ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「ミスター・ガラス」

「ミスター・ガラス」観ました。
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M.ナイト・シャマラン監督作品。

2010年公開『アンブレイカブル』と2016年公開『スプリット』の続編。

 

「貴方達は自分は特別だと思っている。」「特殊な能力を持っている、周りの人間とは違う。そういう選民意識を持っている。」「けれど」

「この世に特殊能力など存在しない。貴方達はただの誇大妄想を持つ精神科患者です。」

明らかに常人と違う能力を持ち、それを自覚している者が第三者にそう言われたら?

 

アンブレイカブル』。未曽有の大惨事を引き起こした列車事故の唯一の生存者、デヴィット・ダン(ブルース・ウィリス)。彼はその事故を境に不死身の体と悪を感知する能力を得た。そして事故の犯人である、ミスター・ガラス(サミュエル・L・ジャクソン)。骨形成不全という難病を持ち、わずかな衝撃で骨折してしまう非凡なIQの持ち主。彼等の物語。

 

『スプリット』24人格を持つケヴィン(ジェームズ・マカヴォイ)と、彼に誘拐・監禁された女子高生の物語。

 

M.ナイト・シャマラン監督と言えばやっぱり1999年公開『シックス・センス』。良くも悪くも彼の代表作。以降公開される作品の評価は浮き沈みが激しく…どちらかと言えば沈む時代が長く続いた。(当方も離れた場所に居て…だから正直『アンブレイカブル』は未観でした。)

2015年。『ヴィジット』。あの「お婆ちゃん、ボケてるの?それとも…」というクッキーモンスターに「シャマラン死なず!」と復活を感じ熱くなった当方。

 

そうして満を持して迎えた『スプリット』。多重人格者ケヴィンが最高過ぎて…「おいおいマカヴォイ!マカヴォイよ!!」ニヤニヤ笑いと愛おしさが止まらず。

まさかの続編と聞いて。勢い勇んで観に行った次第。そして。

 

「結論から言うと。最高でした。」

 

前作『スプリット』以降。女子高生を誘拐・監禁したのにも関わらず、警察からの逃亡に成功したケヴィン。新たに若い女の子(チアリーダー)数名を誘拐・監禁。

女子連続誘拐事件の真相を探るべく街をうろつくダン。めぼしい工場近くでケヴィンと遭遇。接触した際、自身の特殊能力から「こいつが犯人だ」と直感する。

ケヴィンとダン。死闘の結果、二人とも警察に逮捕され、精神科施設に収監された。

そこで久しぶりに顔を合わせた、ダンのかつての宿敵ミスター・ガラス。

「貴方達は自分を特別だと思っている。けれどそれはただの誇大妄想よ。」

精神科医ステイプルは三人を集め。各々の特殊能力に対して『証明』を行っていくが。

 

「え?俺鉄格子曲げられるんやけれど。」「それは老朽化の進んだ建物だったでしょう。」「指の力で壁をつたい、駆け上がれるけれど。」「そういう人も居るわ。」

のらりくらり。超人を前に滾々と「貴方はただの人だ」と切り捨てていくステイプル。

24人格を持つケヴィンの中の常識人を呼び出し「貴方達が強いと思っているキャラクターが、実は全然大したことなかったら?」と畳掛けてくる。

車いすにぐったりと沈む無言のミスター・ガラスの表情はうかがい知れないけれど。この集団面談で打ちのめされるケヴィンとダン。

 

これは…昔話題になった元カリスマロックバンドヴォーカル洗脳事件みたいやな…そう頭をよぎった当方。『お前は顎長野郎だ』『俺は顎長野郎だ』『お前は無能だ』『俺は無能だ』『お前は一体何者だ』『俺は無能な顎長野郎だ』

皆から一目置かれる存在であるけれど、一抹の不安と違和感を感じていた。そこに付け込む輩。存在を否定し、特殊性など無いと自尊心を叩きのめし、思考力を奪っていく方法。

 

「いやいやいや。見ただろう?俺たちの力を。」

 

24人格の内、超人的なキャラクターを有するケヴィン。不死身と悪を感知する能力を持つダン。非凡なIQを持つミスター・ガラス。三者の力は決して思い込みや偶然ではない。

 

M.ナイト・シャマラン監督世界の超人三名。一体彼らがどう重なって、反発して…結局向かい合って叩きのめさなければならない相手は誰なのか。

 

そして何故、精神科医ステイプルは頑なに彼らの能力を否定するのか。

 

一応ネタバレしない方向性でやっていますので。ふんわりさせていきますが。

「シャマランと言えば最終どんでん返し!」長らく言われてきた流れがありました。

確かに今回もひっくり返ってはいましたが…それは言うならば『オセロで四隅を取って、倒していく』感じ。ドミノ全倒しの様なカタルシスと派手さはないけれど、徐々にひっくり返っていって、試合が終われば殆ど一色に塗り替えられていた。そういう感じ。

 

「そうやな~。全ての人が世界に発信できる手段を持つ今。秘密を持つことは不可能なのかもしれないな。」(観た人にのみ分かる、意味深な発言)

 

ところで。ブルース・ウィリスサミュエル・L・ジャクソンジェームズ・マカヴォイ。米俳優の中でも超大御所ベテラン俳優たちの競演。面白くないはずはないのですが。当方はやっぱり前作からの「マカヴォイ無双!」。24人格を演じ分けられるマカヴォイから目が離せず。(なのでああいう展開に「テールラアアイ。テールラアアア~」と脳内中島みゆきが鳴りやまず)

