映画部活動報告「ラッキー」
「ラッキー」観ました。
2017年9月。逝去したハリー・ディーン・スタントン。没91歳。
アメリカ出身で第二次世界大戦中は海軍に所属。
生涯で100本以上の映画作品に出演した名うてのバイブレイヤー。
彼の最後の主演作。それだけで…うるうるしてしまう案件。
そして共演したデヴィット・リンチ等。ハリーの実際の長年の友人を随所に配置。
正に主人公ラッキー=ハリーの宛書。
90歳。気難しい現実主義者ラッキー。配偶者無し。決まった時間に起床、コーヒーを飲みながらタバコを吸って。クローゼットから同じ柄のシャツ、ズボンを選んで更衣。てくてく歩いて馴染みのカフェで一服。馴染みのスーパーで牛乳を買って。いつもの場所でちょっと悪態付いて。自宅でクイズ番組を見ながらクロスワードパズルを解いて。寂しくなったらどこかに電話。夜は近くのパブでお酒。
繰り返し繰り返し。ずっとそうやって暮らしてきた。そんなラッキーの、最終ターン。
「去年公開された『パターソン』みたいな作品」
一見だらだらした、繰り返しの日常を延々描く作品。そういうのはえてして『気力体力を失った状態で観ると途中意識を失う』という魔力を持っていて。当方も危うく陥りかけましたが。
90歳の主人公にとって。それが『永遠に続く日常』のはずがない。
いつまでも俺は元気だ。そうやって過ごして来たけれど。
「おはようラッキー。元気?」「タバコは止めろよ」ラッキーが過ごす場所の人たちは少なからずラッキーの身を案じている。それは…ラッキーは自覚していないけれど「ラッキーはもうすぐここから去る人だ」と認識しているから。
例えば。『何とか劇場』として。考える当方。
「アメリカの片田舎。そこで暮らす人々。そこで生まれて。育って。毎日決まった時間に会って。お茶をしたりお酒を飲んだり。かつては熱く語り合った時もあったけれど。互いに随分歳を取って。憎たらしかったあんなことも。殴り合う寸前だったあんなことも。涙する相手に何も言えなくて…その背中に手を置くしかできなかったことも。色々あったけれど。
何だか全部笑って話せるようになった。互いに歳を取った。
そんな時。一番年上だったあいつ。あいつを見ていたらふと、居なくなるような気がして。胸がざわざわして。
気付いたら。やっぱり互いに歳を取っていた。いつまでも若い気がしていたけれど、互いに歳を取っていた。
そうなると怖くて。自分は気が付いたけれど…あいつ…。
「ラッキー大丈夫?」ヤキモキする、周囲の人間。
そして。唐突に一人で居る時に意識消失し。病院に受診したラッキー。
「いかにも個人経営の診療所対応!」という町医者。その言葉を受けて「寧ろタバコは吸った方が良いらしい」「どこも悪い所なんて無いってよ」心配する周囲に強がるラッキー。「いよいよラッキー倒れたってよ!」と心配で仕方ない周囲をよそに喫煙量を増やすラッキー。
恐らく一族の末裔として生涯を終えるであろう当方としても。非常に複雑な気持ちになった作品でした。
偏屈で。誰かにもたれかかるスタンスを見せないラッキー。けれど。小さな街の仲間は
そんなラッキーを愛している。
「お前!あいつを騙そうたってそうはいかないぞ!」「表に出ろ!」長年の友人。その愛するペット、陸亀の『ルーズベルト』。最近居なくなったその亀に遺産相続させようとしている友人の。真面目な顔をして相談に乗る弁護士に喧嘩を吹っ掛け。(確かにその案件…何なんですか)
つまりは。「馬鹿だなあ~」と皆が鼻で笑うような愚行にも、生真面目に立ち上がってくれる。不器用だけれど誠実。ラッキーはそういう人物。憎めない。
そんなラッキーが。もう90歳。いつ何があってもおかしくない。
周りは随分前から気づいていた。ラッキーは年寄りだと。だからラッキーに声を掛けていた。
そして。ラッキー自身が、この『何とか劇場』から退場する日が近いと自覚した。
「人生の終わりにファンファーレは鳴り響かない」
どう自分の終末期に折り合いを付けるか。どういう姿が有終の美なのか。
最終。いつものカフェで出会った軍人が語った『沖縄少女の最後の表情』
何故でしょうね。当方はずっと『とにかく笑えれば』というウルフルズの歌のフレーズが脳内でエンドレスに流れました。
何があろうとも。最後に無の境地で笑顔を見せられる。
第二次世界大戦。沖縄決戦の地獄でアメリカ兵に囲まれて死を知った少女と、90歳までの寿命を全うしようとしているアメリカ人が。同じ境地なはずがない。そう思うのに。
「如何なる境遇であろうと。生と死は共通に訪れる」(当方の言葉)
国。民族。宗教。貧富の差。ありとあらゆる違いがあれど。我々が人類である限り『産まれ。そして死ぬ』如何なる人物であれ。その二点は絶対に平等で。
死が唐突に訪れる場合だって幾らでもあるけれど。死を意識して迎えなければいけない場合だって幾らでもある。果たして自分はどちらに分類されるのか。それは皮肉にも直前まで分からないけれど。
「誰にも言わないでくれ。正直…怖いんだ」ラッキーのそのセリフに。登場人物の女性と全く同じ表情を浮かべた当方。だって。誰がそれに対して明確な答えを持っているというのか。とはいえ。
ラッキーの最後。どういう終わりになるのかは分からないけれど、ラッキーが寂しくないように。傍に寄り添えたら。ちょっと憎たらしい事を言いながら。ラッキーには瞼を閉じて欲しい。
けれど。
