ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「100日間のシンプルライフ」

「100日間のシンプルライフ」観ました。
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目が覚めたら文字通りの『裸一貫』。

所持品は全て倉庫に没収。そこから自分に必要なモノを一日に一つずつ取り戻していくルール。期限は100日。

 

ドイツ・ベルリン。幼馴染で今ではビジネスパートナーのパウルとトニー。それなりに成功しているアプリ開発企業の共同経営者の二人。

スマホ依存症でお勧めの商品は直ぐに買ってしまうパウルと、コンプレックスの塊なトニー。

自社のアプリが超大手IT会社との契約に繋がり。盛り上がりに盛り上がった社員総出のパーティでまさかの大げんか。酔った勢いで大金を掛けた勝負を提示してしまう。

 

『持ちモノ全てを倉庫に没収し、一日一つだけモノを取り戻せる。新しく何かを買うのは禁止。会社の食べ物は食べてよい。期限は100日。達成出来た方の勝ちで、負けた方はアプリの売り上げから自身の取り分全てを社員に分配する』。

 

元々モノに溢れた生活をしていた二人。裸一貫から彼らは何を選択し、そして100日後にはどうなっているのか。

 

とにかく主人公二人の関係性が観ていて楽しかった作品。幼馴染で家族同然に育った二人のキャッキャした感じ。裸だって恥ずかしくないし何なら茶化せる。掛け合いのテンポが速い。

けれどそんな二人にも苦い過去が…かつてトニーはパウルの彼女を寝取った事があり、それを引きずるパウルは新たな恋が出来なかった。

 

そんなパウルが開発したのが音声アプリ『ナナ』。いわゆるSiriの女性音声バージョン。恋人っぽい喋り方でユーザーの生活に寄り添ってくる。

超大手IT企業へのプレゼン。パウルは『ナナ』との生活に依る癒しを強調していたが、トニーはナナとの生活から得られたユーザーの情報が使えると説明。実際にナナを使用しているパウルが、購買意欲に駆られ、いかにナナに言われるがままにモノを買っているかを公表した。

確かにパウルの部屋はモノで溢れ雑然としていた。買った事で満足し封も開けていない商品。同じモノや同じようなモノ。

けれどそれをプレゼンの場で指摘されたパウルは機嫌が悪い。

プレゼン成功で盛り上がる社員総出のパーティーでも、苛立ちが収まらなかったパウルが吹っ掛けた喧嘩。おおいに買ったトニー。

そうして二人のシンプルライフが始まった。

 

「もし当方だったらどうする。何が必要だろうか」。

 

まあ…そんな「もし」は無いとしたいけれど。起きたら裸かあ…しかも季節は冬でしたよ。冬のドイツ…滅茶苦茶寒そう。

確かに一発目は暖かい上着や寝袋になるやろうな。でも…当方にはもっと必要なモノがある。『眼鏡』これが無いと生きていく事が難しくなる。

裸眼で生活出来る人には分からんでしょうがねえ。眼鏡が無いとあんまり見えていない人にとっては体の一部なんですよ。

なので。「眼鏡を掛けると幼くなる」みたいな理由で普段コンタクトをしていたトニーが同じコンタクトを数日使い続けて角膜炎になる、みたいなエピソードに震えが止まらなかった当方。トニーよ!目の病気を馬鹿にしたらアカン。その民間療法も止めろ!ちゃんと眼科に行って処置してもらって然るべき目薬をもらわんと、一生コンタクトなんか付けられなくなるぞ!(終盤眼鏡を掛けていたトニーの姿に安堵)。

 

完全に話が脱線してしまいました。

これは大きな契約になる。アプリの売り上げは凄い事になるぞ。しかもツートップが馬鹿な勝負を仕掛けた。こんなのあの二人が完走出来るはずがない。負けた方の手取りが我々に分配される。これは楽しみ。

おのずと士気が上がる社内。「どちらが勝つか」という賭けまで行われ、「買い物依存症パウルが我慢できるわけが無い」とトニー一強。

これがまた、仲の良い会社なんですね。こういうお仕事では無いのでよく分かりませんが…「この会社には住める」と思った当方。

社内の内装や共有スペースの面白さ。何?あのビニールボール一杯で体を沈める部屋。ワクワクしてしまう。

 

男前二人が裸でキャッキャして(言い方)、コミカルなテンポで進む前半。けれど話が進むにつれて「あ。これ結構しっかりした話やな」と考えさせられる。

 

二人が毎日通う事になった倉庫で出会った女性、ルーシー。彼女の倉庫にはぎっしりと衣装が詰め込まれていて。そこで様々な恰好を楽しんでいた彼女と仲良くなるトニー。

初めこそイイ感じの女性を口説きたいだけだったけれど。何も買えないトニーはいつもの様な気取ったエスコートが出来ない。けれど素朴なデートが愛おしくて。どんどん彼女に惹かれていく。

 

今は一人で暮らすパウルの祖母や、パウルの両親との関り。気になる彼女。仕事。そして何より主人公二人の友情、絆…。多方面から線を手繰り寄せて、けれどそれがしっかり纏まっている。

 

ずっとくすぶっていた過去のこと。お互いに対して本当に言いたかったこと。これをぶつけたら関係性が崩れるんじゃないか。そう思っていたことをしっかりぶつけあう、まさに泥仕合を微笑ましく感じる当方。いいなあ。こういう相手が欲しいよ。

 

100日経った時。過剰にそぎ落とされたけれど、スッキリとした表情の二人。そしてルーシーへの言葉とその姿に胸が熱くなった当方。こんな事を言えるようになったなんてな…。

 

