映画部活動報告「いまを生きる」
午前十時の映画祭「 いまを生きる」観ました。
1989年。ロビン・ウィリアムズ主演。
アメリカ。全寮制の男子校。国内屈指の進学校。
そこに通うハイスペックな生徒達。末は博士か大臣か。叩き込まれる知識。
それは「いい大学に入って高い地位を得るため」のカード。それが勉強。それが当たり前。
そこに現れた新任の国語教師。同じ学校を卒業したOB。所謂同胞なのに。
「詩を分類するな!感じろ!」教科書なんかには嵌まらない。破天荒な新任教師。
始めは戸惑っていたけれど。次第に自分のやりたいこと。自分の主張したいこと。
自我が芽生えていく生徒達。
でもそれは、決してわくわくする明るい事ばかりでは無くて。
ロビン・ウィリアムズ。イーサン・ホーク出演。その他もろもろ。
超名作に触れる機会。名前と何となくの流れは知っているけれど。テレビでも何曜日かのロードショーでやっていたんやけれど。あんまり覚えていない。
そんな作品を、まさかの映画館で観せてくれる。午前十時の映画祭は、本当にありがたい企画です。
この作品を、正直ふんわりとしか把握していなかった当方にとって。本当にこの作品を改めて映画館で魅せてくれた事に大変感謝します…ありがとうございました。
ロビン・ウィリアムズが好きなんですよ。
だから…。やっぱり2014年の悲劇には涙が押さえられなかったし…簡単な言葉であれこれ言いたくはないですが。
「あの優しい目がな…。」と感じた今作品。
新しく来た国語教師「俺の事はキャプテンと呼べ」飛ばしまくる初回授業。
「詩を系統するな!」「採点表に沿って評価するなんて…馬鹿か!」「言葉は感じろ!」
戸惑い。でもわくわくし始める生徒達。
だって。こんな授業をする先生はこれまで居なかった。
皆テキスト片手に。そこに載っている事を話し。その解釈を解説しているだけだった。
この先生は違う。自分の言葉で何かを伝えようとしている。何かを。テキストに載っていない何かを。
その単純なわくわく感。
そして、自分に何か特別な事を教えてくれているという、選民意識。秘密。
先生はこの地獄を体験し、サバイブした先輩。
そんな人が居た。こんなに閉塞した世界に自由を貫いた人が居た。
だから。きっと出来る。自分にも出来る。
こんなに閉じられた世界で。自分が輝ける何かを見つける事が。
そして輝ける自分になれる事が。
先生がかつて運営していた「死せる詩人の会」
その存在を知り。復活させる生徒達。詩を語り合う?そんなの毎回やれる訳がない。肝試しの怪談話。エロ。時には女子の出現にドキドキして。気まずくなって。
演劇に。恋に。自由に。外の世界は眩しくて。でも良いことばかりじゃない。寧ろみっともなくて、苦しいことばかりで。
上手くいく者も居れば、苦い失敗に終わる者も居る。取り返しの付かない事になる者も居る。
前半から中盤までの。明るくて眩しい…そしてお馬鹿な10代の少年達に。思わず笑いが起きていた劇場。
その空気がぐっと引き締まり、重たくなっていく後半。
あの少年の決断には、やっぱりがっかりした、残念だとしか言えなかった当方。
だって。だってその決断を下してしまったら。もう何の取り返しも付かないから。
10代できちんとこの作品と向き合えていたら、どう思うのだろうか。
これが仕方無いのだと。そう思ったのだろうか。
…というモラトリアムを語るべきなんでしょうかね?
年老いた当方ですが。10代の当方であったとしても、やっぱり同じ事を言ったと思います。
そもそも、本当にやりたい事ならばそれを拙くとも声には出せる。多分当方は出せる。
それを出せない彼をどうこう責めはしない。そこはいつか彼が越えるべき課題であって、弱いとかそういう決めつけは愚問。でも。
「その決断は馬鹿だ」
馬鹿ですよ。だって彼は…相手と分かり合える機会も、相手を切り離す勇気も、いつかは笑える時も永久に失ったんですからね。
「自分を貫く為に取る美学」
前述した少年が取った行為によって、計らずも破壊され。終息していく仲間達。
あの紙にサインをするのか?しないのか?サインをする事もしない事も、彼等にとって終わりを示し。
「そんなもんを突きつけてくる、憎たらしい大人よ」
当方は…格好を付ける訳ではありませんが。サインはしませんね。10代の頃を思い出すと尚更。
あのお調子者の。「テーブルに手を付いて屈みなさい」からの。まさかのオールドスタイルのお仕置き…をいくら受けようとも。挙げ句放校処置でも。
(余談ですが。本当に唐突なお仕置きシーンに、おかしなノスタルジーの甘さで一杯になった当方。まあ…いいですよ。当方なら。死ぬ訳じゃ無いし。どんな痛みか知りたいから一回は体験してみたい気もするし。でも。やられたらいつかはやり返したいですけれど)
そんなお尻の痛みだって、放校だって構わない。胸が痛むよりは。
「あの時俺は卑怯だった」
あのお調子者にとって。そしてその気持ちが分かる当方にとって。
そんな己が締め付けてくる後悔の方が。そちらの方がよっぽど耐えられなくて。
でもそれは一つの視点。当方の視点。
先生が作中語った「常に物事は別の視点から見なければならない」
中盤以降「協調し過ぎてはいけない。己のペースを見つけろ」という授業。
つまんない日常から救い上げてくれた先生。嬉しくて。自分にも可能性を見つけたくて。そして見つけて。でも。
それは強制では無い。
「歩かない自由」もあると。そう語られた。確かにそう。
歩く自由。走る自由。飛び上がって。全身をくねらせて走り回る自由。転んだってお構い無し。人より早く走ったって良い。
でも走らない自由もある。走り出すタイミングだって、個人の自由で。他人にとやかく言われる謂れは無い。
同じ会に属して。同じ時を共有した。同じ事を考えていると。感じていると思っていた。
でも違う。同じ人間なんて居ない。
「本当は一番夢を見ていたのは…先生なのかもしれない」
誰よりも可能性を感じていたのは、先生だったのかもしれない。
そう感じるのは。当方が歳を重ねたから。
それをつらつら語るのは野暮なんで。止めますが。
だからこそ。あのラストシーンで、先生の浮かべた表情に。
「きちんと言いたいことが伝わっていた。」その事を伝えてくれた。その臆病な彼の勇気。
ロビン・ウィリアムズのあの表情に。
ありがとうとしか云いようがなかった。そんな作品でした。