映画部活動報告「アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル」
「アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル」観ました。
1994年。アメリカ。リレハンメルオリンピック選考会直前に起きた『ナンシー・ケリガン襲撃事件』。
オリンピック有力選手、フィギュアスケーターナンシー・ケリガンが何者かに依って膝を強打され重傷を負った。
犯人は男性。しかしそのバックには、ナンシーのライバル、トーニャ・ハーディングの姿があった。
1970年に産まれ、幼少期からフィギュアスケートを初め。アメリカ人女性で初めてトリプルアクセルを飛んだ。(史上二人目。一人目は伊藤みどり)1992年アルベールヒル、1994年リレハンメルオリンピックに出場。経歴だけ並べたら華々しいけれど…類を見ないお騒がせ選手。
「懐かしい…」
今では独居生活の当方ですが。
実家時代、当方の家族は揃って(全方位)スポーツ観戦好き。オリンピックから高校野球からサッカーからWBCから世界卓球から…勿論フィギア競技も。兎に角該当シーズンになるとテレビに釘付け。
反して、そんな家族から「非国民!」と非難されるほどスポーツ全般に興味が無い当方。現在では当方の生活に『スポーツ』という分野は全く存在しなくなりましたが(もうここ2年位、テレビ番組事体見なくなりました)
昔は散々お茶の間で見させられました。
となると当然、上の空でぼんやりテレビを見ていただけなのですが…そんな当方ですら覚えている、『1990年代初頭の女子フィギアスケートの大波乱』。
流石に2000年代の荒川静香、浅田真央、安藤美姫、キムヨナその他の選手もニュース報道程度には知っていますが。それでも「一番高く飛んでいたのは伊藤みどりだ」と思っている当方。
こんな事を言うと叱られますが…どうしても『白人で金髪のたおやかな女子が似合う競技』感が特に強かった、そんな気がする1990年代までの女子フィギアスケート。なのに。
遂に女子でもトリプルアクセルを飛ぶ選手(伊藤みどり)が現れた。そして黒人バク転選手、ボナリー。二人目のトリプルアクセル成功者、ハーディング。
可憐な氷の妖精の集まりが、次第に猛々しい様相を呈していった。子供だった当方のぼんやりとした印象。
そんな中でもひときわ印象的だった、ハーディング。確かな実力者でありながら。何故こんなに荒々しいのか。憎たらしいのか。ぼんやり見ていた当方にはよく分かりませんでしたが。
まさかの。25年も経った今。「そういう事やったのか」という答え合わせ。
所謂『ホワイト下層(貧困層)』出身。鬼ババアなんて言葉では言い表せない、きっつい母親。笑えない虐待。それが常態化していた事から生じた「愛する者からの暴力は当たり前」という悲しい刷り込み。初めての彼氏とそのまま結婚。大好きだった時もあったけれど…結局はずるずると腐れ縁。DV上等。そして夫は後の襲撃事件でもクロ判定。
「そういう事やったのか…」溜息を付くけれど。けれど。
「この作品の良い所の一つは、そんなハーディングの半生を湿っぽくは描かなかった事だ」そう思う当方。
家が貧しい。母親が鬼ババア。DV彼氏。全て最悪やけれど…あくまでもこれはリアルの人物の背景なのだから。その当人以外が「可哀想」等ど言ってはいけない。
そして。「最悪だったわ」とは言っても。そこから飛躍的な伸びを見せたハーディングの負けん気。力強さ。ならば寧ろコミカルに。テンポ良く展開していく作風、嫌いじゃない。寧ろ好き。
そして「役者のリアリティよ」。
ハーディングを演じたマーゴット・ロビー。1980~1990年代のだっさいファッションを始め…あの1990年代の女子フィギア選手達の体型(=むっちり)すらも体作りしてきたような…もうハーディングそのものにしか見えなかった。
母親からの呪縛から逃れる為なのに、結局同じカテゴリー(DV)の彼氏に付いて行く。度重なる彼氏からの暴力と接見禁止、なのにまたヨリを戻す、の繰り返し。THEメンヘラカップル。
そしてハーディングの夫、ジェフとジェフの友人ショーン。最後のエンドロールで。「めっちゃ再現度高かったんやなあ~」と当方が感心した二人。
まあでも。一番印象的だったのはやはり『鬼ババア』ことハーディングの母親、ラヴォナを演じたアリソン・ジャネイでした。
まだ子供だったハーディングをスケート教室に入会。フィギアなんて富裕層のお遊びでしかない中で。「他のガキと喋るな」「私の金で滑らせているんだ」「トイレなんか行ってる暇はない、滑れ」タバコとポケットウイスキー片手に下品な態度でゲキを飛ばし。当然周りの保護者からは眉を顰められるけれど。お構いなし。
ハーディングが大人になってもその調子。基本鞭しかない教育スタイル。
この作品は終始インタビュー形式を取っていて。主人公であるハーディング。元夫のジェフ。その他ジェフの友人やハーディングのスケートコーチなどが入れ代わり立ち代わり話を進行させていく。そんな中で一切のブレを見せない、異端の母親、ラヴォナ。
「とは言え実の娘な訳やし、ちょっとは愛情を見せても…」100歩譲って「これが彼女なりの…」という片鱗も見せて…いたような気もしましたが。概ね最悪。
最終『ナンシー・ケリガン襲撃事件』の首謀者ではないかと追い回された時の再会シーンなんて、酷すぎて…何だか笑ってしまいましたよ!!
