ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「ターシャ・テューダー 静かな水の物語」

ターシャ・テューダー 静かな水の物語」観ました。

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アメリカ。絵本作家であり、人形作家であり、園芸家であり。

スローライフの母」と呼ばれたターシャ・テューダー

その彼女を追ったドキュメンタリー映画

バーモンド州のド田舎。息子に作ってもらった小さな小屋。そこが住居。
四季折々の花をしつらえ。それらを愛でながら、世話をして。自給自足とはいかなくとも、質素で慎ましやかな暮らし。小花柄のクラシカルなドレス。蒔きストーブでの逆時短料理。ろうそくはまさかの手作り。

雪の日。蒔きストーブに当たりながら絵を描いて。暖かくなった春の日は、燦々と降り注ぐ日差しの元咲き誇る花達を見ながら紅茶を飲む。

「これぞ当方が喉から手が出るほど欲しいスローライフ

少し前。「人生フルーツ」という、日本のドキュメンタリー映画がありました。愛知県春日井市に住んでいる津端夫婦。あれもまた一見「憧れのスローライフ夫婦の姿」を描いている様で、もっとどっしりとした二人を描いた作品でしたが。

「人生フルーツをどこか思わせる。結局、スローライフって強い信念が無いと出来ないんよな」

田舎のお婆ちゃん。弱弱しく、いつでも穏やか。ニコニコして迎えてくれて。素朴で朴訥とした人柄。
出される食事はお洒落とは無縁。でもそれはとびきりのご馳走。無添加。無駄な調味料なんて使わない、時間が莫大に掛かった食事。
丁寧なしつらえ。シンプルな生活。でもそれは懐かしくて…。

「それは万人にとってのステレオタイプ『田舎のお婆ちゃん』イメージだ」


このご時世で。どんな年寄りにだって文明は追いついている。ましてや加齢に伴う体力の低下。どこかで何らかの力に頼らざるを得ない。
それは電気であったり。乗り物であったり。炊飯器や電子レンジ、その他調理ツールであったり。地域の行政サポートであったり。でもそれらを利用する事は決して悪い事では無い。

寧ろ高齢な両親を持つ子達からすれば「いっそそういうのを使ってくれ!」と思う事もしばしば。(当方の両親も一歩手前)ですが。

「そうやって思う子の気持ちも分かる一方で。でも『歳を取ったら好き勝手やらせてくれ』という親の気持ちも痛いほど分かる」

「ステレオタイプ」に対する憧れ。難易度は高いけれど。

やれる。自分はやれる。自然に寄り添った生き方。自分の親たちだってそうやって生きていた。
朝。夜が明けるのと同時に目を覚まし、暗くなったら眠る。四季の移ろいに合わせた生活。必要なものは何だって自然から調達した。そういう生活。

幾らでも便利に暮らせる時代に。スローライフだって信念が無ければやっていけない。

一見穏やかに暮らしているように見えるターシャ。でもその実態は…ふんわり穏やかでは無かったのだろうなと思う当方。

社交的で。でも生活力の無かった両親。あのご時世に両親が離婚。
田舎暮らしに共感できる伴侶との出会い。でも「生活力は無かったの」「私が家庭を支えたわ」とさらっと流しつつも…恐らく大変であったのだろうと推測する夫婦生活。(後に離婚。再婚。そしてまた離婚)
50台後半。憧れのバーモント州に移住。長男と、その孫と交流を持つ姿が描かれていたけれど…「後3人の子供は全く寄り付かないのかね?」地味に気になる家族関係。

「ターシャ結構波乱万丈」ですが。

人生で。一体どこで区切りをつけるのか。幼い少女の頃。「牛が欲しい」と両親にねだったターシャ。田舎暮らしに憧れて。実際田舎で暮らしたけれど。4人の子供を育てながら(加えて働かない夫も抱えて)生活していた時。確かに人と比べたら自然と調和した生活を送ったのかもしれないけれど、それはピリピリしていて、俗世と繋がりは断てなかったはずで。
そして。子供たちが巣立った後。自身の伴侶問題も決着した後で。ひっそりと田舎に引きこもるターシャ。此処からは私の自由だと。

「羨ましい。そんな区切りを当方は付けられるだろうか」

グダグダ書いてしまいましたが。

ターシャの庭。四季折々の花が愛でられる庭。「同じ花は三か所に植えるの。環境が違ったら花も姿を変えるから(当方意訳)」になる程と心のメモを取り。「枯れた所はどんどん摘むの」あれだけ花があったら大変だろうなと危惧し。
「この年で鳥も飼ってるの?!」と案じ。

