映画部活動報告「 砂の器」
午前十時の映画祭「 砂の器」観ました。
1974年公開。松竹、橋本プロダクション第一回提供作品。野村芳太郎監督。脚本橋本忍、山田洋次。
ベテラン刑事今西に丹波哲郎。相棒の若手刑事吉村に森田健作。新進気鋭の作曲家和賀に加藤剛。その他緒形拳、菅井きん、渥美清等のそうそうたるメンバーで渋く渋く染めた作品。
「ああ。これもまた何曜日かのロードショーとかで観たんやろうけれど。全然覚えていない作品」
当方の父親の本棚には松本清張と西村寿行が並んでいましたが…如何せん、あんまり食指が延びず。
恥ずかしながら。今更この映画を観に行きました。
もう42年前の作品なのか…そりゃあ、時代を感じるなんてもんじゃないな…ならば「何だよそれ!」という突っ込みは野暮という事を肝に銘じて。
一応、最終的なネタバレはしないで進めていきたいと思います。
6月。電車の操車場にて顔を潰された男性の死体が発見される。元々は身元不明であったその男。
彼と若い男性を前日酒場で見かけたという証言。
彼らの会話から「ズーズー弁でカメダと言っていた」というエピソードを得て、秋田県の亀田に刑事二人が調査に行く所から話は始まる。しかし捜査は空振り。
ほどなくして被害者の養子が現れ、身元が判明。全く東北とはゆかりが無かった被害者。まさかの中国四国地方出身者。
しかし「ズーズー弁と島根弁は似ている」という驚きの事実が判明。しかも島根に「亀嵩」という地域があると判明。向かう今西。
しかし、殺された被害者は全く人から恨まれる様な人物ではないと聞かされるばかり。
その間、にわかに信じられない勘と執念で吉村が新たな証拠を見つけ出す。
そして浮かび上がる、和賀という男。
一体被害者は何故殺されたのか。
和賀はどう関わっているのか。
和賀という男は、一体何者なのか。
てな事をやっていました。
「いやあ~。流石松本清張作品。そしておおらかな時代。警察がこんなに当てもない私見で電車で地方に行かせてくれているとは」
大体「カメダ」という地域名。流石にこの時代でも警察ならデータベースで調べられるでしょうが。て言うか地図を見なよ。伊能忠敬が日本地図を作り上げてどんだけ経っていると思っているんだ。
(ああ…やっぱり当方は突っ込みありきでしか話を進められません)
新聞で毎日連載されていた原作ではきちんと意味があったらしいのですが。正直「冒頭の秋田はいらんな~」と思ってしまった当方。
ただ、その超大作をあれこれとはしょり。「新事実が浮かぶ度にまた振り出しに戻る」という繰り返しを最小限にしたらしい映画版。
まあ…大変お疲れな体で行って、暖かい映画館に温められたら…ちょっと眠くなってしまいそうな前半の捜査編。
一応当方は寝たりはしませんでしたが。正直な話、ちょっとまったりしてしまいました。
なので「夏で暑いんなら、スーツのジャケットは何処かにしまっておいたら。肩に掛けたらしわしわになるし、いつか無くすぞ」「瓜美味そう~」「加藤剛の男前さよ」「血がいかにも絵の具」「そもそも酒場のお姉さんは、若い男とかズーズー弁なんてざっくりした事よりもっとはっきり相手が誰か分かるやろう」なんてぼんやりした事を考えてしまいました。
その後和賀という男に行きつき。彼の事を探っていく事になるんですが。
「いや…新聞の社説コラムからあのシャツに思考が行き着いて見事見付けるって。ちょっと考えられない奇跡やけれど…」
若くて情熱的な森田健作ならばそれが可能なんだと。モヤモヤするこちらの気持ちを押さえ込み。
和賀は一体何者なのか。彼の背景は?
一体どんな過去があったのか?
秋田。島根。その二つの地域が。40年以上経って、一体今どうなっているのか。
秋田のあの風景は、何となく今でもあんな感じなんだろうなと思いましたが。
「おそらく島根県亀嵩という地域はあんな田舎では無くなっているんやろうな」
あの映画のロケ地がそのままの地名なんでは無かったりするんでしょうが。
なんて。何故そんな事を思ったのかというと。
「大阪は今でも一緒だからだ。特にあの地域は」
新大阪駅が現在と全く変わらず。そして通天閣のある新世界。あそこは今でもまんまあの景色。(細かい事を言えば店とかは違うでしょうが)
「3月14日」と聞いて直ぐに「大阪大空襲か」とピンとくる当方。そしてその後の混乱で和賀が取ったどさくさの行動も「あるやろうなあ~」と思った当方。(これは地域差では無く。戦争という混乱した時代ならどこでもあったんじゃないかという話。そして余談ですが。大阪は戦争が終わる前日の8月14日にも空襲があったんですよ。そのたった一日の悲劇も悲しい話で聞いた事があります)
どう考えても怪しい和賀。しかし、彼と容疑者を繋ぐものがはっきりしない。(観ている側は何となくピンと来るエピソードが早くにありましたが)ただ、それがどうしてそうなるのかが弱い。そう思っていながら話は中盤を過ぎ。
そして、遂に和賀の新曲を引っさげたコンサートが行われる。そこで流れる新曲「宿命」
その協奏曲「宿命」に合わせ。捜査本部一同が集まる中「和賀の逮捕状を請求したい」と切り出す今西。そして明かされる和賀の過去と殺人に至る動機。
「ああ…そうくるのか」
種明かしまで一切語られる事が無かった、悲し過ぎるエピソード。流れる「宿命」
昔の日本映画は本当に冬が辛い。
厳しい親子の心情に寄り添いまくる雪景色。寒い。寒い。
(またも余談ですが。近年の日本映画で「雪景色が辛い」と心底震えたのは「北のカナリアたち」でした。あれはお話し事体はどうかと思いましたが、雪の冷たさ、景色と辛いエピソードに涙が出ました)
辛すぎる放浪の親子。
役者たちは殆ど無声で、流れるのは「宿命」の演奏。あの父親(加藤嘉)の演技に映画館でも鼻をすする音がどこかしらから聞こえ始め。少年の歪んだ表情と、時折演奏シーンにバックしてスクリーンに現れる、整いまくった加藤剛の顔。
「もうこのシーンだけで、くどくど語らなくても分かる」
圧倒され。
泣くとかでは無く、兎に角無言で見入っていた当方が。あの、加藤嘉の最後の姿にどっと涙が出て。
だって。だって。あの父親がどんな気持ちでああ言ったか。それを思うと…。
「午前十時の映画祭に外れなし。やっぱり名作を出してくる」胸が一杯で劇場を後にした当方。
後日。母親とたまたまこの「砂の器」の話になって。
「これ。京都の映画館で当時観に行ったわ。何かデラックスシートみたいなやつで」「昔の映画館って二階席とかあったもんなあ」
「これ、加藤剛がお父さんを殺してしまうやつやんな」「うん?全然違うで」
悲しいかな…。概ね内容は合っていましたが。
母親には近日中に改めて観てもらいたいと思います。