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ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「この国の空」

「この国の空」観ました。


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「誰も死なない戦争映画」

1945年。終戦間際の東京。
19歳。母親と二人で暮らす主人公。
疎開で町から子供は居なくなり。
主人公は婚期を迎えながらも、時世柄、結婚どころか誰かと出会う事も無い。

そんな時。「妻子を疎開させた隣家の男」と急接近していく。

二階堂ふみは肝の座った役者やなあ…。」

まだ20歳。もっと前から観ていましたけれども。

ちゃらついた高校生。サイコパス。凶暴。スケート。エロく、大人を狂わせる少女。等々。

これまでは、どちらかと言えばハッキリとした役が多かった気はしますけれども。

初めは「宮崎あおいに限り無く似た顔で、でも宮崎あおいには出来ない事をする役者。」という認識でしたが。もう、誰かと比較する感じでは無くなりました。

今回は随分しっとりとした役。まあ、台詞廻しがえらく舞台風やったのもありますが。

「というか。これは怠い。もて余す青春ものは怠い。」

隣人の市毛。彼が言っていた「女性は何をしても美しいと感じる時期がありますね」

そうなんですよ。歳を取ったものにしたら、19歳は何をしてもきらきらと輝いて。切なくて。眩しくて。
美味しそうで。

でも、当の本人は輝けなくて燻っている。

19歳の主人公が抱える漠然とした不安。

結婚はおろか、恋愛も出来ない。母親と二人。職場と自宅を往復する毎日。頻発する空襲警報。でも、死はぼんやりとしたものでしかなくて。

「つまらない…。」

畳の部屋でごろごろと寝転ぶ主人公。

そういう、己をもて余した少女を、絶対に見逃さないんですよ。38歳の男やもめは。

38歳の男やもめ。銀行支店長という地位とインテリな佇まい。

でもその実は。小心者で、(あからさまではありませんが)卑怯者。どんな時代にも居る、女に気持ち良い言葉を掛けて、結局自分が一番可愛い不倫男性。

因みにこの手の男は絶対に妻子を捨てませんからね。

長谷川博己のイメージでは無いんですよ
ね…線が細すぎるというか…。爽やかで生々しさが無いというか。

当方の中では、大森南朋とか。みっともなくやってくれそうな気がしますね。

19歳だからこそ、大人に見える男性。火照る気持ちや体をぶつけたい気持ち。あっさり飛べる若さ。
…でも、ちらつく相手のカッコ悪さ。小さな失望。

「異性と居て感じた違和感。初めに感じたそれって、何だかんだ結局引っ掛かるからなあ。」

何と無くこの二人の辿る道は見える。

この映画の見所。工藤夕貴冨田靖子の姉妹。安定のやり合い。

工藤夕貴二階堂ふみの親子に、被災して転がり込んできた叔母が冨田靖子

一々やり合って、その掛け合いも面白い。

この映画は、女が本当に生々しいんですよ。


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あの川のシーン。とある衝撃もありますが。

あんな会話を母親に持ちかけられたら。

確かに19歳の娘としては嫌やし、恥ずかしいし…。母親に女がどうとか性なんて語られたくない。

でも。だからこそ忘れられない夏のワンシーンになるやろうなと思いました。

母親って、恐い。

戦争の時代を描きながらも、そこに映されるのはどんな時代にも共通する人間の業。

当方は「現代の価値観でその時代を裁く事は出来ない。だから、とにかく戦争は悪だという話だけでは無くて。その時代に生きていた人の色んな視点を見たい。」と戦争映画に対して思っていますので。

こういう、日々の日常や恋愛という基本生活の背後にある、戦争という特殊な環境。を描いた映画は結構好きです。

演出とかは何だかなあ~。と思ったりもしましたが。


そして、初めに出た「吉本興業」というテロップ故に「何かやらかしてくるんじゃないやろうな。」と構えてしまった、悲しい県民性。真面目にやっておられましたがね。



茨木のり子の詩が、あんなにもマッチして沁みたのは初めてでした。