ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「ルース・エドガー」

「ルース・エドガー」観ました。
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17歳。黒人の高校生ルース。

オバマの再来と呼ばれ、誰からも称賛される少年はいったい何者なのか。

完璧な優等生か、それとも恐ろしい怪物か?

~劇場チラシより抜粋~

 

アフリカ、エリトリア出身の黒人、ルース・エドガー。幼少期に戦場に送り出された経験もある彼は、アメリカに住む白人夫婦ピーターとエイミーに養子として引き取られた。

初めはコミュニケーションもままならなかったが。読み書きと会話を覚え、専門家のカウンセリングも経てはや何年、今や高校生。

成績優秀。所属する陸上部でも時期部長と目され。全校生徒を前に堂々とスピーチをこなす。つまりは文武両道。同級生からも教師からも信頼される。そんな優等生に育ったルースを見て、両親も自慢の息子だと満足していた。女性教師ウィルソンが現れるまでは。

 

「ルースは危険な思想にとり付かれています。一度ご家庭で話をしてください。」

きっかけはウィルソン先生の授業で出された課題。提出したルースのレポートには見逃しがたい文言が溢れていた。

 

信じられない。あんなに素直な息子が。そう思う反面「幼少期は戦闘地域で暮らしていた。」というルースの生い立ちが気になってくる。もうそんな思想はとっくに矯正出来ているはずなのに。

与えたモノは全て吸収した。そうして出来上がったと思っていた優秀な息子は、他人を操る為の狡猾な知恵を付けただけで何も変わっていなかったのか?

今までと変わらない息子とのやり取りも、空恐ろしく思えてくる。そつがなくこなしているだけなのか?演技?

もしかしたら…とんでもない化け物を育ててしまったのでは…。

 

そんなこと信じたくない。息子を信じたい。でも怖い。もし…もしウィルソン先生の言う通りだったら。

 

「白黒はっきり付けたがる」傾向にある社会。

アイツは良い奴だ。駄目な奴だ。賢くて優秀だ。おバカでちゃらんぽらんだ。信じられる。信じられない。

 

かつて戦闘地域で暮らしていたアフリカ系黒人少年。アメリカの裕福な白人夫婦に引き取られ、何不自由のない生活と水準の高い教育を受けた。

その結果、生まれたのは将来優秀な高校生か。テロリスト予備軍か。

 

主人公ルース。彼の行動、言動からは…少なくとも当方は「どちらとも言えない」としか言いようが無かった。

 

頭の回転の速さ。先手先手を見越す能力の高さ。それは普段討論やスピーチをしている賜物であると思う当方。一つの物事に対して、人はどういう考えをするのか。多面的なモノの見方と、群衆に対しどういうパフォーマンスをすれば自分の思う方向に思考を向ける事が出来るのか。その訓練を普段からしていたルース。

同級生にしたら、とっつきやすい優等生。賢いけれどお高く留まっている訳じゃない。ちょっとイケない事にも付き合ってくれる。アイツっていい奴だよな。

 

ルースは危険だと両親に忠告したウィルソン先生。この高校で長らく教鞭をとり、真面目に指導に当たっていた。ただ…生徒たちにとっては時に窮屈な相手だった。

「あの子は~な子だ」という決めつけをしてしまう。それは時には脱落者の烙印を押される生徒を生む事もあり、そんな生徒にとってはウィルソン先生は敵だった。

 

これはあくまで当方の推測ですが。ルースがウィルソン先生に提出した問題のレポート。これはわざと過激な内容にしたのだろうと思う当方。ウィルソン先生の目に留まる様に。

「おたくの優秀な息子さん、危ないですよ。」

両親が動揺するのはある程度承知の上。それでもウィルソン先生に宣戦布告をしたかった。なぜなら…彼女は「あの子は~な子だ」と決めつけるから。

 

「僕を決めつけないで。」「元難民の黒人なんて、オバマになるか化け物になるかのどちらかなんだ(言い回しうろ覚え)。」

ウィルソン先生を貶めるべく、余りにも狡猾に動き回るルースに、流石にただの優等生だと信じるほど当方は無邪気ではありませんが…やはりこのフレーズが彼の本心であり叫びであると思った。

 

「僕はルース・エドガーだ。」

おそらく彼が言いたかったのはこの一言。

元難民だとか。アフリカ系黒人だとか。戦闘地域に生まれたとか。白人の裕福な両親に引き取られたとか。

一人の少年に対し、これらの条件を掛け合わせていったらこうなる。そういうフォーマットに自分を当てはめるな。国籍も。肌の色も。貧富の差も。信仰も。そんなの関係ない。優秀か劣っているか。正義か悪か。白か黒かで判断するな。

今ここに自分は居る。白でも黒でもない。

 

生徒たちを無意識に当てはめてきた。そのウィルソン先生こそが「二グロが。」と決めつけられてきた。精神疾患を患う妹を持ち、どう接していけばいいのか悩んでいた。

 

もしかしたら。とことん分かり合える相手だったのかもしれない。ルースがもっと大人になった時、ウィルソン先生の事をどう見るだろう。

誰から見ても優等生だったルースの本質を、この時点で見抜いて見逃さなかった唯一の相手だったのだろうに。そう思うとやり切れない。

 

両親との関係。友情や恋心を利用してまで貶めた相手。結局ルースは何を守ったのだろう。彼もまた優等生の仮面を外さないと決めたのか。その下にある顔は一体。

けれど作中彼は何度も叫んだ。「僕を決めつけるな」。

 