 

その他「お話とは言え、あの精神科施設のセキュリティ雑過ぎる。あくまでも相手は凶悪犯やろう?」とか「散々『オオサカビル』がどうとか言ってましたけれど。結局施設の庭で最終決戦て。」「ところで『オオサカビル』って何?『あべのハルカス』から取ってるんですか?」気になるところは幾つもありましたが…ご愛敬という所で。

 

M.ナイト・シャマラン監督の、愛すべき超人キャラクター達の最初で最後の競演。香ばしい設定と抵抗勢力三者三様に見せ場も作って。

「貴方だ~たんだ。貴方だ~たんだ。嬉しい。楽しい。大好き!」

全てが愛おしい。かなり好みな作品でした。
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映画部活動報告「バハールの涙」

「バハールの涙」観ました。
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イラク。2014年の夏。クルド人自治区ヤスディ部族が暮らす地域はIS(イスラミックテート)からの奇襲攻撃を受けた。

大量虐殺の後。ヤスディ教徒、クルド人武装勢力クルド自治政府軍は抵抗部隊を組

織。女性だけで構成された武装部隊も前線に立った。

 

2018年。ノーベル平和賞を受賞したナディア・ムラド。彼女もまたヤスディ教徒であり、ISと戦う女性として名乗りを上げた。

 

この作品のカメラとなる女性ジャーナリスト、マチルド。

彼女もまた、片目を失いながらも活動し続ける実在の女性戦場カメラマンをモデルとしていて。

 

クルド人自治区。そこで女性だけで構成された武装組織『太陽の女たち』と、そのリーダーであるバハールを、彼女達と行動を共にしながら取材をするマチルドの目を通して描いたフィクション作品。

 

無知の知』。イスラム教。イスラム原理主義クルド人クルド人自治区。浅瀬に住む当方はこれらに対して全く語れる知識も思想もありません。

付け焼刃でそれらしい情報を得る事も考えなくはありませんでしたが…如何せん、ボロが出やすく、また「知ったかぶりをしたくない」という考えもありますので…「バーカバーカ」「もっと根が深い問題なんだよ!」という点は大いにあると思いますが。拙いながらも感想を書いていきたいと思います。

 

愛する夫と子供に恵まれながら、女弁護士として充実した日々を送っていたバハール。しかし突然現れたISに依って日常は食い破られた。

夫を初め、男達は皆殺しにされ。息子も奪われた。女たちはタコ部屋に追いやれられ、武器を持つ男達に犯された。身分を奪われ、体を売られた。

いつ殺されるか分からない。そうやって怯えながらも、何とか男達から逃げ出した。

そして今。私たちは女だけで部隊を組み、ISに立ち向かっている。

 

「これは…当方は諸手を挙げて賛同も否定も出来ない。」

 

この作品を観て一週間近く経ちますが。未だと当方の中で堂々巡り。全く思考の着地を見せない。

 

バハールの行動意識の根源。それは「息子を取り戻したい」。

 

理不尽に奪われた日常。永遠に会えなくなった夫。そして奪われた息子。息子に会いたい。どこかで生きていると信じている息子に。その為には武器を取らざるを得なかった。

 

「その武器を向ける相手もまた、誰かの息子では無いのか。」

 

戦争と言う有事。誰かを殺したいと思うほどの感情を有した事の無い当方がなにを、と言われるのでしょうが。

 

「戦争というものの発端は、誰も気付かないほどの綻び。それは宗教や部族間での違和感、そういったものかもしれない。けれど、そこから誰かの命が奪われた時、物事は収束の出来ない憎しみで加速していく。」

誰の言葉ですか?…って当方なんですがね。

 

愛する者を奪われた。だからこちらも全力で奪いに行く。例えばそれが決まった個人であれば怒りをぶつける事が出来る。けれどそれを団体に向ける事は出来ない。当方は。

 

『女に殺されると天国に行けない』

宗教観が分からないのであくまで推測ですが。ISの男性達が信じるというこの言葉から察するに『女=母親』だと思う当方。「母親に殺されるような事をした息子は地獄に落ちる」。

それを逆手に取って、女性部隊を組んだバハール達。

 

「女たちは大人しく男の帰って来るのを待て」「でしゃばるな」そんな事は全く思っていませんが。

 

「どうして彼女達が前線に出なければならない」「女だから、を逆に売りにして捨て鉢な行動を取らなければならない。」上手く言えませんが。

 

そして。「母親だから、女だからという立場=強いとするな」という独身者当方の弱弱しい声。

 

母親で無くて。子をなしていなくて。女で無くて。例えばそういう立場の人間である者が、立ち上がらなかった時は。

 

「私は立ち上がっている。でも貴方は戦わないの?いつも一緒に前線に居るのに。」

 

物語の中で。ジャーナリストマチルダがバハールに言われた言葉。それは決して「お前も武器を取れ。」とか「お前は戦わないのか。」と非難する声でない。単純な疑問の言葉だったけれども。

 

「私は伝える事が仕事だから。」「私は娘の為に生きなければいけないから。」「死ぬわけにはいかない。」

 

たらればの繰り返しをして。でもやっぱり当方はあの現場でも人を殺す選択は出来ない。それはどんなパラレルワールドに於いても同じで、当方の今の思想思考では、当方は武器を取って人に向けられない。

当方は母では無い。けれど万が一母親でこの状況でも誰かの子供に武器を向けられない。

立ち上がった者だけが強い人間じゃない。立ち上がらなかった人も久しく人間である。

 

