両親の存在。

 

産まれて直ぐ奪われた息子。そして25年ぶりに再会した息子。健康で素直な青年に育った事は喜ばしいけれど。息子から感じる『他人に育てられた25年の歳月』。

息子が『ブリグズビー・ベア』を口にする度正直虫唾が走る。だって。それは世間に存在しない。息子にだけに作られ続けた、あの犯罪者の愛情の証。

「やめて。」「お願いだから忘れて。」「実際に存在するもので頭を埋め尽くして。」

 

けれど。息子ジェームズにとっても。この25年をリセットする事なんて出来なくて。

(でも。結局はきちんと今の両親は分かってくれるんですよね…。(涙声))

 

この25年を。自分のこれまでの人生を。可哀想なんて言われたくない。そうじゃない。自分には(偽物だったかもしれないけれど)両親との生活があって。そしてブリグズビー・ベアがあった。

誰も知らないなんて言わないで。皆に知って欲しい。こんなに素晴らしい世界を。

これを伝える事が出来るのは自分だけ。そしてこのチャンスも一度だけ。

 

ブリグズビー・ベアを終わらせるのも。出来るのは自分だけ。

 

終盤。ジェームズが偽物の父親に会いに行くシーン。全当方が「マーク・ハミル!」と泣いた瞬間。

 

「何なん。このポップでキッチュな予告に惹かれてふんわり映画館に来たら、とんでもない名作に膝付き合わされる感じ。最高過ぎて胸が一杯なんですけれど。」

 

思いがけないホームランに。戸惑いながら泣いて。

久しぶりに不意打ち食らったなと笑いながら泣く当方です。
f:id:watanabeseijin:20180704215003j:image

映画部活動報告「告白小説、その結末」

告白小説、その結末」観ました。
f:id:watanabeseijin:20180626205948j:image

フランス。デルフィーヌ・ド・ヴィガン著『デルフィーヌの友情』を。巨匠ロマン・ポランスキー監督が映画化。

私小説で人気をはくしたが、現在絶賛スランプ中の女流作家デルフィーヌをエマニュエル・セニエが。デルフィーヌに近づく謎に満ちた女性エルをエヴァ・グリーンが演じた。

 

人気女流作家デルフィーヌ。自身の母親を題材にした私小説にて有名になった彼女。「大感動」「勇気付けられた」「これは私に向けられた物語」読者からの絶賛の嵐。

しかしその反面「実の母親を食い物にして」と揶揄、中傷される事もある。というのも、小説の内容は精神を病み、最後には自身で命を絶った母親との生活を赤裸々に描いた告白本だったから。

件の本をきっかけに有名になったデルフィーヌであったが。それから数年。現在は絶賛スランプ中で、ひたすら『資料集め』『準備中』の日々。

子供達は独立し。恋人も居るけれど、互いの生活を尊重し別々に住居を構え。一見不満はないけれど…兎に角書けない。全く書けない。そんな状態にジレンマを抱え、そして疲れ果てていた。そんな時。

とあるサイン会で。出会った美女。その後出版社の内輪なパーティーで再会した彼女はエルと名乗り。

デルフィーヌの熱狂的なファンだというエル。エルの魅惑的な風貌。そして会話してみて分かった、引き出しの多さ、聡明さ。すっかりエルに惹かれていくデルフィーヌ。

 

「このエヴァ・グリーン配置。大成功。アン・ハサウェイ系目と口が大きい女性が見せる百面相。THE ナイス サイコパス。そしてくたびれ女流作家がぴったりのエマニュエル・セニエ。ナイスキャスティング。」

 

加えて脚本が『アクトレス~女たちの舞台~』のオリヴィエ・アサイヤス監督とポランスキー監督との合同執筆。そりゃあ、女同士のひりひりしたいやらしさ、体現出来ますよ。

 

件の告白本から、(恐らく身内と思われる)不明人物から執拗に送られる嫌がらせの手紙。それもまたデルフィーヌの精神的負担となっていた。

 

