ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「迫り来る嵐」

「迫り来る嵐」観ました。
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1997年。香港返還の年。

具体的にどうなるのか分からない。けれどきっと何かが変わる。古い時代から新しい時代へ。

そんな中国で。経済発展を目指し、旧体制は変換を求められた。国営工場は軒並閉鎖され。人々はまだ見ぬ未来に胸を躍らせ、しかしその時代の波に取り残される人々も多く生まれた。そんな世紀末。

 

とある田舎の国営製鉄所。一面野っ原の中。ぽつんと、けれど広大な敷地に広がる工場。

その近くで女性の変死死体が発見された。それも一度では無い。もう三度目で、しかも毎回女性。同じような手口。

工場の保安部で警備員をしているユイ。初めは現場の交通整理等で関わっていただけだったが。顔なじみになっていく古株刑事からぽつりぽつりと得られる情報。選民意識。

次第に刑事気取りで事件に首を突っ込み始めるユイ。若手刑事の「ユイ名探偵のお出ましか」そんな皮肉を聞き流し、本業そっちのけで事件捜査にのめりこんでいく。

恋人イェンズが事件の被害者に似ていると思い至った事から、ますます事件に固執し狂気を孕んでいくユイ。

 

「中国映画の泥臭さ。不条理でやるせなくて不器用で。そういうの、堪らんねよな。」「オウ…一体何様だ。」

数年前。映画部長が語った中国映画論と、それに答えた当方の会話を思い出した当方。

近年で言えば『薄氷の殺人』。あの無骨で繊細なサスペンス作品(表現下手)が大好きな当方としては唸った挙句、無言で何度も何度も頷いてしまう…そんな大好物な作品でした。

 

突然なんですが。電車通勤の当方。概ね小一時間の通勤時間で。車窓から見える景色の中、結構大きな工場(それなりに名前も知っている会社)をいくつか見掛けるんですが。

「幾つもの工場が連なって。工場間を這う配管。敷地を行き来する車の為の道路。フォークリフト。工場の中を行き交う、同じ作業着を着た人達。中での秩序。人間関係。ここから見えるあの場所でのみ成立する世界。」

当方の働く現場だって、どんな職業だって。職種が違うだけで団体職は結局、はたから見たら同じ事ですが。

兎に角『工場』という現場に対して、ぼんやりと夢を見て想いを馳せてしまう当方。

 

そんな中でも。『1990年代後半の中国』『斜陽産業のマンモス工場』『新しい時代には乗れない』そんな泥船にはひときわ静かに興奮してしまう。

 

主人公ユイ。

保安部の警備員。マンモス工場の治安を守るべく、不良工員を見つけ出し、罰してきた。賄賂など笑止。スタンガン?片手に、悪い奴が相手ならば暴力だって辞さない。

年に一度の工場内での表彰式で。優秀工員として表彰された。敷地近くで事件があれは、刑事からもあてにされる。仲間からは「公安に昇格しろよ」と言われ。満更でもないけれど、その場では「俺はお前たちと一緒に居たいんだ。」と宣う。そんな奴。

 

俺はただの警備員じゃない。工場からも刑事からも評価されている。俺は特別なんだ。

俺なら犯人を捕まえられるんじゃないかな。どうせ犯人はここの工員だ。俺なら見つけられる。犯人は犯行現場にまた戻って来るというじゃないか。だったらこの辺りをぐるぐる回って、俺にしか見つけられないものを見つけてやる。

 

「お前は刑事じゃないだろ。身分をわきまえろ。」

 

もうすぐ新しい波が押し寄せる。この工場だっていつまで稼働しているものか。

ましてや生産ラインに属している訳でも無いユイ。案の定、大幅リストラ社員の仲間入り。

 

この作品=ユイの持つ閉塞感。これを見事に表現したのが、1997年パートの終始止まない雨。

特にはパラパラと。時には窓を叩いて。BGMさながら、ずっと降り続けた雨。モヤモヤと晴れない心象風景。常に雨のどんよりとした画面。

 

とあることから恋人になるイエンズ。「香港で美容院を開きたい。」風俗嬢であった彼女に近所で店を持たせ。「工場を首になったって、二人でこれから暮らしていけばいいじゃない。」そうイエンズはユイに言うけれど。決して首を縦には振らなかった。

 

俺にはやるべきことがある。俺は連続婦女暴行殺人犯を見つけなければならない。

 

工場で。言葉では褒めていながらも、どこか馬鹿にした態度も匂わせていた同僚達。「お前はいいよな。そうやって犬みたいに何でも嗅ぎまわって。何か見つけたら大声上げて。尻尾振って褒められて。」けれど。何が悪い。これが俺のアイデンティティだ。

俺は絶対にこれで成功してみせる。何も間違っていない。これで幸せになってやる。

 

題名の『迫りくる嵐』とは一体何を指していたのか。

 

途中。犯人を追う中で失った舎弟。歯止めが効かなくなった理性。恋人の判断。どうにもならないドミノ倒しに押されて。そして結果があの野っ原での強行。あれだって嵐の所業だったけれど。

 

「迫りくる時代の変化」「得体の知れないモノに対する不安」「押しつぶされる予感と抗えない自分」「けれど逃げられない」

あの時代の中国に生きた皆が漠然と抱えた気持ちを、イチ個人を通して描いたのではないか。そう思った当方。

 

諸行無常の響きあり。」

時を経てみればまるで夢のよう。優秀工員として表彰された日も。それどころか、あの工場で働いていた事も。

 

けれど。やはり寒々とした雨の日々は嘘でも夢でも無くて。

そっと添えられる、事の顛末。

 

「もしかしたら。また嵐は迫って来ているのかもしれないな。前とは違う形で…。」

 

最後。瞼を閉じるユイを見ながら。完璧な『泥臭い中国映画』の幕引きに、これはやられたと。唸りながら鼻の下に拳を当て続けた当方。

映画部活動報告「ワイルド・ストーム」

「ワイルド・ストーム」観ました。
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アメリカ。ロブ・コーエン監督作品。

 

「合衆国財務局がある、アメリカ西海岸の小さな町。施設に6億ドルの廃棄紙幣が運ばれた日。カテゴリー5の大型台風上陸と、混乱に乗じて大金を強奪しようとする犯罪集団が施設を襲う。」「最大級の勢力を持つ台風と。火事場泥棒達。果たして職員ケーシーは仲間と大金を守る事が出来るのか?」

 