あの作品のスポットはあくまでも女武装部隊であり、リーダーであるバハール。けれど立ち上がることが出来なかった女性達も、あっという間に殺された男性達も、連れ去られた子供達も…大勢の人が居る。

何も出来なかった人も当然居る。

 

けれど。実際に誰かの息子に武器を向ける選択をした女性たちが居た。

 

それはそれで非難は出来ない。あくまでも『蚊帳の外』に居る当方がどんな平和面して彼女らを否定できるというのか…ただ「それは終わらない憎しみの輪を作るんじゃないですか」という言葉を飲み込みますが。

 

昨日までの生活を奪われる。性を軽んじられ、傷ついて泣いても誰も助けてはくれない。出産すらもままならない。けれど私たちは泣き寝入りをしない。私たちは無駄な血を流さない。私達の地は大地を産む。

 

正直、映画作品としては緩急の付け方なんかも…みにくい作品だとは思いましたが。

 

「今。こういう事が起きている現場がある。」「事件は現場で起き…(自主規制)。」「見なければ見えないし、考えたくなければ考えなくてもいいのかもしれない。けれどこういう事実がある。」

 

作品としてはあくまでもフィクションの呈でしたが。これは数多の現地取材をしたエヴァ・ウッソン監督が投げかけた実態と問い。

 

正解なんか無いけれど。見ないふりをしない、正直にどう思うのかから逃げない。

そしてこのままにせず現在進行形の、実際の展開を見る。

 

ただ…銃を握らず、ふかふかの暖かい寝具できちんと朝まで眠れる夜を。誰もが平等に与えられるを世界であれと。そう思った作品でした。

映画部活動報告「チワワちゃん」

「チワワちゃん」観ました。
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東京湾から見つかった、バラバラ殺人事件の被害者『千脇良子20歳。看護学生』。それが私たちの知っている『チワワちゃん』の事だとは誰も気付かなかった。」

 

1996年に発売された、岡崎京子原作の同名漫画の映画化。二宮健監督作品。

 

ミュージッククラブで知り合った仲間達。突如現れた『チワワちゃん』。可愛くてキュート、人懐っこくて大胆なチワワちゃんはあっという間にグループの中心となる。一気に最高潮まで高まる仲間意識。けれど墜ちていくのもいくのもあっという間。

 

グループの一人、ミキ(門脇麦)。チワワちゃんの死後、ライターのユーコ(栗山千明)からチワワちゃんについての取材を受けたのもあって。「私は、皆はチワワちゃんの事をどこまで知っていて、どう思っていたんだろう。」と思い始める。

チワワちゃんの彼氏で、かつてミキも思いを寄せていたヨシダくん(成田凌)。チワワちゃんと一番仲が良かったユミちゃん(玉城ティナ)。カメラマンアシスタントでいつも皆を撮っていたナガイくん(村上虹郎)。グループを纏めていたカツオくん(寛一郎)。その他色んな人にもチワワちゃんの事を聞いて回ったけれど。

 

チワワちゃんと笑って。キスして。セックスして。恋して。憎んで。

 

チワワちゃんがその人に見せた断片は知っているけれど。チワワちゃんの名前や身分、どういう考え方の持ち主なのか。そういう全体像を知る人は誰も居なかった。

 

岡崎京子漫画は一部しか読んでいないし、正直この原作も未読やけれど…当方の中でこれまでの『岡崎京子漫画の映画化』で一番好きやと思う。」

「どうせオサレ映画なんやろうな~と思って観に行ったら。これがこれが。」

 

映画館で流れていた予告編。そして本編も。まるでミュージックPVみたいなオサレテンポと映像も多いんですが。追うべき本筋が浮ついていなくてしっかりしている。寧ろ「ひと夏しか持たない、儚いあいつら。コンビニの入り口の上部にある灯りに吸い寄せられてたむろって、そして力尽きたり熱に当たって死んでしまう羽虫」なんかも想像させて。はしゃいでいる彼らは幸せそうなのに、何だか切ない。そういう印象を受けた当方。

 

「まあ。当方はすっかり歳を取ったからな…。こんなパーティピープルじゃ全然なかったけれど、20歳前後位の全然大人になりきれていない感じは覚えがある。」

ロッキングチェアーにどっかり腰を沈めながら。ゆっくりゆっくり椅子を漕ぐ当方。

 

作中ミキが語っていたように、チワワちゃんは『私たちの自爆テロ(言い回しうろ覚え)』だった。若くて、まだ何者にでもなれる私たち。でもそのリミットは近づいている。そんな時に現れたチワワちゃん。「今しかできない事をやろう!」「楽しい事を皆で!」チワワちゃんの破天荒な行動力は魅力的で。皆どっぷり酔いしれたけれど。けれどそれは大爆発のトリガーを力強く押してしまった。(物語の後半。まさに911テロを連想してしまうシーンがありましたね)

 

チワワちゃんがミキに言った「今が最高で、もっと遊びたいな~と思っている瞬間から、人の心は離れていくの(言い回しうろ覚え)」。一見おバカで尻軽で無神経。可愛いだけが取り柄に見えたチワワちゃんこそが、誰よりも現実が見えていて。けれどそこから目を背けたくて、一連の行動を取っていたという可能性。

 

仲間に乗せられて始めたSNSが一気に火がついて。世間からも注目されて。モデルの仕事なんかも舞い込んで。すっかり有名になったけれど。前ほどにはグループで集まらなくなった。

 