基本的には明るく楽しくテンポの良い…けれど観終わみれば「人生で必要なモノかあ」と考えさせられる。身の回りがごちゃついていないか…心当たりがあり過ぎる。

 

「一気呵成には出来ないから。一年掛けて断捨離していこうか」。

そう思う当方…の先行きが不安なのはハナから「一年掛けて」とか言っている所です。

映画部活動報告「燃ゆる女の肖像」

「燃ゆる女の肖像」観ました。
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19世紀、フランス。画家のマリアンヌはブルターニュの貴婦人から、娘エロイーズの肖像画を頼まれる。近く結婚予定のエロイーズのはなむけとなる肖像画

しかしエロイーズ自身は結婚を拒んでおり、先任者の画家も筆を投げていた。

画家である事を隠し、散歩相手としてエロイーズに紹介されたマリアンヌ。孤島を歩き回り、密かに自室で絵を仕上げていたが、真実を知ったエロイーズに出来上がった絵を否定されてしまう。

意外にもモデルになると言い出したエロイーズ。そうして、一枚の絵に向き合う事になった二人。

見つめ合い。生活を共にしていく中で恋に落ちていく二人。しかし、それもつかの間。

画が完成する期日は二人の別れを意味していた。

 

「美しい…」

 

どこをどう切り取っても美しい、二人の女性の姿。出会った初めは戸惑い。一体相手は何者かと探り合い。けれど正体を知って、自分をさらけ出しぶつかり合ううちに恋に落ちた。けれど…永遠には続かない恋。手に入った途端に終わりが見えている。

 

孤島の城に住むエロイーズ。元々は修道院で暮らしていたが、姉が結婚を拒み自殺したため母親に呼び戻された。帰った途端、姉をなぞるように見合い結婚へと段取りが進められているが、顔も見た事もない男性の元に嫁ぐ事が受け入れられない。

そして画家のマリアンヌ。一人で生きていくと決めた女性。

 

「だがしかし。こんなに普遍的な物語を今日日観るとは…」。

 

もしマリアンヌが男性だったら?

孤島の城に住む年ごろの娘エロイーズ。純粋培養で育った、恋を知らない生真面目な彼女は近く見知らぬ男性と見合い結婚をする。

そこに突然現れた男性(マリアンヌ)。何故自分と行動を共にしたがるのか、何を考えているのかといぶかしがっていたけれど…蓋を開けてみれば花嫁道具の肖像画を描く画家。

だから自分の前に現れたのか。やたらと付きまとい、うるさい位に視線を感じていたのは画家だったからか。

瞼に私を焼き付けたつもりでこそこそ描いて出来上がった絵。こんなものを私だと思われては心外。この画には血が通っていない。

「モデルになる」さあ私を見るがいい。もう隠さない。私もあなたを見るから。

 

~という感じ。男女で観た事あるような気がする。決して奇抜ではない。けれど主人公二人を女性で描かれた時。こんなに繊細な物語になるなんて。

 

キャンバスを隔てて。視線と視線が交差する。「貴方って驚くと…」互いの表情で気分が分かる。頑なだった時、決して笑顔にはなれなかった。けれど今は二人で過ごしている時間が楽しくて自然と顔がほころんでしまう。ここには母親はいない。二人っきり。階級なんて関係ない、同世代の話し相手。こんな人は今まで居なかった。

 

この作品にはほとんど男性は登場しない(船乗りと出来上がった絵を運ぶ男性くらい)。

孤島の城に住む未亡人とその娘エロイーズと召使のソフィ。画家のマリアンヌ。終盤描かれる祭りで歌うのも女たち。そんなむせかえるほどの女ばかりの世界。

 

正直、エロイーズとマリアンヌの恋については「これは女性同士という部分以外はほぼ既視感のあるロマンスではないか」と思った当方でしたが…この美しすぎる物語に生気を通わせたのは『召使のソフィ』の存在。

まだ幼さの残るあどけないソフィ。この城に住む女たちの世話をする。しかし未亡人の居ない所では、エロイーズとマリアンヌとはまるで友達のように会話し食事と共にする。

未亡人が城を空けた数日。実は妊娠中であり、しかし産むわけにはいかないからと堕胎するソフィと立ち会うエロイーズとマリアンヌ。

 

『女であること』を受け入れるとは諦めることなのか。少なくとも19世紀はそうだったのか。

妊娠しても産むわけにはいかないと堕胎するソフィ。ソフィの相手はそもそもソフィが妊娠しことすら知っていたのか?処置を受け涙するソフィの横に付き添うのが笑顔の子供たちという…いたたまれない対比。

見た事もない相手に嫁ぐのは辛いと塞ぐけれど…だからといって母親に正式に抗議する訳ではないエロイーズ。

そして。恋した相手、エロイーズを城からさらってしまおうとはしないマリアンヌ。

村の祭りで女たちが歌っていた、独特な曲が頭から離れない。

各々は熱く燃えるものを持ちながらも運命には抗わない。けれどずっと胸の中でくすぶっている…。

 

「まあ。限られた時間の中で惹かれあった二人…って、障害があればあるほど燃えるっていう側面が絶対あるけれどな」。どうしても素直に首を縦に振らない当方。

多分…「あまりにも綺麗に出来過ぎていた」。おかしな話ですがそうとしか言えない。何かケチを付けようにもままならない。上手くまとまりすぎていて。溜息ばかり。

 

終盤のマリアンヌが語った『その後の私たち』。そのエピソードたちが完璧すぎて「うまあああ~」という感情がこみあげた当方。

片方にとってはそれは弱火で燻っていた恋。けれど相手にとっては、かつて熱く盛り上がった思い出の恋だった。

終わった恋を想い涙する相手を遠くから見つめる自分。けれど…その視線は交差しない。自分が視線を送れば、いつもそれに気づいてくれたのに。

 