何だか凄そうな予告編を見掛けて。「アメリカの自然災害モノ映画はただどんちゃん騒ぎをしているだけの場合も多いんやけれど…。」「まあでも。迫力は凄いから。」と思って観に行って来ました。

 

結論から言うと…『迫力のあるどんちゃん騒ぎ映画』でした。

 

以上!で終わってもいいのですが。流石にそっけないので。

 

嵐。町に台風がやって来る、それも台風のランク付けでも最大級のやつが。

昔大型台風で甚大な被害を受けた経験があることから、その日は市民を郊外に避難させ、町を封鎖。「この町は俺たちが守る!」残った警官たちは決起。なのに。

そんなどさくさに紛れて、財務局の大金を奪おうとする火事場泥棒集団が施設を襲撃した。

 

「はい。そもそもそんな悪天候の日に何故6億ドルもの大金を移送してきたんですか?」

当方脳内学級会で。すっと挙手して発言する、リスク委員当方。

 

例えば。近年、当方の住む地域の電車は、台風が来ると予測されている日は計画運休したりするんですよ。「危ないから外に出るな!下手に出かけても帰宅難民になるぞ!嵐の日位休め!」休めない業種には辛い所もありますが、計画運休に合わせて休業判断をする企業や施設も多い。そして危惧している程経済や流通は混乱しない。

当方が何を言いたいのかというと「甚大な被害が想定される自然災害が来る日に、大金を扱うな。」噛み砕くと「何が起こるか分からない日に危なっかしい大金を保管するな。」という事。危険回避せよと。

 

廃棄紙幣。そんな存在今回初めて知りましたが。

金は金。当然使える。けれど専用シュレッダーにて裁断される予定の廃棄紙幣。そんなモノを扱う施設ならもっと強固なセキュリティで守られて当然、施設のある町そのものも。なのにこの作品の『合衆国財務局』はまるで『町の備蓄倉庫』。

 

そこで起きた、システムエラー。

修理の為に読んだエンジニアがハッカーというお馴染みの展開。当然施設職員に内通者が居て。彼らは集団となって施設を乗っ取り。嵐のどさくさに紛れて6億ドルを奪い去ろうとする。

そこで立ち向かうヒロイン、ケーシー。

序盤で強引な運転技術を見せつけていたケーシー。大金積んだトラックを運転出来るという大型免許持ち。しかも大金が保管されている大掛かりな金庫を空けられる立場の人間。

何だか不具合の多い施設。コンピューターシステム以外に施設にも故障個所が出て。町の修理屋に向かうケーシー。その道中で気象予報士ウィル(修理屋のライアンと兄弟)と知り合う。その後、施設が火事場泥棒達に乗っ取られたと知った二人はタッグを組んで奴らに対峙する。

 

かなり大らかでシンプルに作られている作品だったのに。こうして順を追っていこうとすると「ん?」と引っ掛かって。文章を打つ手が何度も止まってしまう。

 

「そもそもねえ。気象庁も変なんですよ。日本でも『戦後最大級』とか『何年の何台風によく似た』なんて、台風は事前に予測して注意喚起してくるのに。『おっかしいな~そんな大きくはならないはずなのに』といったスナック菓子食べながらののんびり対応。衛星飛ばしてるんでしょう?何故イチ気象予報士の『これはでかい奴が来るぞ…』『嫌な予感がする』しかないんだ。科学と分析は何処にいった。」

 

ぶつぶつとぼやきが止まらなくなるリスク委員当方に感化され。遂に限界に達し、決壊。荒れる当方脳内学級会。ツッコミ大会。

 

「そしてイチ気象予報士の乗っている車はあれ一体何だ。バットマンでもスポンサーに就いているのかと疑わんばかりのカスタム戦闘車。」

「オセロのごとく。直ぐに敵側に寝返る面々。この町の正義は死んだ。」

「だ~か~ら~。嵐の中外に出るなよ~。」

「車ですら暴風にあおられる中。人間が立位を保って作業が出来る訳が無い!」

「首にコルセットでも巻いておかないと!あまりにも衝突シーンが多すぎて…頸椎やられちゃうよ!」

「金庫を開けるパスワードが解除されていく時の、数字の出方とテンションが『なんでも鑑定団』!」

 

そして。「こんなに都合の良い台風があるか!」

 

『マッドマックス 怒りのデスロード』さながら。台風は墳煙を上げ、背後から迫って来る。壁の様に。

捕まってはならぬと、車で逃げる登場人物達。「んなアホな!」声を飲み込む当方。

 

まあ。兎に角終始ツッコミ続けてしまう、どんちゃん騒ぎ作品なんですが。

ハッカーの男女二人がラブラブカップル。」「台風時には低気圧病で寝込んでしまう当方にしたら、こんな中でピンピン動ける人がうらやましい。」「有事での生理現象に言及。」等々。柔らかい気持ちになれる所もあり。

 

迫力のある映像が延々続くので見応えがある。

 

「だから。何も考えずに、全身の力を抜いて観る作品。」

 

そう決着が付いて。当方の脳内学級会は終了、解散したいと思います。

映画部活動報告「22年目の記憶」

「22年目の記憶」観ました。
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「1972年7月。韓国と北朝鮮の統一に向けた声明『南北共同声明』が発表された。」

(お馴染み、無知な当方の付け焼刃な知識でざっくりこの声明を纏めてみると「元々同じ民族である我々。分かり合えるはず。現在の祖国にまたがる境界線を無くしていこうぜ。」「ただし、あくまでも話し合いは我々のみで行おう。決して外国のいいなりや入れ知恵は無しだ。」そういう内容だと解釈。)

 

「いよいよ朝鮮半島統一か!」

 

声明が発表され。沸き立つ世論。声明後初の両首脳会談に備え、韓国政府は秘密のプロジェクトを企画、準備した。

『首脳会談の予行練習』。当時韓国大統領であった朴正煕。彼が対話する相手、北朝鮮最高指導者金日成

神秘のベールに包まれすぎの相手に。果たして切り込んだ会話が出来るのか。

ぶっつけ本番で、こちらの思惑通りの流れに持ち込めるのか。

 

金日成を作れ。見た目も話し方も仕草も…そして思想や思考も金日成そのものだというダミーを。」

 

『無名である事』『口が堅い事』その条件で集められた、小劇団の売れない役者達。彼等は一体自分が何を演じるのかも分からない。けれど必死に自分を売り込もうと必死。

第一審査こそ演技披露もしたけれど。目隠しをさせられ、運ばれた先では容赦ない拷問。そんな『地獄のオーディション』を経て。選ばれたソングン。

 