「お前だってわかってるんだろう。皆が上辺で付き合ってくれてるって。お前は10年後、20年後どうなってんの。愛されてんの。」終盤。モデル撮影で撮ってもらっているチワワちゃんに、グイグイと辛辣な言葉を畳みかけた、年上のカメラマン、サカタ(浅野忠信)。

 

「追い込まれてるなあ~。」ゆらゆらさせる当方。

 

「そんな刹那的にならなくたっていいのに。皆から愛されなくたっていいのに。」

 

ヨシダくん。男前で手癖が悪くてだらしなくて。けれど。想像以上に実はチワワちゃんを好きだった。(余談ですが。成田凌を見ているとどうしても『20代前半の窪塚洋介はもっと凄かった』と連想してしまう。クラスの女子全員が彼を好き、そんな総攻め無双。天性のプレイボーイ。)切ない。

 

「ヨシダよ。これを教訓にと言ってはアレやけれど。人って本当にどうなるか分からんねんから。きちんと気持ちはマメに伝えなあかんよ。」

 

「チワワちゃんよ。皆から愛されて。楽しくて。そんなめくるめく毎日だったら面白いけれどさあ。日々ってもっと地味でやりたくもないルーティンワークの積み重ねの部分が一杯あるの。そういうの本当にうんざりするけれど。でも歳を取った今、改めて積み上げた物を見てみたら…あながちしんどいばかりじゃなかったと思う。」

 

って。そんなつまらない説教をしてしまいそうになりますが。

 

その時を生きている若者からしたら「うるせえ!」っていう話で。「私たちの事を何も知らない癖に、勝手に薄っぺらいとか言うんじゃないよ!」「繋がりは嘘じゃない!」

結局自分たちで体験して、傷ついて、次の世代に若さを明け渡していくんだからな。溜息。

 

ただ。『その時を生きている』という切り取られた若さから、二度と出る事が出来い。次に進めなくなった。チワワちゃんだけが。

 

この作品はキャラクターと役者さんも非常にマッチしていて。

狂言回しのミキこと門脇麦の流石な演技。あかんたれヨシダくんの成田凌。その他メンバー。けれど、何よりこの作品にリアリティーを持たせたのは、チワワちゃん役の吉田志織。

さとう珠緒の顔とキャラクターってやっぱり可愛いんやなあ~」と思ってしまった…もう『リアルチワワちゃん』そのもの。

可愛くてビッチ。どんどん墜ちていくのにそれでも下品にはならない。これは凄い。

最も重要なチワワちゃんがしっかりイメージ通り。これが『岡崎京子漫画の映画化成功』勝算の最強の鍵。

 

最後。チワワちゃんへのメッセージと花を手向ける仲間達の姿に胸を熱くしながら…。

「すみません。やっぱりどうしても納得出来ないんですが。」ロッキングチェアーの動きをギッと止める老体当方。

 

「20歳前後の看護学生さんって。あんな暇ないよ。」

正直チワワちゃんの正体が20歳看護学生であったことに冒頭からひっかり続けた当方。クラブに通い詰めるチワワちゃんもモデル活動をするチワワちゃんもその後墜ちていくチワワちゃんも全て看護学生身分との併用は不可能。(大学生でも厳しくないですか?)

「その他は大体飲み込めた。でもその設定だけは無理やろう。キャラクター設定に関係なさそうやし、省けば良かったのにいいいい~。」

 

再びロッキングチェアーを漕ぎ始めた老体当方の収拾がつかないので。

ここいらで終わらせて頂こうと思います。

映画部活動報告「迫り来る嵐」

「迫り来る嵐」観ました。
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1997年。香港返還の年。

具体的にどうなるのか分からない。けれどきっと何かが変わる。古い時代から新しい時代へ。

そんな中国で。経済発展を目指し、旧体制は変換を求められた。国営工場は軒並閉鎖され。人々はまだ見ぬ未来に胸を躍らせ、しかしその時代の波に取り残される人々も多く生まれた。そんな世紀末。

 

とある田舎の国営製鉄所。一面野っ原の中。ぽつんと、けれど広大な敷地に広がる工場。

その近くで女性の変死死体が発見された。それも一度では無い。もう三度目で、しかも毎回女性。同じような手口。

工場の保安部で警備員をしているユイ。初めは現場の交通整理等で関わっていただけだったが。顔なじみになっていく古株刑事からぽつりぽつりと得られる情報。選民意識。

次第に刑事気取りで事件に首を突っ込み始めるユイ。若手刑事の「ユイ名探偵のお出ましか」そんな皮肉を聞き流し、本業そっちのけで事件捜査にのめりこんでいく。

恋人イェンズが事件の被害者に似ていると思い至った事から、ますます事件に固執し狂気を孕んでいくユイ。

 

「中国映画の泥臭さ。不条理でやるせなくて不器用で。そういうの、堪らんねよな。」「オウ…一体何様だ。」

数年前。映画部長が語った中国映画論と、それに答えた当方の会話を思い出した当方。

近年で言えば『薄氷の殺人』。あの無骨で繊細なサスペンス作品(表現下手)が大好きな当方としては唸った挙句、無言で何度も何度も頷いてしまう…そんな大好物な作品でした。

 

突然なんですが。電車通勤の当方。概ね小一時間の通勤時間で。車窓から見える景色の中、結構大きな工場(それなりに名前も知っている会社)をいくつか見掛けるんですが。

「幾つもの工場が連なって。工場間を這う配管。敷地を行き来する車の為の道路。フォークリフト。工場の中を行き交う、同じ作業着を着た人達。中での秩序。人間関係。ここから見えるあの場所でのみ成立する世界。」