二人で取り組んだエロイーズの肖像画。それが完成するという事は二人の別れを意味する。けれど…嫁いだ先に飾るその画はいつも甘い記憶を思いだしただろう。それは、新しい環境で生きるエロイーズをなんと力強く支えたことか。

 

一見普遍的なロマンス。けれどそこに生きた女たち。運命を受け入れ歯車に逆らわなかったけれど…忘れられない恋をした。その記憶はずっと胸を焦がし体を熱くする。

 

「どこを切り取っても美しい…」。122分。まさに動く絵画を観ていたような感覚。

映画館で観られる事がありがたいです。

映画部活動報告「佐々木、イン、マイマイン」

「佐々木、イン、マイマイン」観ました。
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高校の頃の俺たち。いつも気の合う仲間4人でつるんでいた。放課後に自転車で行ったバッティングセンター。よく入り浸っていた、仲間の一人、佐々木の家。

汚い佐々木の家で。皆でゴロゴロして、ゲームをして、佐々木特製カップ麺を食べた。

バカばっかりやっていた俺たちの中で佐々木はぶっちぎりに頭のおかしな奴。俺ら男子が集まって「佐々木!佐々木!佐々木!」。当時『佐々木コール』と呼ばれていた囃子言葉でおだてると佐々木はどこででもすぐ全裸になった。

先生には怒られるし、女子には避けられたけれど。佐々木はいつだって俺たちの中心人物だった。

 

「なんちゅうエモーショナルな…」。

いくつになってもこういう作品には気持ちを持っていかれてしまう当方。心のやらかい場所をしめつけてしまって…息もだえだえ。

 

主人公の石井悠二(藤原季節)。俳優を目指して上京し早何年。鳴かず飛ばず。ぱっとしない。けれど辞める踏ん切りは付かない。

別れたはずの恋人、ユキ(萩原みのり)ともずるずる同棲生活が続いていた。

ある日。掛け持ちで働いている工場に、高校時代の同級生多田(遊屋慎太郎)が飛び込み営業でやってきた。久々の再会。その後飲みに行った場で、久しぶりにかつて圧倒的存在感を放っていた同級生佐々木(細川岳)の話になった二人。

 

悠二。佐々木。多田。木村(森勇作)。高校の頃、4人でいつもつるんでいた。

爆発的なテンションと行動力。次は何をするのか分からない。突拍子がない。一緒に居ると楽しくて。グイグイ引き込まれていく、でも嫌じゃない。佐々木と居るといつも楽しかった。

けれど。4人共分かっていた。

いつも入り浸っている佐々木の家には、ほとんど佐々木しか居ないこと。

父親と二人暮らしのはずの佐々木の家は滅茶苦茶に散らかっていて、佐々木はほぼカップ麺などのインスタント食品しか食べていないこと。

ある日。いつも通り佐々木の家で遊んでいた悠二たちは、唐突に佐々木の父親(鈴木卓爾)が帰ってきる所に遭遇する。

「ちょっと印鑑取りにきただけだから」「次はいつ帰ってくるの?」「仕事が落ち着いたらな」佐々木の小さな動揺、すがるような表情を見逃さなかった悠二。

 

高校生の悠二。どういう事情かは知りませんが。祖母と二人暮らしで、その祖母が老いていく事が直視できなかった彼だからこそ。いつだって底抜けに明るい奴だと思っていた佐々木の不安げな子供の表情が見逃せなかったのだろう。

 

現在の悠二。20代後半。かつてつるんでいた仲間、多田も木村も既に結婚している。なのにいまだに一人で東京にしがみついている。役者も元恋人の事も断ち切れない。

たまたま再会した後輩俳優から舞台での共演を依頼された。題目は『ロング・グッドバイ』。引き受けたけれど…役に集中出来ない。共感出来ない。

 

「20代って…中年の当方からしたら、まだ全然体力もあるし頑張れる気がするけれど…」今だからこそそう思いますが。けれどそういえばかつて「男が無職で夢語っていいのは25歳まで」と言っていた事を思い出した。

結婚。田舎に帰る。きちんとした職に就く。こうなればとことん夢を追いかける。モラトリアムは終了だ。さあどれを選ぶ?30歳を目安に一回ジャッジとリセットを求められる風潮は確かにある。

(ここを過ぎれば人生はもう自由気まま。その代わり全責任を己で取る覚悟)。

 

今のどん詰まりな現状から、ふとかつての楽しかった高校時代を思い出し笑いがこみあげる悠二。元恋人のユキに「どうしたの。久しぶりに笑ってる」と聞かれ「高校の時同級生で佐々木って奴がいてさあ」と話しだしたら尽きなくて。声が弾む。けれど。

佐々木との思い出は楽しい事ばかりではない。

 

明らかに育児(というのか?)放棄していた父親。お金は落としていたのだろうけれど、家族としての役割を果たしておらず家庭崩壊。反して佐々木は明らかに父親の愛情を欲していた。

愛されたい。愛されたい。愛されたい。

学校では皆の人気者。名前を呼ばれて。大きな声を出して騒いで全裸でおチャラけて。そうやっていれば頭が空っぽでいられる。皆に求められている。一人じゃない。

 

そんな佐々木の、動揺し隠せなかった素顔を見つけてしまった悠二。思わず声を掛けたけれど佐々木はのらりくらりとしていて、決して本心は語らない。挙句悠二に役者になれと薦めてくる。

「大丈夫だよ。お前なら大丈夫」。

 