(スケートリンクですらタバコを吸っていたラヴォナ。肩に鳥を載せるといった『ビルマの竪琴:水島』面白スタイルでインタビューを受ける老年期の彼女に「やっぱり。タバコの吸い過ぎなんだよ」と思った当方。因みに…当方のカン違いであって欲しいいんですが…あの老年期のラヴォナ、インタビュー中にタバコ吸ってませんでしたよね?在宅酸素患者にタバコは厳禁。だって、酸素ボンベの真横で火気発生したら…大爆発しますよ!!注⦆実例報告あり)
役者達の渾身の再現力。そして軽快に進む構成。盛り上げる音楽。
加えて、ハーディングのスケートシーンの再現率も良かった。当然CGも使っているんでしょうけれど。マーゴットの努力。全然違和感無し。
「そうか。これはこういう話だったのか」当時の事を少ししか覚えていない当方ですら、答え合わせの妙に一つ一つ頷いてしまった。そんな不思議な作品。
因みに。ハーディングのその後は全く知りませんでしたので「ああなんか。それ以上はいかないで」思わず呟いた当方。
「私は今、良い母親をやってるわ」その言葉を信じたいです。
映画部活動報告「ジュマンジ ウェルカム・トウ・ジャングル」
「ジュマンジ ウェルカム・トウ・ジャングル」観ました。
1995年公開『ジュマンジ』の続編。
1996年。とある男子高校生が失踪した。彼について知る人はあまりおらず。
彼が失踪直前に友人が海辺で拾ったボードゲームを贈られた事も。
ある日突然息子を失った父親は心身共にふさぎ込み。そして彼の家は街の皆から『お化け屋敷』と呼ばれるまでに寂れていった。
20年後。2016年。
イケてない男子高校生スペンサー。都合の良い時だけスペンサーの友達気取りのフリッジ。頭は良いけれど卑屈な女子高生マーサ。いつも彼氏を切らさない、きらきら女子ベサニー。
同じ高校に通う4人。同じ学年で互いに顔くらいは知っているけれど。さして付き合いがある訳でも無い。そんな4人は各々の問題で放課後校長室にお説教を受ける羽目になって。挙句揃って地下室の掃除を命じられる。
嫌々地下室に向かったけれど。全くやる気など起きない面々。そこで彼らは古いテレビゲーム『ジュマンジ』を見つけてしまう。
「ちょっとやろうぜ」そうして各自ゲーム内のアバターを決定。スタートボタンを押した途端…ゲームの世界へと飛び込んでしまった。
「普段はイケてない男子高校生が…ゲームの中ではドウェイン・ジョンソンに?」そんな香ばしい設定。「何で俺がこんなへなちょこキャラに?」「何この美人?!」「何で私がデブ親父‼!」楽しい予感しかしない予告編。これは観なければと。そう思って早一か月弱。
日本公開は2018年4月6日でしたが。何故だか全然当方のスケジュールと合致せず。(「飲み過ぎて気分が悪い(おかしなテンションで過ごした昨日に対する嫌悪感)」「タイムスケジュール見間違えた!」等々)
「これは…下手したら見逃すぞ‼」戦々恐々としていましたが。先日の大型連休で。やっと観る事が出来ました。
感想としては「これ、面白い」「見逃し?ありえん」ホクホクの笑顔で映画館を後にした当方。
まあ~。終始楽しかったですね。映画館で本当に声を出して笑ってしまいましたし、最後は案の定胸がぐっと締められました。
『ジュマンジ』というゲームの概要は『ヴァン・ペルトという悪役がジャングルの中にあるジャガー像に埋められた宝石を盗んだ。実はその宝石はジュマンジの守り神であって、奪われた今ジュマンジの平和は破られた。ヴァン・ペルトは宝石の力に依ってジャングルに住む数多の動物をコントロールする力を有している。彼から宝石を取り戻し、ジャガー像に埋め込んでくれ‼ジュマンジの明日は君に掛かっている!!』というもの。
主人公の選んだアバター、冒険家のストーン博士(ドウェイン・ジョンソン)がゲームの主人公。博士の弟子、動物学者のフィンバー(ケビン・ハート)。ダンス格闘技の達人ルビー(カレン・ギラン)。そして誰もが愛さずに居れなかった地図学者オベロン教授(ジャック・ブラック)途中から参加するパイロット、シープレーン(ニック・ジョナス)。誰もがきっちりキャラが立っていて。
「見た目はゴリゴリのマッチョなのに。この腰の引け具合。THE童貞」「こんなにキュートで抜群のスタイルなのに。どこか卑屈で自信が無くて。美人の持ち腐れ」「リアル界では正にリア充なのに。よわっちょろいキャラクターになってしまった…でもあんたはそれがお似合いですよ」高校生パートの性格をきちんと踏まえて演じている。
そしてぶっちぎりの存在感を放った「あんた完全に女子高生にしか見えないよ!」という奇跡を産み出したオベロン教授。
「ダイナマイトボディって!デブの中年じゃないの‼」悲鳴を上げた初めから。確かに見た目はそうだけれど。メンタルは完全に女子。しかもキラキラ系。
『自分が可愛いと知っていて。そんな自分をいつでも自撮り。インスタに上げて。スマートフォンを片時も離さず。彼氏は欠かさず…でも最近彼氏と別れてしまって』女子高生時代のベサリーには微塵も心を動かされなかったのに。
オベロン教授になってからのベサリーには、キュンキュンしすぎて…「こういう天真爛漫さ。自分の気持ちに正直な所」「別に自分だけが可愛い訳じゃない。ちゃんと周りも愛している」「恋する乙女は可愛い」「…もう駄目!好きになってまう!」畜生!ベサリーの奴!とんだハート泥棒ですよ!