「またまた大胆なアイデアをぶっこんできたなあ~。」

 

1972年の南北共同声明。それを受けて、すぐさま開催されると思われた南北首脳会議。どうやらあったらしい予行練習。この事実を、こんな大胆な切り口で描くなんて。しかもこの計画に依って狂わされていく主人公ソングンの変わっていく様を、哀しいはずなのに何だかコミカルな展開で見せ。かと思えばしっかり決める所は決めてくる。

「笑って泣いてほっこりして。緩急の付け方がお見事。」

 

主人公、売れない劇団俳優ソングンを演じたのが、去年の『殺人者の記憶法』が記憶に新しいソル・ギョング。兎に角彼の演技が秀逸過ぎる。

妻を病気で亡くし。母親と一人息子テシクの三人暮らし。どうしても役者人生が諦められなくて、小劇団から足を洗えない。と言っても彼に与えられる役は殆ど無く、ほぼ雑用係としてすがる日々。けれど。

そんなソングンに転機が訪れた。棚ぼた式に手に入れた『リア王』の主役。初めての大役。期待で沸き上がるソングン一家。なのに。

緊張から大失敗に終わった公演。テシクをがっかりさせてしまった。己のふがいなさに、一人楽屋で泣くソングン。ーそのタイミングで、例のオーディションの声がソングンに掛かる。

 

「そうか。確か1970年代の韓国って軍事政権やったんよな。」「尋問上等の国家権力。」そんな時代背景が脳裏に過る、地獄のオーディション。

「君が役者で。演出する者、台本を書く者。そして主宰者が居る。最高の舞台を作ろうじゃないか。」(言い回しうろ覚え)

俺は選ばれたんだ。誰にもこの役は渡さない。もう失敗しない。

そうして。徹底的に『金日成』に仕上げていく様。ここが思いがけずコミカル。

結局金日成に似ているのかと言うと、一言で言うなら「似ていないと思う」のですが。(そもそも似ている似ていないが判断出来る程、金日成を知らないし…)けれど。見た目は全然似ていないけれど「恐らくこんな感じなんだろうな~」というニュアンスは伝わった。それで十分。

 

「この作品は『金日成のそっくりさんを作った事』ではなく『役者である父親が息子に見せたかった姿』をより伝えたかったはずだ。」

 

ふがいない自分を見せた。息子をがっかりさせてしまった。けれど。見せたい。見て欲しい。自分が演じる姿を。

 

これは金日成だ。ソングンが乗り移ったかのように演じられるようになった所で、突然打ち切られた計画。チーム金日成、強制解散。

 

そこから22年後。

 

幼かったテシクもすっかり擦れた大人。それどころかマルチ商法に手を染め、借金まみれ。

いよいよ借金取りに抑えられて。都市開発地域に立つ実家を売却し借金を返済する事を思い立つテシク。しかしその権利書に押す実印の在処は父親しか知らない。

疎遠になっていた父親に会う為、老人ホームに向かうテシク。

そこには金日成のまま老いたソングンが居た。

 

極限まで追い込んで仕上げた金日成が抜けなくなったソングンと。彼に振り回され、辟易し距離を置いていた息子テシクの再会。あくまでも「実印をもらう」為に始まった同居生活は、テシクの彼女や意外と人情派の借金取りの存在もあって、ハチャメチャでおかしくて…けれど何だか切なくて。

 

「ソングンは役に飲み込まれたのか。役を飲み込んだのか。」

 

俺は金日成だと思い込んだ。精神を病んだ。加齢や病はそれを加速させた。けれど。

ソングンはソングンである事を。テシクの父親である事を、完全に忘れた訳では無かった。

 

そして遂にやってきた。22年振りの大舞台が。

 

「これだ。これがソングンが息子テシクに見せたかった『役者である父親』の姿だ。」

圧巻。追い込んで追い込んで作り上げたチーム金日成の集大成も流石でしたが。それよりも当方が思わずタオルを目に押し当てたのは、金日成では無い、父ソングンの姿。

22年前。小劇団の舞台。舞い上がり過ぎてセリフを口に出すことも出来なかった。テシクの前で見せたかったあの舞台。まさかここでそのエピソードと対になるなんて。

しかも月日が経った今。同じセリフに厚みと重みが加わってくる。

 

「役者だ…。」

 

余りにもこのシーンに打ちのめされてしまって。正直これ以降どんどん畳み込んでくるエピソードに若干のあざとさすら感じてしまった汚れた当方。

 

笑って泣いて。もう散々振り回されたのに。しっかりと『父と子の新しいバトン』の予感を漂わせながら幕引き。

 

「本当に韓国映画のジャンル無制限っぷりとレベルの高さよ!」

今年もまた。注目せざるをえないです。

映画部活動報告「シシリアン・ゴースト・ストーリー」

シシリアン・ゴースト・ストーリー」観ました。
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1993年。イタリアで実際に起きた誘拐事件を基にした作品。

 

「ある日。13歳の少年ジュゼッペが失踪した。けれど何故か大人達は皆口をつぐみ、ジュゼッペを探そうとしない。」「一体ジュゼッペはどこに行ったのか。」

 

予告編もあまりきちんと観ていなくて。実際の事件も詳しくは知らない。けれど何となく気になって。本編を観に行ってきました。

 

「いやぁ~これ。何と言っていいのか…。」

実際に起きた事件の顛末を知った今、ひたすら胸が痛いしやるせない。とにかく被害者であるジュゼッペが不憫でいたたまれなくて。辛くなります。

 

実在した凶悪事件を基にした映画。最近では『ゲティ家の身代金』や少し前なら『冷たい熱帯魚』。更には『女子高生コンクリート殺人事件』なんかを当方は思い出すんですが。

 

死傷者の有無。その事件に関わった人達、特に被害者本人やその家族の痛み。それらを思うと手放しに「面白かった」云々とは、なかなか言いにくいという気持ちがあります。(その映画作品が、実際の事件に対してどういう切り口でどう見せるのかにも依るとは思いますが)…ありますが。

 

この作品が作られた意図。

監督のコメントを余す事無く読んだ!という訳では無いので。あくまでも当方の勝手な推測ですが。

「この事件を風化させてはいけない。そういったイタリア国民への警鐘であると同時に。これはおそらく…被害者であるジュゼッペへのメッセージ。」

 

そもそもたった13歳の少年が何故誘拐されたのか。その後2年以上も監禁されたのか。それはひとえに彼が『マフィアの子供だった』から。

 