最後。あの誕生日会の後。ひたすらに乾いた大地と、大きく伸びるサボテンを見上げたラッキー。それが俳優ハリー・ディーン・スタントンの表情そのままで。
「この答えを、お前なんかがまだ出せるか。」
気難しい現実主義者、ラッキーことハリー・ディーン・スタントンは笑顔を見せた後。すたすたと
画面の奥に歩き出してしまいました。
映画部活動報告「グッバイ・シングル」
「グッバイ・シングル」観ました。
韓国。トップ女優ジュヨン。
実力派俳優としての評価はありつつも、常に誰かと浮名を流し。如何せんお騒がせ女優枠の彼女。けれど。
いつまでもそのままでは居られない。何しろ彼女、御年39歳。
徐々に人気も低迷。加えてゴールインすると過信していた19歳の彼氏(‼)に浮気され。崖っぷち。
そこで彼女の下した決断「私だけの味方が欲しい!」「私、母になる!」
生涯の味方が欲しいと。呆れる周囲の声を振り切り、単身知り合いの産婦人科を受診。そこで告げられる、悲しい事実。
その帰り。エレベーターでたまたま居合わせた女子中学生タンジ。
望まぬ妊娠をしてしまい。けれど…堕胎に揺れるタンジと知り合ったジュヨンの選択。
「その子供。私が育てるわ」
タンジと金銭で合意。そして「胎教の為には声を聴かせてあげて」とタンジが望んだ事で。大女優と女子中学生の同居生活が始まった。
この作品の最大級の魅力。主人公ジュヨンを演じたキム・ヘス。
当方は恥ずかしながら未見ですが『10人の泥棒たち』で有名。そして彼女を称する『韓国映画界随一の美魔女』というフレーズ。
「??」と思い、調べましたが…『キム・ヘス47歳』のプロフィールに瞳孔が開いた当方。ホンマに?ホンマにあのボディ?47歳で?
「乳は正義」「まっこと憎たらしい乳よ(まさかの土佐弁)」もう…乳派の当方が涙目無言でうんうんと頷いてしまう、そんな巨乳。そして絵にかいたような『ボン・キュッツ・ボン』なナイスバディ。
自宅でのくつろぐTシャツ姿も愛らしいけれど、『THE大女優』然としたフォルムの彼女の貫禄。あんな派手な衣装に全く負けない、そんな迫力。
体の話が先行しましたが。実際に『ベテラン手練れ俳優』であるキム・ヘスの超安定感のある演技。もう余裕すら感じる『落ち目になありつつある大女優』。楽しすぎて。
主人公ジュヨン。実力派俳優であるけれど。性格はおバカでお調子者。そして…真っすぐな人物。憎めない。
「私の生涯の味方が欲しい」そうやって産婦人科に受診。たまたま出会った女子中学生と「子供が生まれたら私が育てる」と大金払って勝手に里親契約。
「いやいや子供ってそういうもんじゃないし」「お前靴を買う感覚で言ってるだろ」所属事務所の面々は散々振り回され。
未成年。望まない妊娠。子供を金で買う。シングルマザー。社会の支援。結構シビアな題材を扱っているのに。終始ワクワクしながら楽しく観ていられるのは、ひとえに主人公ジュヨンの明るさ、真っすぐさ故。
作中。妊娠した女子中学生タンジに対して、やっぱり「若いのに」「恥ずかしくないの」という声が上がっているシーン、ありましたが。「何が恥ずかしいのよ!」「ただ早熟だっただけよ!」委縮して泣くタンジの肩を抱いてはっきり声を上げるジョユン。素晴らしい。
(そして案の定、そういう事を言うのが同性…同じ中学生の母親とかなんですね。じゃああんたは何をして子供を産んだんだ。頭固いな)
タンジ。絵を描く事が好きで『全国絵画コンクール』に推薦される実力の持ち主。
妊娠が分かって。けれど相手はきちんと向き合ってくれなくて。
堕胎のリミットだと、意を決して訪れた産婦人科。怖い。そんな時出会った大女優。
「中絶なんて駄目よ。産んだらいいじゃない。私が育てるから」
姉と二人暮らしだけれど。貧しくて。しかも姉は出来立ての彼氏に夢中。家にも居場所が無くて。そんな時に現れた金づる。
「このお金で高校に行きたい」(切ない…)
互いに利害関係を有したきっかけ。けれど、一緒に暮らすうちに芽生えてくる信頼関係。
「でもそれで一気にゴールには向かわないんよな」
『独身スター俳優、妊娠』かつての恋人(19歳)に当て付ける為の発表。勿論世間は大騒ぎ。
初めこそ大慌てした所属事務所(また、所属タレントは彼女一人?という小さなプロダクション)。けれど。その発表を受け。まさかの『妊婦枠』で新しいオファー殺到。起死回生がやってきた。浮かれるジュヨンと所属事務所の面々。
けれど。皮肉にもジュヨンが忙しくなる事で、次第にタンジと距離が出ててしまう。
ジュヨンの幼馴染で専属スタイリスト。ピョング。
「マ・ドンソク‼」去年の『新感染』の記憶も新しい、「あの腕にガムテープ巻いて。素手でゾンビに立ち向かった漢な‼!」ムキムキマッチョのボディを今回も余す事無く見せながらも。『NY帰りの敏腕スタイリスト』という何の説得力も無い役を。可愛く演じておられました。
(とは言え。毎度『主人公喰い』のインパクトを誇ったマブリー兄さんも。今回は流石に主人公キム・ヘスが強い。きちんと脇役に徹しておられました)
子沢山のお父さんという側面も持つピョング。破天荒なジュヨンを支えながらも、きちんと『ひとりぼっちになりそうな女子中学生妊婦』にも気を使える。
「これ。大体のサイズで作った」女子中学生に送った『マタニティドレス』当方の中の女子が悶死した瞬間。
ちょっと真面目に。韓国の事情は分かりませんが。
