ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「えいがのおそ松さん」

「えいがのおそ松さん」観ました。
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3月某日。赤塚高校同窓会に参加した松野家の六つ子達。素敵な出会いを夢見ていたのに、「成人過ぎても、六人揃って実家住みのニート。童貞」と同級生達に露呈。

散々な気持ちで会場を後にして。馴染みのチビ太のおでん屋台でくだを巻いて。飲み足りず、帰宅してからも六つ子で酒盛り。

翌朝目覚めたら…いつもの我が家じゃない。

18歳の頃にタイムスリップ?でもちょっと記憶とは違う。

デカパン博士の所に駆け込んだ六つ子。かくかくしかじかとわけを話したら。

「ここは君たち誰かの意識の中ダス。六人の内の誰かがこの時代に後悔を残しているからこの世界に来たダス。元に戻るにはその後悔を払拭しないと駄目ダス。」と言われる。

「後悔?」この中の一体誰が?…って俺たち高校の時一体どんなだったっけ?

 

おそ松の ズボンをカラ松がはいて チョロ松のシューズを一松 取っ替えて

トド松の眉毛を 十四松に描いても シェー! やっぱり同じ六つ子さ 

1988年 『おそ松くん音頭』 歌:細川たかし

 

『おそ松くん』言わずと知れた、『天才バカボン』『ひみつのアッコちゃん』に並ぶ、漫画家赤塚不二夫の代表作。全31巻(+番外編2巻)。

1962年に漫画発表。アニメ番組として1966年(56話)、1988年(86話)にテレビ放映。赤塚不二夫生誕80周年を記念して2015年『おそ松さん』として製作放映。2017年に2期放映。

『おそ松くん』で10歳だった六つ子が成人した世界。しかし、揃って定職にも就かず、実家に寄生。パチンコなどで日銭を稼ぐ「クズニート」としてブラブラする毎日。彼らが仲良くつるんでいる様は大反響を呼び。『松子』と呼ばれるファンたち等も生まれ、社会現象と呼ばれた。

 

先だって2点。お断りしたいと思いますが。

1)当方は『おそ松さん』というアニメをテレビ放映で一回も見た事がありません。(おそ松くんは子供の頃にぼんやり見た事があります。)

2)今回の感想文は結構な長文になると思います。(だらだら纏まりが無い上にまあまあ本編に踏み込んだ内容になります。)

 

映画部部員として。一応は新作映画情報にはアンテナを張っているつもりの当方。このアニメの制作、公開情報も早いうちから耳にはしていました。そして、普段行きつけの映画館で。何度か見掛けた予告編。

初めは、当該ブログ冒頭の内容が流れていたと記憶。ですが。公開日が迫るにつれ、段々予告編の内容が意味不明になってくる。

終始六つ子の着ぐるみがわちゃわちゃしながら小突きあっている絵面。「笑いあり!涙あり!爆発あり!」それを真顔で見ながら「何も伝わらないぞ。」と思っていた当方。

若干の『内輪受け感』も感じながら。「だけど 気になる 昨日よりも ずっと」

公開日が3月15日金曜日。何となく頭に留めていた公開日。

職場勤務表が発表された時。思わず確認。「3月15日は泊まり勤務明けだ。」

つまりは。「映画公開初日初回にやってくる『ガチのファン』が見られるという事だ。」

 

この流れに、非常に気分を害されている方が居るのは承知。ですが。当方はこの作品の映画公開初日初回(平日の朝一番)に合わせて「わざわざ会社を休んでまで観に来る人達」を見てみたかった。そして、大の大人にそこまでの熱意を持たせる作品を観てみたかった。(学生は除外。この作品の支える世代は恐らく20代後半~30代女性と推測)

 

「1962年に作られた原作。最早古典で誰もが知っている。そのコンテンツが現代風にアレンジされ、受け入れられた。コアなファンが居る。テレビ放映だけでは飽き足らず、グッズや二次創作まで貪るファンたち。しかし、そこまでして愛される作品とは一体どういうものだ。」

 

1962年に生まれた六つ子。長らく『おそ松が長男でトド松が末っ子』という順番しか決まっていなかった。彼らの序列が決まったのは先述の『おそ松くん音頭』が出来た1988年。

イヤミ。チビ太。デカパン。ハタ坊。トト子ちゃん。脇役はキャラが立っていたけれど、正直肝心の六つ子がぼんやりしていた。そんな印象。彼らはいつも『ラッツ&スター』の物まね人形みたいに横に並んで同じ動きをしている。そんな印象だった。