「何て顔をするんだ…」。ひたすら眉を顰めてしまう当方。「何で自分は駄目だと思うんだよ、佐々木」。

高校卒業後の佐々木。その半分投げやりな「俺なんてさあ」という言葉に舌打ちが隠せなかった当方。いや、ああいう暮らしをする人を決して馬鹿にしている訳では無いんですが。佐々木の「俺なんかにはこういう人生がお似合いやろう」というスタンスが気にくわん。

けれど…悠二の目線が外れて佐々木の一日が映された途端、一見自暴自棄な様で、どこか佐々木ならではの純度が見え隠れして。どこかほっとした当方。

 

問題をきちんと整理して解決する。うだうだしない。振り向かない。切り替えて前に進む。

そんなにシステマチックに人の感情は出来ていない。けれど…自分自身に猶予を与えて、楽しい思い出ばかりに浸っていたら動けなくなった。

けれど。今自分がしがみついている所は完全に安心できる場所なのか?都合のいい記憶ばかりを選んでいないか?胸がざわつく事も、嫌だと思った事もあっただろう?

いっそ全部ひっくるめて、全てを地面に置いて歩き出してみたら…いつか振り返った時この場所は…きっとぼんやりと懐かしくて暖かく見えるだろう。

「大丈夫。お前なら大丈夫」。

 

これは、主人公石井悠二が今と過去にケリを付ける物語。そう感じた当方。

 

終盤。「これまた急転直下な」という展開で風呂敷が畳まれ。唸るけれど…確かにこういう生き方が佐々木らしいと言えば佐々木らしいなと言い聞かせる当方。

 

流石にラストシーンは荒唐無稽過ぎて「いやこれは彼らの夢だ」と言い聞かせたけれど。きっと三者三様に大人になってしまったかつての仲間たちの、渾身の『佐々木コール』。

 

佐々木役を演じた細川岳。彼の、高校時代の同級生のエピソードが基になったという…という流石といえば流石の『佐々木』っぷり。

そして主人公悠二を演じた藤原季節を始め、俳優陣が皆生き生きとその役になっている姿に感銘。そして…個人的には木村の恋の行方にグッと胸が熱くなった当方。やるやないかお前!…堪らん。

今作が長編映画デビューとなった内山拓也監督。これからも楽しみです。

映画部活動報告「エイブのキッチンストーリー」

「エイブのキッチンストーリー」観ました。
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アメリカ。NYブルックリン生まれのエイブ。イスラエル系の母親とパレスチナ系の父を持つ。

両親の関係は良好だけれど、互いの祖父祖母たちが顔を合わせてしまうと文化や宗教の違いから衝突が絶えない。

12歳の誕生日。料理作りが大好きなエイブは自らの誕生日パーティの料理を担当。見るからにおいしそうな食事が出来たのに、結局パーティはいつも通り大人たちの言い争いでぶち壊しになってしまった。

傷心のエイブがインターネットを通じて知った「世界各地の味を掛け合わせて『フュージョン料理』を作るブラジル人シェフ、チコの存在。

町で行われていた『フードフェス』に向かい、チコの料理を食べるエイブ。

「料理を掛けわせることで、人々を結びつけることができる」。

フュージョン料理』を自身の背景と重ねたエイブは、チコが働くレンタルキッチンに押し掛け弟子入り。自分にしか作れない『フュージョン料理』で家族を一つにしようと決意する。

 

当方はねえ。お料理映画が大好きなんですよ。

生来食いしん坊なんで。歳を取った今は昔ほど食べられなくなりましたが、大体のモノは食べられるし、料理を作る事もさして苦にならない。(とはいえ、人様にお出しできるようなモンは作れません。あくまで当方用の豪快な山賊料理。)

しち面倒な理屈を捏ねられると閉口しますが。大抵どの映画でも料理を作っているシーンは好き。飾らない食事が好き。

なので。この作品のような「料理をすることが大好きな少年」「ワクワクしながら料理を作る姿」というのはいつまでも観ていられる。しかも主人公エイブを演じたノア・シュナップのキュートさ。正直85分では全然足りない。もっと欲しいもっともっと欲しい。
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イスラエル系の母親とパレスチナ系の父親。両家の祖父母。イスラム教とユダヤ教。文化の違い。自国に対する思いの違い。結婚したのち無宗教に転じた父親。妻を亡くし、知人の男性と行動を共にしている母方の祖父。

そして。エイブの家族を含め。今はアメリカにて生活している。

「これはエイブ以外にもスポットを当てるべき要素が一杯あるぞ」「盛りすぎやろう」。

両親が結婚した時。「もう15年も前のことなのに」母親はうんざりした声を上げるけれど、まだまだ祖父母たちのわだかまりは解けない。今でもエイブ一家を認めていない。

我が子を愛している。その息子、エイブも可愛い。けれど…我が子の伴侶と一族が気にくわない。

 

「ああもう苛々する。そんなに嫌なら集まらなければいいのに!」

 

序盤。12歳の誕生パーティのレシピを自らコーディネートしたエイブ。微笑ましくて当方ならば多少アレなモノが出たとしても全部食べる(宗教上タブーなモノは除外)。自分の腕を振るって、皆が楽しめる食事を作ってくれた。主役は誕生日のエイブなのに。

両親の心配は的中。結局両家が顔を合わせれば言い争いが始まり、楽しい気分はぶち壊された。最悪な誕生日パーティ。
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「これは。エイブが努力してどうこうする問題じゃないやろう」。「大人たちが悪い」。