庭の手入れを手伝ってくれる孫夫婦に「良かった。こうやって引き継いでくれる人がいて…」とほっとして。

ターシャ・テューダー。撮影当時91~92歳。個人の時は無限では無いから。

こんな時代錯誤な美しい世界を。きちんと理解して守ってくれそうな人がいる。信念は、誰かには伝わる。

「人生で本当に欲しいものは何なのかよく考えてみたいですね」(ターシャ・テューダー

丁寧に。丁寧に時を重ねた先人の。貴重な姿を。言葉を。

「やり方は個人の自由。でもどうやって生きていくのか。その信念を見つけて、見失わないようにしないと…」きりきり考えて。「そうやってすぐに自身を追い詰める所に当方の余裕の無さが現れているな」なんて疲れてしまって。


「今が一番いい時よ」(ターシャ・テューダー

まったく。何でもお見通しのお婆ちゃんは、ずっとずっと先を行くばかりです。

映画部活動報告「まんが島」

「まんが島」観ました。

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キツツキと雨」などの脚本を手掛けた、守屋文雄監督初作品。

どこかの東京。の無人島。「まんが島」

「マンガ家以外の立ち入りを禁ずる」売れない中年漫画家五人。まんが島にて暮らす彼ら。

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ある時は漫画に打ち込み。ある時は飢え。ネタをパクられたと殴り合い。喧嘩し。ネタを互いに評価し合い。時には描きたくて仕方なくて。

「漫画とは業の深いものよのう…」

得体の知れないパワー。勢いで。全く話の辻褄の合わない107分。

「ぼっちゃん」の主人公水澤紳吾。あの苦しすぎたアイツを演じた彼が。またもやややこしい主役に据えられ。今回も全力で意味不明な世界を牽引していました。(非常に分かりにくいのですが、褒めています)

この作品の存在を知って。「島版トキワ壮やな」と。ワクワクして公開を待っていたのですが。

満を持して作品を鑑賞したその日。たまたまその日が「監督のトーク付き」というラッキーデイでしたので。当方のこの駄文感想文の方向性も若干変わる事となりました。

というのも…監督の話を聞かなかったとしたら、恐らく当方の感想は「こういうサブカルカルト作品を有難がる若さはもう無いな…あまりにも話に整合性が無さすぎるよ」「確かにパワーは感じたけれども」となっていたであろうから。

監督の話を僭越ながら意訳させて頂くと「これはストーリーを追う類の作品ではない。『まんが島』という題材でどこまでインパクトのある画が作れるか。どこまで面白いエピソードが作れるか。その『どこまで』が続く所まで作り続けた」(勘違い解釈なら申し訳ありません)

「そう言われたら仕方ないよ…」(ぽつり)

トーリーを追うとなると破たん。「あれ?」の連続。
「初めに一回帰ったのなんだ」「あいつ。言語を失ったけれど一体何だ」「彼女のエピソートの一見真面目さ」「あのうんこみたいな画は何だ」「死んだんじゃなかったけ?」「手塚先生何者かね?」「火山の意味って?」エトセトラ。エトセトラ。意味不明。

そして。時折五人の間に流れる不穏な雰囲気と。時折流れる漫画に対する熱い思い。

「皆で墨汁を作ろうとする下り。あの連帯感。そして迸る創作意欲。…でも結局、その漫画は完成したのかどうかもよく分からない」もう訳が分からない。

あの劇場で。「東京公開と合わせて2回観ました」と発言されていた方。確かにこれは一回より、数回観た方が面白くなってくるのかもしれない。(理解出来る、という言い方はしません)

「ところで。『ワタナベアカデミー賞助演男優賞。川瀬陽太氏と宇野祥平氏の。二大巨頭が同時に観れた至福」

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これは本当に…(噛みしめて一回ため息)有難かったです。

チンピラから哀しい中年男性。卑怯者や疲れた親父。ありとあらゆる役になれる、メジャー映画からマイナー映画まで自由自在のカメレオン俳優のお二人が。

川瀬陽太氏演ずる、編集者。たまに漁船に乗ってまんが島に上陸。ボンクラ漫画家達を叱咤激励する、シティボーイ。

そんな彼が、憎たらしくも紙袋一杯の「マクドナルド」を差し入れに持って上陸。
「要らねえよ!」と地面に叩きつける漫画家達。なのに…誘惑に負けてこっそりビックマックを手に取って食べてしまう、ある漫画家。

「こんなにビックマックを美味そうに食べるなんて…日本マクドナルド社よ。この映像をCMに使うべきだ」

(監督談に依ると、この時は食事休憩が延びに延びていて…本当にこのシーンの宇野氏の、ビックマックを見る目つきが半端なかったとの事。そしてこのエピソードを聞いて「宇野ちん!」と胸キュンが収まらなかった当方。)

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「漫画を描きたい。もっと漫画に集中出来る環境で。煩わしい事になんて一切気を取られない。漫画だけに向き合える。そんな環境に行きたい」

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それがまんが島。でも。結局どんなに「それ」しかない、そんな場所にたどり着こうとも。