「例えば。日本で学生が妊娠したら」「即退学or堕胎の流れ」「何故かというと…妊娠した者が親になれない事が多いからだ」
でも…少子高齢化が叫ばれる昨今。どうして子供は生まれないのか。
一概にこれ!とは言えず。とは言え当方も「一族の末裔」となりそうな塩梅なので…もごもごしてしまいますが。
「無理矢理伴侶を得て。子孫繁栄を望む時代では無くなった」という事なのか。自由恋愛思想のなれの果てか。
愛し愛されて。その相手と生涯を共にする。そしてそんな相手との間に生まれた子供を大切に育てる。その思想、全面支持しますが…けれど「それ‼どうしても‼何が何でも得たい!!」とは思わない。
自分の人生。その満たされるポイントは各人違う。万が一人様から見て『一生一人で暮らしましたとさ』となったとしても、自身が満足しているのならば構わない。幸せのバロメーターの多様化。
『誰かとつがいになり。そして子孫を残す』という事が決して幸せの全てでは無い。
…と思う反面。『誰かとつがいになり。そして子孫を残す』という思想を決して否定している訳ではない。
そして。もし目の前で『若さゆえ』数多ある可能性が捨てられる状態を見たとしたら…。
「子供が出来たから諦めないといけない」大人だって、そういう側面はありますが。
ましてやこの作品では中学生。彼女が出産を決意する事に依って諦めないといけない事、覚悟しないといけない事は余りに多く。そして相手の男子学生には余りに少ない。
そんな中で。確実な金銭的優遇者のフォローアップ。頼もしすぎる。
「決して安易な性交渉とか避妊しろ云々とか。そんな説教臭い事は言ってない。ただ…社会が…こうやってあっけらかんと包んでくれたら随分救われる者もいるだろう」
こんな深読みも出来るのに。本編はあくまでも突き抜けた陽気さ。素晴らしい。
「セレブな時。全然地に足ついていなかったジュヨンが。最後愛し愛される仲間に囲まれて『誰も強制されていない』食卓をワイワイ囲んでいる姿」「そして可愛い『韓国一誠実な男性」
最終。染々。「この子は良い子に育つよ」
こんなに皆に愛されているんやから。
最後の最後まで。全部ひっくるめて好き。そんな可愛くて面白くて…実は深い…。
ああ。また。韓国映画のノンジャンル感。果てしないです。
映画部活動報告「パシフィック・リム/アップライジング」
「パシフィック・リム/アップライジング」観ました。
2013年。ギレルモ・デル・トロ監督作品。『パシフィック・リム』公開。
日本の『特撮・怪獣・ロボット文化』にリスペクトしまくった監督に依る、海を越えた一代オタク映画。
「アメ公に何が分かるか」そう言って鼻で笑っていたくせに。いざ上映されてみると日本の一部成人男性達はこぞって称賛、絶賛の嵐。
当方の属する、たった二人の映画部でも。折に触れ『パシリム談義』にうっとりしていた映画部部長。その度「デルトロは『パンズ・ラビリンス』も良いんですがね」と地味に返し続けた当方。
「2013年。奴らは現れた。始めはサンフランシスコ。そしてメキシコ。カナダ…。奴らの前に我々人類はなすすべもなく。しかし。人類は力を合わせ。『PODC:環太平洋防衛軍』を設立。『イェーガー』という巨大ロボットを作成。
二人のパイロットの神経同期システムを通じて、互いの脳がシンクロすればするほどイェーガーの威力は増大。
人類の叡智。『イェーガー』VS『(奴らこと)KAIJYU』。
辛く厳しい日々を経て。遂に2025年。人類は『KAIJYU』との戦争を終結させた。」
「おかしくないですか?二人ってなんて効率の悪い…で結局ロボットと怪獣の奴、取っ組み合いの喧嘩でしたよ。イェーガーなんてタンカー引きずってバットよろしく怪獣を殴ってましたけれど‼」
「いいの!イェーガーの動力は放射能系なんやから、むやみに力使ったらあかんの!!」
正直。前作だって全然納得していなかった当方。「何でそんなに神格化してんの」
ただ。2013年当時、デルトロと同じ嗜好のオタク系男性が非常に飢えていたのは理解出来て。だからこその大歓迎。「ありがとう!デルトロ!」諸手の歓迎。
2018年4月13日。金曜日。仕事終わりに初日の『パシフィック・リム/アップライジング』を鑑賞。翌14日土曜日。「観ましたよ」とだけ映画部部長にメールした当方。そして。
「前作に比べると今ひとつ感はあるけれど、ギリギリ及第点かな」(原文ママ)
映画部部長の返答を見て。今年度始まって最大級の冷酷な表情を浮かべた当方。
「アホうなB級作品に成り下がったものよ!!」
例えば。唐突ですが日本人にとってのカップ麺(ラーメン部門)ヒエラルキーのトップって、『カップヌードル』『チキンラーメン』(日清)じゃないですか。あくまでもスタンダードという意味で。
数多の派生ヌードルが出ようとも、王道はその二つ。
そう刷り込まれている日本人に超デブメキシカンが「俺もヌードル分かるぜえ~」「NIPPONヌードルの美味いの、分かるぜえ~」とニヤニヤしながら言って来たら。笑うじゃないですか。「お前ポテトとかの文化やろ!」と。
そうしたら。まさかのメキシカンが『長崎ちゃんぽん』(マルタイ)を繰り出してきた時の衝撃。
(当方はこの『長崎ちゃんぽん』がマイベストカップ麺です)
「お前!侮れんな!」震える日本人。「この美味さが分かるの!お前!」
そうなると期待して。次の美味いのを言うのを待ってしまう。そして…時が流れるに連れ、不安が過っていく。