ゲーム自体はシンプル。例の宝石をジャガー像に戻す。その為に『渡された地図の破れた部分を探すために街に行け』というのが初めのミッション。
ゲームの中には常に彼らの存在を知ってバイクで追い回してくるヴァン・ペルトの手下。ジャングルの冒険+対戦。
そうして「俺たちが必要としていたのは紙じゃない!無くしたパーツとは君の事だ!」パイロットシープレーンの参戦。するとシープレーンが次のミッションを教えてくれる。
そうやって上手く数珠繋ぎになって話が進んでいく。
又、各キャラクターの特性や弱点が余す事無く発揮され。「地図学者の私にだけこの地図が読めるのね!」「キメ顔」「ケーキが弱点」「ダンス格闘技って」「ジャングルで蚊がアウトって…厳しいなあ」エトセトラ。エトセトラ。きちんと見せ場が回ってくる。
そして『ライフ三回』ルール。
腕に記された三本線。ゲーム内で死んだら…復活できるけれど棒線が一本減る。
ゲーム内で死んでも復活が出来る…けれどもし三回目に死んだら?その死はゲームの中だけ?もう二度と現実世界にも戻れないのでは?
何だかだらだらと書いて纏まりが無くなってきましたので。そろそろ終わろうかと思いますが。
この作品は、『高校生4人がゲームに吸い込まれた!』『普段の自分とは乖離したキャラクターでの大冒険!』というシンプルな取っ掛かりから、『友達ってなんだ』『互いを信じて動くとは』という♪青春~それは~(線香の青雲のCM調でお願いします)という青々しいテーマ。そして『ベサリー最高!ソー・キュート!』というベサリー無双。
そして散々良い所無しだったあのキャラクターの、最後の「現実ではライフは一つだぞ」の決まりっぷり。
ゲームの最後は「ここまでを盛りに盛って膨らましていたからか…ちょっと駆け足感が否めないな」と思いましたが。
兎に角終始余計な事なんて考える暇なんて無い。ワクワクが止まらない。てんこ盛りの作品。
ゲームの旅を終えた高校生たちの印象が、作品の冒頭とは全く違う。そしてベサリーとあの人の。切なくてまさかの涙…でも静かに深く頷いた当方。
想像以上の良作。これを見逃すのは本当に愚。次回作にも期待が膨らむ当方。
先ずは前作の1995年版をきちんと見返そうと思います。
映画部活動報告「ザ・スクエア 思いやりの聖域 」
「ザ・スクエア 思いやりの聖域」観ました。
『フレンチアルプスで起きたこと』の記憶も新しい、リューベン・オストルンド監督作品のスウェーデン映画。
とある有名美術館。そこのキュレーター(責任者)クリスティアン。
順風満帆の人生であった彼が。思いもよらない所からボロボロと足元をすくわれていく。その様を描いた作品。
今回は、当方の心に住む男女ペア、昭(あきら)と和(かず)に感想を述べて頂きたいと思います。
和)いや~。厭味ったらしい映画やったわあ~。ぞくぞくした!
昭)ぞくぞく…というかぞっとしたよ!ホンマに…。全く。こんな「インテリ!自爆しろ!」みたいな作品にパルムドール贈っちゃうヨーロッパ人のイケズさよ。
和)リューベン・オストルンド監督。前作の『フレンチアルプスで起きたこと』でもそうやったけれど。男のプライドをズタズタにさせるとピカ一やね。
昭)家族のスキー旅行で訪れたフレンチアルプス。そこでランチの時に起きた雪崩。とっさに妻子を放って逃げてしまった夫。その後どんなに取り繕ってももう溝は埋められなくて…って。あれも一見コミカルやけれど、いたたまれなかったよ!
和)(無視)今作の主人公、クリスティアン。2017年4月日本公開された『メットガラ ドレスを纏った美術館』ってドキュメント映画、あったじゃないですか。あの時出ていたキュレーター、アンドリュー。
彼を思い出して仕方無かった(うっとり)…あのインテリお洒落眼鏡キュレーター。正直、脳内で何回自動置き換え装置が発動したか。
昭)うわきた。『眼鏡インテリ殺人鬼』インテリで一見スノッブな眼鏡に赤子の手を捻るがごとく心を持って行かれる女子。常套句は「一番好きな眼鏡男子は『ピンポンのスマイル(ARATA)』です」
和)(無視)離婚して今は独身。お洒落でシンプル、ハイソなマンションで一人暮らし。職業は有名美術館のキュレーターという…地位も名誉も金銭的にも満ち足りた生活。決まった恋人は居なくても、時々近寄って来る女性をつまみ食いして。
昭)羨ましいことよのう!
和)羨ましいことよのう…でもそんな高みに居た彼が。どんどん引きずり下ろされていくんですよ。そこに全方位救いなんて無し。
昭)このペースでいったら核心に触れる気がしないから進めて良いかな。タイトルにもなっているインスタレーション『ザ・スクエア』がやっぱり、この作品の全てを象徴していたと思ったな。
和)馬鹿!早漏!お前に情緒なんて無し!外堀から埋めていく感じ、真綿で首絞めの面白さの分からん奴!