そんな、兎に角お疲れのデルフィーヌにごくごく自然に。しかしゆっくりと忍び寄るエル。デルフィーヌの悩みを聞いて。献身的に支えになって。すっかりエルに心を許すデルフィーヌ。遂に二人は共同生活を送る事になる。

 

「一体エルはどういう人物なのか。どうしてデルフィーヌに近づいたのか。その目的は?」

 

順を追ってネタバレしていくのもアレなんで。私的な感想を書いていきますが。

 

映画部長と当方の。当方が属するたった二人の映画部で。「当方の得意なジャンルは変態映画です」と公表している当方。これは何だか…そんな予感がするなと思って鑑賞に向かったのですが。

 

「ややこしい考えに囚われていたんやなあ。」自身に溜息が出た当方。

と言うのも、当方の予想ではもっとえげつない事になると思っていたから。

 

スランプに陥り、お疲れの中年女性作家。そこに現れた、怪しい魅力に溢れた若い美女。

自称ゴーストライター。何だか文筆業ではあるようだけれど。結局何をしている人物なのか分からない。そいえば後からよく考えたら、彼女の言動も行動も何一つ信ぴょう性は無くて。でも…そんな事思いもよらなかった。だってエルと一緒に居ると楽しいから。安心出来たから。

 

「何故楽しいんですか?何故安心出来るんですか?」

 

夢の大先生。自分の書いたモノが売れて、世間から評価された。けれど…皆が皆好意的な感想を寄越す訳じゃ無い。(それはどんな作品でもそうでしょうが)

そして今。自分は何一つ書けない。月日が経つにつれ、焦り、そして疲労していく。

子供も近くに居ない。恋人もいつも一緒に居る訳じゃない。友達だって煩わしい時がある。誰にも話せない。自分のこの燻った感情を。

そんな時。エルが現れた。丁度自分の話を聞いてくれて。そして存分に甘やかしてくれる相手が。けれど。

 

「貴方は兎に角書いてくれたらいいの。」次第に言動や行動に異常性を見せ始めるエル。不意に現れる凶暴性。ヒステリックにモノに当たる姿。初めこそ親切に見えた行動が、デルフィーヌを社会から隔離している様にしか見えなくなっていって。

出会った頃見せていたのと同じ表情が。時が経つにつれ、何だか常軌を逸したモノに見えてくるエル。

 

…っていうエルの豹変、分かりやすく描き過ぎかなあと。もっと真綿で首を絞めるごとく、じわじわ見せていってはどうなんですかね?そしてぶっちゃけ「エロく出来たんじゃないの?」そう思う当方。

「だって。あんなにエロいエヴァ・グリーンを配置しているんなら。恋人は居るけれど孤独を感じている中年女性作家に、微妙なエロさも匂わせながら近づいてもいいんじゃないのかね?そして『こんなくたびれた私が…好きなの?エル』と困惑させてもいいんじゃないのかね?」「彼女がみせる執着は…私の作品に?それとも私自身?」とか。

 

実際の作品では中盤位から、エルのサイコパスっぷりは露呈し始めて。デルフィーヌはそこにちょいちょい気付きながらも「エルの事、面白いから小説にするわ!」とのんきにくっ付いている。そして案の定怒涛の畳みかけの結末。

 

「一体エルはどういう人物なのか。どうしてデルフィーヌに近づいたのか。その目的は?」

 

一応それらしい回答は見せていましたし、「げに恐ろしき熱狂的ファンのお話」とも取れなくもないのですが。

 

「結果的に出た本。これは誰が書いた本なのか」

「これはデルフィーヌが書いた本なのか。ゴーストライターエルが書いた本なのか。」

 

そして全てが終ろうとしている中。ふと思い立ち、問い続ける当方。

物語が入れ子になっているのではないかと。

 

この物語を書いたのは誰だ。これはデルフィーヌが書いたノンフィクションなのか。エルが書いたフィクションなのか。果たしてデルフィーヌは存在したのか。

 

そう考えると物語の見方はガラッと変わる。なかなか面白い…(けれど描写はちょっと物足りない。)不思議な作品でした。

 