真顔の当方。これを言っては実も蓋もないですが…自分たちのいざこざのせいで12歳の少年を苦しめているという自覚が無い。こういう大人の都合は大人同士で解決してくれ。我が我がの一方的なやり取りの応酬。あまりにもエイブへの思いやりに欠け過ぎている。

 

そんな時に知り合った、ブラジル人シェフのチコ。チコが作る、世界各地の料理を組み合わせた『フュージョン料理』という創作料理に魅せられるエイブ。

折しも夏休み。サマースクールとして入学した料理教室のあまりのレベルの低さに、そこに通うフリをしてチコのレンタルキッチンに弟子入り。

初めこそ皿洗いを始めとした雑用係だったけれど。次第に料理を教えてもらえるようになって。チコから料理や味の組み立て方を学ぶエイブ。

 

両家が顔を合わせれば険悪になってしまう祖父母たち。しかし決して元は悪い人たちではない。彼らの食卓で出されるものや食事に対する考え。宗教。文化。

皆が揃うと残念な事になってしまうけれど。個々人の事は尊敬できるし愛している。

「だから。家族の皆が食べられる『フュージョン料理』を作れば。楽しく過ごせるんじゃないか。分かり合えるんじゃないか」。

 

なんていじらしい。どこまでもぶれないエイブのいい子っぷりに胸の締め付けが収まらない当方。

折角盛り上がっていた、チコ道場での秘密のお料理レッスンが両親にばれて取り上げられるなど「まあ…確かに…隠れてこういう事はアカンやろうな」と思う展開もあったけれど。

 

『家族の皆にエイブの作った料理を振舞う会』。満を持して執り行われた、エイブ主催の家族会。渾身のフュージョン料理。

「なのに!なんなんだアンタ達のその態度は!」

 

順を追ってネタバレしていく事は良い事ではない。そう思うので一体この会はどうなったのか。そしてどう家族は向き合ったのか。そこはふんわりさせながら風呂敷を畳んでいこうと思いますが。

 

「12歳の孫が家族を想って作った料理を前に、よくもそんな態度を取れるな」。

「ああもういたたまれない」「ああエイブ!」「エイブが居ない所でそんな…」。

映画館の暗闇の中。マスクの下で何度も何度も溜息を付いた当方。これではあまりにもエイブが不憫。

 

大人たちの関係性はこの家族会を経て、一応温かなものへと変化したのですが…描かれていないだけで、大人たちはエイブにきちんと謝罪をしたのだと思いたい。そしてエイブ不在の間自分たちがどういう会話をしたのか。家族を一つにしたいと努力したエイブに対して誠実な対応をして欲しい。

 

ちょっと視点を変えれば、深刻でややこしい問題が見え隠れしているこの物語がどこまでもポップで明るいのは「料理のシーンが楽しいから」。

 

「エイブの家庭、結構富裕層。だって12歳の少年が扱うにしては何もかもが本格的な食材ばかり…丸鶏なんてそうそう買えるか!」そもそもエイブが料理をすること自体が必要に迫られていない。チコ達レンタルキッチンの面々が抱える背景とはまた違う。そんな思いも過りましたが。これを言い出すと膨らみ過ぎますので。

 

総じて「美味いもんは美味い」「美味いんは正義」。

どんな複雑でうんざりするような問題に悩んでいても、美味しいものを食べれば気持ちがほころぶ。

「料理を掛けわせることで、人々を結びつけることができる」。

 

85分があっという間。もっと欲しい気もするけれど…ちょうど腹八分目かと。美味しい映画でした。f:id:watanabeseijin:20201215225327j:image

映画部活動報告「Mank/マンク」

「Mank/マンク」観ました。
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 1941年アメリカ公開の映画『市民ケーン』。

オーソン・ウェルズ監督。そして脚本、ハーマン・J・マンキー・ウィッツ。

新聞王ケーンの生涯を、ケーンを追う新聞記者を狂言回しにして描き出した作品。

元々は新聞屋から大富豪へとのし上がり、政治にも進出したケーン。美しい愛人にも恵まれ…しかし結局彼が欲しかったものとは何だったのか。

主人公のケーンは、当時の権力者ウィリアム・ランドルフ・ハーストを連想するに容易く。作品公開にあたり、ハーストに依るあからさまな上映妨害運動が頻発。

しかし世間からの注目によりその年の第14回アカデミー賞に多数ノミネート。結果皮肉にも脚本賞での受賞となった。

その後も英国映画協会でのオールタイムベストとして数回選出されるなど、根強い人気を誇る。

その作品を産んだ脚本家、ハーマン・J・マンキー・ウィッツに焦点を当てた今作。

デヴィット・フィンチャー監督。脚本は父親のジャック・フィンチャーの遺稿。Netflix配信映画。

 

「正直に告白すると、当方は『市民ケーン』未見」。

 

「えっ?!だってこれ‼」間違いない。これは『市民ケーン』鑑賞ありきの映画作品。

余りにも有名。有名すぎて却って「大きいスクリーンで観たい」とかうだうだしている内に未見のままここまで来た。調べれば大まかなあらすじや当時のごたごたも目にする…けれど…言い訳はこれくらいにして。

 

「どうも『Mank/マンク』が面白いらしい」。「デヴィット・フィンチャー監督」。どうにもこうにも気になって。映画館鑑賞に至った当方。

 

どう考えても『市民ケーン』鑑賞ありき。これまでも思うがままに垂れ流してきたこの感想文の中でも、ぶっちぎりの薄っぺらさで駆け抜けていこうかと思う当方。

 

1930年代。『市民ケーン』の脚本を仕上げるべく取り組んでいたマンク。アルコール依存症。怪我からの療養生活を兼ねた半缶詰状態の脚本執筆の日々や、親交の深かった新聞王ハーネストとその妻マリオンとの日々などが描かれていた。