昭)下品な言葉使い。傷付くわあ~。
和)「ザ・スクエアは思いやりの聖地です」「世の中をより良くするための展示作品」「この枠内では誰もが平等で、助け合うのが基本です」クリスティアンはそう言ってインスタレーションを説明するけれど。所詮自分が世間に発信しているのは絵空事。現実はそんな綺麗ごとでは済まない。それをクリスティアン自らが体現してしまう。果たして人間は「正義か」「悪か」。「本音」か「建前」か。
昭)世間にはインテリでスノッブな人間に見せて。けれどその実、スマートフォンが盗まれたらGPSで検索して該当アパート全戸に「お前の盗んだスマホを返せ」という脅迫状を投函する。女性記者と寝て、やり逃げしようとする。あまつさえ、展示作品の非常事態に対しても…。
和)分からなくはないけれど。全てが『スマート』とはかけ離れていた。しかも、それらを余す事無く拾い上げてクリスティアンの窮地へと追い込んでいくあたり。監督の意地悪さ炸裂。
昭)けれど…クリスティアンの落ち度とは言いにくかった『展示作品予告CM』。
和)監督責任なんやろうけれど。あれ嫌やったわああ~。『炎上商法上等!』ってホンマ品が無いし…あのCM人間性のモラルが問われるし。美術館とかの文化機関は絶対やってはいけない内容。「とはいえ表現の自由という観点からは~」なんて作中では言ってましたけれど!笑止!そもそもインスタレーションの作者から訴えられる案件!
昭)そして『猿人間』。
和)あの出し物、クリスティアンのGOが出ての事やったんですか?あの猿人間と打ち合わせとかしてなかったんですか?あれ、元々は何をしたかったんですか?
昭)何にしろ。会場の緊張感が半端なかった。気まずい…俺ならあの場に居た事自体を人生から抹消したくなるよ。
和)『ザ・スクエア』の精神。平等で思いやりに溢れた場所。此処では人々は助け合う。それは果たして美術館の中のただの正方形の中にしかないのか。
昭)地位と名誉。社会と自分。そして倫理観。それらを天秤にかけた時。果たして『ザ・スクエア』は自身のどこに存在するのか。そもそも存在するのか。見せかけで無い。本当の『ザ・スクエア』は。
和)最終。自身の『ザ・スクエア』に踏み込んでいくクリスティアンの、満身創痍な姿。
けれど。インスタレーションでは無い。クリスティアンが本当の『ザ・スクエア』に真剣に向き合うにはどれだけの犠牲を払って裸にならなければならなかったのか。
昭)ただ。そこに至るまでの道は余りにも多かったし長かった様な気がしたけれどね。
映画館のエントランス。作品のポスターや記事が展示されているスペースで。設置されていた『思いやりの聖域』。
「このスペースに財布と携帯電話を置いて、作品をご鑑賞下さい。ただし、当館は責任は持ちません」(言い回しうろ覚え)
「怖ええええ。」やっぱり当方には聖域は踏み込めないと実感。
そして。実際にそこに貴重品が置かれた時の映画館側の緊張感を思うと、心底震えた当方。
映画部活動報告「犯罪都市」
「犯罪都市」観ました。
韓国。カン・ユンソン監督作品。
2004年。実際に韓国であった『朝鮮族組織一掃作戦』を基に。
警察対新興してきた鮮族中国マフィア対地元韓国ヤクザの抗争を描いた。
韓国随一の上腕俳優(当方命名)。
マ・ドンソク主演。
2017年日本公開された『新感染ファイナル・エクスプレス』
「おいおいおい一体何だいあの人間ダンプは!そしてなんて漢気かね!」
御多分に漏れず。当方も「Tシャツ姿で腕にガムテープを巻きつけてゾンビに対戦!」「そして無敵!」というマ・ドンソクに釘付け。
強面。そしてその体から放たれる破壊的な腕力。「ハルクを地でいける」まさかのアジア人でそんな…。なのに…何だか可愛い。笑顔が可愛い。
マ・ドンソク=ラブリーと掛けて『マブリー』と呼ばれる彼。(当方も今後その表記で行きたいと思います。単純にタイピングが楽になるので)
実際の人となりは全く知らないのに。何故か「曲がった事が大嫌いなわんぱくマブリー兄さん。自分が大切に思う相手はとことん守るけれど…悪い奴には容赦しないぜ!」というイメージ。
そして今回も。正にそんなキャラクター。強行班副班長マ・ソクト刑事(日本で言う暴力団担当:マル暴)を演じておられました。
古き良き?強行班と地元ヤクザの関係。
互いに縄張りを持って張り合う地元ヤクザを見張り。いざこざが起きれば鉄拳制裁。ヤクザ達にはちょいちょいおいしい思いもさせてもらって。(と言っても金銭の授受等では無く。本当に彼等の店で美味しいお酒と食べ物をご馳走されて。綺麗なお姉さんと遊ぶという微笑ましい感じ)
決して綺麗な所ではないけれど。そうしてこの町の治安を維持してきた。けれど。
中国からやってきた新興勢力『黒龍組』の3人。朝鮮族中国マフィア。
「借金返せ」そして「絶対に約束した金は頂く」という執念。圧倒的な強さと血の通わない冷酷さで地元ヤクザを次々なぎ倒し。
勢力図が混沌としていく中。「あいつは絶対俺が殺す」「俺が殺る」「子分がえらい目にあわされたんだぞ」「舐めるんじゃねえぞ馬鹿が」次第に地元ヤクザの中枢も色めき立って。
最早無法地帯。町は数多のアウトロー達が跋扈するようになり。一般市民も巻き添えを食う有様。
歯ぎしりしながら。(してませんでしたが)一刻も早く奴らを一網打尽にするべく、強行班達が立ち向かう。
まあ。そういう話なんですが。
本編121分。全て「ありがとう!マブリー大好き!」「眼福!」というマブリーをひたすら愛でる作品。
「こんなの。日本ではピエール瀧しか着れないよ」というヤクザまがいファッション。革ジャン。ゴルフセーター。ピッチピチのスーツではあはあ言いながら全力疾走。