映画部活動報告「メイズ・ランナー 最期の迷宮」

メイズ・ランナー 最期の迷宮」観ました。
f:id:watanabeseijin:20180625212119j:image

2015年。たった半年の間に公開された『メイズ・ランナー』『メイズ・ランナー2:砂漠の迷宮』

 

「主人公トーマス。目が覚めたら見知らぬ場所。そこは少年ばかりのコミュニティ。辺り一面壁に覆われた、閉鎖された場所。そこでの原始的な生活。一日に一度壁は音を立てて開く。それは間違いなく彼らを出口に導く…得体の知れない迷路。」

そこで芽生えた友情。トーマス、ミンホ、ニュートを中心に、少年たちは三年を掛けて迷路を脱出。しかし出口は決して楽園では無かった。

 

結局捉えられていた少年達は何者だったのか。

世界は正体不明の病原菌に侵されていた。感染したが最後『クランク』というゾンビ(足が速い系)になり、人間を襲ってしまう。

少年達はその病原体に対する免疫を持っていて。それ故少年達は秘密組織WCKD(病原菌に対して研究、治療を行っている団体)によって捉えられ、巨大迷路に隔離され、人体実験を行われるといった研究対象となっていた。

 

失われていた記憶が蘇るにつれ、自身もまたWCKDの職員であったこと、所謂潜入捜査であった事を思い出すトーマス。そして、自身の後から迷路に送り込まれたコミュニティ唯一の女性、テレサも同じくWCKDの同僚であり恋人であった事を思い出す。

 

「人類を救う為に、自分たちは犠牲になっても良いのか」

 

否だと。迷路の出口から果てしなく広がる砂漠に飛び出す少年達。

そこで遭遇する事になった人類の成れの果て『クランク』。奴らをかわしながら。追ってくるWCKDから逃げながら。遂に少年達は残された人類達が暮らす集落にたどり着く。

しかしそこでの休息もつかの間。まさかのテレサの裏切りによって仲間のミンホを奪われてしまう。

 

~という様な流れであったと記憶しているのですが。(特別に何かの資料を読み返したりしていませんので…間違っていましたら申し訳ありません)

 

「三年も空くとな。もう覚えていない事も色々あって…」トントン拍子に公開された全2作。そこからの「製作中断!」「主演(トーマス)の大けがにより、撮影延期!」「公開未定!」なんて。随分とん挫を繰り返し。

なので「兎に角終わらせる事が目標!大風呂敷を終う回!」だった今作。

 

シビアな目で見たら「雑やなあ~」の一言。ですが…まあもう無事幕を下ろせたって事でいいのかなあと。

 

「前作から既にその感じはしていたけれど。このシリーズに於ける真のヒロインはミンホだ。」

 

WCKDに立ち向かう仲間達。その中にはブレンダという『クランクになりかけたけれど、トーマスからの輸血等で生還した』という女子も居るのに。あくまでもヒロインはミンホ。「ミンホを助け出すんだ」が今回のトーマスの最大のミッション。その為には今一緒に居る仲間も、彼らと共にユートピアを探す旅からも降りてしまう。

「そもそも前作で、ヒロインの座に居たテレサが仲間を裏切った」という展開が『なんでもあり』なこのシリーズに拍車をかけてしまった。

 

女子なんて存在しない世界。ラブなんて要らない。俺達が信じるのは仲間(ごくごく小さな人間関係)のみだ」清々しいまでの「一人はミンホのために。皆もミンホのために」の世界。

 

そんなトーマスに付いて行くニュート。一作目のあどけない面影は無く。そしてミンホ一人にスポットが当たるでもなく、しっかりニュートにも最後見せ場は用意されていた。

 

…超個人的な備忘録とは言え、ネタバレ上等とは思っていないので、あくまでもふんわり話を纏めたいんですが。と言っても…これ…纏めにくいんですよ。だって本作が纏まっていないから。

 

「ご都合主義にも程がある。だって…死んだと思っていた人間が生き返り過ぎやし、さっきまで瀕死やった人間が飛び跳ねてアクションしてるし。そもそもキャラクター設定がブレブレ過ぎて良い奴なんか悪い奴なんか、せめて一体何に信念を置いているのかも分からんし…。」ブチブチと愚痴る当方。人間模様のオセロが激しすぎて。