当方の働く現場だって、どんな職業だって。職種が違うだけで団体職は結局、はたから見たら同じ事ですが。

兎に角『工場』という現場に対して、ぼんやりと夢を見て想いを馳せてしまう当方。

 

そんな中でも。『1990年代後半の中国』『斜陽産業のマンモス工場』『新しい時代には乗れない』そんな泥船にはひときわ静かに興奮してしまう。

 

主人公ユイ。

保安部の警備員。マンモス工場の治安を守るべく、不良工員を見つけ出し、罰してきた。賄賂など笑止。スタンガン?片手に、悪い奴が相手ならば暴力だって辞さない。

年に一度の工場内での表彰式で。優秀工員として表彰された。敷地近くで事件があれは、刑事からもあてにされる。仲間からは「公安に昇格しろよ」と言われ。満更でもないけれど、その場では「俺はお前たちと一緒に居たいんだ。」と宣う。そんな奴。

 

俺はただの警備員じゃない。工場からも刑事からも評価されている。俺は特別なんだ。

俺なら犯人を捕まえられるんじゃないかな。どうせ犯人はここの工員だ。俺なら見つけられる。犯人は犯行現場にまた戻って来るというじゃないか。だったらこの辺りをぐるぐる回って、俺にしか見つけられないものを見つけてやる。

 

「お前は刑事じゃないだろ。身分をわきまえろ。」

 

もうすぐ新しい波が押し寄せる。この工場だっていつまで稼働しているものか。

ましてや生産ラインに属している訳でも無いユイ。案の定、大幅リストラ社員の仲間入り。

 

この作品=ユイの持つ閉塞感。これを見事に表現したのが、1997年パートの終始止まない雨。

特にはパラパラと。時には窓を叩いて。BGMさながら、ずっと降り続けた雨。モヤモヤと晴れない心象風景。常に雨のどんよりとした画面。

 

とあることから恋人になるイエンズ。「香港で美容院を開きたい。」風俗嬢であった彼女に近所で店を持たせ。「工場を首になったって、二人でこれから暮らしていけばいいじゃない。」そうイエンズはユイに言うけれど。決して首を縦には振らなかった。

 

俺にはやるべきことがある。俺は連続婦女暴行殺人犯を見つけなければならない。

 

工場で。言葉では褒めていながらも、どこか馬鹿にした態度も匂わせていた同僚達。「お前はいいよな。そうやって犬みたいに何でも嗅ぎまわって。何か見つけたら大声上げて。尻尾振って褒められて。」けれど。何が悪い。これが俺のアイデンティティだ。

俺は絶対にこれで成功してみせる。何も間違っていない。これで幸せになってやる。

 

題名の『迫りくる嵐』とは一体何を指していたのか。

 

途中。犯人を追う中で失った舎弟。歯止めが効かなくなった理性。恋人の判断。どうにもならないドミノ倒しに押されて。そして結果があの野っ原での強行。あれだって嵐の所業だったけれど。

 

「迫りくる時代の変化」「得体の知れないモノに対する不安」「押しつぶされる予感と抗えない自分」「けれど逃げられない」

あの時代の中国に生きた皆が漠然と抱えた気持ちを、イチ個人を通して描いたのではないか。そう思った当方。

 

諸行無常の響きあり。」

時を経てみればまるで夢のよう。優秀工員として表彰された日も。それどころか、あの工場で働いていた事も。

 

けれど。やはり寒々とした雨の日々は嘘でも夢でも無くて。

そっと添えられる、事の顛末。

 

「もしかしたら。また嵐は迫って来ているのかもしれないな。前とは違う形で…。」

 

最後。瞼を閉じるユイを見ながら。完璧な『泥臭い中国映画』の幕引きに、これはやられたと。唸りながら鼻の下に拳を当て続けた当方。

映画部活動報告「ワイルド・ストーム」

「ワイルド・ストーム」観ました。
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アメリカ。ロブ・コーエン監督作品。

 

「合衆国財務局がある、アメリカ西海岸の小さな町。施設に6億ドルの廃棄紙幣が運ばれた日。カテゴリー5の大型台風上陸と、混乱に乗じて大金を強奪しようとする犯罪集団が施設を襲う。」「最大級の勢力を持つ台風と。火事場泥棒達。果たして職員ケーシーは仲間と大金を守る事が出来るのか?」

 

何だか凄そうな予告編を見掛けて。「アメリカの自然災害モノ映画はただどんちゃん騒ぎをしているだけの場合も多いんやけれど…。」「まあでも。迫力は凄いから。」と思って観に行って来ました。

 

結論から言うと…『迫力のあるどんちゃん騒ぎ映画』でした。

 

以上!で終わってもいいのですが。流石にそっけないので。

 

嵐。町に台風がやって来る、それも台風のランク付けでも最大級のやつが。

昔大型台風で甚大な被害を受けた経験があることから、その日は市民を郊外に避難させ、町を封鎖。「この町は俺たちが守る!」残った警官たちは決起。なのに。

そんなどさくさに紛れて、財務局の大金を奪おうとする火事場泥棒集団が施設を襲撃した。

 

「はい。そもそもそんな悪天候の日に何故6億ドルもの大金を移送してきたんですか?」

当方脳内学級会で。すっと挙手して発言する、リスク委員当方。

 