「おい…デブのメキシカンが去っていくぜ…」「大丈夫か…」けれど。どこかで期待したい。「『チャルメラ』(明星)か『サッポロ一番』(サンヨー食品)か?」なんて。
そして。5年の時を経て。デブのメキシカンの後継者がおもむろに口にしたのは…「『金ちゃんヌードル』(徳島製粉)‼!」。
絶叫。
(今回調べて知ったんですが。『金ちゃんヌードル』って関東では流通していないんですか?不憫な…こちらでは100均でも置いているオールドメジャー商品なんですが)
一体当方は延々と何を書いているのか分からなくなってしまいましたが。兎も角前作は『日本人の超王道に敬意を表しつつ、そこには踏み込まずツウぶった所を鋭く突いた作品』という評価だったのだと思ったんですよ。そして続編である今回は『確かに老舗ではあるけれどキッチュでチープなおやつ路線に転じた』という印象。
(こう書くとややこしいのですが。『金ちゃんヌードル』を愛している人たちも一定数居られますよ。まずい訳じゃないし)
「でも。結局カップ麺って。ジャンクフードなんだぜ」静かに締める当方。
続編の今作。文句を言いたい所は一杯ある。実際そこから映画部長に堰を切ったようにメールした当方。
「これは続編じゃなくて、スピンオフだ」「これならパシリムじゃなくてええやん」「ロボット対ロボットの時間が長い。怪獣の時間がオマケ過ぎる」「有事に訓練生出動って。PPDCには他に現役パイロットは居らんのかね」「イェーガーって突貫工事で修理出来るもんなんかね」「何やねん中国」当方の勢い、止められず。
『イェーガー VS KAIJYU』戦争終結から10年後が舞台。
最早イェーガーは必要か?そんな声も聞こえていたが。新たな敵はKAIJYUではなく謎の黒いイェーガー。まさかの人類を守るはずのイェーガー同士の争いが勃発。
一体反乱したイェーガーは何者に操られているのか?そして遂に…奴らが…再び現れる。
前作で叩かれた「暗くて見えないよ!」「もっとイェーガーを見ていたいよ!」その声、大切にしたんですね。白昼堂々動くイェーガーを沢山見れましたけれど。操縦しているパイロットが最後まで誰が誰か分からなかったです。
真剣佑。「教官が来た!」以外発声していましたかね?似たような顔をした訓練生が色々言っていたように思ったんですが。あれが真剣佑やったんですか?当方の目は新たなキャラクターを産んだんでしょうか。もう何しろ訓練生に思い入れが無くて。
マコ・森に関してはあの扱いで納得。ニュートンも…まあ致し方ない。でもそうなるとハーマン博士が可哀想。
「最終決戦は日本!」予告編でも言ってましたが。思っていた以上に最後NIPPONが舞台でした。
「東シナ海云々」の下りから「やめろやめろやめろ」と思っていた当方。「マウントフジ」に不覚にも映画館で笑ってしまいました。世界中他にでかい活火山、あるやろう。
そして『大怪獣東京に現る』。「どこだよこのTOKYO」「ああ。2020年にはオリンピックだって開かれたTOKYOが…」「TOKYOの電車はこんな有事にも動いている。だってあれ、『無人在来線爆弾』やからな」富士山とKAIJYU、イエーガーというとびっきりのおバカ映像に芯から痺れる当方。
「まあ。真剣に突っ込むとしたら。現地に行かずともシンクロ出来るのならば、そのチャイナ女社長じゃなくてもっと統制部がシンクロするべきやし…そもそも全イェーガーをそういう仕様にするべきやろう」
散々こき下ろしてしまいましたが。当方は『特撮・怪獣・ロボット文化』に精通している訳ではありませんので。「これがセオリーなんだよ!」と言われたら…もごもご言いながら不服な顔をして黙るばかり。ただ。
今日。職場で。「監督も変わっているんやったら…映画館で観るべきかDVD出るのを待とうかどうしようかと思っている」というご意見に対しての当方の返答。
「映画館でやっているのだから映画館で観るべきです。やっている事は金ちゃんヌードルですが。振り切って観れば楽しめます。」
以上。迷っているのならば、その目で観るべきだと思います。…面白いですから。
映画部活動報告「ラブレス」
「ラブレス」観ました。
ロシア。アンドレイ・ズビャギャンツェフ監督作品。
一流企業に努める夫と美容サロンを経営する妻。12歳の一人息子。
所謂富裕層。ハイソなマンションで暮らすその家族。一家離散寸前。
夫婦は互いに現在のパートナーに愛想を尽かし。そして互いに新しい恋人が居て。
離婚する事も決まっている。今家族で住んでいるマンションも売却の手続きが着実に進んでいる。
一刻も早く新しい生活に進みたい。こんな所に居たくない。最早一ミリも愛着など持てない生活は苛々する事ばかり。
そんな二人は一人息子を押し付け合い。
「母親が面倒を見るべきだ」「年頃なんだから父親が必要よ」「愛せない」扉を挟んで当の本人が居るにも関わらず大声で怒鳴り合い。声を殺して泣く息子。
ある日。唐突に息子が姿を消した。
学校へ行くと家を出たまま。帰ってこなかった息子。
夫婦はボランティアの助けも借りながら、息子を探し始める。
「寒い…あまりにもラブがレスしすぎて寒い…」
映画館で震える当方。ロシアというお国柄(?)雪のシーンも相まってまた寒い。
これがもう…黙り込んでしまう位「胸悪う~」という作品なんですよ。(褒めています)
ハイソな夫婦。周りの人間には人当りも悪くない。けれど。