当時もまた、現在とシンクロするかの様に不景気で。そんな中で当方が印象的だったのは「国政選挙活動としての、いわゆるフェイクニュースを映画製作している人たちが作っていた」シーン。

 

「今は~陣営が優勢」「今世の中はこうなっている」皆がリアルタイムの情報源を持っていなかった時代に。貴重な映像は世論を操作するために作られる。

けれど…それは果たして過去の事なのか。現代に生きる我々は本当に沢山ある真実や意見、考えから己の思想を導きだしているのか。

 

浅瀬に居る当方の、何も調べず呟くたわごと。

「今全世界で(割とお手軽なお値段で加入出来て)配信されているNetflixの場で有名監督がこういう作品を輩出している理由は何なのだろう?」

監督父親の遺稿。やりたい題材だった。製作費や会社との折り合い。大手配給会社とのしがらみのなさ。エトセトラ。エトセトラ。多くの条件が重なり生まれた。勿論そうなんでしょうが。

「これが、今社会で起きている事に対して、映画人が声を上げる方法なんだろう」。

何となく。何となくそう思う当方。

 

「一代で成り上がり。富権力を得た男が最後に本当に欲しかったもの」そのもの哀しさを描いたのが『市民ケーン』だったとしたら。

そんな作品を生み出した男が見た時代と。どこかシンクロする今こそとっておきの作品を世に出すべきだと、そう思ったのではないか。

 

ところで。この作品を映画館で観るに当たって、事前に『市民ケーン』を観るという手段…勿論考えましたが。

「そういう付け焼刃で知った様な事、言いたくないな」「もうこれはじっくりいくしかない」。

 

唐突に話が脱線しますが。『不思議の国のアリス』という有名過ぎる作品を生んだ、ルイス・キャロル(チャールズ・ドジスン)。

彼の事を始めて知った中学生の当方が受けた衝撃。けれどそれは「気持ち悪う」では無く。

「こんなに世界中から愛される作品が、元々はたった一人の少女に贈られた物語だった」という極めてシンプルな誕生だったこと。

「ねえ。何かお話聞かせて」そうせがまれて幼いアリス・リデルに語った、思いつきのオリジナルストーリー。それをおこして本にして彼女に贈った。けれどその物語は多くの人の心に残り、世界中で語り継がれている。

 

誰もが知っている作品。これまで鑑賞した多く人の心を揺さぶり、何かを語らずにはいられない。

けれど。その作品が生まれるに至った経緯。そこにはまた別の物語があった。その内情を知った時。今まで見えていた世界が大きく広がっていく。

 

主人公マンクを演じたゲイリー・オールドマンの熱演や「しっかし俳優陣豪華やなあ~」というキャスティング。『市民ケーン』を踏まえたという演出などなど。どう考えてもただのモノクロじゃない。拗らせ拘った、オタク映像作品なのは間違いない。

 

「まあこれはどう考えてもちゃんと『市民ケーン』を観ないと…」。

どう強がっても苦しい。年貢の納め時。言い訳しないで探しに行かないとな。折角映画人が声を上げてれているんやから。

Netflix映画作品。映画館に流れてくるものは相当自信のあるチョイスで選択しているんでしょうが…レベルが高くて毎度唸ってばかりです。

映画部活動報告「ルクスエテルナ 永遠の光」

「ルクスエテルナ 永遠の光」観ました。
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『注意:本作は光に対して敏感なお客様がご覧になられた場合、光の点滅が続くなど、光感受性反応による諸症状を引き起す可能性のあるシーンが含まれております。ご鑑賞いただく際には予めご注意ください』

 

悪趣味と芸術のスレスレをいく映画監督、ギャスパー・ノエ(当方の決めつけ)。

雪山の施設で。酒と薬物でキマってしまったダンサー集団の阿鼻叫喚の一夜を描いた、前作『CLIMAX クライマックス』の記憶も新しい。そんな監督の最新作はファッションブランド、サンローランのアートプロジェクト作品。

「様々な個性の複雑性を強調しながら、サンローランを想起させるアーティストの視点を通して現代社会を描く」というコンセプトでスタートさせたアートプロジェクト『SELF』(映画館予告チラシからそのまま抜粋)」。

 

「映画館で敢えてポケモンショックを?!」

オサレとも小難しいアートとも無縁。ただただ物珍しさで鑑賞に至った当方。

ポケモンショックとは:1997年にテレビ放映されていたテレビアニメ『ポケットモンスター』の視聴者が光過敏性発作を起こした放送事故・事件)

 

魔女狩りを描いた映画作品の撮影現場。主演女優はシャルロット・ゲンスブール

女優出身の監督ベアトリス・ダルが延々鬱陶しい自分語りを繰り広げるのを皮切りに「これはあかん現場やなあ~」と思わずうなってしまう、混沌とした現場。

ヒステリックな女性監督。歯車がこれっぽっちも噛み合っていないスタッフ。ぞんざいな扱いを受けていることに声を荒げる共演者。監督を引きずり降ろそうとしているプロデューサーと撮影監督。シャルロットを自分の作品に出したくて売り込みに来ている新人監督。報道。「何で部外者がこんなにうろうろしているのよ!」監督が吠えるのもごもっとも。誰もがフラストレーションを抱え、一触即発状態。

いつ誰が爆発してもおかしくないそこで。愛娘からシャルロットへ気になる電話。一体何事か。娘の元に掛けつけたくていても経ってもおれない状態のシャルロットが迎えた『磔のシーン』。

 