ご希望通り。白黒付けずに最後走っていたルースの表情が苦しそうで…こちらも気持ちが着地しないまま。背中を向けて走り去ったルースに、掛ける言葉もなく溜息を付くばかり…。

映画部活動報告「在りし日の歌」

「在りし日の歌」観ました。
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改革開放後、激動の30年を過ごした中国。『一人っ子政策』が進められた1980年代。国有企業の民営化推進で経済成長を遂げた1990年代。そして2010年。

1986年。中国の地方都市にある国有企業の工場に勤めるヤオジュンとリーユン夫妻。彼らは一人息子のシンと三人で慎ましくも幸せに暮らしていた。

同じ工場で働く同僚夫婦、インミンとハイイエンの息子ハオは偶然にもシンと同じ年、同じ日に生まれた。

二組の夫婦はそれぞれの子の義理の父母として契りを交わし、家族ぐるみの付き合いを続けていた。

しかし。1994年のある日、シンはハオに連れられて行った川で命を落としてしまう。

耐えられない心の痛み。ヤオジュンとリーユンは住み慣れた故郷を捨て、誰一人知り合いのいない福建省の海沿いの町へ移り住んだ。

 

「185分て。これはこれは…。」

そう思って覚悟して行きましたが。全く眠くなる暇などなく。気づけばあっという間にエンドロール。

時代が大きく動いた中国で。一人っ子政策下、二人目の妊娠をすれば強制的に堕胎させられる。そんな中、大切に育ててきた息子を失った。

工場の民営化が進み、リストラされて解雇。頼れる人もいない土地に敢えて夫婦で移り住み、小さな修理工場を開いた。孤児院から男の子を引き取り、息子と同じ名前を付けて育てたけれど。思春期になった息子は兎に角反抗的で懐かない。「あの子はシンシンじゃない。」

夫婦の元から家出していたシンが久しぶりに戻ってきた。独り立ちしたいからと身分証を欲しがるシンにヤオジュンは「父さんと母さんは感謝している。お前は俺たちの為にシンシンとして生きてくれた。本当のお前を返してやる。」と言い、本名であるチョウ・ヨンフーと記載された身分証とお金を渡した。

2011年。成長し医者になったハオ。母親ハイイエンが脳腫瘍で最早末期である事を父親のインミンに告げる。

本人に告知はしなかったが、死期が近いと悟ったハイイエンはヤオジュンとリーユン夫婦を呼び寄せる。久しぶりの再会。

そして。「お二人に話したい事があります。」大人になったハオがヤオジュンとユーリンに、長年胸の奥にしまっていた思いを告白。

 

がっつり大筋を書いてしまいましたが。終始ヤオジュンとリーユン夫婦が切ない。

激動の中国。元同僚のインミン、ハイイエン夫婦が時代の流れに乗って裕福になっていくさながら、不遇に不遇を重ね(こんな言い回し無い…)地べたを這って生きている。

皆が貧しかったけれど、笑いが絶えなかった工場時代。寮(台所が共有という独特な建物)ではいつも誰かの部屋に集まり、歌を歌いダンスした。

そんな中。二人目の妊娠がばれて強制掻把。しかもその堕胎処置のせいで二度と妊娠できなくなったリーユン。そして最大の悲劇、最愛の息子シンの死去。

「あかんあかん。」しかも移り住んだ先で迎えた新しい息子も夫婦に懐かない。

どこまで行っても追いかけて畳みかけてくる不幸の連鎖。

 

けれど。悲しい出来事ばかりがあった訳ではない。その『語られなかった部分』が最後の最後に出てきた瞬間、それまで眉尻が下がっていた当方の涙腺が決壊。

「よかった。この二人にもそういう幸せがあったんだ。よかった。」

 

後から思えば「あれは何だったんだ」という価値観。『一人っ子政策』は当時子供だった当方ですら知っていた中国の国策。(むろんそれをどうこう言うつもりは無い)

目に入れても痛くない、そんな一人息子を失って夫婦二人っきり。子はかすがいとは言うけれど…ヤオジュンとリーユンを繋ぎとめていたのはシンではない。

どうにもならない時代と運命の渦に飲み込まれて…けれどそこを踏ん張ってこれたのはヤオジュンとリーユン、お互いが居たから。

「あなたを失ったら、私は生きていける?」「俺とリーユンはお互いの為に生きている。」

どんな時もどんな時も。お互いがいたから生きてこれた。離れたら生きていけない。

これを夫婦愛と言えばそりゃあそうだけれど…運命共同体?一心同体?そんな相手を持たない当方から見たら、羨ましくもあるけれど恐ろしいとも感じてしまう。

 

ヤオジュンとリーユン夫婦の不幸の連鎖も痛ましいけれど。同胞として生きてきたシンを死なせてしまったハオ。そしてリーユンの堕胎処置を進めたハイイエン。経済的にも成功し一見勝ち組であった彼らにずっと影を落とし続けた贖罪の気持ち。

同じ30年という年月。やっとその気持ちを伝えられたのはハイイエンの命が尽きる手前。一体どれだけの時間を要したのか。けれど互いに手を取り抱き合えるまでには必要な時間だった。

 