例えば。近年、当方の住む地域の電車は、台風が来ると予測されている日は計画運休したりするんですよ。「危ないから外に出るな!下手に出かけても帰宅難民になるぞ!嵐の日位休め!」休めない業種には辛い所もありますが、計画運休に合わせて休業判断をする企業や施設も多い。そして危惧している程経済や流通は混乱しない。

当方が何を言いたいのかというと「甚大な被害が想定される自然災害が来る日に、大金を扱うな。」噛み砕くと「何が起こるか分からない日に危なっかしい大金を保管するな。」という事。危険回避せよと。

 

廃棄紙幣。そんな存在今回初めて知りましたが。

金は金。当然使える。けれど専用シュレッダーにて裁断される予定の廃棄紙幣。そんなモノを扱う施設ならもっと強固なセキュリティで守られて当然、施設のある町そのものも。なのにこの作品の『合衆国財務局』はまるで『町の備蓄倉庫』。

 

そこで起きた、システムエラー。

修理の為に読んだエンジニアがハッカーというお馴染みの展開。当然施設職員に内通者が居て。彼らは集団となって施設を乗っ取り。嵐のどさくさに紛れて6億ドルを奪い去ろうとする。

そこで立ち向かうヒロイン、ケーシー。

序盤で強引な運転技術を見せつけていたケーシー。大金積んだトラックを運転出来るという大型免許持ち。しかも大金が保管されている大掛かりな金庫を空けられる立場の人間。

何だか不具合の多い施設。コンピューターシステム以外に施設にも故障個所が出て。町の修理屋に向かうケーシー。その道中で気象予報士ウィル(修理屋のライアンと兄弟)と知り合う。その後、施設が火事場泥棒達に乗っ取られたと知った二人はタッグを組んで奴らに対峙する。

 

かなり大らかでシンプルに作られている作品だったのに。こうして順を追っていこうとすると「ん?」と引っ掛かって。文章を打つ手が何度も止まってしまう。

 

「そもそもねえ。気象庁も変なんですよ。日本でも『戦後最大級』とか『何年の何台風によく似た』なんて、台風は事前に予測して注意喚起してくるのに。『おっかしいな~そんな大きくはならないはずなのに』といったスナック菓子食べながらののんびり対応。衛星飛ばしてるんでしょう?何故イチ気象予報士の『これはでかい奴が来るぞ…』『嫌な予感がする』しかないんだ。科学と分析は何処にいった。」

 

ぶつぶつとぼやきが止まらなくなるリスク委員当方に感化され。遂に限界に達し、決壊。荒れる当方脳内学級会。ツッコミ大会。

 

「そしてイチ気象予報士の乗っている車はあれ一体何だ。バットマンでもスポンサーに就いているのかと疑わんばかりのカスタム戦闘車。」

「オセロのごとく。直ぐに敵側に寝返る面々。この町の正義は死んだ。」

「だ~か~ら~。嵐の中外に出るなよ~。」

「車ですら暴風にあおられる中。人間が立位を保って作業が出来る訳が無い!」

「首にコルセットでも巻いておかないと!あまりにも衝突シーンが多すぎて…頸椎やられちゃうよ!」

「金庫を開けるパスワードが解除されていく時の、数字の出方とテンションが『なんでも鑑定団』!」

 

そして。「こんなに都合の良い台風があるか!」

 

『マッドマックス 怒りのデスロード』さながら。台風は墳煙を上げ、背後から迫って来る。壁の様に。

捕まってはならぬと、車で逃げる登場人物達。「んなアホな!」声を飲み込む当方。

 

まあ。兎に角終始ツッコミ続けてしまう、どんちゃん騒ぎ作品なんですが。

ハッカーの男女二人がラブラブカップル。」「台風時には低気圧病で寝込んでしまう当方にしたら、こんな中でピンピン動ける人がうらやましい。」「有事での生理現象に言及。」等々。柔らかい気持ちになれる所もあり。

 

迫力のある映像が延々続くので見応えがある。

 

「だから。何も考えずに、全身の力を抜いて観る作品。」

 

そう決着が付いて。当方の脳内学級会は終了、解散したいと思います。

映画部活動報告「22年目の記憶」

「22年目の記憶」観ました。
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「1972年7月。韓国と北朝鮮の統一に向けた声明『南北共同声明』が発表された。」

(お馴染み、無知な当方の付け焼刃な知識でざっくりこの声明を纏めてみると「元々同じ民族である我々。分かり合えるはず。現在の祖国にまたがる境界線を無くしていこうぜ。」「ただし、あくまでも話し合いは我々のみで行おう。決して外国のいいなりや入れ知恵は無しだ。」そういう内容だと解釈。)

 

「いよいよ朝鮮半島統一か!」

 

声明が発表され。沸き立つ世論。声明後初の両首脳会談に備え、韓国政府は秘密のプロジェクトを企画、準備した。

『首脳会談の予行練習』。当時韓国大統領であった朴正煕。彼が対話する相手、北朝鮮最高指導者金日成

神秘のベールに包まれすぎの相手に。果たして切り込んだ会話が出来るのか。

ぶっつけ本番で、こちらの思惑通りの流れに持ち込めるのか。

 

金日成を作れ。見た目も話し方も仕草も…そして思想や思考も金日成そのものだというダミーを。」

 

『無名である事』『口が堅い事』その条件で集められた、小劇団の売れない役者達。彼等は一体自分が何を演じるのかも分からない。けれど必死に自分を売り込もうと必死。

第一審査こそ演技披露もしたけれど。目隠しをさせられ、運ばれた先では容赦ない拷問。そんな『地獄のオーディション』を経て。選ばれたソングン。

 