けれど。判別不能と思っていた六つ子には元から各々キャラクター設定があった。

 

おそ松さん』トウの立った脇役では無い。シンプルに『松野家の六つ子』にスポットを当てて掘り下げた。それが愛される六つ子の誕生だった。(今回調べて分かった事。結構初期設定に合わせた性格付け。そして『スタジオぴえろ』って1988年からおそ松くん製作しているんですね。)

 

今回。この作品を観るに当たって、流石に手ぶらで行ってはいけないと思い。

『兄弟の順番・顔・キャラクター設定・テーマカラー』は散々調べ、頭に叩き込んだ当方。(これは当方の様にアニメを見ていない者には必須。)

そうして。満を持して3月15日を迎えた訳ですが。

 

行きつけの映画館。初回は8時40分(就業終了時刻8時30分では鑑賞不可能)であった為、少し離れた別の映画館で鑑賞。

映画館に向かうエレベーターが『えいがのおそ松さん』ラッピング。当方と一緒に乗り合わせた女子二人がおもむろに「ありがたい~」と言いながらスマホ撮影。閉ざされた箱の中、一体どこに身を置くべきかおどおどする当方。

映画館到着。確かカウンターでスタッフに声を掛けるタイプの発券であったと記憶。張りつめた緊張感で向かった当方。「発券機導入されていた!ありがとう!」Majiでホットする当方。ですが。

「結構座席埋まってるんやな…。」平日朝9時半。そんな時間に8割以上が埋まっている。すげえな。息を呑む当方。

そして。「フード売り場に長蛇の列。何故?10分後には予告編始まるのに…。朝一はご飯食べてこないのかな?」なあんて無邪気の極みだった当方。鑑賞前にトイレへ…と向かう際、映画館のポスターやデットスペースに群がって何かをしている女子を見かけて理解。

「ホップコーンと何かを撮影!」「ホップコーンの容器が六つ子の絵!そして何やら特典プレゼントが付いていたらしい!」

思えば遠くに来たもんだ。どうやら当方は随分舐めた気持ちでここに来てしまった。そう思って肝を冷やす当方。館内を見渡し、一人で座っている男性等を目視で確認し勝手にアウェイ感を共有。(やはりほとんどが女性客。たま~に見掛ける単独男性。そしてカップル?男女で座る勝ち組もチラホラ)一刻も早く照明よ落ちてくれと祈るばかり。

 

とまあ。普段の感想文一本分で『えいがのおそ松さん』初日初回劇場レポートをしてしまいました。いい加減本編の感想に突入しなければと。ぐっと舵を切り替えたいと思いますが。最後に一つ。

「ここに居る人たちは本当に『おそ松さん』が好きなんやなあ~。」

劇場全体を包む『大好き!』。その圧倒的な波に飲まれた当方。こんなに皆が笑って(手を叩いて笑っている人も居た)、最後にしんみりする雰囲気…。

けれど。当方はこの雰囲気を知っている…それは往年の『松竹映画』(分かりやすく言うと『寅さん』シリーズとか)。結構ベタでちょっと説教臭くて。でもそれを分かって観に行っている客層なのですっぽり嵌る。そんな感じ。

(前説で「松竹が配給なんだよ!」と言っていたのですが。鑑賞してみると確かに松竹映画っぽいなあ~と思いました。)

まあでも。そうやって観客に愛されて観られる作品って良いですね。

 

随分遠回りしましたが。

話としては正直「ヌルい!設定がヌルい!」と思う所もありました。

パラレルワールド…とも若干違う。精神世界の話。六つ子の中の誰かが実際にあった過去の中で後悔を残している事から出来た世界。」「あくまでもそいつの記憶でしか構成されないので、見ていない事は描かれない。」なるほど。と思いきや「アレ?それはいいの?」という破綻しまくった後半の展開。まあそのレギュレーションに囚われたら何も進展しないのは確かですが。

まあ「ギャグ漫画の世界って便利だよな」六つ子の一人にそう言わせている様に。重箱の隅をつつくような真似は野暮。ガッチガチのSF作品を作りかたかった訳では無いんでしょうし。

「寧ろ描きたかったのは、高校生の六つ子から成人した六つ子へ通じる話。」

 

「え!お前ら六つ子なの⁉」そう驚かれた入学式。仲の良い六つ子。けれど次第に「あいつらの独特の雰囲気、入れないよな。」そう陰で言われて。次第に六人で一緒には居れなくなった。

 

「俺たち高校の時どんなだったっけ?」

誰かの精神世界に入ってしまった。この時代に後悔がある?誰が?どういう風に?