長尺約三時間という作品で。一組の夫婦とその子供。そして所謂加害者になってしまった家族。ヤオジュンを慕っていたインミンの妹。工場時代共に笑い合い、紆余曲折あって夫婦となった男女、シンジエンとメイユー。

ヤオジュンとリーユン夫婦にスポットを当てながらも、彼らと関わり共に時代を生きた仲間の生きざまも教えてくれる。傷ついた夫婦を支えていた彼らはどうなったのか。

 

壮大な叙事詩を見たような気分。何があっても二人で生きていく、老いた夫婦の姿にしんみりしていたら、最後の最後に物語の奥行がグンと広がる。語られなかったエピソードが脳内で勝手にピース化されてパズルが組みたつ。ちゃんと幸せで良かった。苦しい事もあるだろさ悲しい事もあるだろさ。だけど僕らは挫けない。ただ不幸が過ぎるのを耐えていたんでは無かったんだと胸が熱くなった当方。

 

最後に。この作品では食事やお茶を飲むシーンがたびたび出てきたのですが。

「あんな大きな蒸し饅頭!」「やっぱり持っているんやな中華包丁!そして手元を見ずに食材を切れるのか!」「年越し餃子!」と語尾にビックリマークだらけの歓声を(無言で)上げ続けていた当方。特に三人で食事していたあのシーンの多幸感に胸が一杯。そして単純に美味しそうで…あの料理、食べてみたいです。

映画部活動報告「未成年」

「未成年」観ました。
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お父さんが不倫している。同級生のお母さんと。

 

韓国。裕福な家庭で両親から愛されて育てられてきた女子高生ジュリは、とあるきっかけで父親の不倫を知ってしまう。しかも相手は同じ高校に通う問題児の同級生、ユナの母親。

未成年でユナを妊娠出産し離婚。女手一つでユナを育ててきた。立派ではあるけれど…どこか幼く情緒不安定な母親。

 

「あなたの母親が悪いのよ。」ジュリはそう言ってユナをなじるけれど、事態は深刻な状態。「うちの母親、妊娠してるよ。あんたの父親の子供を。」

しかもユナからジュリの母親にまでその旨を連絡された。

 

「これは…厳しいな。」

家庭のある男女が恋に落ちてしまった。久しぶりの恋。「お父さん」でも「お母さん」でもない。誰かを求め、求められる喜び。甘くてワクワクする毎日。

でもねえ。そんなの、代償が伴うに決まっている。

 

この作品の監督、キム・ユンソク。なおかつ主人公ジュリの父親役。それはそれはポンコツで情けない父親を好演しているんですが。

「この人はいくつになってもただの子供やなあ~。」

綺麗な妻と娘が居て。よく分からんけれど一流っぽい会社のお偉いさんになって。高そうなマンションに住んで今度買う高級車のパンフレットを読んで。そんな絵にかいたような『勝ち組』でありながら、不倫している事が家族にばれたらとことん逃げ回る。

責めるも何も。話をする事すら出来ない。ジュリと顔を合わせない様に逃げ回り、妻にはこっそり謝って何もなかった事にしようとする。

 

十二分に傷ついたジュリの母親。毅然とした態度は崩したくない。騒ぎたくない。

これまで円満だと思っていた両親。幸せを疑わなかった家族が崩れているのに…両親は問題に向き合わない。

 

もう中絶することなど出来ない時期になっているユナの母親。当然本人は産む気満々。そんな母親に「みっともない。」「堕して。」と冷ややかな言葉を浴びせると、すぐさま感情が爆発し大泣きされる日々。もううんざり。

 

何でこんな事になった。あの子のせい。いや、悪いのはあの子の親だけれど…腹立たしい。私の家族をぶち壊して。顔を見るだけで怒りがこみあげてくる。

 

廊下でジュリがユナに掴みかかった所から大げんか。二人で教師に呼び出され叱られている所に決定的な知らせが入ってきた。

 

「ユナの母親が病院に運ばれた。」

 

昼間。ユナの母親が営む鴨料理店を訪れたジュリの母親。そこで起きた突発的な出来事からユナの母親が転倒。そのまま出血し緊急出産に至った。

 

超未熟児で生まれたユナの弟。その小さすぎる命を前に、親たちの態度に傷つき孤独を感じていたジュリとユナに芽生えていく感情。

 

題材こそシビアですが。女子高生二人があまりにも瑞々しくて…彼女達が主軸で本当に良かった。初めこそいがみ合ってギクシャクしていた二人だったけれど、実際に子供が生まれたら「可愛い…。」というベクトルに心が向いた。特に生まれるまでは「堕ろして。」の一点張りだったユナが「弟が。」「弟の為なら。」と弟への愛情に満ちてくる。

その反面。母親であるはずのユナの母親はどこかもう投げやりで…ジュリの父親との恋が終わろうとしている予感やなんかで弟と関わる事を放棄している。

当方が個人的に好きだったのがジュリの母親。

セレブな生活をしていた専業主婦。その足元を掬われたけれど、見苦しくジタバタしたくはない。けれど…気になる。だからそっと見に行くだけのつもりだったのに、結局自分のせいでユナの母親が転倒し出血。見捨てる事が出来ずに病院に運んだ。

クリスチャンの彼女が教会で懺悔をしているシーン。「あの人が憎くて。子供がどうにかなってしまえばいいのにと思ってしまいました(言い回しうろ覚え)。」

けれど結局ユナの母親の所に栄養の付きそうな雑炊を作って持って行ってしまう。「ここしか行く所がなくて…。」

 