「かつては愛し合っていたんでしょうが…」当方溜息。愛想を尽かした相手。そんな相手にならここまで酷い言葉を投げつけ合えるものなのか。
特に当方が嫌いだったのは妻。
男女関わらずヒステリックな人物に嫌悪感を覚える当方としては、何かとキレて大声出すあの妻…嫌過ぎる。
しかも「あの子が出来たからあんたと結婚する羽目になったのよ」「堕せば良かった」「あんな子愛せない」酷い。
そして「私は母親から逃げ出したかっただけよ。誰でも良かった」
息子が失踪した後。妻の実家に行くんですが。もう出てきた祖母が『年寄りの可愛さ』なんて微塵も持ち合わせていない人物。はっきり言ってクソババア。(汚い言葉)
あの母親と暮らす日々。確かに発狂しかねない苦行だと思いますが。ますが…「あんた。その『母親』そっくりやで」妻の姿に思わず突っ込んでしまった当方。
また。毎度言い返す訳では無いけれど。ムスっとした態度を取り続ける夫。
新しい恋人の間には新しい命が宿っていて。彼女は若くて自分を頼りにしてくれている。
今の妻との生活はもううんざり。いつだって不機嫌で当たり散らしてきて。俺は疲れているんだぞ。こんな日々、もうとっとと終わりたい。なのに。
息子を押し付けてこようとする妻。息子はお前がみるべきだろうが。俺には新しい家族が出来るんだぞ。
普通、子供の失踪って。そして夫婦で子供を探す話って。壊れた夫婦関係を見直したり…下手したら関係修復されたりという展開がデフォルトに思うじゃないですか。けれど。
全く。二人の失われたラブは全く修復などされず。ただただ冷え切った感情をぶつけ合うばかり。
「まあ。ある意味リアルだと言える」震えながら。そう思う当方。
新しい恋人に愛されたい。「貴方を知って初めて愛を知った」運命の人だと。いつだって会えば互いを求め合って。大切にされている。幸せ。これが自分が求めていた幸せ。
セックスレスな熟年夫婦。慣れ合いで惰性の日々。このまま枯れていくのかな~なんて思っていた時に新しい異性に出会って。久しぶりのときめき。
早くに出来ちゃった結婚をしてしまって現在に至っていたけれど、そうかまだ自分は恋愛に対して現役だったんだと。そうなると今までの使い古したパートナーは鬱陶しいし顔も見たくない。そして二人を縛り付けてた息子も邪魔でしかない。
新しい恋人となら上手くやっていける。
愛されたい愛されたい愛されたい。
「じゃあ何故息子を探すんだ」
終始身勝手で憎たらしい態度を取り続けた夫婦が。最終見せたあの姿。
状況的には一切救われていないのに何故かほっとした当方。
だって。12歳の息子と過ごした日々がずっとこういう感じでは無かった…はずだから。
かつては愛し合い。だから子供にも恵まれた。一緒に住んでいたマンションで。笑顔で食卓を囲んだ日だってあったはず。
ラブが。失われたように見えたラブが。少しは生きていた。そう見えて。
「今ここにある幸せがどうして見えなくなっていくのだろう」
新しい家族。そこで見せる二人の表情に。「また同じ事をするんやろうな」としか思えず。「学べよ!」もう数え切れない程の溜息で酸欠状態…の作品でした。
映画部活動報告「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」
「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」観ました。
第90回米アカデミー賞。ゲイリー・オールドマン主演男優賞受賞。辻一弘メイクアップ賞受賞作品。
1940年5月。第二次世界大戦。イケイケのドイツナチス軍に、ヨーロッパが大打撃を受けていた時。
ベルセルク三国陥落。幾つもの国がナチスに主導権を奪われる中。
フランス・イギリス連合軍も追い詰められ。フランス陥落の窮地。所謂『ダンケルクの闘い』
そんな中『戦時内閣首相』として指名された、ウィンストン・チャーチル。
平時では『イギリスの災難』と揶揄された嫌われ者。そんな彼が『最も偉大なリーダー』と呼ばれるに至ったのは。
彼が就任した1940年5月10日~4週間ほどの日々を描いた作品。
あらかじめ予防線を張らせて頂きますが。
当方は恥ずかしながら無学なもので。後付けで資料も読みましたが、如何せん付け焼刃な知識故。恥ずかしい事も書いてしまうと思います。
「お前…それ。違うぞ」と思ったとして。その言葉は胸にしまって…ぬるい感じで読んで頂けると幸いです。
この作品に於いて。先述した、役者や裏方スタッフの功績。確かに観ていて「凄いな。特殊メイクってここまできているのか。いつものゲイリー・オールドマンの面影全然ないやん」「そしてこの喋り方。振舞い。全然いつものゲイリー・オールドマンじゃない」とは思いましたが。
彼等が大きな舞台で仕事ぶりを評価されたのは素晴らしい。けれど。
この作品をそういう視点で観るのはナンセンス。何故なら彼らはあくまでも作品の世界観を演出するために各々の仕事を全うした。それだけだから。
「またまた~。何を偏屈な」と言われてしまいそうで。上手く言えませんが。
『イギリスの名宰相』それを最大限表現するために。彼らが各々の持ち場で最高のクオリティを発揮。技術だけじゃない。それを最大限提供した心意気。それが評価されたのだと。そう思った当方。
(お気付きでしょうが。当方は今現在酔っています。自分にではありませんよ。酒にです…いつもの事ですが)