漫画を描く事。お話を生み出して。そしてそれを形にするという事は…どこに居ようが関係ない。混沌の中で。正気か狂気かも最早分からない世界で。やっと生み出されるもの。死んでいくもの。それにずっと付き合っていくという事。逃げられる場所なんてない。

まんが島はどこかにあるようで、どこにもない。

「漫画とは業の深いものよのう…」

得体の知れないパワーに圧倒されて。
改めて、呟いた当方。

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映画部活動報告「バーニング・オーシャン」

バーニング・オーシャン」観ました。

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2010年。アメリカ史上最大規模の。メキシコ湾原油流出事故の映画化。

「ディープウォーター・ホライズン」という海底石油掘削施設にて、掘削パイプが折れた事から原油流出が発生。

126人の作業員の内17名が負傷。11名が命を落とした。

ピーター・バーグ監督。マーク・ウォールバーグ主演。

「これは…リスク分野に携わる者は必ず観なければいけない作品なのでは…」

昨年の「ハドソン川の軌跡」しかり。「リスク関連ジャンル」が確立しつつある、近年の映画界。

大型連休目前。浮かれた作品や大金つぎ込んだ作品が大挙して押し寄せる中で。如何せん地味な印象。埋もれてしまった感のある今作。

「いや。結構しっかり作られている。あくまでも史実に則るので、ヒーローモノでもミラクルも起きないけれど…(主役二人の展開はミラクルですけれども)ちゃんとオーシャンがバーニングしていたよ」

海底油田の掘削施設。そこの陣頭指揮を執るべく集まったメンバー達。しかしそこで見たものは。

バックに付く会社、BPのもと。ないがしろにしてはいけない「安全性」が守れていない現状。

必ずしなければいけないテストの省略。危険アラームの誤作動。(しかもそれは常態化しており「また鳴ってるよ」と切られる不始末)兎に角会社としては作業の効率化を優先。ただでさえ納期が遅れている。とっとと石油を掘れと作業員たちを追い立てる。

そんな会社に腹を立てながらも。準備不足、腑に落ちないテスト結果を無理やりにこじつけて、遂に掘削作業開始のボタンは押されてしまう。

そして案の定。最悪のドミノ倒しが始まる。

「怖い。ここまで全てが駄目な方向に進むなんて…」

パイプ破損による石油流出。止められる栓となるものは最早存在せず。そして機材の火花が引火。瞬く間に掘削施設(船)は炎に包まれる。
逃げ惑う作業員たちの中で。現場指揮を執っていた、一部作業員の勇気ある最後。対する、作業員を押しのけてまで救命ボートに乗ろうとするBP社員。

「こういう有事では本当の自分が試されるな…」

勿論助かりたい。自宅に帰りたい。でも。ここは何処?ここは職場。己の職場で起きた…しかも人的災害。

「それは。やれることはやらんと」

当方は管理職でも何でもない。ただの古株平社員ですがね。多分そう思いますよ。

だからこそ、あの「クレーンが火の中に倒れるぞ!」と必死で操作した作業員の姿にはいたく共感しました。

(だからと言って、何もかも投げ出して逃げた人を悪くは言いません。あんな有事…仕方ない。多分こんな事を言うのは、今の当方には(両親と妹は居ますが)守るべき愛する人が居ないからだとも思いますから。

きっかけからして、度重なる準備不足と見切り発車なのに。危険アラームの早期発見を逃し。SOSの発信を、挙句この事態を収束出来そうなボタンを押すことも「お前にはその権利が無い」と実行させない。アホすぎる。

「あの時。あの掘削開始ボタンを押すシーンで、船長が同席していたら」「そもそもセメント試験がきちんとなされていたら」「危険アラームを修理していたら」「BPのあいつが居なかったら」
たらればたられば。

「何かが起きた後のたらればの無意味さ」

後からなら何とでも言える。

リスク業界で言われる「ハインリッヒの法則」つまりは「一つの大きな事故は29の小さな事故、失敗。300のヒヤリハットからなる」という氷山の一角理論。正にその通りの事案。

「まあ大丈夫」「いつもこれでいけてるよ」「またか」「つまんない事言うなよ」「そんな事でビクビクするな」「まあいいか」「早い事仕上げようぜ」

「せーの」

一体自分の取り扱っているものは何なのか。まあ…彼らに関しては特に危険物な訳やし。「危険手当」は伊達ではありませんよ。命に掛かっているし…環境も破壊するし。そこの重大性を見失ってしまったら…そりゃあとんでもない事が起きてしまいますわ。