ユナの弟の儚い命。それは二つの家族を解体し、けれど新たな絆を生んだ。

ジュリと母親の。ユナと母親の。

そしてジュリとユナ。母親たち。

(そして情けないまま転がり落ちていったジュリの父親…。)

 

ユナの弟の扱いについては「おいおいおい。ていうかそんなの許されるか。そういう大事な場面にはちゃんとユナも呼ばないとあかんやろ!」「病院よ!」「ユナの母親!お前それでも人の子か!」という急転直下を見せるのですが。

「その箱を立て向きでリュックサックに入れるととんでもない事にならんか。」なんて多分この作品を観た誰も思わなかったであろうことを心配した当方。

 

「ああそういうラストか…。」(感想文を書いている今現在、劇場公開は終了してしまいましたが、一応ネタばれしない体でやっています)

けれど不思議と気持ち悪さは感じなかった。寧ろ爽やかさすら感じる。紆余曲折あって育まれた友情。彼女たちの中に弟の存在が生き続けるには確かにベストアンサーかと。

 

一体彼女たちはここからどういう人生を歩むのだろう。始まりこそ親同士の不倫で知り合ったけれど…。今回生まれた縁はこれきりではないだろう。ジュリとユナ。母親たち。

 

幕が降りてからも「あの人たちはどうしているんやろう。」とふと思いを寄せる。辛くて切なくて…でも温かい。じわじわ沁みる良作でした。

 

映画部活動報告「暗数殺人」

「暗数殺人」観ました。
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韓国で実際に起きた事件を基に、とある殺人犯と未解決事件を追う刑事を描いた作品。監督、キム・テギュン

 

麻薬捜査官のキム・ヒョンミン刑事(キム・ユンソク)。馴染みの情報屋経由で知り合ったカン・テオ(チュ・ジフン)と初めて接触していた最中、テオは張り込んでいた刑事たちに取り押さえられた。

恋人を殺害した罪で逮捕されたテオ。

それからしばらく経って。休日を楽しんでいたヒョンミンに、拘置所の中から電話が掛かってくる。

テオに呼び出され、面会に向かうヒョンミン。

テオののらりくらりとした態度や言動に翻弄され、捜査と裁判が難航していた恋人殺人事件の物的証拠を、テオから突然告白されたヒョンミン。半信半疑で一人現場へ向かったけれど…告白通りに証拠を見つけてしまった。

強引にテオの実刑判決を急いでいた検察側にとっては、ヒョンミンが証拠を持ち帰ってしまった事で、諸々捏造していたと暴露されてしまった。

実刑は免れなかったものの、検察側の手落ちから減刑となったテオ。

そしてテオはヒョンミンに語り始める。

「7人だ。俺が殺したのは全部で7人。」

果たして彼は本当に連続殺人犯なのか。それともこれは狂言か。

一体テオの目的は何なのか。

 

殺人犯カン・テオを演じたチュ・ジフン

昨年で言えば『神と共に』シリーズなんかでも見かけたイケメン俳優。だからなのか、ステイホーム明け直ぐの日には女性客で映画館が溢れていて、まさかの「満席(半数しか収容出来ない)で観れません。」と劇場に入れなかった当方。

少し落ち着いてから。平日午前の回に行って、無事鑑賞出来た…韓流ファンは強い。

とはいえ。そんな男前なビジュアルも甘さも感じさせない。「腹立つなあ~。」というこざかしいクズを熱演。人を小馬鹿にした態度。精神鑑定不可能、けれどサイコパスとまでは言い切れない。頭が切れるけれどインテリジェンスは感じられない…どこまで行っても同情出来ない。終始苛々する。素晴らしい。

 

カン・テオに対峙した刑事、キム・ヒョンミン。彼を演じたキム・ユンスク。

『チェイサー』を初め。同じく去年で言えば『1987、ある闘いの真実』などで骨太な演技をしたベテラン俳優。今回もどこまでが本当なのか分からない、下手したら警察をおちょくっているのかもしれない殺人犯の与太話にどこまでも付き合う古株刑事を好演。

刑事と言っても。韓国映画でお馴染み?の沸点が異常に低い暴力刑事ではなくて。地味にコツコツ追うタイプ。「7人殺した」というテオの告白に、全てが本当ではないだろうとは思いながらも、どこが真実なのだろうかと追及する。

 

脇役も「あ。『エクストリーム・ジョブ』の」なんてお馴染みの役者も見かけるけれど、概ねこの主演二人の演技合戦。つまりは殺人者テオとヒョンミン刑事の騙し騙され合い。

 

『暗数』とは、実際の数量と統計上扱われる数量との差。思に犯罪統計に於いて、警察などの公的機関が認知している犯罪の件数と実社会で起きている件数との差を指す。~デジタル大辞林/小学館~劇場チラシから抜粋。

 

つまりは、立証されていない犯罪。失踪などの行方不明者。原因不明の失火。目撃者もおらず、誰かに殺された名もなき被害者。そんな「どうしてこんなことになったのか」「一体被害者はどうしてこんな事になったのか。」という『迷宮入り』に付けこんでくるテオ。

 

テオが語る異常に詳しい犯行内容。時間も場所も正確だけれど、実際に現場に向かってその場所をほっくり返しても思った通りの結果は導きだせない。結局はテオの言葉だけで、証拠が出てこない。しっぽを掴めない。