ヨーロッパ大陸最大の窮地。数多の国がナチスの手に墜ち。仲間のフランスも陥落寸前。世界のジャイアンアメリカだって、全然助けてくれる気配なんかない。そんな誰も仲間が居ない。イギリス。泥船状態。
前政権は「ナチス舐めすぎ。危機管理能力なし」と叩き潰された。そんな荒れた国会で。「野党にも一応話が出来る」と。与党の中で渋々次期首相として指名されたチャーチル。
「え~。チャーチルって…」当時の国王ジョージ6世もドン引き。けれど。
「若さは無いけれど」言葉の魔術師、チャーチル始動。
当方の近くにいる教育者が、常々言っていた言葉。「日本の戦後教育で成功したのは『戦争は悪だ』という認識の刷り込みだ」
この教育者は、聡明であり左右の偏った思想はありません。そして御多分に漏れず当方も「駄目 絶対」という戦争=悪の構図は叩き込まれている。
日常で生死をおびやかされる事態。そんな体験はこれまでの半生で終ぞありませんでしたし「殺される」も「殺してやる」も切羽詰った感情としてこれまで有した事は無い。
例えば竹やり持たされて「あいつを殺してこい」なんて指令、絶対受けたくないし不毛だとしか思えない。そこまで誰かを憎むような思想も、守らなければならないものも無い。命は地球より重い。そういう考え方が当方にはあります。ですが。
「どうして戦争は起きたのか」「当時の人たちは戦争をどう受け止めていたのか」
当方の中でずっとくすぶっていた疑問。
だって。きちんと社会科の日本歴史授業で教わった覚え、ありますか。一学期に縄文時代だの弥生時代だの貝塚から始まって。最終三学期文明開化から急に時間切れ。駆け足で過ぎ去った現代史の授業。説明不足。
たった二、三世代前の人々が。今と全く違う考え方をしていたとは思えない。誰にだってかけがえのない、平凡な日々があって。戦争とは目の前の日常が奪われる有事。
確かに普通の人にはそれをどうこうする力は無かったのかもしれない。けれど。
「どうやって戦争という日常に対して折り合いを付けていたのか」
「折り合いなんて付けてないよ!」そういうお怒りの声が上がりそうですが。ですが。
戦争があったという事実。それを後付けの「あれはいけない事でした」で塗り固めるのではなく。かさぶたはいで。ちゃんと見たい。実際どういう風に当時の人たちは思っていたのか。
戦後教育。最早戦後生まればかりの世代で埋め尽くされる中。ただただ「過ちは繰り返しませんから」ではなく。きちんと実際の当時の人たちの想いを知りたい。彼らがどうその時代を感じ。生きたのか。
そこから「戦争も致し方ないな」とは思わない…はず。何しろ我々には『戦争は悪だ』という認識が植え付けられているのだから。(あくまでも日本の話ですが)
文字通り窮地に立たされていたイギリス。実際にナチスとの和平交渉のカードもちらつかされていた。「あくまでもイギリスが主権を握れるのなら…」そう切り出したいけれど。ムッソリーニが相手?「お話しなさいよ~」とイギリスに声を掛けてくる国も。最早ナチスの傀儡。信用出来ない。
「和平か徹底抗戦か」究極の選択を強いられる中。国会の閣僚内では「和平で行こうぜ~」「どれだけの命が奪われると思ってるんだ」「俺なら話付けられるぜえ~」と戦わない姿勢。けれど。
冒頭の就任の挨拶から。「徹底抗戦する」というスタンスを突きつけたチャーチル。
けれど。
圧倒的不利な現実。フランス・イギリス連合軍はドイツに追い詰められ。海岸線はほぼナチスが制圧。連合軍はダンケルクで息の根を止められるの待ち。それを食い止めようとした部隊は全滅。フランスは大打撃を認識しており「もう…ええやん…」と朽ちていこうとしている。
そんな中。あくまでも「フランスの一部がやられているけれど。俺らはまだまだやれるぜ!」と国民の士気を上げようとするチャーチル。内情を知るものからは「嘘を言うな」と怒られ。
確かに人命程尊いものはない。勝ち目の無い戦。そして「俺が上手く言うって」という和平交渉派。多勢に無勢。
「間違っているのかな」雨に打たれ。夜の空を見上げるチャーチル。
けれど。その夜、チャーチルの元を訪れた国王。「民の声を聞け」まさかの国王からのアドバイス。そして。あの地下鉄のシーン。
あの展開は…どこまで史実に従ったのか疑ってしまいましたが。とはいえあそこからの怒涛の畳みかけに。圧倒された当方。
「イギリスがナチスの傀儡になってもいいのか」「バッキンガム宮殿やこの国会議事堂に鍵十字の旗がはためいてもいいのか」
「我々はファシズムには負けない」
「私が一瞬でも交渉や降伏を考え出した時は。私をこの席から引きずり下ろせ」
「そうか。戦争ってそういう事やな」ぽつりとつぶやいた当方。
各国。各々の状況も思想も国民性も違う。違った。けれど。何となくそう感じた当方。
戦争が始まれば、命は沢山奪われる。それは十分承知。けれど。それを引き換えにしても譲れない思想。信念。曲げられないプライド。
「戦争で負けるより。戦わずに自己の信念を曲げた方が取返しが付かない(言い回しうろ覚え)」
その考え方に賛否があるのは当然。後からは何とでも言える。結局、5年もの歳月を経てナチスに勝利したという結果ありきかもしれない。でもそれは。たらればでしかない。これが実際に起きた『ダンケルク・スピリット』。
「間違った事をしたくない」「黙って飲み込みたくない」「だから絶対に諦めない」