「確かに迫力の大爆発の連続。パニック映画としても秀作なんやけれども」

如何せん。史実ベース故に。生真面目な気持ちになって。険しい表情で劇場を後にした当方。

映画部活動報告「スウィート17モンスター」

「スウィート17モンスター」観ました。

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ネイディーン17歳。

子供の時からずっと勝ち組の兄を持ち。比べて、自分は変わり者で負け組だと自覚。母親は不安定。唯一の理解者であった父親はネイディーンが11歳の時他界。
時が経って。すっかりイケメンになった兄。いじけて屁理屈ばかりを言う、いけてないネイディーン。でも構わない。ネイディーンには幼馴染のクリスタが居るから。二人は親友。クリスタには何でも言える。分かり合える。リラックスして、自然でいられる…なのに。

まさかの。兄とクリスタが今更恋に落ちてしまう。裏切られ、ひとりぼっちになってしまったネイディーン。

愛すべきネイディーンの何とも不格好な、ドタバタな日々。

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「これは当方の話か」(震え声)

いや。当方はぴったりこんな青春は送っていませんがね。ですが…何しろネイディーンのあれこれ。身に覚えがありすぎて。悶えて震えて…いたたまれなくて。

奇抜な恰好。というか古着と一点アクセントを置いた着こなし(スニーカーに拘り)。誰彼ともなく何でもチャチャを入れる。そういうのが粋だと思っている。

過剰な自意識。他人と比べて自分は劣っている、変わっていると主張するが、深層では寧ろ自分は他人とは違うステージに居ると思っている。だから他人から理解される訳が無いと周りを見下している。自分には特別な何かがあると思っている。でもそれが何かという探求も、努力もしない。一生懸命な人を馬鹿にはしていないが、茶化してしまう。ユーモアのセンスがあると思っているが、どこかずれている。大人はみんな馬鹿。

「恐ろしい。全部覚えがある…」

ネイディーンの親友。クリスタ。彼女の存在はネイディーンの心の支え。
恰好良い男子にミーハーな熱を上げて見せるけれど。特にアタックする訳でもない。恋なんてものはどこか現実離れしていて。でもいい。クリスタが居れば。

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「二人で可愛いお婆ちゃんになろうね」作中にこんなセリフはありませんでしたが。

「女同士にそういう友情は成立しないんだよ!」(なぜか立ち上がる当方)

案の定。母親が旅行で不在の夜。
自分は酒に酔い潰れてトイレで寝ていた、そんな夜に。
まさかの親友クリスタと兄の急接近。

「どうせ酔ってやっちゃっただけよ!」ところが。何だか上手くいって。正式に付き合い始める二人。ネイディーンとクリスタの友情終了のお知らせ。

荒ぶるネイディーン。暴走止まらず。

クリスタには「私か兄かどちらかを取って」と無茶振り。兄にはボロクソに言い。母親には甘えたりダダをこね。好意を寄せてくれているクラスメイトのアーウィンを振り回し。かねてからおちょくっている担任教師ブルーナに絡みまくり。あまつさえ、ミーハーに騒いでいた男子にまでメンヘラを突き抜けた「サイコなメール」を誤送信してしまう。

「誰か!誰かネイディーンを抱きしめてやってくれ!」悲鳴の止まらない当方。

不器用にも程がある…当方にも覚えがあるんで何とも言えないんですが。こういう時期のこじらせた自意識って、その後の人生に於いてだいぶん引きずるんでね…早く手を打たないと駄目なんですよ。

「私はどうせ変わっているから」「私を理解出来る人なんていない」「周りの常識的な奴なんて皆馬鹿」そうやって自分で自分の周りに壁を作って。そのうち誰もその壁は越えられなくなってしまう。それどころか壁の内側に人がいるなんて思わなくなる。

そしていつしか自分で作ったその壁で、自分も周りの景色が見えなくなってしまう。実はずっと待っているのに。誰かが迎えに来てくれるのを。「私の事を理解してくれる誰か」が。

「げに恐ろしき『自意識の壁理論』(当方の持論)よ」

ネイディーンのこねる屁理屈の全て。「そっくりそのまま貴方にお返しする。ただ…耐えられないと思うけれど」

「貴方まだ何者でも無いよ」


「この最悪な世界」そうですかね?少なくともネイディーンの世界。気持ちを落ち着けてゆっくり見て見たら。結構捨てたもんではないですよ。


「担任教師のブルーナ。最高」

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一人でゆっくり過ごしたい昼休憩。なのに毎回突拍子もない事を言って来るネイディーン。追い返す事も、いい加減な対応も出来る。なのに。
毎回大人の余裕。ウイットの効いた対応。いつも冷静で洒落がきいてる。そしてサラッと言える。「君は僕のお気に入りの生徒だからね」

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「ネイディーンよ。これが大人だ」
見習うべき、目指すべきはこの担任教師。


ネイディーンに想いを寄せるアーウィン

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「めっちゃめちゃキュート!才能もあって。(お金持ちで)仕草も表情もネイディーンに振り回される所も可愛い過ぎる。そして自分の世界をしっかり持っている。これは絶対に逃したらあかん案件やないか!」
夜の遊園地デート。自宅プールデート。なんなん「ホーム・アローンごっこ」って。当方ならノリノリで食いつきますね。