ジュゼッペの父親が警察に仲間の情報提供をした。その事が新聞にも掲載された。父親の身柄は警察に保護され、組織は父親に手出しが出来ない。「アイツを黙らせろ!」

となると…危害が及ぶのは父親の家族。

 

誰にでも導き出せる『ジュゼッペ誘拐事件』の真相。けれど。大人たちは揃って口をつぐんだ。

 

「とは言え。現実では水面下ではマフィアと地元警察との攻防が…とかがあって欲しいけれど。でもこの作品は決して『見えない所で誰かが動いていた話』じゃなくて『見える所で皆がどういう動きをしたか』を描いた作品やった。」

 

13歳の少年ジュゼッペが突然失踪した。

ジュゼッペの父親はマフィアであり、現在組織と深刻なトラブルに陥っている。組織からしたら父親は裏切者。可哀想に。ジュゼッペは父親のせいで組織に囚われた。けれど仕方ない。ジュゼッペはマフィアの子供。いつこんな事があってもおかしくなかった。おっかない。ジュゼッペ自身は気立ての良い素直な少年だけれど。所詮マフィアの子供。関わりたくなかったし、関わらなくて正解だった。

ジュゼッペは殺されたのかな?生きちゃいないだろうな。可哀想に。一体ジュゼッペが何をしたっていうんだ。ただあの家に生まれたってだけでこんな目に合うなんて。

 

「ねえ。ジュゼッペは何処に行ったの?」

 

おそらく。街の皆が。下手したらジュゼッペの家族ですら、ジュゼッペの生死を決めつけ。諦めていたと推測する当方。けれど。その中で唯一諦めずにジュゼッペを求め続けた少女。

 

この作品はあくまでも『ジュゼッペの同級生、ルナ』の視点で描かれる。

現実世界ではこの少女は存在しなかったけれど。ルナをメインとすることで、実在したジュゼッペに対して「君を皆が見捨てた訳では無い」「君を愛し、求め、君と生きていたいと思った人が居た」というメッセージを送ったのだと。そういう作品だと思う当方。

 

13歳の少年少女。放課後、森で戯れる二人。誰にも見られない、邪魔されない。二人だけの時間。なのに。獰猛な野犬に追い回され。息もだえだえに逃げ回る二人。

気恥ずかしくて口には出せないけれど。互いに寄せる好意は最早確信。胸が高鳴って。初めて交わすキスは崩れそうな程幸せだった。

これからもずっと一緒。親は色々言うけれど。二人で居れば幸せ。そんな絶頂の日。ルナはジュゼッペを奪われた。野犬以上に獰猛な何者かに。

 

何故。何故皆ジュゼッペが居ない事をおかしいと思わないの。ジュゼッペに何かがあったと思わないの。どうして。ジュゼッペの存在そのものを無かった事にするの。

 

「ねえ。ジュゼッペは何処に行ったの?」

 

黙れ。もう止めてくれ。ルナは賢い子のはずよ。分かるだろう?そう言って皆ははぐらかす。けれど。ルナは絶対に納得しない。ジュゼッペは何処?私の恋人は。

 

多感な思春期。その中で絶頂を迎えていた恋心。それを突然奪われ。けれど子供であるルナには、ジュゼッペの具体的な捜索の手立ても、彼女を支える大人も居ない。

次第に精神の均衡を崩す中。けれど。果たしてルナが見るものは狂気なのか。

 

誘拐され。監禁状態。もう二度と出られないんだろうなと思い始めたジュゼッペの。誰にも見られたくない、ルナからの手紙。大切な恋人からの手紙。

 

互いを想う。そんな二人の魂は水を介して触れ合う。その気持ちが交差する世界は夢かうつつか。

 

何だかとてもポエミーな文章になってきてふわふわしてきましたので。そろそろ強引に着地しますが。

 

兎に角終始美しい作品。けれどそこには常に哀しみと苦しさが付きまとう。凶悪な事件を挟んだ少年少女の狂気。互いを求めて。けれど自由は得られなくて。絶望しか無い。

 

最後。『実際ジュゼッペはどうなったのか』が字幕で流れた時。心の中をズンと冷えたものが突き抜けて。溜息が止まらなかった当方。

 

そこから流れたルナの表情。そして海辺のシーンに。

「これは救いなのか。はたまた夢か。」

前者であって欲しい。それがジュゼッペの、最後にルナを水の夢から押し出した結果。そいう解釈だ。そう思うのに。

未だ定まらない当方です。

2018年 映画部ワタナベアカデミー賞

昭:ようこそ。『智の部屋(サロン)』へ。

和:気持ち悪う。何その出だし。

昭:2018年も後わずか。たった二人の映画部が現実世界でほぼ消滅しかかっている事態の中。何とか明るく今年の活動を振り返ってみたい。そう思って、初めて当方の心に住む男女キャラクター『昭(あきら)と和(かず)』がプレゼンターとして起用されました!

和:平成が終わると言われる昨今に我々昭和キャラクターを召喚て。お蔭で暇が無くなっておせちの黒豆担当を妹に明け渡すしか無くなったんやけれど。

昭:まあまあ。ぶつぶつ言わんと。サクサク進めていきますよ。因みに前もってお断りしますが、この選考内容はあくまで個人の好みで判断しており、高尚だとか世間の評価とか技術がどうとか。そういうのは一切考慮されていません。…年末映画好きあるある『年間ベストランキング』に対し「順番なんて付けられないよ!」という優柔不断振りを見せながら、ジャンル別ベストを叩き出す(時に複数出ます)という『アカデミー賞方式』を採用しています。

 

和:今年の劇場鑑賞作品数は104本。内旧作は5本(午前十時の映画祭2本)でした。

昭:一応100本は越えたのか。今年は地震とか台風とか家族の手術とかあって、特に後半以降出足が延びなかったんやけれど。

和:まあその話はおいおいやれたら。じゃあ、何処からやりますか?

 

『ファミリー映画部門』

万引き家族 デットプール2
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昭:『万引き家族』は無視出来ないな、やっぱり。あの寄せ集めのスイミー一家が醸し出す危なっかしい温かさと、そのハリボテが崩れていく様。

和:『デットプール2』。前作を越えてくる続編ってやっぱりなかなか無いから。前作が実は恋愛映画で、今回は家族映画だった。そう思ったら今の家族映画って世界各国「血の繋がりより精神的な繋がりを家族とする」みたいな流れがあるのかもね。

 

『カーチェイス部門』
 レディプレイヤー1  タクシー運転手
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昭:『レディー・プレイヤー1』は冒頭オープニングからワクワクしたけれど。やっぱりあのカーチェイスシーンの高揚感。

和:これはクリアできへんやろう~と唸るしかなった。だからこそああいうクリアの仕方はずるいと思ったな。正統派で突破してくれよと。

昭:『タクシー運転手』ラスト広州から脱出する時のタクシー集団‼

和:脳内で中島みゆきの音楽が流れた瞬間やったね。

昭:え?

