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ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「FAKE」

「FAKE」観ました。

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ゴーストライター騒動。その重要なキーパーソンであり、未だ疑惑のままの人物。佐村河内守氏を撮ったドキュメンタリー映画。」

こんな興味を惹かれる題材を。そりゃあ観に行かざるを得ない。

どこか下卑た好奇心を擽られる。
「耳が聞こえない作曲家。現代のベートーベン」そう社会から評価され。一部の人間に崇められ。なのに。思いっきり裏切っていた。18年も嘘を付いていた。

「そんなペテン師の姿を見てみたい。」
恐らく、この映画を観る入り口は皆こんな感じ。でも。映画を観た後は。

森監督のメッセージ。「物事を二面性だけで見るな」非常によく伝わりました。

佐村河内氏を、ただ「嘘つき」「悪いやつ」と切っては捨てられない。

結局は映画に参加しなかった新垣隆氏。

始めにカミングアウトした人だから?正直者?…だからなのか、新垣氏は余り世間からバッシングされていない現状。
むしろ顔も売れ、仕事も安定して見える。

でも。いい歳したマトモな大人が。どんな因縁があったらそんな主従関係に陥るのか。
そして、何があって破綻したのか。


あの不快な会見場で。佐村河内氏を煽り「こいつ…。耳が悪いっていうのも嘘じゃないの。」と皆に印象付けたライター。

そのライターも映画には参加せず。


例えば、喧嘩をしている子供が居たとする。そこに大人が遭遇した時。

その時、大人は子供達を捕まえた後、できればその場で子供達一人一人から言い分を聞く。
そして、自身の良識からどの意見がマトモで、どういった解決が出来るのかを考える。そして子供達が納得して、仲直りするように働きかける。


このゴーストライター騒動の気持ち悪い所は、所謂「互いの言い分を同時に聞く」事が出来なかった事。

となると、善悪は各個人の解釈に委ねるしか無くて。情報の多いもの、誠実に見える態度等はプラスに働き。つまりは、プレゼンテーション能力の高い者の勝ちで。その点、佐村河内は分が悪い。


はっきり言って、この映画はゴーストライター騒動の真実を描いている訳では無い。

そしてゴーストライター騒動だけでは無く。何一つ誘導しない。誰についても。誰のどの行動、発言についても。解決しない。

ただ様々な題材を転がして呈示するだけ。

「あくまでも貴方が判断してくれたら良いですよ。」全てに於てそのスタンス。

確かに。
人間を善か悪かだけで計れる訳がない。


えてして「嘘つき」というレッテルは取り返しがつかない染みで。

一つ嘘を付いていると分かると、もう相手が何を言おうと「嘘なんだろうな」としか思えない。

結局、どこまで音楽に付いて嘘を付いていたのか、表現と相互理解の問題なのか。
正直当方はこの部門に疎いのもあって…どうでもいいという気持ちもあるのですが。

「耳が聞こえないのも嘘」
これはきつい。

実際、佐村河内氏の耳がどこまで聞こえるのか聞こえないのかは、本人にしか分かりませんが。

「耳は本人のリアクション次第で聞こえない振りも出来るしな。」
「耳が聞こえない人は、失礼ながらちょっと辿々しい口調になりがちやけれど。あの人流暢に喋れてるし。」

同じく聴覚障害がある人達を傷つけ、不快にさせたであろう、その解釈。

当方ですか?当時から「全く聞こえない訳じゃないんやろうけれど、何か聞こえていない所もあるんやろうなあ~。」という認識でした。

何故なら。耳はよく分からない事が多いことを知っているから。

感音性難聴。
音の聞こえがおかしい。音が理解できない。

突発性難聴しかり、この感音性難聴しかり。(突発性難聴は殆ど片耳に限局しますが)
難聴の原因ははっきりメカニズムが分からない事も多く。過度なストレスから発症する事も多く。

そして、そうやって急に発症する難聴は、手を打つのが遅れると聴力が回復しない事がある。

(どうでもいいんですが…当方も、左耳の感音性難聴になった事があります。
別口で耳鼻科に通院していた最中でしたし、対応が早かったので聴力は殆ど回復しましたが。)

当方の知り合いに、生まれながら片耳の聴力が殆どない人も居ます。

と言ってももう片方は聞こえているので、普通に仕事もバリバリしているし、たまに顔を傾けて話を聞いていますが、コミュニケーションに難はありません。

聴覚障害者=聾唖(本当に失礼で乱暴な言葉で申し訳ありません)手話と口話だけで、言葉は辿々しくないと。そうじゃないと聴覚障害者じゃないと。世間はそう思うのか?!」

つまりは、佐村河内氏もそう演じるべきだったのか?