「またまた大胆なアイデアをぶっこんできたなあ~。」

 

1972年の南北共同声明。それを受けて、すぐさま開催されると思われた南北首脳会議。どうやらあったらしい予行練習。この事実を、こんな大胆な切り口で描くなんて。しかもこの計画に依って狂わされていく主人公ソングンの変わっていく様を、哀しいはずなのに何だかコミカルな展開で見せ。かと思えばしっかり決める所は決めてくる。

「笑って泣いてほっこりして。緩急の付け方がお見事。」

 

主人公、売れない劇団俳優ソングンを演じたのが、去年の『殺人者の記憶法』が記憶に新しいソル・ギョング。兎に角彼の演技が秀逸過ぎる。

妻を病気で亡くし。母親と一人息子テシクの三人暮らし。どうしても役者人生が諦められなくて、小劇団から足を洗えない。と言っても彼に与えられる役は殆ど無く、ほぼ雑用係としてすがる日々。けれど。

そんなソングンに転機が訪れた。棚ぼた式に手に入れた『リア王』の主役。初めての大役。期待で沸き上がるソングン一家。なのに。

緊張から大失敗に終わった公演。テシクをがっかりさせてしまった。己のふがいなさに、一人楽屋で泣くソングン。ーそのタイミングで、例のオーディションの声がソングンに掛かる。

 

「そうか。確か1970年代の韓国って軍事政権やったんよな。」「尋問上等の国家権力。」そんな時代背景が脳裏に過る、地獄のオーディション。

「君が役者で。演出する者、台本を書く者。そして主宰者が居る。最高の舞台を作ろうじゃないか。」(言い回しうろ覚え)

俺は選ばれたんだ。誰にもこの役は渡さない。もう失敗しない。

そうして。徹底的に『金日成』に仕上げていく様。ここが思いがけずコミカル。

結局金日成に似ているのかと言うと、一言で言うなら「似ていないと思う」のですが。(そもそも似ている似ていないが判断出来る程、金日成を知らないし…)けれど。見た目は全然似ていないけれど「恐らくこんな感じなんだろうな~」というニュアンスは伝わった。それで十分。

 

「この作品は『金日成のそっくりさんを作った事』ではなく『役者である父親が息子に見せたかった姿』をより伝えたかったはずだ。」

 

ふがいない自分を見せた。息子をがっかりさせてしまった。けれど。見せたい。見て欲しい。自分が演じる姿を。

 

これは金日成だ。ソングンが乗り移ったかのように演じられるようになった所で、突然打ち切られた計画。チーム金日成、強制解散。

 

そこから22年後。

 

幼かったテシクもすっかり擦れた大人。それどころかマルチ商法に手を染め、借金まみれ。

いよいよ借金取りに抑えられて。都市開発地域に立つ実家を売却し借金を返済する事を思い立つテシク。しかしその権利書に押す実印の在処は父親しか知らない。

疎遠になっていた父親に会う為、老人ホームに向かうテシク。

そこには金日成のまま老いたソングンが居た。

 

極限まで追い込んで仕上げた金日成が抜けなくなったソングンと。彼に振り回され、辟易し距離を置いていた息子テシクの再会。あくまでも「実印をもらう」為に始まった同居生活は、テシクの彼女や意外と人情派の借金取りの存在もあって、ハチャメチャでおかしくて…けれど何だか切なくて。

 

「ソングンは役に飲み込まれたのか。役を飲み込んだのか。」

 

俺は金日成だと思い込んだ。精神を病んだ。加齢や病はそれを加速させた。けれど。

ソングンはソングンである事を。テシクの父親である事を、完全に忘れた訳では無かった。

 

そして遂にやってきた。22年振りの大舞台が。

 

「これだ。これがソングンが息子テシクに見せたかった『役者である父親』の姿だ。」

圧巻。追い込んで追い込んで作り上げたチーム金日成の集大成も流石でしたが。それよりも当方が思わずタオルを目に押し当てたのは、金日成では無い、父ソングンの姿。

22年前。小劇団の舞台。舞い上がり過ぎてセリフを口に出すことも出来なかった。テシクの前で見せたかったあの舞台。まさかここでそのエピソードと対になるなんて。

しかも月日が経った今。同じセリフに厚みと重みが加わってくる。

 

「役者だ…。」

 

余りにもこのシーンに打ちのめされてしまって。正直これ以降どんどん畳み込んでくるエピソードに若干のあざとさすら感じてしまった汚れた当方。

 

笑って泣いて。もう散々振り回されたのに。しっかりと『父と子の新しいバトン』の予感を漂わせながら幕引き。

 

「本当に韓国映画のジャンル無制限っぷりとレベルの高さよ!」

今年もまた。注目せざるをえないです。

映画部活動報告「シシリアン・ゴースト・ストーリー」

シシリアン・ゴースト・ストーリー」観ました。
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1993年。イタリアで実際に起きた誘拐事件を基にした作品。

 

「ある日。13歳の少年ジュゼッペが失踪した。けれど何故か大人達は皆口をつぐみ、ジュゼッペを探そうとしない。」「一体ジュゼッペはどこに行ったのか。」

 

予告編もあまりきちんと観ていなくて。実際の事件も詳しくは知らない。けれど何となく気になって。本編を観に行ってきました。

 

「いやぁ~これ。何と言っていいのか…。」

実際に起きた事件の顛末を知った今、ひたすら胸が痛いしやるせない。とにかく被害者であるジュゼッペが不憫でいたたまれなくて。辛くなります。

 