 

『オープニング部門』

デッドプール2 レディー・プレイヤー1

昭:あ。『レディ・プレイヤー1』はさっき言っちゃった。

和:(無視)『デッドプール2』最大の悲劇から始まるという…デップ―の元々のキャラクターが陽気やから、深刻な事態なのにどこか明るくて。あの不謹慎なのに憎めない感じはデッドプールしか出せないと思ったな。

 

『エンディング部門』

君の名前で僕をよんで
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和:お話自体には言いたい事も一杯あったんですがね。兎に角エンディングが最高。ティモシー・シャラメが暖炉の前でひたすら泣いている画なんですが…ぞくぞくしてまうの!!

昭:それって…。

 

『胸糞部門』

デトロイト
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昭:部門名で誤解を招きそうやけれど。この中の「白人警官に依る、40分に渡る拷問シーン」ホンマに嫌やった。

和:けれど。史実に沿っている事件やし「何が彼をそうさせたのか」を考えざるを得ない。そして黒人たちは本当に完全な被害者なのか。デトロイトという町の治安の悪さなんかもあったやろうし…。

 

韓国映画部門』

V.I.P.修羅の獣たち
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昭:今年公開された韓国映画は『タクシー運転手』や『1987、ある闘いの真実』に描かれた『光州事件』『韓国民主化運動』を題材にした作品。『悪女/AKUJO』や『the Witch 魔女』の女性アサシン覚醒モノ(しかも最早笑うしかないアクション)。その他「また新たな扉が開かれたよ…」というジャンル飽和状態。「最早日本にノワール作品など存在しない」「韓国映画に持って行かれている」という当映画部共通認識の中で。何故この作品がベストなんですか?

和:オイタが過ぎた北のボンボンに最終食らわす制裁の仕方が堪らんかったから。

昭:それアンタの性癖なだけやんかあああ。

 

『アニメ映画部門』

若おかみは小学生!
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昭:完全に舐めてた。観るまでは。

和:絵柄も正直苦手な感じやったしね。でも始まってしまえば全然気にならない。

昭:悪者が居ない世界。そして何より主人公おっこちゃんが滅茶滅茶いい子なんよな。

和:愛されて大切に育てられた子。でもふんわり優しいだけの話じゃない。不意に締め付けてくる喪失感とか、別れとか。でもどうやって前を向くか、みたいな事を無理なく描いていた。最後の辺りなんてずっと泣いていたし。あれは子供に連れられて行ったら親の方が号泣しちゃうよ。

 

『変態映画部門』

恐怖の報酬
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昭:一体誰があんな嵐の中の吊り橋を見て「行ける!」って判断したんだ。何故「せめて雨がやんでから」と提案しなかったんだ。

和:40年前やから、当然CG技術だって無かったやろうし。たとえセットとは言え、あんなの命がけ。命がけで映画を撮るなんて狂気の沙汰。絶対けが人出てるよなああれ。

昭:「どんなに苦しい仕事だって、ダイナマイトを運ぶ仕事よりはましだ。」っていう感想を見て大きく頷いたよ。せめてさあ、もう一回り小さな車無かったん?

和:緊張感で体が強ばって…見終わったら全身の筋肉がおかしくなってた。劇場の一体感も半端なかったよ。

 

『助演俳優部門』
男性 サム・ロックウェル/ディクソン スリー・ビルボード

女性 柳ゆり菜/加奈 純平、考え直せ
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昭:『スリー、ビルボード』の警察官ディクソン。始めは凄い嫌な奴で。差別主義者で態度も横柄。けれど彼もまた人から偏見の目で見られている。全然好きになれないキャラクターやと思っていたのに。途中の事件からどんどん変わっていって。「人を初めから決めつけてはいけない」件の彼の態度は何処から来ていたのか。それがほどかれていったら。不器用で、最終的には憎めない、魅力的なキャラクターになっていたな。

和:メインの女性キャラは彼女なんやから、助演、とするべきか分からなかったけれど。柳ゆり菜は今年注目せざるを得なくなった女優やった。お話自体は「う~ん」と思う所もあったけれど。彼女が演じた『加奈』というキャラクターが余りにもイキイキしていて、加奈そのものにしか見えなかった。バッサリ脱いで、エロも厭わない。あのレイプシーンなんて息を呑む迫力だったけれど、だからと言って脱いだから彼女が凄かった訳じゃ無い。加奈の表情で〆たラスト。あの顔は…今年の邦画ベストショットやったかもしれない。それくらい良かった。

 

『主演俳優部門』

男性 ソン・ガンホ/マンソプ タクシー運転手

女性 フランシス・マクドーマンド/ミルドレッド スリー・ビルボード

 安藤サクラ/柴田信代 万引き家族


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昭:マンソプはソウルのタクシー運転手で。娘と二人暮らしのシングルファーザー。どうしても娘に靴を買ってあげたくて、もぎ取ってきた仕事から『光州事件』を知ってしまう。

和:マンソプが初めから物わかりの良い奴では無い所が良かった。なんだこれと逃げ出そうとして、娘の元に帰りたいと泣いて。けれど同業者を初めとする広州の人達を見てしまったら捨て置けなくて。あのうどん屋からのUターン以降、号泣。

昭:『スリー・ビルボード』は本当に人間の多面性をどこまでも追及してくる作品で。正に「罪を憎んで人を憎まず」ミルドレッドの怒りは当然だけれど、その怒りの方向性は苦しいけれど違う。

和:でもそれ、分かってるんよな。だからビル署長に怒りをぶつけても彼が病気で倒れれば取り乱すし。ずっともがいている。ただ闇雲に怒っている人、では済ませなかった。

昭:また、良い終わり方をしたよね。あの作品は。

和:安藤サクラは化け物。そんなの『愛のむきだし』から分かっていました。

昭:こういうお母さん、苦手やなあ~って思っていたけれどね。終盤の取調室でのあの表情。あれは…あかん。完全に打ちのめされた。

 

『ワタナベアカデミー大賞』

該当作品なし

昭:うわあああああ。

和:ここ何年かは出たんですがね。今年は該当作品なし。こればっかりは仕方ないです。

昭:どういう基準なの、これ。

和:大賞って、もう観ている時から「これはベストだ。年間ベスト作品だ。」って実感するねん。もうこれはホンマに直感でしかない。それが今年は走らなかった。

 