そして兄。

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イケメンで。いつも自信満々。自分はいつも自分に自信が持てないから。だから兄が憎たらしくて。しかも唯一の親友も兄に取られた。でも。

「お兄ちゃんだって、見えない所で努力しているんやで」静かに口に出す当方。

まだ子供だった時に。一家の大黒柱であった父親を失った。残されたのは、頼りない母親と幼い妹。自分がしっかりしなければ。この家族を支えなければと言い聞かせたのであろう、兄。
(そしてお兄ちゃん。実際には別に嫌な奴でも嫌味な奴でも無いですからね)

でも。ネイディーンだって、そこまで子供な訳では無い。

兄が嫌な奴じゃない事は分かっている。兄とクリスタの事も、祝福するしかない。軽い気持ちで絡んでいた相手達のバックヤードの深さ。自分とは比較にもならない世界を彼らは持っている。ちっぽけなのは世界ではなく、壁を作りまくった自分。

素直になれなくて。強がって。でも、周りが自分を置いていくのではと気が気じゃなくて。自分が変わるしかないんやろうけれど。それは怖くて。結局スマートに動けなくて。みっともない事ばかりしてしまって。泣きそうで。誰かに見つけて貰いたくて。抱きしめて欲しくて。

「大丈夫」

ネイディーンを取り巻く世界は温かい。

余りにもシンクロする気持ちが多くて。悶えて苦しくなりましたが。

17歳で。その壁から光が見えたネイディーンを羨ましく思い。

「出来れば17歳でこの作品に出会いたかった」

歳老いた当方は、古くなった自身の壁を見回すばかりです。

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映画部活動報告「パージ:大統領令」

パージ:大統領令」観ました。

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2013年公開となった「パージ」
今作がシリーズ3作目。
本国アメリカでは2016年、正に大統領選真っ最中に公開されて話題となった。

どこかのアメリカ。「一年に一日、19時から翌朝7時までの12時間。殺人を含む全ての犯罪が合法となる」犯罪抑止の為の、年に一度の大人のハロウィン。
お蔭でアメリカの通常時犯罪発生率はわずか1%まで減少していた。
しかし。その狂った一日の標的にされるのは、多くが保険金を払えない者や路上生活者。所謂貧民層。
18年前。パージで家族を殺された「ローン上院議員
大統領選で最終候補まで残った彼女の公約は「パージ廃止」
しかし、それを良く思わない者も居る。現在の政権を握る者。保険会社。武器製造、販売者。パージ賛成派。
喧々諤々の議論が交わされる中。今年もまた、パージの日がやってきた。

パージシリーズ。どういうレギュレーションなのかは知っていましたが、未見であった当方。ですが。

「何もかも上手くいかなかった金曜日。ともすれば爆発しそうな自身を、辛うじて抑えたのは理性」そんな夜。思わず選んだ作品。パージ。

まあ…前二作をきちんと押さえれば、もっと理解も楽しみ方も変わったのかもしれませんが。それでも結構分かりやすく楽しめる作品でした。

国家権力も医療も防災も…およそ国民を守る力が休止。抑止力を一切失った、本物の無法地帯。さあ何でもしてもらって結構ですよ。そんな夜。

「おっかねええ。当方なら、家族を連れて国外に脱出するよ。立ち向かうのも、びくびくして隠れるのもどっちも無理」

パージから守ってくれる。そんな保険も存在するけれど(そんなの信じられん。だってありとあらゆる犯罪に対して絶対安全なんて保障されないと当方は思うから。そしてその保険会社で働くリスク。従業員…。危険手当どころじゃないよ)案の定、パージ前日になって保険料を吊り上げ。払えなくなった者達は自らの力で己を守るしかない。
そうして、小さな日用雑貨店を守る事になった自営業店主ジョーと、従業員マルクス

そして。今回のパージで、恐らく誰よりも命を狙われる事になった「パージ反対派のローン上院議員

これまで「パージ免除」とされていた高等議員達も、今回からはそのカバーを外された。誰もが平等に犯罪に遭う事になった一夜。

ローン議員を護衛する事になった「レオ」

ローン議員の自宅。チームで彼女を守っていたはずなのに。裏切者によって、チームはあっさりと崩壊。たった一人残ったレオと共に魑魅魍魎達が跋扈する街の中へ逃げる事になるローン議員。