でもそれって。聴覚障害者に取り返しのない侮辱を与える事になるぞ。

そして、聴覚障害者には音楽が存在していないのか?

「私には聞こえない音がある。でも、頭のなかには音楽が溢れている‼」

嵯峨野の聴覚障害者の言葉に打たれる当方。確かに。聞こえていないからといって、音楽が無いはずがない。

…でもな~。そこでまた、佐村河内氏があんまり表情を見せないんよなあ。

佐村河内氏。ぼそぼそ喋る上に、表情もあんまり豊かじゃないんですよね。加えてサングラス(意味はありますけれど)

だからこそ、掴みにくくて。尚更何か含みを持っているんじゃないかと疑わしくて。なのに何だか可笑しくて。

この映画の、当方にとって最大の収穫。

「佐村河内氏。面白い。」

決して狙っていない。なのに香ばしい。

音楽を表現するのに、頬っぺた膨らまして叩く下りも失笑。でも、何よりの衝撃はあの夕食風景。

「豆乳が好きだから。まず1リットルパック飲み干してから食べ始める。」

お腹だぶだぶになるよ!ご飯も美味しくなかろう。奥さん腹立つやろうな~と思うなかれ。奥さん多分料理苦手。
(大体、ハンバーグにケチャップかけて美味しいって。何だそれ。そのケチャップにマヨネーズとちょっとソース混ぜてみな!オーロラソースって奴になるから‼)

奥さんもまた…天然…なんですか?とらえどころの無いキャラクター。

そして来客者にはもれなくケーキでおもてなし。

も~。食べて~。皆折角やから食べて~。
手が付けられない、ご立派なケーキ。

何だかチャーミングに見えてくる佐村河内氏。もうどうだってええやん。だって面白いもん。この人。ゆるキャラやん。


佐村河内夫妻劇場がピークを迎えると見せた時、また良いタイミングでの海外メディアのインタビュー。思わずシュッと居ずまいを正す当方。

あかんあかん。完全に今面白いに持っていかれていた。あかんあかん。

途中。日本のテレビが出演依頼をし。それを断った結果、依頼内容とは真逆の放映になった。
それをグチグチとグチる佐村河内氏。
先に口火を切った新垣氏の快進撃。世間に優しく受け入れられる姿を追う佐村河内氏。

そんな佐村河内氏に、監督が言った「もし貴方が出演を受けていたら、内容は違ったかもしれませんよ。」という言葉。

「どう見せたら面白いのかが焦点なんだから」

何が嘘で。何が本当なのか。何を延々と見せているのか。そんな話の流れで、本質を突いた発言。

何故ならこの映画だってそうだから。
当方はそう思ったから。

あの、人数だけは揃えたテレビマン達が佐村河内宅でケーキを前にして言った「佐村河内さんが前向きに進める内容にしたい」

良心であったと思うんですがね。それがどういった展開を目指していたのかは、結局出演していないので分かりませんが。

下手にメディアに露出したら。どういじられるか分からない。また会見場と同じような事になりたくない。その恐怖。

確かに後ろめたい事もある。でも、全てが嘘ではないし、言い訳もしたい。

結局はテリトリーから出ること無く、ぐじぐじと燻るばかり。

終盤。遂に監督が仕掛け。そこからの展開と結果は確かに衝撃的。
(勿論ネタバレはしませんので、これ以上は書きませんが)

ただ。

「音楽でやらかした人がやりなおすなら、確かにこれ以外無いな。」

後付けの何かやら、そんなもの。たったこれだけでいいんですよ。

でも、これと引き換えにまた新たな疑問はもや~っと出てくるんですが。


「ああ~‼これは誰かに観てほしい‼」


翌日。職場の昼休憩で。熱く語った甲斐があって、数日後一人が観てくれました。

「何か…。凄かったけれど…。何が嘘で何が本当なのか。ますます混乱して…。」

困惑して語ってくれた同僚に、満面の笑みで頷く当方。大満足。


「そして。最高の猫映画でした‼」