危ない相手だろうが、自分より大きい熊みたいな男にも、強靭な上腕からフルスイングのビンタ。「あんなの受けたら脳震盪で意識が飛ぶよ!」案の定倒れこむ相手達。
なのにちょっとお茶目な面もあって。唯一の上司班長(怒りん坊)をなだめすかしながらもおちょくったり。地元ヤクザにも慕われ。
部下や食堂で働く少年、そして商店の人たちにはやさしく。
けれど。マブリー単体が良いだけではなくて。
強行班のチームワーク。(つい先日『タクシー運転手』では悪役でしたな!)いつも悪役なイメージの強面班長。そして愛する部下達。
地元ヤクザのナイスな面々。『さかなクン』『小峠さん』なんて勝手に脳内で呼んでいた彼らの愛嬌と、「でもやっぱりヤクザやねんな」という熱気。
そして何より。朝鮮族中国マフィア3人組。
3人とも良かったけれど。特にそのトップ、チャン・チェン(ユン・ゲサン)。寸分の乱れも無い、完璧な悪役。
「瑛太と榊英雄を足した様な」という例えを見ましたが。当方は『ロバートの秋山(が痩せた感じ)』何しろ恰好良いんですよ。ビジュアルが。
ユン・ゲサン、元アイドルで歌手。今回何者なんだと調べて。彼の爽やかな画像を見て。「よくこういう役でキャスティングしようと思ったなあ~。そして受けたなあ~」と感心する事しかり。もう…素晴らしかった。(当方の語彙力の貧相さよ)
「韓国映画やなあ~」「警察も含め、誰も銃を所持していない」「警察の武器。せいぜい鉄棒」「アウトロー達のメイン凶器刃物!」「手斧なんて普通携帯してないぞ!後、あの独特な長い包丁は何?『腸裂き:主に牛の小腸を割く為の包丁』ですか?こちとら牛刀文化なんで…あの刃物が分からん」「そしてそんな刃物を振り回す相手にビンタと体当たりで対抗するマブリー!最高か!」
そして。お馴染み韓国映画飯に反応する当方。
「またもや最後まで食べられない、韓国刑事飯」「ああまた。食べている途中で机ごと蹴られた」「あのビニール手袋して食べる海老。何」ニヤニヤが止まらず。
余談ですが。この春から当方の働く部署に配属された21歳女子。
彼女の「韓国が好きでしょっちゅう行きます」という言葉に反応した当方。
「実際に行ったことは無いんやけれど。韓国映画は結構好きで。」「あの韓国映画飯が。」「韓国随一の上腕俳優。」「すいません。分からないです。」即座に打ち切られた当方。溜息。
最後の最後まで。終始楽しめる『マブリー映画』。間違いなく笑顔で映画館を後に出来る。なのにその楽しさを職場では伝えられない当方です。
映画部活動報告「君の名前で僕を呼んで」
「君の名前で僕を呼んで」観ました。
とあるイタリア。1983年。夏。
主人公エリオ17歳と。大学院生オリヴァー24歳。ひと夏の恋。
米アカデミー賞、主演男優賞ノミネート。ティモシー・シャラメ。撮影当時19歳。
大学教授の父親の元。ひと夏の滞在で出会った大学院生オリヴァーと。教授の一人息子エリオ。
誰にでも社交的なオリヴァーに魅せられてしまったエリオと。その流れに抗えなかったオリヴァー。
成人男性。と言ってもまだまだ未成熟な20代前半の男性と。自身の恋する対象も定まらない。けれどひたすら情熱的で刹那的。そんな17歳の恋。
誰でも幾らでもポエミーに仕上げられそうなので。当方は完全にマニアック路線で好き勝手にこの作品の感想を書いていきたいと思います。(もうお気付きでしょうが。当方が今回、真面目に本作に触れない可能性は過分にあります。ご了承下さい)
『これはBL作品なのか』
そもそもBL作品って何なのでしょうね?
『BL=ボーイズラブ』という男性間に於ける同性愛作品群とは当方も認識。この機会に先日勇気を持ってとある休日の半日、布団の中でひたすらBL漫画作品を読んでみました。(たまたま布団から出たくない休日に読んでみた。そしてその際変な所を踏んだせいで個人的に大変な目に遭った)
「BLって『ムカデ人間2』みたいな…ひたすら作業工程に拘ったテイスト」結果ぐったり疲労した当方の下した見解。
「『ムカデ人間』というマニアックホラー。その「人間の肛門と口を結合したらムカデみたいに人間を繋げられる」というワクワクレギュレーション。でもそれは所詮夢でしかなかったのに。それを熱く語った結果。続編では「作ってみたい」という人間が現れた。続編はそんなワクワクさんに依る『出来るかな=ムカデ人間2』」という構図。
勿論登場人物間に恋愛感情はありそうだけれど。それよりも結合ありき。エロ到達までの工程重視。
作業工程を描く美学。(でも。男性の求めるワンオペエロも結局は同じく即物的なモノ…超個人的なエロって性差無いんですね)
あらかじめ誤解の無いようにしたいのですが。
リアル界では当方は如何なる恋愛のスタイルであれ。そこに恋愛の要素があれば否定はしません。ですが。
きっぱり。「結局BLというジャンルを愛する人の求めるモノは『エロ』でしかない」
それが『異性愛』というポピュラーなものでは無く『同性愛』というだけ。
(この際、女性同士みたいなジャンルまでには…全く手が伸びませんでした。)
数多あるエロに反応する、そのフックの一つ。
身も蓋も無い言い方をすると男女のセックスが棒と穴の関係であるとするならば。そしてそれを求める欲求こそを正常とするならば。異常となってしまう「俺は男なのに」「おかしくなっちゃう」。
そこに反応。背徳心からの盛り上がり。異性間の通常オフィシャルセックスで使用しない穴を使用している、その使用方法。(完全に偏った私見です)
20代の当方が崇拝した姫野カオルコ氏。(直木賞作家)彼女がエロ作家でありこじらせ作家であった時に語った言葉。『同じ事象をあけすけに書けばそれはエロであり。高尚に書けば文学であり…(今現在手元に著書が無く言い回しウロ覚え)』。