銃で撃たれ、負傷しながらも驚異的な防衛力を見せるレオ。危ない目に遭いながら二人は、前述した自営業者ジョー達と行動を共にする事になる。

追ってくる敵から逃げながら。パージを楽しむ者。悲しむ者。立ち向かおうとする者。そして、パージを逆手に取って抗議しようとする者。色んな姿を見て。

「結局物事は暴力では解決しない」

そんなメッセージ性を一応…当方は感じました。

とんでもない法案。パージ。人間の悪意や心の弱みに付け込んだ、とんでもない「息抜き」の一夜。何をしたって良い。一体そこでどれだけの良心を保っていられるというのか。そして結局巻き込まれるのは決まった弱者。これはただの金持ちの憂さ晴らし。でも…どれだけそう声を上げても、結局声は届かない。何時まで経っても声は届かない。失望。

そして。「ならばこちらもパージを使って相手に牙を剥けば良い。やられる前にやってしまえ」まあ確かにそうなりますわ。

「それをしては同じ。パージを利用してしまったら、フェアでは無くなる。お願いだから、選挙で勝たせて。私を信じて」

こんなにぶっ飛んだレギュレーションを持つ作品なのに。非常に真っ当な展開をみせた…意外と安心安定して進んだなあと思った当方。

まあ。その他チャチャを入れていた事と言えば…「レオ無敵すぎる」肩って言うか…鎖骨周囲位を撃たれていませんでしたか?あの辺りは重大な血管も走っているし、まず死にますよ。又は失血死。少なくとも手は動きませんな。なのに。どんな脳内麻薬が出たのか。驚異的な身のこなし。

そして「こんな有事に。眼鏡を失ったら終わりだ!!」終盤、ローン議員の眼鏡が騒ぎの中で無くなりましたが…視力を失うって事は万死に値する事態やのに…結構動けるローン議員。まさか…伊達?現在の日本の防衛大臣と同じ?伊達眼鏡議員?当方の胸中で地味に広がるローン議員への疑惑。

あの「チョコバー云々」と騒いでいた、いかれたティーンエージャー集団に関しては「やかましいから早く消えてくれ」と冷たい当方。

そして、黒人の皆さんがやたら恰好良かった。特に自営業者ジョー、店員マルクス。そして元女ギャングだったレニー。
あの三人でも一つ作品が作れた位の、当方お気に入りの三人組。その末路(確かに…ああいう結末になるんやろうな~というフラグは立ちまくっていました)

何だか続編の存在も匂わせながら。そこを追っていくかは…正直分かりませんが。

爆発して壊れそうだった、金曜日の当方の心を。
何となくならしてくれた…そんな気がした作品でした。

映画部活動報告「タレンタイム~優しい歌」

「タレンタイム~優しい歌」観ました。

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マレーシア。2009年に公開された、ヤスミン・アフマド監督作品。公開同年にまさかの急逝。遺作となった作品。

ある高校で開催される事になった「タレンタイム」所謂演芸コンテスト。7周年の今回。7人の演者がオーディションで最終選出。
そして同時に演者を送り迎えする(高校生の)送迎バイク部隊も選出される。

主にはその演者の中の少女ムルーと、彼女の送迎担当になった聴覚障害を持つマヘシュの恋。優等生ハフィズと、彼のせいで二番手に落ちてしまったカーフォウとの関係性。その二つを軸に。物語は進んでいく。

兎に角前評判の良かったこの作品。

「そうか。マレーシアって…」鑑賞後。これまで触れた事の無かったマレーシアという国に思いを馳せる当方。

「マレーシアは多民族国家です」冒頭。このことわりが表示され。
その後。話が進む中で、無論翻訳こんにゃくを所持しない当方には彼らの言語を聞き分ける芸当は出来ませんが…「これは英語だ」「これは…何か現地の言葉だ」兎に角言語が入り乱れる。これは字幕が難しかっただろうなと思った作品。

しかも。「言葉」は口に出す類だけでは無くて。「手話」も入ってくる。

高校で。「タレンタイム」という演芸コンテストが行われる。マツコ・デラックスみたいな先生の号令を皮切りに。集まる生徒達。そしてオーディション。

すぐさま「次!」と切り替えられる中で。ひときわ光ってみせたピアノ弾き語りのムルーとギターのハフィズ。そして二胡のカーホウ。オーディション通過。

タレンタイム本番を最終目標として。各々練習する日々。でも。それに没頭出来る日々ではない。

ある者は恋に落ち。ある者は永遠の別れを迎えようとする家族を持ち。ある者は自身の能力の限界に胸を痛めている。

演者の個人送迎部隊。

高校生でバイク通学…アジアやしそれはいいとして、この人選。マツコ・デラックス似の先生は何を考えているんですか?