 

「で結局WCKDって何なの?ええもんみたいな印象も与えようとしていましたけれど。」

 

正体不明の病原菌。そこから人類を救いたい、その割には人類から愛されないWCKD。確かに。人体実験とかされている側からしたら、非人道的でしかない暴力組織ですけれど。じゃあ一体何処の誰が他に対処法を探っているんだ。

「俺たちは実験動物じゃない!」ごもっとも。でもじゃああんたたちは一体何の解決策をもっているんだ。

結局人類総ゾンビ化して、感染しなかった者達だけのユートピアを世界の果てに見つけようっていうノアの箱舟話じゃないのと。腑に落ちない当方。不満。

 

シリーズの初め。「何だか知らない間に巨大迷路に放り込まれた俺」から、一体どうなったらこういう大風呂敷を広げられて、そしてこう着地するのか。訳が分からん。これが元々目指していた『メイズ・ランナー』シリーズの出口だったのか。

 

「まあ…そういう無粋な事は言わんといて。何はともあれ幕が下ろせたんやから…。」

 

褒める所としては…アクション、爆発、CGは凄かったです。「そりゃあトーマス大怪我するわ。と言うかよく誰も死ななかったな!」こんなの無理、というシーンの連続。息を呑むばかり。

 

思う所がありすぎて、険しい表情で映画館を後にしましたが。

何はともあれ。無事シリーズ終了を見届けられて良かったと思う事にする当方です。

 

映画部活動報告「それから」

「それから」観ました。
f:id:watanabeseijin:20180621204812j:image

「これはまあ。なんという公私混同が生んだ作品…。」

 

韓国の名匠の一人、ホン・サンス映画監督。

彼の現在のファムファタール、キム・ミニ。今作以降も幾つもこのタッグでの作品公開予定が告知された劇場予告編。

「キム・ミニからどれだけのインスピレーションを受けているんだ…そしてホン・サンス監督ってここまで惚れ気の強い人だったとは。」

 

とある小さな出版社。そこに勤める事になった、新入社員アルムの散々な初日と。恋多き社長ボンワン。ボンワンのかつての恋人。恋人との日々。そしてボンワンが他の女に恋をしていると気づいた妻。

時系列をシャッフルしながら。大人の男女のどうしようもない、どこか可笑しな恋と生き様を描いた作品。

 

…もう。今回の感想文はこれでいいんじゃないかと。正直思う当方。

だって当方は…「KO…I?」と聞き返すほど、そういう感情を失っているアンドロイドなんで。人らしい感情と引き換えに機械の体を手に入れてしまっているんで。(何を書いているのか意味不明)ほんわかとした感想は書けないですよ。

 

なので。このボンワン社長にも「取りあえずあんたさあ!女性社員を雇うの辞めたら?」「ここの女性社員は一体どういう職務内容なんだか知らないけれど…せめて奥さんを会計とか経理で会社内に在籍させなさい。」「こういう会社の女性社員に手を出しちゃう癖のある事業主、また繰り返すよ。」「全く、会社を何だと思っているんだ。」等々、THE正論の厳しい畳みかけを被せてしまうばかり。

 

「いや。ほら…あかんたれの甘えたさんって。放っておけないやん。社会的地位のある男性が自分だけに見せる弱い所、奥さんには吐かない愚痴とか。私だけって感じするやん。」

やんやん理論。正に不倫女子発言(こういった発言は作中はありません)。ですがねえ…その男は貴方を選んでますかね?結局奥さんの元に帰ってませんかね?