だらだら書きましたが。つまりは…これはBL好きのご腐人には物足りないBL。しかし、当方の様なエセ文系サブカル野郎には文学作品やったという事ですよ。
夏休み。恒例の大学院生が自宅にサマーキャンプ。
そう思っていたら。何だか気になる学生がやって来た。誰にでも社交的で。明らかにモテそうで。実際に地元の女友達だって狙っている。
自分にも好意を寄せてくれている女友達が居る。自身の性衝動はその子で処理出来る。だから大丈夫。この感情は何でもない。そう。何でもない。
「結構その感情が決壊するの早かったですね」
17歳の若さゆえか。主人公エリオ爆発。そうすると猪突猛進。そりゃあそうでしょうよ。そうでしょうよ!(何故当方がこんなにキレているのかというと…この映画的なTHE夏休みな絵面が…次第にふんわり腐っていくからですよ)
「だってあいつら。終始上半身裸で短パンなんやで」当方の叫び。夏とは言え!身内以外には肌を見せてはいけませんよ!(平安時代の日本なんて簾越しでしか貴族とは会えなかったんやぞ)
「だけど 気になる」そうやって惹かれる相手。散々(上半身)裸を見せあって。そして「多分…同じことを思っている」という告白。そして「俺の秘密基地」でのチュウ。積極的なアプローチ。そして…ああもう。当方が予習したBL世界‼。
「もうなんだっていいんですけれどね。食べ物で遊ばんとって貰って良いですかね」
しごく真顔で発声する当方。
「ところで。これってどう着地するつもりなんやろう」途中から。そう思い始めた当方。
聡明で。ハイスペックな両親と暮らす高校生の主人公。自身は地元の仲間から浮いている訳でも無く。同級生の一人(女子)といい感じ。
ひと夏の留学生なんて放っていても成立した17歳の夏。なのに。どうしようもなく惹かれてしまった相手。止められなくて。
「でも。この大学院生からしたら…正味ひと夏なんやで」そう過った当方の…心の歪み。でも…。
「自分にとっては一生に一度の恋」「でも相手にとっては?」
「10代なんやなあ~」としゃがみ込んだ当方。恋は一度きり。恋は一度きりだった。そうだった。確かにあの時恋は一度きりだった。でも。今は知っている。恋は一度きりではない。そして。
「両想いって、奇跡なんだぞ」
何処から見ても完璧であった両親。彼等の存在があってこそ。主人公エリオは救われた。そう思うのに。
「まだ4月やけれど分かる。ワタナベアカデミー賞『タイトルコール』及び『エンドロール』の部門で挙がる事を。このティモシー・シャラメの顔、堪らん」震える当方。
ところで。「君の名前で僕を呼んで」というエクスタシーに関しては、当方は全く琴線に触れませんので。どなたからかご教授頂きたい次第です。
映画部活動報告「タクシー運転手 約束は国境を越えて」
「タクシー運転手 約束は国境を越えて」観ました。
1980年5月。韓国。
当時の軍事政権化を案じた民衆による反政府デモ。韓国各地にて主に学生が中心となって行われていた。
『広州事件』1980年5月18日~同月27日に掛けて広州市を中心に行われた反政府蜂紀。
その数約20万人。当時実権を握っていた軍はデモ参加者たちを『暴徒』とみなし。
しかも。韓国政府は情報規制を行使。新聞をはじめとするメディアをに圧力、又は情報提供を拒否。そして広州市を封鎖、孤立させる事で社会との繋がりを遮断した。
当時日本に駐在していた国際ジャーナリスト、ピーター。「韓国がおかしい」記者仲間の「懇意にしていた現地記者と連絡が取れない」との情報を得て。
単身韓国ソウルへ。現地の別記者と落ち合って。「広州市が危険な状態に陥っている」という情報を入手。
公共交通機関が軒並み使用できない。そんな状況で。「タクシーで連れて行ってもらう」という選択をする。
前評判が物凄く高かった作品。加えてソン・ガンホ主演。これは観に行かなければと。指折り数えて公開を楽しみにしていました。
そして鑑賞。明るく幕を開けたこの作品が。次第に悪雲が立ち込め初め…そして最終胸熱の漢気集団とまさかのカーチェイス。そしてしんみりと幕を閉じる…とんだオペラ作品。
主人公のタクシー運転手マンソプ。妻に先立たれ。11歳の一人娘と二人暮らし。
生活は苦しく。家賃も滞納。
そんな時。昼食を取っていた食堂で聞きつけた「通行禁止時間までに広州に行って戻って来たら大金を払う客をこれから乗せる」という別会社の運転手の話。その額、丁度自分が滞納している家賃と同じ。
早速抜け駆け。件の運転手を先回り、客との待ち合わせ場所に駆け付けたマンソプ。無事ドイツ人記者ピーターをゲット。
片言の英語。そしてピーターも韓国語は話せない。そんな二人は一路広州へ向かうが。
恥ずかしながら当方は『広州事件』を知りませんでしたので。「たった38年前に…こんな‼」と衝撃を受けました。
広州事件そのものも衝撃でしたが。それよりも『情報規制』の恐ろしさ。
この作品から「韓国政府の軍主体の時代」「権力を持つ者の暴力が跋扈する恐ろしさ」というメッセージも勿論感じましたが。何より「何が起きているのかを、現場に居る者以外誰も知らない」無関心以前の問題という恐怖。
主人公のマンソプ視点で終始話は進みますので。始め、ソウル市街で学生デモに遭遇しても「あいつら…勉強しろよ」と。ただ迷惑な若者が騒いでいるだけだと顔をしかめ。
そんな彼が。お金目当てで飛びついた、客のピーターと『地獄のドサ廻り』をしたことで。表情が変わっていく。
「こういう有事の時。当方はどういう行動を取るのだろう。」
平和な時代に生まれ。一般的な教育、道徳を学んだ当方。「悪い事は悪いと言う」「正しい自分でありたい」そう思いますが。
しかし。実際に何かしらの有事が起きた時。果たして当方はどういう状態なのか。家族や守るべきものの存在は?仕事や立場は?生活は?思想は?