「そりゃあ、多感な高校生男女をペアにしたら…恋に落ちるに決まっているやんか!」

「貴方はタレンタイムファイナリストに決まりました」という知らせを持って自宅にやってきた、無口なイケメン。そりゃあ「貴方だ~たんだ。貴方だ~た~んだ。嬉しい。楽しい。大好き!」ってなっちゃいますよ。

しかも。「なにこいつ。真面目に送り迎えしてくれるけれど、愛想なさすぎ」からの「耳が聞こえなかったの?…ごめんなさい」もう加速的にラブは拡大。「だけど。気になる。昨日よりもずっと」アイツはとんだマーマレード・ボーイ。

(またね…。純朴なはずのマヘシュの「距離近すぎ問題」ムルーにヘルメットを装着してあげる時の距離感。「えっつ?もしかして…チューされちゃうの?」みたいなドキドキ感。ずるい。ずるいまでの天性の「恋人会話力」を持ったマヘシュ)

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マヘシュもまたたく間にムルーに恋してしまう。両想い。高校生同士の恋。好きだけが先行していればいい恋。なのに。

「二人の前にはだかる、マヘシュの母親」ここで効いてくる、マレーシア多民族問題。

「そうか…宗教の違いでこんなにも頑なな溝が生まれるのか…」

マシュヘの叔父。奔放で。プレイボーイ。好き勝手していたと思っていた叔父の、真っすぐ過ぎた、秘めたる純愛。

宗教の違う相手への憎しみ。怒り。当方は強い信仰心は持っていませんので、マシュヘの母親をどうこうは言えません。うわべだけの非難は薄っぺらすぎるから。ですが。

マシュヘの叔父が。マシュヘの姉が。「どうして?好きなら良いじゃない」マシュヘの母親に語り。
そしてマシュヘが叫ぶ「貴方(母親)の事はとても尊敬している。でも…ならば教えて欲しい。好きだという気持ちの忘れ方を」

マッシュへの母親が、決して悪人だとは思わない。宗教とは別の、本能的な「自分の大切な人を守りたい」という判断基準に「宗教の違い=価値観の違い」という概念があって。だから自分の大切な人が傷付けられるんじゃないかと思って必死に牙を剥いてしまう。母性故の防衛本能。
でも…それは自分の大切な人にとっては「誰よりもかけがえのない存在」であって。

叔父からのメッセージ「いかれた母親には耳を貸すな。愛する人がいたらためらうな」

ガチガチな価値観。無意識で、ある意味無神経な先入観。向き合っていかなければいけないのであろう、マシュヘの母親。

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対する、ムルーの一家のフラットで開放的な家族。

イギリス人の祖母を持ち。歳の近い姉妹は何かと言い合いをしながらも仲良し。家族全体が常にじゃれ合って仲が良い。中華系メイドのメイリンに無神経な事を言う客人には、ユーモラスに。でも毅然と抗議する。
娘の恋する相手を温かく受け入れる。

どちらも、家族を大切にする姿。なのに…起きてしまう「二人の恋を引き裂く事態」

もう一つのスポット。ハフィズとカーフォウについて。

ちょっと前の二人で尺を取りすぎてしまったのもあって…あっさりと書いてしまいますが。

出木杉君は基本好かれないよな…」だって。ドラえもんでも出木杉って二軍止まりじゃないですか。それはやっぱりとっつきにくいし、一緒に居たら自身と比較して自身を卑下してしまう。それは…楽しくない。結果距離を置いてしまう。

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まあまあイケメン。勉強が出来て。歌も上手くて。そんな愛せない彼の。「実は末期の脳腫瘍の母親がいる」という事実。(しかもそれを周りには言わない)
放課後。母親の病室でのひと時。甘えたくて。でもいい子で通して(ところで。彼の専属送迎部隊は?)

観ている側に、表面上では徹底的に「出木杉」で通した彼の。見せなかった苦悩に思いを馳せ。最後。やっと母親に甘えるそぶりを見せた彼に。そしてタレンタイムに「ベストを尽くす」と参加した彼に。

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そして。そんなハフィズをずっと憎んでいたカーフォウの、二胡の演奏に。

最後の最後。どっと涙が出て。止まらなくなった当方。


色んな人がいる。色んな考え方がある。一見相容れない事。でも。ゆっくり落ち着いて相手と対峙すれば。決して何もかも分かり合えない訳では無い。
時間が必要な事がある。視点を変えれば景色が全く変わる事がある。ある時突然に何もかもが分かる時もある。

互いを分かり合う時。言葉は要らないのかもしれない。視線を交わせば。握手をすれば。肩を叩けば。抱き合えば。…ただ寄り添えば。それだけで伝わる事は沢山ある。

幾らでも深読み出来る。でも易しい。優しい世界で。誰も悪者の居ない世界で。

確かに優しい歌を聞いた。そんな多幸感で一杯になった作品。

マレーシア。いつかは行きたいです。

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映画部活動報告「ハードコア」

「ハードコア」観ました。

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「目が覚めた?さあ始めよう!」

イリヤ・ナシュラー監督作品。ロシア+アメリカ共同制作。全編FPS(一人称シューティング)スタイルのアクション映画。

主人公のヘンリー。デフォルメされた手術室(っぽい部屋)で目覚めたら、目の前にはエステルという美女。どうやら彼女は自分の妻で、自分は瀕死の状態から機械の体を手に入れて覚醒したらしい。妻は何かの技術者で、そういった人造人間を作る仕事をしているとの事。
と言われても、何も思い出せず。
「後は発声装置を付けるだけね」と妻に案内された別室で。作業の前に突然のエマージェンシー。