つまりは。「あいつは嘘つきだ。」と思われる事がテオの狙いで。テオの語った過去の犯罪履歴をヒョンミンが捜査し、ひとつづつ「真実ではない。」と判決が下される事で、現在囚われている恋人殺しも虚偽をはらんでいると思われたい。

 

特殊な刑事手腕がある訳でもなく。寧ろ「アイツにはもう関わるな。」と仲間内からも白い目で見られ浮いてしまったヒョンミン。かつて同じように一人の犯罪者に入れ込み過ぎて警察を去る事になった元先輩刑事からも「いいカモにされるだけだぞ。」と忠告される。

また、なまじ実家が裕福であった事からも、テオに言われるがままに己の金を振り込み、差し入れを怠らないヒョンミン。それが世間に知られるところとなり、自身も裁判に掛けられるなど愚直な下僕状態。汚職刑事スレスレ。案の定降格。

 

とまあ。中盤まではテオ有利で進んでいく展開に、正直「ふがいないな~」なんて思いながら苛々してしまうのですが(テオがどんどん調子に乗っていくのも不快)。

 

結局の所、ヒョンミンはテオを打ち負かそうという考えではなかった。

テオをもう二度と社会復帰させてはいけない。こいつは野に放てばまた同じ事を繰り返す。そういう気持ちも強くあるけれど、一見それらしい嘘で塗り固めた様に見える7つの事件の背景にあるテオの原罪は何なのか。

7つの事件を紐解けば、テオが元々どういう環境で育った人間なのか、そして語られなかった『暗数殺人』が浮かび上がる。

(まあ、この7つの事件もちゃんと落としどころがあるんですが)

 

「どうしてこうなったのか」が分からない事件。それらを語るすべを持たない被害者の真実を突き止めたい。一見犯罪者に翻弄され愚直に見えたヒョンミンは、名もなき、闇に葬られた事件に真摯に向き合っていたという。これは胸が熱い。

 

韓国で実際に起きた事件を基にした作品。最終に出たテロップには冷や水浴び去られたみたいな気持ちになりましたが。

 

ステイホーム直前に公開された作品。約2か月の間が空いて、もしかしてもう観ることが出来ないのではと心配したりもしましたが…無事鑑賞。

 

映画館売店で映画館オリジナルのサブバックと韓国おつまみセット(乾麺やおやつ)を購入してホクホクと帰宅した当方。映画部活動も平常運転に戻りつつあります。

映画部活動報告「デッド・ドント・ダイ」

「デッド・ドント・ダイ」観ました。
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アメリカ。田舎町センターヴィル。

のどかな田舎町には三人しか警察官が常駐していない。けれどそれで十分。個性的な住民達が各々自由に暮らしながらも大きな摩擦は起きず。それがこの町の日常だった。

とはいえ。最近は何だかおかしい。

夜になっても日が沈まず、いつまでも外が明るい。時計やスマホ果ては警察の無線まで、機械の調子が悪い。動物たちが狂暴化している。どうも地球の軸に異変が起きているらしい。

不穏な報道はテレビなんかで目にするけれど…実感としてはあんまりなくて。

初めは住民行きつけのダイナーで起きた変死体発見から。それがゾンビの仕業だと気づいた頃には、田舎町はゾンビで溢れかえっていた。

 

警察署長クリフにビル・マーレイ。巡査ロニーにアダム・ドライバー。婦警ミレディにクロエ・セヴィニー。謎の多い葬儀場女主人セルダにディルダ・スウィントン。たまたま田舎町を通りがかった、都会っ子ゾーイにセレーナ・ゴメス。等々豪華キャスト。

監督、ジム・ジャームッシュ

 

「これは…思っていた以上に全身の力を抜いて観る作品やったな…。」「脱力し過ぎて座位を保持するのも難しい。」「スカしてんな~。」

 

作品鑑賞後の印象。しばし時を経た今。全く変わらない当方の印象、ならばもうここで感想文を〆てもいい位なんですが。

 

「だって。冒頭の文章そのままなんやもん。それ以上でもそれ以下でもない。」

 

世紀末を思わせる、地球の異常事態。確かにちょっと変。それでも続いていた日常が遂に食い破られた。何に?ゾンビに。

初めはダイナーで起きた惨殺事件。けれどこいつがゾンビの仕業だとすぐに分かった。だって、そこかしこにゾンビが現れ出したから。

 

三人しかいない警察官。俺たちがやらねば。これまでもこの田舎町の治安を守ってきた。俺たちがやらねば誰がこの町を守れる‼

~という熱い職業意識でもないんですわ。

「うわ。コレアレやわ。ゾンビ。だから頭狙え。」というノリで既に一人警察署で殺めてから、施設外に跋扈するゾンビを見て「行くか…パトロール。」という出発。かつての顔見知りでも一声かけてから撲殺。

 

謎の葬儀屋女主人、セルダ。死者を弔う稼業を営みながら、日本刀を振り回しつつ何かの修行中。その様子がまた「『キル・ビル』好きやねんな~。」というエセ日本武士道。日本刀は万能か。肉切り包丁以上か。

死者たちが蘇っている事態を察し、向かってくるゾンビたちを日本刀でなぎ倒しながら警察へ。そして墓場へと向かう。その無双さ。一体彼女は何者?