『佳作部門』(公開順)

ガーディアンズ/スリー・ビルボード/ピンカートンに会いに行く/アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル/心と体と/ブリグズビー・ベア/志乃ちゃんは自分の名前が言えない


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昭:好きな作品は多かった。まず「ロシアを舐めたらあかんで!」という『ガーディアンズ』上半身が熊!という愛すべきビジュアルとか。展開も早い早い。

和:『スリー・ビルボード』が米アカデミー賞を取れなかった時。昼休憩中やったけれど、早退したくなったよ。本当に好きな作品。

昭:『ピンカートンに会いに行く』ああいうもがいて、恰好悪くて、っていう作品は堪らんよな。

和:『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』は作品自体がトーニャハーディングそのもの。無様で恰好悪くて。でもしたたかでがむしゃら。当時をおぼろげに知っている者からしたら「あれってこういう事やったんか」の答え合わせ。テンポも良かった。

昭:『心と体と』不器用の一言では済まされない女性と。もう恋なんて何度も繰り返してきたはずの男性の全然上手くいかないモダモダ感。なのに夢の中での彼らは美しいつがいの鹿。兎に角全編美しい。

和:『ブリグズビー・ベア』誘拐・監禁。幾らでも湿っぽく出来る題材なのにああいう持って行き方が出来るなんて。誰も悪い人なんていないし、ブリグズビー・ベアを馬鹿にしたりしない。最高なのに泣けて仕方なかった。

昭:『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』志乃の歌声。打ち解け合って、奇跡みたいな毎日やったのに。あっという間に崩壊してしまう悲しさ。どうしても変化を受け入れられない。けれど現実は確かにそうだなと。「あの素晴らしい愛をもう一度」でも、どこまでも心は通わない。切ない。

 

ラズベリー部門』

キングスマン ゴールデン・サークル
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昭:2018年の映画初め作品でした。

和:二人で失恋レストランに行ったんですよ。(当ブログ談)本当に。本当に辛かった。

昭:前作が好きすぎたから。だからおのずとハードルが上がり過ぎていた。その結果、ハードルを飛ぶ事無くなぎ倒しての暴走に我慢が出来なかった。

和:お願い。お願いですからこれ以上続編は作らないでください。

 

昭:いやあ~。お疲れ様でした。

和:一つずつコメントしていくのは初めてだったんで。随分長くなりましたね。お疲れ様でした。

昭:『カメラを止めるな!』案件とか。『ちはやふる 結び』とかも喋りたかったね。

和:話題になり過ぎて…同じような事しか話せない気がしたんでスルーしました。

昭:今年はどうしても下半期の活動が鈍ってしまった。結果振り返ったら上半期の作品が多く選出された気がする。

和:これまで経験した事が無かったレベルの地震を体験して実家が壊れたり。台風が来たり。家族が入院したり。そのせいで気持ちが落ちてしまったし、実際映画館に行く事が出来なかった(交通の関係で)のも大きかったかな。

昭:映画に元気づけられたり、逆に引きずったり。映画って喜怒哀楽が発生するし、それが己の精神状態にとって良い感じのカンフル剤になる、それが映画を好きな理由の一つでもあるんやけれど。けれど映画館に向かう気力も沸かない。それどころか布団から出る気もしない。そんな日もあった。

和:それでもやっぱりふっと映画が観たくなって。結局観たら楽しくて。別にそれでお金を貰っている訳じゃ無いし、無理矢理映画を観る必要なんて無い。なのに…観たくなるんよな。

昭:この映画感想文も。「どんどん長くなっているな~」「メリハリが無いな~」と思う事ばっかり。「スパンと短く要点を!」と思うのに。常に抱える問題点。

和:ただ。一つだけ褒めるとしたら『観た映画全ての感想文を書く(飛ばさない)』『観た順番を入れ替えない』のルールは今年も無事守れた。それはよく頑張ったなと。

 

和:今年の映画部長との年間総括で。「もし映画を一つ撮れたら、どんな作品にしたいですか?」というお題を出そうとしていましたが。一体何て言うつもりだったんですか?

昭:『注文の多い料理店』みたいな話。薄暗い部屋でドレスを着た女性がテーブルについていて。その正面画でカメラ固定。クラッシック音楽が流れる中、出て来る食事を彼女が淡々と食べる、ずっとそれが続くの。

和:それ…寝てまうやつちゃうん。

昭:段々照明が落とされていくから、彼女が一体何を食べているのかがよく見えない。でも新しく料理が出される度に彼女の状態も変わっていくの。あれ?眼帯してる。何か赤ワイン濃いな~とか。食事を食べさせて貰ってる?手は何処に行った?とか。

和:怖。アンタ散々私に言うけれど。アンタこそ変態やないの。

昭:仕方無いよな~だって俺たち、得意分野が『変態映画部門』やもん。因みにこの女性役はダコダ・ファニングでお願いします。

和:『ブリムストーン』から着想を得てるやないの‼
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昭:因みに部屋はここ。

和:『血の部屋(サロン)!』

 

…長かった。長い長い文章にお付き合い頂きましてありがとうございました。

2018年もいつの間にやら最終日。確かに当方にとっても『災』であった一年でした。

けれど。大きな目で見たら、大病をした訳でも家や家族を無くした訳でも無い。何も失っていない。気落ちする事はあっても基本的には元気じゃないか。そう振り返る大晦日です。

 

最後に。このような個人の備忘録映画感想文に、少しでもお付き合い頂いた方。

貴重なお時間頂きましてありがとうございました。

 

来年も、(当方も含め)楽しい映画ライフになりますように。

映画部活動報告「斬、」

「斬、」観ました。
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塚本晋也監督作品。池松壮亮蒼井優出演の時代劇。

 

江戸時代末期。のどかな片田舎の農村で村人たちの手伝いをしながらのんびり暮らしていた、浪人・都築杢之進(池松壮亮)。侍に憧れて。都築を慕い、日々木刀で剣の稽古を付けてもらう隣人宅の息子市助(前田隆成)。「うちは百姓なのに。」そんな弟にヤキモキしながらも、都築に想いを寄せ、付きまとう市助の姉、ゆう(蒼井優

ある日。剣の達人という澤村(塚本晋也)という男が都築を訪ねてくる。

「お国の為。京都の動乱に参加しないか。」

都築の腕を見込んで、一緒に徒党を組まないかという誘い。浪人と言えど武士の端くれ。承諾し、いざ出発直前。農村に無頓者(中村達也)達が流れてきた。

 