「何が正しいのかという価値観は流動的である」揺るがない信念、というものもあるにはありますが。
「後から思えば卑怯だと思う事は?後からじゃなくても、常に自身に真摯であると言えるのか」「聖人君子では無い」
マンソプ。人間味溢れるキャラクターをメインに置いた事で、観客たちは正直な気持ちで作品と付き合えた。
そもそもピーターが何を目的として広州に行こうとしているのか。彼は一体何者なのか。それすらも途中まで知らなかった。興味も無かった。マンソプにとってはただの『上客の外国人』というだけ。
何度もあった通行規制をかいくぐって。広州入り。そこで初めてマンソプはピーターが記者である事、そして広州の実態を目の当たりにする。
前半の。どこかユーモラスでもあった雰囲気から一転。広州に入って以降、後半は眉を顰め、終始溜息の展開。
『地獄のドサ廻り』から何回か逃げようとしたマンソプ。けれど、彼を臆病だとか卑怯だとは言い切れない。
11歳になる一人娘。娘との二人の生活。それがマンソプの全て。だから。兎に角娘の所に帰りたい。何も知らずに留守番している娘に会いたい。
おんぼろタクシーの故障に依って帰れなくなった夜。けれど広州から外部に繋がる電話は無くて。娘を心配して涙するマンソプ。
何故俺がこんな危ない目に合わなければならない。何だここは。一体何なんだ。
「しっかし、広州タクシー軍団の漢気よ」
ユ・へジン演じるファン運転手。もう彼が…(涙で声を震わせながら)滅茶苦茶良いんですわ。
ソウルからやってきた、憎たらしい運転手。金にがめつい、喧嘩早い。積極的に関わりたくない相手なのに…困っているなと思ったら声を掛けて助ける。
夜に突然成人男性3人も連れてきて「何か食べさせてやってくれ」。当方があの妻なら激怒ですが…まあ、そんな懐の深さ。
とんだ修羅場をかいくぐった夜が明けて。早朝逃げ出そうとしたマンソプに「当たり前だ」と『ソウルまでの抜け道地図』なんかを渡してくる。
タクシーで一人広州を脱出したマンソプ。隣の町に出た途端、そこは全くの異世界。のんびりとした日常。
「ごめんな。」そう言って娘に会いに帰る。それで良い。何もかも忘れて。だって誰も知らないんだから。広州がどうなっているのかなんて。
けれど。知ってしまった。
あの。泣きながらマンソプが広州に向かってハンドルを切った所から。怒涛のマンソプ畳みかけのターン。
そして、まさかの最終広州タクシー軍団の胸熱カーチェイス。あんなに「華々しく散る」という言葉が合うなんて。
そして「ファン(ユ・へジン)」あんた本当に最高やな!(涙声)
この話が実話ベースであった事。国際ジャーナリストピーターはそりゃあ、と思いましたが。まさかタクシー運転手まで実際に居たなんて。エンドロール前に流れたメッセージに唸った当方。(あのナンバープレートを見逃してくれた兵士のエピソードも実話とは…)
最早個人が情報を世界中に発信出来る現代。色んな情報が飛び交って。それは新たな問題を生んでいるけれど。…それはまた別の話。
結局は個人が善悪の判断を下す。けれど。その大元となる情報が中立では無かったら?