 

時系列をシャッフルしているのですが。結構分かりやすい流れ。

冒頭、ボンワンに妻が「貴方恋をしてるでしょう」と唐突に切り出す朝食から始まり。何を言っているのかと一笑に付しながらも、次の場面では若い女性といちゃついている。彼女は自分の会社の従業員。そして次にはその不倫相手が中華料理屋で「貴方は卑怯だ」と大泣きしている。

それら場面場面のはざまに、キム・ミニ扮する新入社員、アルムの出勤初日が描かれる。

 

大学教授からの紹介で就職する事になった出版社。少し前に従業員(それが先述の不倫相手)が辞めてしまい、今はボンワン社長一人。けれど、きさくで人当りも良さそうで、働きやすそうな職場。早速仕事に向かうけれど。

ボンワンが外出し、一人になった時。おもむろに突撃してきたボンワンの妻。突然の大声。罵声。挙句殴られるアルム。

ボンワンを外出先から呼び戻し。ボンワン、妻、アルムの最悪な三者面談が開始。どうやら妻はアルムをボンワンの不倫相手だと思い込み。それで逆上したという事が判明する。

 

「ああもう。この会社、仕事を何だと思っているんだ。この出版社の労働実態は。」イラつく社畜当方。なのに。

作中では勤務時間内に延々妻からの「貴方の書いた詩を見つけたの」からの、同席者全員の前で自作のラブポエムを読み上げさせられるという、舌を噛んで自害したくなるような羞恥プレイが横行。「それは…前の彼女に書いたんだ。随分前だ」加えて恥を上塗りするボンワン。「あ。あほか。それは酒に酔って書いたんだ、とかでええやん。」ずっこける当方。呆れるアルム。

 

「でも貴方美人だから。」とかなり納得しないまま会社を後にする妻。そして「まあ…昼めしにでもするか。一緒にどうだ。」と午前業務終了。何それ。アンタら一体何のジョブをしたんだ。

そして真昼間から酒を飲みだすとんだサラメシ。アルムが何やら人生論的な蘊蓄を語っていましたけれどね。すみません。正直全く頭に入らなかったし何一つ思い出せない当方。

 

「兎に角辞めないでくれ。」そうして何とかアルムを引き留める事に成功したのもつかの間。まさかの元恋人が登場。

 

そして「何それ。よくぬけぬけとそんな口が叩けるな」というド厚かましい元恋人と、さっきまでアルムに泣きついてきていたはずのボンワンの完全なあかんたれ露呈。

ボンワン、元恋人、アルムの午前とは別の意味で最悪な三者面談が開始。

 

「出版社のお仕事内容、知りませんけれど。少なくともこの日丸一日働いてないやん。」苦々しく呟く社畜当方。社長…こんな事していたら潰れますで。この会社。

 

そして月日が流れ…。ボンワンとアルムが再会。そこでボンワンから語られた「それから」。

 

「よくもまともに聞いてられたな!当方ならソファーに座ったままそのローテーブルを蹴り上げたかもしれん。あほらしくて!」

THE恋する俺に酔う中年。「皆に悪い事をしたよ…」何全てを綺麗な思い出にしてるんだ。こっ恥ずかしい。お前、やっぱり皆の前でポエム読めるメンタルの持ち主なんだよ。何でいい年して冷静さが欠けているんだよ!

 

…とアンドロイド当方は身も蓋も無い事ばかり思ってしまいましたが。

 

けれど。「ホン・サンス監督やなあ~」という独特のカメラ回し。当方の言う『運動会の父兄ビデオ方式』(=我が子の走る徒競走グループを先ずは撮って。その中から我が子を見つけたら一気にズーム!)みたいな、ズームの多用。あまり音楽は使わないけれど。使う時はちょっと耳障りなほどの爆音。

そして登場人物達の食事シーン。兎に角対面に座って食事をしながら会話しているシーンが多い多い。(そして大体食べ方が汚い)

けれど。それが何故か下品にはならない。寧ろそんな歪さが癖になってくる。それがホン・サンス監督の不思議な魅力。

今作は全編モノクロというのも相まってか。『何言ってんだデレデレ中年案件』なのに生々しさは感じなかったし、「しゃあないなあ~。」という所に着地できた。(まあ、間違いなくアルムがまともな人ポジションを死守したのが大きいですけれど)

 

何だか…凄く…監督の公私混同している印象が否めなかった作品でしたが。

 

「作品を生み出す原動力=KO…I。お幸せに…。」

 

アンドロイド当方は真顔でそう言って踵を返したいと思います。