実在した凶悪事件を基にした映画。最近では『ゲティ家の身代金』や少し前なら『冷たい熱帯魚』。更には『女子高生コンクリート殺人事件』なんかを当方は思い出すんですが。

 

死傷者の有無。その事件に関わった人達、特に被害者本人やその家族の痛み。それらを思うと手放しに「面白かった」云々とは、なかなか言いにくいという気持ちがあります。(その映画作品が、実際の事件に対してどういう切り口でどう見せるのかにも依るとは思いますが)…ありますが。

 

この作品が作られた意図。

監督のコメントを余す事無く読んだ!という訳では無いので。あくまでも当方の勝手な推測ですが。

「この事件を風化させてはいけない。そういったイタリア国民への警鐘であると同時に。これはおそらく…被害者であるジュゼッペへのメッセージ。」

 

そもそもたった13歳の少年が何故誘拐されたのか。その後2年以上も監禁されたのか。それはひとえに彼が『マフィアの子供だった』から。

 

ジュゼッペの父親が警察に仲間の情報提供をした。その事が新聞にも掲載された。父親の身柄は警察に保護され、組織は父親に手出しが出来ない。「アイツを黙らせろ!」

となると…危害が及ぶのは父親の家族。

 

誰にでも導き出せる『ジュゼッペ誘拐事件』の真相。けれど。大人たちは揃って口をつぐんだ。

 

「とは言え。現実では水面下ではマフィアと地元警察との攻防が…とかがあって欲しいけれど。でもこの作品は決して『見えない所で誰かが動いていた話』じゃなくて『見える所で皆がどういう動きをしたか』を描いた作品やった。」

 

13歳の少年ジュゼッペが突然失踪した。

ジュゼッペの父親はマフィアであり、現在組織と深刻なトラブルに陥っている。組織からしたら父親は裏切者。可哀想に。ジュゼッペは父親のせいで組織に囚われた。けれど仕方ない。ジュゼッペはマフィアの子供。いつこんな事があってもおかしくなかった。おっかない。ジュゼッペ自身は気立ての良い素直な少年だけれど。所詮マフィアの子供。関わりたくなかったし、関わらなくて正解だった。

ジュゼッペは殺されたのかな?生きちゃいないだろうな。可哀想に。一体ジュゼッペが何をしたっていうんだ。ただあの家に生まれたってだけでこんな目に合うなんて。

 

「ねえ。ジュゼッペは何処に行ったの?」

 

おそらく。街の皆が。下手したらジュゼッペの家族ですら、ジュゼッペの生死を決めつけ。諦めていたと推測する当方。けれど。その中で唯一諦めずにジュゼッペを求め続けた少女。

 

この作品はあくまでも『ジュゼッペの同級生、ルナ』の視点で描かれる。

現実世界ではこの少女は存在しなかったけれど。ルナをメインとすることで、実在したジュゼッペに対して「君を皆が見捨てた訳では無い」「君を愛し、求め、君と生きていたいと思った人が居た」というメッセージを送ったのだと。そういう作品だと思う当方。

 

13歳の少年少女。放課後、森で戯れる二人。誰にも見られない、邪魔されない。二人だけの時間。なのに。獰猛な野犬に追い回され。息もだえだえに逃げ回る二人。

気恥ずかしくて口には出せないけれど。互いに寄せる好意は最早確信。胸が高鳴って。初めて交わすキスは崩れそうな程幸せだった。

これからもずっと一緒。親は色々言うけれど。二人で居れば幸せ。そんな絶頂の日。ルナはジュゼッペを奪われた。野犬以上に獰猛な何者かに。

 

何故。何故皆ジュゼッペが居ない事をおかしいと思わないの。ジュゼッペに何かがあったと思わないの。どうして。ジュゼッペの存在そのものを無かった事にするの。

 

「ねえ。ジュゼッペは何処に行ったの?」

 

黙れ。もう止めてくれ。ルナは賢い子のはずよ。分かるだろう?そう言って皆ははぐらかす。けれど。ルナは絶対に納得しない。ジュゼッペは何処?私の恋人は。

 

多感な思春期。その中で絶頂を迎えていた恋心。それを突然奪われ。けれど子供であるルナには、ジュゼッペの具体的な捜索の手立ても、彼女を支える大人も居ない。

次第に精神の均衡を崩す中。けれど。果たしてルナが見るものは狂気なのか。

 

誘拐され。監禁状態。もう二度と出られないんだろうなと思い始めたジュゼッペの。誰にも見られたくない、ルナからの手紙。大切な恋人からの手紙。

 

互いを想う。そんな二人の魂は水を介して触れ合う。その気持ちが交差する世界は夢かうつつか。

 

何だかとてもポエミーな文章になってきてふわふわしてきましたので。そろそろ強引に着地しますが。

 

兎に角終始美しい作品。けれどそこには常に哀しみと苦しさが付きまとう。凶悪な事件を挟んだ少年少女の狂気。互いを求めて。けれど自由は得られなくて。絶望しか無い。

 

最後。『実際ジュゼッペはどうなったのか』が字幕で流れた時。心の中をズンと冷えたものが突き抜けて。溜息が止まらなかった当方。

 

そこから流れたルナの表情。そして海辺のシーンに。

「これは救いなのか。はたまた夢か。」

前者であって欲しい。それがジュゼッペの、最後にルナを水の夢から押し出した結果。そいう解釈だ。そう思うのに。

未だ定まらない当方です。