お話の中身はこれが全て。

正味51分というショート・ムービーの中で。雪だるま式に膨らんでいくフラストレーションを溜めに溜めて…衝動を爆発させる怒涛のフラッシュシーン。

 

鑑賞した日曜日。未明から緊急で職場に呼ばれて仕事明けだった当方。ほぼ寝ていなかった体に「光に対して敏感な云々~」の文言。一瞬怯んだものの「いやいや。元々今日はこの映画を観る予定だったんだ。試した事はないけれど光感受性反応を体験した事もないし…しっかりご飯さえ食べていれば大丈夫なはずだ」。

そう己に言い聞かせ。映画館のすぐそばのマクドナルドでしっかりダブルチーズバーガーセットを摂取(余談ですが当方はマクドナルドではダブルチーズバーガーセット一択)し鑑賞に挑んだ当方。

 

「これ51分で限界。こんな現場これ以上見せられんの厳しすぎる」「光ィ⁈なんていうかもう…目が痛い!」。

 

嵌る人にはとことん嵌ったらしい今作。実際映画館で当方の後方座席に座っていたカップルは、劇場が明るくなった途端に「うわあ~これめっちゃおもろくない?」「めっちゃ凄い。おもろかった~。IMAXで観たかったくらいやでえ~」と座席で伸びをしながら、若干オーバーさを感じるほどに大絶賛。「具体的にはどういう点が?」という言葉を喉元で何とか飲み込みましたが…刺さる人には堪らんかった様子。

 

こんな書き方をしている所からお察しして頂きたい。当方は…あまり…。

多分『ヒステリックな女性』とか『相手の都合を一切考えずにグイグイ我を押し通してくる輩』とかが本当に苦手なのと。どんどん積み重なってくるストレスフルな現場描写に苛々とフラストレーションを溜めていって…からの爆発した(文字通り)閃光シーンが。けれどそれがどうにもこうにも「うるさい」。

多分ねえ…疲労困憊というコンディションも相まったんだとは思いますよ。「一体何が起きるのかな?オラ、ワクワクすっぞ!」というテンションでは構えていなかったんで。

 

ギャスパー・ノエ監督は敢えてこういう設定にしたんだとは思いますが。女優ベアトリス・ダルが満を持して監督として魔女狩りを描いた映画を撮るにしては絵面がチープ。セット感があり過ぎるし女優たちの服装もやや下品。

「いやいや実際こんなんもんやで!」と言われたらそこまでですが。低予算B級カルト作品感がプンプンする現場。『主演・シャルロット・ゲンスブール』という一点豪華主義で作られようとしていたのか?

安っぽい現場なのに、高尚な御託をこねて統率の取れない女優上がりの監督。疲弊し苛立つ現場。そこで行われた撮影監督たちの強行突破。「ほら。俺たちが演出してやるから見せてみろよ。火あぶりにされる魔女の姿ってやつをさあ」。

 

「それがこれなんですか?」「これってクラブ的な光と音楽の演出じゃないですか?」「それがこれなんですか?」「シャルロット・ゲンスブールよ。アナタもっと演れるんじゃないの?」「それがこれなんですか?」。

光の世界の中。ただただ脳内で問い続けた当方。そしてひたすら「目が痛い」。

 

疲労困憊。帰宅後泥の様に眠りに落ちた当方。目を閉じるとチカチカ赤と青の光が交差する。脳が痺れている。寝ても覚めても何かが点滅している。一日その感触が取れなかった。

 

まあ、嵌る人にはとことん嵌る作品。光過敏症の方にはポケモンショックを引き起こす可能性がある作品。そして当方にとっては「目と頭が痛くなった」作品。

ところで。実際の撮影現場では光過敏症の人は居なかったんですかね?勿論あのままのフラッシュの強さでは無かったんでしょうけれど…気になる所です。

 

 

映画部活動報告「泣く子はいねぇが」

「泣く子はいねぇが」観ました。
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「こんな俺でも、父親になれますか?」

佐藤快磨監督長編劇場デビュー作品。主演、仲野太賀。吉岡里帆

 

秋田県男鹿半島。たすく(仲野太賀)とことね(吉岡里穂)夫婦に女の子が生まれた。

互いに20代。どこかまだ幼いたすくに疲労し苛立つことね。互いに我が子は可愛いけれどギスギスする二人。

晦日。いつもの仲間に誘われて「直ぐに帰るから」「酒は飲まないから」と約束し恒例の『なまはげ神事』に向かったたすく。

そこで振舞われた酒に泥酔。よりにもよって地元テレビの生中継中に、なまはげのお面と全裸といういで立ちで奇声を上げながら映り込むという奇行に走ってしまった。

2年後。離婚し、東京で一人暮らしをしていたたすくの元に舞い込んできたことねの近況。

居ても経ってもおれずに秋田に帰省したたすく。なんとかことねとの復縁を試みるが。

 

「ああもうアンタそこに正座!」終始説教をかましたくなるような…そんなあかんたれ全開のたすくにじりじりし…なのに最後どうしようもない気持ちがこみあげてくる。そんな作品。

 

「若い夫婦」「子供が生まれたけれど、夫は親の自覚が無くフワフワしていて妻は疲労困憊」「何か協力はしようとしているけれど、最早夫の全てがむかついて仕方ない妻」「存在自体が腹立たしい」「夫はきちんとした職に就いているのかも怪しい」「そんな中、地元の男たちの集いに向かった夫」「直ぐに帰ってくるどころか、テレビに失態を晒す夫」「地元の恥」

もう何の援護射撃も出来ない位散々なたすく。お面を付けていたとはいえ、お茶の間に全裸晒すのは…寧ろそのお面のせいで『なまはげ神事』そのものに泥を塗ってしまった。

 