恣意的に湾曲された情報が流されて。そして次第に関心も無くなってくる。その恐怖。
そして。「もし有事の時。当方はどういう行動を取るのだろう」
綺麗ごとではない。そんな自身もありうる。こういう作品を観て、ぐるぐる考える。非常に大切な事だと当方は思います。
映画部活動報告「レディ・プレイヤー1」
「レディ・プレイヤー1」観ました。
2045年。荒廃した世界。環境汚染、気候変動。加えて停滞する政治経済。
誰もが現実に対して夢も希望も抱けなくなった。
けれど。そんな時代の中で人類唯一の希望、体験型VRゲーム『オアシス』。
オアシス専用のキットを装着すれば、そこは架空の世界。夢と希望と…刺激に溢れた世界。
オアシスでは自由にキャラクターアイコンを選べる。そうしてそのアイコンを通して何でも出来る。出来ないのは『睡眠。食事。排泄』くらい。
オアシスはすっかり人類の生活に溶け込んでいた。
そんな中。オアシスの創始者、ジェームズ・ハリデーが他界した。そしてハリデーから全世界に発信された遺言。
「オアシスの中に隠された3つの謎を解いた者に、自身の資産56兆円と、オアシス後継者の座を与える」
全世界のプレイヤーが熱気と興奮に包まれ。大規模な争奪戦が始まった。
~そこから5年経った現在。未だ一つ目の謎すらも解き明かされていない。
主人公のウェイド。17歳。両親を亡くし、叔母さんと汚い集合住宅に住んで。生活は貧しく…現実はどんよりする事ばかり。けれど。
オアシスの中ではイキイキ出来る。オアシスで出会った仲間と。そして当然ウェイドも件の争奪戦には連日参加。勝ち抜くべく虎視奮闘。次第に生まれる連帯感。
しかし。そういう純粋なプレイヤーばかりではなく。巨大企業『IOI社』も出現。
不穏な事態は、次第に現実世界にも影響を及ぼし始め…。
「スピルバーグ監督71歳!」ベタですが。やっぱり言わざるを得ない。「ほんま化け物やな!」
冒頭。現実社会の描写から突き抜けている。主人公ウェイドの住む、トレイラ―ハウス(集合住宅)。本当にトレイラー(コンテナや電車)を積み重ねているんですよ。日本みたいに地震が多発する国では即座に倒壊しそうな。
そんなボロ住宅から。また廃棄物の山みたいな所にある秘密基地で。一人オアシスにアクセスするウェイド。
でも。オアシスの中では貧富の差なんて関係ない。各々好きなキャラクターアイコンを有して。オアシスではどんなゲームでも出来る。カーチェイス。ダンス。アトラクション。バトルもの。何でも体験出来る。けれど。
オアシスの創始者ハリデーが亡くなった。そして彼が新しいゲームを提示してくれた。『3つの謎を解いて3つの鍵を得る』オアシスに集まる皆がこぞって『オアシス後継ゲーム』に夢中。
この『起承転結』の『起』。それを繰り返していてもアレなんで。進んでいきますが。とは言え。公開して間もないし…浅瀬を走り抜ける感じで行きたいと思います。
やっぱりまずは「技術ってこんなに今上がっているんだな!」という感動。正直殆どがCGの世界じゃないですか。それがこんなに大迫力。
『ジュラシック・パーク』公開から25年。御大のCG技術の推移。そして衰えない想像力。
一つ目の鍵となった『カーチェイス』。あの迫力と「これは無理やなあ~」という障害物の面々。
あそこを駆け抜けた『金田バイク』も『デロリアン』も十分に気持ちを高めてくれて。観ていてワクワクが止まらない。
掴みは完璧。(だからこそ、そういう攻略法じゃなくて正当に走り抜ける感じで行って欲しかったけれど…)
それ以降も。兎に角『アガる絵面』の連続。
そしてやっぱり『オールスター参戦』。
ゆっくり見回したら。「あ‼」というキャラクターはもっと居たのだろうけれど。
「こういう世界でサンリオのキャラクターチョイスって。どういう事よ!」心の闇…感じました。そして「スピルバーグが『シャイニング』かあ~」とか。利権問題大変だったでしょうけれど。御大のネームバリューの力か。結構な異文化キャラクターが混在。
そして。無知な当方も流石にやられた「俺はガンダムでいく」からの~ガンダム参戦。
『ガンダムVSメカゴジラ』って。どんなドリームマッチだよと。思わず熱くなってしまいました。
この作品を手放し絶賛されている方たち。彼らの意見は「ありがとうスピルバーグ!」「これこそが子供の時に脳内にあった映像」「ベタな悪役を倒す為には…あのキャラクターとあのキャラクターを。と想像していた。それがスクリーンで観れるなんて!」という叫び。映画クラスタとゲームクラスタの融合という、優しい世界。
「でも。一見派手でワクワクする映像と衝撃に酔うけれど。御大のメッセージは滅茶苦茶シンプルなんよな」
まさにオアシスを地で行ったと思った作品。結局、目を背けている現実こそを見よと。
仮想現実で得る幸せ。けれどそれはあくまでも仮想現実で。
主人公ウェイドとその仲間達。彼らはオアシスの中で知り合った。実際はどんな人物なのか分からない。性別だって違うのかもしれない。けれど。
『オアシス後継ゲーム』で頭一つ飛びぬけた事で。全プレイヤーから注目。
そんな中、オアシスの中で恋した相手アルテミスに告白。そしてはっきり居住地と実名を名乗った(迂闊)事で。企業を上げてゲームに取り組んでいた『IOI社』に現実世界でも命を狙われていくウェイド。
そこで立ち上がった、現実世界に住む仲間達!(意外と皆近くに住んでいたんですね)
「おそらく2045年にはこの世に警察は居ないのだろう」そう思って観ていましたが…最後の最後に無能な警察が現れていましたね。
(「森崎ウィン!ドラマ『学校じゃ教えてくれない!』に出ていた。中村蒼が片思いしていた幼馴染のあいつな!当方は覚えていたぜ!」こんなにインターナショナルな役者になっていたなんて。そしてまた繰り返しますが「俺はガンダムでいく」唯一の日本語セリフ。痺れました)
「結局この3つの鍵って…」溜息付く当方。(あくまでも当方の解釈ですが)
「つまりは『ゲームを捨てよ。町へ出よう』ということか」
ゲームが大好き。その純粋な気持ち。楽しくて。だから皆が楽しめるゲームを作った。けれど。自身の人生を振り返ったら後悔する事だらけ。
楽しい事はやったらいい。けれど。現実の世界から目を背けるな。
ハリデーの。そして御大からの。シンプルなメッセージ。
3つの鍵を手にした後。迎えられたあの部屋で。
これまでのけばけばしい世界とは一転した夕焼けの中。リアルの人物がキャラクターアイコンに語り掛ける。
ところで。この作品の中で当方が一番好きだったキャラクター。『ハリデー記念館』(名称うろ覚え)の館長。
元々「結構好きやなあ~」と思っていましたが。「これってゲームの中に植え付けられたキャラクターじゃ無かったのか!」という胸熱。これがもう…堪らなかったです。