「人を斬るとはどういう事か。」「刀を持っていたとて、果たして人を斬る事が出来るのか。」

 

80分の作品。コンパクトでありながら、非常に重苦しい作品。

 

冒頭。都築と市助の稽古のシーンから幕開け。その「時代劇で手持ちカメラ?」という動きまくりの画に生々しさを感じた当方。そしてこの作品を通じて予感は実感となった。と言うのも。

「時代劇での殺陣って、基本的に定点カメラかお決まりの角度から、型に嵌りながらキメキメに撮るイメージがある。けれどこの作品の殺陣は早いし、カッコよさも無い。ブレブレやし、時に画面は暗いし正直どうなったのかよく分からない。けれど。実際、人が武器(ここでは刀)を持って相手に立ち向かう時、恰好なんて付けている余裕なんて無いし、剣術の型もあるんやろうけれど…そこに収まらないなりふり構わなさだってあるはず。というリアル。」

 

ド田舎の農村で。「国の有事のお直しに向かう為、腕の立つ侍を集めている。」と現れる澤村。まさしく『七人の侍』。(あれは村の用心棒でしたが)しかも静の印象を持つ剣豪という都築や、百姓出身でメンバーにスカウトされる市助なんて。もうそのままなぞっているじゃないか。となると村の娘ゆうななんて出発の前の晩、都築と結ばれる…とかそういう話なのかと思いましたが。

 

「まさかのそれ以前の話。」

 

澤村に誘われて。侍であるならば当然と快諾しながらも。覚悟が付かない都築。日々剣の鍛錬は怠らなかった。遂にその腕が試される時が来た。なのに。

一人で何度も剣を抜き、納め。そして剣を振って。なのに神経が昂る。集中出来ない。

そして出発の日。いざ行かん、としたのもつかの間、熱発し倒れる都築。

出発を翌日に倒し、臥せる都築。しかし。たったその一日の間に、状況は一変してしまう。

 

勿体ぶっていたらいつまでも話が進みませんので。あっさり核心に進みますが。

 

「俺は人を斬れない」

 

侍という肩書きを持ち。刀を持ち。剣の訓練を積み。鍛錬を怠らず。所謂武士道をしっかり学んできた(と思われる)。そんな都築であるけれど。その刀を人には向けられない。

穏やかな生活。そこで百姓の息子相手に木刀で練習する程度なら出来る。しかし、実際の果し合いの現場に出会っても見ていられない。と言うのも。

 

彼には「話せばわかる。」という考えが根底にあるから。THE平和主義者。

 

京都に出発する寸前、農村に現れた無頓者(と言うか野武士ってやつですよね)。村の皆は彼らの風貌や柄の悪さや悪い噂に怯え、都築に「やっつけて」と泣きつく。しかし都築は一人彼等の元に向かい。そして最終的には酒を酌み交わし、コミュニケーションを取る事に成功する。「彼らは決して悪い人ではありませんよ。」

 

けれど。村人の無頓者に対する恐怖は拭えず。都築が臥せっている間に勃発してしまった小競り合いから結果、最悪の殺戮へ発展。そして「やられたらやり返せ」のどぶ板合戦が始まってしまう。

 

「お前は侍じゃないか。」「その刀は何のためにある。」「京都に人を殺しに行くつもりだったんでしょう?」「貴方が敵討ちをしてください。」「殺して。」「殺せ。」「剣を抜け。」「戦え。」「立ち向かえ。」

 

俺は侍だけれど、人を殺める事は出来ない。そう気づいてしまった都築に、どんどん追い打ちを掛けていく澤村とゆう。

 

またねえ~。ゆうが…『近年の蒼井優お得意のタイプ』なんですわ。つまりは情緒不安定で危なっかしくて、直ぐキイキイ金切り声張り上げて、変にエロくて、人の触れて欲しくない所にぐんぐん踏み込んで騒ぐキャラクター。

そりゃあ、弟があんな目に合ったらおかしくもなりますがね。もうその範疇が無制限過ぎる。

「危ないから付いてくるな!」山の中でも、暗くなっても。ずっと髪を振り乱しながら後ろを付いてくる。絶対にごまかされない。この目で見届けるんだという執念。

(もう…メンヘラ女子が大っ嫌いな当方にとって『思わず抜けない刀で切りかかりたくなる』相手。)

それで案の定危ない目に合ってりゃ、世話無いですよ。(心の声)

 

話がズレました。

兎に角、そんな「俺は人を斬れない。だからもう放っておいてくれ。」となっていく都築をどこまでも追いかけてくる澤村とゆう。

「お前は侍だろう。人斬りだろう。斬れないというならどこまでも追いかけてやる。それが嫌なら俺を斬れ。」

 

(現代に生きる当方の目からしたら『転職』の二文字しかありませんが。)

 

侍という肩書きの重さ。刀を持つ立場。刀の意味。人を斬る為にある武器を持って。一体俺は何の為なら人を斬れる?

何も思わず刀を人に向けられたら。けれど俺には出来ない。出来ないと言ってるのに。

どこまでもどこまでも山の中。出口なんかない。疲れ果てているのに。なのにいつまでも俺を追ってくる。

 

当方の勝手な解釈ですが。都築の心の中で葛藤する想い。澤村とゆうは実体を伴うけれど都築の矛盾する想いの権化でもある。だから彼等は都築を諦めない。しつこく絡みついてくる。

 

「となると。このラストのその先は。」

 

あの暗い森をどう解釈するのか。

まだ答えは出ないです。

映画部活動報告「メアリーの総て」

「メアリーの総て」観ました。
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1818年に発表された英国ゴシック文学『フランケンシュタイン』。

200年を経てなお愛される、哀しき怪物を産み出したのは18歳の女性だった。

 

フランケンシュタイン』の作者、メアリー・シェリー。彼女の人生の内、少女時代から激動の恋、別れ。そして名作が産まれるまで。

メアリー役をエル・ファニング。『少女は自転車にのって』のハイファ・アル=マンスール監督が描いた。

 

「何だかんだ言って、当方はエル・ファニングが好きなんですわ。」

 

フランケンシュタインの原作…何となく知ってはいるけれど未読。ましてや作者が女性、しかも18歳の若さ。この作品を観るまで全く知りませんでした。

兎に角エル・ファニングが観たい。定期的に彼女を愛でて血中濃度を一定にしておきたい。(我ながら気持ち悪い言い回し)そう思って、ふらっと観に行った塩梅でしたが。

 