 

序盤から。飄々としたキャラクターのロニーが折に触れて「残念な結果になる」(言い回しうろ覚え)と口走る。彼は何かを知っているのか?それともただの口癖か?

 

個性的な住民達。レイシストの老人。雑貨屋を営むホラー・オタク。少年拘置所に収監中のティーンエイジャー。果ては森に住む自給自足の老人など。

 

それなりに気になる設定、キャラクターを配置しておきながら。

ほとんどが竜頭蛇尾。下手したら頭も竜ですらない。(さあお手元のデバイスで意味検索を!)

 

「おいおいおい。初めの地球の軸云々どこいった。」「住民達は犬死か?」「セレーナ・ゴメス!」「なんやったん。あの人結局なんやったん。」

 

そして極めつけが終盤墓場でのパトカー。車中でのクリフとロニーの会話。「それはあかん。その落とし方はスベっとる。」当方真顔で舌打ち。ラストのそれっぽい「どうしてこうなったのか」のナレーションも空々しい気持ちで聞き流す当方。

 

笑いのセンスって各々違うので。当方がただただこの作品と合わなかっただけ。「さっすがジム・ジャームッシュ監督だな!」と感じる方を別にどうこう言うつもりもない。好きだったという声も聞きましたし。

 

映画に対して当方が求めている唯一のもの。それは「楽しめるか」。

別に高尚である必要なんてないし、おバカ映画だって大好き。

ただ。どれだけ一見荒唐無稽なお話だって、世界観に引き込まれて夢中になる事は往々にしてある。今回はそうならなかっただけだと。

 

とまあ。ネタバレも出来ないし、宙ぶらりんな感想を書きながらただただ合わんかったと落とそうとしている当方ですが。

 

流石に『あのキーホルダー』の下りは声に出して笑ってしまいました。

映画部活動報告「恐竜が教えてくれたこと」

「恐竜が教えてくれたこと」観ました。

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オランダ。アンナ・ウォルツの児童文学『ぼくとテスの秘密の七日間』の映画化。

 

一週間の夏季休暇を楽しむため、オランダ北部のテルスへリング島にやって来たサム。

海で父親と兄と戯れながらも、ふと「地球最後の恐竜は、自分が最後の恐竜だと知っていたのかな?」と想いを馳せるサム。

11歳。思春期の入り口で。

最近ではこの世に存在する全て生き物はいつか死を迎える事に気づき、出口のない哲学的な問いに思い悩んでいた。

浜辺に深く穴を掘り、そこに身を預けて想いにふけっていたのに…その穴に足を取られて転倒、負傷した兄。

父親と共に兄を地元の診療所に連れていき、そこでの診察を待っている間、サムは地元に住む同世代の少女、テスと出会う。

 

愛らしい見た目。くるくる変わる表情、言動、しぐさ。一寸先の行動も読めない、そんな天真爛漫なテスに振り回されながらも引き込まれていくサム。

けれど。一見無邪気なテスには、この夏一世一代のチャレンジがあった。

 

昭「BOY MEETS GIRL それぞれの あふれる想いにきらめきと 瞬間を見つけてる 星降る夜の 出会いがあるよに!」

和「WOwWOwWOwWOw(棒読み)。」

昭:なんやね自分。乗れてないな!これぞTRF。『BOY MEETS GIRL』の世界。「いくつものドアをノックした」やぞ。

和:しんどい…歌モンは苦手やねん。はしゃがんといてくれ…。

昭:お久しぶりの「当方の心に住む男女キャラ『昭と和』」です。

和:ちょっと寝かせていたらキャラクターが変わったな。大丈夫?

昭:いやあ~ちょっと心に過ったこの曲。歌詞を改めてみたらメッチャ良くないか?

和:1994年当時の小室哲哉無敵伝説についてはどこか別の所でやってくれ。…さては自分、もうこれ以上喋る事無いな?

昭:いや。あの。なんていうか…。

 

和:11歳の少年。一週間の夏季休暇。両親と兄との四人家族でバカンスに訪れた島で出会った美少女。

昭:男はいくつになっても自分を振り回してくる美少女には弱いねん。

和:この年頃あるある。女の子の方がちょっと成長が早くて見た目男の子より大きい。

昭:バカ男子で無邪気につるんでワアワア騒いでいた時を抜けつつあって。でも突然大人にはなれなくて。みんなで一緒に走っていたような気がしたのに、急に何もかもが怖くなって足が止まる。あれ?もしかしてずっと一緒には居れないの?みんないつかは死んじゃうの?

和:11歳当時、そんな事、思った?

昭:覚えていない…あの頃は「いつ眠りに落ちているのか突き止める」っていうミッションに夢中やった。眠る瞬間を捕まえようとしていたな。

和:バカ上等やな…。まあ脱線は程々にして。「この世に住む生物は全ていつかは死ぬ」。「地球最後の恐竜は、自分が最後の恐竜だと知っていたのかな」。誰にどう聞いたら答えが出るのかという自問自答に悶々としていたサム少年。

昭:そんなサムが出会ったテス。一見破天荒だけれど、彼女の願いは切実。

和:どこまでのネタバレが許されるのか…母親と二人暮らしのテス。二人の生活に不満は無いけれどずっと『パパ』が欲しかった。そんなテスが、遂に行動に出た。そんな夏休み。

 