じゃあとりあえず見に行こうぜ。高校時代の自分たちの姿を見に行く六つ子。

今と180°違った者。全く変わらない者。「恥ずかしい。」「アイツを殺して俺も死ぬ。」そう言って取り乱す者も居たけれど。けれど、恥ずかしがる彼等は兄弟を精神世界に閉じ込める程後悔している訳ではなかった。

 

「後悔している事」それは事象として解決していない出来事がベースにあったけれど。「あのギクシャクしていた時の事をちゃんと振り返りたい」という、六つ子の中の一人が上げた叫び。けれどそれは決してあの一人だけが思っていたことじゃない。だから六つ子全員が一緒にトリップした。そう思う当方。(まあ、一人だけトリップしたら話の内容が変わるがな…そして誰の?って大抵こういうのはあの順番で目が覚めた奴の精神世界(夢)なんですよ!デフォルト!SF界では!)

 

「今の自分はこれで良いのかな?」

中高生の時誰もが思った事。学校という集団生活の中でサバイブする為には、時には自分では無いような自分を演じる時がある。でもそれ。どうなの?

逆に。自分に嘘が無い自分。ナチュラルで居れる自分。でもそれは良い事?もっとしっかりしないと駄目?それともつまんない?

アイデンティティが確立していない年頃。大人が知ったような事を言ったってそんなの説教臭い。聞いてられない。でも一人だけ。一人だけからなら聞ける。未来の自分なら。

 

「大丈夫。」「よく頑張ってる。」「でも無理しなくて良いよ。」「こういう役割の奴も必要なんだって。」「難しく考えずにドンと構えてろって。」「笑っていろって。」

未来の自分からの、溶けてしまいそうな自己肯定の嵐。これは泣く。18歳の当方なら。

 

そして『事象として解決していない事』の結論。正直この見え見えなエエ話オチに『THE松竹映画』を感じてしまった当方。(すみません)

 

あのキャラクターの存在は『六つ子をフィルター無しで見続けた人』。

明るくてわちゃわちゃして。そんな六つ子をずっと俯瞰で見ていた人。

苦しんでもがいて。そんな時代も含めて。ずっと六つ子を好きで居続けた人。

(これは劇場まで足を運んだファンを暗喩しているんでしょうかね。)

 

ところで。事前に『兄弟の順番・顔・キャラクター設定・テーマカラー』は散々調べ、頭に叩き込んでいざ鑑賞に挑んだ当方。

初めの同窓会のシーン。「あ。これ無理。同じ服着て動かれると厳しい。」静止画なら見分けられるんですが。六人で同じような表情をされると厳しい。アニメを見ていないし、声優さんとか分からないので声で聴き分けるのも無理(一松の声が低い。それくらい)。髪の毛のツヤ?部分にテーマカラーが配色されているけれど目が追い付かない。ちょっと困ったな~。そう思いましたが。

その後おでん屋台シーンでお揃いのスーツを着崩したあたりから判別可能。後は着用しているテーマカラー別のパーカーと、流石に顔と声とキャラクターが一致してきたので混乱する事は無く完走。

 

そして。恐らく全ての人が聞かれるであろう質問。「六つ子の中で好きなのは誰ですか?」

皆可愛かったですね。クールにそう言いたい所ですが。

事前に調べた時点から、第一子の当方には『長男おそ松は別格』として。

好きなキャラクターは『三男チョロ松』。何?「しっかり者で真面目ぶっているけれど人一倍エロい事を考えている」って。そういうの…大好きなんですよ。

イマイチノリについていけなくて。映画開始から暫く怪訝な表情をしていた当方の表情が思わず崩れた。それは高校生チョロ松が手を挙げて「テンテイ!(先生)」と言った瞬間。(その直後の末っ子トド松とチョロ松の可愛さも当方心のやらかい所を締め付けてきました。)

 

「まあこれは確かにテレビ放映だけでは飽き足らず、グッズや二次創作まで貪るファンが出てくるよ。恐ろしい。」震える当方。嵌るとやばい。これはやばい。

 

這う這うの体で映画館を後にした当方。これはミイラ取りがミイラになる。嵌ると抜け出せなくなる。おっかない。

 

帰宅後。劇場鑑賞記念に貰ったコースターの袋を、何だかドキドキしながら開けてしまった。そんな当方が何だか堪らなかったです。
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