その正義のバロメーターは個人差があるけれど。例え負けたとして「俺は正しい事をした」それだけで。胸を張って生きられる。
「ただ。当方はイギリス人ではありませんので」
考え方は理解できる。けれど。果たして現代でこうした事が起きた時。どうすれは血を見ない解決が出来るのか。
『戦争=悪』の思想を持つ当方は、ああでもないこうでもないと考えては、溜息を付くばかりです。
映画部活動報告「メイド・イン・ホンコン/香港製造」
「メイド・イン・ホンコン/香港製造」観ました。
1997年公開の名作香港映画。中国返還20周年の去年「4Kレストア・デジタルリマスター版」にて蘇った。
「ああ。1997年て。こういう感じやった」
90年代後半。この作品の登場人物達と正に同じ年代であった当方。観ていて…お国は違えど、しみじみ押し寄せたノスタルジア感。
(この雰囲気でこの時代に『リバーズ・エッジ』が作られていたら…名作だったと思います。余談ですが)
1997年。香港。中学を中退し、借金取りを手伝う主人公チャウ。母親と二人暮らし。知的障害のある、街で何かといじめられる姿を見かけるロンを弟分とし、街の底辺をブイブイ言わせながら暮らしていた。
ある日。いつもの通り借金返済の催促の為に訪れた家で、チャウとロンはベリーショートの少女ペンと出会う。
惹かれ合うチャウとペン。けれどペンは重度の腎臓病を患っていて。
時を同じくして。飛び降り自殺をした女子高生の遺書をたまたま手にしてしまったロン。
家族を捨てた父親。親の造った借金。いじめ。嵌りこんでいく闇組織。限りある若さ。
非常に荒削りな作品。おかしな所も沢山あって。観ていて気恥ずかしくて…堪らない。
THE90年代野島伸司的ティーンエイジャー。
勢いで突っ走る主人公と、過剰な刹那。全世界中に流れた90年代という世紀末背景。
ましてや中国返還期というごたまぜの香港。気取られない、恰好を付けられない。街だって全然綺麗じゃない。こういう今にも崩れそうな、危うさが魅力な街だった。
当方はまだまだ子供だったし、映像でしか見られなかったけれど。この変換間際の香港の危うさと不衛生さと猥雑さ…ぞくぞくするほど魅力的に見えた。
主人公チャウ。父親は外に家庭を作り。母親と二人暮らし。THE貧乏で学業も振るわず中学を中退。街のゴロツキとして現在に至る…けれど。
知的障害があって。はっきり言ってどんくさいロン。そこいらの学生たちに絡まれ、いじめられていたロンを舎弟にし、結構きちんと面倒を見る律義な性格。
「何だかんだ底辺に身を置いているようで、(あくまでも個人的な)正義感に満ちた性格の持ち主。面倒見も良いし…所謂ええ奴」なんですね。
ビジュアルも…「ああ。こういう腰履きあったわ~」「このぴったぴたの古着シャツスタイリング。当方もしておりました」悶える当方。
…ところで。ビジュアル問題ついでに一気に語って良いですかね?
「ペン。厚底シューズ!懐かしい~」「ロンのロン毛とスタイリング。THE90年代男子」「主人公チャウのいしだ壱成感」(主人公チャウ役のサム・リー。『ピン★ポン』のチャイナやんか‼高まる当方)
いしだ壱成。何だか昨今おかしな事になっていますが。1997年の頃のいしだ壱成の勢い。当方は忘れませんよ。いしだ壱成、武田真治の二大カッコいい巨頭。そして奥菜恵の美少女感。ともさかりえのどこにでもでてくる感じ。広末涼子はもう少しだけ後。内田有紀はちょっと前。そんな時代。甘酸っぱい。
閑話休題。
自身にくすぶる正義感も持ち合わせながら。けれど俺は所詮街のゴロツキだと、チャラチャラ過ごす日々。そして。ある取り立て相手の家で見かけた少女ペン。
「前髪だけ染めるベリーショートって。池乃めだか師匠しかおらんがな」と突っ込んでしまう当方はさておいて。段々可愛く見えてくるペン。
「借金をチャラにするついでに私とセックスして」「処女なんだから」まさかのチャウの家に単身訪れるペン。戸惑うけれど。満更でも無くて。
また…ペンの家もチャウの家のも「同じ団地か?」と錯覚してしまう位似たような小汚い老朽化の進んだ団地。セックスするも何も、色んな生活音が溢れすぎて…出来る訳なんて無い。結局、作中に見せている範囲に置いては清らかで互いの想いは通じている関係で進んでいく…。最早汚れちまった当方には考えられない純愛。
また、「ペンは重度の腎臓病」という唐突な設定。腹膜透析をしているがコントロール不良で、腎臓移植しか根治出来る見込みはないと。
「いやいやいや~。流石に1990年代後半と言えども~」とツッコミそうになるのをぐっと押さえて。終末期へまっしぐらなペン。そして沈むチャウ。そこからの転落は止まらず。
どうしてこうなった?どうして誰もがこんなに刹那に散っていく。どんどん畳みかけていく、怒涛の大風呂敷折り畳み展開。ただただ溜息の当方。
この作品内最後に流れる毛沢東のスピーチ。
「世界は君たちのもの。そして私たちのもの。しかし最終的には君たちのものだ。」「君たち若者は気力旺盛で活気に満ち溢れている」「まるで朝8時の太陽の様だ。」「私たちの希望を君たちに託したい」
何という空虚な…。
この作品のもう一つのストーリー。飛び降り自殺した女子高生。彼女の残した遺書を片手に。彼女が宛てた相手に会いに行くチャウ。ペン。ロン。
正直「そこ、もうちょっと深めても…」と思わなくは無かったですけれど。
亡くなった彼女が眠るとされる、広大な墓地で。彼女を探す3人。印象的なシーン。