昭:大人目線で考えるとな~。12、3年前の若気の至り。旅先でのアバンチュールを今さら持ち出されるのも…一応は同意の上の行為なんやろうし。せめて当時の彼女(テスの母親)から相談されたのならまだしも…。

和:おいやめろ。これ、児童文学やぞ。

 

昭:「パパに会いたい。」その一心で秘密の行動に出たテスと、その内容を知って彼女の行動を後押ししたサム。ぎこちなくて、けれど温かでかけがえのない日々。けれどそんな日はいつまでも続かない。

和:愛らしい少年少女のキャッキャウフフ。癒されるし、テンポは良いんやけれど。あれ、これサムの悶々とした哲学どうなったんかな~?と思っていたら。後半から怒涛の巻き返し。きっちり回収してくる。

 

昭:海辺の小汚い小屋に住む老人。妻に先立たれて一人暮らしの彼を、サムは当初その不衛生な見た目故に避けていた。

和:言い回しうろ覚えで申し訳ない。そんな老人が訥々と語った言葉の重みよ。今の自分を支えているのは妻との思い出。自分の様な年寄りにはそれが生きる糧になる。だから今のサムは沢山の思い出を作れ。そういう内容。

昭:『恐竜が教えてくれたこと』の邦題がここで生きてくる。児童文学ったって、恐竜が出てくるわけじゃない。そういう子供騙しで帳尻を合わせない。

和:正直、あのラストはご都合主義に落とした感は否めなかったけれど。

昭:まあまあ。ここはハッピーエンドやろう。

 

和:11歳の少年少女、サムとテスを通じて。描かれた二組の家族の姿。

昭:住んでいる場所も家族構成も違う。そんな彼らがある夏休みに交差する。でもさあ、サムといいテスといい。思春期一歩手前というお年頃故に本人たちは色々立ち止まっているけれど、彼らを取り巻く家族は彼らを温かく見守っていると思ったな。

和:テスも「パパが」とはいうけれど、一緒に暮らしてきた母親をないがしろにしている訳じゃない。寧ろパパが欲しいのはママの為でもある。

昭:サムのパパのおおらかさ、憧れる。サムのせいで怪我をしてしまった兄との仲直りとか、兄弟の悪ガキ感も良かったな。

 

和:最後の夜。登場人物全員集合のパーティ。絵にかいたような大団円。「ここには悪い人はいません」。

昭:正直そこまで期待していなかったのに。きっちり安定感を持たせた展開で、問題点は漏れなく回収し、多幸感に包まれるラスト。何度も言うけれど…これが児童文学の力か。

和:作品の満足度が高いよね。

 

昭:「BOY MEETS GIRL 出会いこそ 人生の宝探しだね 少年はいつの日か 少女の夢必ず見つける」

和:でもなあ…11歳くらいのひと夏の出来事なんて、あっという間に心の『思い出のアルバム』にしまわれるからな…果たしていつまで覚えている事やら。

昭:「いつの事だか 思い出だしてごらん」おいやめろ。俺ら男子は…サムはきっと忘れないぞ。

和:「WOwWOwWOwWOw(棒読み)」。

映画部活動報告「AKIRA」

AKIRA」観ました。
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「アキラくんが…。夢をみたの。人がいっぱい死んで。街が壊れて…。」

 

1982年~1990年ヤングマガジンにて連載された同名漫画を、原作者である大友克洋が総指揮を取って1988年に映画化。

製作期間3年、総製作費10億という規格外。後に名を馳せるクリエイター陣が製作に関わった事からも完成度が高く、また独自の世界観からも多くのファンを持つ作品。

 

1988年当時。この世に生を受けてはいたけれど。この作品を映画館に観に行くには当方の年齢はナンバーズ程度。幼すぎて…以降も有名すぎて気にはなっていたけれど、テレビサイズでは観る気になれなかった。全6巻の漫画は所持していたけれど映画版は未鑑賞のまま、遂に2020年。

IMAXで4Kリマスター版AKIRA公開!」満を持して。やっと映画館で観る日がやって来た。

 

「…ああこれは(溜息)。」「男子が大好きなモノ全部乗せ弁当やん。」

 

圧倒的画力と描き込みの多さ。コマの回転数。動きが速い早い。これを約30年前に?デジタル化到来前の手描き時代に⁈

冒頭。「1988年関東地方に新型爆弾が使用され、第三次世界大戦が勃発」からタイトルコールまで。血が沸き立つ高揚感に包まれる当方。そしてお馴染み、金田のバイクがターンしながら止まるシーン 。「恰好良いとはこういうことだ。」当方の心に住む紅い豚が痛い位に親指立ててくる。もう終始そんな感じ。

 

舞台は2019年のネオ東京。1988年に勃発した第三次世界大戦後「最早戦後ではない」をモットーに復興し、翌2020年には東京オリンピックを控えている。

アーミーと呼ばれる軍事政権と、対抗する反政府ゲリラが常に衝突。自由と暴力。猥雑として落ち着きのない街。

「健康優良不良少年」と自称する、金田をリーダーとする職業訓練校仲間のバイク集団。彼らは夜な夜な閉鎖された高速道路を走り回り、敵対するチームと張り合っていた。

ある日。いつも通りバイクを走らせていた金田らは、アーミーに追われていた不思議な風貌の少年タカシと鉢合わせする。先頭を走っていた鉄雄はタカシを避けようとして転倒し負傷。すぐさま追いついてきたアーミーに包囲され、タカシは回収。鉄雄も連れていかれてしまった。

アーミーたちにより警察送りになった金田は、そこでゲリラに属する少女ケイを見かけ一目ぼれする。

ケイたちは件の少年タカシを探しており。鉄雄の行方を知りたいのと下心もあって、金田もケイと行動と共にするようになる。

しかし。再会した鉄雄は最早以前の鉄雄では無くなっていた。

 

「あ。これ相当シンプルな話になっている。」「こういう感じやったっけ?」

 

全6巻の原作漫画を読んだのはもう随分前。正直詳細は覚えていなかったけれど、確かこんなに人間関係がタイトでは無かったぞ。あれ、ミヤコ様も脇役化してる。女神こと(当方がそう呼んでいるだけ)カオリって同級生やったっけ?