当方も酒飲みなので…しんどい現実に目を向けたくない時に、いけない方向に酒が進んで羽目を外すのは分からなくはない…なので居たたまれない気分で一杯(裸になった事はないですけれど)になりましたが。

家庭にも地元にも居場所を無くし。東京砂漠へ逃げ込み。誰とも深く付き合わない様にしてきたのに…地元の幼馴染、志波亮介(寛一郎)からことねの近況を聞いて、秋田に戻ってきたたすく。

 

それがもう。「あわよくば」感が隠せていなさすぎて。

 

「お前はさあ」そう言って、呆れて突き放したたすくの兄(山中崇)。彼の言葉に全面同意の当方。「本当に調子がいいよな(そうは言っていない)」。

テレビを通じて自分の裸を晒して。そのせいで地元の伝統ある行事は消滅寸前まで追い込まれた。お前は東京に逃げてそれで済んだかもしれないけれど、地元に残った母親や自分がどんな思いをしてきたか。2年という月日が経って、お前は何となく許されるんじゃないかという気持ちでふらっと帰ってきたのかもしれないけれど。今更誰もお前には謝罪どころか声を発してもらおうとも思っていないんだよ。だからとっとと東京に帰れ。(言い回しうろ覚え)。

 

妻ことね。地元に残り、一人で娘を育ててきた。

今さら現れた、別れた夫。何故今でも私があなたの事を好きだと思っているの?どうして私を助けてくれる相手はあなただけしかいないと思っているの?うぬぼれんじゃない。

 

秋田から東京に逃げた。そうして悶々と過ごしていた時間…それが他の人にとっても同じだったと錯覚してしまう。

今自分にとって必要なパーツを見つけた。ここを埋めれば自分は前に進める。かつて上手くいかなかった事が。こんどは上手くいく。やり直せる。

「そういう、自分本位にしか物事を見れていない所やで」。険しい顔をする当方。

どうして相手も同じだと決めつけているんだ。

 

仲野太賀という役者。引き出しが多く総じて達者な演技をする俳優だという安心感。『たすく』という、どうにもあまちゃんな…けれど憎めないキャラクターは自然過ぎる位に沁みてきていましたが。

「吉岡里穂ってこんな演技が出来る俳優だったのか」。失礼ながらあまり彼女のポテンシャルを理解していなかった当方の目から鱗。「これは良すぎる」。

始め。生まれたばかりの我が子を気にしながらも、ピリピリとした雰囲気と何かと刺さってくる物言いをして、たすくの精神を削ってくることねのリアルさに頷いた当方。

2年後。たすくと再会したことね。たすくの母せつ子(余貴美子)をパチンコ屋でばったり再会した時のことね。そしてたすくときちんと向き合ったことね。

「こんなに良い役者さんだったなんて…(何様だ)」。

 

頼りない夫と別れ、一人で娘を育ててきた。もうそれだけで…誰が何を責めるというのだろう。そう思った当方。

資格を取って職にも就いた。夜も働いた。娘を保育園に預けている間には、息抜きにパチンコをした。だから何だというのか。ことねは逃げていない。

パチンコ屋でばったり再会した元義理の母。何となく二人で外に出て。あの時ことねはせつ子に何を言おうとしたのか…監督の演出の意図を踏み倒した勝手な印象ですが…当方はことねが何かを言おうと口を開いたタイミングで「大丈夫」と畳みかけたせつ子には、優しさと…「言い訳しなさんな」という封じ手を感じた。

「うちのバカ息子と別れて一生懸命子育てしているアンタは偉い」。「息抜きをしている、遊んでいるなんて引け目を感じなくていい」。「アンタは私にクドクド言い訳をしなさんな」。「大丈夫」。「アンタは大丈夫」。

 

地元に戻ったけれど。結局定職に就かず、ふらふら日銭を稼ぐたすく。そんなたすくを見放さずに面倒を見てくれる母と憎めぬ幼馴染亮平。けれど誰もかれもがたすくに優しい訳ではない。

言いにくい事をきちんと言ってくれるたすくの兄。そして『なまはげ保存会会長』の夏井さん(柳葉敏郎)。無視せずに怒ってくれる人…彼らがどれだけ辛かっただろうか。

本当にねえ…たすくさんよ。周りを大切にしないとあかんよ。

 

終盤。『覆水盆に返らず』の展開に「そりゃそうやろうな」と思いながらも…またもや巡って来た大晦日の夜。そこでたすくが取った行動に「だからなまはげやったんかああ」と感情が爆発して涙が出た当方。切なくて。無様で。でもたすくにはこれしか方法が無かった。

 

誰の伴侶でも親でもない当方。「いい年して結婚もしていないのはどこかおかしい所があるんやろうな」そう思われる事も(流石に面と向かっては言われませんが)ありますが。当方からしたら「親っていう人間が必ずしも大人だとは限らないんよな」と思う事もしばしば。けれどそう思っている相手が、ひょっと「ああこの人は子供を持つ人だな」という顔を見せる事がある。

何分経験が無いのでアレですが…「子供が生まれたからと言って突然親になる訳ではない」というのは真理だと思う当方。「親になる」そのスピードもまちまち。夫婦ですら。

 

これまで夫婦と娘の三人で同じ時を過ごせなかった。もう一度同じ形でやり直せないか足掻いたけれど…娘の幸せを祈って自分が初めて親として出来る事はこの選択だった。

 

『泣く子はいねぇが』このバカたれが。そう思って腕組みしていたら最後、怒涛の感情の爆発に涙が止まらなくなる。寒い秋田の泣いた赤鬼。良作です。