そして。最後。結局誰も守れなかったチャウが、約束とは違うけれど穏やかに生を終える。
「どうして若者が自由に満ち溢れていると決めつける」「どうして彼等に明るい未来しか無いと言い切れる」「時代に取り残され。乗り越えられずに散っていった。そういうものがいる」
「けれど。彼らは永久に美しい」
『メイド・イン・ホンコン/香港製造』秀逸なタイトル。
ノスタルジア系アジア映画に外れなし。これからも漏れなく観ていきたい所存です。
映画部活動報告「ヴァレリアン 千の惑星の救世主」
「ヴァレリアン 千の惑星の救世主」観ました。
フランスの同名漫画の映画化。リュック・ベッソン監督作品。
2740年の宇宙。『千の惑星都市』アルファステーション。
銀河をパトロールする連邦捜査ヷレリアンとパートナーローレリーヌ。組織からの指令で、ある惑星からとある『コンバータ』を捕獲した二人。それをアルファステーションに持ち帰ったけれど。
不穏な噂。上官の誘拐。アルファステーションの歴史と陰謀。そして『コンバータ』との関連性。
「すっごい説明がしにくい映画やな…」溜息を付く当方。どういう切り口で行けばいいのか分からなくて。(初めにお断りしますが。今回は薄っぺらい感想文になると思います)
「ともあれ。当方がこの作品をめっちゃ楽しんだという事は間違いない」
製作費200億円の噂もさながら。リュック・ベッソン監督がやりたい事を目一杯詰め込んだんだろうと。誰よりも監督自身が楽しんだんだろうなと。そう思いました。と言うのも。
「何これ。この映像美。そして途切れる事の無い、多種多様なエイリアン。無駄としか思えないシーンも全力疾走な感じ」
主役ヴァレリアンを演じたデイン・デハーン。
「あんた!『クロニクル』のあいつか!」胸が一杯になる当方。「『AKIRA』をほぼ下敷きにした作品。男子高校生がとあるきっかけで超能力を得て。始めこそはしゃいでいたけれど…ダークサイドに墜ちてしまったあいつ…痛々しくて。全当方が泣いたあいつ…。」勝手ながら心配してしまった頭髪の衰退も水際で食い止められている!素晴らしい。
ヷレリアンの仕事上でのパートナーローレリーヌを演じたカーラ・デルヴィ―ニュ。
「『スーサイド・スクワット』のハーレクイーン。あの半分お尻出た短パン履いてたメンヘラか!そう思うと彼女本当に正統派美人なんやなあ~」
そんな美男美女の主人公二人。
『宇宙版/相棒』。の役回りだけれど。
「俺と結婚してくれ」「貴方の彼女リストには乗りたくないわ」仕事では優秀だけれど。どうやら名うてのプレイボーイ(古…)のヴァレリアン。隙あらばローレリーヌを口説いて。けれど口では断りながらも。満更じゃないローレリーヌ。
まあ。かつての火曜サスペンス劇場の船越英一郎と片平なぎさの様に。「いい年した男女が惹かれ合いながらも憎まれ口を言い合って事件に立ち向かう」みたいな事、やっているんですよ。(すみません。今更ですが、当方は火曜サスペンス劇場をまともに見た事はついぞありませんので。何となくの印象です)
数多ある銀河の惑星。
そこでは高度な知能を有する生物が平和に暮らしていた。彼らは真珠を生産できる生物を有していたが…。ある日打ち破られた静寂。自分たちの星が何者かに依って破壊され。
ネタバレしてしまいますが。一体その惑星の住民はどうなったのか。真珠を産み出す生物は?そして彼らの星は何故そんな目にあったのか…。そしてアルファステーションとの関係は?それがこの作品の鍵となっていく訳ですよ。これ以上は言いませんが。
この作品の圧倒的な画力。そして押し切っていく作品感。「うだうだとした説明は省くからな!勝手について来い!」と言わんばかり。けれどそれが気持ち良い。何より画から得られる情報が多すぎて。ワクワクするばかり。
『お馬鹿映画』そう言ってしまえばそれまでだけれど。こんな超B級をスクリーン一杯に贅沢に繰り広げられたら。嫌いになんてなれない。
「もう。当方のしょうもない話は置いといて。取りあえず映画館で観て欲しい」そうとしか言いようがないのですが。
「某大手映画館の残酷な扱いよ…」当方がこの作品を観たの、公開二日目ですよ?それが‼
「こんなに観にくいシアター5で!」「こんな狭い部屋で!」「当方(敢えての誤字)映画館はあほか!」心の中で静かに吠え。だって。朝10時半の回(2回転目。最近の映画館は朝が早すぎ。たまに7時台とかありますよ)で朝9時映画館に着いた当方が残席3をゲット。これって…結構楽しみにしている人が居たって事ですよ‼
しかも。この当方(敢えての誤字)映画館の中でも指折りの悪環境シアター5の!最前列一番左という『ほぼスクリーンの真横』という席。
「この白いエイリアンは横から見ているから頭の形が変なのか??」なんて思ってしまった当方!元々そういうビジュアルやんか!何かエイリアンが過剰な造形になって見えていた当方。腹立たしい!!(段々慣れてきましたが)
リアーナの下りも。「おお。ありがとう!リアーナ!」という演出。
(まさかここでイーサン・ホークとは)
公開当初からこじんまりとした扱い。これは絶対ひっそりと公開を終えるパターン。
「絶対観たら好きになるのに!全身の力を抜いて楽しめるのに!」
なのに如何せん。そこを押せるプレゼンは一切用意出来ない。これは悔しい限り。地団駄踏む当方。そして。
「一応当方は…続編が出た暁には映画館で観たいと思います。」