そして何より…「アキラが⁈」。

 

映画鑑賞後。緊急事態宣言前に近所の実家より持ってきたAKIRA全巻(一冊がかつてのタウンページ位あるので相当な荷物だった)を一気に読み返し、改めてこの世界観に打ちのめされた当方。そして感じたこと。

 

「漫画と映画は別物だ。」「登場人物と設定は同じで、最終的な着地も似てはいるけれどこれはパラレルワールドだ。」「それでもどちらも遜色が無かったのは…どちらも大友克洋が作ったからだろう。」

 

第三次世界大戦以前の政府が極秘研究プロジェクトとして進めていた計画。それは『ナンバーズ』と呼ばれた、超能力を有する、選ばれた子供たちの能力を覚醒させること。

しかしそのプロジェクトで覚醒した能力がコントロールできずに暴走した28号、アキラに依って引き起されたのが1988年の首都崩壊だった。

それ以降。力を封印すべく、アキラは地下施設にて厳重に管理されていたが。

ナンバーズの生き残り三人。その中の一人タカシと接触し、負傷した鉄雄はアーミーのラボに収容。そこでナンバーズとしての素質を見出され、引き出されていく。

アキラの魂と共鳴し、急速に肥大化していく鉄雄の能力。しかしそれは暴力的な力へと変貌していく。

 

金田と鉄雄。彼らは同じ児童施設出身。ほぼ同時期に施設に入所し、一緒に時を過ごしてきた。けれど、金田はいつも仲間の中心人物でリーダー格。自分は格下。つるんで行動を共にして、楽しいけれど疎ましかった。「今なら勝てる。」そんな鉄雄の気持ち…分からんでもない。そして「鉄雄は俺たちの仲間だ。だから俺が鉄雄を殺す。」最早化け物と化してしまった鉄雄を追う金田。そして散々すったもんだした挙句の鉄雄のあの表情、声、言葉…エモーショナル。堪らん。

 

10歳以前で成長が止まって、そしてそのまましわしわに老化した『ナンバーズ』の三人組の禍々しさ。こいつに関しては映像化の勝利。あのTHE子供なしゃべり方。そして鉄雄に近づいてくる時の不気味な夢。(あそこは『パプリカ』(今敏監督/筒井康隆原作)を想像してしまった)

キヨコが喋る様なんて「漫画を読んでいた時に脳内で再生されていた声だ!」と静かに大興奮の当方。

 

「1999年7月に人類が滅亡する。」ノストラダムスの大予言が何となく信じられていたあの時代。(因みに当方はノストラダムスと西暦意外の誕生日が同じ。蛇足。)

最早戦後ではない。高度経済成長。景気も上向きで、日本は豊かになりつつある。けれど、どこか虚ろで…こんな日がいつまでも続くわけが無い。世紀末が来る。何故か感じるディストピアの予感。淡い破滅願望。子供だったけれど、1980年から1990年代はそういう雰囲気があった。AKIRAという作品が現れたのはそういう時代だった。

 

シャーマン的存在を兼ねたケイの「アキラって何なんでしょうね。」という語り。

漫画では語られなかった『アキラ』という存在。形こそ一人の少年だっだけれども。全てのエネルギーの源であり、誰もが持ち合わせている…決して一つに答えを導きだしてはいなかったけれど。これは映画版の丁寧な所でもあり「原作者として言いたかったんやろうなあ~」と感じた所でもある。

 

とまあ。いい加減、浅瀬に住む当方が延々と感想を並べるのも気が引けてきましたので。最後に一つだけ。

「音楽めっちゃカッコいい。」

目の前に広がる映像だって十分に気持ちを高揚させてくるけれど。もう音楽が堪らん。なにこれワクワクし過ぎて声が漏れそうになる。ラッセーラにやられる。

サントラ?サントラ購入案件やないかこれ。

 

元々の作品状態を知らないのであれですが。おそらく4Kリマスターになった今回の『AKIRA』は映像、音響共にベストコンディション。IMAX環境で観られるならばこれは流石に見逃してはいかん。しかもストーリーもシンプルに収まっているし。

 

ちょくちょくあがる「劇場版AKIRA新作製作がどうのこうの」という噂。実現したらどの監督がどういう形で作ったとしても観に行くとは思いますが…多分この作品が映画化に対するベストアンサーだろうと思う当方。何しろ原作者自らが製作したんだからな。

 

いやあ。これまでこの作品を観なかった当方をどうかしていたと思う反面、ちゃんと映画館で初見を済ませた事を誉めてやりたい気もする。

何にせよ。映画館で観られる内に観た方が良い。

お勧めもお勧めです。