「ううう~ん。流れをなぞり過ぎてのっぺりとした作品になっちゃってるなあ~。」

 

サウジアラビア出身のハイファ監督。前作の『少女は自転車にのって』はサウジアラビア女性の立場や苦悩、そして希望の持てるラストと非常に考えさせられ唸った、印象的な作品でした。

 

映画作品を語るとき、余り監督の性別「男だから」「女だから」は考えたくないと思っているふしが当方にはあるのですが…それでもやっぱりこの見解を持たざるを得ない。

 

「メアリー・シェリーの人生を女性視点(一人称)で描こうとした作品。」

 

けれど。ハイファ監督らしさ、みたいなモノとこの題材がバシッと嵌まらなかった…そんな印象。

 

この作品を観るまでメアリー・シェリーという女性を知らなかった当方が偉そうに言うのはあれですが…メアリーが幾多の試練に耐えに耐え、男なんてあてにならないという決断に至り。そしてこの作品は産まれた。という浪花節と、ハイファ監督が持つ、困難な状態にある女性が打ちのめされながらも希望を探すという作風が…似ている様で微妙に被らない。

 

「第三者視点ではどう見えるんだ、これは。」訝しく呟く当方。

 

メアリー。どちらも作家の両親の元に産まれ。しかし母親は産後の調子が良くなく他界。そもそも父親には家族があり、両親は不倫状態であった。しかし私生児にしない様、メアリーは父親の家庭に組み込まれた。

本屋を営む実家。父親と継母妹弟と貧しいながらも暮らす日々。家族の中で浮いているメアリーの憩いの場は、母親が眠る墓地。

そこで一人、怪奇小説を読み耽り、文章をしたためていた少女時代。

義母との折り合いが悪く、父親の知り合いの所で過ごした日々。そこで出会った詩人のパーシー・シェリー。

又も家族の元に戻った後、再会したパーシーとの燃え上がる恋。けれど彼は妻帯者で。

それでも互いへの気持ちが止められなかった二人は駆け落ち。そして授かった子供。

幸せな日々もつかの間。失ってしまった命。

失意と絶望の中。メアリーの中で息ずいていった物語ー。

 

拙い文章をつらつら書きましたが。まあこの通りの流れを121分に渡って追っていくんですよ。緩急無く淡々と。

 

「可憐で聡明なメアリーは…」みたいな文言、トレイラーやチラシでも散々観ましたが…当方は『早熟な女の子』という印象。(そりゃあエル・ファニングなんやから可憐ではありますよ)

 

19世紀というご時勢とはいえ。16、17の女の子が妻帯者と恋に落ちて(またパーシーも若い!)駆け落ち。妊娠、出産、死別を経て18歳て。人生早回し過ぎる。

 

大体、本屋の実家。義母の事イケずなおばちゃん扱いしてましたがね。そりゃあ自分の産んだ子供よりずっと美しい娘が居て、しかもそいつは自分には全く懐かなくて、屁理屈ばっかり言って、挙句店番も手伝いもせずに外をほっつき回っていたら…そりゃあ嫌味も言いたくなりますよ。働かざる者食うべからずやのに。衣食住を確保してやっているだけでも上等やないかと。で案の定、夫の弟子と駆け落ちって。

 

また、メアリーと人生を歩んで行く事になるパーシーのあかんたれ感。

人と人が恋に落ちる。それはどうしようも無い事なんやろうけれど…既婚者である事を隠し、そしてバレたらバレたで開き直り。周りから否定されれば燃え上がって駆け落ち。結果家族から絶縁された。そうすると一転、借金まみれ。よく分からない事で一山当ててはまた転落。借金取りに追われ、落ちぶれて酒をあおって。大体、二人の子供が死んだのも豪雨の中借金取りから逃げたからですからね。なにそれ。

 

「駄目駄目!何でメアリーこの男が好きなん?」絶叫するおばちゃん当方。「はよ別れてまい!こんな男とずるずる居ったら腐ってまうで!」

 

本当にねえ~。パーシー&メアリーカップル、全然感情移入出来ないんですよ。

 

駆け落ちする時に付いてきた、メアリーの妹のつてで詩人のバイロン卿の屋敷に転がり込む二人。またこのバイロン卿という人物が気持ち悪い。

バイセクシャルで手癖が悪い。そしてエキセントリック。そういう人物像なんでしょうけれど。何だか悪意すら感じる、生理的に無理な気持ち悪さ。

その屋敷で行われた『ディオダディ荘の怪奇談義』。後に『フランケンシュタイン』『吸血鬼』を産み出すきっかけとなったそれ。そういうのをしっかり深めたら良いのに。そこもフラットに流れてしまう。

 

バイロン卿の屋敷から出て。怒涛の創作意欲に憑かれたメアリーが一気に執筆した『フランケンシュタイン』。なのに。「女性で、しかも若い女性が書く作風じゃない。」「これは貴方が書いたんですか?(パーシーじゃなくて?)。」と門前払いを食らい、憤るメアリー。結局匿名扱いでの出版。

「これこそハイファ監督が得意とする視点じゃないか!」と思うのに…これもまた何となく「でも世に出したらヒットしたから。」「第二版からはメアリーの名前が付きました。」でおざなりに収束。おいおいおい。置いてきぼりを食らってぽかんとする当方。

 

そしてパーシー。最終一体何が彼をそうさせたのかさっぱり分からないけれど、一言で要約すると「今までごめんね」で済ませ。そしてそれを受け入れるメアリー。

分からん。恋愛の機微が理解出来ない当方にはこの二人の神経は全く分からん。(後半、メアリーのパーシーに対する感情は…史実と違っても、盛ってでも何かしら描くべきやったと思う当方)

 

「ああもう全然しっくりしない!不完全燃焼過ぎる!」

一人の女性、しかも実在した人物の半生を描くにあたって。チョイスするエピソード満載だったんでしょうけれど。結局それらを強弱付けずに並べてしまっては…最早フラストレーションすら感じてしまう。

 

「ただ。エル・ファニング血中濃度を上げるという目的では達成したと言える。何しろ彼女出ずっぱりやからな。」

 

エル・ファニングの美しさ。美術や衣装、絵面の綺麗さは 確かに目の保養になった。という事は。

「これはあれですわ。『オサレなバーで無音で流れていたら気持ち良い映像作品。」

 

ところで。最後テロップで語られた、メアリーに纏わる男性陣の余りの短命さに「‼」と震えた当方。

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