「あんたAKIRAの見すぎだぜ!」というハイテンション赤ハイネック、エイガン。「何かやっているのか?」というキマりっぷりで、その部屋に居た研究者達を超能力で殺害。大暴れ。

「逃げろ!」妻と手を取り合い脱出…したのもつかの間。妻はエイガンに誘拐されてしまう。

妻を追い求めるヘンリー。そして現れた道先案内人、ジミー。ヘンリーの命を狙うエイガン。3者の追いかけて、追われて、ぐるぐる回るちびくろサンボ

妻を。そして失った記憶を取り戻せ。

…という事をやっていたのだと、当方は解釈しましたが。

「この作品を、一般的な映画の感覚でどうこう言ってはいけない。」

あくまでもこの作品でやりたかったのは「FPSという手法で長編映像を作る!こういう画を見せたい。体感してもらいたい!」
だから…ストーリー云々とか言ってはいけないと。喉元まで出かかったもやもやを何度も飲み込んだ当方。

(だって。そもそもエイガンの最終目的って何なの?単に冷やかしのお遊びなの?AKIRAごっこなの?このお金は何処から出ているの?どういう社会なの?仲間は一人しか居ないっぽいけれど…どうやって構成された組織なの?…って言うか、エイガンって何者なの?エトセトラ。エトセトラ)

そういう事を言ってしまうと「つまんない事言うなよ!」とはっ倒されそうやし…特に答えも無さそうなんで。考えなかった振りを決め込む当方。

「だってFPSゲームそのものなんだぜ!」

「だって当方はゲームには全く触れなかった種族なんだぜ!」

昔々。学童期に一世を風靡した「赤いファミコン

勿論当方は所持していませんでしたが(欲する事もありませんでした)数少ない友達の家に遊びに行くと必ず皆で「マリオゲーム」ファミコン大会が始まり。
無の境地で同席。そっとしておいてくれたらいいのに、誰かが「当方もやりなよ!」と発言。無理やりコントローラを握らされ。案の定、全くルールも操作も分からない当方マリオは瞬時に死亡。その、余りの早さに静まり返るファミコン大会。

世界に誇れる日本のゲーム文化に…「『オセロ』と『テトリス』はやった」程度しか触れなかった当方。


「文句ばっかり言う気やろう!じゃあ観るなよ!」言われそうですが。

「あの。テレビで昔やっていたじゃないですか。ジェットコースターの、乗っている目線の映像。あれが結構好きだったんです。」

大きなスクリーンで。壮大な体験型映像を観たかった。体験したかった。そういう鑑賞動機でしたが。


FPS酔い。したかった。」

これこそ4DX案件やのに。3D?でもやっていなかったんじゃないですか?(どこかでやっていたらすみません)
2D字幕で鑑賞した当方としては…正直酔うほどでは無かったです。

まあ。アクションが完全に人間離れした超人級やったから、自身の体と心が付いていかなかったのか。

「人の命が空気より軽い世界」で。
ばんばん人が死ぬ。兎に角終始殺し合い。走って追いかけて飛んで。殴って蹴って銃で撃って。

正に当方のイメージするゲームの世界。迎え討つ雑魚キャラやらを殺しながら、次々と新しいダンジョンへステップアップ。
(あの。エスカレーターで巻き添え食ってとことん転がっていった通行人の女性。あの人は不憫で仕方ありませんでした)

基本的にはずっと突っ走っている中。ちょいちょいルールを説明してくれる、道先案内人ジミー。

「基本母体は一つで。数多のコピーロボットを使い捨てしながら、主人公ヘンリーを案内するジミー」
ジミー役のシャールト・コプリーが楽しそうで何より。扮しているのは概ね好きなキャラクターでしたが。あの、名古屋万博のモリゾーみたいな奴が出てきた時はちょっと笑ってしまいました。

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後は…やっぱり「ロシアン風俗店」あそこは詳しくやって欲しかったですね。(さらっと)

エステル役のヘイリー・ベネット。あの佇まいは、やっぱりこういう役に嵌ってしまうんやなあ。ちょっと安易すぎると当方は思いますが。

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ノンストップで駆け抜けて。(「で、結局さあ!」という言葉を飲み込む展開で着地)まあ…斬新な映像と、実は単純なストーリー。

でも。1時間36分もこのスタイルで突き抜けた。それは偉業であったと。

当方はそう思います。